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<心地れいならず侍りけるころ 人のもとにつかはしける 後拾遺集・巻十三・恋三> もはや死にそうなのに、心の中に思い秘めた人よ。 『和泉式部集』に「ここちあしきころ、人に」とあって、病気が重くなり死を身近に感じたころ、病床から恋人に贈った歌。 ということであるが「人」がだれか、また詠歌の時も明らかではない。 【歌意】 ・・・・・・・・・・・・・・
生きてはいない来世での思い出に いま一度あなとの逢う瀬がもちたい ・・・・・・・・・・・・・・ 【語句・文法】 * あらざらむ この世のほかの 思ひ出に;
「あらざらむ」は生きてはいないかもしれない意、「この世のほか」を修飾する。
* いまひとたびの あふこともがな;「あら」はラ行変格活用動詞未然形、この世に生きてあり、生きているという存在の意。 「ざら」は打消の助動詞「ず」(ず+あり)の未然形。 「む」は推量の助動詞「む」の連体形。 「この世のほか」は来世。 「こ」は指示代名詞。 「の」は連体修飾語をつくる格助詞。 「に」は目的(・・トシテ)を示す格助詞。 第三句は「あふ」にかかる。
「いま」は副詞、もう・さらに、の意。
75調は初心者に向いていない。というのは3句でいったん切れると、下の句がおまけのようになったり、力の弱い(説得力のない)死歌になりやすいため。「あふ」は四段活用動詞「あふ」の連体形。 「もがな」は願望の終助詞。 【作者や背景】 平安時代、ひとりの少女が大皇太后宮内親王に仕えていた。 ある夜、この内親王に恋焦がれた冷泉天皇の皇子が、忍んでくる。 内親王は部屋を暗くし、少女を残し去る。 少女は内親王の代わりに皇子に抱きすくめられ・・・・ まちがいから生じた恋に少女は、身も心もとろけていく。 だが、少女は和泉の守、橘道貞の妻となる。 少女は、「和泉式部」と呼ばれる・・。 さて、この和泉式部は、大江雅致の娘で、清少納言、紫式部など多くの才女たちと同様、本当の名前はわからない。 最初の夫、橘道貞が和泉守だったので「和泉式部」と呼ばれた。 二十歳になる少し前くらいに道貞と結婚したと思われるが、その数年後には弾正宮為尊親王との恋におちた。 道貞との間には子供もいたが、(後の小式部内待。
「大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」60番の作者)
燃えさかるマグマのような情熱を持つ彼女がただ、『平凡な幸福』に満足できるはずもなく、親王との愛にのめりこむ。作者ははじめの夫道貞のもとをはなれると、冷泉(れいぜい)天皇の皇子弾正宮為尊親王(だんじょうのみやためたかしんのう)との恋愛から、長保四年(1002)の親王の死を境に、その弟皇子帥宮敦道(そちのみやあつみち)親王と結ばれる。その愛の生活は「和泉式部日記」にくわしい。 弾正宮為尊親王死の翌年四月、亡き親王の弟、師宮敦道親王から橘の小枝が届けられた。 知らぬ者とてない『古今集』の名歌 一見何気ない見舞いのようであるが、孤りになった和泉式部の気を魅いて手応えを探ろうという狙いはすぐにわかります。彼女は、なんとも大胆な歌を返しました。 「薫る香によそふるよりは時鳥聞かばや同じ声やしたると」 (橘を、かっての恋人の香の香りに託すよりも、その橘に宿る時鳥が、昔の人と同じ声なのかどうか、きいてみたいものね・・・) 挑むような、積極的な歌。 「私に気があるというなら、私のほうも、あの方に劣らぬ弟宮なのかどうか、試しにあってみたいものね」というわけ。 その後、二人は烈しい恋におちます。男女の色恋沙汰には慣れた貴族社会の人も、これには驚き、眉をひそめた。 そして、この年十二月、二人は世間の目をさらに驚かせることをやってのける。 師宮が、正妻のいる本邸に和泉式部を入れたのである。 もちろん、妻としてではなく、正妻付きの女房という立場ではあるが、正妻にしてみれば腸の煮えくり返る思いだったはず、ひと月後(寛弘元年正月)に師宮の邸を出てしまった。 そして三年後、和泉式部に第二の衝撃が襲いかかる。 師宮敦道親王が、まだ二十七歳の若さでこの世を去った。 和泉式部の受けた精神的な打撃はあまりにも大きく、しばらくは立ち直ることもできなかった。 その後、和泉式部は、娘の小式部内待とともに、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の女)のもとに出仕し、紫式部や赤染衛門などの才女たちの居並ぶ華やかな宮廷生活を送る。 