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6 961;雑歌,作者:大伴旅人,太宰府,二日市温泉,妻,恋情 [題詞]帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作歌一首 帥(そち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、次(すき)田(た)の温泉(ゆ)に宿(やど)り、鶴(たづ)の声を聞きて作る歌一首 湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴 ゆのはらに なくあしたづは あがごとく いもにこふれや ときわかずなく 湯の原で鳴いている葦鶴は
私が妻を恋うかのように 時も定めずにあのように鳴いている 大伴旅人が亡き妻を偲ぶ。鶴は夫婦仲が良いことから、鳴き声を聞いて妻を偲んだのでしょうか。
* 「葦」は池や沼などに生えるイネ科の多年草。かなり大きくなり、3メートル近くまでにもなる。茎は硬く、中空で節がある。 葦(あし)という呼び名は、「悪(あ)し」を思い起こさせるので、後にヨシ(良し)に変えられた。「ヨシ」は真水に生え、田作りの標にも役立った。「アシ」は塩分を含む(汽水域)でも生える。 植物分類学では「ヨシ」を標準和名としている。 * 「ごとく(ごと)」は比況の助動詞。活用語の連体形、助詞「が」「の」に付く。他のものごとと同一であることを示す。「〜と同じだ」。「〜の通りだ」。指定の助動詞「なり」には「ごとき」の他に「ごとく」「ごとし」からも続く。ごときなり ごとくなり ごとしなり * 葦原で鳴く鶴は、姿が見えない。万葉の鶴は、一般に広々とした潟・海原・平野・河口などで歌われ、その飛翔の姿が詠まれている。 尾花や萩とは違って、うち続く葦原、風にそよぐ葦の中で、鳴く鶴は、美観とはおよそ遠いものである。蝉噪林逾静 鳥鳴山更幽ではないが(岩にしみいるせみの声)にみる寂寥を感じる。声高に鳴く鶴群の中で、静寂に包まれた孤独を浮き彫りにしている。 * 「ヨシ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7 * 万葉仮名では、現在の「鶴」を多津、多豆と当て字している。 |
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6 962;雑歌,作者:葛井広成,大伴道足、太宰府,宴席,序詞,天平2年 [題詞]天平二年庚午勅遣<擢>駿馬使(擢駿馬使(てきしゅんめし)は駿馬を選ぶために派遣される勅使)大伴道足宿祢時歌一首 奥山之 磐尓蘿生 恐毛 問賜鴨 念不堪國 [おくやまの いはにこけむし かしこくも] とひたまふかも おもひあへなくに [左注]右 勅使大伴道足宿祢饗于帥家 此日會集衆諸相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞 登時廣成應聲即吟此歌 (「勅使大伴道足は太宰府長官宅で饗応を受けた。その際、出席者から要請を受けて広成が作歌した」) 奥山の岩に苔が生えているようなもので恐れ多いことです
それにまた歌を詠めとおおせられますか 歌ごころのない私には思いあぐねるばかりです どうしようもなく困ってしまいます 天平二年(西暦730年)に大伴道足(おおとものみちたり)を大伴旅人の邸宅に招いたときのこと。集まった人々が、駅使(駅に用意された馬を乗り継いでゆく使者のこと)である葛井広成(ふじいのひろなり)に歌を作れといいました。これに応えて、葛井広成(ふじいのひろなり)が詠んだ歌。 * 上三句は序詞。山出しの無粋な老いぼれ・・・。
* 「苔生す」は時間の長さを表現。 * 「かも」 終助詞「か」に、詠嘆の終助詞「も」のついたもの。疑問を含んだ詠嘆・感動に意を表す。体言または活用語の連体形を承ける。 「〜だろうか」「〜なのかなあ」。 * あへ−な・し 【敢へ無し】形容詞ク活用 活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ} 今さら どうしようもない。仕方がない。 がっかりする。張り合いがない。 「何かしようとしてもどうにもならない」が原義。そこから「がっかりする」「張り合いがない」の意味が生まれた。 * 「に」は、終助詞。他に対して願望する意を表す。・・してほしい。・・のになあ。 * 広成は遣唐使だった筈で、道足も同連者かなど不明。 |
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・・・・・・・・・・ <出典・記事転載元>
以下全巻の基本的な構成は著作、Title: Manyoshu [Book 1]
