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<かへし 金葉集・恋下> 堀川院艶書合・えんじょあわせ・ 人知れぬ 思ひありその 浦風に 浪のよるこそ いかまほしけれ 中納言俊忠 海景に恋心を託した歌である。寄せる波は、わが心をしきりと襲う恋慕の情を暗喩し、「思いあり」は「ありそ」と掛け合う。対歌。 【本歌】源氏物語「若菜上」(北村季吟説)
身をなげん ふちもまことの ふちならで かけじやさらに こりずまの波
【歌意】・・・・・・・・・
評判に名高いたかしの浜の 空しく寄せては返す波を うっかり袖にかけますまい 袖が濡れると困りますもの 噂に高い浮気なあなたのことを こころにかけてお慕いしてしまったら あとできっと悲しみの涙で 袖を濡らすことになるので困ります ・・・・・・・・・ 【語句・文法】 <音にきく・たかし、あだ波・かけ・ぬれ、などは縁語。 たかし・あだ波・かけじ・袖のぬれもこそすれは掛詞。 ひとたびの恋の拒みとしていやみなくたくみである> * 音にきく; うわさに高いの意。
「音」はうわさ・評判・風聞。
* たかしの浜の あだ波は; 「に」は状態を示す格助詞。 「きく」は第二句に掛かる。
「たかしの浜」は大阪府堺市浜寺あたりにあった浜。
* かけじや袖の ぬれもこそすれ; 「たかし」はうわさの「高し」と地名の「高師」との掛詞。 「あだ波」は空しく打ち寄せる波の意。心変わりにたよえる。
「かけじ」は「あだなみ」を袖にかけまいの意と、
【作者や背景】浮気な人に思いをかけまいの意を掛ける掛詞。 「かけ」は下二段活用動詞「かく」の未然形。 「じ」は打消・意志の助動詞終止形。 「や」は詠嘆の間投序詞。 「の」は主語を示す格助詞。 「袖のぬれもこそすれ」は、波にぬれる意と涙にぬれる意の掛詞。 「も・こそ」はともに強意の係助詞で、困る意を表す。 「こそ」の結びはサ行変格活用動詞「す」の已然形「すれ」。 歌枕紀行 有磯海 ―ありそうみ― (抜粋) 有磯海は、北陸を代表する名所歌枕である。 ある意味で、これは最も典型的な歌枕のひとつと言えるだろう。 まず、これは実在しない海である。というか、もともとそういう名の海は無かった。それは歌の伝承の過程で生まれ、歌人たちの幻想の中で育まれてきた名所であり、風景であり、イメージであった。 「有磯海」のおおもとの出所ははっきりしている。 万葉集巻十七にある、大伴家持が越中で詠んだ歌である。
かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も 見せましものを
祐子内親王家紀伊 ゆうしないしんのうけのき 生没年未詳 別称:一宮紀伊父は散位平経重とも(作者部類)、従五位上民部大輔平経方とも(尊卑分脈)。 母は歌人として名高い小弁。 紀伊守藤原重経の妻(袋草紙)または妹(和歌色葉)。
母と同じく後朱雀天皇皇女高倉一宮祐子内親王家に出仕。
また『堀河院百首』の作者。長久二年(1041)の祐子内親王家歌合、 康平四年(1061)の祐子内親王家名所合、 承暦二年(1078)の内裏後番歌合、 嘉保元年(1094)の藤原師実家歌合、 康和四年(1102)の堀河院艶書合、 永久元年(1113)の少納言定通歌合などに出詠。
家集『一宮紀伊集(祐子内親王家紀伊集)』がある。
「金葉集」の詞書では、この歌は1102年5月に催された「堀川院艶書合(けそうぶみあわせ)」で詠まれた。後拾遺集初出。 勅撰入集は31首。 女房三十六歌仙。 小倉百人一首にも歌をとられている。 「艶書合」というのは、貴族が恋の歌を女房に贈り、それを受けた女房たち が返歌をするという洒落た趣向の歌会であった。 この歌は、70歳の紀伊に贈られた29歳の藤原俊忠の歌。 「人知れぬ 思いありその 浦風に 波のよるこそ 言はまほしけれ」 「寄る」と「夜」、「(思い)ありその」と「荒磯(ありそ)」を掛けた技巧的な歌、これに対して答えたのが、紀伊の歌。 平安歌人たちの典雅な遊び。 【主な派生歌】 あだ波の高師の浜のそなれ松なれずはかけてわれ恋ひめやも (藤原定家[続古今]) 恋すてふ名のみ高師の浜千鳥なくなくかくる袖のあだ浪 (後鳥羽院) いはつたふ花のあだ浪いくかへりこえて高師の春の山風 (藤原基家) 風ふけば高師の浜のあだ浪を翅にかけて千鳥なくなり (頓阿) あだ浪の高師の磯に遠ざかり身をうら風の沖つ舟人 (正徹) あだ波の高師浜の夕千鳥思ひしつまもかよひたえつつ (三条西実隆) 夕波の高師の浜の松とても思ふによらん舟もあらじを (三条西実隆) 【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・ <ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・ <千人万首>・<Wikipedia>・ <小倉百人一首 注釈>・ <フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)>等から。 |
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