ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

百人一首31〜40

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忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで 
平 兼盛 
<天暦の御時の歌合 拾遺集・恋一>拾遺抄・恋上 天徳四年内裏歌合 新撰朗詠集・下・雑
この天暦は、年号ではなく、村上天皇の治めている御代の意で、「天徳四年三月三十日内裏歌合」のとき詠まれた歌。


【歌意】
・・・・・・・・・・・・・・
わたしの恋はひそかに隠していたけれど
顔色や表情に表れてしまったらしい
恋の物思いをしているのかと
人が尋ねるほどまでに
・・・・・・・・・・・・・・

【語句・文法】

* 倒置法;「忍ぶれど 色にいでにけり」という述語を、主語の句「わが恋は」と倒置し冒頭に押し出し、一気に秘めていた恋を認めてしまう。
「物や思ふ」と「人のとふ」までと現実の第三者を登場させて、「忍ぶ恋」の表れるさまを洗練された情感で詠いあげている。

* 忍ぶれど 色にいでにけり;

「しのぶれ」は上二段活用動詞「しのぶ」の已然形。
「ど」は逆接の接続助詞。
「色」は顔色・表情、様子。
「に」は変化の結果を示す格助詞。
「いでに」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
「けり」は詠嘆の助動詞終止形。
二句切。

* わが恋は 物や思ふと 人のとふまで;

「わが」の「わ」は自称代名詞。「が」は連体修飾語をつくる格助詞。
「は」は係助詞。
「物や思ふ」は人の言葉。心配ごと・悩みごと。
「や」は疑問の係助詞で、結びは連体形「思ふ」。
「人」は一般、世間の人。
「の」は主語を示す格助詞。 
「とふ」連体形に接する。
「まで」は限定を表す副助詞。

【作者や背景】

生年未詳〜正暦元年(990)光孝天皇の五代孫、曾孫筑前守篤行王の子。始めは兼盛王と名のっていたが、天暦四年(950)に臣籍に降って、平氏となった。
従五位上、駿河守と、地位はそれほど高くはないが平安中期の有力な歌人で、三十六歌仙の一人。家集に『兼盛集』がある。
『袋草紙』には『江記』からの引用として59赤染衛門の実父であるとの説を載せる。もと兼盛王と名のったようであるが、天暦四年(950)、平姓を賜わる。
越前権守・山城介・大監物などを経て、従五位上駿河守にいたる。
兼盛の娘(赤染衛門。兼盛の妻が離婚した際に妊娠しており、赤染時用と再婚した後に娘を出産したので兼盛が親権を主張して裁判で争ったが認められなかったと言う逸話が伝えられる)は大江匡衡に嫁いでおり、その血脈は大江広元や大江姓毛利氏にも流れている。
天徳四年(960)の内裏歌合など、多くの歌合に出詠。また永観三年(985)二月、円融院紫野御幸における歌会では和歌序を執筆。屏風歌も多い。
勅撰入集計は九十首に上り、拾遺集・後拾遺集の主要歌人の一人。

【他の代表歌】

み山出でて 夜はにやきつる 時鳥 暁かけて 声のきこゆる
(拾遺集)
くれてゆく 秋の形見に おく物は わが元結の 霜にぞありける
(〃)
かぞふれば わが身につもる 年月を 送り迎ふと なにいそぐらむ
(〃)

* 天暦御時歌合(天徳内裏歌合)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)は、天徳4年3月30日(960年4月28日)、村上天皇によって行われた歌合。
歌題の提示から当日まで1ヶ月の期間をおき、進め方や左右双方の衣裳、歌を書いた色紙を置く州浜(入り江などをかたどった飾り台)にいたるまで周到に準備されたもので、その典雅さなどで後世の歌合の手本となった。
3月初めに示された題は霞、鶯 、柳、桜 、款冬(山吹)、藤、暮春、首夏、郭公(ほととぎす)、卯花、夏草、恋の12。鶯、郭公が各2、桜が3、恋が5の計20番で戦われた。
判者(はんじゃ:勝敗を決める役)は左大臣藤原実頼、その補佐に大納言源高明(たかあきら)、講師(こうじ:歌を読み上げる役)は左方源延光、右方源博雅、方人(かたうど;応援する役)には女房たちが左右に分かれ、それぞれ左方は赤(朱)、右方は青(緑)を基調に衣裳を揃えるなど趣向を凝らしたものであったという。
当日は午後早くから会場となる清涼殿の準備が始まったが、左方の州浜の参上が遅れ、歌合が始まったときはすでに日が暮れていたといわれる。歌合は夜を徹して行われ、左方の10勝5敗5引き分けで終わった。歌合のあと管弦の遊びが催され、退出は翌朝のことであった。

