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第十九巻 4139 天平勝宝2年3月1日,作者:大伴家持,絵画,高岡 [題詞]天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花<作>二首 春苑 紅尓保布 桃花 下<照>道尓 出立D嬬 はるのその くれなゐにほふ もものはな したでるみちに いでたつをとめ 春の苑は紅色に照り映えている
桃の花のほのかに赤く色づいた道に 紅の裳裾の少女たちが佇んで * 「少女」は、前年に越中に下向してきた家持の妻・坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)を指すか。幻想か。 * 「春園に赤い桃花が満開になっていて、そこに一人の乙女の立っている趣の歌で、大陸渡来の桃花に応じて、また何となく支那の詩的感覚があり、美麗にして濃厚な感じのする歌である」(斉藤茂吉) * 「にほふ」匂ふ。ハ行四段活用、にほ-ふ。(色などに)染まる。輝く。 * 「かをる」と「にほふ」 「香」と「色」の艶な美しさを述べるが、「かをる」は漂う「香」に、「にほふ」は「色」にあてる。 「かをる」は(香(か)・居る)で、「にほふ」は丹(に=赤土、赤色)ほ・ふ、艶のある感じ。他より抜きんでて表に現れること。(ふ)は活用語尾。視覚的な語。 * 「下照る・したでる」は不詳ながら、うっすらと花の色などで辺りが美しく照り映えるという意に。 ・・・・・・・・・・ * 「以下yahooブログ<重陽の節句を祝う>さんの「古代への想念」より転載」 http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/43863029.html?type=folderlist ー ー 春の苑に、紅い色の、匂い醸して咲く桃の花。 花は滴って、足元を染める。 その道に、今、聖女は立ち出でるのだ。 『天平勝寶二年三月一日之暮』 に歌われた この 大伴家持の “桃の花” の歌は、この前年に起こった都 (国) の重大事、阿倍内親王 が天皇の位に立った (・・・孝謙天皇) ことを暗に示唆していて、その新しい時代を寿いでいる歌 だと、私は解釈出来ると思っています。 「下照る道」 というのは、神の国である高天原には天照大神がいるように、丁度、天の下には、下照る姫がいる、と、古事記に読むことが出来ることから、 下照る姫がつくった道・・・人が住むこの国の、そのあるべき処に続く道、というような意味が感じられます。 その道に、今、とうとう、“〔女+感〕嬬” (をとめ) が出で立った、と 歌っている、それこそ、内親王の即位・・・女帝が誕生したことを表わしている という解釈を持つことが出来ると思うのです。 そういう解釈を抱きながら、繰り返し、歌の文字をみてみると、他に、幾つも、想起される興味深い事柄があるように思われてきます。 奈良県 桜井市の 纒向 (まきむく) 遺跡 で、大量の 「桃の種」 が発見された というニュースは、多くの人がご記憶のことと思います。 (私も、このブログで取り上げました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41985738.html → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41996038.html) この歌にある 桃 は、ですから、おそらく、あの 箸墓古墳 のある、巻向の地 を連想させる花だと思います。 にほふ という語は、額田王 が、奈良のみやこ を歌った時に用いた語です。 桃の花がにほう という語には、そこは みやこ だということを感じさせるものがあるのです。 巻向の地は、桃の花のにほう都だった という観念を、少なくとも、大伴家持 は持っていた という想像を、私は心に浮かべています。 そうして、この歌の最後に登場するのは “〔女+感〕嬬” (をとめ)、それで連想させられるのは、勿論 と、云いたい、卑弥呼 です。 4140 天平勝宝2年3月1日,作者:大伴家持,高岡 [題詞]々 吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母 わがそのの すもものはなか にはにちる はだれのいまだ のこりたるかも わが園の李の白い花なのだろうか
それとも 庭に散るのは 枝に消え残っているまだら雪だろうか [題詞]見飜翔鴫作歌一首 春儲而 <物>悲尓 三更而 羽振鳴志藝 誰田尓加須牟 はるまけて ものがなしきに さよふけて はぶきなくしぎ たがたにかすむ 春を待ちかねて
何となく切ない気分でいると 夜更けに鳴きながら鴫が羽ばたく いったい誰の田に休すむ鴫だろうか * 「はるまけて」は、春が近づくこと。春かたまけて、ともいう。古語「かたまく」は時を待ち受ける、または、時が近づく、時になる、の意がある。 ・
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万葉集索引第十九巻
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