ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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4047 天平20年3月25日,作者:遊行女婦土師,氷見,土地讃美,遊覧,宴席

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢<牟>

垂姫の 浦を漕ぎつつ 今日の日は 楽しく遊べ 言ひ継ぎにせむ 

たるひめの うらをこぎつつ けふのひは たのしくあそべ いひつぎにせむ

・・・・・・・・・・・・・
垂姫の浦を漕ぎ巡りながら
今日は満ち足りるまで楽しみお過ごし下さい
後々までもの語りぐさにしましょうから
・・・・・・・・・・・・・

* 垂姫の崎は現氷見市大浦。
* 古代は酒を醸すのは女性で、米を噛んで醸したので、ヒタイの脇をコメカミ(米噛み)と、この語が残っている。良家の主婦をトジ(刀自)と言うが、これは酒造の杜氏と同じ語源。
* 万葉の時代、酒席には酒醸のプロの遊行女婦土師(うかれめはにし)が同席したらしく、今のホステスとは少し趣が違うらしい。
* 「遊行女婦」は、官人たちの宴席で歌舞音曲の接待役として周旋し、華やぎを添えた。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん・〔名〕旅に立つ人を送る時の酒宴。餞飲。)での、別離の歌には、多くの秀歌を残している。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなった彼女たち。しかし、相手を選べない売春とは違うものであった。
また、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできない。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもあった。奈良時代になると律令制度で、正式な官人も男性だけとなり、女性の巫女すら重要な役割を任せられなくなり、こうした風潮は、下層の一般庶民にも影響を強めて行った。(千人万首)




4048 天平20年3月25日,作者:大伴家持,序詞,氷見,望郷,奈良,宴席,遊覧

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

多流比女能 宇良乎許具不祢 可治末尓母 奈良野和藝<弊>乎 和須礼C於毛倍也

垂姫の 浦を漕ぐ舟 梶間にも 奈良の吾家を 忘れて思へや 

たるひめの うらをこぐふね かぢまにも ならのわぎへを わすれておもへや

・・・・・・・・・・・・・
垂姫の浦を漕ぎ巡る遊覧の船にいるのに
楫の一瞬の間にあってさえ
心は奈良のわが家を忘れてはいない
・・・・・・・・・・・・・




4049 天平20年3月25日,作者:田辺福麻呂,土地讃美,氷見,富山,遊覧,宴席

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

於呂可尓曽 和礼波於母比之 乎不乃宇良能 安利蘇野米具利 見礼度安可須介利

おろかにぞ 吾れは思ひし 乎布の浦の 荒礒の廻り 見れど飽かずけり 

おろかにぞ われはおもひし をふのうらの ありそのめぐり みれどあかずけり

・・・・・・・・・・・・・
行くまでは疎かに思っていましたが
乎布の浦の荒磯を巡り
あたりの景観を目の当たりにして
いくら見ても見飽きない所と実感いたしました
・・・・・・・・・・・・・




4050 天平20年3月25日,作者:久米広縄,宴席,遊覧,氷見

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

米豆良之伎 吉美我伎麻佐婆 奈家等伊比之 夜麻保<登等>藝須 奈尓加伎奈可奴

めづらしき 君が来まさば 鳴けと言ひし 山霍公鳥 何か来鳴かぬ 

めづらしき きみがきまさば なけといひし やまほととぎす なにかきなかぬ

・・・・・・・・・・・・・
珍しいお方が来られたらきっと鳴くのだぞと
そう言いつけておいたのに
山霍公鳥め なぜか来て鳴かない
・・・・・・・・・・・・・

* 季は儀鳳暦3月25日(現行暦4月末)。ほととぎすが渡って来るには時期はずれ。





4051 天平20年3月25日,作者:大伴家持,氷見,宴席,遊覧

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

多胡乃佐伎 許能久礼之氣尓 保登等藝須 伎奈伎等余米<婆> 波太古非米夜母

多古の崎 木の暗茂に 霍公鳥 来鳴き響めば はだ恋ひめやも 

たこのさき このくれしげに ほととぎす きなきとよめば はだこひめやも

・・・・・・・・・・・・・
多胡の崎の暗い木立の繁みから
霍公鳥よ
鳴き声を響かせてくれたら
恋しさが何倍にも実感できるのになあ
・・・・・・・・・・・・・




4052 天平20年3月26日,作者:田辺福麻呂,宴席,久米広縄,季節,高岡

[題詞]掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首

保登等藝須 伊麻奈可受之弖 安須古要牟 夜麻尓奈久等母 之流思安良米夜母

霍公鳥 今鳴かずして 明日越えむ 山に鳴くとも 験あらめやも 

ほととぎす いまなかずして あすこえむ やまになくとも しるしあらめやも

・・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ
今この時に鳴かないで
明日私が越えて行く山で鳴いても
何の功徳にもならないものを
・・・・・・・・・・・・・




