ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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3 460;挽歌,作者:坂上郎女、理願

[題詞]七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首[并短歌]
(天平七年、大伴坂上郎女、尼理願(りぐわん)のみまかれるを悲しみ歎きて作る歌一首 并せて短歌)

[左注](右新羅國尼名曰理願也 遠感王徳歸化聖朝 於時寄住大納言大将軍大伴卿家 既逕數紀焉 惟以天平七年乙亥忽沈運病既<趣>泉界 於是大家石川命婦 依餌藥事 徃有間温泉而不會此喪 但郎女獨留葬送屍柩既訖 仍作此歌贈入温泉)

天平七年(735)、新羅から来朝して佐保家に寓居していた尼理願が死去し、留守を預かっていた坂上郎女が葬儀を取り仕切った。この挽歌は有馬温泉に滞在中の母、石川内命婦に宛てたもの。

・・・・・・・・・・・・・・・

[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー
栲角乃ー栲づののーたくづののー「新羅」の枕詞 。「たくづの」は栲綱。
    楮(こうぞ)の繊維で作った綱のことで、色が白いので新羅の「しら」に掛けた。
新羅國従ー新羅の国ゆーしらきのくにゆー(理願尼様は)故郷の新羅の国より
人事乎ー人言をーひとごとをー世間のうわさ。( 日本の国の)評判が
吉跡所聞而ーよしと聞かしてーよしときかしてー良いとお聞きになって 住み良いという評判を〜
問放流ー問ひ放くるーとひさくるー語り合い気を晴らす 言葉を交わす
親族兄弟ー親族兄弟ーうがらはらからー親族兄弟も 
無國尓ーなき国にーなきくににーいないこの国に
渡来座而ー渡り来ましてーわたりきましてー渡って来られましたが
大皇之ー大君のーおほきみのー天皇の 
敷座國尓ー敷きます国にーしきますくににーお治めになる我が国の
内日指ーうち日さすーうちひさすー「都」の枕詞。
京思美弥尓ー都しみみにーみやこしみみにー都にはぎっしりと
里家者ー里家はーさといへはー里の家は
左波尓雖在ーさはにあれどもーさはにあれどもーたくさんあるのに
何方尓ーいかさまにーどのように 
念鷄目鴨ー思ひけめかもーおもひけめかもーお思いになったのか
都礼毛奈吉ーつれもなきー縁もない 辺鄙な
佐保乃山邊<尓>ー佐保の山辺にーさほのやまへにー佐保の山辺に
哭兒成ー泣く子なすーなくこなすー泣く子のように 
慕来座而ー慕ひ来ましてーしたひきましてー我が家に慕って来られて
布細乃ー敷栲のーしきたへのー「家」の枕詞。敷栲の意で、寝ることに関する語の枕詞となる。
宅乎毛造ー家をも作りーいへをもつくりー家も造り 住居をかまえ
荒玉乃ーあらたまのー「年」の枕詞。
年緒長久ー年の緒長くーとしのをながくー長の年月 
住乍ー住まひつつーすまひつつーお住みになって
座之物乎ーいまししものをーおられましたのに
生者ー生ける者ーいけるものー生ある者は 
死云事尓ー死ぬといふことにーしぬといふことにーいつか死ぬということは
不免ー免れぬーまぬかれぬー免れない 例外はない
物尓之有者ーものにしあればーものであれば
憑有之ー頼めりしーたのめりしー頼りにしていた
人乃盡ー人のことごとーひとのことごとー人々が
草<枕>ー草枕ーくさまくらー「旅」の枕詞。
客有間尓ー旅なる間にーたびなるほとにー皆旅に出ている間に
佐保河乎ー佐保川をーさほがはをー佐保川を
朝河渡ー朝川渡りーあさかはわたりー朝に渡り
春日野乎ー春日野をーかすがのをー春日野を
背向尓見乍ーそがひに見つつーそがひにみつつー後ろに見ながら
足氷木乃ーあしひきのー 「山」の枕詞。
山邊乎指而ー山辺をさしてーやまへをさしてー山辺を目指して
晩闇跡ー夕闇とーゆふやみとー夕闇とともに 
隠益去礼ー隠りましぬれーかくりましぬれーお隠れになってしまいました
将言為便ー言はむすべーいはむすべーどう言ってよいのか
将為須敝不知尓ー為むすべ知らにーせむすべしらにーどうしたらよいのかすべを知らず
徘徊ーたもとほりー行ったり来たり さまよう
直獨而ーただひとりしてーただひとりしてーたった一人で
白細之ー白栲のーしろたへのー枕詞。しろたへの衣は喪服。
衣袖不干ー衣袖干さずーころもでほさずー喪服の袖も乾くことなく
嘆乍ー嘆きつつーなげきつつー嘆きつつ
吾泣涙ー我が泣く涙ーわがなくなみたー流す涙は
有間山ーありまやまー有馬山へ  神戸の有馬温泉付近の山。
    当時坂上郎女の母は療養のため有馬温泉に滞在していた。
雲居軽引ー雲居たなびきーくもゐたなびきー雲となって棚引き
雨尓零寸八ー雨に降りきやーあめにふりきやー雨となって降ったでしょうか
・・・・・・・・・・・・・・・



