ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

◎【万葉集再掲載】

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[題詞](問答歌)

[原文]豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念

[訓読]豊国の企救の長浜行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ

[仮名],とよくにの,きくのながはま,ゆきくらし,ひのくれゆけば,いもをしぞおもふ

[左注](右二首)

[校異]

[KW],地名,福岡,北九州市,恋情,望郷,羈旅
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
巻12−3219

[題詞](問答歌)

豊國乃聞之長濱去晩日之昏去者妹食序念

豊国の 企救の長浜 行き暮らし 日の暮れゆけば 妹をしぞ思ふ 

とよくにのきくのながはまゆきくらしひのくれゆけばいもをしぞおもふ
・・・・・・・・・・・
豊国小倉の長い浜を一日歩きとおした
日暮れを迎えると
私の帰りを待つ妻のことを想いだして 
疲れを忘れるのだ
・・・・・・・・・・・

「豊国」 九州北東部の古名。
「企救」 豊国にあった地名、「企救の長浜」は小倉から門司の大里にある海岸。

豊国の企救の浜松ねもころに何しか妹に相言ひ初めけむ
豊国の企救の浜辺のまなごつちまなほにしあれば何か嘆かむ 
豊国の企救の池なる菱のうれを摘むとや妹がみ袖ぬれけむ
豊国の企救の高浜たかだかに君待つ夜らはさ夜ふけにけり
ほととぎすとばたの浦にしく浪のしばしば君を見むよしもがも

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【丹羽孝さん】古代文字と和歌(6)
http://kanjikyoikushi.jp/column/column_20150204_niwa.html
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【変格活用】
https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%89%E6%A0%BC%E6%B4%BB%E7%94%A8
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http://manapedia.jp/text/4909

【から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ 】

このような歌の技法を折り句といいます。

この歌には、折り句の他に、枕詞、序詞、掛詞、縁語、係り結びなどの技法が用いられています。

■枕詞

「唐衣」は「着」にかかる枕詞。「着る」の他にも「裁つ」、「反す(かへす)」、「袖」、「裾」、「紐」などにかかります。

■序詞

「唐衣着つつ」は、「なれ」を導く序詞。

■掛詞

なれ 「着慣れる」またはなじんで柔らかくなるを意味する「萎る」と「馴れ親しむ」の「なれる」を掛けた言葉
つま 都に残してきた「妻」と衣の裾を意味する「褄」を掛けた言葉
はるばる 着物を張るを意味する「張る張る」と「遥々」を掛けた言葉
きぬる 「来」と「着」を掛けた言葉

■縁語

「なれ」、「つま」、「はる、「き」は「唐衣」の縁語。

■係り結び

旅をしぞ思ふ 強調の係助詞「ぞ」+ハ行四段活用「おもふ」の連体形


品詞分解

唐衣 枕詞
着 カ行上一段活用「きる」の連用形
つつ 接続助詞
なれ ラ行下二段活用「なる」連用形
に 完了の助動詞「ぬ」の連用形
し 過去の助動詞「き」の連体形
つま ー
し 強調の副助詞
あれ ラ行変格活用「あり」の已然形
ば 順接確定条件の接続助詞
はるばる 副詞
来 カ行変格活用「く」の連用形
ぬる 完了の助動詞「ぬ」の連体形
旅 ー
を 格助詞
し 強調の副助詞
ぞ 強調の係助詞
思ふ ハ行四段活用「おもふ」の連体形


著者名: 走るメロス
/////////////////
yahoo《秋流カエル》さんのブログ 




《なし−つぼ 【梨壺】名詞
平安京内裏(だいり)の五舎の一つ「昭陽舎(せうやうしや)」の別名。中庭に梨の木が植えてあるところからいう。女官の詰め所であるが、東宮の在所ともされる。》