4053 天平20年3月26日,作者:久米広縄,田辺福麻呂,宴席,高岡

[題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首)

許能久礼尓 奈里奴流母能乎 保等登藝須 奈尓加伎奈可奴 伎美尓安敝流等吉

木の暗に なりぬるものを 霍公鳥 何か来鳴かぬ 君に逢へる時 

このくれに なりぬるものを ほととぎす なにかきなかぬ きみにあへるとき

・・・・・・・・・・・・・
木の下かげが暗くなってきたというのに
霍公鳥はどうして鳴きに来ないのか
貴方とお会いしている今この時に
・・・・・・・・・・・・・




4054 天平20年3月26日,作者:大伴家持,久米広縄,田辺福麻呂,宴席,高岡

[題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首)

保等登藝須 許欲奈枳和多礼 登毛之備乎 都久欲尓奈蘇倍 曽能可氣母見牟

霍公鳥 こよ鳴き渡れ 燈火を 月夜になそへ その影も見む 

ほととぎす こよなきわたれ ともしびを つくよになそへ そのかげもみむ

・・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ
ここを通って鳴き渡ってくれ
月光はなくても
灯し火を月に擬えて
その姿を見ようから
・・・・・・・・・・・・・




4055 天平20年3月25日,作者:大伴家持,福井,敦賀,別離,出発,宴席,久米広縄,田辺福麻呂,高岡

[題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首)

可敝流<未>能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐<可>尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛<波>婆

可敝流廻の 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ 吾れをし思はば 

かへるみの みちゆかむひは いつはたの さかにそでふれ われをしおもはば

・・・・・・・・・・・・・
都に帰るという名の可敝流の道を
あなたが辿って行かれる時には
いつの日かまたという名の
五幡の坂で袖を振って下さい
もし私どものことを思い出して下さったなら
・・・・・・・・・・・・・




4056 作者:橘諸兄,難波,宴席,歓迎,元正天皇,伝誦,行幸

[題詞]太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也] / 左大臣橘宿祢歌一首

保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆

堀江には 玉敷かましを 大君を 御船漕がむと かねて知りせば 

ほりえには たましかましを おほきみを みふねこがむと かねてしりせば

・・・・・・・・・・・・・
堀江に玉石を敷いておきましたのに
吾が大君が
船遊びをなされると
前以て存じ上げておりましたなら
・・・・・・・・・・・・・

* 「堀江」は難波堀江。
* 「堀江」は、人工的に掘り作った水路。
* 「玉」は「たま石」。
* 「〜せば…まし」で「〜だったなら…なのに」。ここは、倒置法で「まし」が先に、「せば」が後になっている。
* 「を」は詠嘆の間投助詞。
* 「む」は、意志の助動詞。




4057 作者:元正天皇,橘諸兄,宴席,難波,伝誦,異伝,推敲

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 御製歌一首[和]

多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖々 都藝弖可欲波牟

玉敷かず 君が悔いて言ふ 堀江には 玉敷き満てて 継ぎて通はむ 
[或云 多麻古伎之伎弖] ー [或云 玉扱き敷きて]ー[たまこきしきて]