3 461;挽歌,作者:坂上郎女

[題詞](七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首[并短歌])反歌

[左注]右新羅國尼名曰理願也 遠感王徳歸化聖 於時寄住大納言大将軍大伴卿家既 逕數紀焉 惟以天平七年乙亥忽沈運病既<趣>泉界 於是大家石川命婦 依餌藥事 徃有間温泉而不會此喪 但郎女獨留葬送屍柩既訖 仍作此歌贈入温泉

留不得 壽尓之在者 敷細乃 家従者出而 雲隠去寸

留めえぬ 命にしあれば 敷栲の 家ゆは出でて 雲隠りにき

とどめえぬ いのちにしあれば しきたへの いへゆはいでて くもがくりにき

・・・・・・・・・・・
留めることの出来ない命ですから
家から出て行き
雲に隠れてしまわれました
・・・・・・・・・・・

* 大伴旅人は着任早々に愛妻の大伴郎女を病で失う。旅人64才。
大伴家持は、この大伴郎女の子ではなく、実母は52年後の宝亀11年(780) まで生きた。
旅人と家持の年齢差は53才。
養老の戸婚律逸文、妻50にして男子なくば、妾子を以て嫡子とす、にあたる。
* 留めえぬ
 「留めることの出来ない」 
* 命にしあれば
 「命ですから」
「に」は [格助詞] [原因・理由] 〜によって・〜により〔接続〕体言、連体形につく。
「し」[副助詞] 語調を整えたり、強意を表する。
「あれ」は「あり」の已然形。
「ば」接続助詞活用語の未然形、已然形に付く。
未然形に付く場合。〔順接の仮定条件〕…たら。…なら。…ならば。
已然形に付く場合。〔順接の確定条件、原因・理由〕…ので。…から。
* 「敷栲の」 
[枕]「敷妙」に関するもの、「床(とこ)」「枕」「衣」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」「家」などにかかる。
* 家ゆは出でて 
「ゆ」 [上代、格助詞] [起点] 〜から・〜以来 体言につく。
「て」は[接続助詞] [補足(行われ方)]〜て 連用形につく。
* 雲隠りにき
「雲隠り」ラ行四段活用の動詞「雲隠る」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの。
「雲隠る」死ぬことを婉曲にいう語。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
「き」(活用語の連用形に付く)過去の助動詞「き」の終止形。
 雲に隠れてしまわれました
八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
 恵慶法師(47番) 『拾遺集』秋・140


【特選サイト】

《yoshy》伊勢物語と仁勢物語-2
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220
『百人一首 47番 恵慶(えぎょう)法師』
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/40166466.html
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
           平兼盛(40番) 『拾遺集』恋一・622


