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サ20 4367;作者:占部子龍,防人歌,茨城 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首茨城郡占部(うらべ)子龍(をたつ) ( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之) 阿我母弖能 和須例母之太波 都久波尼乎 布利佐氣美都々 伊母波之奴波尼 あがもての わすれもしだは つくはねを ふりさけみつつ いもはしぬはね 私の顔を忘れそうになったなら
妻よ 二人が出逢った 筑波嶺を仰ぎ見て偲んでくれ 筑波山は、標高876メートル。関東平野にあって遠くから望むことができ、古くから人々に親しまれてきた山で、男体山と女体山の二つの峰(みね)からなっている。また歌垣の場として知られている。(歌垣は、男女が歌をやりとりし互いの相手を見つける集い)。 ・・・・・・・・ サ20 4368;作者:丸子部佐壮,防人歌 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首久慈郡丸子部(まろこべ)佐壮(すけを) ( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之) 久自我波々 佐氣久阿利麻弖 志富夫祢尓 麻可知之自奴伎 和波可敝里許牟 くじがはは さけくありまて しほぶねに まかぢしじぬき わはかへりこむ 幸多き久慈川よ待っていてくれ
潮船に一杯に舵を通し われはいま帰り行かん サ 4369;作者:大舎人部千文,防人歌,茨城, [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注](右二首那賀郡上丁大舎人部千文)
右の二首は那賀郡上丁(かみつよぼろ)大舎人部(おおとねりべ)千文
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之祁 つくはねの さゆるのはなの ゆとこにも かなしけいもぞ ひるもかなしけ 筑波嶺の小百合の花か
夜の床に愛しかったお前 昼も可愛かった サ20 4370;作者:大舎人部千文,防人歌 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右二首那賀郡上丁大舎人部千文 ( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之) 阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都々 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎 [あられふり] かしまのかみを いのりつつ すめらみくさに われはきにしを 鹿島の神に祈りつつ
* 霰降る:「萬年豊作」から「聖寿万歳を寿ぐ」の意味の枕詞。皇軍兵士として私は来ました サ20 4371;作者:占部廣方,防人歌 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首助丁(すけのよぼろ)占部廣方 ( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之) 多知波奈乃 之多布久可是乃 可具波志伎 都久波能夜麻乎 古比須安良米可毛 たちばなの したふくかぜの かぐはしき つくはのやまを こひずあらめかも 橘の木陰を吹く風がかぐわしかった
* 「めかも」は、 推量の助動詞「む」の已然形「め」に付いて、反語の意をあらわす。「〜ものか」。あの筑波山を恋い偲ばずにいられようか この時期にはとくに 歌枕紀行 筑波山 ―つくばのやま― より(抜粋) 昔、筑波山は関東平野のどこからでもよく見えたらしい。海抜800メートル程度の山に過ぎないが、広大な平野が東北方向に尽きるあたり、平坦な台地の上にいきなりその秀麗な山容を顕しているからである。 筑波はどこから見ても姿のよい山であるが、ことに常陸国府のあった石岡市方面から、すなわち山の東側から眺めるのが美しい。男山と女山、双つの嶺がぴったりと寄り添って見えるのである。それはまるで大地に横たわった巨大な女神の乳房のようだ。常陸の古老が、駿河の富士と比べた筑波山の情の篤さを讃美している(常陸国風土記)のも、尤もだと肯かれるのである。 筑波はエロティックな饗宴の山であった。 鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 吾(あ)も交はらむ わが妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)もとがむな 反歌 男神(をのかみ)に 雲立ちのぼり 時雨ふり 濡れとほるとも 吾帰らめや 「筑波嶺に登りてカガヒせし日に作れる歌」と題された、高橋連虫麻呂歌集出典の万葉歌である。カガヒは歌垣(うたがき)と同じことを指しているらしい。