ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

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3886雑歌,作者:乞食者,寿歌,歌謡,枕詞

[題詞](乞食者<詠>二首)

[左注]右歌一首為蟹述痛作之也


・・・・・・・・・・・・・
忍照八ー[おしてるや]ー照り輝く
難波乃小江尓ー難波の小江にーなにはのをえにー難波の入り江に
廬作ー廬作りーいほつくりー小屋を作って
難麻理弖居ー隠りて居るーなまりてをるー隠れている
葦河尓乎ー葦蟹をーあしがにをー葦蟹を
王召跡ー大君召すとーおほきみめすとー大君が召されるという
何為牟尓ー何せむにーなにせむにーどうして
吾乎召良米夜ー吾を召すらめやーわをめすらめやー私が召されるのか
明久ー明けくーあきらけくーはっきりと
<吾>知事乎ー吾が知ることをーわがしることをー自分の出来ることで
歌人跡ー歌人とーうたひととー詩を歌う人として
和乎召良米夜ー吾を召すらめやーわをめすらめやー召されるのでしょうか
笛吹跡ー笛吹きとーふえふきとー笛を吹く人として
和乎召良米夜ー吾を召すらめやーわをめすらめやー召されるのでしょうか
琴引跡ー琴弾きとーことひきとー琴を弾く人として
和乎召良米夜ー吾を召すらめやーわをめすらめやー召されるのでしょうか
彼<此>毛ーかもかくもーとにもかくにも
<命>受牟跡ー命受けむとーみことうけむとー御命令をお受けしようと
今日々々跡ー今日今日とーけふけふとー今日の今日と
飛鳥尓到ー飛鳥に至りーあすかにいたりー急遽飛鳥に至り
雖<置>ー置くともーおくともー立っているのに置くなと云う
<々>勿尓到雖不策ー置勿に至りーおくなにいたりー置勿に至り
彼<此>毛ーつかねどもーつかないけれども
「ども」[接助]《接続助詞「ど」+係助詞「も」から》活用語の已然形に付く。1 逆接の確定条件を表す。…けれども。…だが。
都久怒尓到ー都久野に至りーつくのにいたりー都久野に至り
東ー東のーひむがしのー東の
中門由ー中の御門ゆーなかのみかどゆー中の御門から
参納来弖ー参入り来てーまゐりきてー参り入って来て
命受例婆ー命受くればーみことうくればー御命令を受け取ると
馬尓己曽ー馬にこそーうまにこそー馬にこそ
布毛太志可久物ーふもだしかくものー絆は掛けるもの
牛尓己曽ー牛にこそーうしにこそー牛にこそ
鼻縄波久例ー鼻縄はくれーはなづなはくれー鼻縄はつけるものだのに
足引乃ー[あしひきの]ー
此片山乃ーこの片山のーこのかたやまのーこの片山の
毛武尓礼乎ーもむ楡をーもむにれをーもむ楡を
五百枝波伎垂ー五百枝剥き垂りーいほえはきたりー皮を五百枝に剥いで糸にして垂らし
天光夜ー天照るやあまてるや]ー
日乃異尓干ー日の異に干しーひのけにほしー照る日に毎日干して
佐比豆留夜ー[さひづるや]ー
辛碓尓舂ー韓臼に搗きーからうすにつきー唐臼で搗き
庭立ー庭に立つーにはにたつー庭に据えた
<手>碓子尓舂ー手臼に搗きーてうすにつきー手臼で搗き
忍光八ー[おしてるや]ー
難波乃小江乃ー難波の小江のーなにはのをえのー難波の入り江の
始垂乎ー初垂りをーはつたりをー塩付けの最初の雫くが垂れて
辛久垂来弖ーからく垂り来てーからくたりきてー辛い汁が垂れてきて
陶人乃ー陶人のーすゑひとのー陶器人が
所作龜乎ー作れる瓶をーつくれるかめをー作る瓶を
今日徃ー今日行きてーけふゆきてー今日行って
明日取持来ー明日取り持ち来ーあすとりもちきー明日には持って来れば
吾目良尓ー吾が目らにーわがめらにー私の目に
塩○給ー塩塗りたまひーしほぬりたまひー塩をお塗りになられた
<○>賞毛ーきたひはやすもーそのときは ほめそやそう
<○賞毛>ーきたひはやすもー褒めてくださいよ
・・・・・・・・・・・・・

* <転載[竹取翁と万葉集のお勉強]より。>
「乞食」は「ほかい」と訓みます。この「ほかい」は「祝言」とも表記する場合がありますから、物事を口上や演技で寿ぎ、それで対価を得るような意味合いとなり、ある種の遊行芸人の意味合いを持ちます。そこで、この「乞食者の詠む歌」の二首は、遊行芸人による門付けの寿ぎの歌と解釈されています。
 ところが、奈良時代の「乞食」の本来の読みである「こつじき」と訓みますと、この「乞食者の詠む歌」は、仏法の十二部経の内の本生(ほんじょう)経や行基菩薩に関係するようなものになり、非常に仏教色の強い歌として歌の性格を変えます。つまり、法隆寺の玉虫厨子で見られるような奈良時代の人々には馴染みある薩埵王子や雪山王子の因縁物語を民衆に対して、身近なもので判りやすい形に置きなおしたと考えることも可能です。「乞食者の詠む歌」の世界は、根本仏法の精神である他生を救うために自らの生を与えたり、国王でありながら衆生救済の真理を得るためなら奴隷になると云う姿に重なって来ます。



