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<詞花集巻七(恋上)「冷泉院春宮と申しける時、百首歌たてまつりけるによめる 源重之」> 【歌意】 ・・・・・・・・
あまりに風が激しいので 岩を打つ波が砕け散ります 私もひとりで心を千々に砕いて 物思いをする今日この頃です 岩のようなあなた ・・・・・・・・ 【語句・文法】 * 風をいたみ 岩うつ波の; この二句は「くだけ」を導く」有心・比ゆ的内容の序詞。
「風をいたみ」は「を・・み」で風が激しいのでの意。
* おのれのみ くだけて物を 思ふころかな;「を」は強調を表す間投助詞。 「いたみ」は形容詞「いたし」の語幹に、理由をあらわす接尾語の「み」を接して副詞となった。 「岩」は巨大な岩石。 「うつ」は動詞うつ」の連用形。 「の」はたとえの格助詞。本来は「くだけ」に対する主語「波」を示す格助詞。
「おのれ」は自称の人代名詞。
◇風をいたみ 風が甚だしいので。「のみ」は限定の副助詞。 「くだけ」は下二段活用動詞「くだく」の連用形で、思い乱れる意。 「て」は順接の」接続助詞。 「物を思ふ」は恋の物思いに悩む意。 「を」は動作の対象を示す格助詞。 「かな」は詠嘆の格助詞。 ◇岩うつ波の この句までが「おのれのみくだけて」を言い起こす序。心を閉ざす恋人を「岩」に、それでも恋人に思いを寄せる我が身を「波」になぞらえる。 ◇くだけて物を思ふ 心を千々にして思い悩む。 【参考歌】
「万葉集」巻十一
風をいたみ いたぶる波の 間なく 我が思ふ妹は 相思ふらむか 紀貫之「新古今集」 あしひきの 山下たぎつ 岩浪の 心くだけて 人ぞ恋しき 【作者や背景】 源 重之 みなもとのしげゆき 生没年未詳 清和天皇の皇子貞元親王の孫。従五位下三河守兼信の子。父兼信は陸奥国安達郡に土着したため、伯父の参議兼忠の養子となった。 康保四年(967)十月、右近将監(のち左近将監)となり、同年十一月、従五位下に叙せられる。これ以前、皇太子憲平親王(のちの冷泉天皇)の帯刀先生(たちはきせんじょう)を勤め、皇太子に「百首歌」を献上している。 これは後世盛んに行なわれる百首和歌の最初期の試みとして和歌史上大きな意義を有する。 その後相模・肥後・筑前などの国司を歴任したが、五十歳頃、大宰大弐として九州に赴任していた藤原佐理のもとに身を寄せた。 やがて陸奥守藤原実方に随行して陸奥に下り、同地で没した。没年は長保二年(1000)頃、六十余歳かという。 勅撰集に多くの歌を載せる女子(重之女)がおり、また家集「重之の子の集」を残した男子がいる。 貞元二年(977)八月の三条左大臣(頼忠)家の前栽歌合、寛和元年(985)円融院子日行幸和歌に出詠。平兼盛・源信明など歌人との交友が知られる。 三十六歌仙の一人。家集に『重之集』がある。拾遺集初出。勅撰入集六十八首。 百人秀歌では46番にあり、45番の清原元輔「契りきな」と合される。 【他の代表歌】 吉野山みねのしら雪いつきえて今朝は霞のたちかはるらん(拾遺集) 夏刈の玉江のあしをふみしだきむれゐる鳥のたつ空ぞなき(後拾遺集) つくば山は山しげ山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり(新古今集) 【主な派生歌】 藤ばかまあらしたちぬる色よりもくだけて物は我ぞ悲しき (藤原俊成「続拾遺」) おのれのみくだけておつる岩浪も秋吹く風にこゑかはるなり(藤原定家) おのれのみ岩にくだくる波の音に我もありとや磯の松風(九条良経) 泊瀬がは井手こす波の岩の上におのれくだけて人ぞつれなき(〃「玉葉」) 夕さればくだけて物や思ふらん岩こす浪に千鳥なく也(京極院内侍 〃) みせばやなくだけて思ふ涙ともよもしら玉のかかる袂を(伏見院「新後撰」) 逢ふ事は波よる礒のうつせ貝つひにくだけて物思へとや(平通時「続千載」) 山伏の腰につけたる法螺貝の ちやうと落ち ていと破れ くだけて物を思ふころかな(梁塵秘抄) 【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・ <ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・ <千人万首>・ <小倉百人一首 注釈>等から。 |
百人一首41〜50
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