yahoo《やまとねこ》さんのブログ【藤原不比等の日本古代史観】<枕詞はヒント語である>2016/7/29(金) 【藤原不比等はヒント語をたくさん残した】 http://blogs.yahoo.co.jp/keizobeat/57394898.html?vitality 日本の古代史は、実際には存在していたのです。 古代日本には日本人だけが住んでいたのではないのです。 中国人が、それも優秀なエリートがたくさん渡来していました。 歴史好きな中国人が、日本の歴史を残さないはずはないのです。 つまり、中国語で書かれた古事記が存在していました。 中国人と日本人の歴史に対する認識が違うのです。 中国人の歴史とは「史実」ですが、日本人の歴史とは「心」なのです。 「まこと」(誠)とは、「事実」ではないのです。 「まこと」とは「人間の正しい心」なのです。 だから「古事記」は、史実とかけ離れたものになってしまいました。 と言っても、古事記が自分で「書き換わった」のではありません。 誰かが書き換えたのです。 その半分は藤原不比等様です。 藤原不比等様は、そのおわびに、「ヒント語」を残しました。 「枕詞」ですが、実はそのほかにも続々見つかったのです。 藤原不比等様は、すぐに誰かが正しい史実を探し当てると思っていました。 しかしそれが絶望的になったのです。 それは桓武天皇が、さらに「焚書」してしまったからです。 桓武天皇は、天智天皇系と言われています。 しかし、桓武天皇は「近江朝系」なのです。 「近江朝」とは壬申の乱で、天武天皇と対立した王朝です。 この近江朝に原文に近い古事記が残っていました。 桓武天皇は、「この歴史はあまりにもひどい」と言って、全部燃やしてしまったのです。 藤原不比等様が隠して、そこにマークを付けた歴史、それは大きく三つあるのです。 九州王朝とその滅亡 大和朝廷は奈良盆地ではなく大阪平野の河内にあった 壬申の乱は数か月ではなく20年も続いた。 今回のブログは、飛鳥時代から奈良時代に焦点を当てます。 欽明天皇の息子、用明天皇と敏達天皇から、奈良時代の藤原不比等と元明天皇までです。 残念ながら、 ににぎ様、うずめさま、 神武天皇、綏靖天皇、 すさのう命、少彦名の命、 大物主の命、姫たたら五十鈴より姫様、 応神天皇、雄略天皇、清寧天皇様は、今回はあまり登場の機会はありません。 【「近江」は何故「おうみ」と読むのか】 「近江」はなぜ「おうみ」と読むのか。 これは簡単です。 「ちかつあわうみ」で、「近津淡海」と書き、「淡海」が「江」で、「近江」で「あわうみ」「おうみ」となったのです、 と私も騙されていました。 でたらめです! だいたい、 琵琶湖は「あわうみ」ではありません。 「うみ」(海)には三つありました。 「しおうみ」は「海」です。 「みずうみ」は「湖」です。 「あわうみ」は「海とつながっている湖」「汽水湖」です。 琵琶湖は真水湖なので、「あわうみ」ではなく「みずうみ」なのです。 ではなぜ「近江」を「おうみ」と読むのでしょうか。 超難問です。 「近江」は枕詞だったのです! またいつか、登場していただきましょう。 藤原不比等のヒント語だけでかなりページが出来ます。 【「近江」は何故「おうみ」と読むのか その二】 「近江」は、どう読んでも「おうみ」とは読めません。 それなのに、私たちは「近江」を「おうみ」と読めるのです。 それは何故でしょうか。 それが「枕詞」なのです。 「飛鳥」はどう読んでも「あすか」とは読めないのに、 私たちは「あすか」と読めてしまうのです。 「飛ぶ鳥の明日香」を「飛鳥」だけで「あすか」と読むのです。 「近江」も枕詞なら、「おうみの近江」という言葉があったことになります。 「おうみ」とは「おおきいみずうみ」のことです。 つまり「琵琶湖」です。 「近江」とはなんでしょうか。 「ちかえ」ではないでしょうか。 「誓え」です。 「おうみのちかえ」「琵琶湖の誓い」だったのです。 枕詞にはもう一つ「隠れ枕詞」があるのです。 それは「おうみでない誓い」「琵琶湖ではない誓い」です。 「吉野の誓い」でしょう。 壬申の乱で、天武天皇は息子たちに誓わせたのです。 