ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集(下書き)

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4511;天平宝字2年,作者:三形王,宴席,中臣清麻呂,叙景,庭園讃美,属目

[題詞]属目山齊(しま)作歌三首
 (山斎を属目して作る歌三首)

[左注]右一首大監物御方王


乎之能須牟  伎美我許乃之麻  家布美礼婆  安之婢乃波奈毛  左伎尓家流可母

鴛鴦の住む 君がこの山斎 今日見れば 馬酔木の花も 咲きにけるかも 

をしのすむ きみがこのしま けふみれば あしびのはなも さきにけるかも

鴛鴦の住むお宅のこの山斎には
今日見ると馬酔木の花さえ咲いている

* 「馬酔木」はアセビ。早春から盛春にかけ、白い壺形の花が枝先に群がり咲く。
* 前五首の「依興」(想像)とこの三首の「属目」(実景)が対比的に用いられている。


4512;天平宝字2年,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,庭園讃美,叙景,属目

[題詞](属目山齊作歌三首)

伊氣美豆尓 可氣左倍見要○ 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈

池水に 影さへ見えて 咲きにほふ 馬酔木の花を 袖に扱入れな 

いけみづに かげさへみえて さきにほふ あしびのはなを そでにこきれな

池の水面に影さえ落とし
美しく映えて咲く馬酔木の花の
その香りを擦り付けて袖に入れよう

* 「さき‐にお・う」[:にほふ]咲匂 〔自ワ五(ハ四)〕(「におう」は美しく映えるの意)色香美しく咲く。一面に美しく咲き乱れる。
* 「袖にこきれな」は、花を袖に擦り付けて匂いを移し、そのまま袖の中に入れてしまおうということ。



4513;天平宝字2年,作者:甘南備伊香,宴席,中臣清麻呂,庭園讃美,属目

[題詞](属目山齊作歌三首)

[左注]右一首大蔵大輔甘南備伊香真人


伊蘇可氣乃  美由流伊氣美豆  ○流麻○尓  左家流安之婢乃  知良麻久乎思母

礒影の 見ゆる池水 照るまでに 咲ける馬酔木の 散らまく惜しも 

いそかげの みゆるいけみづ てるまでに さけるあしびの ちらまくをしも

岩陰の映る池の水面を
照らすばかりに咲いている馬酔木の花が
散ってしまうのは惜しいことだ

* 『山斎』は、漢詩文で山間のひっそりとした住処を意味する。
万葉集では、池や小山のある庭園をいう。磯は、海、湖や川の波打ち際の岩などのある場所。集歌では、磯、荒磯(ありそ)、磯廻(いそみ)などと表現されている。



20 4514;天平宝字2年2月10日,作者:大伴家持,藤原仲麻呂,未誦,小野田守,餞別,宴席,出発,羈旅,無事

[題詞]二月十日於内相宅餞渤海大使小野田守朝臣等宴歌一首
(二月十日、内相の宅に渤海大使小野田守朝臣等に餞(はなむけ)する宴の歌一首)

[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 [未誦之]
(右一首、右中弁大伴宿禰家持 誦まず)


阿乎宇奈波良  加是奈美奈妣伎  由久左久佐  都々牟許等奈久  布祢波々夜家無

青海原 風波靡き 行くさ来さ つつむことなく 船は速けむ 

あをうなはら かぜなみなびき ゆくさくさ つつむことなく ふねははやけむ

青海原では風波が静まり
往きも還りもつつがなく
船は速く進むことでしょう

* 「内相」は紫微内相藤原仲麻呂。
* 小野田守(をののたもり)は外交などに活躍した官人。天平十九年従五位下。その後大宰少弐・遣新羅大使・左少弁などを歴任し、この年天平宝字二年二月、遣渤海大使。同年九月に帰国し、唐で勃発した安禄山の乱の情報をもたらした。
* 「風波なびき」は、神の霊威によって風と波が平伏すること。
* 左注の「誦まず(未誦之)」は、歌が披露される機会がないまま宴が終わってしまったこと。<「大伴家持全集 訳注編 Vol.3 水垣 久 編訳」より抜粋転載>