たましかず きみがくいていふ ほりえには たましきみてて つぎてかよはむ

・・・・・・・・・・・・・
玉石を敷いておかなかったと
悔やんで言う堀江には
私が玉を敷き詰めて
これからずっと通い続けましょう
・・・・・・・・・・・・・






4058 作者:元正天皇,橘諸兄,宴席,肆宴,寿歌,難波,伝誦,行幸

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 御製歌一首

多知婆奈能 登乎能多知<婆>奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎

橘の とをの橘 八つ代にも 吾れは忘れじ この橘を 

たちばなの とをのたちばな やつよにも あれはわすれじ このたちばなを

・・・・・・・・・・・・・
めでたい橘の中でも
枝もたわわに実ったこの橘
いつの代までも私は忘れはすまい
この橘を
・・・・・・・・・・・・・

* 「八」は、無限の数量を表わす。
* 橘諸兄を讃えた歌。720年藤原不比等死去。



4059 作者:河内女王,大君讃美,橘諸兄,難波,伝誦,肆宴,宴席,元正天皇,行幸

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 河内女王歌一首

多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母

橘の 下照る庭に 殿建てて 酒みづきいます 吾が大君かも 

たちばなの したでるにはに とのたてて さかみづきいます わがおほきみかも

・・・・・・・・・・・・・
橘が木陰に照りはえているこの庭に
御殿を建ててお酒を酌み交わしていらっしゃる 
ご機嫌うるわしい わが大君ですこと
・・・・・・・・・・・・・




4060 作者:粟田女王,元正天皇,橘諸兄,難波,伝誦,肆宴,宴席,行幸

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 粟田女王歌一首

都奇麻知弖 伊敝尓波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣尓見要都追

月待ちて 家には行かむ 吾が插せる 赤ら橘 影に見えつつ 

つきまちて いへにはゆかむ わがさせる あからたちばな かげにみえつつ

・・・・・・・・・・・・・
月がでてから家には帰りましょう
私の髪に挿した赤々と色づいた橘を
月の光に照らし出しながら
・・・・・・・・・・・・・




4061 元正天皇,田辺福麻呂,伝誦,行幸,肆宴,難波,宴席

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) /

保里江欲里 水乎妣吉之都追 美布祢左須 之津乎能登母波 加波能瀬麻宇勢

堀江より 水脈引きしつつ 御船さす しづ男の伴は 川の瀬申せ 

ほりえより みをびきしつつ みふねさす しつをのともは かはのせまうせ

・・・・・・・・・・・・・
堀江を川岸から綱で御船を曳き
操る卑賤の従者どもは
舟の通り道を
浅瀬に気を配りお仕えせよ
・・・・・・・・・・・・・

* 「水脈(みを)」は水の流れる筋。




4062 元正天皇,田辺福麻呂,伝誦,行幸,肆宴,宴席

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) /

奈都乃欲波 美知多豆多都之 布祢尓能里 可波乃瀬其等尓 佐乎左指能保礼

夏の夜は 道たづたづし 船に乗り 川の瀬ごとに 棹さし上れ 

なつのよは みちたづたづし ふねにのり かはのせごとに さをさしのぼれ

・・・・・・・・・・・・・
夏の夜は川べりの道は草深くて見えにくい
お前たちも船に乗り
浅瀬ごとに棹をさして
遡って行くがよい
・・・・・・・・・・・・・



4063 作者:大伴家持,追和,元正天皇,橘諸兄,大君讃美,高岡

[題詞]後追和橘歌二首

等許余物能 己能多知婆奈能 伊夜弖里尓 和期大皇波 伊麻毛見流其登

常世物 この橘の いや照りに わご大君は 今も見るごと 

とこよもの このたちばなの いやてりに わごおほきみは いまもみるごと

・・・・・・・・・・・・・
常世の彼方から渡り来たこの橘の
限りなく照り輝くお姿は
吾が大君におわします
・・・・・・・・・・・・・

* 「常世物」の伝説は、垂仁天皇の時田道間守が常世の国から橘を持ち帰ったということから。
* 橘諸兄 敏達天皇の4代の孫・美努王の子、母は橘三千代。
母橘三千代は美努王の死後、藤原不比等と再婚。
天平8年(736年)臣籍に降(くだ)り、母の姓橘をついで諸兄と称した。
738年藤原三兄弟が疱瘡で死に、橘諸兄は政権の中心となった。



4064 作者:大伴家持,追和,元正天皇,橘諸兄,大君讃美,追和,高岡

[題詞](後追和橘歌二首)

