ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第二十巻

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20 4325;天平勝宝7年2月6日,作者:丈部黒當(くろた),防人歌,静岡,坂本人上,恋情,望郷,枕詞

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首佐野郡丈部黒當 ( / 二月六日防人部領使遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首 但有拙劣歌十一首不取載之)

知々波々母  波奈尓母我毛夜  久佐麻久良  多妣波由久等母  佐々己弖由加牟

父母も 花にもがもや 草枕 旅は行くとも 捧ごて行かむ 

ちちははも はなにもがもや [くさまくら] たびはゆくとも ささごてゆかむ

・・・・・・・・・・・
父母が花だったら 
これからの旅に
捧げ持って行くのに
・・・・・・・・・・・

* もが・もがな・もがも 自分自身の願望を表す …ガアレバ(デアレバ)ヨイガナア。…タイモノダ。
* 「や」は間投、詠嘆。
* 「ささごて」  捧げ持って




サ20 4326;作者:生玉部足國(いくたまべのたりくに),防人歌,防人歌,静岡,坂本人上,恋情,序詞,望郷

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首佐野郡丈部黒當 ( / 二月六日防人部領使遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首 但有拙劣歌十一首不取載之)

父母我  等能々 志利弊乃  母々余具佐  母々与伊弖麻勢  和我伎多流麻弖

父母が 殿の後方の ももよ草 百代いでませ 吾が来るまで 

[ちちははが  とののしりへの  ももよぐさ]  ももよいでませ  わがきたるまで

・・・・・・・・・・
父母おわす
殿の裏庭の百代草
私の帰還する時まで
どうか変わりなく
ご健在でおられますように
・・・・・・・・・・

* 「ます(座す)」(自サ四)は尊敬の意を表す補助動詞。
「出づ」の尊敬語。ここでは「百代いでませ」でいつまでもおられますようにの意。
* 「殿}は貴人の邸宅。
* はじめからの三句は「ももよ・・」への序詞。
* 「ももよ草」  つゆ草か菊。恋人への思いも掛けている。
  菊はこの時代、皇室の紋章であったかは定かでない。

防人の歌に父母のことを詠んだのが多い。

父母も 花にもがもや 草枕 旅は行くとも (ささ)ごて行かむ 
(巻二十・四三二五)

水鳥の 立ちのいそぎに 父母に 物言(ものは)ず来(け)にて 今ぞ悔しき 
(巻二十・四三三七)

忘らむと 野行き山行き 我来れど 我が父母は 忘れせぬかも 
(同・四三四四)

橘の 美衣利(みえり)の里に 父を置きて 道の長道(ながて)は 行きがてぬかも 
(同・四三四一)

父母が 頭(かしら)かき撫(な)で 幸(さ)く在れて いひし言葉ぞ 忘れかねつる 
(同・四三四六)




4327 天平勝宝7年2月6日,作者:物部古麻呂,防人歌,静岡,坂本人上,望郷,恋情

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)天平勝宝七歳二月、坂東諸国の防人を筑紫に派遣して、先きの防人と交替せしめた。

[左注]右一首長下郡物部古麻呂 / 二月六日防人部領使遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首 但有拙劣歌十一首不取載之


和我都麻母  畫尓可伎等良無  伊豆麻母加  多<妣>由久阿礼<波>  美都々志努波牟

吾が妻も 絵に描き取らむ 暇もが 旅行く吾れは 見つつ偲はむ

わがつまも ゑにかきとらむ いつまもが たびゆくあれは みつつしのはむ

・・・・・・・・・・・
妻の姿を絵に画いて持ってゆく
その描く暇が欲しい
僻地の防備に行く自分は
その似顔絵を見ながら思出したいのだ
・・・・・・・・・・・

<参照1、>ブログ「夢のごとく 」より。
『万葉集』と方言
「東風 越俗語、東風謂之安由乃可是也」(巻17・4017番)のように、当時の方言についてそれと明示した記述があるが、いちいち方言と銘打ってはいなくても、実は大量の方言が記録されている。即ち、巻14の東歌(あずまうた)と巻20の防人歌(さきもりうた)である。
 東歌は東国地方の歌の意で、東国(今の関東・東北地方から東海地方まで含まれる)に伝わる歌を収集し、どの国の歌か判明している歌(勘国歌。90首+5首)と不明の歌(未勘国歌。140首+3首)に二分して収録している。多くの歌で上代の東国方言が多用されており、歌の成立年代や作者の出自、記録の経緯が一切不明という問題点はあるにしても、古代の方言の具体的な記録として重要な位置を占める。また、分量の豊富さも魅力である。 
 防人歌は東国から徴集された防人の詠んだ歌の意で、巻13や巻14にも少量見えるが、最も著名なのは巻20に「天平勝宝七歳乙未二月、相替遣筑紫諸国防人等歌」として84首収録されているものである。これは天平勝宝7歳(755年)に徴集された防人の詠んだ歌を、防人を率いてきた各国の部領使(ことりづかい)に命じて記録、上進させたもので、拙劣歌として半数近く(82首)が棄てられてはいるものの、採用された歌については作者の名前から出身国(国によっては郡名まで)まで逐一記されている。しかも、万葉集に採録するにあたって、内容はもちろん万葉仮名表記に至るまで上進時のままで改変されていない可能性が高く、東国方言資料としての価値は東歌を凌駕するものと評価されている。




