ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山のかすみ たたずもあらなむ 
前中納言匡房

<内のおほいまうちぎみの家にて 人々酒たうべて歌よみ侍りけるに 遥かに山桜を望むといふ心をよめる 後拾遺集・巻一・春上>


【歌意】
・・・・・・・・・・・
高い山峰の桜が咲いたのだなあ
をのへの白雲とも見まごう
さても人里近い春霞よ
立ち込めないでいてほしいものだ
・・・・・・・・・・・

内大臣藤原師通(もろみち)邸の宴席で、景観の中、遥かに山桜を望み見て、うららかな春日をのびやかに惜しみ詠う。技巧にとらわれず、ゆるみない品位、格調の高さ、壮大さを感じさせる。

「内のおほいまうち君」とは、内大臣・藤原師道(もろみち)で、その家で酒宴を催し遠山の桜を望見するという題で詠んだもの。霞が桜をかくすという趣向は『古今集』に、

山ざくら わが見に来れば 春霞 峰にも尾にも 立ち隠しつつ 

詠み人しらず
があり、匡房はこの歌を下敷きにしたのであろう。

「高砂の」は、播磨(兵庫県)の歌枕。、
地名だと思いたくなるが、ここでは地名でなく、高い山、山の峰、というような意味である。


【語句・文法】

* 高砂の をのへの桜 咲きにけり; 

「高砂」は地名ではなく、高く重なった山の意。
播磨国の歌枕(今の兵庫県高砂市)ともいい、「高砂の」で「尾上」にかかる枕詞とも。
「の」は三語とも連体修飾語をつくる格助詞。
「をのへ」は「峰の上」の約。峰、山頂の意。
「桜」はここでは山桜で述語「咲きにけり」の主語。
「咲き」は四段活用動詞「咲く」の連用形。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
「けり」は詠嘆の助動詞終止形。
三句切。

* 外山のかすみ たたずもあらなむ;
「外山」は人里近い山。対語は「深山(みやま)」
「かすみ」は独立語で、呼びかけの意。深山の桜は遅咲きである。
「たた」は四段活用動詞b「たつ」の未然形。
「ず」は打消しの助動詞「ず」の連用形。
「も」は強意、感動の係助詞。
「あら」はラ変型の補助動詞「あり」の未然形。
未然形に接続する「なむ」は他に対する願望の終助詞。
・・・シテモライタイ。
第五句は字余り。
擬人比喩。


【作者や背景】

匡房が、十二歳ごろのこと、関白頼道が宇治の平等院を建てようとして、その四足の大門を北向きに建てる先例を求めて、権大納言・師房にたずねた。
師房は評判の匡房少年に下問したところ、匡房は
「天竺には那蘭陀寺戒賢論師の住所、震旦には西明寺円淵法師の道場、日本には六波羅蜜寺空也上人の建立どれもみな寺門が北に向いております」と答えた。頼道はたいそう喜び、その強記を褒め称えたという。
彼の生きた時代は、王朝文化の残照時代である。
後冷泉・後三条・白河・堀川、四代の天皇に仕えた軍学にもくわしく、有職故実おも究めたという、大変な学者であった。

大江家は代々碩学の家ではあるが、ことにこの匡房は傑出していたといわれている。
学者としては異例の昇進で権中納言正二位大蔵卿となった。
軍学の兵法も、八幡太郎義家が師と仰ぎ、学んだことは有名である。
勇武をうたわれた義家は、頼道の邸で、陸奥の国の戦の話をしていた。
匡房はそれを聞いて「好漢惜しむらくは兵法を知らず」と独りつぶやいて出た。義家の従者がそれを聞いて義家に告げたところ、義家はいそいで匡房 のもとへ行き、弟子の礼をとって、兵学を学んだという。
のち永保の合戦で、ひとつらの雁が苅田へ下りようとして、にわかに驚いて列を乱し飛び立った。
義家はこの時、匡房 の教えた兵学を思い出す。
伏兵のある時は、飛雁列を乱すという。
そこで野の伏兵を討ち取って勝利を得たというのである。

匡房はかたい学者というだけでなく、即妙の歌も詠める人だった。
若かったころ、宮中の女房たちにからかわれたことがある。
かたくるしい学者だから、きっと不風流にちがいないというので女房たちは、匡房 を御簾のそばへ呼び寄せ、これを弾いて下さいと、あずま琴を押し出した。
匡房はたちまち歌で応える。

逢坂の 関のこなたも まだ見ねば あづまのことも 知られざりけり

女房たちは返すことができなかったという。
もちろん事(こと)と琴をかけたもの、「大江山」の小式部内侍程の機知はないが、なかなかの才気である。



大江匡房 おおえのまさふさ 長久二〜天永二(1041-1111) 号:江師(ごうのそち)
匡衡・赤染衛門の曾孫。大学頭従四位上成衡の子。
母は宮内大輔橘孝親女。

神童の誉れ高く、
天喜四年(1056)、十六歳で文章得業生に補せられる。
治暦三年(1067)、東宮学士として尊仁親王(即位して後三条天皇)に仕えたのを始め、貞仁親王(白河)、善仁親王(堀河)と三代にわたり東宮学士を勤めた。左大弁・式部大輔などを経て、
寛治八年(1094)六月、権中納言に至り、同年十一月、従二位に進む。
永長二年(1097)、大宰権帥を兼任し、翌年筑紫に下向。
康和四年(1102)、正二位に至る。
長治三年(1106)、権中納言を辞し、大宰権帥に再任されたが、病を理由に赴任しなかった。
天永二年(1111)七月、大蔵卿に任ぜられ、
同年十一月五日、薨じた。


【主な派生歌】

たかさごの をのへの桜 たづぬれば 都の錦 いくへ霞みぬ  
(式子内親王[新勅撰])
ほのぼのと 花はと山に あらはれて 雲にかすみの あけはなれゆく
(藤原良経)
たちかへり と山ぞかすむ たかさごの 尾上のさくら 雲もまがはず
(藤原雅経[続拾遺])
またれつる 尾上の桜 色見えて 霞のまより にほふ白雲  
(藤原隆博[新後撰])
高砂の 尾上のはなの 雲井には 外山の霞 およぶものかは  
(後柏原院)
山鳥の をのへの桜 咲きにけり 長き日さらず 雲のかかれる  
(小沢蘆庵)

 歌枕「高砂」の一首

誰をかも しる人にせん 高砂の 松もむかしの 友ならなくに
(藤原興風)


【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・<Wikipedia>・
<小倉百人一首 注釈>・
<フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)>等から。

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