ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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ヤエムグラ(八重葎)  アカネ科
学名:Galium spurium var. echinospermon
 花期:春
「八重」というのは,葉が輪生する様子を指しています。
「葎(ムグラ)」というのは繁茂してやぶを作る蔓草の総称と辞書に書いてありましたが,この八重葎は蔓性ではありません他に,ムグラという名前が付く植物としては,カナムグラがあります。
 百人一首に「やへむぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね あきは来にけり」恵慶法師 というのがありますが,八重葎は秋には枯れてしまうので,この歌の中の「やへむぐら」というのは,カナムグラであろうともいわれています。
葉や茎に小さな棘があり,皮膚を刺激します。香川県ではこれを「ヒサカキ」と呼んでいたようですが,「膝を掻く雑草」という意味なのでしょう。
(植物園へようこそ!)より転載。
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ー47ー 

やへむぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋はきにけり 
恵慶法師 

<拾遺集巻三(秋)「河原院にて、荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りけるに 恵慶法師」>

【歌意】
・・・・・・・・・・
生い茂った葎などの雑草がはびこっている
さびしい住まいに人の姿こそ見えないが
秋だけはやって来たのだなあ
・・・・・・・・・・

【語句・文法】

* 「やへむぐら」;
幾重にも生い茂った葎が。

* しげれる宿の さびしきに ;
「しげれ」は四段活用動詞「しげる」の已然形・命令形両説あり。
「る」は存続の助動詞「り」の連体形。
「宿のさびしきに」は、住まいで、さびしい所にの意で、現代ならさびしい住まいにとなる。
「宿」は住まい。
「の」は同格関係(「宿」と「さびしき」)を示す格助詞。
「さびしき」は形容詞「さびし」の連体形で、体言(同格の『宿」・「所」など)を補って解する。
「に」は場所を示す格助詞。(「の」を主格、「に」を接続とする説あり)

* 人こそ見えね 秋はきにけり;
「「こそ」は強意の係助詞で、結びは打消の助動詞「ず」の已然形「ね」。一応終結するが、已然形の働きから逆説的気分が現れる。
「は」は係助詞。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
「けり」は詠嘆の助動詞終止形。

◇やへむぐら 八重葎。幾重にも生い茂った葎。葎とは、荒れ地や野原にむさ苦しく生い茂る雑草。荒廃した家の形容によく使われた。
◇さびしきに さびしき所に。「に」を接続助詞と見て「淋しいのに」の意とする説もある。
◇人こそ見えね… 訪れる人はないが、秋だけはやって来た。
◇「見えね」の「ね」は、打消の助動詞「ず」が係助詞「こそ」との係り結びによって已然形をとったもの。
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【作者や背景】

恵慶 えぎょう 生没年未詳
出自・経歴などは不明。応和二年(962)、安法法師主催の河原院歌合に参加。安和二年(969)、源高明の筑紫左遷直後に西宮家で詠歌。また寛和二年(986)、出家した花山院の熊野参詣に供奉。講師として播磨に下ったこともあったらしい(続詞花集)。
能宣・元輔・重之・兼盛ら同時代の歌人の多くと交流をもった。
自撰と推測される家集『恵慶法師集』がある(群書類従二六七・私家集大成一・新編国歌大観三などに所収。以下「恵慶集」と略)。
拾遺集の十八首を初めとして、勅撰入集は計五十五首。中古三十六歌仙。

その昔河原左大臣源融が住んでいた河原院で詠まれた歌である。
河原院は風流を好んだ融が贅を尽くした庭園で名高く、海水を運び入れて陸奥の歌枕塩釜を模したという。
『伊勢物語』八十一段は、惟喬親王や業平を思わせる人物がこの邸を訪れて紅葉などを愛でたとの話を載せているし、紀貫之は融の死後この庭を見物にやって来て「君まさで煙たえにし塩釜のうらさびしくも見え渡るかな」と詠み、亡き左大臣を偲んでいる(古今集)。
その後河原院は荒れるに委されたが、この歌が作られた頃には寺となっていて、融の子孫である安法法師が住んでいた。
恵慶法師ら歌人たちはそこを溜まり場として風雅の交わりを楽しんだのだった。
そうした背景においてこの歌を読めば、かつて栄華を誇った屋敷を寂れた庭にやつしてゆく否応ない時の流れと、それとかかわりなく巡り来ることをやめない季節と――言わば歴史と四季という二つの《時の流れ》への感慨がこもごもに籠ることとなる。
それゆえ「人こそ見えね」の句には、風雅の庭に四季折々の情趣を楽しんだ古人の姿が、しみじみと偲ばれるのである。
拾遺集の詞書を離れても、例えば源氏物語「蓬生」などに描かれた葎這う荒廃した家屋敷が髣髴され、侘しい恋の風趣もほのかに香って、それはそれで情趣の深い一首となろう。