<抜粋>梨壷の五人(枕草子)
https://blogs.yahoo.co.jp/oirakanimo/35395467.html
五一年、村上天皇が「万葉集」を訓読するように大中臣能宣・源順・清原元輔・坂上望城・紀時文の5人に命じます。
昭陽舎という後宮の一つに集まって「万葉集」の訓読を始めます。
この昭陽舎には梨の木が植えてあったので「梨壷」と呼ばれていました。
そこで「梨壷の五人」と言われるようになったのです。
何年かかったのかわかりませんが、「万葉集」4500首のうち、4000首ほどを読み解いたそうです。
この時の読み方を「古点」といいますが、残念なことにこれの書かれた本は残っていません。
その後、長い年月何人もの人が訓読します。この時、三百数十首の歌が訓読されます。この時の訓読を次点というそうです。それから1246年、仙覚が鎌倉将軍藤原頼経の命により、難解と言われた152首に訓読が施されます。これは新点と言われます。この152首を訓読するのに7年の歳月がかかっています。
このことから考えると、「梨壷の五人」が4000首の歌を訓読するのには相当の年数がかかったと思われます。
清少納言たちの時代、万葉集は古いものだありながら、実は初めて日の目を見た新しいものだったのですね。
だから、分類の中には「万葉集」にかかわる地名が出てきます。
わたしたち現代人から見ると、万葉も古今和歌集も枕草子も源氏物語も十把一絡げの「古典」ですが、万葉集は、平安時代の人にとってはすごい古典だったのです。<抜粋完了>
16 3837 雑歌,枕詞,宴席,誦詠,物名,即興,伝承

[題詞]

久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似<有将>見

ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜まれる水の 玉に似たる見む 
 
[ひさかたの] あめもふらぬか はちすばに たまれるみづの たまににたるみむ

・・・・・・・・・・・・
雨もふらないのか
蓮の葉に溜まる水が
水玉になるのを見ようものを
・・・・・・・・・・・・

* ひさかたの【久方の】 [枕]「天(あめ・あま)」「空」「月」「雲」「雨」「光」「夜」「都」などにかかる。かかり方未詳。主に大空にかかわる語にかかるが、語義についても、「日射す方」の意、「久方・久堅」から、天を永久に確かなものとする意など、諸説がある。また、「ひさかたの光のどけき(春の日に)」〈古今・春下〉などは、一説に「日」そのものの意とする。
* あめ 【雨】名詞 雨。涙のたとえ。涙の雨。
* 「も」は、文を言い切る力が文末にかかっていって、文末の述語は終止形となる。このような働きがあるところから、「も」は係助詞とされる(「は」も同様である)。このときの結びは終止形で、普通の文の言い切りの形(終止形)と同じである。
この点が、連体形結び・已然形結びになる他の係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」とは異なっている。
疑問を表す係助詞「か」と「や」
打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」に付いて「…も…ぬか(ぬかも)」の形で他に対する願望の意を表す。
「か」が文末にある場合、これを終助詞とする説もある。
* 「む」 助動詞四段型《接続》活用語の未然形に付く。
〔推量〕…だろう。…う。
〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。
〔仮定・婉曲(えんきよく)〕…としたら、その…。…のような。
主として連体形の用法。
〔適当・勧誘〕…するのがよい。…したらどうだ。…であるはずだ。


/////////////


<chi**kokkk>さん著。
https://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/28581858.html?type=folderlist
意吉麻呂の蓮葉の宴のように、下級官人も、蓮葉のご馳走で、宴をしている。
歌作りが、万葉人に、広く楽しまれていたという点、興味深い。

♪ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜まれる水の 玉に似たる見む    (万葉集・巻16・3837)
(空から雨が降って来ないものかなあ。蓮の葉に 溜まった水の、玉のようにきらきら光るのが見たい)

この歌には、こんな伝えがある。
右兵衛に務める男がいた。歌造りに秀でていた。
ある時、右兵衛府の役所で、酒食を用意して、配下の役人たちに振舞った。この時に、ご馳走はすべて蓮の葉に盛られていた。
やがて、酒もたけなわとなり、歌や舞がひっきりなしに続いた。
その時、人々が兵衛の男にけしかけて、
「その蓮の葉に、懸けて歌を作れ。」と言ったところ、間髪を容れずに、この歌を作ったという。
「右兵衛府」は、左兵衛府とともに、禁中の警備や行幸の供奉をつとめる役所。
兵衛の定員は、職員令によれば、左右合わせて、 800人。
兵衛は、地方豪族の子弟が多い。(郡司の娘は采女、息子は兵衛になった)
古くから、宴会で、カシワの葉を皿に使っていたが、夏には、蓮葉を使ったようです。
『延喜式』に、「 5月 5日青柏、 7月25日荷葉、余節干柏」 とあり、季節によって使い分けたらしい。
レンの音に、「蓮」→「憐」→「怜」→「恋」を想うのは、当時の常識だった。
恋、そして、美女の姿を感じとった。
「蓮葉に溜まれる水」は、美女の真珠の涙、それを見たいとうたう。
いよっ、艶っぽいね!パチパチパチ!
お酒に酔って、歌や舞にいいこんころもちになった男たちは、美女の真珠の涙は、俺のため!と錯覚したでしょう。
「ここに、饌食は盛るに、皆蓮葉をもちてす」ーーーご馳走はすべて蓮葉に盛られていた。
だから、目の前の蓮葉(美女)は俺のもの!となる。
美女の涙は、殿方には、ぐっとくるらしい。_〆(・_・ )
それにしても、
蓮葉は大きい。睡蓮なら、あえものを盛って似合いそうだけど・・・
おおきな蓮葉に、何を盛っていたんでしょう。
警備の仕事は、デスクワークじゃないから、お腹がすくのかな・・・
蓮葉(大皿)にダイナミックにぼんぼん盛って、もりもり食べてたのかな。
お刺身は、高杯に盛るし、汁物は、蓮葉だとこぼれるし、やっぱり、イモかなあ・・・

