ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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滝の上の 三船の山に 居る雲の 常にあらむと 吾が思はなく  万葉集 242・243
https://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/1049221.html


2 234;挽歌,霊亀1年9月,年紀,志貴皇子

[題詞]((霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王<薨>時作歌一首[并短歌])或本歌曰)

三笠山 野邊従遊久道 己伎<太>久母 荒尓計類鴨 久尓有名國

御笠山 野辺ゆ行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに 

みかさやま のへゆゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに

・・・・・・・・・・
三笠山の野辺の道は
ひどく荒れてしまったことだよ
御子が亡くなってからそんなに経っていないのに
・・・・・・・・・・

* 「御笠山」は今の御蓋山(みかさやま)。奈良市の市街地の東にある春日 (かすが) 大社後方の山。若草山の南にあり、春日山の西峰をなす。標高282メートル。若草山をさしていうことも多い。みかさのやま。[歌枕]
* 「こきだ‐く・も」 [副]程度のはなはだしいさま。ひどく。
 「も」[終助詞] [感動詠嘆]
* 「あら」は動詞「あり」の未然形。
* 「なく」は、打消の助動詞「ず」のク語法で、ないことの意。
* 「に」は感動を表わす古代の助詞)
   ないことだなあ。
15;作者:中大兄,三山歌,兵庫,妻争い

[題詞]((中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌)

わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ

海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ 


・・・・・・・・・・
はてしない海原の上に
夕日に輝きながらたなびく豊旗雲
豊かになびく雲に
入る日を見た今宵の月夜よ
清らかであれ
・・・・・・・・・・

* 「皇子」を付さないのが正しい用い方。

渡津海乃ーわたつみのー海神のー海を支配する神。海そのものをも言う。  
豊旗雲尓ーとよはたくもにー豊旗雲にー「豊旗雲」未詳。旗のように横に長くたなびく雲のこと。「豊」は美称、「旗雲」は旗(吹き流し)のように水平方向にたなびく雲であろう。 
伊理比<紗>之ーいりひさしー入日さし 
今夜乃月夜ーこよひのつくよー今夜の月夜  
清明己曽ーさやけくありこそー↓

* 「こそ」は他に誂え望む終助詞。スミアカクコソ・アキラケクコソ・キヨクテリコソなどの訓み方がある。いずれにしても、夜の航海が安全であれ。安全であるようにして欲しいものよ。の意。
・・・・・・・・・

天智天皇 てんじてんのう 推古三四〜天智一〇(626〜671) 諱:葛城皇子 略伝
舒明天皇の皇子。母は斉明天皇。大海人皇子・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母兄。倭姫王(古人大兄の子)を正室とする。大友皇子・大田皇女・菟野皇女(持統天皇)・建皇子・川島皇子・御名部皇女・阿閉皇女(元明天皇)・志貴皇子らの父。
斉明七年(661)、百済救援を目的とする斉明天皇の新羅征討に同行するが、天皇は筑紫で崩じたため、即位の式をあげぬまま皇位を継承した。

天智元年(662)、近江令を制定(『藤氏家伝』)。翌年、兵を新羅に派遣するが、白村江の戦で唐軍に大敗し、百済は滅亡した。
同三年、唐・新羅の侵攻に備え、防人を置き、筑紫に水城を築造する。
同六年、近江大津宮に遷都。翌年、即位。
同九年、日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成する。
同十年、大友皇子を太政大臣に任命する。
同年十二月三日、崩御。四十六歳。

その皇統は壬申の乱によってひとたび途絶えたが、奈良朝末期、志貴皇子の子白壁王が即位して(光仁天皇)復活し、その子桓武天皇が平安京を開くに至る。以後も皇位は天智天皇の系譜が引き継がれることとなった。
(出典・記事転載元)[千人万首]。
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【名歌鑑賞1−1】森 明著
(万葉集1・15)
http://f-kowbow.com/ron/meika01/meika01.htm

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