「吉野の盟約」で、「草壁皇子を次期天皇とし、お互い助けて相争わないことを誓わせた。」と書いてあります。 実際の「吉野の盟約」の中身はこれから調べますが、 「琵琶湖の盟約」「近江朝の誓い」の方が先にわかってしまいました。 壬申の乱は、近江朝と吉野朝の対立で、吉野朝が勝ちました。 吉野朝は近江朝に誓約させたのです。 「この国を近江朝の国名にする」 「近江朝の人間を殺さずに、琵琶湖周辺、京都盆地、山代の開拓民とする」 この二つです。 この「琵琶湖の盟約」で、日本の国名が決まりました。 近江朝は自分たちの国を「日本」と名乗っていたのです。 吉野朝は「大和」と名乗っていました。 そして、近江朝の遺族が開拓した京都盆地が平安京となりました。 琵琶湖を開拓した遺民は、大変優秀な「近江商人」となったのです。 追記「吉野の盟約」の真実が分かりました。すごいです!だから日本は素晴らしいのです。またゆっくり書きます。 ちょっとだけ書きます。「九州王朝の天皇の遺族(蘇我入鹿の子孫)を天皇にする」というものです! 2016/7/30(土) 【「日下」を「くさか」と読むのは何故か】 「日下」は「くさか」と読みます。私はこれを何回も書いていますが、(消してしまってすみません)とてもとても重要だからです。 「日下」の「下」は音読みで「カ」と読みますが、「日」は音読みでも訓読みでも「くさ」とは読めないのです。 このように、音読みでも訓読みでも読めないのに読める漢字は、「枕詞」なのです。 そして、なぜ枕詞が出来たのか。 それはもうひとつの枕詞があるからです。 「飛鳥」を「あすか」と読むのは、「飛ぶ鳥の明日香」という枕詞があったからです。 そして、「飛鳥」には二つあって、「近津飛鳥」と「遠津飛鳥」があったのです。 「遠津飛鳥」は奈良盆地にあり、「近津飛鳥」は大阪河内にあったのです。 二つの「あすか」があったので、奈良盆地の明日香を「飛ぶ鳥の明日香」「飛鳥明日香」と書きました。 それで「飛鳥」だけで「あすか」と読むのです。 「日下」を「くさか」と読むのは、「日下」が枕詞だったのです。 「ひのもとのくさか」と言いました。 「日下草香」と書いたのです。「下」は「もと」とも読むのです。「橋下徹」は「はししたとおる」ではなく「はしもととおる」と読むのです。 つまり、「くさか」には二つあったということです。 「日下でない草香」「ひのもとではないくさか」があったのです。 「ひのもと」「日下」とは「太陽の本」なので「東の方角」の意味です。 注:「日の下」にはもう一つ重要な「隠れ意味」があります。「晴れ乞い」の意味です。後で詳しく書きますね。 「ひのもとではない草香」とは「西の草香」です。 古代大阪平野には、「河内湖」という湖がありました。 河内湖は大阪湾につながっていたので、「草香江」と呼ばれたのです。 そして、福岡市にも「草香江」があるのです。 古代博多湾も汽水湖で、「草香江」と呼ばれたのです。 「草香」が大阪と福岡にあったのです。 岡の「くさか」は「西の草香」なので、「日向の草香」と呼ばれていたと思っています。 さて、長々と書きましたが今回の本筋はこれからです。 「種種」という和語があるのです。読める方はいらっしゃいますか。 「たねだね」ではなく、「くさぐさ」と読むのです。私はびっくり仰天しました。「くさぐさ」とは「くさかくさか」ではないかとおもったのです。 「種種」の意味を広辞苑で調べると、「物事の品数・種類の多いさま。いろいろ。さまざま。」例として源氏物語(絵合)「種種の御たきものども」と出ていました。 「くさぐさ」とは、「大阪と福岡では色々な違いがある」と言う意味なのです。 大阪と福岡に、国があったのです。 古墳時代から飛鳥時代にかけて、日本には大きな国が二つありました。 大阪に「大和朝廷」福岡に「九州王朝」です。 藤原不比等は、古事記日本書紀で「九州王朝」と「河内王朝」を消し去ったのです。 そして消した場所にしるしを付けました。 その「しるし」が「枕詞」ですが、「種種」のように「繰り返し和語」をたくさんつくったのです。 「様々」「色々」も「繰り返し和語」なのです。 