万葉集を読み始めた頃は、もっぱら、旅人のような貴族に、熱い視線を送っていた。
詠み進むうちに、庶民の生活ぶり・口吻に、感嘆することしきり。
下級官人は、どうだろう、と勝手な想像をしてしまいます。(#´ο`#)<了>
第十六巻
有由縁并雜歌




3786 雑歌,歌語り,櫻児,恋,二男一女,悲嘆,譬喩

[題詞]昔物有娘子 字曰櫻兒也 于時有二壮子 共誂此娘而捐生挌<競>貪死相敵 於是娘子戯欷曰 従古<来>今未聞未見一女之見徃適二門矣 方今壮子之意有難和平 不如妾死相害永息 尓乃尋入林中懸樹經死 其兩壮子不敢哀慟血泣漣襟 各陳心緒作歌二首
・・・・・
むかし 娘がいた 名を桜兒(さくらのこ)といった
ときに二人の若者がいて ともにこの娘に言い寄った
命がけで死も辞さず張り合った

娘は泣きじゃくりながら言った
古から今にいたるまで見もせず聞いたこともありません
一人の女の身で二人の方に連れ添うなど
今はもうあのお二人の気持ちを収めることはできないでしょう
わたしの命を絶ってあの殺し合いをお終いにするしかありまんせん 
と言って林に入って首をくくって死んでしまった
二人の若者は悲しみ血の涙を襟に流し
おのおのの思いをのべてそれぞれ一首の歌を詠んだ
・・・・・
            
 
春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 [其一]

春さらば かざしにせむと 吾が思ひし 桜の花は 散りにけるかも 

はるさらば かざしにせむと わがもひし さくらのはなは ちりにけるかも

・・・・・・・・・・・・
春が来たら
かざし(挿頭)にすると
わが心にきめていたあの桜の花は
咲くこともなく散ってしまった
・・・・・・・・・・・・

3787 雑歌,歌語り,恋,櫻児,二男一女,悲嘆,譬喩

[題詞妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓 [其二]

妹が名に 懸けたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに 

いもがなに かけたるさくら はなさかば つねにやこひむ いやとしのはに

・・・・・・・・・・・・
あの愛し子の名にゆかりの桜よ
その桜花が咲くときには
あの子を恋い焦がれよう年毎に
・・・・・・・・・・・・
* 「雑歌」 出典:「國文學」學燈社
http://neige7.pro.tok2.com/zoka.html   
万葉集の三大部立の一つ。相聞・挽歌と並ぶ。巻一・三・五・六・七・九・十三・十四に見え、さらに巻八・巻十には季節と組み合わされた雑歌(春雑歌・夏雑歌・・・)が、巻十六には「由縁有る、并びに雑の歌(有由縁并雑歌)の部立画が見える。三部立を並立するときは冒頭に置かれるのを常とし、比較的後部に配される後の勅撰集の雑歌とは、内容や意味に差異がある。巻一・三・六のものなど、最も古い伝統を持つ万葉集の雑歌の主流部分は、宮廷の儀礼や行事関係の歌である。(中略)
* 「有由縁并雜歌」伝承の民謡・歌謡を下にした歌、歌物語での歌、他の歌々を紹介するような隠し歌のようなもじり歌の技法の歌、同じ発音でも違う意味を持つ表記・表現を使った遊び歌、逆に同じ言葉の意味を色々な表記を使った遊び歌、流行の歌、漢字の持つ力を下にしたなぞ掛けの歌、歌に織り込む品数を競う歌、意味がありそうで全く意味が無い歌、お題に合わせて歌を詠った歌、政治を風刺する歌、本歌取りの歌、仏教説話のような歌、お国の歌、などと色々な技法やジャンルの歌<竹取翁と万葉集のお勉強>
* 「壮子」男、若者。
* 「誂」あと・う〔あとふ〕【×誂ふ/×聘ふ】[動ハ下二]
結婚を申し込む。妻として迎える。
* 「春さらば」春がめぐってきたら
* 「かざし」挿頭。簪(かんざし)。
* 「妹が名に懸(か)けたる桜花」愛しいあの娘の名と同じ桜の花
* 「かも」終助詞《接続》体言や活用語の連体形などに付く。
〔感動・詠嘆〕…ことよ。…だなあ。
* 「いや年のはに」毎年。「いや」修飾する語と一体化して接頭語的に用いられる場合が多い。