4328 天平勝宝7年2月7日,作者:丈部人麻呂,防人歌,望郷,恋情,神奈川,藤原宿奈麻呂

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首助丁丈部造人麻呂(助丁(すけのよぼろ)、丈部造人麿(はせつかべのみやつこひとまろ)

( / 二月七日相模國防人部領使守従五位下藤原朝臣宿奈麻呂進歌數八首 但拙劣歌五首者不取載之)

於保吉美能  美許等可之古美  伊蘇尓布理  宇乃波良和多流  知々波々乎於伎弖

大君の 命畏み 磯に触り 海原渡る 父母を置きて 

おほきみの みことかしこみ いそにふり うのはらわたる ちちははをおきて

・・・・・・・・・
大君から防人という命を畏こみ体して
船は幾たびも磯辺の岩に危うく触れながらも
荒波立つ海原をも雄雄しく渡ってに行く
国元に残している父母が案じられるが
・・・・・・・・・

* 「磯に触り」は危険な船旅をしている意か。

大船を 榜(こ)ぎの進みに 磐(いは)に触り 覆(かへ)らば覆(かへ)れ 妹によりてば」
(巻四・五五七)
磯毎に あまの釣舟 泊てにけり 我船泊てむ 磯の知らなく
(巻十七・三八九二)



4329 天平勝宝7年2月7日,作者:丹比部國足,防人歌,神奈川,藤原宿奈麻呂,難波,大阪,恋情,出発,悲嘆

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首足下郡上丁丹比部國足 ( / 二月七日相模國防人部領使守従五位下藤原朝臣宿奈麻呂進歌數八首 但拙劣歌五首者不取載之)

夜蘇久尓波  那尓波尓都度比  布奈可射里  安我世武比呂乎  美毛比等母我<毛>

八十国は 難波に集ひ 船かざり 我がせむ日ろを 見も人もがも 

やそくには なにはにつどひ ふなかざり あがせむひろを みもひともがも

・・・・・・・・・
多くの国々から難波の港に集う防人
任地への船出の支度でいそがしい
せまるわれらが船出の日には
この晴れの勇姿を
故郷の人に見せたいものだなあ
・・・・・・・・・

* 「ふなかざり」は出航の準備。
* 「せむ」はせまる(船出)。
* 「ろ」は、上代東国方言、感動をあらわす。
* 「も」は、上代東国方言→「む」。動詞未然形につく。
* 「もがも」は終助詞「もが」に終助詞「も」のついたもの。願望の意を表す。・・・デアレバナア。


ウィキぺディア フリー百科辞典等より。 『防人』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E4%BA%BA

防人は、大化の改新後の九州沿岸の防衛のため、軍防令が発せられて設置された。任期は3年で諸国の軍団から派遣され、任期は延長される事がよくあり、任地との往来は自己負担。食料・武器は自弁であった。大宰府がその指揮に当たった。主に人口の多い東日本から徴兵され、その間も税は免除される事はないため、農民にとっては重い負担であり、兵士の士気は低かったと考えられている。757年以降は九州からのみの徴用となる。
 平安時代に入り、桓武天皇の792年に健児
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%85%90%E3%81%AE%E5%88%B6
の制が成立して軍団、兵士が廃止され、国土防衛のため兵士の質よりも数を重視した朝廷は防人廃止を先送りした。 実際に防人軍団の外国勢力との交戦は、1019年に中国沿海地方の女真族が対馬から北九州を襲撃した刀伊の入寇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87
の一度だけである。院政期になり北面武士・追捕使・押領使・各地の地方武士団が成立すると、質を重視する院は次第に防人軍団の規模を縮小し、大宰府消滅とともに消えていった。
 奈良時代に成立した『万葉集』には防人のために徴用された兵や、その家族が詠んだ歌が100首以上収録されており、防人歌と総称される。関東地方など東国の言葉が使われている事も多く、東歌ともに古代の生活様相を伝えている。




4330 天平勝宝7年2月7日,作者:丸子多麻呂,防人歌,神奈川,藤原宿奈麻呂,恋情,悲嘆,出発

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首鎌倉<郡>上丁丸子連多麻呂 / 二月七日相模國防人部領使守従五位下藤原朝臣宿奈麻呂進歌數八首 但拙劣歌五首者不取載之(この一首は鎌倉郡の上丁丸子連多麻呂。2月7日相模国防人部領使守従五位下藤原朝臣宿奈麻呂の奉る歌の数八首。 但し拙劣な歌五首は載せず。)

奈尓波都尓  余曽比余曽比弖  氣布能<比>夜  伊田弖麻可良武  美流波々奈之尓

難波津に 装ひ装ひて 今日の日や 出でて罷らむ 見る母なしに 

なにはつに よそひよそひて けふのひや いでてまからむ みるははなしに

・・・・・・・・・・
難波津で装備を次第に整えて
いよいよ今日任地に出発するが
見おさめになるかもしれない風景の中に
母の姿は見つからない
・・・・・・・・・・

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