ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

百人一首61〜70

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心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな 
三条院
  
<例ならず(病気での意)おはしまして 位など去らむとおぼしめしけるころ月のあかかりけるを御覧じて 後拾遺集・雑一> 栄華物語・玉の村菊 

病気で目が殆ど見えなくなった上、時の権力者の藤原道長からは早く退位するよう圧力をかけられる始末、結局退位を決意するが、その頃 明るい月も もう殆ど見えないながらに詠んだのがこの詠。

三条院といえば藤原道雅と当子内親王の仲を破った張本人だった。
不本意だが辛く不遇のこの世を生きながらえたとして
そののちの時のいつかに恋しく思い出すにちがいないほど
なんと今夜の月の美しいことであるよ

【歌意】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あまり永くは生きたいと思わぬが
不本意にもこの憂き世に生きながえるならば
そのとき今宵のこの月は
どんなに恋しく思い出されることだろう
もう眼の見えぬ身となった
私の心に・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【語句・文法】

* 心にも あらでうき世に ながらへば;
「心にもあらで」は不本意にもの意。
本当は早く死んでしまいたい心をふまえている。
「に」は断定の助動詞「なり」の連用形。
「も」は強意の係助詞。
「あら」は補助動詞、ラ変「あり」の未然形、「心ならで」となるところ。
「で」は打消の接続助詞。
「うき」は形容詞「憂し」の連体形、つらく苦しいの意。
「世」はこの世、この人生。
「ながらへ」は下二段活用動詞「ながらふ」の未然形、順接の接続助詞「ば」を接して仮定条件。

* 恋しかるべき 夜半の月かな;
「恋しかる」は形容詞「恋し」のカリ活用連体形。
「べき」は推量助動詞「べし」の連体形。
「夜半」は夜中の意。
「かな」は詠嘆の終助詞。


【主な派生歌】

秋もいなば 恋しかるべき 今夜かな たのめかおきし 有明の月  
(後鳥羽院)
定めなき 世にも我が身の ながらへば 幾たび春の 別したはむ  
(衣笠家良)
心にも あらでこよひの 月を見て ふけぬさきにと たれをまつらん 
(少将内侍)
心にも あらでうき世の 老の波 身はすてぶねの すゑの浦風  
(三条西実隆)


【作者や背景】

三条天皇(さんじょうてんのう、天延4年1月3日(976年2月5日) - 寛仁元年5月9日(1017年6月5日))は第67代の天皇。諱は居貞(おきさだ / いやさだ)。享年42。在位は寛弘8年6月13日(1011年7月16日)から長和5年1月29日(1016年3月10日)。

この三条院<三条天皇>はお気の毒な方であった。
在位四年のうちに内裏が、二度まで炎上するという不祥事が起こった。
しかもご健康がすぐれず 眼を病んでいられた上に、時の権力者・道長との関係も円滑を欠いた。
道長は自分の孫にあたる先帝の皇子を一日も早く位につけたがって、、早く退位すればよい、といわんばかりの仕打ちであった。
政界の実力者にこんなあしらい方をされては、天皇はたまったものではない。
何しろ宮廷の廷臣はみな、天皇より道長の顔色をうかがっていた。
政治的苦境にあられる上に、お眼を悪くされた三条院のお心は暗澹たるものであったろう。
可愛がっていられた幼い皇女の御髪を撫でつつ、「こんなに美しい黒髪でいられるものを、この眼で見られないのが残念だねえ・・・・・」と涙をぽろぽろとこぼされるさまを、おそばの人は拝見して悲しく辛く勿体ないことに思った、という。
この歌をよまれて一月後に退位、翌年、崩御された。
天皇の御製としては実に人間味あふれた存在感のあるお歌である。

この三条院の第一皇子・小一条院は皇太子の位にあられたが、道長の圧迫に堪えかねて辞退され、道長の宿願通り、その孫にあたる二皇子がつづけて皇位を踏まれる。後一条・後朱雀両帝である。後朱雀のあとを第一皇子の後冷泉帝が継がれたが、藤原系の王子はそこであとを絶った。

すでに道長は亡く、子の頼道の時代になっていたが、頼道が後宮に納れた藤原家の姫たちは、いずれも皇子を挙げることはできなかった。
ついに第二皇子が皇統を継がれる。第二皇子の母君こそ、誰あろう、三条院が御髪を撫でて泣かれた後鐘愛の姫宮・禎子内親王であった。

