ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

百人一首91〜100

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おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖 
慈円 


【歌意】
・・・・・・・・・・・・・
つたない我が身ながら
世の民のうえに
法服の袖を覆いかけることかな
私の墨染(住み初め)の袖ではあるが
(伝教大師が「我が立つ杣」とおっしゃった比叡山に)
・・・・・・・・・・・・・

【語句・文法】

* 「おほけなく」 
身分不相応に。身の程もわきまえず。大胆に。
形容詞「おほけなし」の連用形。
* 「かな」 助詞「か」に詠嘆の助詞「な」が付いたもの。詠嘆・感動をあらわす。体言または活用語の連体形を承ける。
「〜であろうか」とか「〜ている」などの意味にも。
切れ字は意訳するものではなく「〜かな」そのもので味わうものとされている。
因みに、切れ字は「かな」以外に「けり」「や」が三大切れ字とも呼ばれている。
* 「うき世」  
憂いことの多い世。
* 「民」はここでは世間の人々。
* 「に」順接条件を示す。「〜につけて」などの意。
* 「おほう」は動詞「おほう」の連体形。
* 「かな」は詠嘆の終助詞。
* 「おほふかな」 
法服の袖で民を覆うとは、仏のご加護を人々の上にあるように祈念すること。
仏法によって万民を保護すること。
天下泰平の祈祷は、慈円が若き日に決意し、生涯にわたり打ち込んだことであった。
* 「わが立つ杣(そま)」  比叡山のこと。
* 「に」は動作の対象を示す格助詞。
* 「杣」は杣山で、植林した木を切り出す山の意が原意。
伝教大師がこの山を選び根本中堂を建立した。
* 「墨染の袖」 
僧衣の袖。墨染(すみぞめ)に「住み初め」を掛ける掛詞。
この掛詞には

あしひきの 山べに今は すみぞめの 衣の袖は ひる時もなし 
 (古今集、読人不知)

などの先例がある。


【作者や背景】

前大僧正慈円(1155〜1225)諡号:慈鎮和尚 通称:吉水僧正
法性寺入道忠通(摂政関白藤原忠通)の子。
若年にして出家し天台座主大僧正になる。
史書『愚管抄』を著したほか、歌人としても優れ、
家集に『拾玉集』があり、四千六百十三首もの莫大な歌が収められている。
勅撰集入集歌二百二十五首。

僧職にある人の歌にふさわしい、堂々たる気概の歌である。宗教家の信念や抱負が、凛として示されているが、この歌の背後には、伝教大師・最澄の歌があり、それが借景となって歌もすがたがいっそう巨きくなり、格調高くなっている。
『慈鎮和尚自歌合』ではこの歌を俊成が評して「はじめの五文字より心おほきにこもりて、末の匂ひまでいみじくおかしく侍る」といっている。
伝教大師の歌というのは、これも昔から名高い歌、

「あのくたら さんみゃくさんぼだいの 仏たち わが立つそまに 冥加あらせたまへ」 というもの

伝教大師は、比叡山延暦寺の根本中堂を建立するとき、この歌を詠んだという。「あのくたら さんみゃくさんぼだい」というのは、梵語で、最高の真理知恵ということだそうである。大師は中堂を建立しょうとして材木を切り出す山に立ち、仏の加護を念じている。
力強い情熱のみなぎる、意思的な歌である。
慈円はそれをふまえて、衆生を救おうという理想に燃えているのである。
この人もまた乱世に生きた人である。
関白藤原忠通(76番「わたのはら・・・」の作者)の晩年の子で、十歳の時父と死別、十一歳で仏門に入った。

この歌はまだ若いころ、三十代の作である。
『千載集』・巻十七・雑に「法印慈円」として見える。
彼の一族の九条家の人々は、歌をよくする。
慈円もまた『新古今集』の代表的歌人の一人であった。
若いころ西行に私淑したが、西行は慈円に「密教を学ばれるなら、和歌をお習いなさい。和歌をよまなければ、密教の奥深いことわりは会得できませぬぞ」とさとしたという。のちに大僧正となり、天台座主の座に昇ったが、政変にまきこまれて辞し、のちにまた復座し、四たび座主になったという。