3887 雑歌,宴席,恐怖,誦詠,異界

[題詞]怕物歌三首(恐怖の歌三首)

天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々<婆>可尓 鶉乎立毛

天にあるや ささらの小野に 茅草刈り 草刈りばかに 鶉を立つも 

あめにあるや ささらのをのに ちがやかり かやかりばかに うづらをたつも

・・・・・・・・・・・・・
天上界の神楽良の小野で茅草を刈る
草を刈っていたら鶉が突然飛び立つなんて
・・・・・・・・・・・・・



16 3888 雑歌,宴席,恐怖,異界,誦詠

[題詞](怕物歌三首)

奥國 領君之 <と>屋形 黄<と>乃屋形 神之門<渡>

沖つ国 うしはく君の 塗り屋形 丹塗りの屋形 神の門渡る 

おきつくに うしはくきみの ぬりやかた にぬりのやかた かみのとわたる

・・・・・・・・・・・・・
はるか沖の国を領有する君の塗屋形の船
黄に塗った屋形船が神の海峡を渡って逝く
・・・・・・・・・・・・・
* 「奥つ国」は奥津城(おはか)を、塗・黄塗の船は、異界を。
 「神の海峡を」は三途の川か。染屋形とは、棺に布を掛けた状態を示す
* 「うし‐は・く」【領く】[動カ四]《「主(うし)」として領有する意から》領地として治める。支配する。


[題詞](怕物歌三首)

人魂乃 佐青有<公>之 但獨 相有之雨夜<乃> 葉非左思所念

人魂の さ青なる君が ただひとり 逢へりし雨夜の 葉非左し思ほゆ 

[ひとたまの] さをなるきみが ただひとり あへりしあまよの *******

・・・・・・・・・・・・・
雨夜の中でまっ青な顔の
四天王寺の青面金剛童子そっくりの
独りっきりの君に出逢って
震えあがって夢中で逃げまどってしまったよ
・・・・・・・・・・・・・

* 「さ」は、接頭語で、名詞・動詞・形容詞の上について、語調を整え、語彙を強める。
「さ」には多くの使用法がある。
名詞について若々しい、小さい、ささやかな、
「さ・おとめ」「さ・なえ」「さ・みだれ」「さ・わらび」
形容詞を名詞に変える。愛しさ、楽しさ、など
代名詞「さあらば→さらば=そうであるなら、それならば」「さ・が・髪をとりて(竹取・子安貝)」おまえの、そう、それ、など
また 
特別な、聖なる、敬うべきというような意味合いが含まれる美称である。


* 「人魂乃 佐青有君」は、四天王寺庚申堂の青面金剛童子。
* 【左思所念】あれこれと思いめぐらす。
* 「葉非左思所念」は、「はひさししねむ」・「はひさしおもほゆ」か。
* 「は」は、移動する方角を示す、上代東国方言。・・へ。
  あれこれと思いめぐらせず。思い乱れて動き回る。  
・・・・・・・
* 以下<国語篇(その七)>より転載。
『「はひさししねむ」は、「ハ・ヒタ・チ・チネイネイ・ムフ」
HA-HITA-TI-TINEINEI-MUHU
(ha=what!,breathe;hita=move convulsively or spasmodically;ti=throw,cast;tineinei=unsettled,ready to move,confused;muhu=grope,feel after,push one's way through bushes etc.)
「何と・ぶるぶると震えが・来て・混乱して・手探りで歩き回った(ことよ)」
(「チネイネイ」の反復語尾が脱落して「チネイ」から「シネ」と、「ムフ」のH音が脱落して「ム」となった)
の転訛と解します。』
・・・・・・・

* 「さ‐し」【左思】Yahoo百科事典より。
(250?―305?) 中国、西晋(せいしん)の文人。字(あざな)は太冲(たいちゅう)。斉(せい)国臨(りんし)(山東省臨県)の出身。家柄低く容貌(ようぼう)醜かったため文学に精力を傾ける。妹芬(ふん)が武帝の貴嬪(きひん)となったため都の洛陽(らくよう)に移る。ここで10年の歳月を費やして「三都(さんと)の賦(ふ)」をつくる。時の名士たちがその序や注釈をつくって賞揚したため、上流社会は競って伝写した。そのために洛陽の紙価が高騰したという。この賦は漢の班固(はんこ)の「両都の賦」、張衡(ちょうこう)の「西京の賦」「東京の賦」「南都の賦」と同じく、主客の問答に託して蜀(しょく)、呉(ご)、魏(ぎ)の都の壮観を誇示したもの。
(この歌への関わりは置く。)




3901 天平12年12月9日作者:大伴書持,追和,梅花宴

[題詞]追和<大>宰之時梅花新歌六首

[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)


民布由都藝 芳流波吉多礼登 烏梅能芳奈 君尓之安良祢婆 遠<久>人毛奈之

み冬継ぎ 春は来たれど 梅の花 君にしあらねば 招く人もなし 

みふゆつぎ はるはきたれど うめのはな きみにしあらねば をくひともなし

・・・・・・・・・・・
寒い冬に継いで春は来たが
待ち焦がれたこの梅の花を
あなた様以外には
お招きしてお見せする人はおりません
・・・・・・・・・・・





3902 天平12年12月9日作者:大伴書持,追和,梅花宴

[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)