「繰り返し和語」は「大和と九州の違い」が分かるようになっています。 これから簡単な「繰り返し和語」を説明していきます。 「軽軽」(かるがる)は難しいけれどわかりやすいです。 「かる」とは「福岡港」と「大阪港」の意味なのです。 次回は「かる」とは何かから説明いたします。 ところで、「日下」は「ひのもと」ですが、それが「日の本」となり「日本」になったのです。 「日下」は最重要和語なのです。 注:私はそれを古事記雄略天皇紀から見つけました。 雄略天皇の皇后を「若日下部王」(わかくさかべのおおきみ)と言うのです。 【「近江なる」は枕詞ではないか】 伊勢物語に 近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の なべのかず見む という和歌が載っているそうです。 ある男は、異性を知らないであろう女が高貴な方と人目を忍んで愛を語らい、関係を持ったのを知った。 しばらくして男が女に詠んだ。 近江の筑摩神社の祭りを、すぐに、しましょう。男女関係なんて興味が無いという風だった女が、何個の鍋を頭にかぶっているか、見ようじゃないですか。
「近江なる」が枕詞なら、この和歌のどの和語に懸かるのでしょうか。
「おうみなる近江」「近江なる誓え」なのですから、この和歌の内容から見ると、「お祭りに神様の前で鍋をかぶる」(この女性が関係した男性の数を神様の前で正直にかぶる鍋の数で表す)というものなので、「誓え」は「祭り」ではないでしょうか。【継体天皇は大友皇子である】 「近江」が枕詞ではないかと考えている内に、近江(滋賀県)には、近江朝が出来る前は、何もなかったのではないか。 「継体天皇」は藤原不比等が作った、「供養天皇」 で、「大友皇子」一族の鎮魂天皇なのではないのか。 大友皇子は、天智天皇の息子ではなく、お兄さんの次男です。 有間皇子の弟です。 孝徳天皇の次男で、統天皇が殺したと言われる、大津皇子と同一人物です。 大友皇子は、秦河勝の次男なのです。 【「近江」は何故「おうみ」と読むのか その二】 「近江」は音読みなら、「キンコウ」で訓読みなら、「ちかえ」です。 しかし「近江」は音読みでも訓読みでもなく、「おうみ」と読むのです。 これは枕詞に違いありません。枕詞には、もう一つ「隠れ枕詞」があるのです。 「おおみなるちかえ」を、「大湖近江」と書いたのです。 それで「近江」だけで「おうみ」と読むのです。 もう一つ隠れ枕詞は、「おうみでないちかえ」があったのです。 枕詞は柿本人麻呂が作りました。 なので時代は飛鳥奈良時代です。 飛鳥奈良時代で「近江」と言ったら壬申の乱です。 「近江朝」の反対は、「吉野朝」です。 「近江の誓え」の反対は、「吉野の誓え」です。 何故「吉野の誓え」「吉野盟約」を隠したのでしょうか。 「吉野盟約」は日本書紀に書いてあるのです。 隠したのは「吉野盟約」の内容ではないでしょうか。 【コメント欄】 ニキタマ万葉集さんこんにちは。 「近江」も枕詞だと気がつきました。 藤原不比等はすごいことをたくさん隠してそれに印をつけたのです。 「おうみなるちかえ」「大湖近江」がありました。 近江朝に吉野朝が誓わせた誓いはすごいです。 「大友皇子をはじめ全員の命は助ける。」 「領土を取り上げるので京都盆地の開拓をせよ」 「近江朝の国名を統一国の国名にする」 と言うのです。
吉野朝は「大和」
遣唐使が中国皇帝に、「滅ぼした国の名前をもらって倭から日本に国名を変えました」と言えるはずはないのです。近江朝は「日本」だったのです。 2016/7/30(土) 午後 1:39[ やまとねこ ] . > やまとねこさん
もう日暮れですね。 過ぎ去る光陰?・・・まさに、 ガードレールどころか、道さえ見失わさせるスピードです。 [ やまとねこ ] さんのお陰様で、日本古代への道ははずせません。 四六時中楽しんでいます
ありがとうございます。
2016/7/30(土) 午後 6:24[ ニキタマの万葉集 ] |
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2019/2/24(日) 午前 10:37 [ ニキタマの万葉集 ]