九条家は親幕派であったので、倒幕の志しあった後鳥羽院のもとで当主兼実は失脚する。しかし後鳥羽院は慈円の歌才と飾りけのない剛直の人柄を愛されたようである。慈円も政治的な立場はともあれ、後鳥羽院にまことを捧げた。院の無謀な倒幕の志を知って慈円は、どんなに心をいためたであろう。
鎌倉幕府の情報が豊富に入手しやすく、かつ、独自の史観と見識を持っていた慈円は、世の流れ、人の心の動きから将来を見据え、皇室のあるべきすがたを『愚管抄』にまとめた。その書はそれとなく、後鳥羽院の叡覧に入れ、倒幕の企てを放棄していただきたい、という慈円の熱意から書かれたものであった。

こんにち、『愚管抄』の著者が慈円であること、その忌憚ない内容も、世間にはよく知られ、学生たちも遠慮することなく学校で教わっている。しかし戦前の教育では『愚管抄』の紹介など、とんでもないことであったのである。
皇国史観一本槍の時代であるから、後鳥羽院の討幕の志をほめそやし、悪玉は鎌倉幕府であると庶民は叩きこまれてきたのであった。『愚管抄』では率直に皇室批判をやっている。戦時中に声高に『愚管抄』なんか読み上げていたら、特高(特別高等警察)にたちまち引っ張られたであろう。

慈円は源平の騒乱で、三種の神器も安徳帝と共に壇ノ浦の海底に沈んだこと、神鏡神璽はのちに拾い上げられたが、神剣はついに入手できなかったことを明快に記す。なぜ、天(運命)は剣を皇室に返さなかったのか、今は武士が武力で国を治めるようになった時代、天皇は武を放棄し文で治められるべき時世のまわりあわせ、「今ハ宝剣モ無益ニナリヌルナリ」剣は武の象徴であれば。

この慈円は(坊さんのくせに歌に熱中しすぎる)と咎められて「たしかにそうだが、まあ、大目にみてくれ」と、歌を詠んだ。

「みな人の 一つの癖は あるぞとよ 我には許せ 敷島の道」

【ほかに】

「わが恋は 松を時雨の 染めかねて 真葛が原に 風さわぐなり」

「有明の 月のゆくへを ながめてぞ 野寺の鐘は 聞くべかりける」

七十一歳で生涯を閉じた。「慈鎮」というのは死後のおくり名である。


【主な派生歌】

今も猶 わが立つ杣の 朝がすみ 世におほふべき 袖かとぞみる  
 (尊円親王[新千載])

ちればとて 木の葉の衣 袖なくは うき世の民に おほひやはせん  
 (正徹)

おほけなく 思ひあがれる 心かな さてもぞ袖は 染色のかげ  
 (正広)

今宵なほ 飽かず向ひて おほけなく うき身の友と たのむ月かな  
 (元政)

墨染の わが衣手の ゆたならば うき世の民に おほはましものを  
 (良寛)



【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・<Wikipedia>・
<小倉百人一首 注釈>・
<フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)>等から。

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謙虚な姿勢を抱きながら、苦しむ民衆のために救いを与えたいと願う、慈円の懐の深さ、温かさが感じられますね。
つい、この姿勢を今の政治家や官僚に見習ってほしいと思ってしまいました。
いつも、ありがとうございます。

2015/9/2(水) 午前 10:35 [ Say! ]

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> Say!さん
こんにちは。
まったく仰るとおりです。
せめて、人を無暗に戦場に行かせないように、
先ずは監視しましょう。

人道ならぬ、私利私欲の金道に騙されますまい。
優柔不断日本流の底に流れる、
和歌にあるような
断固不屈のwillを誇らかに共有する世にしましょう。

2015/9/2(水) 午前 11:18 [ ニキタマの万葉集 ]

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niceでございます

2015/9/2(水) 午後 3:33 1082001(紫音)

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> 1082001(紫音)さん
ありがとうございます。

2015/9/2(水) 午後 4:31 [ ニキタマの万葉集 ]


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