こうして三条院女系の孫宮が帝位に即かれることになったのである。
これが英明の聞こえたかい後三条天皇。お祖父様のお名を継がれている。
道長は外孫の二皇子がつづけて帝位を踏んだのを目睹し、望月の欠けたるところなしと手放しで喜んだであろうが、長い歴史の波のうねりを見ると、人間の運命はめぐる小車、超越者の声はない。
目前の一栄一落に、一喜一憂する人間は、悠遠の宇宙のいとなみからみると、まことに矮小な存在と気付かされる。しかし、それでいてなお、現世の穢土の利害愛憎に執着しないではいられないのが、われわれ人間の業というものであろう。
道長は、日本の歴史上、記録に残る最古の糖尿病患者だという。晩年はやせこけて、水ばかり飲んでいたとか。しかも、墓すらどこにあるのかわからないそうだ。天皇の外戚となり、あれほど隆盛を極めた人が、晩年は病気に苦しみ、墓すら消失してしまうとは。人間の幸せなんて、つくづく死ぬまでわからない、と言ったところか。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
10世紀後半<平安王朝>で栄耀栄華を極めた<藤原道長>の歌だ。
権謀術策狡猾な政治家とのイメージとは裏腹に、争いを好まず、政敵も排除せず、長期安定政権を成し遂げ、文化文藝の興隆に尽力し、紫式部をも活用した。
<望月の歌>も<倣岸不遜>の極みを詠ったのではなく、その平和の上に花開いたのが「枕草子」「源氏物語」など平安文藝、女流文学でもあった。
道長(966〜1027)が生きた平安中期、朝廷では中納言以上の高位の座をめぐって貴族間で陰謀や政治抗争が渦巻いていた。
道長は右大臣・兼家の息子だったが、五男坊で病弱、出世からは程遠い存在と目されていた。だが「15歳でデビューした道長、疫病による高官たちの死、政敵の流罪などが相次ぎ、図らずも政権トップの座に躍り出た」。
道長の父・兼家の政敵は兼家の同母兄・兼道。兼家は兄より早くから出世して大納言。兄・兼道はやっと参議。だが冷泉天皇即位を機に形勢逆転。兼道は今までの恨み思い知れとばかり、兼家を冷遇。悪口雑言で兼家の出世を妨害した。
道長は、藤原氏一族のこの骨肉の争いを目の当たりにして育ち、天皇を後ろ盾に長期安定政権作りを決意する。
道長がとった策は時の一条天皇に娘・彰子を嫁がせ、天皇家との姻戚関係を深めることだった。
道長は彰子の教養を高め、天皇の寵愛を得ようと教育係に「源氏物語」で有名な紫式部を抜擢した。
道長の戦略は功を奏し、学問好きの一条天皇と彰子との間に二人の皇子が誕生。二人はやがて天皇・皇太子となり、道長は祖父として長期安定政権を築くことに成功する。
若き日の道長に幸運をもたらしたのが結婚。道長は987年(永延元)、時の左大臣従一位源雅信の長女、源倫子(りんし)と結婚した。道長は22歳、倫子は2歳年上の24歳。倫子は左大臣雅信が心を込めて養育、ゆくゆくは天皇家の后にと夢を託した娘。だが一条天皇はまだ少年。手頃な公卿の子弟もいない。そんな中、熱を上げたのが道長だったという。
当時の道長、父・兼家は摂政になったばかり。年初には従四位上左大将。
4男で年も倫子より下。左大臣雅信は「なに若僧が…」と相手にしなかった。
ところが道長に惚れ込んでいたのが倫子の母、雅信の妻、穆子(ぼくし。彼女は賀茂祭などで道長を見かけ、「あの若者はただ者ではない」と雅信が乗り気でないのに、どんどん事を運び、二人を結婚させてしまう。その上、道長を至れり付く競りに厚遇したという。
若き日の道長には手強い政敵がいた。内大臣・藤原伊周(これちか)。
道長の兄・道隆の長男。時に道長はまだ権大納言。伊周の方が上位だが、血縁からいえば道長は伊周の叔父。一条天皇との外戚関係では道長は天皇の叔父、伊周は従兄。道長の方が上。しかし、伊周には妹・定子が中宮。天皇の覚えがよいという利があった。
だが道長にも頼もしい味方がいた姉の詮子(せんし)。
東三条院を名乗る天皇の生母。彼女は一貫して道長派だった。
かくて道長は29歳の長徳1年(995)、内覧右大臣となり、完全に朝廷のトップに立つ。
翌年正月16日夜、伊周にとって致命的な事件が起こる。
故太政大臣為光の娘の「四の君」に通ってきた花山法皇を<恋のさやあて>から伊周が矢を射掛けるという大事件が起き、ウワサが世間に広まった。
伊周は自分の恋人「三の君」を奪われると誤解したのだが、伊周の弟隆家の従者が射た矢が法皇の袖を貫いた。法皇は従者二人を殺されたが、事の起こりは女。体裁が悪いので黙っていようと伏せた。だがウワサは世間に広まった。
道長はこの機に乗じて伊周を一挙に追放もできた。
だが道長は慎重にじっくり調査を進め、万全の体制を整える。処分が行われたのは4月24日だった。
「31歳の壮年気鋭の、なかなか気性の激しいところもある彼が、事件の発生から処分まで3ヶ月余をかけて、充分に事件の固まるのを見届けたあたりには、政治家としての彼の非凡な手腕がうかがわれるであろう」と云われて評価されている。
「望月の歌」は道長が自分の三女・威子(いし)を孫の後一条天皇の后に立てた日、寛仁2(1018)年10月16日夜、私邸・土御門(つちみかど)邸で開かれた祝宴の場で公卿たちを前に歌った歌。この歌は道長の日記『御堂関白記』には登場せず、その場に居合わせた藤原実資が自らの日記『小右記』に記していたことから、世に知られるようになった。



【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・<Wikipedia>・
<小倉百人一首 注釈>・
<フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)>等から。

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