この歌は藤原公任の撰とされる撰歌歌合「後十五番歌合」に採られるなど古くから恵慶法師の代表歌と見なされた。定家も『定家八代抄』・『秀歌大躰』・『近代秀歌(自筆本)』・『詠歌大概』・『八代集秀逸』など主な秀歌選の殆ど全てに撰入し、非常に高く評価していた。


【参考歌】紀貫之「貫之集」「新撰和歌」他
とふ人も なき宿なれど 来る春は 八重葎にも さはらざりけり
  よみ人しらず「後撰集」
やへむぐら しげき宿には 夏虫の 声より外に 問ふ人もなし
  曾禰好忠「好忠集」
けぶりたえ ものさびしかる 庵には 人こそ見えね 冬は来にけり

【主な派生歌】
八重葎しげれる宿のつれづれと問ふ人もなきながめをぞする(藤原定頼[風雅])
八重葎しげれる宿は人もなしまばらに月のかげぞすみける(大江匡房[新古今])
八重葎しげれる宿は夜もすがら虫の音聞くぞとり所なる(永源[詞花])
八重葎さしこもりにし蓬生にいかでか秋の分けて来つらん(*藤原俊成[千載])
秋こそあれ人は尋ねぬ松の戸を幾重もとぢよ蔦の紅葉葉(式子内親王[新勅撰])
八重葎とぢける宿のかひもなしふるさととはぬ花にしあらねば(定家)
月かげをむぐらの門にさしそへて秋こそきたれとふ人はなし(〃[風雅])
月影もおもひあらばともり初めてむぐらの宿に秋は来にけり(俊成卿女)
人とはぬむぐらの宿の月かげに露こそ見えね秋風ぞふく(宗尊親王[続古今])
八重葎とぢこもりてし宿をしも先づとひけりな秋のはつ風(三条西実隆)
おきそむる露をよすがに秋は今朝むぐらの門を先づぞ問ひける(村田春海)


【特選サイト】
伊勢物語と仁勢物語-2
『百人一首 47番 恵慶法師』
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/40166466.html



【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・
<小倉百人一首 注釈>等から。
由良のとを わたる舟人 かぢをたえ 行方もしらぬ 恋の道かな 
曾禰好忠 
<新古今集巻十一(恋一)「題しらず 曾禰好忠>

【歌意】
・・・・・・・・・・・・・・
由良の瀬戸を渡る船頭が
櫂を失って行方も知れず漂うように
行く末どうなるとも知れない恋であるなあ
・・・・・・・・・・・・・・

【語句・文法】

* 由良のとを わたる舟人;

「由良」は京都府の由良川が若狭湾に流れ込むあたり。
  淡路島にも和歌山県にもあるが、作者丹後掾の任地から丹後とする。
「と」は流れの出入口、狭くなった海路。瀬戸のこと。
「を」は通過の場所を示す格助詞。
「わたる」は四段活用動詞「わたる」の連体形。
「舟人」は舟をあやつる人。船頭。

* かぢをたえ;

 「かぢ」は舟を漕ぐ道具で、櫓・櫂。
「を」は、緒とする説もあるが、「たえ」を自動詞とみて詠嘆の間投助詞とする。
以上三句が「行方もしらぬ」の序詞.

