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サ4026天平20年春,作者:大伴家持,能登,富山,部内巡航,旋頭歌,土地讃美 [題詞]能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首 登夫佐多○ 船木伎流等伊<布> 能登乃嶋山 今日見者 許太知之氣思物 伊久代神備曽 とぶさたて ふなききるといふ のとのしまやま けふみれば こだちしげしも いくよかむびぞ ・・・・・・・・・・・・
* 「鳥総立て」は、「鳥総」は枝葉がついたままの梢の部分で、舟を作るために伐採した木の切り株に、その木の葉の茂った枝を差し込むことを言った。鳥総を立て神に捧げる 船木を伐り出すという能登の島山 今日見ると木々が栄え繁っている 幾代も経たその神々しさよ ・・・・・・・・・・・・ 「言葉の再生を願う」意がある。神事。 サ4027天平20年春,作者:大伴家持,能登,部内巡航,望郷,序詞(第十七巻完) [題詞](能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首) 香嶋欲里 久麻吉乎左之○ 許具布祢能 河治等流間奈久 京<師>之於母<倍>由 かしまより くまきをさして こぐふねの かぢとるまなく みやこしおもほゆ ・・・・・・・・・・・・
* 都では元正太上天皇(上皇)が危篤状態に陥り、やがてこの世を去った。そして盧遮那仏(大仏)の建立事業が急ピッチで進められていた。香島から熊来をさして 風俗歌舞の奏上を受ける為に漕ぐ舟 その手を休める間もなく ただ都のことが思えてならない ・・・・・・・・・・・・ サ4028天平20年春,作者:大伴家持,能登,占い,望郷,部内巡航 [題詞]鳳至郡渡饒石<川>之時作歌一首 伊母尓安波受 比左思久奈里奴 尓藝之河波 伎欲吉瀬其登尓 美奈宇良波倍弖奈 いもにあはず ひさしくなりぬ にぎしがは きよきせごとに みなうらはへてな ・・・・・・・・・・・・
* 「みなうら」。「な」は「の」の意の格助詞。川の水で吉凶を占うこと。水の増減・清濁、また、水にもみ・豆などを落として沈みぐあい・縄を流したりして、いろいろな占う方法がある。みずだめし。 妻に逢わずに久しい時が過ぎた 饒石川の清らかな瀬ごとで 縄を延ばしたりして水占いをしよう ・・・・・・・・・・・・ サ4029天平20年春,作者:大伴家持,能登,道行き,氷見,叙景,土地讃美 [題詞]従珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首 珠洲能宇美尓 安佐<妣>良伎之弖 許藝久礼婆 奈我<波>麻能宇良尓 都奇C理尓家里 すずのうみに あさびらきして こぎくれば ながはまのうらに つきてりにけり ・・・・・・・
珠洲の海に 明け方から船を漕ぎ出してくれば 長浜の浦ではもう夜もふけて 月が照り輝いているよ ・・・・・・・ 17 4030作者:大伴家持,恨,風物 [題詞]怨鴬晩哢歌一首 宇具比須波 伊麻波奈可牟等 可多麻C<婆> 可須美多奈妣吉 都奇波倍尓都追 うぐひすは いまはなかむと かたまてば かすみたなびき つきはへにつつ ・・・・・・・
* 「かたまつ」片待つ[動タ四]ひたすら待つ。鴬はもう鳴くだろうとひたすら待っていると 春の霞がたなびき 月は過ぎて行こうとしている ・・・・・・・ <個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/31925082.html [題詞]造酒歌一首 奈加等美乃 敷刀能里<等其>等 伊比波良倍 安<賀>布伊能知毛 多我多米尓奈礼 なかとみの ふとのりとごと いひはらへ あかふいのちも たがためになれ ・・・・・・・
* 「あがふ」は「あがなふ」の古形。古代では「あかふ」。供物をささげ身のけがれを祓うという一連の祭儀が想定される表現であり、「贖ふ」祭儀の型をうかがうことができる。中臣氏の神主を呼んで 祝詞を申し上げてお祓いをし 供物を奉ることで長命を祈ったのは誰のためか ほかならぬお前の命のためなのだ ・・・・・・・ * 「はらふ」払う・掃う意の「はらふ」は四段活用であるが、災厄などを除き去る(祓う)意の「はらふ」は下二段活用。 <個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/32022586.html 第十八巻 [題詞]天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒 奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟 なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみたちくやと みてかへりこむ ・・・・・・・・・・・・