<chi**kokkk>さん著
https://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/28402694.html?type=folderlist
平安朝の貴族社会の人々が、歌の口承説話「歌語り」を、楽しんでいたことは、『源氏物語』や『枕草子』に見える。
『万葉集』では、磐姫皇后(仁徳天皇の奥様)の悲恋の歌を、柿本人麻呂が、語り伝えている。
こうした「歌語り」を語る持統朝からの伝統が、平安朝へと流れ込み、『伊勢物語』や『大和物語』の基盤となった。
万葉人のあいだに、広く享受されたものが、巻16に「由縁有る雑歌」としてある。
巻16の巻頭歌、まずその題詞から、

昔、娘子あり。字を、桜児といふ。時に、二人の壮士(をとこ)あり。共にこの娘子を誹(とぶら)ひ生(いのち)を損(す)ててあらそひ、死を貪りて相敵(あひあた)る。ここに、娘子なげきち日はく、「古より今に来るまで、いまだ聞かずいまだ見ず、一人の女の身、二つの門に往適(ゆ)くといふことを。方今し壮士の意、和平しかたきことあり。如かじ、妾(われ)死かりて相害ふこと永く息(や)まむには」といふ。
すなはち、林の中に尋ね入り、樹に懸りて経(わな)き死にき。
その両人の壮士、哀慟(かなしび)に敢(あ)へず、血の泣(なみた)襟にながる。
おのもおのも心緒(おもひ)を陳べて作る歌二首
(昔、一人の娘子がいた。世間が呼ぶ通り名を 桜児といった。その頃、二人の男がいた。
相ともに この娘子に言い寄って、命がけで張り合い、死をも辞せず挑みあった。
そこで、娘子は すすり泣きながらこう言った。
「遠く古い時代から、今に至るまで、まだ聞いたことも見たこともない、一人の女の身で、いっぺんに二人の殿方に連れ添うなんていうことは。今となっては もう あのお二人の気持ちなど、とても和らげようがない。私が死んで、あの攻めぎ合いを、きっぱり 止めさせるに越したことはない。」
と。そう言うや ただちに、林の中に分け入って、木に懸かって首をくくって死んでしまった。
その二人の男は、悲しみに堪えきれず、血の涙が溢れて 襟元に流れるほどであった。
そこで めいめい思いを述べて 作った歌二首、それは次の通り。)

♪春さらば かざしにせむと 我が思ひし 桜の花は 散り行けるかも    (万葉集・巻16・3786)
(春がめぐってきたら、その時こそ挿頭にしようと 私が心に思いこんでいた桜の花、その花は はや散って行ってしまったのだ、ああ。)

♪妹が名に 懸けたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに      (万葉集・巻16・3787)
(いとしいあの子の名に かかわりのある桜、その桜の花が咲く時になったなら、いつも恋しさに堪えきれないであろう、来る年も来る年もずっと。)

桜の花のようににおいやかな女性への憧れは、「桜」の美しさへの永遠の憧れです。
桜への憧れといえば、天平宝字2年(758) 8月 9日に贈られた聖武天皇の尊号には、「豊桜彦」という美称が入っている。
また、『日本書紀』には、允恭天皇が、衣通郎姫を思って、
「花妙(はなぐは)し 桜の愛で 殊愛でば 早くは愛でず 我が愛づる子ら」とある。
桜は、古くから 春の花の代表とされ、人々は桜の開花に、秋の豊穣を予祝したりもした。