心のうちに忍びつづけていたけれど、とうとう顔色に出てしまったことよ。
私の恋は、「何か物思いでもしているのか」と人に問はれるほどまでに。


拾遺集・巻十一・恋一(622)に「天暦の御時の歌合、平兼盛」とあるのが出典。
この天暦は、年号ではなく、村上天皇の治めている御代の意で、「天徳四年三月三十日内裏歌合」のとき詠まれた歌。

この歌はその歌合せの二十番右歌で、次の四十一の歌「恋すてふ・・・」とつがえられて優劣を争ったもので、勝負の判定に関しての逸話が有名である。

つまり、両歌共にすぐれ判者藤原実頼が勝負の判定を付けられず、源高明に判定を下させようとしたが、高明も決められずにいたところ天皇が低く「忍のぶれど・・・」と口ずさんでいたので、この歌に天意ありと判じて、勝ちとしたという。これは実頼が記している事だから、確かであろう。

この歌は、技巧的には二句切れ、倒置法の使用があり、
直せば「我が恋は忍のぶれど物や思ふと人の問ふまで色に出でにけり」となる。ひそかにひそかに忍びつづけていたのだが、それもついに様子にまであらわれてしまった、その高まった感情の積み重なりが詠嘆の「けり」に集約されていよう。

それは人の目にとまるほどのものであったのだ、それが明らかになった今、自己のみを見つづけてきた日々への思いと、そうした自分を見つめる他人の目の存在への意識が、作者を現実へ引き戻し恥らわせているのである。

上の句の率直な自己表現に対し、下の句は会話体を取り入れ、客観化している。上下対照の表現に妙があるといえよう。

忍んでも色にでる恋、人が問うほどに表れる恋は、古今集・巻十一・恋一(503)詠み人しらず
「思ふには忍ぶる事ぞまけにける色には出でじと思ひしものを」や『奥義抄』に見える古歌
「恋しきをさらぬ顔にて忍のぶればものや思ふと人ぞ問ふ」などがありこれ等を発想の土台としたものと思われる。

天徳四年(960)内裏歌合は、村上朝宮廷歌壇の結集ともいうべき大きな催しであった。『袋草紙』によれば、兼盛は勝ちと聞いて拝舞しつつ退出、他の歌の勝負には執しなかったという。このようなさまざまな逸話を生む歌が作られてことでも、いかに歌人たちが、一首一首に精神をかけていたかが窺い知れよう。

【作者】
生年未詳〜正暦元年(990)光孝天皇の曾孫篤行王の子。始めは兼盛王と名のっていたが、天暦四年(950)に臣籍に降って、平氏となった。
従五位上、駿河守と、地位はそれほど高くはないが平安中期の有力な歌人で、三十六歌仙の一人。家集に『兼盛集』がある。

<出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

            右近(38番) 『拾遺集』恋四・870


【歌の意味】
あなたに忘れられる我が身のつらさはなんとも思いません。ただ、愛を神に誓ったあなたの命が、罰のためにちぢまるのではないからと、惜しまれるのです。

拾遺集・巻十四・恋四(870)に「題知らず、右近」とあるのが出典。

『古今六帖』(こきんろくじょう)にも出ている。またこの歌は『大和物語』に『同じ女(右近)、をとこの忘れじとよろずのことをかけて誓ひけれど、わすれにけるのちにいひやりける』として載っている。

大和物語の記載順に従えば、右近の恋の相手は権中納言敦忠かと思はれる。

この歌の解釈は、大きく二つに分かれている。一つは二句切れと見る説、もう一つは三句切れと見る説である。

二句切れと見る場合、「思はず」で切れるのであるが、このことばは、女自身が自らの運命をもう嘆くまい。と自らにいい聞かせる悲しい決意の心との心と見られよう。男との愛の日が去ったことを自覚したとき、男の自分に向けられていた数々の愛の証しが、作者の棟に蘇える。

