ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

百人一首1〜10

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春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山    持統天皇 

<新古今集・巻三・夏・に「題知らず 持統天皇御歌」>

【歌意】
いつか春はすぎさり
もう夏がやってきたらしい
夏になると大和三山のひとつ
天の香具山のほとりには
夏のならわしと
白妙の衣ほすという
若葉の中 衣がひらひらと
かがやいているのが見える

【語句・文法】

* 春すぎて 夏来にけらし;
「春」は陰暦一・二・三月。「夏」は陰暦四・五・六月。
「て」は接続助詞。
「来ーき」はカ行変格活用動詞「来ーく」の連用形。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
「けらし」は「けるらし」がつづまって一語となった(複合)助動詞。
「け」は過去の助動詞「けり」の連体形「ける」の「る」の音節脱落の形式。
「らし」は確かな根拠をもとにした推量の助動詞終止形。故に「けらし」は両者の意を含む過去の推量。
以上で二句切。

* 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山;
「白妙」は真っ白の意。
「白妙の」は「衣」に枕詞ともなる。
「ほす」は動詞終止形。
「てふ」は「といふ」の複合語で、四段活用動詞の「てふ」の連体形。
「天の香具山」は奈良県樫原市にある大和三山の一つ。上代訓は「あめ」。
体言止。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

【作者や背景】

持統天皇(645〜702)第四十一代天皇。
風光明媚な藤原に遷都し唐の都に習い大規模な藤原の宮を造営し、
政治に手腕を奮い、和歌、雅楽などの文化に大きな影響を残したが、
庶民の暮らしはあまりかえりみられなかった。

【万葉との差異】

春過ぎて 夏来たるらし しろたへの 衣ほしたり 天の香具山  万葉集

「夏きたるらし」→「夏来にけらし」
「衣ほしたり」→「衣ほすてふ」と変更されている。

* 天の香具山
「春過ぎて夏来たるらししろたへの衣ほしたり天の香具山」と詠んだ女帝持統天皇の一首はよく知られている。藤原宮の東になだらかな山容を見せる。高天原から天降ったと信じられ、三山のうち最も神聖な山とされている。天智帝の「妻争い歌」では畝傍山を額田王に、この天の香具山を自身に擬していると思われる。

藤原定家の時代の歌は、断言調・直言風な口調を嫌い、
婉曲で優美、暗示的な口吻を好んだ。

王朝時代、香具山には甘橿明神がいて,この神は衣を濡らして人の言葉のうそかまことかを糾したという、王朝の人々はその伝説を知っていてそれをふまえて「衣ほすてふ」としたのではないかという。
伝説を頭において歌を詠むのなら、なるほど、「衣ほすてふ」の方がすわりは良い。

定家という歌人は言葉の魔術師みたいなところがあるから、彼からみると、
元の歌の万葉集の持統天皇の歌は、「題材は良いが、ひとこと、ふたこと、直せばもっと良くなるのに」という、いかにも添削意欲をそそる歌であったのかもしれない。

もとの歌のように、目の前で見たものを即歌にするというのは、いかにも初歩的で、いっぺん自分の内で濾して、虚で真実を歌うという作業をしないと歌にならぬ、と思ったのかも知れない。

即興的な場合を除き、このような作業を凝らすことで、歌に心を吹き込んでいたのであろう。

この持統天皇は、ご存知女帝である。天智天皇の第二皇女。夫の大海人皇子(おおあまのみこ)をたすけて、壬申の乱では共に戦い、勝利を手にする。

夫は天武天皇となり、男勝りで非情冷静な性格の女性だったらしく、
天武天皇が崩御されると、間髪を入れず、わが子のライバル異腹の皇子、
大津皇子を殺したりしている。

庶民の困苦をかえりみず、度々行幸したりして、その生涯はまだ解明されていない謎にみちている。

しかし、草壁皇子夭折ののち、みずから即位して父である天智天皇、
夫の天武天皇が遣り残した、律令政治の礎を固めた。

また唐の都に習った藤原の宮を造り、柿本人麿などの宮廷歌人を輩出させ、
万葉集の黄金時代をつくった。

藤原の宮は、内裏、大極殿、朝堂(十二堂)と、朝集殿を北から南へ配置した、九百二十平方メートルの広い区域が定められていたというから、
壮大な宮殿の奥での持統女帝の生活は豪奢を極めていたことであろう。
ここで八年在位し文武天皇に譲位した。
政治家としても夫をしのぐほどであったといわれる。