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/AnoMany.html〜Title: Manyoshu [Book 20] http://etext.virginia.edu/japanese/manyoshu/Man20Yo.html を教科書として作成しました。 ・・・・・・・・・・ <転載元YouTube> 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 万葉集 https://www.youtube.com/watch?v=MwTNvmBuMh0&list=PL0DCA64B3C699DAE2&index=2 yahoo《秋流カエル》さんのブログ《なし−つぼ 【梨壺】名詞平安京内裏(だいり)の五舎の一つ「昭陽舎(せうやうしや)」の別名。中庭に梨の木が植えてあるところからいう。女官の詰め所であるが、東宮の在所ともされる。》 <抜粋>梨壷の五人(枕草子) https://blogs.yahoo.co.jp/oirakanimo/35395467.html 五一年、村上天皇が「万葉集」を訓読するように大中臣能宣・源順・清原元輔・坂上望城・紀時文の5人に命じます。 昭陽舎という後宮の一つに集まって「万葉集」の訓読を始めます。 この昭陽舎には梨の木が植えてあったので「梨壷」と呼ばれていました。 そこで「梨壷の五人」と言われるようになったのです。 何年かかったのかわかりませんが、「万葉集」4500首のうち、4000首ほどを読み解いたそうです。 この時の読み方を「古点」といいますが、残念なことにこれの書かれた本は残っていません。 その後、長い年月何人もの人が訓読します。この時、三百数十首の歌が訓読されます。この時の訓読を次点というそうです。それから1246年、仙覚が鎌倉将軍藤原頼経の命により、難解と言われた152首に訓読が施されます。これは新点と言われます。この152首を訓読するのに7年の歳月がかかっています。 このことから考えると、「梨壷の五人」が4000首の歌を訓読するのには相当の年数がかかったと思われます。 清少納言たちの時代、万葉集は古いものだありながら、実は初めて日の目を見た新しいものだったのですね。 だから、分類の中には「万葉集」にかかわる地名が出てきます。 わたしたち現代人から見ると、万葉も古今和歌集も枕草子も源氏物語も十把一絡げの「古典」ですが、万葉集は、平安時代の人にとってはすごい古典だったのです。<抜粋完了> /////////////////////////
yahoo《swe*tba*il*007》さんのブログ 【コメントへのお返事】 https://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/35252827.html ///////////////////////// |
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6 963;雑歌,作者:坂上郎女、羈旅,福岡,望郷,恋情,天平2年11月 [題詞]冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首 (冬の十一月に、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、帥(そち)の家を発(た)ちて道に上(のぼ)り、筑前(つくしのみちのくち)の国の宗像(むなかた)の郡(こほり)の名(な)児(ご)の山(やま)を越ゆる時に作る歌) 大汝 小彦名能 神社者 名著始鷄目 名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 干重之一重裳 奈具<佐>米七國 おほなむち すくなひこなの かみこそば なづけそめけめ なのみを なごやまとおひて あがこひの ちへのひとへも なぐさめなくに 大国主と少彦名の神々が名付けたという
その名は名児山(ナゴム) といっても私の恋の千重の一重もなごませてくれないのに * 名児の山 ナチゴ山; この歌は、大伴旅人の異母妹である坂上郎女が、旅人の妻の没後、大宰府に下っていたが、旅人の大納言遷任にともない、一足先に帰京したときの歌とされる。
一般的に長歌は、公的儀礼的な歌。 この歌も、「名児山の山の名は、神代の昔、国造りをした大国主命と少彦名命がはじめて名付けられた」 と、儀礼的に権威づけがなされている。 要は名門大伴一族の家刀自(いえとじ)としての、道中の安全祈願であろう。 |
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