ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

◎【万葉集再掲載】

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全113ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

<個別再掲載>


サ488;相聞,作者:額田王,天智

[題詞]額田王思近江天皇作歌一首(額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌)

君待登  吾戀居者  我屋戸之  簾動之  秋風吹

君待つと 吾が恋ひ居れば 我が宿の 簾動かし 秋の風吹く

きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
・・・・・・・・・・・
君を恋しく思ってお待ちしていると 
わが家の簾がそよそよと動き
おいでかと思えば
お姿はなく
ただ秋風が吹いていましたよ
・・・・・・・・・・・
*簾動かし 「清風、帷廉を動かし」(『玉台新詠』巻二)など、中国の六朝詩の影響下にあるとの指摘がある。
* この「居り」という動詞は、夜寝ないで起きているという意味。
真袖もち 床うち掃ひ 君待つと 居りし間に 月かたぶきぬ
 (11・2667)読み人知らず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

額田王 ぬかたのおおきみ 生没年未詳

日本書紀には「額田姫王(ぬかたのひめみこ)」とある。鏡王のむすめで、天武天皇の妃となり、十市皇女を生んだ。鏡姫王(鎌足の嫡室)の妹かともいう。
斉明四年(658)十月、斉明天皇の紀温湯行幸に従駕し、歌を詠む(万葉集巻1-9)。
斉明七年(661)、天皇の新羅征討の際、熟田津の石湯行宮で歌を詠む(巻1-8)。但しこれは左注所引の『類聚歌林』によれば、斉明天皇の作。
天智六年(667)三月、近江大津宮遷都の際、「額田王、近江国に下る時の歌」(巻1-17・18)。これも『類聚歌林』は天智天皇(正式には当時まだ皇太子)の作とする。
天智七年(668)五月、蒲生野遊猟に従駕し、大海人皇子と歌を贈答(巻1-20、大海人皇子の答歌1-21)。
天智十年(671)の天智天皇崩御の後、大殯(おおあらき)の時に歌を詠む(巻2-151)。
持統年間(持統七年=693年五月か)、吉野行幸の際、弓削皇子より歌を贈られ、これに和す(巻2-112)。<いにしへに 恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より 鳴き渡り行く   万葉集 111・112・113 >http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/1041664.html
晩年の額田王についての詳細は不明だが、娘の十市皇女に先立たれ、孤独な最期を迎えたという。終焉の地は奈良県桜井市にある粟原(おうばら)寺と伝えられる。
<第四巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33542093.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


サ4 489;相聞,作者:鏡王女,額田王,天智

[題詞]鏡王女作歌一首

風乎太尓  戀流波乏之  風小谷  将来登時待者  何香将嘆

風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ

かぜをだに こふるはともし かぜをだに こむとしまたば なにかなげかむ
・・・・・・・・・・・
風が吹くだけでいらっしゃったのかと思うのですね
待ち焦がれるなんてうらやましい
風にさえそう思えるのなら何を嘆くことがありましょう
待つ人がいない私はもっと辛いのに
・・・・・・・・・・・ 
* 「を・だに」は、副助詞。種々の語につき、それを最低限・最小限のものごととして提示する。 否定・反語と呼応して、「〜すら(ない)」の意に。
「を-だに」「に-だに」「と-だに」など格助詞の下に付く。「て-だに」「だに-も」などもよく使われた。

・488は額田王が天智天皇を思い慕い、天皇の訪れがないのを嘆く歌。いっぽう489では、姉の鏡王女が、天皇の訪れを期待できるだけあなたの方が幸せだと言って嫉妬している。 
 鏡女王 かがみのおおきみ 生年未詳〜天武十二(?-683)
万葉集の古写本には「鏡王女」とあるが、日本書紀に見える「鏡姫王」と同一人と思われ、また『歌経標式』には「鏡女王」とある。王女は女王の誤りであろう(『萬葉考』)。
 舒明天皇 の皇女または皇孫とする説と、鏡王の息女で 額田王 の姉であろうとする説がある。
 天智天皇代、天皇より歌を賜わり、これに答える(万葉集2-91,92)。また 内大臣藤原卿(鎌足)に娉 (つまど) われ、歌を贈答している(同2-93,94)。
初め天智に召され、のち鎌足の室となったか。『興福寺縁起』によれば不比等の母。
 天武十二年(683)七月五日、薨ず(紀)。その前日、天武天皇の見舞を受けている。<出典・転載[千人万首]より>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


