4058 作者:元正天皇,橘諸兄,宴席,肆宴,寿歌,難波,伝誦,行幸
[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 御製歌一首
多知婆奈能 登乎能多知<婆>奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎
橘の とをの橘 八つ代にも 吾れは忘れじ この橘を
たちばなの とをのたちばな やつよにも あれはわすれじ このたちばなを
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めでたい橘の中でも
枝もたわわに実ったこの橘
いつの代までも私は忘れはすまい
この橘を
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* 「八」は、無限の数量を表わす。
* 橘諸兄を讃えた歌。720年藤原不比等死去。
4059 作者:河内女王,大君讃美,橘諸兄,難波,伝誦,肆宴,宴席,元正天皇,行幸
[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 河内女王歌一首
多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母
橘の 下照る庭に 殿建てて 酒みづきいます 吾が大君かも
たちばなの したでるにはに とのたてて さかみづきいます わがおほきみかも
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橘が木陰に照りはえているこの庭に
御殿を建ててお酒を酌み交わしていらっしゃる
ご機嫌うるわしい わが大君ですこと
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4060 作者:粟田女王,元正天皇,橘諸兄,難波,伝誦,肆宴,宴席,行幸
[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 粟田女王歌一首
都奇麻知弖 伊敝尓波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣尓見要都追
月待ちて 家には行かむ 吾が插せる 赤ら橘 影に見えつつ
つきまちて いへにはゆかむ わがさせる あからたちばな かげにみえつつ
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月がでてから家には帰りましょう
私の髪に挿した赤々と色づいた橘を
月の光に照らし出しながら
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4061 元正天皇,田辺福麻呂,伝誦,行幸,肆宴,難波,宴席
[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) /
保里江欲里 水乎妣吉之都追 美布祢左須 之津乎能登母波 加波能瀬麻宇勢
堀江より 水脈引きしつつ 御船さす しづ男の伴は 川の瀬申せ
ほりえより みをびきしつつ みふねさす しつをのともは かはのせまうせ
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堀江を川岸から綱で御船を曳き
操る卑賤の従者どもは
舟の通り道を
浅瀬に気を配りお仕えせよ
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* 「水脈(みを)」は水の流れる筋。
4062 元正天皇,田辺福麻呂,伝誦,行幸,肆宴,宴席
[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) /
奈都乃欲波 美知多豆多都之 布祢尓能里 可波乃瀬其等尓 佐乎左指能保礼
夏の夜は 道たづたづし 船に乗り 川の瀬ごとに 棹さし上れ
なつのよは みちたづたづし ふねにのり かはのせごとに さをさしのぼれ
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夏の夜は川べりの道は草深くて見えにくい
お前たちも船に乗り
浅瀬ごとに棹をさして
遡って行くがよい
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4063 作者:大伴家持,追和,元正天皇,橘諸兄,大君讃美,高岡
[題詞]後追和橘歌二首
等許余物能 己能多知婆奈能 伊夜弖里尓 和期大皇波 伊麻毛見流其登
常世物 この橘の いや照りに わご大君は 今も見るごと
とこよもの このたちばなの いやてりに わごおほきみは いまもみるごと
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常世の彼方から渡り来たこの橘の
限りなく照り輝くお姿は
吾が大君におわします
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* 「常世物」の伝説は、垂仁天皇の時田道間守が常世の国から橘を持ち帰ったということから。
* 橘諸兄 敏達天皇の4代の孫・美努王の子、母は橘三千代。
母橘三千代は美努王の死後、藤原不比等と再婚。
天平8年(736年)臣籍に降(くだ)り、母の姓橘をついで諸兄と称した。
738年藤原三兄弟が疱瘡で死に、橘諸兄は政権の中心となった。
4064 作者:大伴家持,追和,元正天皇,橘諸兄,大君讃美,追和,高岡
[題詞](後追和橘歌二首)
大皇波 等吉波尓麻佐牟 多知婆奈能 等能乃多知婆奈 比多底里尓之弖
大君は 常磐にまさむ 橘の 殿の橘 ひた照りにして
おほきみは ときはにまさむ たちばなの とののたちばな ひたてりにして
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太上天皇陛下は常磐のように不変におわします
橘家の御殿の橘の木の実も
ひたすらに照り輝き続けています
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* 元正太上(おおき‐すめらみこと・だいじょう‐てんのう【太上天皇】)天皇はこの年四月二十一日に崩御している。
* 「常磐」は「大きな岩、長い間変わらないこと」。
* 「まさむ」は、「あり」の尊敬語で、サ行四段活用動詞「ます」の未然形「まさ」に、婉曲の助動詞「む」が付いたもの。おわします
* 「ひた照り」は「一面に照り輝くこと」。
* 「にして」は、断定の助動詞「なり」の連用形「に」に、単純接続助詞「して(=て)」。 〜であって。
4065 作者:山上臣(山上憶良・息子),伝誦,望郷,序詞
[題詞]射水郡驛舘之屋柱題著歌一首
安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都<婆>良尓 吾家之於母保由
朝開き 入江漕ぐなる 楫の音の つばらつばらに 吾家し思ほゆ
あさびらき いりえこぐなる かぢのおとの つばらつばらに わぎへしおもほゆ
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早朝から船出して
入り江を漕いでいるのだなあ
その櫓の音が聞こえて来るように
しみじみあれこれと
奈良の吾が家が偲ばれることよ
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4066 天平20年4月1日,作者:大伴家持,久米広縄,宴席,高岡
[題詞]四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首
宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母
卯の花の 咲く月立ちぬ 霍公鳥 来鳴き響めよ 含みたりとも
うのはなの さくつきたちぬ ほととぎす きなきとよめよ ふふみたりとも
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卯の花の咲く月になったのだ
霍公鳥よ
来て鳴き声を響かせよ
花はまだ蕾ではあるけれども
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4067 天平20年4月1日,作者:遊行女婦土師,久米広縄,宴席,高岡
[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)
敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓<伎>可勢牟
二上の 山に隠れる 霍公鳥 今も鳴かぬか 君に聞かせむ
ふたがみの やまにこもれる ほととぎす いまもなかぬか きみにきかせむ
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二上山に隠れている霍公鳥よ
さあ今鳴いてほしい
お客人にその声をお聞かせしょう
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4068 天平20年4月1日,作者:大伴家持,久米広縄,宴席,高岡
[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)
乎里安加之母 許余比波能麻牟 保等登藝須 安氣牟安之多波 奈伎和多良牟曽
居り明かしも 今夜は飲まむ 霍公鳥 明けむ朝は 鳴き渡らむぞ
[二日應立夏節 故謂之明旦将喧也][二日は立夏の節に応る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ]
をりあかしも こよひはのまむ ほととぎす あけむあしたは なきわたらむぞ
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今宵はこのまま夜を明かしてまでも飲み続けましょう
あすの朝には霍公鳥も鳴いて渡るでしょうから
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* 「をりあか・しも」このままの状態で夜を明かして までも
* 「む」は、勧誘。
4069 天平20年4月1日,作者:能登乙美,恋情,宴席,久米広縄,高岡
[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)
安須欲里波 都藝弖伎許要牟 保登等藝須 比登欲能可良尓 古非和多流加母
明日よりは 継ぎて聞こえむ 霍公鳥 一夜のからに 恋ひわたるかも
あすよりは つぎてきこえむ ほととぎす ひとよのからに こひわたるかも
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明日からは毎日聞こえるでしょうに
その霍公鳥の声をたった一夜をまえに
今宵はこれほどに恋い続けるとは
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