大皇波 等吉波尓麻佐牟 多知婆奈能 等能乃多知婆奈 比多底里尓之弖

大君は 常磐にまさむ 橘の 殿の橘 ひた照りにして 

おほきみは ときはにまさむ たちばなの とののたちばな ひたてりにして

・・・・・・・・・・・・・
太上天皇陛下は常磐のように不変におわします
橘家の御殿の橘の木の実も
ひたすらに照り輝き続けています
・・・・・・・・・・・・・

* 元正太上(おおき‐すめらみこと・だいじょう‐てんのう【太上天皇】)天皇はこの年四月二十一日に崩御している。
* 「常磐」は「大きな岩、長い間変わらないこと」。
* 「まさむ」は、「あり」の尊敬語で、サ行四段活用動詞「ます」の未然形「まさ」に、婉曲の助動詞「む」が付いたもの。おわします
* 「ひた照り」は「一面に照り輝くこと」。
* 「にして」は、断定の助動詞「なり」の連用形「に」に、単純接続助詞「して(=て)」。 〜であって。




4065 作者:山上臣(山上憶良・息子),伝誦,望郷,序詞

[題詞]射水郡驛舘之屋柱題著歌一首

安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都<婆>良尓 吾家之於母保由

朝開き 入江漕ぐなる 楫の音の つばらつばらに 吾家し思ほゆ 

あさびらき いりえこぐなる かぢのおとの つばらつばらに わぎへしおもほゆ

・・・・・・・・・・・・・
早朝から船出して
入り江を漕いでいるのだなあ
その櫓の音が聞こえて来るように
しみじみあれこれと
奈良の吾が家が偲ばれることよ
・・・・・・・・・・・・・




4066 天平20年4月1日,作者:大伴家持,久米広縄,宴席,高岡

[題詞]四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首

宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母

卯の花の 咲く月立ちぬ 霍公鳥 来鳴き響めよ 含みたりとも 

うのはなの さくつきたちぬ ほととぎす きなきとよめよ ふふみたりとも

・・・・・・・・・・・・・
卯の花の咲く月になったのだ
霍公鳥よ
来て鳴き声を響かせよ
花はまだ蕾ではあるけれども
・・・・・・・・・・・・・



4067 天平20年4月1日,作者:遊行女婦土師,久米広縄,宴席,高岡

[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)

敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓<伎>可勢牟

二上の 山に隠れる 霍公鳥 今も鳴かぬか 君に聞かせむ 

ふたがみの やまにこもれる ほととぎす いまもなかぬか きみにきかせむ

・・・・・・・・・・・・・
二上山に隠れている霍公鳥よ
さあ今鳴いてほしい
お客人にその声をお聞かせしょう
・・・・・・・・・・・・・



4068 天平20年4月1日,作者:大伴家持,久米広縄,宴席,高岡

[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)

乎里安加之母 許余比波能麻牟 保等登藝須 安氣牟安之多波 奈伎和多良牟曽

居り明かしも 今夜は飲まむ 霍公鳥 明けむ朝は 鳴き渡らむぞ 
[二日應立夏節 故謂之明旦将喧也][二日は立夏の節に応る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ]

をりあかしも こよひはのまむ ほととぎす あけむあしたは なきわたらむぞ

・・・・・・・・・・・・・
今宵はこのまま夜を明かしてまでも飲み続けましょう
あすの朝には霍公鳥も鳴いて渡るでしょうから
・・・・・・・・・・・・・

* 「をりあか・しも」このままの状態で夜を明かして までも
* 「む」は、勧誘。



4069 天平20年4月1日,作者:能登乙美,恋情,宴席,久米広縄,高岡

[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)

安須欲里波 都藝弖伎許要牟 保登等藝須 比登欲能可良尓 古非和多流加母

明日よりは 継ぎて聞こえむ 霍公鳥 一夜のからに 恋ひわたるかも 

あすよりは つぎてきこえむ ほととぎす ひとよのからに こひわたるかも

・・・・・・・・・・・・・
明日からは毎日聞こえるでしょうに
その霍公鳥の声をたった一夜をまえに
今宵はこれほどに恋い続けるとは
・・・・・・・・・・・・・





4070天平20年,作者:大伴家持,清見,宴席,羈旅,出発,餞別,高岡

[題詞]詠庭中牛麦花歌一首

比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟

一本の なでしこ植ゑし その心 誰れに見せむと 思ひ始めけむ 

ひともとの なでしこうゑし そのこころ たれにみせむと おもひそめけむ

・・・・・・・・・・・・
一本のなでしこを植えたのは
誰に見せようと思って植えたのだろうか
・・・・・・・・・・・・

* 天平20年、清見という名の国分寺僧が京に向かう時に、大伴家持が別れを惜しんで詠んだ歌という。




4071天平20年,作者:大伴家持,枕詞,宴席,高岡

[題詞]

