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2015年07月18日
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【歌意】 ・・・・・・・・・・・・・・
由良の瀬戸を渡る船頭が 櫂を失って行方も知れず漂うように 行く末どうなるとも知れない恋であるなあ ・・・・・・・・・・・・・・ 【語句・文法】 * 由良のとを わたる舟人;
「由良」は京都府の由良川が若狭湾に流れ込むあたり。
淡路島にも和歌山県にもあるが、作者丹後掾の任地から丹後とする。
「と」は流れの出入口、狭くなった海路。瀬戸のこと。
* かぢをたえ;「を」は通過の場所を示す格助詞。 「わたる」は四段活用動詞「わたる」の連体形。 「舟人」は舟をあやつる人。船頭。 「かぢ」は舟を漕ぐ道具で、櫓・櫂。
「を」は、緒とする説もあるが、「たえ」を自動詞とみて詠嘆の間投助詞とする。
* 行方もしらぬ 恋の道かな;以上三句が「行方もしらぬ」の序詞.
「ゆくへ」は行く方で将来の意。
◇由良のと 由良の門。「門(と)」は出入口・通り路の意で、ここでは船または海水の出入口、すなわち瀬戸・海峡・河口などを指す。「ゆら」の名から船がゆらゆらと揺れる様を暗示する。詳しくは【ゆかりの地】参照。「も」は感動を含む強意ぼ係助詞。 「しらぬ」はわからないの意。 「しら」は四段活用動詞「しる」の未然形。 「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形。 「恋の道」は恋ぼ進み行く先。 「わたる」の援護として「ゆくへ」「道」を用いる。 「かな」は詠嘆の終助詞。 青く、暗く、深い潮に翻弄される小舟の情景。 ◇かぢをたえ 梶がなくなり。自動詞である「たえ」が助詞「を」を伴うのは、「根を絶え」(根が切れ、の意)などと同じ用法であろう。但し「梶緒絶え」と読んで「梶の緒(櫓をつなぐ綱)が切れ」の意と解する説もある。「かぢ」は櫂や櫓など、船を漕ぎ進めるための道具。 【作者や背景】 曾禰好忠 そねのよしただ 生没年未詳 通称:曾丹 物部氏の裔、曾禰連の出身。父祖等は不詳。経歴も不明な点が多いが、貞元二年(977)八月、三条左大臣藤原頼忠家歌合に名が見え、丹後掾とある(この職故に「曾丹」と称された)。 天元四年(981)の斉敏君達謎合、長保五年(1003)の左大臣道家歌合などにも出詠。 寛和元年(985)二月十三日の円融院の紫野御幸における「子の日」御遊には、召されなかったのに推参し、一座の人々から追い出されたと言う。 (家集、大鏡など)。 ことほど左様に歌人としても官人として不遇に終わったが、語彙も趣向も大胆清新な彼の歌に対する評価は死後しだいに高まり、詞花集では最多入集歌人となった。 勅撰入集は総計九十余首に及ぶ。中古三十六歌仙の一人。 自撰と思われる家集『好忠集』(通称『曾丹集』)がある。 同集所収の「好忠百首」(天徳四年-960-頃成立かという)は48源重之の百首歌と共に最初期の百首和歌の試みである。 百人秀歌では47番目にあり、次の大中臣能宣「みかきもり…」と合される。 いずれも序詞を用いた映像喚起力の強い恋歌という点で共通する。 中古三十六歌仙の一人。 長く地方官である丹後掾であったことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。 当時としては和歌の新しい形式である「百首歌」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。 当時の有力歌人であった源順(みなもとのしたごう)、大中臣能宣・源重之らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、交界に受け入れられず孤立した存在であった。 新奇な題材や「万葉集」の古語を用いて斬新な和歌を読み、平安時代後期の革新歌人から再評価された。
【他の代表歌】
わがせこが きまさぬ宵の 秋風は こぬ人よりも うらめしきかな (拾遺集) 榊とる 卯月になれば 神山の ならの葉がしは もとつ葉もなし (後拾遺集) なけやなけ 蓬が杣の きりぎりす すぎゆく秋は げにぞかなしき (〃) 【主な派生歌】 かぢをたえ 由良の湊に よる舟の たよりもしらぬ 沖つ潮風 (藤原良経「新古今」) 風さわぐ 由良の湊を こぐ舟の うきて物思ふ 身ぞ行方なき (藤原定家) 由良のとを 夜わたる月に さそはれて 行衛もしらず 出づる舟人 (源家長「続後拾遺」) 契こそ ゆくへもしらね ゆらのとや わたるかぢ緒の 又もむすばで (藤原為家) ゆらのとや 波ぢの末は はるかにて 有明の月に わたる舟人 (北条政村「玉葉」) 由良のとに 絶えにしかぢも あるものを 行へをもしる 友千鳥かな (二条為重) 梶をたえ 行末もしらず 由良の戸を わたる舟路の 春の霞に (正徹) 音あらき 浪の手玉も ゆらの戸を わたる舟人 心くだけて (〃) 【ゆかりの地】 由良の門 紀伊国の由良海峡(和歌山県日高郡由良町)とする説と、丹後国の由良川の河口(京都府宮津市)とする説がある。 古く万葉集に詠まれた「由良の岬」「由良の崎」は紀伊国であり、『八雲御抄』『歌枕名寄』『百人一首抄(細川幽斎)』など中世以来紀伊説を採る書が多かった。 しかし契沖が『百人一首改観抄』で「曾丹集を見るに、丹後掾にてうづもれ居たることを述懐してよめる歌おほければ、此由良は丹後の由良にて」云々と指摘して以後、丹後説を採る論者も少なくない。 【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・ <ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・ <千人万首>・ <小倉百人一首 注釈>等から。 |
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