そっくりな内容で、高橋虫麻呂の伝説歌がある。
菟原娘子(うなひをとめ)の歌3首。(万葉集・巻9・1809〜1811)
この歌も、2男が1女(菟原娘子)を争う話で、水死と経死との違いはあるけど、あいだにはさまれた女が死に、男が嘆き悲しむという構図です。
「歌語り」は、伝説歌(語り歌)から生まれた。
本来、由縁は口語り、歌は口誦であったものを、巻16の編者が、文章化したものらしい。
桜は、巻16の巻頭を飾るのに、ふさわしい花ですね。(*^▽^*)ノ<了>
14 3567;東歌,相聞,恋,出発
[題詞]防人歌
[左注](右二首<問>答)
於伎弖伊可婆  伊毛婆麻可奈之  母知弖由久  安都佐能由美乃  由都可尓母我毛
置きて行かば 妹はま愛し 持ちて行く 梓の弓の 弓束にもがも
おきていかば いもはまかなし もちてゆく あづさのゆみの ゆづかにもがも
・・・・・・・・・
おいてゆくには妻はしんから愛しい
持ってゆく梓弓の弓束であればいいのに
・・・・・・・・・
* 「ば」は、未然形に接続し、順接の仮定条件を示す。「(もし)〜ならば」。


3568東歌,相聞,女歌,恋,出発
[題詞]
於久礼為弖  古非波久流思母  安佐我里能  伎美我由美尓母  奈良麻思物能乎
後れ居て 恋ひば苦しも 朝猟の 君が弓にも ならましものを 
おくれゐて こひばくるしも あさがりの きみがゆみにも ならましものを
・・・・・・・・・
残されてどうすればいいのかつらい
朝狩のあなたの弓にでもなれないものか
・・・・・・・・・


3569東歌,相聞,防人,出発,旅,望郷,恋
[題詞]
佐伎母理尓  多知之安佐氣乃  可奈刀○尓  手婆奈礼乎思美  奈吉思兒良<波>母
防人に 立ちし朝開の 金門出に たばなれ惜しみ 泣きし子らはも 
さきもりに たちしあさけの かなとでに たばなれをしみ なきしこらはも
・・・・・・・・・
防人にたつ夜明けのかどでで
別れを惜しみ門で泣いた妻よ
私の心は今も張り裂けそうだよ
・・・・・・・・・
* 「子ら」はここでは単数。
* 「かなとで」は かどで。
* 「たばなれ」は手離れ、別れること。
* 「はも」は終助詞「は」に終助詞「も」がついて強い詠嘆を表す。


14 3570;東歌,相聞,望郷,恋
[題詞]
安之能葉尓  由布宜里多知弖  可母我鳴乃  左牟伎由布敝思  奈乎波思努波牟
葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音の 寒き夕し 汝をば偲はむ
あしのはに ゆふぎりたちて かもがねの さむきゆふへし なをばしのはむ
・・・・・・・・・
夕暮れの霧で葦の葉もかすむ難波
どこからか聞こえる鴨の声も寒々しい
遠いおまえのことをまた思い出しては
寂しさを耐え忍ぶ自分であることよ
・・・・・・・・・
* 「し」間助、語調・強意。
* 防人は、663年に百済救済のために出兵した白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたのを機に、北九州沿岸の防衛のため、軍防令が発せられて設置された。大宰府に防人司(さきもりのつかさ)が置かれ、諸国の軍団の兵士の中から選抜、難波に集結後、各地に配属された。定員は約1000名、勤務期間は3年とされた。