之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米

しなざかる 越の君らと かくしこそ 柳かづらき 楽しく遊ばめ 

[しなざかる] こしのきみらと かくしこそ やなぎかづらき たのしくあそばめ

・・・・・・・・・・・・
越の国の皆さん方と
こうして 柳の葉を縵に挿して
心行くまで楽しみましょう
・・・・・・・・・・・・




4072天平20年,作者:大伴家持,叙景,高岡,枕詞,望郷

[題詞]

奴<婆>多麻能 欲和多流都奇乎 伊久欲布等 余美都追伊毛波 和礼麻都良牟曽

ぬばたまの 夜渡る月を 幾夜経と 数みつつ妹は 吾れ待つらむぞ 

[ぬばたまの] よわたるつきを いくよふと よみつついもは われまつらむぞ

・・・・・・・・・・・・
夜空を渡って行く月を眺めながら
幾夜経たかと指折り数えて
妻は私を待っていることだろう
・・・・・・・・・・・・



4073 天平20年3月15日,作者:大伴池主,高岡,大伴家持,贈答,書簡,福井,恋情

[題詞]越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主 / 一 古人云

都奇見礼婆 於奈自久尓奈里 夜麻許曽婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家礼

月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを 隔てたりけれ 

つきみれば おなじくになり やまこそば きみがあたりを へだてたりけれ

・・・・・・・・・・・・
こうして月を月を見ていると
この國中は一つの月が照らす同じ国です
貴方と私を隔てるものは
ただ山だけにすぎませんね
・・・・・・・・・・・・



4074 天平20年3月15日,作者:大伴池主,大伴家持,高岡,贈答,書簡,福井,恋情

[題詞](越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主) / 一 属物發思

櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者

桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 吾れは寂しも 君としあらねば 

さくらばな いまぞさかりと ひとはいへど われはさぶしも きみとしあらねば

・・・・・・・・・・・・
桜は今が盛りと人は言うけれど
私はあなたと一緒ではないから寂しい
親愛なる家持様はいつお帰りでしょうか
・・・・・・・・・・・・




4075 天平20年3月15日,作者:大伴池主,大伴家持,高岡,贈答,書簡,福井,恋,怨

[題詞](越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主) / 一 所心歌

安必意毛波受 安流良牟伎美乎 安夜思苦毛 奈氣伎和多流香 比登能等布麻泥

相思はず あるらむ君を あやしくも 嘆きわたるか 人の問ふまで 

あひおもはず あるらむきみを あやしくも なげきわたるか ひとのとふまで

・・・・・・・・・・・・
私のことなど少しも想ってくださらない
その家持様恋しさに
人が訝り問うほどに
嘆きつづけています
・・・・・・・・・・・・



4076 天平20年3月16日,作者:大伴家持,高岡,贈答,書簡,大伴池主,枕詞,恋

[題詞]越中國守大伴家持報贈歌四首 / 一 答古人云

安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都

あしひきの 山はなくもが 月見れば 同じき里を 心隔てつ 

[あしひきの] やまはなくもが つきみれば おなじきさとを こころへだてつ

・・・・・・・・・・・・
山が無ければよい
月を見れば同じ里だというのに
貴方は山のせいにして
私に心を隔てておられるのです
・・・・・・・・・・・・



4077 天平20年3月16日,作者:大伴家持,高岡,贈答,書簡,大伴池主,恋

[題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 答属目發思兼詠云遷<任>舊宅西北隅櫻樹

和我勢故我 布流伎可吉都能 佐<久>良婆奈 伊麻太敷布賣利 比等目見尓許祢

我が背子が 古き垣内の 桜花 いまだ含めり 一目見に来ね 

わがせこが ふるきかきつの さくらばな いまだふふめり ひとめみにこね

・・・・・・・・・・・・
親愛なる池主君が
昔住んでいらっしゃった
お屋敷の庭の桜花は
まだ蕾のままですよ
どうか一目見においで下さい
・・・・・・・・・・・・




4078 天平20年3月16日,作者:大伴家持,大伴池主,高岡,贈答,書簡,恋

[題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 答所心即以古人之跡代今日之意(古人の残した歌を以て、現在の自分の心境を代弁させる、という意。)