20 4515;天平宝字2年7月5日,作者:大伴家持,大原今城,餞別,宴席,悲別

[題詞]七月五日於<治>部少輔大原今城真人宅餞因幡守大伴宿祢家持宴歌一首
(七月五日、治部少輔大原今城真人の宅にして、因幡守大伴宿禰家持に餞する宴の歌一首)

[左注]右一首大伴宿祢家持作之


秋風乃  須恵布伎奈婢久  波疑能花  登毛尓加射左受  安比加和可礼牟

秋風の 末吹き靡く 萩の花 ともにかざさず 相か別れむ 

あきかぜの すゑふきなびく はぎのはな ともにかざさず あひかわかれむ

秋風が葉末に吹き
野の萩をなびかせている
萩の花をともに縵に插すこともなく
別れてゆくのですね

☆ 友として一緒にやりたいことがあった。
  共に花をかざすような・・・

この年六月十六日、家持は因幡守(従五位下相当)を拝命。
因幡に発った後、八月には孝謙天皇が大炊王に譲位し、仲麻呂は大保(右大臣)に昇進、恵美押勝の名を賜る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下「因幡の国」より抜粋。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/inaba.html

天平宝字2年(西暦758年)6月16日、家持は右中弁から因幡守に遷任されました。7月5日には、友人の大原今城の宅で送別の宴が開かれ、家持は別れを惜しむ歌を残します。

秋風の 末吹きなびく 萩の花 ともに挿頭さず 相か別れむ(巻二十 4515)

(訳)野では秋風が葉末に吹き、萩をなびかせる――そんな季節になろうというのに、萩の花を仲よく髪に挿すこともしないまま、別れてゆくのでしょうか。

家持が去った後の都では、8月1日、孝謙天皇が皇太后への孝養を理由に譲位し、皇太子大炊王が天皇位に就かれました。第47代淳仁天皇です。文武天皇以来の草壁皇子直系の皇統はここに途切れることとなりました。しかし恒例の改元はなされず、立后等の記事も見られません。
 同日、即位に伴う叙位が行われますが、天平勝宝元年(749)従五位上に昇って以来昇叙のなかった家持は、ここでも選に漏れています。
 同月25日、藤原仲麻呂は大保(右大臣)に就任し、太政官の首座を占めました。同時に恵美押勝の名を与えられ、永世相伝の功封3000戸・功田100町を賜わり、私鋳銭・私出挙と恵美家印を用いることを許されます。異例ずくめの厚遇でした。

年が明けて天平宝字3年(759)正月1日、都では淳仁天皇が大極殿に出御し、初めて朝賀を受けられました。
 同じ日、家持は因幡の国庁で国郡司らを率いて朝廷を遥拝し、朝賀の儀を受けました。その後、部下たちを饗応する宴を張ります。

三年春正月一日、因幡国の庁にして、国郡の司等に饗を賜ふ宴の歌一首
新(あらた)しき 年の始めの 初春の けふ降る雪の いや重(し)け吉言(よごと)(巻二十 4516)

(訳)新たに巡り来た一年の始まりの初春の今日、この降りしきる雪のように、天皇陛下を言祝ぐめでたい詞がつぎつぎと重なりますように。

 こうして、雄略帝の、大王の勢威を高らかに宣言する歌に始まった万葉は、極めて儀式的な、個人的な感慨のまったく含まれない、しかし(それゆえにこそ)流れるように美しい調べをもつ、一臣下による天皇讃歌によって締めくくられた。
・・・・・・・

4516 天平宝字3年1月1日,作者:大伴家持,予祝,寿歌,鳥取,宴席

[題詞]三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首

[左注]右一首守大伴宿祢家持作之


新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 

あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

・・・・・・・・・・・・
巡り来た年の始めの初春に
今日降りしきる雪のように
天皇陛下を言祝ぐめでたい吉事が
つぎつぎと重なりますように
・・・・・・・・・・・・

* 万葉集最終歌。

<第二十巻へ>http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/34120488.html
    
サ20 4506;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)依興各思高圓離宮處作歌五首
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持