* 「なご」富山県新湊(しんみなと)市の放生津江(ほうしょうづえ)付近の古名。奈呉の浦。[歌枕]奈呉の海に出たいので ちょっと船を貸して下さい 沖で波が立ち寄せて来るか 見て来ます ・・・・・・・・・・・・ サ4033天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,宴席,挨拶,序詞高岡,富山,恋情,大伴家持 [題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒) 奈美多<底>波 奈呉能宇良<未>尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流 なみたてば なごのうらみに よるかひの まなきこひにぞ としはへにける ・・・・・・・・・・・・
波が立つと 奈呉の海の入江に貝が打ち寄せる その貝ではないが 貴方を絶え間なく恋しがるうち 年が経ってしまいまいます ・・・・・・・・・・・・ サ4034天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,高岡,叙景,宴席,挨拶,大伴家持 [題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒) 奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊<泥>牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流 なごのうみに しほのはやひば あさりしに いでむとたづは いまぞなくなる ・・・・・・・・・・・・
奈呉の海で 潮が早く引いたら 直ぐにも餌を捕ろうと 鶴が今盛んに鳴きあっています ・・・・・・・・・・・・ サ4035天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,叙景,宴席,挨拶,大伴家持 [題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒) 保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓<勢>武日 許由奈伎和多礼 ほととぎす いとふときなし あやめぐさ かづらにせむひ こゆなきわたれ ・・・・・・・・・・・・
* ここで言う五月五日は儀鳳暦。現行暦では6月中旬の菖蒲の時期。霍公鳥よ おまえの声を厭う時などありはしない 菖蒲草を縵にする日も 必ずやここを鳴いて渡ってくれよ ・・・・・・・・・・・・ * 「万葉集」の巻十、「アヤメグサの縵(かずら)」 ほととぎす いとふ時なしあやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ (1955) ホトトギスよ、いつでも嫌だというのではないが、アヤメグサを縵とする五月五日には必ずこの上を鳴き渡ってくれ。 ホトトギスの声を「玉に貫き」通したいという気持ちが秘められているようだ。 ここのアヤメグサは、水辺に群生する白菖である。 節句に軒端に指し菖蒲湯に入れるのがこの白菖である。沼沢の泥中に生えるためか、泥菖の別名がある。 万葉集のアヤメグサの原文は「菖蒲草」である。 アヤメグサはその強い香気のために邪気をはらい、疫病を除くとされた。 それで五月五日の節句にはアヤメの縵を髪飾りにする風習があり、この日を「菖蒲の節句」と呼び、「アヤメの日」と呼んだ。 サ18 4036;作者:田辺福麻呂 [題詞]于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌 伊可尓安流 布勢能宇良曽毛 許己太久尓 吉民我弥世武等 和礼乎等登牟流 [左注]右一首田邊史福麻呂 ( / 前件十首歌者廿四日宴作之 ) 天平20年3月24日,氷見,土地讃美,遊覧,宴席 一体どんな処なのでしょうか
* そんな見せたがっとる十二町潟ちゃ、どんなとこけ。 布勢の浦というのは こうまで熱心に 貴方が見せようと 私を引き留めるのは どれ程に美しい 布勢の浦なのだろうか これ程に 貴君が見せようと 私を引き留めるのは * 布勢水海跡(十二朝潟)と二上山 * 美は乱調にあり、生は無頼にあり、; <無環形> 隊長(体調)、諧調(快調)なれど美(媚)、蘭帳(乱調)なり 姓(生)は丹下(端倪)、名(奈翁)は武礼(無頼) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田辺史福麻呂 たなべのふひとさきまろ 生没年 未詳 系譜など; 田辺史は『新撰姓氏録』に2系統見え、右京皇別に「豊城入彦命四世孫、大荒田別命の後」、右京諸蕃に「漢王の後、知惣より出ず」とある。また上毛野朝臣の条に、「文書を解するを以て田邊史と為す」とあり、上毛野氏との深いつながりが推測される。古来文筆を以て仕えた氏族で、氏名は大阪府柏原市田辺の地名に基づくという。大宝律令の撰定者として知られる首名・百枝はおそらく福麻呂の同族であろう。また『東大寺要録』には田辺史広浜が銭一千貫を寄進したと見え、経済力の一端を垣間見せる。(略) http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/sakimaro.html |
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