故敷等伊布波 衣毛名豆氣多理 伊布須敝能 多豆伎母奈吉波 安<我>未奈里家利

恋ふといふは えも名付けたり 言ふすべの たづきもなきは 吾が身なりけり 

こふといふは えもなづけたり いふすべの たづきもなきは あがみなりけり

・・・・・・・・・・・・
「恋ふ」とはよくも名付けたものです
思いをどう言い表わせばよいのか
その手立ても無くて
訳も分からす苦しい吾が身です
ただおそばで お話が出来ればいいのに
・・・・・・・・・・・・




4079 天平20年3月16日,作者:大伴家持,贈答,叙景,大伴池主,書簡

[題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 更矚目

美之麻野尓 可須美多奈妣伎 之可須我尓 伎乃敷毛家布毛 由伎波敷里都追

三島野に 霞たなびき しかすがに 昨日も今日も 雪は降りつつ 

みしまのに かすみたなびき しかすがに きのふもけふも ゆきはふりつつ

・・・・・・・・・・・・
南に望む三島野は
霞たなびく春だというに
昨日も今日も
雪が降り続いている
・・・・・・・・・・・・

* 「しかすがに」は、然すがに  副詞「しか」+サ変動詞「す」+接続助詞「がに」からという。  そうはいうものの。そうではあるが。


4080天平20年,作者:坂上郎女,大伴家持,高岡

都祢比等能 故布登伊敷欲利波 安麻里尓弖 和礼波之奴倍久 奈里尓多良受也

常人の 恋ふといふよりは あまりにて 吾れは死ぬべく なりにたらずや 

つねひとの こふといふよりは あまりにて われはしぬべく なりにたらずや

世の普通の人が「恋うる」というのは
ただのあまりもの
私には頂けない
死にそうになるこの思いを
君は知らないでいる
満ち足りないこの恋を

* 「あまり」動詞「あまる」の連用形の名詞化。必要な分を満たした残り。残余。余分。超過分。

* 「人を恋うる歌」<上記の歌とは関係ないが思い出した>
妻をめとらば 才たけて
みめ美わしく 情けある
友を選ばば 書を読みて
六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱

恋の命を たずぬれば
名を惜しむかな 男(おのこ)ゆえ
友の情けを たずぬれば
義のあるところ 火をも踏む

汲めや美酒(うまざけ) 歌姫に
乙女の知らぬ 意気地あり
簿記の筆とる 若者に
まことの男 君を見る


4081 坂上郎女,大伴家持,高岡

[題詞](姑大伴氏坂上郎女来贈越中守大伴宿祢家持歌二首)

可多於毛比遠 宇万尓布都麻尓 於保世母天 故事部尓夜良波 比登加多波牟可母

片思ひを 馬にふつまに 負ほせ持て 越辺に遣らば 人かたはむかも 

かたおもひを うまにふつまに おほせもて こしへにやらば ひとかたはむかも

私の片思いを馬にことごとく背負わせて
そちら越の方へ遣ったならば
どなたか半分でも受取って下さるでしょうか

* 「かたはむ」は上代語で、「欺く」「だます」の動詞「かたふ」+推量の助動詞「む」で(語義不詳)。片棒を担ぐ、一方に心を寄せる、などの解釈もある。「片」を片一方・半分。「はむ」を「食む」と見れば、「半分担う」とも。
* 「ふつまに」〔副〕「ふつに」と同語源の語で、「ま」は接尾語。すっかり。ことごとく。