近江湖東南部に鏡山がある。豊前田川郡香春町にも鏡山がある。河内王墓がある。後者は秦氏が祭った息長帯姫大目命を祭る香春岳の目の前である。
前者は近江息長氏のメッカ。
いずれも息長氏地名であろう。山科にもある。

「しな」は風でたたら・ふいごである。
「しなが」は「おきなが」である。
風によって火をおこし、それによって銅を精錬した鏡造り氏族。それを鏡王女は知っている。それが息長氏なくしてはできなかったことも。
鏡王が銅鏡を作る氏族だったとするならば、鏡山はいずれも銅山・銅鏡にちなむ地名であろう。つまり息長氏と秦氏による銅山経営から鏡王という不明な人物像は出てくると言えよう。
それは鏡王女が鎌足の妻で、その子供が藤原不比等であるという事実である。『日本書紀』系譜の捏造はここまで遡って初めて見えてくる。
糠手姫のエピソードや名前も筑紫から出てくる采女の子・鏡王女と豊前息長氏の婚姻からの創作なのかも知れない。大海人皇子の妻で あった額田女王は、託宣により筑紫の行宮で中大兄皇子と婚姻の式をあげたと『日本書紀』は言う。なにゆえに筑紫か。真実は額田王=鏡王女は太宰大卒河内王の妻だったのかも知れない。
鏡王女には藤原鎌足に言い寄られたというエピソードがあり、額田王には天武と天智との三角関係がある。どちらかが事実で、どちらかは一方を誤魔化すための捏造であろう。和歌の達人として筆者は鏡王女実在、額田王創作を考える。そして彼女の真実の思い人は鎌足だったと見る。天智・天武の確執を言うがために額田王は鏡王女から創作された。
鏡王女の墓所は、忍坂山の南西麓の小盆地のまん中、ちょうど相撲の土俵のようで、こじんまりとひそまりかえり、わずかに松籟をひびかせている趣きである。

* 「額田王の年齢」<転載>
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage42.htm

万葉集336・337 

<個別再掲載>


サ336;雑歌,作者:沙弥満誓,笠麻呂,太宰府

[題詞]沙弥満誓詠綿歌一首 
沙彌満誓(まんぜい)、綿を詠む歌一首
[造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也]

白縫  筑紫乃綿者  身箸而  未者<伎>袮杼  暖所見

しらぬひ 筑紫の綿は 身に付けて いまだは着ねど 暖けく見ゆ

[しらぬひ] つくしのわたは みにつけて いまだはきねど あたたけくみゆ
・・・・・・・・・
この[しらぬひの]筑紫の綿は
身に付けてまだ着たことはないが
暖かそうに見えることだ
・・・・・・・・・
* 「筑紫の綿」に、筑紫の女を寓意したと見る説がある。
* 「しらぬひ」は「白日」が国名で、筑紫の別名という説がある。
  「自奴日」・・「不知火」当て字は固定するまでに長い時代を遍歴する。
* 枕詞 「しらぬひ」は一説に「領(し)らぬ霊(ひ)」。
筑紫(九州)はかつて大和朝廷の支配が及ばぬ土地だったからか。(千人万首)
・・・・・・・・・・・・・
沙弥満誓 さみのまんぜい 生没年未詳
笠氏の出身。父母等は未詳。俗名は麻呂。

大宝四年(704)正月、正六位下より従五位下に越階昇叙される。
慶雲三年(706)七月、美濃守に任ぜられると有能な国司として活躍し、
和銅二年(709)には業績を賞され、同四年に正五位上、同六年に従四位下と急速に昇進。同七年閏二月には木曽路を開通させた功により封戸・功田を賜わる。
霊亀二年(716)六月、美濃守に尾張守を兼任する。
養老元年(717)十二月、元正天皇が美濃国に行幸した際には従四位上に昇叙された。

