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<個別再掲載> サ4047天平20年3月25日,作者:遊行女婦土師,氷見,土地讃美,遊覧,宴席 [題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌) 多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢<牟> たるひめの うらをこぎつつ けふのひは たのしくあそべ いひつぎにせむ
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* 垂姫の崎は現氷見市大浦。垂姫の浦を漕ぎ巡りながら 今日は満ち足りるまで楽しみお過ごし下さい 後々までもの語りぐさにしましょうから ・・・・・・・・・・・・・ * 古代は酒を醸すのは女性で、米を噛んで醸したので、ヒタイの脇をコメカミ(米噛み)と、この語が残っている。良家の主婦をトジ(刀自)と言うが、これは酒造の杜氏と同じ語源。 * 万葉の時代、酒席には酒醸のプロの遊行女婦土師(うかれめはにし)が同席したらしく、今のホステスとは少し趣が違うらしい。 * 「遊行女婦」は、官人たちの宴席で歌舞音曲の接待役として周旋し、華やぎを添えた。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん・〔名〕旅に立つ人を送る時の酒宴。餞飲。)での、別離の歌には、多くの秀歌を残している。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなった彼女たち。しかし、相手を選べない売春とは違うものであった。 また、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできない。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもあった。奈良時代になると律令制度で、正式な官人も男性だけとなり、女性の巫女すら重要な役割を任せられなくなり、こうした風潮は、下層の一般庶民にも影響を強めて行った。 |
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2016/10/30(日) 午後 3:51 [ ニキタマの万葉集 ]