ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらわれわたる 瀬々の網代木 
権中納言定頼 ( ごんちゅうなごんさだより ) 

<宇治にまかりて侍りける時よめる 『千載集』・巻六・冬>


【歌意】
・・・・・・・・・・・・
ほのぼのと夜が明けて
宇治川の水面にたちこめる川霧が
風に吹きたてられて
とぎれとぎれに晴れていくと
ほら 幻想的な夢のようにあらわれてくるよ
そこここの川瀬の網代木が
・・・・・・・・・・・


【語句・文法】

* 朝ぼらけ; 
ほのぼのと夜の明けるころ。

* 宇治の川霧; 
「宇治川」は琵琶湖から出る瀬田川が宇治辺を通って宇治川と呼ぶ。下
流は「淀川」。
「川霧」は修飾句内述語の「たえだえに」の主語。

* たえだえに あらはれわたる;
「たえだえに」は、形容動詞「たえだえなり」の連用形で、とぎれとぎれである意。
「あらはれわたる」の意を掛けた掛詞。
「あらはれわたる」は四段活用動詞「あらはれわたる」の連体形で、一方から他方へだんだん現れてゆく意。

* 瀬々の網代木; 瀬々の網代木よ、という感動文。
「瀬々」は川のあちこちの浅瀬。
「網代木」は網代の杭。
体言止めで、成分上は独立語。
「網代」は上記の通り。


【作者や背景】

柿本人麻呂の歌が意識に。
「もののふの八十宇治川の網代木に いさよふ浪のゆくえ知らずも」
『万葉集』の柿本人麿の歌。
(行方も知らずただよい行く川浪。冬の朝、川霧の絶えま絶えまに現れる網代木・・・)
美しい叙景歌、墨絵のようという人もあり朝のすがすがしさが感じられる。

網代木というのは、網代(竹の簾)で小魚を取るために川面の流れに対し斜めにに打ち立てる杭をいう。網代には氷魚をはじめ鮎なども取れる。冬の宇治川の風景物である。(現代の言葉ではヤナといわれている)

藤原定頼は、長徳元年(995)生まれ、
寛徳二年(1045)五十一歳で死んでいる。
この定頼の父が55番の作者・藤原公任である。

宇治を舞台に、宇治十帖の物語の世界はくりひろげられる。
宇治十帖には、もはや光源氏は登場せず、驕奢は栄華も描かれない。
宇治の川霧に仄かに浮かぶ薄幸な恋、みたされぬ物思い、手にとれない幸せ、憂愁の世界の物語である。
定頼はその物語を踏まえつつ、川霧の絶えまに浮かぶ網代木を詠った。

この定頼 小式部内待(60番の作者)に、「お母さん(和泉式部)からまだ代作の歌は来ませんか?さぞ心細いでしょうね」とからかって、小式部内待に「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」と即座に切り返され、頭を抱えて逃げていった、かの軽々しい貴公子である。

しかし定頼は、小式部内待に惚れていたと思われるふしがある。伊達男だったとみえ、大弐三位(58番の作者)ほか、いろんな女と交際があって浮名を流している。父の公任は歌人・歌論家として在世中はもちろん、死後何世紀にもわたって歌壇の指標的存在であったが、定頼の歌の方が好ましく思える。

一条天皇の大井川御幸に供奉して歌を詠進したとき、父の公任は、まだほんの少年の定頼が心ともなくて、どうぞよい歌を詠んでくれと内心、冷や汗を流していた。講師が次第に詠みすすんでついに定頼の番になる。公任は耳を引っ立てて聞くと、

「水もなく 見え渡るかな 大井川・・・」

満々たる大井川を前にして「水もなく」とはどういうつもりだろう。なんという不調法な、と公任は顔色も変わる思いであったが、

「・・・峰の紅葉は 雨と降れども」 と

朗々と下の句が詠み上げられる。どっと上がる感嘆の声。
公任は親の身として嬉しさをこらえきれず、思わず会心の微笑みを洩らしてしまったという。
少年のころから定頼は才気あふれる歌詠みであったようである。

権中納言定頼・藤原定頼(995〜1045)大納言公任の子。小式部内待にやられるなど軽薄な一面も伝えられる。
家集に『権中納言定頼集』があり、勅撰集入集歌四十六首。中古三十六歌仙の一人。


【主な派生歌】

霧はるる浜名の橋のたえだえにあらはれわたる松のしき浪
(藤原定家)
隔てつるまきのを山もたえだえに霞ながるる宇治の川なみ
(源家長)
時雨れつる峰の村雲たえだえにあらはれわたる冬の夜の月
(藤原信実)
朝ぼらけ浜名の橋はとだえして霞をわたる春の旅人
(*衣笠家良[続後撰])
窓ちかきむかひの山に霧晴れてあらはれわたる檜原槙原
(土御門院[玉葉])
日影さす嶺のかけ橋たえだえにあらはれわたる秋の夕霧
(二条為氏)
たえだえにたなびく雲のあらはれてまがひもはてぬ山桜かな
(中宮少将[新勅撰])
朝ぼらけ霧のはれまのたえだえに幾つらすぎぬ天つ雁がね
(伏見院[風雅])
津の国の猪名野の霧のたえだえにあらはれやらぬ昆陽の松原
(邦省親王[風雅])
たえだえにあまの家島あらはれて浦わの霧に浪のよるみゆ
(正徹)
つつまれし野中の水のたえだえにかげあらはれてのこる冬草
(烏丸光弘)
つつみこし思ひの霧のたえだえに身をうぢ川の瀬瀬の網代木
(後水尾院)



【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・<Wikipedia>・
<小倉百人一首 注釈>・
<フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)>等から。

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閉じる コメント(4)

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ニキタマさん、こんばんわ。「網代」とはなにか、二年前に考えたことがあります。「あじろ」とは「やしろ」の反対の意味ではないかと。何と、「やしろ」より「あじろ」が先に出来たと、インスピレーションが飛んできました(笑)

2015/8/1(土) 午後 6:52 [ やまとねこ ]

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> やまとねこさん
おもしろい!
すばらしい!
どんどん追いかけて、教えてください。

2015/8/1(土) 午後 7:04 [ ニキタマの万葉集 ]

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やしろ(神社)を日本に最初に造ったのは、天のうずめの命だと私は思いこんでいるのです。弥生人は宮崎に「天下り」いろいろ「やしろ」を造ったけれど、うまくいかなかった。失敗した「やしろ」が「あじろ」で、海の河口とか、川の合流地点だったと思っています。それで「あじろ」が「網代」になったと。小高い丘に神社を造ったらうまくいって「やしろ」になりました。

2015/8/1(土) 午後 8:00 [ やまとねこ ]

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> やまとねこさん
おはようございます。

なるほどなるほど。。
愉快痛快に思います。

もっとお聞きしたいです。
ありがとうございました。

2015/8/2(日) 午前 8:20 [ ニキタマの万葉集 ]


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