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15;作者:中大兄,三山歌,兵庫,妻争い [題詞]((中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌) わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ ・・・・・・・・・・
はてしない海原の上に 夕日に輝きながらたなびく豊旗雲 豊かになびく雲に 入る日を見た今宵の月夜よ 清らかであれ ・・・・・・・・・・
渡津海乃ーわたつみのー海神のー海を支配する神。海そのものをも言う。
* 「こそ」は他に誂え望む終助詞。スミアカクコソ・アキラケクコソ・キヨクテリコソなどの訓み方がある。いずれにしても、夜の航海が安全であれ。安全であるようにして欲しいものよ。の意。 豊旗雲尓ーとよはたくもにー豊旗雲にー「豊旗雲」未詳。旗のように横に長くたなびく雲のこと。「豊」は美称、「旗雲」は旗(吹き流し)のように水平方向にたなびく雲であろう。 伊理比<紗>之ーいりひさしー入日さし 今夜乃月夜ーこよひのつくよー今夜の月夜 清明己曽ーさやけくありこそー↓ ・・・・・・・・・ 天智天皇 てんじてんのう 推古三四〜天智一〇(626〜671) 諱:葛城皇子 略伝
舒明天皇の皇子。母は斉明天皇。大海人皇子・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母兄。倭姫王(古人大兄の子)を正室とする。大友皇子・大田皇女・菟野皇女(持統天皇)・建皇子・川島皇子・御名部皇女・阿閉皇女(元明天皇)・志貴皇子らの父。
その皇統は壬申の乱によってひとたび途絶えたが、奈良朝末期、志貴皇子の子白壁王が即位して(光仁天皇)復活し、その子桓武天皇が平安京を開くに至る。以後も皇位は天智天皇の系譜が引き継がれることとなった。斉明七年(661)、百済救援を目的とする斉明天皇の新羅征討に同行するが、天皇は筑紫で崩じたため、即位の式をあげぬまま皇位を継承した。 天智元年(662)、近江令を制定(『藤氏家伝』)。翌年、兵を新羅に派遣するが、白村江の戦で唐軍に大敗し、百済は滅亡した。 同三年、唐・新羅の侵攻に備え、防人を置き、筑紫に水城を築造する。 同六年、近江大津宮に遷都。翌年、即位。 同九年、日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成する。 同十年、大友皇子を太政大臣に任命する。 同年十二月三日、崩御。四十六歳。
(出典・記事転載元)[千人万首]。
・・・・・・・・・・・【名歌鑑賞1−1】森 明著
(万葉集1・15)
http://f-kowbow.com/ron/meika01/meika01.htm |
万葉集索引第一巻
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