常陸国風土記の寒田郎子と安是嬢子の伝説にみられるように、未婚の男女が歌をやりとりすることで、求婚相手を見つける集いの場であった。気の合ったカップルは、そのまま歌垣の場を抜け出し、木陰などに隠れて共に一晩を過ごしたのである。上の虫麻呂歌集の歌からは乱婚パーティーのような印象も受けるが、そうした風聞もあったのだろうか。おそらくこれは、筑波のカガヒの噂だけ聞き知っていた都人士を娯しませるための、専門歌人によるサービス過剰な(?)誇張表現だったのではないかと思われるのだが。 万葉時代の都人にとって遥かな東国の果てであった筑波山が、すでに伝説の山であり、一種の名所となっていたことは確かである。たまたま常陸に赴任する機会を得た官人たちは、苦労を厭わず筑波に登り、その感懐をいくつかの歌に残している。(後略) http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utamaku/tukuba_u.html サ29 4372;作者:倭文部可良麻呂,防人歌,茨城、道行き,手向け,寿歌 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首倭文部(しとりべ)可良麻呂(からまろ)
/ 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之
(二月十四日に常陸國の部領防人使大目正七位上息長(おきながの)眞人、國島が進れる歌の數は十七首なり、但し拙劣なる歌のみは取り載せず。)阿志加良能 美佐可多麻波理 可閇理美須 阿例波久江由久 阿良志乎母 多志夜波婆可流 不破乃世伎 久江弖和波由久 牟麻能都米 都久志能佐伎尓 知麻利為弖 阿例波伊波々牟 母呂々々波 佐祁久等麻乎須 可閇利久麻弖尓 あしがらの みさかたまはり かへりみず あれはくえゆく あらしをも たしやはばかる ふはのせき くえてわはゆく [むまのつめ] つくしのさきに ちまりゐて あれはいははむ もろもろは さけくとまをす かへりくまでに 足柄の神坂を通して頂き
後顧みず吾は越え行く 荒くれ男も立ち止まり憚る 不破の関も越えて吾は行く 筑紫の崎に留まりて 吾は斎いつつしみ くにのもろもろ幸多かれと祈るばかり 吾が帰り来るまでかわりなくあれ サ20 4373;作者:今奉部(いままつりべ)与曽布(よそふ),防人歌,栃木 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首火長今奉部与曽布 ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 祁布与利波 可敝里見奈久弖 意富伎美乃 之許乃美多弖等 伊O多都和例波 けふよりは かへりみなくて おほきみの しこのみたてと いでたつわれは 今日からは身も家も省みず
* 「醜」は自分を卑下することばで、契沖は「みづから身を罵辞なり」と言う。大君の楯となって出征するのだ 私は サ20 4374;作者:大田部荒耳,防人歌 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首火長大田部荒耳(あらみみ) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 阿米都知乃 可美乎伊乃里弖 佐都夜奴伎 都久之乃之麻乎 佐之弖伊久和例波 あめつちの かみをいのりて さつやぬき つくしのしまを さしていくわれは 天地の神に祈りを捧げ
* 「は」は、「我は…指して行く」の倒置であって、終助詞(詠嘆)とすることはできない。さつ矢を靫にさし 筑紫の島を目指して いざ旅たたん われは サ20 4375;作者:物部真嶋,防人歌,栃木 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首火長物部真嶋(ましま) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 麻都能氣乃 奈美多流美礼波 伊波妣等乃 和例乎美於久流等 多々理之母己呂 まつのけの なみたるみれば いはびとの われをみおくると たたりしもころ 松並木を見ると
家の者が松を並べ立てて 祭り事で私を見送ってくれた あの時を思い出すなあ サ20 4376;作者:川上老,防人歌 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首寒川郡上丁川上<臣>老 (おみおゆ) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 多妣由<岐>尓 由久等之良受弖 阿母志々尓 己等麻乎佐受弖 伊麻叙久夜之氣 たびゆきに ゆくとしらずて あもししに ことまをさずて いまぞくやしけ 長旅にゆくとは知らず
母父に別れの言葉もかわさなかった 今になって悔やまれることだ |
万葉集(下書き)
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