養老三年(719)七月、尾張・参河・信濃の三国を管する按察使を兼ねる。同四年十月、右大弁として中央に復帰するが、翌年五月、元明太上天皇の病を理由に出家入道を請い、勅許された。
以後、満誓と号す。
養老七年(723)二月、造筑紫観世音寺別当となり、大宰府に下向。翌年大伴旅人が大宰帥として府に赴任すると、いわゆる筑紫歌壇の一員となり、万葉集に七首の短歌を残した。
<第三巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33531787.html
<第三巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33849423.html


<個別再掲載>
サ337 雑歌,作者:山上憶良,罷宴,太宰府,福岡

[題詞]山上憶良臣罷宴歌一首

憶良等者  今者将罷  子将哭  其彼母毛  吾乎将待曽

憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ 

おくららは いまはまからむ こなくらむ それそのははも わをまつらむぞ
・・・・・・・・・
憶良めは今失礼します 
子供が泣いているのです 
その母も私を待っているのです
・・・・・・・・・
<以下[暗号 山上億良]より転載。>
この歌では、【其彼母毛】の読み方が、難解とされる。これまでに行われている読み方には、ほかに、「その子の母も」「それその母も」「そもその母も」「そよその母も」「そを負ふ母も」などもある。
むろん、素直に読めぱ、【其彼母毛】は【そのかの母も】となる。だが、学者間には、「かの」は例から見て平安時代の言葉であるという共通の認識がある。それゆえ、学者は、【憶良】という実名入りのこの著名な歌に「かの」が使われていると考えたくないのである。だが、学者を悩ます【其彼母毛】は、平安時代になって『古事記』および『万葉集』に手を加えた証として作為した一句である。なぜなら、『古事記』で「モ」の発音を区別するために使っている二字「母・毛」と平安語「彼(かの)」が、「憶良」という実名入りの歌で同時に使われているのは偶然ではあり得ないからである。
『古事記』の撰者であることを「モ」の使い分けで示しているためか、憶良の歌の中には「も」の使用が目立つものがある。たとえば、巻五にある「子らを思へる歌」の反歌では、次のように「も(母)」が四回も使われている。

銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及かめやも(巻五、八〇三)
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

ここで「銀母金母玉母」と三回使われている「母」と、【其彼母毛】の「毛」は、同じ種類の助詞である。そして、『古事記』の用例によれば、この「毛」は「母」の方が正しい。しかし、「母も」の「も」に「母」を使えば「母母」となり、区別のない文字を区別して読まなければならない。このようなことになるのは、『万葉集』では歌を表記する際、一方では漢字の意昧を無視して音を表す仮名として用いながら、他方では漢字を意味にもとづいて和語として訓読みするという不自然なことをしているからである。



関連  ブログ《neige9》一日一首] 「ゆきのはてみし」
http://blogs.yahoo.co.jp/sirius0426jp/9232500.html?vitality
<第三巻へ」>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33531813.html
<第三巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33849423.html
<個別再掲載>


サ16;雑歌,作者:額田王,近江朝,大津,春秋優劣,枕詞

[題詞]近江大津宮御宇天皇代 [天命開別天皇謚曰天智天皇] / 天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌

・・・・・・・・・
↓[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー

冬木成ー冬こもりー[ふゆこもり]ー「春」にかかる枕詞<冷える冬はこもります・・・>
春去来者ー春さり来ればーはるさりくればー春がやってくると <「さる」は移動する、近づくなどの意。春になる。「波流佐礼(ハルサレ)ばまづ咲く宿の梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ〈山上憶良〉」>
不喧有之ー鳴かずありしーなかずありしー冬の間鳴かなかった
鳥毛来鳴奴ー鳥も来鳴きぬーとりもきなきぬー鳥もやって来て鳴く
不開有之ー咲かずありしーさかずありしー咲かなかった
花毛佐家礼抒ー花も咲けれどーはなもさけれどー花も咲いているけれど
山乎茂ー山を茂みーやまをしみー山の木々が茂っていて
入而毛不取ー入りても取らずーいりてもとらずー分け入っても取ることもしない
草深ー草深みーくさふかみー草も深いので
執手母不見ー取りても見ずーとりてもみずー手に取っても見ることもしない
秋山乃ー秋山のーあきやまのー秋山の
木葉乎見而者ー木の葉を見てはーこのはをみてはー木の葉を見ると
黄葉乎婆ー黄葉をばーもみちをばー紅葉したのは<「を」は強調。>
取而曽思努布ー取りてぞ偲ふーとりてぞしのふー取って美しいと思う<「ぞ」は、事柄を取り立てて強調する。結びは連体形になる。古くは清音(そ)であった。>
青乎者ー青きをばーあをきをばー青いのは
置而曽歎久ー置きてぞ嘆くーおきてぞなげくーそのままに嘆く
曽許之恨之ーそこし恨めしーそこしうらめしーその点は残念です (「し」は、副助詞。種々の語に付き、それを強く指示して強調する。時代が下るにつれて用例が限定されるようになり、現代口語には「定めし」「果てしない」などに化石的に残るのみである。)  
秋山吾者ー秋山吾はーあきやまわれはー秋の山 私は
・・・・・・・・・
* ブログ《neige9》一日一首 「なげけども」
http://blogs.yahoo.co.jp/sirius0426jp/9213452.html?vitality


【名歌鑑賞 3】森 明著
<万葉集巻一・16>
http://f-kowbow.com/ron/meika03/meika03.htm




サ17;雑歌,作者:額田王,天智,三輪山,鎮魂,国魂,枕詞,代作

[題詞]額田王下近江國時<作>歌井戸王即和歌
[左注](右二首歌山上憶良大夫類聚歌林曰 遷都近江國時 御覧三輪山御歌焉 日本書紀曰 六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷都于近江)

・・・・・・・・・
↓[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー

味酒ー[うまさけ]
三輪乃山ー三輪の山ーみわのやまーなつかしい三輪の山よ
青丹吉ー[あを・に・よ・し]、「よ」「し」はともに助詞(「よ」も「し」も詠嘆の助詞)、「あをによし」という詞は、奈良に都が遷る前から使われており、平城京に極彩色の建物は無かったと思われる。「あをに」=「青丹」青みがかった黒い土。奈良で青土を産出したことから後に「奈良」にかかる枕詞になった。《「に」は土の意》緑色の顔料の土。岩緑青(いわろくしょう)のこと。【丹】硫黄と水銀の化合した赤土。辰砂(しんしゃ)。また、その色。
奈良能山乃ー奈良の山のーならのやまのー奈良山が
山際ー山の際にーやまのまにー山の間に
伊隠萬代ーい隠るまでーいかくるまでー隠れてしまうまで
道隈ー道の隈ーみちのくまー道の曲がり角が
伊積流萬代尓ーい積もるまでにーいつもるまでにー幾重にも重なるまで
委曲毛ーつばらにもーよくよくつまびらかに
見管行武雄ー見つつ行かむをーみつつゆかむをー見ながら行きたいのに
數々毛ーしばしばもー何度でも
見放武八萬雄ー見放けむ山をーみさけむやまをー望み見たい山なのに
情無ー心なくーこころなくー無情にも
雲乃ー雲のーくものー雲が
隠障倍之也ー隠さふべしやーかくさふべしやーさえぎり隠してよいものか
・・・・・・・・・
* 道の曲がり角ごとに幾度も振り返ってなつかしむさまは、国境を越える際の儀礼だったという。またこれらの歌は、額田王の、愛する大海人皇子との別れ、中大兄皇子に従って近江に下らなければならない切ない気持ちを表したとする見方もある。(出典・転載[千人万首]等)。
<第一巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/31952642.html



サ18;雑歌,作者:額田王,天智,三輪山,鎮魂,国魂,代作

[題詞](額田王下近江國時<作>歌井戸王即和歌)反歌

三輪山乎  然毛隠賀  雲谷裳  情有南畝  可苦佐布倍思哉

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 

みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらなも かくさふべしや
・・・・・・・・・
大和の国の三輪山を

