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20 4492;天平宝字1年12月23日,作者:大伴家持,宴席,大原今城 [題詞]廿三日於治部少輔大原今城真人之宅宴歌一首 [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持作 都奇餘米婆 伊麻太冬奈里 之可須我尓 霞多奈婢久 波流多知奴等可 つきよめば いまだふゆなり しかすがに かすみたなびく はるたちぬとか 月数の上では十二月だから
今はまだ冬である とはいえ あたりには霞がたなびいている すでに立春を迎えたことでもある * 「読め」は、数を数える意。 * 「しかすがに」は、副詞。しかしながら。 * 「す」は、サ行変格動詞の終止形。 * 「がに」は、程度・状態の接続助詞。 * 「春立つ」は、「立春になる。春になる」。 * 「ぬ」は、完了助動詞。 * 「と」は、引用の格助詞。 * 「か」は、疑問の係助詞。 〜たというのか。 * 大原今城は天平宝字元年六月十六日、治部少輔に任官。当時の治部大輔は市原王。今城はその前月には従五位下に叙せられており、ようやく貴族に列しました。題詞に「大原今城真人」の敬称法が用いられているのもそのためでしょう(これ以前は「大原真人今城」と称されています)。一方、今城より上位の従五位上だった家持は左注で「大伴宿禰家持」と卑称法で記されており、この歌の記録者が家持であったことは疑い難い。こうした例は他にも見られ、巻二十後半の筆録者を大原今城にあてる中西進氏の説(『万葉集形成の研究』中西進万葉論集第六巻、講談社)は肯定できません。<「大伴家持全集 訳注編 Vol.3 水垣 久 編訳」より抜粋転載> 20 4493;天平宝字2年1月3日,作者:大伴家持,未奏,宮廷,肆宴,宴席,藤原仲麻呂,寿歌,宮廷讃美 [題詞]二年正月三日召侍従竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴 于時内相藤原朝臣(仲麻呂)奉勅宣 諸王卿等随堪任意作歌并賦詩 仍應詔旨各陳心緒作歌賦詩 [未得諸人之賦詩并作歌也] (二年正月三日、侍従・堅子・王臣等を召して、内裏の東の屋の垣下に侍はしめ、即ち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴きこしめしき。時に内相藤原朝臣勅を奉りて、宣はく、諸王卿等、堪(あ)ふるまにまに意に任せて、歌を作り并せて詩を賦せよとのりたまへり。仍りて、詔旨に応へ、各心緒を陳べて歌を作り詩を賦しき。諸人の賦せる詩と作れる歌とを得ず) [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持作 但依大蔵政不堪奏之也(大蔵の政に依りて、奏すに堪へざりき)右中弁としての仕事が忙しくて、奏上する機を逸した意。 始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎 はつはるの はつねのけふの たまばはき てにとるからに ゆらくたまのを 初春の初子の日である今日
頂戴したこの玉箒を手にした途端に 妙なる音をたてる玉の緒です * 「初子」は、初春の最初のの子の日。 * 「玉箒(たまばはき)」は、玉の緒の象徴としての繭玉(または硝子玉)を飾った箒。〔名〕古代、正月の子(ね)の日に、蚕室を掃くのに用いた、玉の飾りをつけた小さなほうき。 * 「ゆらく」は、飾り玉がぶつかりあって微妙な音をたてること。 20 4494;天平宝字2年1月6日,作者:大伴家持,未奏,予作,宮廷,行事,宴席,寿歌 [題詞] [左注]右一首為七日侍宴右中辨大伴宿祢家持預(かねて)作此歌 但依仁王會事却以六日於内裏召諸王卿等賜酒肆宴給祿 因斯不奏也(* 七日の宴に備えて予め歌を作っておいたものの、七日は仁王会(仁王護国般若経を講ずる儀式)と重なって、節会は中止され、六日に肆宴と給禄のみ行われたので、歌を奏上する意味がなくなった。) 水鳥乃 可毛<能>羽能伊呂乃 青馬乎 家布美流比等波 可藝利奈之等伊布 [みづとりの] かものはのいろの] あをうまを けふみるひとは かぎりなしといふ 青馬を今日見る人は
寿命が尽きないと言う * 「水鳥の」は「鴨」の枕詞。また上二句は「青」を導く序。 * 「青馬」は白っぽい灰毛の馬。「白馬」と表記して「あおうま」と読む。 * 「七日の侍宴」とは、白馬節会(あをうまのせちえ)に伴う宴。 「白馬節会」は中国渡来の宮廷年中行事。陽春陽月(正月は少陽の月)陽日(七は少陽の数)に、陽の色(青)の陽の獣(馬)を、陽の数(二十一頭)見て、来る一年の邪気を払うもの。 * 陽の日「一月七日」に陽の色の獣を見た人はその寿命も限りなしと。 20 4495;天平宝字2年1月6日,作者:大伴家持,宮廷,肆宴,宴席,叙景,未奏 [題詞]六日内庭(内裏の庭)假植樹木(仮に樹木を植ゑ)以作林帷(以ちて林帷(りんゐ)と作(な)して)而為肆宴(中止された白馬節会の代用の宴会)歌 (肆宴きこしめす歌一首) [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 [不奏] (右一首、右中弁大伴宿禰家持 奏さず) 打奈婢久 波流等毛之流久 宇具比須波 宇恵木之樹間乎 奈<枳>和多良奈牟 [うちなびく] はるともしるく うぐひすは うゑきのこまを なきわたらなむ 春の証しとわかるように