20番の内容

1.霞

左:藤原朝忠卿(勝)
倉橋の山のかひより春霞としをつみてやたちわらるらむ
右:平兼盛
ふるさとは春めきにけりみよしのの御垣の原をかすみこめたり

2.鶯

左:源順(勝)
こほりだにとまらぬ春のたに風にまだうちとけぬうぐひすのこゑ
右:平兼盛
わがやどにうぐひすいたくなくなるはにはもはだらに花やちるらむ

3.鶯

左:藤原朝忠卿(勝)
わがやどの梅がえになくうぐひすは風のたよりにかをやとめこし
右:平兼盛
しろたへの雪ふりやまぬ梅がえにいまぞうぐひすはるとなくなる

4.柳

左:坂上望城
あらたまのとしをつむらむあをやぎのいとはいづれの春かたゆべき
右:平兼盛(勝)
さほひめのいとそめかくるあをやぎをふきなみだりそ春の山風

5.桜

左:藤原朝忠卿(勝)
あだなりとつねはしりにきさくらばなをしむほどだにのどけからなむ
右:清原元輔
よとともにちらずもあらなむさくら花あかぬ心はいつかたゆべき

6.桜

左:大中臣能宣(持(じ;引き分けのこと))
さくらばな風にしちらぬものならばおもふことなき春にぞあらまし
右:平兼盛(持)
さくらばないろみゆるほどによをしへば歳のゆくをもしらでやみなむ

7.桜

左:少弐命婦(勝)
あしひきのやまがくれなるさくらばなちりのこれりと風にしらすな
右:中務
としごとにきつゝわがみるさくらばなかすみもいまはたちなかくしそ

8.款冬(山吹)

左:源順(勝)
春がすみ井手のかはなみたちかへりみてこそゆかめやまぶきの花
右:平兼盛
ひとへづゝやへ山ぶきはひらけなむほどへてにほふはなとたのまむ

9.藤

左:藤原朝忠卿
むらさきににほふふぢなみうちはえてまつにぞちよのいろはかゝれる
右:平兼盛(勝)
われゆきていろみるばかり住吉のきしのふぢなみをりなつくしそ

10.暮春

左:藤原朝忠卿(勝)
はなだにもちらでわかるゝ春ならばいとかく今日はをしまましやは
右:藤原博古
ゆくはるのとまりをしふるものならばわれもふなでておくれざらまし

11.首夏

左:大中臣能宣(持)
なくこゑはまだきかねどもせみのはのうすきころもをたちぞきてける
右:中務(持)
夏ごろもたちいづるけふは花ざくらかたみのいろもぬぎやかふらむ

12.卯花
左:壬生忠見
みちとほみ人もかよはぬ奥山にさけるうのはなたれとをらまし
右:平兼盛(勝)
あらしのみさむきみやまのうのはなはきえせぬ雪とあやまたれつゝ

13.郭公(ほとゝぎす)

左:坂上望城(持)
ほのかにぞなきわたるなるほとゝぎすみやまをいづるけさのはつこゑ
右:平兼盛(持)
みやまいでてよはにやいつるほとゝぎすあかつきかけてこゑのきこゆる

14.郭公

左:壬生忠見(持)
さよふけてねざめざりせばほとゝぎす人づてにこそきくべかりけれ
右:藤原元真(持)
人ならばまててふべきをほとゝとぎすふたこゑとだにきかですぎぬる