烏梅乃花 美夜万等之美尓 安里登母也 如此乃未君波 見礼登安可尓勢牟

梅の花 み山としみに ありともや かくのみ君は 見れど飽かにせむ 

うめのはな みやまとしみに ありともや かくのみきみは みれどあかにせむ

・・・・・・・・・・・
この梅の花こそ
山一面にすきまなく咲いたとしても
あなたはやはり
見飽きることはないでしょう
・・・・・・・・・・・

* 「しみ‐に」〔副〕繁く。すきまなく。しみみに。




3903 天平12年12月9日,作者:大伴書持,追和,梅花宴

[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)

[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)


春雨尓 毛延之楊奈疑可 烏梅乃花 登母尓於久礼奴 常乃物能香聞

春雨に 萌えし柳か 梅の花 ともに後れぬ 常の物かも 

はるさめに もえしやなぎか うめのはな ともにおくれぬ つねのものかも

・・・・・・・・・・・
春雨に萌え出る柳か
梅の花と共に後れじと
誘い誘われるように芽吹く
いつもながらの有様であることよ
・・・・・・・・・・・





3904 天平12年12月9日,作者:大伴書持,追和,梅花宴

[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)

[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)


宇梅能花 伊都波乎良自等 伊登波祢登 佐吉乃盛波 乎思吉物奈利

梅の花 いつは折らじと いとはねど 咲きの盛りは 惜しきものなり 

うめのはな いつはをらじと いとはねど さきのさかりは をしきものなり

・・・・・・・・・・・
梅の花は折る時をこだわって
選り好みするわけではないが
咲きにおうまっ盛りの時には
とりわけ折ってしまうのが惜しいものだ
・・・・・・・・・・・





3905 天平12年12月9日,作者:大伴書持,追和,梅花宴

[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)

[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)


遊内乃 多努之吉庭尓 梅柳 乎理加謝思底<婆> 意毛比奈美可毛

遊ぶ内の 楽しき庭に 梅柳 折りかざしてば 思ひなみかも 

あそぶうちの たのしきにはに うめやなぎ をりかざしてば おもひなみかも

・・・・・・・・・・・
梅や柳をかざして遊んだあとなら
心残りもなく   
もう散ってしまってもかまわない
などとおっしゃるのだろうか
・・・・・・・・・・・





3906 天平12年12月9日,作者:大伴書持,追和,梅花宴

[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)

[左注]右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作


御苑布能 百木乃宇梅乃 落花之 安米尓登妣安我里 雪等敷里家牟

御園生の 百木の梅の 散る花し 天に飛び上がり 雪と降りけむ 

みそのふの ももきのうめの ちるはなし あめにとびあがり ゆきとふりけむ

・・・・・・・・・・・
大宰府の父上の御庭園の
百本もの梅の木の花が散り
天に舞い上がって
雪のように降ってきたのでしょう
・・・・・・・・・・・





3907 天平13年2月,作者:境部老麻呂,京都,儀礼歌,寿歌,恭仁京

[題詞]讃三香原新都歌一首[并短歌]

・・・・・・・・・・・
山背乃ー山背のー[やましろの]ー山背の国の
久<邇>能美夜古波ー久迩の都はーくにのみやこはー久邇の都は
春佐礼播ー春さればーはるさればー春になると
花<咲>乎々理ー花咲きををりーはなさきををりー花が咲き繁り
秋<左>礼婆ー秋さればーあきさればー秋になると
黄葉尓保<比>ー黄葉にほひーもみちばにほひー黄葉が色美しく映え
於婆勢流ー帯ばせるー[おばせる]ー帯のようにめぐり流れる
泉河乃ー泉の川のーいづみのかはのー泉川の
可美都瀬尓ー上つ瀬にーかみつせにー上の瀬に
宇知橋和多之ー打橋渡しーうちはしわたしー板の懸け橋を渡し
余登瀬尓波ー淀瀬にはーよどせにはー淀瀬には
宇枳橋和多之ー浮橋渡しーうきはしわたしー浮橋を渡し
安里我欲比ーあり通ひー[ありがよひ]ーいつも通って
都加倍麻都良武ー仕へまつらむーつかへまつらむーお仕え申上げよう
万代麻弖尓ー万代までにーよろづよまでにー万代まで
・・・・・・・・・・・




3908 天平13年2月,作者:境部老麻呂,木津川,枕詞,寿歌,儀礼歌,京都,恭仁京

[題詞](讃三香原新都歌一首[并短歌])反歌

楯並而 伊豆美乃河波乃 水緒多要受 都可倍麻都良牟 大宮所

たたなめて 泉の川の 水脈絶えず 仕へまつらむ 大宮ところ 

[たたなめて] いづみのかはの みをたえず] つかへまつらむ おほみやところ

・・・・・・・・・・・
泉の川の水脈の絶えないように
絶えることなく
この大宮にお仕へ奉(まつ)り申し上げよう
・・・・・・・・・・・




3909 天平13年4月2日,作者:大伴書持,贈答,大伴家持,恭仁京,京都

[題詞]詠霍公鳥歌二首

多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟

橘は 常花にもが 霍公鳥 住むと来鳴かば 聞かぬ日なけむ 

たちばなは とこはなにもが ほととぎす すむときなかば きかぬひなけむ

・・・・・・・・・・・
橘が一年中咲いている花なら
霍公鳥が棲みついて
その鳴き声をいつも聞けるのに
・・・・・・・・・・・




3910 天平13年4月2日,作者:大伴書持,贈答,大伴家持,恭仁京,京都

[題詞](詠霍公鳥歌二首)