鴬よ 植木の枝の間を鳴いて渡ってくれ * 「肆宴」し‐えん〔名〕(「肆」はつらねる意)宴席を設けること。宴をもよおすこと。ここでは中止された白馬節会の代用の宴会。 * 「きこしめす」(主催する意の尊敬語)、主語は孝謙天皇。 20 4496;天平宝字2年2月,作者:大原今城,宴席,中臣清麻呂,怨恨 [題詞]二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首 [左注]右一首治部少輔大原今城真人 宇良賣之久 伎美波母安流加 夜度乃烏梅<能> 知利須具流麻O 美之米受安利家流 うらめしく きみはもあるか やどのうめの ちりすぐるまで みしめずありける 残念で悲しい
無情なお人ですねあなたは お宅の梅が散り果てるまで 見せてくださらなかったとは 20 4497;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首) [左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣 美牟等伊波婆 伊奈等伊波米也 宇梅乃波奈 知利須具流麻弖 伎美我伎麻左奴 みむといはば いなといはめや うめのはな ちりすぐるまで きみがきまさぬ 見たいとおっしゃれば
嫌だなどと申したでしょうか 梅の花が散り果てるまで あなたが来られなかったのですよ 20 4498;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,主人讃美,寿歌,序詞 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首) [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 波之伎余之 家布能安路自波 伊蘇麻都能 都祢尓伊麻佐祢 伊麻母美流其等 はしきよし けふのあろじは いそまつの つねにいまさね いまもみるごと 慕わしいこの日のご主人は
磯辺の松が常緑であるように いつまでも変わりなくおいでください 今お見受けするままに * 「はしきよ(や)し」[連語]形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」。いとおしい。なつかしい。 20 4499;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席,寿歌,永遠 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首) [左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣 和我勢故之 可久志伎許散婆 安米都知乃 可未乎許比能美 奈我久等曽於毛布 わがせこし かくしきこさば あめつちの かみをこひのみ ながくとぞおもふ あなたがそうおっしゃって下さるのを聞いて
天地の神々に祈願してでも 長生きしたいと思います * 「祈ひ祷み」いの・る 祈る/祷る[動ラ五(四)]動詞「の(宣)る」に接頭語「い(斎)」が付いてできた語。1 神や仏に請い願う。神仏に祈願する。 * 中臣清麻呂は、奈良時代の公家(702〜788年)。初め中臣氏を称したが、769年に大中臣の姓を賜った。 20 4500;天平宝字2年2月,作者:市原王,宴席,中臣清麻呂,恋情,主人讃美 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首) [左注]右一首治部大輔市原王 宇梅能波奈 香乎加具波之美 等保家杼母 己許呂母之努尓 伎美乎之曽於毛布 うめのはな かをかぐはしみ とほけども こころもしのに きみをしぞおもふ 梅の花の香を貴ぶ心が強い余り
かえって遠ざかって失礼を致しましたが 心はいつもしなうばかりに貴方の方に寄せているのです * 「かぐはしみ遠けども」は、畏敬の念が強い余り近づけないでいたが、 の意。清麻呂を誉め讃えると共に、たびたび訪問できないことの弁解。 * 万葉集には梅の花の「香」を読んだ歌は、この一首しかない。 万葉集では、梅の花は「見て」楽しまれる事が多く、その「香」に対する意識は高くなかったが、中国では「梅の香」のほうが賛美されていて、その中国の影響で懐風藻では梅の香を詠んだものが増え、古今集では梅の色も香も読み込まれるようになった。 * 「けど」は、形容詞の已然形の語尾「けれ」の「れ」の脱落が見られる。 * 「ども」は、接続助詞 逆接既定条件。活用語の已然形に付いて、逆接の既定条件を示す「〜けれど」「〜けれども」「〜であっても」などの意。「ど」も「ども」の意味は全く同じ。 20 4501;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,寿歌,永遠,主人讃美,予祝 [題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首) [左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 夜知久佐能 波奈波宇都呂布 等伎波奈流 麻都能左要太乎 和礼波牟須婆奈 やちくさの はなはうつろふ ときはなる まつのさえだを われはむすばな 色とりどりの花はいつかは色褪せる
常に変わらぬ松の枝を私たちは結びましょう |
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