15:夏草

左:壬生忠見(勝)
夏ぐさのなかをつゆけみかきわけてかる人なしにしげる野辺かな
右:平兼盛
なつふかくなりぞしにけるおはらぎのもりのしたくさなべて人かる

16:恋

左:藤原朝忠卿(勝)
ひとづてにしらせてしがなかくれぬのみこもりにのみこひやわたらむ
右:中務
むばたまのよるのゆめだにまさしくばわがおもふことをひとにみせばや

17.恋

左:大中臣能宣(勝)
こひしきをなににつけてかなぐさめむゆめにもみえずぬるよなければ
右:中務
きみこふるこゝろはそらにあまのはらかひなくてふる月日なりけり

18.恋

左:本院侍従(持)
ひとしれずあふをまつまにこひしなばなににかへたるいのちとかいはむ
右:中務(持)
ことならばくもゐの月となりななむこひしきかげやそらにみゆると

19.恋

左:藤原朝忠卿(勝)
あふことのたえてしなくばなかなかに人をもみをもうらみざらまし
右:藤原元真
きみこふとかつはきえつつふるものをかくてもいけるみとやみるらむ

20.恋

左:壬生忠見
こひすてふわがなはまだきたちにけりひとしれずこそおもひそめしか
右:平兼盛(勝)
しのぶれどいろに出でにけりわがこひはものやおもふとひとのとふまで

百人一首では40番、百人秀歌では41番であるが、いずれも次の壬生忠見と並べられており、天徳内裏歌合の組合せがそのまま踏襲されている。但し天徳内裏歌合では忠見が左、兼盛が右であり、百人一首・百人秀歌共に順番が入れ替わっている。
天徳四年(960)三月三十日、村上天皇の内裏で開催された歌合、二十番右勝。左は壬生忠見の「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか」。
判者藤原実頼は優劣を決めかねたが、天皇より判を下すよう命ぜられ、困惑して補佐役の源高明に判を譲った。しかし高明も答えようとせず、天皇のご様子を窺うと、ひそかに兼盛の「しのぶれど…」を口遊まれた。
そこで右の勝と決したという。この負けを苦にした忠見が病に罹りそのまま亡くなったとの話は名高いが、後世流布された虚事らしい(『沙石集』など)。しかし生涯を低い官位で過ごした。
天徳四年(960)内裏歌合は、村上朝宮廷歌壇の結集ともいうべき大きな催しであった。『袋草紙』によれば、兼盛は勝ちと聞いて拝舞しつつ退出、他の歌の勝負には執しなかったという。このようなさまざまな逸話を生む歌が作られてことでも、いかに歌人たちが、一首一首に精神をかけていたかが窺い知れよう。

【主な派生歌】

しのぶれど 涙ぞしるき 紅に 物おもふ袖は そむべかりけり
(源道済[詞花])
忍ぶれど 思ふ思ひの あまりには 色に出でぬる 物にぞありける
(大江嘉言[風雅])
袖の色は 人のとふまで なりもせよ 深き思ひを 君し頼まば 
(式子内親王[千載])
とふ人は 忍ぶ中とや 思ふらむ こたへかねたる 袖のけしきを 
(良経)
ふく風も ものや思ふと とひがほに うちながむれば 松のひと声
(〃)
うつせみの 鳴く音やよそに もりの露 ほしあへぬ袖を 人のとふまで
(〃)
おのれだに 言問ひこなむ さ夜千鳥 須磨のうきねに 物や思ふと
(〃)
色にいでて いはぬ思ひの なぐさめは 人のつらさを 知らぬばかりぞ
(家隆)
いかにして 忍びならはむ 程だにも 物や思ふと 人にとはれじ
(〃)
うき身には たえぬ歎きに おもなれて 物や思ふと 問ふ人もなし
(鴨長明[新後撰])
とはばやな みぬめの浦に 住むあまも 心のうちに 物や思ふと
(西園寺公経 〃)
しのぶれど 色にやいづる をみなへし 物やおもふと 露のおくまで
(源具親)



【出典・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・
<小倉百人一首 注釈>等から。

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