多加麻刀能 努乃宇倍能美也<波> 安礼尓家里 多々志々伎美能 美与等保曽氣婆

高圓の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば 

たかまとの ののうへのみやは あれにけり たたししきみの みよとほそけば

高圓の野の宮は荒れてしまいました

そこにお立ちになった伎美能治世も

遠い昔になってしまったので



サ20 4507;天平宝字2年2月,作者:大原今城,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首)
[左注]右一首治部少輔<大原>今城真人


多加麻刀能 乎能宇倍乃美也<波> 安礼奴等母 多々志々伎美能 美奈和須礼米也

高圓の 峰の上の宮は 荒れぬとも 立たしし君の 御名忘れめや 

たかまとの をのうへのみやは あれぬとも たたししきみの みなわすれめや

高円山の野に建つ宮は荒れてしまったが

そこにお立ちになった伎美能の

御名をお忘れることはない
 

* 高円山は奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。当時は狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていた。その野原もすっかりさびれてしまったと、時代を懐かしんでいる。
* 聖武天皇の陵墓は奈良市法蓮町の佐保山南陵にあり、高円山の南東の田原西陵に埋葬されたのは志貴皇子である。
* 草壁皇子は「王」だが大嘗祭を執り行ってないので「大王」ではなく、大王、大皇、王など訓読みで一律に「大君」の表記を行なうことや、「おほきみ」=天皇の解釈は間違いであることから、万葉仮名で「於保吉美」と記されているから「おほきみ」=天皇とは決められない。親王も「王」の「おほきみ」で、「みこ」皇子と御子との違いの風景である。
* ここでの「於保吉美」は2年前に崩御された聖武天皇か、40年前に亡くなられた志貴皇子か、疑ってみると歌の背景も変わってくる。



サ20 4508;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇,序詞

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首)
[左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣


多可麻刀能 努敝波布久受乃 須恵都比尓 知与尓和須礼牟 和我於保伎美加母

高圓の 野辺延ふ葛の 末つひに 千代に忘れむ 吾が大君かも 

[たかまとの のへはふくずの すゑつひに] ちよにわすれむ わがおほきみかも

高円山の野辺に這う葛がどこまでも続くように

千代の末までも

お忘れすることがありましょうか

吾らの大君を




サ20 4509;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,枕詞,聖武天皇

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首)
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持


波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美<乃> 賣之思野邊尓波 之米由布倍之母

延ふ葛の 絶えず偲はむ 大君の 見しし野辺には 標結ふべしも 

[はふくずの] たえずしのはむ おほきみの めししのへには しめゆふべしも

野に這う葛のように途切れることなく

絶えずお偲びしよう

大君がご覧になった野辺に

標しを結いつけておくことにしよう
  



サ20 4510;天平宝字2年2月,作者:甘南備伊香,宴席,中臣清麻呂,依興,高円,離宮,宮廷,懐古,聖武天皇,悲嘆

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)(依興各思高圓離宮處作歌五首)