[左注]右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持


珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞

玉に貫く 楝を家に 植ゑたらば 山霍公鳥 離れず来むかも 

たまにぬく あふちをいへに うゑたらば やまほととぎす かれずこむかも

・・・・・・・・・・・
薬玉にして紐でつなぐ楝の
その楝の木を家に植えたら
楝の花に誘われて
山ホトトギスが絶えることなく
来てくれるでしょうか
・・・・・・・・・・・

橘と楝、共に香り高い花である。
香は一種の霊力の顕現とされ、霍公鳥を引き寄せると考えた。
橘は常世の国の樹木で、神霊が「たちあらわれる花」として信仰の対象であった。
楝もまた、邪気を払う霊力を持つとされ、菖蒲などと共に薬玉に用いられた。






3931 作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,奈良,掛詞,悲別,女歌

[題詞]平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首

[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)右の件の十二首の歌は、時々に使に寄せて来贈(おこ)せり。一度に送れるにはあらず



吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母

君により 吾が名はすでに 龍田山 絶えたる恋の 繁きころかも 

きみにより わがなはすでに たつたやま たえたるこひの しげきころかも

・・・・・・・・・・・・
あなたのせいで私の名はあまねく人に知られてしまいました
それなのに恋は途絶えてしまったはずなのに
しきりに恋心がつのり辛くする龍田山です
・・・・・・・・・・・・

* 「立つ」と懸詞になって、二人を隔てる暗喩として「絶え」を導く。名が立つ→龍田山(たつたやま)→絶えたる恋。
* 「すでに」は、少しも残るところなくすべてにわたるさま、完全にそうなるさまを表わす語。全く。すっかり。あまねく。



3932 作者:平群女郎,序詞,贈答,大伴家持,恋情,兵庫,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物

須磨人の 海辺常去らず 焼く塩の 辛き恋をも 吾れはするかも 

すまひとの うみへつねさらず やくしほの からきこひをも あれはするかも

・・・・・・・・・・・・
須磨の海人が
いつも海辺で焼いている塩が辛いように
私は辛い恋をしています
・・・・・・・・・・・・

* 郎女と女郎 (イラツメ)
「郎女」は大納言以上の大官(藤原氏・大伴氏・巨勢氏・石川氏など)高卿の子女であることであり、一方「女郎」は、(紀氏・笠氏・中臣氏)など、主として高卿には至らない五位以上の官吏氏族である。
いわば郎女・女郎の書き分けは、男性における卿(まへつきみ)(三位以上)・大夫(まへつきみ)(五位以上)の書き分けに相当している。


<記事転載[「家持歌日記」を読む 第一部11]より。>

この女性の名は「平群氏出身の令嬢」を意味する。「女郎」は、もともと漢籍で教養ある権門の令嬢に対する敬称に用いられた語である。日本の上代文献ではこれを逆さまにした「郎女」との表記も見られるが、いずれもイラツメという古来の和語(高貴の出の女性に対する敬称)に宛てられた表記と見なされている。これは、景行紀の原注で「郎姫」の訓にイラツメが宛てられていることから推測された訓み方である。

万葉では郎女と女郎を明確に使い分けている。詳しく見ると、巻二に題詞で石川女郎とあるのを、左注では「字(あざな。通称のこと)曰山田郎女也」としているが、混乱はこの一箇所にしか見られない。例えば家持と歌を贈答した紀女郎は常に女郎と表記され、大伴坂上郎女は常に郎女と称されている。郎女と表記されている人物に共通するのは、大納言以上の大官を輩出している勢力家(藤原氏・大伴氏・巨勢氏・石川氏など)の子女であることであり、一方女郎と表記された女性の出身は、紀氏・笠氏・中臣氏など、主として高卿には至らない五位以上の官吏を輩出している氏族である。いわば郎女・女郎の書き分けは、男性における卿(まへつきみ)(三位以上)・大夫(まへつきみ)(五位以上)の書き分けに相当するとも言える。但し同じ大伴氏でも大伴女郎との表記もあるが(巻四)、この女性はおそらく傍系の出身なのであろう。また、のちに触れるが、家持の妹は大納言旅人の娘であるにも拘わらず「留女之女郎」と称されている。これは、家持が自分より年少の親族について謙遜した表現を取ったものかと推測される。
・・・・・



3933 作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,恨,悲別,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼

ありさりて 後も逢はむと 思へこそ 露の命も 継ぎつつ渡れ 

ありさりて のちもあはむと おもへこそ つゆのいのちも つぎつつわたれ

・・・・・・・・・・・・
時を経て後にもお逢いしようと思えばこそ
辛い恋にも 露のようにはかない命でも
辛うじて継なぎとめて暮らしているのです
・・・・・・・・・・・・