なぜそのように隠すのか

せめて雲だけにでも思いやりはないのか

隠したりなんかするな こら!
・・・・・・・・・
* 「しかも」は、「しか(副詞)」+「も(係助詞)」〜「か(疑問の助詞」の用法で、「なんだって、三輪山を隠すだって?」。
* 「雲だにも」の「だに・も」は、「〜に過ぎないのに」「〜のくせに」「〜の分際で」の意。「なんだって、三輪山を隠すだって?雲の分際で!」
*「も」は感情を添える。「だに」は、副助詞。種々の語を承け、それを最低限・最小限のものごととして提示する。「せめて〜だけでも」の意。願望・命令などと呼応することが多い。
* 「心あらなも」は願望で、「願望の意思をもって」。「なむ(なも)」は、 希望の終助詞。 活用語の未然形に接続し、 話しかける相手に対し「〜してほしい」という希望の意をあらわす。助詞「な」に助詞「も」が添わった「なも」が古形で、転じて「なむ」となった。「な」とだけ言うのに比べ、より詠嘆的なニュアンスが伴う。
* 「かくさふべし」には、「隠さふべし」と「かく、沿(そ)ふべし」が掛けられている。
* 「べし」は、「意思をもってそうする」の意。
* 「や」長歌の「や」(反語)とは異なり、ここでは、確認・呼びかけの時に発する「〜だな」や「〜のか」のような。全体では相手への強い不快感を表す恫喝の意をこめた言葉になっている。
* 「心あらなも 隠さふべしや」は倒置法。
* 「雲」は遷都に不満な者たちとみればわかりやすい。
<第一巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/31952638.html


サ19;雑歌,作者:井戸王,枕詞

[題詞]((額田王下近江國時<作>歌井戸王即和歌)反歌)

綜麻形乃  林始乃  狭野榛能  衣尓著成  目尓都久和我勢

綜麻形の 林のさきの さ野榛の 衣に付くなす 目につく吾が背 

へそかたの はやしのさきの さのはりの きぬにつくなす めにつくわがせ

[左注]右一首歌今案不似和歌 但舊本載于此次 故以猶載焉
・・・・・・・・・
へそかた(三輪山)の

林の先端の野榛が衣によく付くように

よく目につく私の愛しい人よ
・・・・・・・・・
* 663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した中大兄皇子は、唐の侵略を恐れた。そのため、都を内陸深く近江に遷し、各地に城を築いた。
・・・・・・・・
【名歌鑑賞15:三輪山惜別歌】森 明著
<万葉集巻一・雑歌:17・18・19歌>
http://f-kowbow.com/ron/meika15/meika15.htm
<第一巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/33531957.html

<個別再掲載>

「梅花の宴」22


サ5 836;作者:磯部,法麻呂、梅花宴,宴席,太宰府,天平2年1月13日

[題詞](梅花歌卅二首[并序] /

烏梅能波奈多乎利加射志弖阿蘇倍等母阿岐太良奴比波家布尓志阿利家利  [陰陽師礒氏法麻呂]

梅の花 手折りかざして 遊べども 飽き足らぬ日は 今日にしありけり[陰陽師礒氏法麻呂] 

