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2 85;相聞,仁徳天皇,作者:磐姫皇后,律令,情詩,閨房詩,大阪,伝承,仮託,恋情,女歌 [題詞]難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首(磐姫(いはのひめの)皇后(おほきさき)、仁徳天皇を慕って作った歌四首) 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待 きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ ・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたの行幸日数が長く経ちました 山路をたずねてお迎えに参りましょうか それともこのままお待ちしましょうか ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 磐之媛命 いわのひめのみこと 建内宿禰の子葛城襲津彦の姫。仁徳天皇の皇后。履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母。 天皇の側室黒比売・八田皇女に対する激しい嫉妬の話が伝わる。 万葉集最古の作者。 陵墓は『延喜式』に大和添上郡の平城坂上墓とし、奈良市佐紀のヒシアゲ古墳に比定されている。(千人万首) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 仁徳天皇; 古事記の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦393年、仁徳天皇の崩御が西暦427年となり、その間が在位期間となる。名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。 皇后(前):磐之媛命(いわのひめのみこと、石之日売命。葛城襲津彦の女) 皇后(後):八田皇女(やたのひめみこ、矢田皇女。応神天皇の皇女、母は宮主宅媛(和弭日触使主の女)。菟道稚郎子皇子の同母妹) 応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていたのは皇位継承者の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子であった。宇治天皇(『播磨国風土記』)とも。 父天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。 磐之媛命は「嫉妬」で綴られているが、暦意の真実は和弭氏と葛城氏との死闘が隠されているのではないだろうか?
・・・・・・・・・・・・ 【名歌鑑賞 9】森 明著 <万葉集巻二:85・86・87・88歌(89・90歌)> http://f-kowbow.com/ron/meika09/meika09.htm |
万葉集索引第二巻
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