あのように熱っぽくくり返した誓いは、神に向けられたものではなかったのか、誓いを破った者への神の制裁はくだされずにはないだろう。だが、男の身をあんぜずにはいられない、というものである。

三句切れと見る場合、私は忘れられる身であったのに、そんなことを考えてもみず、愛を誓いかわした、我が身の愚かさを省みつつ、どこか相手の身を惜しむ気持ちも捨てきれない。ということになろうか。

二句切れにしても、三句切れにとっても、下の句は、やがて心変わりの罪の報いを受けるであろう男の命を思うことに変わりはない。しかし二句切れに従う方が、やはり素直な感じがしょう。

男に対する皮肉、あてつけととられないことはないし、元来そういう歌であったかもしれない。
しかし一首を独立したものとして味わうとき、断ちがたい未練を我から切って、自立の姿勢を保とうとしながらも、執着の心も捨てきれない・・・・・その間で必死に格闘する女の心を良く表した歌として読みとれる。

恨むに似て恨みえず、男への限りない愛憎の交錯が、複雑な女の感情を映し出した、王朝時代における典型的な女の歌と言えよう。

【作者】
生没年未詳。十世紀中頃の人。右近衛少将藤原季縄(鷹匠、歌人)のむすめ(妹と言う説もある)
父の官名から右近と呼ばれた。醍醐天皇の后穏子の女房。応和二年(962)康保三年(966)等の歌合せに出詠。敦忠、師輔、源順(みなもとのしたごう)らと恋愛関係にあった。


<出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)ににほひける
              紀貫之(35番) 『古今集』春・42


紀貫之(きのつらゆき)35
【歌の意味】
人の心は変わりやすいものだから、あなたのお気持ちは、さあどうかわからない。
けれど昔なじみのこの里は、梅の花だけは昔のままの懐かしい香りで咲きにおっていることよ。
古今集・巻一・春上(42)に「初瀬に詣ずるごとに宿りける人の家にひさしくやどらで、ほどへて後に至れりければ、かの家の主、かくさだかになむやどりはある、といひ出して侍りければ、そこにたてりける梅の花を折りてよめる、貫之」とあるのが出典。
「貫之集」にも載り、更に宿の主人の返歌として
「花だにも同じ心に咲くものを植ゑけむ人の心しらなむ」が出ている。
作者が久しぶりに大和(奈良県)の初瀬にある長谷寺(十一面観音を本尊とし、平安時代に人々の信仰を集めた)へ参った折、かってのなじみの家を訪れると、家の主人は作者の久々の来訪を、
「このようにちゃんと宿はありますのに」と軽い皮肉をこめて迎えた。
それにひるむことなく、即座に梅の一枝を折り取って、この歌で逆襲したわけである。宿も人も、あるのは形、はたしてその心は・・・・・と、なれ合った親しさをもつ者同士のみなし得る、機知に富んだ応酬である。
唐の詩人劉廷芝の「年年歳歳花相似、歳歳年年人不、同」を思わせる一首であるが、この歌を作ったときは、知的に、なだらかに綴る遊びの心であり、相手の皮肉を逆手に取った当意即妙の面白さである。あるいは、ふるさとの自然は美しい、という初瀬への懐かしさを秘めた、初瀬の人への挨拶がこめられていよう。
しかし詞書に記されたような場を外して一首と向かいあうとき、故郷の地に立って、移り行く人の心と、変わらず咲きにおう花、すなわち悠久の自然とゆうげんのな人間とを対比する心が生まれ作者の懐旧の情は深い詠嘆をともなって春の日の中にたゆとうてゆく・・・・・と見られるのである。
これが中世の人々が心に抱いた王朝の美の映像であったのであろう。

【作者】
貞観十年(868)ごろ〜天慶八年(945)あるいは九年、古今集の中心的撰者で、その仮名序も書いた。
新撰和歌集の選者、土佐日記の作者。官位は従木工権頭(もくごんのかみ)に過ぎなかったが、
古今集時代の代表的歌人であり、仮名文字の先駆者であった。

<出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。

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