* 「ありさリて」は、比喩。 …のような。



3934 作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

奈加奈可尓 之奈婆夜須家牟 伎美我目乎 美受比佐奈良婆 須敝奈可流倍思

なかなかに 死なば安けむ 君が目を 見ず久ならば すべなかるべし 

なかなかに しなばやすけむ きみがめを みずひさならば すべなかるべし

・・・・・・・・・・・・
いっそのこと死んでしまえば楽でしょう
ずっとあなたにお逢いできずに過ごすなら
どうするすべもありませんから
・・・・・・・・・・・・


* <記事転載[「家持歌日記」を読む 第一部11]より。>

「君が目を見」の「目」は、人体の器官としての眼を言うのでなく、眼の力によって捉えられる光景――この場合恋人のすがた――を言っている。姿を目に映し取ることは、相手を所有することにほかならない。万葉には「君が目を欲(ほ)り」などの句もみえるが、単に逢いたいとか見たいとかいうより、相手を求める欲望をより生々しく感じさせる表現である。それが成就されないとき、絶望はより深いのである。
・・・・・




3935 作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,枕詞,人目,うわさ,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能 伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久

隠り沼の 下ゆ恋ひあまり 白波の いちしろく出でぬ 人の知るべく 

こもりぬの したゆこひあまり しらなみの いちしろくいでぬ ひとのしるべく

・・・・・・・・・・・・
隠れ沼のようにひそやかな恋心が
思わず度を越えたように白波立ち
はっきりおもてに出てしまいました
他人にそれと判るほどに
・・・・・・・・・・・・



3936 作者:平群女郎,枕詞,贈答,悲別,恋情,大伴家持,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

久佐麻久良 多妣尓之婆々々 可久能未也 伎美乎夜利都追 安我孤悲乎良牟

草枕 旅にしばしば かくのみや 君を遣りつつ 吾が恋ひ居らむ 

くさまくら たびにしばしば かくのみや きみをやりつつ あがこひをらむ

・・・・・・・・・・・・
こんなふうに貴方をたびたび旅に行かせてばかりで
私はいつも恋い焦がれているのですね
・・・・・・・・・・・・

* 天平十二年から十七年にかけて、関東行幸・恭仁遷都・紫香楽行幸・同遷都・難波遷都と、聖武天皇は目まぐるしく居処を遷していたため、家持もまた奈良を留守にすることが多かった。




3937 作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,悲別,恋情,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

草枕 多妣伊尓之伎美我 可敝里許牟 月日乎之良牟 須邊能思良難久

草枕 旅去にし君が 帰り来む 月日を知らむ すべの知らなく 

[くさまくら] たびいにしきみが かへりこむ つきひをしらむ すべのしらなく

・・・・・・・・・・・・
旅に去るあなたが
帰ってこられる日がいつなのか
せめて知りたい
でもわかる術のない私です
・・・・・・・・・・・・


3938 作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

可久能未也 安我故非乎浪牟 奴婆多麻能 欲流乃比毛太尓 登吉佐氣受之○

かくのみや 吾が恋ひ居らむ ぬばたまの 夜の紐だに 解き放けずして 

かくのみや あがこひをらむ ぬばたまの よるのひもだに ときさけずして

・・・・・・・・・・・・
このように私は恋い続けてばかりいるのでしょうか
夜だって紐の一本も解かないでいるのです
・・・・・・・・・・・・

* 衣の紐を解き放たずにいることは、恋人に対して貞操を守っている証し。



3939 作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

佐刀知加久 伎美我奈里那婆 古非米也等 母登奈於毛比此 安連曽久夜思伎

里近く 君がなりなば 恋ひめやと もとな思ひし 吾れぞ悔しき 

さとちかく きみがなりなば こひめやと もとなおもひし あれぞくやしき

・・・・・・・・・・・・
あなたが近所にいられるようになったら
恋に苦しむこともあるまいと
むやみに思い込んでいた自分が口惜しい
・・・・・・・・・・・・

* 天平十七年五月、都は五年ぶりに平城京に戻されたが、家持が佐保の家に落ち着いて間もなく、翌年七月には再び越中に旅立つことになったので、「恋ひめや」という思いも虚しい期待に終わってしまった。




3940 作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

餘呂豆代尓 許己呂波刀氣○ 和我世古我 都美之<手>見都追 志乃備加祢都母

万代に 心は解けて 吾が背子が 捻みし手見つつ 忍びかねつも 

よろづよに こころはとけて わがせこが つみしてみつつ しのびかねつも

・・・・・・・・・・・・
永遠に続くかのように心を許しあって
愛しいあなたがわたしをつねった手
その手を思い返して見ていましたら
もう偲びきれなくなりました
・・・・・・・・・・・・

* 「君」が「吾が背子」にかわっている。






3941作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

鴬能 奈久々良多尓々 宇知波米○ 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武

鴬の 鳴くくら谷に うちはめて 焼けは死ぬとも 君をし待たむ 

うぐひすの なくくらたにに うちはめて やけはしぬとも きみをしまたむ

・・・・・・・・・・・・
鴬が鳴き渡る暗い峡谷で
身を填め込まれ焼け死ぬようなことになっても
霊魂となって貴方をお待ちするでしょう
・・・・・・・・・・・・

* 「は・める」〔他マ下一〕は・む〔他マ下二〕落としこむ。投げ入れる。また、身を投げる。
「うち」は接頭強意。



3942 作者:平群女郎,贈答,恋情,恨,大伴家持,女歌

[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)

麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追

松の花 花数にしも 吾が背子が 思へらなくに もとな咲きつつ 

まつのはな はなかずにしも わがせこが おもへらなくに もとなさきつつ

・・・・・・・・・・・・
私のことはまつの花
そんな花もあったかと貴方は思っていらっしゃる
わけもなく咲きつづけているわたし
・・・・・・・・・・・・




3943 天平18年8月7日,作者:大伴家持,宴席,大伴池主

[題詞]八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌

秋田乃 穂牟伎見我○里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

秋の田の 穂向き見がてり 吾が背子が ふさ手折り来る をみなへしかも 

あきのたの ほむきみがてり わがせこが ふさたをりける をみなへしかも

・・・・・・・・・・・・
秋の田の稲穂の出来を見ながら
あなたが手折り束ねて来られたのですね
この女郎花は
・・・・・・・・・・・・

* 「オミナエシ」は、「をみな善し」という、上代、女子に対する親愛の情をこめた語感あってか、「女郎花・おみなえし」「いらつめばな」「佳人部為」「美人部師」「娘子部四」「娘部志」「姫部思」などと記された。
 稲の生育を調査するという仕事と対照的な雅な名称を持つオミナエシの贈り物に感激して歌にした。




3944 天平18年8月7日,作者:大伴池主,愛,宴席,大伴家持

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴

をみなへし 咲きたる野辺を 行き廻り 君を思ひ出 た廻り来ぬ 

をみなへし さきたるのへを ゆきめぐり きみをおもひで たもとほりきぬ

・・・・・・・・・・・・
女郎花が咲いている野を
もとおりめぐっているうちに
あなたのことを思い出して
回り道をしてしまいましたよ
・・・・・・・・・・・・




3945 天平18年8月7日,作者:大伴池主,枕詞,宴席,大伴家持,高岡

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

秋の夜は 暁寒し白栲の 妹が衣手 着むよしもがも 

あきのよは あかときさむし [しろたへの] いもがころもで きむよしもがも

・・・・・・・・・・・・
越中の地では秋の夜明け頃ひとしお冷え込みます
いとしい人の衣をまとえる手立てが欲しいことです
・・・・・・・・・・・・

* 「妹が衣手着」は、自分と恋人(妻)の脱いだ衣を纏い、その衣の下で、肌を合わせて寝ること。





3946 天平18年8月7日,作者:大伴池主,宴席,高岡

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

保登等藝須 奈伎C須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓

霍公鳥 鳴きて過ぎにし 岡びから 秋風吹きぬ よしもあらなくに 

ほととぎす なきてすぎにし をかびから あきかぜふきぬ よしもあらなくに

・・・・・・・・・・・・
ほととぎすが鳴いて飛び去った丘の辺りから
もう冷たい秋風が吹いてきた
いとしい人の衣をまとえる手立がないというのに
・・・・・・・・・・・・




3947天平18年8月7日,作者:大伴家持,宴席,枕詞,高岡

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物

今朝の朝明 秋風寒し 遠つ人 雁が来鳴かむ 時近みかも 

けさのあさけ あきかぜさむし [とほつひと] かりがきなかむ ときちかみかも

・・・・・・・・・・・・
今朝も明け方は秋風が寒かった
雁が鳴いて来る時が近のだろう
・・・・・・・・・・・・

* 「とお‐つ‐ひと」遠つ人 [枕]
1 遠くにいる人を待つ意から、「松」「松浦(まつら)(=地名)」にかかる。
2 雁(かり)は遠くから来るので、「雁」「猟路(かりぢ)(=地名)」にかかる。
* 「遠つ人」の「つ」は現代語の「の」で、「遠くの人」。
* 「近み」の「み」は接尾語で、原因理由を表します。
* 「かも」は感動詠嘆の終助詞。



3948 天平18年8月7日,作者:大伴家持,恋愛,宴席,枕詞,高岡

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比○之紐乎 登伎毛安氣奈久尓

天離る 鄙に月経ぬ しかれども 結ひてし紐を 解きも開けなくに 

「あまざかる」 ひなにつきへぬ しかれども ゆひてしひもを ときもあけなくに

・・・・・・・・・・・・
都から遠い高岡にやって来て随分月を経たが
妻が結んでくれた下着の紐は解いてはいない
・・・・・・・・・・・・

<記事転載[山本 瞳美「現代の結婚指輪のルーツを探る]より。>
(1)紐を解くことは性関係を持つことの象徴である(1516、3427)
(2)紐を見ることで自分を思い出してもらいたいとの気持ちが込められる(4405)
(3)紐を結んでもらった相手以外の人に紐を解かせることは浮気を意味する(3427)
(4)紐が自然に解けると結んでくれた相手から想われているとする俗信があった(4427)
(5)紐を結んだまま操を守っていれば相手と再会できると信じられていた(1516、2973)
 紐にはこのような男女の想い、意味が込められているのであるが、紐に関しての私見を述べると、紐は解く為に結ぶといえるのではないだろうか。現代の指輪に於いてはこのような行為(再会した時に互いの指輪をはずすこと)は特にないが指輪をしていることではめてくれた相手に想いを馳せるという様な役割を果たしているという点では紐と同様であるし(紐はなかなか他人の目に触れないということがあるが)指輪をはめることで他人へ自分には特定の相手がいるというアピールをすることは遠回しではあるが操を守ることに繋がると言っては過言であろうか。これが正しければ逆に指輪をはずしておいて相手がいないふりをすることは浮気をする意志があるということだろう。
 五首の歌全てが(特定の相手と再会する時まで不貞をはたらかないことを誓い合い紐を結び、)またその相手と紐を解く事を前提として詠まれていることからもそれは言えるのではないかと考えるのである。
・・・・・・