うめのはなたをりかざしてあそべどもあきだらぬひはけふにしありけり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
梅の花を手折りかざして遊んでも
なお飽き足りない日は
今日という日なのだなあ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
* 「陰陽師礒氏法麻呂」おんようじ・いそうじの・のりまろ
正八位上相当官に該当し、有事の際には作戦計画に対する意見具申の任務も担ったとみられる。
* 「梅の花」擬人法も考える。 主人への慶賀を込め、人ならぬ梅花を招いて、旅人の庭園を仙境に見立て歓楽を尽くそう意。列席の念共(おもうどち)、同志を誘い宴の趣旨を定める。その場に集う念共は如何なる遊びかを認知する。
* 「手折りかざして」見るだけでは飽き足らず、手折って身に付けた。
植物の生命力を吸引する呪術。厄除け長命の呪物。生命力の増強儀礼。かざすところは髷に限らない。山野から庭園へそして手折って身に付ける。自然を身近に引き寄せる意識。
* 「手折り」〔名〕手で折ること。折りとること。また、そのもの。
* 「かざし」上代、草木の花や枝などを髪に挿したこと。また、挿した花や枝。平安時代以後は、冠に挿すことにもいい、多く造花を用いた。幸いを願う呪術的行為が、のち飾りになったものという。→髻華(うず) 〔名〕(動詞「かざす(翳)」の連用形の名詞化)手や物などでおおうこと。おおって陰にすること。また、そのもの。あるいは、おおうように手や物を上や前に置くこと。また、そのように置いたもの。
* 「て」は接続助詞。
* 「遊べども」新春自然の生命力を纏い、美酒をかわし、和語で歌を献じ、口唱して詠う。旅人の仙境に遊ぶとはこのようなこと。一字一音の万葉仮名の倭歌は聞いて調べが美しく歌の命となる。が 見ての歌自体の厚みは漢語を含む表記に比べ浅いとされる。
* 「遊べ」「遊ぶ」の已然形。〔自バ五(四)〕興のおもむくままに行動して楽しむ。神事に伴う舞楽を行なうことがもとといわれるが、広く楽しむ行動をいう。
* 「ども」接続助詞 逆接既定条件。活用語の已然形に付いて、逆接の既定条件を示す。「〜けれど」「〜けれども」「〜であっても」などの意。
* 「飽き」心理学の専門語では心的飽和という。単純であっても複雑であっても、一つの仕事を継続していると飽きが生じてくる。自分が興味をもっていることでは飽きはあまり生じない。
* 「足らぬ」〔形動〕物事のありさまなどが不十分である場合のさま。
* 「日・は」「は」は他と区別して、とりたてていう・強調する、係助詞。
* 「今日」 梅の花枝を手折り飾って宴会に臨んでも、なお、風流に飽きることのない今日であるなあ。
* 「に」時を示す格助詞。
* 「し」副助詞。種々の語を承け、それを強く指示して強調する。
* 「あり」〔名〕(動詞「ある(有)」の連用形の名詞化)あること。あるもの。存在。現実。
* 「けり」事態を振り返って認識していること、すなわち反省的認識をあらわす。動詞・助動詞の連用形に付く。

[出典<漢詩の朗読より「梅花落 鮑照」>転載元]
http://kanshi.roudokus.com/baikaraku-housyou.html

中庭雜樹多
偏為梅咨嗟
問君何獨然
念其霜中能作花
露中能作實
搖蕩春風媚春日
念爾零落逐寒風
徒有霜華無霜質

中庭に雜樹多きも、
偏えに梅の為に咨嗟す。
君に問う。「何ぞ独り然るや。」
「念え 其霜中に能く花を作し、
露中に能く実を作すを。
春風に搖蕩し 春日に媚ぶるも、
念え 爾らは零落して寒風を逐い、
徒らに霜華有って霜質無きを。」

現代語訳

中庭には様々な木があるが、
私が褒め称えるのは梅の木だけだ。

他の樹木が言うかもしれない。
「どうして梅ばかり褒めるのですか」と。

私は答えよう。
「考えみよ。霜の中でも花を開き、
露の中でも実を結ぶ。梅のすばらしさを。

お前たちは徒らに春風に揺れるばかりで
暖かい春の日には競って咲くが、
いざ寒い風が吹いてくると枯れ萎んでしまうじゃないか。


鮑照(412?-466)。南北朝時代の詩人。字は明遠。
謝霊運・顔延之と並び「元嘉の三大家」と称されます。

最後の官職「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と称されます。

杜甫は「春日李白を憶う」の中で、李白の詩の俊逸さを
「鮑照の詩のようだ」と例えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<「天平 の 歌学 び」(Adobe PDF)>参照。(yahoo検索)

全113ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
ニキタマの万葉集
ニキタマの万葉集
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事