於保吉美乃 都藝弖賣須良之 多加麻刀能 努敝美流其等尓 祢能未之奈加由

大君の 継ぎて見すらし 高圓の 野辺見るごとに 音のみし泣かゆ 

おほきみの つぎてめすらし たかまとの のへみるごとに ねのみしなかゆ

大君が今なを

お治めになっていられるだろうと思えば

この高円の野辺を見るたびに

声を挙げて泣かずにはいられない

サ20 4502;天平宝字2年2月,作者:甘南備伊香,宴席,中臣清麻呂,宴席讃美

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首大蔵大輔甘南備伊香真人


烏梅能波奈 左伎知流波流能 奈我伎比乎 美礼杼母安加奴 伊蘇尓母安流香母

梅の花 咲き散る春の 長き日を 見れども飽かぬ 礒にもあるかも 

うめのはな さきちるはるの ながきひを みれどもあかぬ いそにもあるかも
梅の花が散る春の永い一日

ずっと見ていても

飽きることのない磯ですことよ



サ20 4503;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,主人讃美,恋愛

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持


伎美我伊敝能 伊氣乃之良奈美 伊蘇尓与世 之婆之婆美等母 安加無伎弥加毛

君が家の 池の白波 礒に寄せ しばしば見とも 飽かむ君かも 

きみがいへの いけのしらなみ いそによせ しばしばみとも あかむきみかも
お宅の池の白波が繰り返し磯に寄せるように

幾度見ても見飽きるようなあなたでしょうか



サ20 4504;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席,恋愛

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣


宇流波之等 阿我毛布伎美波 伊也比家尓 伎末勢和我世<古> 多由流日奈之尓

うるはしと 吾が思ふ君は いや日異に 来ませ吾が背子 絶ゆる日なしに 

うるはしと あがもふきみは いやひけに きませわがせこ たゆるひなしに

ご立派な方とお見受けするあなた

これからは日を追っていよいよ

絶える日なくおいでくださいな
* 「いやひけ‐に」弥日異に [副]日を追っていよいよ。日増しに。



サ20 4505;天平宝字2年2月,作者:大原今城,宴席,中臣清麻呂,序詞,主人讃美,忠誠


作者:大原今城,中臣清麻呂,宴席,序詞,主人讃美,忠誠

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首治部少輔大原今城真人


伊蘇能宇良尓 都祢欲比伎須牟 乎之杼里能 乎之伎安我未波 伎美我末仁麻尓

礒の浦に 常呼び来住む 鴛鴦の 惜しき吾が身は 君がまにまに 

いそのうらに つねよびきすむ をしどりの をしきあがみは きみがまにまに

庭の磯の入江に

いつも呼び交わしながら来て

棲みついている鴛鴦ではありませんが

そのオシという言葉のように惜しい

二つとない吾が身は

すべてあなた様のお心のままにいたします


サ20 4492;天平宝字1年12月23日,作者:大伴家持,宴席,大原今城

[題詞]廿三日於治部少輔大原今城真人之宅宴歌一首
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持作

都奇餘米婆  伊麻太冬奈里  之可須我尓  霞多奈婢久  波流多知奴等可

月数めば いまだ冬なり しかすがに 霞たなびく 春立ちぬとか 

つきよめば いまだふゆなり しかすがに かすみたなびく はるたちぬとか
月数の上では十二月だから 

今はまだ冬である 

とはいえ 

あたりには霞がたなびいている 

すでに立春を迎えたことでもある
* 「読め」は、数を数える意。
* 「しかすがに」は、副詞。しかしながら。
* 「す」は、サ行変格動詞の終止形。 
* 「がに」は、程度・状態の接続助詞。
* 「春立つ」は、「立春になる。春になる」。
* 「ぬ」は、完了助動詞。
* 「と」は、引用の格助詞。
* 「か」は、疑問の係助詞。  〜たというのか。

* 大原今城は天平宝字元年六月十六日、治部少輔に任官。当時の治部大輔は市原王。今城はその前月には従五位下に叙せられており、ようやく貴族に列しました。題詞に「大原今城真人」の敬称法が用いられているのもそのためでしょう(これ以前は「大原真人今城」と称されています)。一方、今城より上位の従五位上だった家持は左注で「大伴宿禰家持」と卑称法で記されており、この歌の記録者が家持であったことは疑い難い。こうした例は他にも見られ、巻二十後半の筆録者を大原今城にあてる中西進氏の説(『万葉集形成の研究』中西進万葉論集第六巻、講談社)は肯定できません。<「大伴家持全集 訳注編 Vol.3 水垣 久 編訳」より抜粋転載>


サ20 4493;天平宝字2年1月3日,作者:大伴家持,未奏,宮廷,肆宴,宴席,藤原仲麻呂,寿歌,宮廷讃美

[題詞]二年正月三日召侍従竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴 于時内相藤原朝臣(仲麻呂)奉勅宣 諸王卿等随堪任意作歌并賦詩 仍應詔旨各陳心緒作歌賦詩 [未得諸人之賦詩并作歌也]
(二年正月三日、侍従・堅子・王臣等を召して、内裏の東の屋の垣下に侍はしめ、即ち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴きこしめしき。時に内相藤原朝臣勅を奉りて、宣はく、諸王卿等、堪(あ)ふるまにまに意に任せて、歌を作り并せて詩を賦せよとのりたまへり。仍りて、詔旨に応へ、各心緒を陳べて歌を作り詩を賦しき。諸人の賦せる詩と作れる歌とを得ず)
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持作 但依大蔵政不堪奏之也(大蔵の政に依りて、奏すに堪へざりき)右中弁としての仕事が忙しくて、奏上する機を逸した意。