3571東歌,相聞,防人,望郷,不安,恋
[題詞]
於能豆麻乎  比登乃左刀尓於吉  於保々思久  見都々曽伎奴流  許能美知乃安比太
己妻を 人の里に置き おほほしく 見つつぞ来ぬる この道の間 
おのづまを ひとのさとにおき おほほしく みつつぞきぬる このみちのあひだ
・・・・・・・・・・
自分の妻なのに
よその里に置き去りにして来た
気がかりで振返っても
ただ隔たるばかり
防人としての別れも告げず
この道は果てしのない
非情の道になってしまうのだろうか
・・・・・・・・・・
* 「を」逆接条件を示す。「〜のに」。
* 「おほほし」は形容詞シク活用、心が晴れない、おぼろげである、憂鬱である意。
おほほ・し  形容詞シク活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
ぼんやりしている。おぼろげだ。
心が晴れない。うっとうしい。
聡明でない。 「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。
* 「おき」他動詞カ行四段活用{か/き/く/く/け/け}
「置く」の連用形。
(そのままにして)ほうっておく。
「うち」が付けばそれは接頭語。
* 「ぬ」助動詞ナ変型《接続》活用語の連用形に付く。
〔完了〕…てしまった。…てしまう。…た。
〔確述〕きっと…だろう。間違いなく…はずだ。
▽多く、「む」「らむ」「べし」など推量の意を表す語とともに用いられて、その事態が確実に起こることを予想し強調する。
〔並列〕…たり…たり。▽「…ぬ…ぬ」の形で、動作が並行する意を表す。
///ついで
ぬ 【寝】自動詞ナ行下二段活用{ね/ね/ぬ/ぬる/ぬれ/ねよ}
寝る。眠る。横になる。
* 「来ぬ・る」に強意「ぞ」を受けて連体止。
///ついで
* 「む」の基本的な意味は推量(〜だろう)または意志(〜しよう、 〜するつもりだ)、「来るだろう」または「来るつもりだ」。
○推量
物事の状態・程度や他人の心中などをおしはかること。
○推定
ある事実を手がかりにしておしはかって決めること。
○推測
ある事柄をもとにして物事の状態・程度や他人の心中などをおしはかること。
///
<chi**kokkk>さんのところより。
https://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/28215987.html?type=folderlist
この5首は、巻20の防人歌→天平勝宝 7(755)より、一時代早い歌。
♪置きて行かば 妹ばま愛(かな)し 持ちて行く 梓の弓の 弓束(ゆづか)にもがも             (万葉集・巻14・3567)
(家に残して行ったら、お前さんのことはこの先かわいくってたまらないだろう。せめて握り締めて行く、この梓の弓の弓束であってくれたらなあ)
♪後れ居て 恋ひば苦しも 朝猟(あさがり)の 君が弓にも ならましものを      (万葉集・巻14・3568)
(あとに残されていて 恋い焦がれるのは苦しくてたまりません。毎朝猟にお出かけの あなたがお持ちの弓にでもなりたいものです)
防人夫婦の悲別歌。
夫は、弓を妻そのものとして、握って行けたらなあ、と詠う。
巻20の防人歌にも、花だったら捧げ持って行こうとか、玉だったら髪に巻いて行こうという歌がある。
妻は、「持ちて行く弓」ではなく、夫が毎朝握り持つ猟の弓「朝猟の弓」になりたい、と詠う。
夫が遠い筑紫に行くのは、やんやん!朝猟の弓がいい!と、引き止めている。
♪防人に 立ちし朝明(あさけ)の かな門出(とで)に 手離れ惜しみ 泣きし子らばも   (万葉集・巻14・3569)
(防人に 出で立った夜明けの 門出の時に、この私から離れるのをせつながって 泣いた子、ああ)
♪葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 寒き夕(ゆふへ)し 汝(な)をば偲はむ      (万葉集・巻14・3570)
(葦の葉群れ 一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が 寒々と聞こえてくる夕べ、そんな夕暮れ時には  あなたのことがひとしお偲ばれることだろう)
防人は、いったん難波に集合し、そこから海路で任地に向かった。
この歌は、その難波の夕景を、先取りして別れの歌を詠んだもの。
難波は、葦の名所で、先輩防人から、難波の様子を聞いていたのかも。
歌いっぷりから、ヒラの防人ではなく、「国造丁」(くにのみやつこのちやう)かも。
大化改新以前の世襲の地方族長を、「国造」という。
改新後は、ほとんど「郡司」に任じられた。
地方豪族の家から出た防人が、「国造丁」だった。
♪己妻(おのづま)を 人の里に置き おほほしく 見つつぞ来むる この道の間         (万葉集・巻14・3571)
(この俺の妻なのに、その妻を、よその村里に置き去りにしたまま、うつうつと見返り見返り俺はやって来た。この道中を、ずっと。)
妻はよその村の人だったらしい。
だから、お別れがいえなかったらしい。(/_;)
防人の各人各様の別れが・・・むむう・・・<了>

.
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