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サ20 4506;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)依興各思高圓離宮處作歌五首 [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 多加麻刀能 努乃宇倍能美也<波> 安礼尓家里 多々志々伎美能 美与等保曽氣婆 たかまとの ののうへのみやは あれにけり たたししきみの みよとほそけば 高圓の野の宮は荒れてしまいました
そこにお立ちになった伎美能治世も 遠い昔になってしまったので サ20 4507;天平宝字2年2月,作者:大原今城,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首) [左注]右一首治部少輔<大原>今城真人 多加麻刀能 乎能宇倍乃美也<波> 安礼奴等母 多々志々伎美能 美奈和須礼米也 たかまとの をのうへのみやは あれぬとも たたししきみの みなわすれめや 高円山の野に建つ宮は荒れてしまったが
そこにお立ちになった伎美能の 御名をお忘れることはない * 高円山は奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。当時は狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていた。その野原もすっかりさびれてしまったと、時代を懐かしんでいる。 * 聖武天皇の陵墓は奈良市法蓮町の佐保山南陵にあり、高円山の南東の田原西陵に埋葬されたのは志貴皇子である。 * 草壁皇子は「王」だが大嘗祭を執り行ってないので「大王」ではなく、大王、大皇、王など訓読みで一律に「大君」の表記を行なうことや、「おほきみ」=天皇の解釈は間違いであることから、万葉仮名で「於保吉美」と記されているから「おほきみ」=天皇とは決められない。親王も「王」の「おほきみ」で、「みこ」皇子と御子との違いの風景である。 * ここでの「於保吉美」は2年前に崩御された聖武天皇か、40年前に亡くなられた志貴皇子か、疑ってみると歌の背景も変わってくる。 サ20 4508;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇,序詞 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首) [左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣 多可麻刀能 努敝波布久受乃 須恵都比尓 知与尓和須礼牟 和我於保伎美加母 [たかまとの のへはふくずの すゑつひに] ちよにわすれむ わがおほきみかも 高円山の野辺に這う葛がどこまでも続くように
千代の末までも お忘れすることがありましょうか 吾らの大君を サ20 4509;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,枕詞,聖武天皇 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首) [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美<乃> 賣之思野邊尓波 之米由布倍之母 [はふくずの] たえずしのはむ おほきみの めししのへには しめゆふべしも 野に這う葛のように途切れることなく
絶えずお偲びしよう 大君がご覧になった野辺に 標しを結いつけておくことにしよう サ20 4510;天平宝字2年2月,作者:甘南備伊香,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇,悲嘆 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首) 於保吉美乃 都藝弖賣須良之 多加麻刀能 努敝美流其等尓 祢能未之奈加由 おほきみの つぎてめすらし たかまとの のへみるごとに ねのみしなかゆ 大君が今なを
お治めになっていられるだろうと思えば この高円の野辺を見るたびに 声を挙げて泣かずにはいられない |
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2016/12/8(木) 午後 3:59 [ ニキタマの万葉集 ]