そして、道長の家司(執事)藤原保昌と結ばれますが、他に何人もの恋人(多くは年下の男)がいたようで、さすがアクの強い道長も呆れて「浮かれ女」と評したりもしたようである。 そして、その任地丹波へ下ることになる。 『百人一首』の中の 「あらざらむ この世の外の 思ひでに 今一度の 逢ふこともがな」56番 は『後拾遺集』から採ってあるが、その詞書には、「心地例ならず侍りける頃、人のもとに遣はしける」(病気で気分がよくないときに、男のもとに言い遣わした歌)と書かれている。 「私の命はもう尽きてしまうのでしょう。こうしてこの世を去って赴く死後の世での思い出のために、ああ、もう一度、あなたとの逢瀬がほしい」 というこの切ない呼びかけは、いったい誰に向けられたものであろうか。 こんな心細い時に優しく抱きしめてもらいたい男とは・・・・・・? もしかすると、もはやもとの仲に戻るわけにはいかない、かっての夫、道貞なのかも知れない。 情熱と愛欲に突き動かされて奔放に生きた和泉式部は、その一面、常に飢えるような孤独の思いに虐まされていたようである。 中古三十六歌仙の一人。 当時の最高権力者藤原道長によって「浮かれおんな」と評された恋多き人物だったらしい。 生没年不詳ではあるが974〜978年頃の生まれとされている。 父は越前守の大江雅致(まさむね)、 母は越中守の平保衡(やすひら)の娘で、二十代前半で和泉守橘道貞の妻となった。 和泉式部の名前は夫の任国の「和泉」と父の官名「式部」からこのように呼ばれた。 結婚後、和泉式部は一時は道貞と共に和泉に赴いたが、その在任期間の後半は何故か京に戻ってきて別居している。 * (誠心院より) 「誠心院の寺伝によりますと、平安の女流歌人の代表とされる和泉式部は、初代住職と言われています。
「 大江山 いく野のみちの とほければ
まだふみもせず 天の橋立 」 (小式部内侍 百人一首)その歌を母と共に百人一首に収められている、娘小式部内侍は、若くして他界します。娘に先立たれ、この世のはかなさを思った和泉式部は、当時、女人には出来ぬとされていた、往生のすべを求め、誓願寺のご本尊のお告げにより、六字名号を念仏し女人の往生を成し遂げます。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (蛇足)
散文
恋は狂気である。-プラトン『饗宴』 恋とは、明敏で、生き生きとして、陽気な興奮状態である。--ミシェル・ド・モンテーニュ 恋はどんな薬草でも癒せない。--w:オウィディウス、『変身物語』 "Nullis amor est sanabilis herbis." - Publius Ovidius Naso, Metamorphoses 詩歌 ほととぎす なくや五月の あやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな
-よみ人知らず『古今和歌集』
恋歌一巻頭歌。
夢にだに 見で明かしつる 暁の 恋こそ恋の かぎりなりけれ
--和泉式部『新勅撰和歌集』 都都逸; 一つ消えてはも一つ灯る恋の炎と蛍火と-作者不明 恋にこがれてなく蝉よりもなかぬ螢が身をこがす-鴬亭金升 三千世界の烏を殺しぬしと朝寝がしてみたい-高杉晋作 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ--作者不明 人の恋路を邪魔する奴は窓の月さえ憎らしい--作者不明 諺と格言 恋と戦争は、手段を選ばない。--英語の諺他 All's fair in love and war. 博打で幸運、恋愛で不運。--フランスの諺 恋するものは皆詩人。--出典不明 【出典・引用・転載元】
<三木幸信・中川浩文共著書本>・ <ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・ <千人万首>・ <小倉百人一首 注釈>・ <フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)>等から。 |
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2015年07月24日
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