* 行方もしらぬ 恋の道かな;

「ゆくへ」は行く方で将来の意。
「も」は感動を含む強意ぼ係助詞。
「しらぬ」はわからないの意。
「しら」は四段活用動詞「しる」の未然形。
「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形。
「恋の道」は恋ぼ進み行く先。
「わたる」の援護として「ゆくへ」「道」を用いる。
「かな」は詠嘆の終助詞。

青く、暗く、深い潮に翻弄される小舟の情景。

◇由良のと 由良の門。「門(と)」は出入口・通り路の意で、ここでは船または海水の出入口、すなわち瀬戸・海峡・河口などを指す。「ゆら」の名から船がゆらゆらと揺れる様を暗示する。詳しくは【ゆかりの地】参照。
◇かぢをたえ 梶がなくなり。自動詞である「たえ」が助詞「を」を伴うのは、「根を絶え」(根が切れ、の意)などと同じ用法であろう。但し「梶緒絶え」と読んで「梶の緒(櫓をつなぐ綱)が切れ」の意と解する説もある。「かぢ」は櫂や櫓など、船を漕ぎ進めるための道具。


【作者や背景】

曾禰好忠 そねのよしただ 生没年未詳 通称:曾丹
物部氏の裔、曾禰連の出身。父祖等は不詳。経歴も不明な点が多いが、貞元二年(977)八月、三条左大臣藤原頼忠家歌合に名が見え、丹後掾とある(この職故に「曾丹」と称された)。
天元四年(981)の斉敏君達謎合、長保五年(1003)の左大臣道家歌合などにも出詠。
寛和元年(985)二月十三日の円融院の紫野御幸における「子の日」御遊には、召されなかったのに推参し、一座の人々から追い出されたと言う。
(家集、大鏡など)。
ことほど左様に歌人としても官人として不遇に終わったが、語彙も趣向も大胆清新な彼の歌に対する評価は死後しだいに高まり、詞花集では最多入集歌人となった。
勅撰入集は総計九十余首に及ぶ。中古三十六歌仙の一人。
自撰と思われる家集『好忠集』(通称『曾丹集』)がある。
同集所収の「好忠百首」(天徳四年-960-頃成立かという)は48源重之の百首歌と共に最初期の百首和歌の試みである。
百人秀歌では47番目にあり、次の大中臣能宣「みかきもり…」と合される。
いずれも序詞を用いた映像喚起力の強い恋歌という点で共通する。
中古三十六歌仙の一人。

長く地方官である丹後掾であったことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。
当時としては和歌の新しい形式である「百首歌」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。

当時の有力歌人であった源順(みなもとのしたごう)、大中臣能宣・源重之らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、交界に受け入れられず孤立した存在であった。

新奇な題材や「万葉集」の古語を用いて斬新な和歌を読み、平安時代後期の革新歌人から再評価された。


【他の代表歌】
わがせこが きまさぬ宵の 秋風は こぬ人よりも うらめしきかな  
(拾遺集)
榊とる 卯月になれば 神山の ならの葉がしは もとつ葉もなし  
(後拾遺集)
なけやなけ 蓬が杣の きりぎりす すぎゆく秋は げにぞかなしき  
(〃)


【主な派生歌】
かぢをたえ 由良の湊に よる舟の たよりもしらぬ 沖つ潮風
(藤原良経「新古今」)
風さわぐ 由良の湊を こぐ舟の うきて物思ふ 身ぞ行方なき
(藤原定家)
由良のとを 夜わたる月に さそはれて 行衛もしらず 出づる舟人
(源家長「続後拾遺」)
契こそ ゆくへもしらね ゆらのとや わたるかぢ緒の 又もむすばで
(藤原為家)
ゆらのとや 波ぢの末は はるかにて 有明の月に わたる舟人
(北条政村「玉葉」)
由良のとに 絶えにしかぢも あるものを 行へをもしる 友千鳥かな
(二条為重)
梶をたえ 行末もしらず 由良の戸を わたる舟路の 春の霞に
(正徹)
音あらき 浪の手玉も ゆらの戸を わたる舟人 心くだけて
(〃)


【ゆかりの地】
由良の門 紀伊国の由良海峡(和歌山県日高郡由良町)とする説と、丹後国の由良川の河口(京都府宮津市)とする説がある。
古く万葉集に詠まれた「由良の岬」「由良の崎」は紀伊国であり、『八雲御抄』『歌枕名寄』『百人一首抄(細川幽斎)』など中世以来紀伊説を採る書が多かった。
しかし契沖が『百人一首改観抄』で「曾丹集を見るに、丹後掾にてうづもれ居たることを述懐してよめる歌おほければ、此由良は丹後の由良にて」云々と指摘して以後、丹後説を採る論者も少なくない。



【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・
<千人万首>・
<小倉百人一首 注釈>等から。

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