【ゆかりの地】天の香具山。

舒明天皇の歌(万1-2)では国見をする山として詠まれ、天智天皇の歌(万1-13)では畝傍山をめぐって耳成山と争ったことが詠まれている。ほかにも万葉集には「いにしへのことは知らぬを我見ても久しくなりぬ天の香具山」と太古の伝説を有する山として、また「ひさかたの天の香具山この夕へ霞たなびく春たつらしも」と季節の到来を告げる山として仰がれた。古今集以後はほとんど歌に詠まれなくなるが、平安末期に至って歌枕として復活し、新古今集にはこの山を詠んだ歌が四首みえる。実際は小丘陵にすぎないのだが、「ひさかたの雲井に春のたちぬれば空にぞ霞む天のかぐ山」(藤原良経)など、王朝歌人たちは天空に聳え立つ山としてイメージしていた。(小倉百人一首 注釈)

【特選サイト】

《yoshy》伊勢物語と仁勢物語-2
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220
『百人一首 2番 持統天皇』
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/40615379.html

【主な派生歌】
いつしかと衣ほすめりかげろふの夏きにけらし天のかご山(藤原隆季)
白妙にゆふかけてけり榊葉に桜さきそふ天のかぐ山(藤原俊成[続拾遺])
白妙の衣ほすてふ夏の来て垣根もたわに咲ける卯の花(藤原定家)
大井川かはらぬゐぜきおのれさへ夏きにけりと衣ほすなり(〃)
花ざかり霞の衣ほころびてみねしろたへの天のかご山(〃)
名に高き天のかぐ山けふしこそ雲ゐにかすめ春やきぬらん(〃[続古今])
夏の来て卯の花白くぬぎかふる衣乾すらし天のかぐ山(作者不明「未来記」)
雲晴るる雪の光や白妙の衣干すてふ天のかぐ山(藤原良経)
春霞しのに衣をおりかけていくかほすらん天のかご山(〃[続後撰])
白雲の衣ほすてふ山がつの垣ほの谷は日影やはさす(藤原家隆)
白妙の衣ほすなり郭公天のかぐ山おりはへてなけ(〃)
春ををしみ天の香具山袖ぬれてあすは卯月の衣ほすとも(〃)
いまよりの秋風たちぬしろたへの衣吹きほすあまのかぐ山(〃)
白妙の衣ふきほす木枯しのやがて時雨るる天のかぐ山(藤原雅経[続古今])
みねたかき天のかご山しろたへのたが衣手を雲にほすらん(藤原信実)
かぐ山のあまぢのかすみおりはへて神もやむかし衣ほしけむ(藤原基家)
五月雨は雲のおりはへ夏衣ほさでいくかぞあまのかご山(藤原為家)
朝あけの霞の衣ほしそめて春たちなるる天のかぐ山(土御門院[続古今])
冬きては衣ほすてふひまもなく時雨るる空の天のかぐ山(後嵯峨院[続後撰])
佐保姫の衣ほすらし春の日のひかりに霞む天のかぐ山(宗尊親王[続後拾遺])
佐保姫の霞の衣をりかけてほす空たかき天のかぐ山(二条為重[新後拾遺])
香久山やあまぎる雪の朝がすみそれとも見えずほす衣かな(正徹)
さくら花よそめは雲になりはてて衣はほさじ天の香久山(木下長嘯子)
水無月のテラス手負のラガー出て白妙の裂帛を干したり(塚本邦雄)


【出典・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・
<小倉百人一首 注釈>等から。


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