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4511;天平宝字2年,作者:三形王,宴席,中臣清麻呂,叙景,庭園讃美,属目 [題詞]属目山齊(しま)作歌三首 (山斎を属目して作る歌三首) [左注]右一首大監物御方王 乎之能須牟 伎美我許乃之麻 家布美礼婆 安之婢乃波奈毛 左伎尓家流可母 をしのすむ きみがこのしま けふみれば あしびのはなも さきにけるかも 鴛鴦の住むお宅のこの山斎には
今日見ると馬酔木の花さえ咲いている * 「馬酔木」はアセビ。早春から盛春にかけ、白い壺形の花が枝先に群がり咲く。 * 前五首の「依興」(想像)とこの三首の「属目」(実景)が対比的に用いられている。 4512;天平宝字2年,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,庭園讃美,叙景,属目 [題詞](属目山齊作歌三首) 伊氣美豆尓 可氣左倍見要○ 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈 いけみづに かげさへみえて さきにほふ あしびのはなを そでにこきれな 池の水面に影さえ落とし
美しく映えて咲く馬酔木の花の その香りを擦り付けて袖に入れよう * 「さき‐にお・う」[:にほふ]咲匂 〔自ワ五(ハ四)〕(「におう」は美しく映えるの意)色香美しく咲く。一面に美しく咲き乱れる。 * 「袖にこきれな」は、花を袖に擦り付けて匂いを移し、そのまま袖の中に入れてしまおうということ。 4513;天平宝字2年,作者:甘南備伊香,宴席,中臣清麻呂,庭園讃美,属目 [題詞](属目山齊作歌三首) [左注]右一首大蔵大輔甘南備伊香真人 伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 ○流麻○尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母 いそかげの みゆるいけみづ てるまでに さけるあしびの ちらまくをしも 岩陰の映る池の水面を
照らすばかりに咲いている馬酔木の花が 散ってしまうのは惜しいことだ * 『山斎』は、漢詩文で山間のひっそりとした住処を意味する。 万葉集では、池や小山のある庭園をいう。磯は、海、湖や川の波打ち際の岩などのある場所。集歌では、磯、荒磯(ありそ)、磯廻(いそみ)などと表現されている。 20 4514;天平宝字2年2月10日,作者:大伴家持,藤原仲麻呂,未誦,小野田守,餞別,宴席,出発,羈旅,無事 [題詞]二月十日於内相宅餞渤海大使小野田守朝臣等宴歌一首 (二月十日、内相の宅に渤海大使小野田守朝臣等に餞(はなむけ)する宴の歌一首) [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 [未誦之] (右一首、右中弁大伴宿禰家持 誦まず) 阿乎宇奈波良 加是奈美奈妣伎 由久左久佐 都々牟許等奈久 布祢波々夜家無 あをうなはら かぜなみなびき ゆくさくさ つつむことなく ふねははやけむ 青海原では風波が静まり
往きも還りもつつがなく 船は速く進むことでしょう * 「内相」は紫微内相藤原仲麻呂。 * 小野田守(をののたもり)は外交などに活躍した官人。天平十九年従五位下。その後大宰少弐・遣新羅大使・左少弁などを歴任し、この年天平宝字二年二月、遣渤海大使。同年九月に帰国し、唐で勃発した安禄山の乱の情報をもたらした。 * 「風波なびき」は、神の霊威によって風と波が平伏すること。 * 左注の「誦まず(未誦之)」は、歌が披露される機会がないまま宴が終わってしまったこと。<「大伴家持全集 訳注編 Vol.3 水垣 久 編訳」より抜粋転載> 20 4515;天平宝字2年7月5日,作者:大伴家持,大原今城,餞別,宴席,悲別 [題詞]七月五日於<治>部少輔大原今城真人宅餞因幡守大伴宿祢家持宴歌一首 (七月五日、治部少輔大原今城真人の宅にして、因幡守大伴宿禰家持に餞する宴の歌一首) [左注]右一首大伴宿祢家持作之 秋風乃 須恵布伎奈婢久 波疑能花 登毛尓加射左受 安比加和可礼牟 あきかぜの すゑふきなびく はぎのはな ともにかざさず あひかわかれむ 秋風が葉末に吹き
野の萩をなびかせている 萩の花をともに縵に插すこともなく 別れてゆくのですね ☆ 友として一緒にやりたいことがあった。 共に花をかざすような・・・ この年六月十六日、家持は因幡守(従五位下相当)を拝命。 因幡に発った後、八月には孝謙天皇が大炊王に譲位し、仲麻呂は大保(右大臣)に昇進、恵美押勝の名を賜る。 天平宝字2年(西暦758年)6月16日、家持は右中弁から因幡守に遷任されました。7月5日には、友人の大原今城の宅で送別の宴が開かれ、家持は別れを惜しむ歌を残します。 秋風の 末吹きなびく 萩の花 ともに挿頭さず 相か別れむ(巻二十 4515) (訳)野では秋風が葉末に吹き、萩をなびかせる――そんな季節になろうというのに、萩の花を仲よく髪に挿すこともしないまま、別れてゆくのでしょうか。 家持が去った後の都では、8月1日、孝謙天皇が皇太后への孝養を理由に譲位し、皇太子大炊王が天皇位に就かれました。第47代淳仁天皇です。文武天皇以来の草壁皇子直系の皇統はここに途切れることとなりました。しかし恒例の改元はなされず、立后等の記事も見られません。 同日、即位に伴う叙位が行われますが、天平勝宝元年(749)従五位上に昇って以来昇叙のなかった家持は、ここでも選に漏れています。 同月25日、藤原仲麻呂は大保(右大臣)に就任し、太政官の首座を占めました。同時に恵美押勝の名を与えられ、永世相伝の功封3000戸・功田100町を賜わり、私鋳銭・私出挙と恵美家印を用いることを許されます。異例ずくめの厚遇でした。 年が明けて天平宝字3年(759)正月1日、都では淳仁天皇が大極殿に出御し、初めて朝賀を受けられました。 同じ日、家持は因幡の国庁で国郡司らを率いて朝廷を遥拝し、朝賀の儀を受けました。その後、部下たちを饗応する宴を張ります。 三年春正月一日、因幡国の庁にして、国郡の司等に饗を賜ふ宴の歌一首 新(あらた)しき 年の始めの 初春の けふ降る雪の いや重(し)け吉言(よごと)(巻二十 4516) (訳)新たに巡り来た一年の始まりの初春の今日、この降りしきる雪のように、天皇陛下を言祝ぐめでたい詞がつぎつぎと重なりますように。 こうして、雄略帝の、大王の勢威を高らかに宣言する歌に始まった万葉は、極めて儀式的な、個人的な感慨のまったく含まれない、しかし(それゆえにこそ)流れるように美しい調べをもつ、一臣下による天皇讃歌によって締めくくられた。 ・・・・・・・ 4516 天平宝字3年1月1日,作者:大伴家持,予祝,寿歌,鳥取,宴席 [題詞]三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首 [左注]右一首守大伴宿祢家持作之 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰 あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと ・・・・・・・・・・・・
巡り来た年の始めの初春に 今日降りしきる雪のように 天皇陛下を言祝ぐめでたい吉事が つぎつぎと重なりますように ・・・・・・・・・・・・ * 万葉集最終歌。 |
万葉集(下書き)
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