4082 坂上郎女,大伴家持,高岡

安万射可流 比奈能<夜都>故尓 安米比度之 可久古非須良波 伊家流思留事安里

天離る 鄙の奴に 天人し かく恋すらば 生ける験あり 

あまざかる ひなのやつこに あめひとし かくこひすらば いけるしるしあり

空の彼方の遠く隔たった鄙にいる
卑しい私めに
天上のお人がこれ程まで恋してくださる
私は生きた甲斐のしるしと思い知りました




4083 坂上郎女,大伴家持,高岡

都祢<乃>孤悲 伊麻太夜麻奴尓 美夜古欲<里> 宇麻尓古非許婆 尓奈比安倍牟可母

常の恋 いまだやまぬに 都より 馬に恋来ば 担ひあへむかも 

つねのこひ いまだやまぬに みやこより うまにこひこば になひあへむかも
常々恋しい気持ちでいて
時が経っても収まらないでいるのですよ
恋を馬に山ほど載せられてやって来たら
私に背負いきれるでしょうか




4084 坂上郎女,大伴家持,高岡

安可登吉尓 名能里奈久奈流 保登等藝須 伊夜米豆良之久 於毛保由流香母

暁に 名告り鳴くなる 霍公鳥 いやめづらしく 思ほゆるかも 

あかときに なのりなくなる ほととぎす いやめづらしく おもほゆるかも

暁の空に名を告げて鳴く霍公鳥よ
つねにも増して嬉しく思われることです

* 坂上郎女を霍公鳥に擬え、予期しなかった便りに対する喜びと感謝の念を伝える歌。




4085天平感宝1年5月5日,作者:大伴家持,餞別,高岡,砺波

[題詞]

夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎<等登>米牟

焼太刀を 砺波の関に 明日よりは 守部遣り添へ 君を留めむ 

[やきたちを] となみのせきに あすよりは もりへやりそへ きみをとどめむ

いざ 召し上がれ飲みたまえ
さもなくば
鍛冶した大刀を磨ぐという名の砺波の関に
明日からは番人を増やして
貴方をお引き留めいたしますぞ

* 当時の酒席では、客が前後不覚に倒れ伏すまで飲ますのが作法と伝えられている。




4086 作者:大伴家持

安夫良火<乃> 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母

油火の 光りに見ゆる 吾がかづら さ百合の花の 笑まはしきかも 

あぶらひの ひかりにみゆる わがかづら さゆりのはなの ゑまはしきかも

あぶら火の光りに見える
あなたにもらった花縵(はなかづら)
この縵に編んだ百合の花を見れば
何ともほほえましいことでしょう



4087 作者:大伴家持

等毛之火能 比可里尓見由流 <左>由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎

灯火の 光りに見ゆる さ百合花 ゆりも逢はむと 思ひそめてき 

[ともしびの ひかりにみゆる さゆりばな] ゆりもあはむと おもひそめてき

灯火の光と見れば百合の花
その花の名のように
いつの日かきっとお逢いしたい
そお思い初めてしまった
幾重にも
・・・・・・
そおだ
根っこの百合根を芯まで剥いで
ちょっと茹でて
甘酢に漬けて食べちゃおうかな
それじゃあすぐ無くなるから
畑に植えようか
どこの?って
私のハートの畑にさ
千何百年後でも
見違えるほど綺麗になって咲いてるよ
見えないかなあ
ゆりゆりの
私の百合の妹(いも)よ 

* 「さ」は接頭語。
* 「ゆり」は、「戻って・来て(また逢う)」。「後で」という意。
「百合の花」に掛けている。「百合」は、球根の鱗片が何重にも重っているので「百合」の字があてられたともいう。
* 恋歌の「ゆりも逢はむ」は、「今は逢えなくても将来きっと逢おう」の意。
* 「と」は引用の助詞。
* 「そめ」初め、(接尾マ下二)・・しはじめる。はじめて・・する。
* 「て・き」は、完了の助動詞「つ」の連用形に、過去の助動詞「き」のついたもの。完了の意を強めていう語。・・てしまった。想い初めてしまったことだ。



4088 作者:大伴家持

左由理<婆>奈 由<里>毛安波牟等 於毛倍許曽 伊<末>能麻左可母 宇流波之美須礼

さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ 

さゆりばな ゆりもあはむと おもへこそ いまのまさかも うるはしみすれ

百合の花の名のように
後々もお逢いしようと思うからこそ
今この時も心から親しくするのですよ

* 「今のまさか」、「まさか」は現実・現在の意。さしあたった現在。今この時。ただ今。
* 「うるはし」(形シク)麗し、美し、愛し。「うるはし」は、本来「ととのった美しさ」「気高いまでに立派な美しさ」をいい、人間関係になるときちんとしていて、その間柄が「親密な」の意となり、「おごそか」で「端正」な美を表す語である。「うつくし」の「かわいい」「きれいだ」と趣きが異なる。
* 「み」は、(接尾語)形容詞の語幹に付き、あとの「思ふ」「す」の内容を表す連用修飾語を作る。ものごとに夢中になる。 
* 「すれ」、 何かの実行・実現を望んでいる意を表す。