3949 天平18年8月7日,作者:大伴池主,枕詞,恋愛,宴席,高岡

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比<母>登吉佐氣○ 於毛保須良米也

天離る 鄙にある吾れを うたがたも 紐解き放けて 思ほすらめや 

[あまざかる] ひなにあるわれを うたがたも ひもときさけて おもほすらめや

・・・・・・・・・・・・
都から遠く離れた地にいる私たちを
都の奥方たちも一心に慕っておられることでしょうよ
かりそめも紐を解くなどと思うでしょうか
・・・・・・・・・・・・

* 「うたがた‐も」[副]平安時代以後「うたかたも」とも。
1 必ず。きっと。 2 (打消しや反語の表現を伴って)決して。




3950 天平18年8月7日,作者:大伴家持,恋愛,望郷,宴席,高岡

[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)

伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母

家にして 結ひてし紐を 解き放けず 思ふ心を 誰れか知らむも 

いへにして ゆひてしひもを ときさけず おもふこころを たれかしらむも

・・・・・・・・・・・・
家を旅立つ時妻が結んでくれた紐を
解き放たずに思っている
その気持ちを妻に告げたいことなど
誰も知ってはくれまいよ
・・・・・・・・・・・・


3971 天平19年3月3日,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,,書簡,枕詞,恋情,悲嘆,高岡

[題詞]

夜麻扶枳能 之氣美<登>i久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛

山吹の 茂み飛び潜く 鴬の 声を聞くらむ 君は羨しも 

やまぶきの しげみとびくく うぐひすの こゑをきくらむ きみはともしも

・・・・・・・・・・・・・
山吹の茂みを飛びくぐる鴬の声を
聞いてらっしゃるでしょうあなたがうらやましいですよ
・・・・・・・・・・・・・




3972 天平19年3月3日,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,,書簡,恋情,悲嘆,高岡

[題詞]

伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思

出で立たむ 力をなみと 隠り居て 君に恋ふるに 心どもなし 

いでたたむ ちからをなみと こもりゐて きみにこふるに こころどもなし
・・・・・・・・・・・・・
立って出かけて行く力がないので家に籠もったままでいて
貴方に逢いたいと思うと
もう心の在り処も失ってしまいます
・・・・・・・・・・・・・

* 「恋う」 思い慕う。愛する。懐かしく思う。




3973 天平19年3月5日,作者:大伴池主,贈答,枕詞,高岡,遊覧,大伴家持,書簡

[題詞]
昨日述短懐今朝汗耳目ー昨日短懐を述べ今朝耳目を汗(けが)すー昨日は拙い思いを申し述べ今朝また卑書で貴兄の耳と目を汚すことをお許しください
更承賜書且奉不次ー更に賜書を承り且つ不次を奉るーさらにお便りを賜りまた乱文を差し上げる次第にございます
死罪々々ー死罪謹言ー恐縮至極
不遺下賎頻恵徳音ー下賎を遺(わす)れず頻りに徳音を恵むー小生のような下賎の者をもお忘れなくしきりに御書をお恵み下さいました
英<霊>星氣逸調過人ー英霊星気あり逸調人に過るー貴兄の文才は星の如く輝き歌の調べは群を抜いておられます
智水仁山既ヒ琳瑯之光彩ー智水仁山は既に琳瑯の光彩を{褞}(つつ)みー山河の如き偉大な才は美玉の光彩を内に包み
潘江陸海自坐詩書之廊廟ー潘江陸海は自らに詩書の廊廟に坐すー潘江(六朝の文人潘岳の文才を大河に喩える)・陸海(同じく陸機の文才を海に喩える)に比すべき才はもとより文芸の殿堂に至っておられます
騁思非常託情有理ー思を非常に騁せ心を有理に託(よ)せー詩想は非凡に駆け心情は道理に委ね
七歩成章數篇満紙ー七歩章を成し数篇紙に満つー七歩歩く間に詩文を成したちまち数編の詩が紙を満たします
巧遣愁人之重患ー巧みに愁人の重患を遣りー愁いに沈む人の重い患いも巧みに晴らし
能除戀者之積思ー能く恋者の積思を除くー恋する者の積もる思いもよく除いて下さいます
山柿歌泉比此如蔑ー山柿の歌泉は此に比ぶれば蔑(な)きが如しー山柿の歌泉もこれに比べれば無きに等しい
彫龍筆海粲然得看矣ー彫龍の筆海は粲然として看るを得たり矣ー龍を彫る如き筆で描かれた詩は燦然と輝いて目を見張られますー
方知僕之有幸也ー方に僕(わ)が幸(さきはひ)有るを知りぬー(そのような詩文を贈られた)小生はなんと幸せ者か身に染みてわかりました
敬和歌其詞云ー敬みて和ふる歌其の詞に云はくー謹んでお答えする歌、その歌と申しますのは


