|
【歌意】 ・・・・・・・・・
あなたは 「いつまでもおまえを忘れまい」 と言うけれど 先々まではそれも難しいので いっそ この上なく幸せな 今日を限りの命であってほしい ・・・・・・・・・ 【語句・文法】 ◇中関白(なかのかんぱく) 作者の夫、藤原道隆(953-995)。兼家の子で、道長の兄。正暦元年(990)、関白となる。 ◇わすれじの 私を忘れまいとのあなたの約束が。 「忘る」は恋歌では「気にかけなくなる」「捨てる」といった意味で用いられる。 ◇かたければ (約束が守られることは)難しいので。 ◇今日をかぎりの 今日を最後とする。 ◇命ともがな 命であってほしい。 「もがな」は願望をあらわす助辞。奈良時代「もがも」であったのが、「もがな」に変じ、「も・がな」という二語として意識されるようになった。 * わすれじの ゆくすゑまでは かたければ;
「わすれじのゆくすゑ」は、あなたが私をけっして忘れまいとのその将来。
* 今日をかぎりの 命ともがな;「忘れ」は下二段活用動詞「忘る」の未然形。 「じ」は打消しの意を表す助動詞終止形。 「の」は「忘れじ」を句として受けて連体修飾語とする格助詞。 「ゆくすゑ」は名詞。 「まで」は物事の及ぶ限度を示す副助詞。 「は」は係助詞。 「かたけれ」は形容詞「難し」の已然形、順接の接続助詞「ば」を接して確定条件。維持されるのは難しいから。
「を」は動作の対象を示す格助詞。
【作者や背景】「かぎり」は名詞。最終・最後の意。 「の」は連体修飾語作る格助詞。 「と」は状態を示す格助詞。・・・ありたいと願望する状態を示す。 「もがな」は願望の終助詞。 高階貴子 たかしなのきし(-たかこ) 生年未詳〜長徳二(996) 通称:儀同三司母 高内侍 ぎどうさんしのはは 作者は式部大輔従三位高階成忠の娘。円融天皇の内侍となり、高内侍(こうのないし)と呼ばれる。 百人一首では時代順となって53道綱母の次に来る。 円融天皇の内侍となり、高内侍(こうのないし)と呼ばれる。 その後、藤原道隆の妻となる。 正暦三年(990)、正三位。長徳元年(995)に夫が死去し、同二年伊周・隆家が左遷されるに及び、中関白家は没落。同年十月、失意の内に没した。 女房三十六歌仙。 和歌を能くし、女ながらに詩文に長けた由、『大鏡』など諸書に見える。 円融朝に内侍として宮中に出仕し、漢才を愛でられ殿上の詩宴に招かれるほどであった。 おなじ頃、中関白藤原道隆の妻となり、内大臣伊周・中納言隆家・僧都隆円の兄弟及び長女定子を含む三男四女を生んだ。 定子が一条天皇の中宮に立てられたため、正暦元年10月26日、従五位上から正三位に昇叙。 一方、貴子腹の嫡男伊周も急速に昇進し、正暦三年十九歳にして権大納言に任ぜられ、翌々年さらに内大臣に昇ったため、貴子は末流貴族の出身ながら関白の嫡妻、かつ中宮の生母として栄達し、高階成忠は従二位と朝臣の姓を賜った。 ところが、(995)4月10日に夫・道隆が病死すると、息子の伊周と隆家は叔父道長との政争に敗れ、権勢は瞬く間に道長側に移った。翌年になって、伊周と隆家は、花山院に矢を射掛けた罪によって大宰権帥・出雲権守にそれぞれ左降・配流。 貴子は出立の車に取り付いて同行を願ったが、許されなかった。 その後まもなく病を得て、息子の身の上を念じながら、同年10月末に薨去した。四十代であったと推定される。
【他の代表歌】
夜のつる 都のうちに こめられて 子を恋ひつつも なきあかすかな (詞花集)【主な派生歌】 あすならば 忘らるる身に なりぬべし 今日をすぐさぬ 命ともがな (赤染衛門[後拾遺]) 忘れじの ゆく末かはる けふまでも あればあふよを 猶たのみつつ (藤原家隆) 春霞 かすみし空の 名残さへ けふをかぎりの 別れなりけり (九条良経[新古今]) 忘れじの ゆくすゑかたき 世の中に むそぢなれぬる 袖の月かげ (源家長[新勅撰]) 逢ひみむの 行末までは かた糸の よりよりかこつ 中のうきふし (堯孝) |
全体表示
[ リスト ]




小倉百人一首54番> わすれじの ゆくすゑまでは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな
https://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33623025.html
2018/10/5(金) 午後 6:16 [ ニキタマの万葉集 ]