4089天平感宝1年5月10日,作者:大伴家持,枕詞,高岡

[題詞]獨居幄裏遥聞霍公鳥喧作歌一首[并短歌]

高御座ー高御倉ーたかみくらー大極殿に設けられる天皇の玉座
安麻<乃>日継登ー天の日継とーあまのひつぎとー神代より継承されてきた皇位を象徴
須賣呂伎能ーすめろきのー
可<未>能美許登能ー神の命のーかみのみことのー神たる天皇の 伎己之乎須ー聞こしをすーきこしをすーお治めになる国
久尓能麻保良尓ー国のまほらにーくにのまほらにー国のすばらしい場所に
山乎之毛ー山をしもーやまをしもー山が至るところ
佐波尓於保美等ーさはに多みとーさはにおほみとー多いというので
百鳥能ー百鳥のーももとりのーさまざまな鳥が 
来居弖奈久許恵ー来居て鳴く声ーきゐてなくこゑー来ては鳴く声が響く
春佐礼婆ー春さればーはるさればー春ともなれば
伎吉<乃>ー聞きのーききのーその声
可奈之母ーかなしもーがいっそう胸に沁みる
伊豆礼乎可ーいづれをかーとりわけていづれかと
和枳弖之努波<无>ー別きて偲はむーわきてしのはむーどの鳥を賞美しようか
宇能花乃ー卯の花のーうのはなのー卯の花の
佐久月多弖婆ー咲く月立てばーさくつきたてばー咲く四月になると
米都良之久ーめづらしくー喜ばしくも
鳴保等登藝須ー鳴く霍公鳥ーなくほととぎすー鳴くほととぎす
安夜女具佐ーあやめぐさー菖蒲を
珠奴久麻泥尓ー玉貫くまでにーたまぬくまでにー薬玉に通す五月に至るまで
比流久良之ー昼暮らしーひるくらしー日暮らし
欲和多之伎氣騰ー夜わたし聞けどーよわたしきけどー夜通し聞いても
伎久其等尓ー聞くごとにーきくごとにー聞く度に
許己呂都呉枳弖ー心つごきてーこころつごきてー心が突き動かされて
宇知奈氣伎ーうち嘆きーうちなげきー溜息をついて
安波礼能登里等ーあはれの鳥とーあはれのとりとーしみじみとした情趣や哀愁の鳥であるよと
伊波奴登枳奈思ー言はぬ時なしーいはぬときなしー賛嘆されないことはない




4090 作者:大伴家持

由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟

ゆくへなく ありわたるとも 霍公鳥 鳴きし渡らば かくや偲はむ 

ゆくへなく ありわたるとも ほととぎす なきしわたらば かくやしのはむ

行先も知れずに毎日を暮らしていても
霍公鳥が鳴きながら飛んでいくのを見ると
このように賞美することであるよ




4091 作者:大伴家持

宇能花能 <登聞>尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍

卯の花の ともにし鳴けば 霍公鳥 いやめづらしも 名告り鳴くなへ 

うのはなの ともにしなけば ほととぎす いやめづらしも なのりなくなへ

咲いた卯の花と一緒に鳴くものだから
野山が合唱しているようで
霍公鳥の声にはますます心惹かれるのだ
名告りをあげて鳴く
その声のあたりの素晴らしさよ




4092 作者:大伴家持

保<登等>藝須 伊登祢多家口波 橘<乃> <播>奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流

霍公鳥 いとねたけくは 橘の 花散る時に 来鳴き響むる 

ほととぎす いとねたけくは たちばなの はなぢるときに きなきとよむる

ほととぎすを恨みに思うことは
橘の花が散る時期にやって来て
鳴き声を響かせる
そのことなのだ

* 「ねた」は、形容詞「ねた(妬)し」の語幹から。ねたましいこと。また、恨みに思うこと。根にもつこと。

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