・・・・・・・・・・・・・
憶保枳美能ー大君のーおほきみのー天皇陛下のご
弥許等可之古美ー命畏みーみことかしこみー命令を畏れ謹んで
安之比奇能ー[あしひきの]ー
夜麻野佐<波>良受ー山野さはらずーやまのさはらずー山も野も障害とせずに行き
安麻射可流ー天離るー[あまざかる]ー
比奈毛乎佐牟流ー鄙も治むるーひなもをさむるー都から天遠く離れた地方を治める
麻須良袁夜ー大夫やーますらをやーますらおの貴方が
奈邇可母能毛布ーなにか物思ふーなにかものもふー何をお悩みになるのでしょう
安乎尓余之ー[あをによし]ー
奈良治伎可欲布ー奈良道来通ふーならぢきかよふー奈良道を行き来する
多麻豆佐能ー玉梓のー[たまづさの]ー
都可比多要米也ー使絶えめやーつかひたえめやー使者が絶えることなどございましょうか
己母理古非ー隠り恋ひーこもりこひー家に籠もって恋いしがり
伊枳豆伎和多利ー息づきわたりーいきづきわたりー嘆息しつつ
之多毛比<尓>ー下思にーしたもひにー面には出さず
奈氣可布和賀勢ー嘆かふ吾が背ーなげかふわがせー悲嘆にくれなさる親愛なる友よ
伊尓之敝由ーいにしへゆー昔から
伊比都藝久良之ー言ひ継ぎくらしーいひつぎくらしー言い伝えられて来ましたように
餘乃奈加波ー世間はーよのなかはー現世とは
可受奈枳毛能曽ー数なきものぞーかずなきものぞー果敢ないものにございます
奈具佐牟流ー慰むるーなぐさむるー気休め
己等母安良牟等ーこともあらむとーにもなろうかと
佐刀○等能ー里人のーさとびとのー里の者が
安礼邇都具良久ー吾れに告ぐらくーあれにつぐらくー私に告げて曰く
夜麻備尓波ー山びにはーやまびにはー山辺では
佐久良婆奈知利ー桜花散りーさくらばなちりー桜の花が散り
可保等利能ー貌鳥のーかほどりのー郭公が
麻奈久之婆奈久ー間なくしば鳴くーまなくしばなくー絶えずしきりに鳴いています
春野尓ー春の野にーはるののにー春の野に
須美礼乎都牟<等>ーすみれを摘むとーすみれをつむとー菫を摘もうと
之路多倍乃ー白栲のー[しろたへの]ー
蘇泥乎利可敝之ー袖折り返しーそでをりかへしー真っ白な袖を折り返し
久礼奈為能ー紅のー[くれなゐの]ー
安可毛須蘇妣伎ー赤裳裾引きーあかもすそびきー紅の裳の裾を引き
乎登賣良<波>ー娘子らはーをとめらはー乙女たちは
於毛比美太礼弖ー思ひ乱れてーおもひみだれてー心を乱して
伎美麻都等ー君待つとーきみまつとー貴方を待つとて
宇良呉悲須奈理ーうら恋すなりーうらごひすなりー心の内に恋しています
己許呂具志ー心ぐしーこころぐしー心が晴れずうっとうしい。せつなく苦しい
伊謝美尓由加奈ーいざ見に行かなーいざみにゆかなーさあ見に行きましょう
許等波多奈由比ーことはたなゆひー◇ことはたなゆひ 事は・たな(しっかりと)・結ひ(約束して)の意かという。万葉集の原文は「許等波多奈由比」。『万葉集略解』の宣長説では「由比」を「思礼」の誤りと見てコトハタナシレと訓み、「さやうに心得たまへ」の意とする。
・・・・・・・・・・・・・




3974 天平19年3月5日,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,恋情,遊覧,書簡,高岡

[題詞]

夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由

山吹は 日に日に咲きぬ うるはしと 吾が思ふ君は しくしく思ほゆ 

やまぶきは ひにひにさきぬ うるはしと あがもふきみは しくしくおもほゆ

・・・・・・・・・・・・・
山吹の花が日ごとに美しく咲いていきます
そのように麗しい貴方のことがしきりに思われます
・・・・・・・・・・・・・




3975 天平19年3月5日,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,恋情,遊覧,書簡,高岡

[題詞]

和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母

吾が背子に 恋ひすべながり 葦垣の 外に嘆かふ 吾れし悲しも 

わがせこに こひすべながり あしかきの ほかになげかふ あれしかなしも

・・・・・・・・・・・・・
親愛なる貴方が恋しくてならず
蘆垣で隔てたように
他所ながら嘆き続けている私が
悲しくてやりきれません
・・・・・・・・・・・・・




3976 天平19年3月5日,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,書簡,病気,恨,憧憬,恋情,高岡

[題詞]短歌<二首>

佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈

咲けりとも 知らずしあらば 黙もあらむ この山吹を 見せつつもとな 

さけりとも しらずしあらば もだもあらむ このやまぶきを みせつつもとな

・・・・・・・・・・・・・
咲いたと知らずにいたら黙ってもいたろうに
貴方ときたらこの美しい山吹をむやみに見せてくださって
・・・・・・・・・・・・・




3977 天平19年3月5日,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,病気,恋情,高岡,書簡,孤独

[題詞](短歌<二首>)

安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許<曽>婆 伊米尓見要家礼

葦垣の 外にも君が 寄り立たし 恋ひけれこそば 夢に見えけれ 

あしかきの ほかにもきみが よりたたし こひけれこそば いめにみえけれ

・・・・・・・・・・・・・
葦垣の外に貴方が寄り立って
私を恋い慕って下さったからこそ
貴方が夢に現れたのでした
・・・・・・・・・・・・・






<出典・転載[大伴家持全集 訳注編 Vol.2水垣 久 編訳]等より。>
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yakayak2.html

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