ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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4 587;相聞,作者:笠女郎,大伴家持、恋情,贈答,枕詞

[題詞]笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首
(笠女郎が大伴宿祢家持に贈った歌廿四首)

吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思

我が形見 見つつ偲はせ [あらたまの] 年の緒長く 我れも偲はむ 

わがかたみ みつつしのはせ あらたまの としのをながく われもしのはむ

以下<笠女郎の歌二十四首>の、意訳・解説は[家持と人々 女たち(4)水垣 久著]より<全記事転載> 
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/column11.html

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さしあげた形見の品

これを見るたびに私のことを想い出してくださいね

たとえ逢えなくとも

何年も何年も

私も貴方のことをお慕いしていますから
・・・・・・・・・・・
冒頭にいきなり別れの歌が来ます。

「形見」は思い出のよすがとなる品。別れ別れになる恋人同士の間で手渡されるものもこう言いました。衣服など、身につけていた品の場合が多かったようです。
「年の緒ながく」――これから何年も会えない、という傷心が、歌の調子を沈んだものにしているようです。
二十代以前の家持が都を遠く離れたのは二度だけ。
父に随い大宰府に下向した神亀四年(727)頃と、越中守として任地に赴いた天平十八年(746)です。
神亀四年は家持わずか十歳ですから、笠女郎がこの歌を贈ったのは越中守任命時になるはずです。
国守の任期は、ふつう五年ほどでした。この年家持は二十九歳。笠女郎もほぼ同世代でしょうが、全体的な歌の印象からは、家持より年下のような気がします。 


4 588;相聞,作者:笠女郎,大伴家持、恋情,贈答,枕詞,奈良,序詞

[題詞](笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)

白鳥能  飛羽山松之  待乍曽  吾戀度  此月比乎

白鳥の 飛羽山松の 待ちつつぞ 我が恋ひわたる この月ごろを 

しらとりの とばやままつの まちつつぞ あがこひわたる このつきごろを
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白鳥の飛ぶ飛羽山の松ではありませんが

貴方のおいでを待ちながら

私はずっと慕い続けておりました

この何カ月の間というもの
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「飛羽山」の比定地は定説がありません。東大寺近くの山とする説などがありましたが、最近、国語学者の吉田金彦氏が、福井県鯖江市に鳥羽という地名が残り、そのあたりの街道沿いの低山ではないか、と新見を出しました(『秋田城木簡に秘めた万葉集』)。吉田氏は、北陸への旅に出た笠女郎が、実際に飛羽山を見たのではないか、と推察しています。
吉田氏の新著は、これまでの定説に挑む、驚くべき知見に満ちています。特に、笠女郎の越中下向説には納得させられる部分が多かったので、私もさっそく乗せてもらうことにしました(ただ、吉田氏は歌の順序を大幅に入れ替えて解釈しているのですが、私はあくまでも巻四の排列どおりに読んでみるつもりです。従って、氏の解釈とはきわめて異なるものになるでしょう)。

何カ月も待ったけれど、家持が帰京する様子はなく(国司は一年に何度か都へ出向く機会がありました)、待ちきれなくなった彼女は、ついに彼を追って越中へと旅立った、というわけです。 


4 589;相聞,作者:笠女郎,大伴家持、待つ,恋情,枕詞,奈良,贈答

[題詞](笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)

衣手乎  打廻乃里尓  有吾乎  不知曽人者  待跡不来家留

衣手を 打廻の里に ある我れを 知らにぞ人は 待てど来ずける 

[ころもでを] うちみのさとに

あるわれを しらにぞひとは まてどこずける
・・・・・・・・・・・・・
打廻の里にいる私を知らなくて

あの人は

いくら待っても来てくれなかったのだ
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「打廻」は従来ウチミと訓まれることが多かったのですが、所在はやはり不詳でした。
吉田氏はこれをウチワと訓み、石川県の河北潟沿岸の土地だろうとしています。
私には真偽の程は分かりませんが、氏の仮説に拠った方が、笠女郎の一連の歌のつながりがより納得できるので、ここでも吉田氏の説を借りたいと思います。
越中国府(いまの富山県高岡市)のすぐ近くまで彼女はやって来ていたことになります。
しかし、まだ家持はそれを知りません。
旅の途次、その都度手紙を贈ったとしても、家持には彼女の現在地を知りようがないのです。 


4 590;相聞,作者:笠女郎,大伴家持、うわさ,贈答,枕詞

[題詞](笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)

荒玉  年之經去者  今師波登  勤与吾背子  吾<名>告為莫

あらたまの 年の経ぬれば 今しはと ゆめよ我が背子 我が名告らすな 

[あらたまの] としのへぬれば いましはと ゆめよわがせこ わがなのらすな
・・・・・・・・・・・・・・
お逢いしてから何年も経ったからといって

「今はもう」と

私の名を人に洩らすようなことは努々なさらないで下さいね

愛しいあなた
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「我が名告らすな」こういう言い方は、逢瀬を遂げた恋人同士の間で交わされた、決まり文句みたいなものです。遥かな越の地で、とうとう彼女は家持と再会することができたと判ります。しかし、次の歌でも、597番の歌でも、笠女郎が人目を気にする度合いには、いささか尋常ならざるものがあるようです。上記著書で吉田氏は、彼女を家持の「隠(こも)り妻」であったと見なしています。
いずれにせよ、家持との関係は大っぴらにできるようなものではなかったのでしょう。あるいは、これも吉田氏が指摘する通り、越中国府には正妻である坂上大嬢がすでに来ていて、笠女郎は遠慮せざるを得ない立場にあった、ということなのかも知れません。


4 591;相聞,作者:笠女郎,大伴家持、うわさ,贈答,枕詞

[題詞](笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)

吾念乎  人尓令知哉  玉匣  開阿氣津跡  夢西所見

我が思ひを 人に知るれか 玉櫛笥 開きあけつと 夢にし見ゆる 

わがおもひを ひとにしるれか [たまくしげ] ひらきあけつと いめにしみゆる
・・・・・・・・・・・・・
あなたへのひそかな想いが他人に知られてしまったのでしょうか

開けてはならぬ玉手箱の蓋を開けてしまった夢を見ました
・・・・・・・・・・・・・
玉手箱を開ける夢は、秘密が他人に知られてしまったことの徴と広く信じられていたらしい。
露見を恐れつつ、彼女は越中をあとにしたと思えます。 

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