始春乃  波都祢乃家布能  多麻婆波伎  手尓等流可良尓  由良久多麻能乎

初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒 

はつはるの はつねのけふの たまばはき てにとるからに ゆらくたまのを
初春の初子の日である今日

頂戴したこの玉箒を手にした途端に

妙なる音をたてる玉の緒です
* 「初子」は、初春の最初のの子の日。
* 「玉箒(たまばはき)」は、玉の緒の象徴としての繭玉(または硝子玉)を飾った箒。〔名〕古代、正月の子(ね)の日に、蚕室を掃くのに用いた、玉の飾りをつけた小さなほうき。
* 「ゆらく」は、飾り玉がぶつかりあって微妙な音をたてること。
 



サ20 4494;天平宝字2年1月6日,作者:大伴家持,未奏,予作,宮廷,行事,宴席,寿歌

[題詞]
[左注]右一首為七日侍宴右中辨大伴宿祢家持預(かねて)作此歌 但依仁王會事却以六日於内裏召諸王卿等賜酒肆宴給祿 因斯不奏也(* 七日の宴に備えて予め歌を作っておいたものの、七日は仁王会(仁王護国般若経を講ずる儀式)と重なって、節会は中止され、六日に肆宴と給禄のみ行われたので、歌を奏上する意味がなくなった。)


水鳥乃  可毛<能>羽能伊呂乃  青馬乎  家布美流比等波  可藝利奈之等伊布

水鳥の 鴨の羽の色の 青馬を 今日見る人は 限りなしといふ 

[みづとりの] かものはのいろの] あをうまを けふみるひとは かぎりなしといふ
青馬を今日見る人は

寿命が尽きないと言う
* 「水鳥の」は「鴨」の枕詞。また上二句は「青」を導く序。
* 「青馬」は白っぽい灰毛の馬。「白馬」と表記して「あおうま」と読む。
* 「七日の侍宴」とは、白馬節会(あをうまのせちえ)に伴う宴。
「白馬節会」は中国渡来の宮廷年中行事。陽春陽月(正月は少陽の月)陽日(七は少陽の数)に、陽の色(青)の陽の獣(馬)を、陽の数(二十一頭)見て、来る一年の邪気を払うもの。
* 陽の日「一月七日」に陽の色の獣を見た人はその寿命も限りなしと。
 


サ20 4495;天平宝字2年1月6日,作者:大伴家持,宮廷,肆宴,宴席,叙景,未奏

[題詞]六日内庭(内裏の庭)假植樹木(仮に樹木を植ゑ)以作林帷(以ちて林帷(りんゐ)と作(な)して)而為肆宴(中止された白馬節会の代用の宴会)歌
(肆宴きこしめす歌一首)
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持 [不奏]
   (右一首、右中弁大伴宿禰家持 奏さず)


打奈婢久 波流等毛之流久 宇具比須波 宇恵木之樹間乎 奈<枳>和多良奈牟

うち靡く 春ともしるく 鴬は 植木の木間を 鳴き渡らなむ 

[うちなびく] はるともしるく うぐひすは うゑきのこまを なきわたらなむ
春の証しとわかるように

鴬よ

植木の枝の間を鳴いて渡ってくれ
* 「肆宴」し‐えん〔名〕(「肆」はつらねる意)宴席を設けること。宴をもよおすこと。ここでは中止された白馬節会の代用の宴会。
* 「きこしめす」(主催する意の尊敬語)、主語は孝謙天皇。



サ20 4496;天平宝字2年2月,作者:大原今城,宴席,中臣清麻呂,怨恨

[題詞]二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首
[左注]右一首治部少輔大原今城真人


宇良賣之久 伎美波母安流加 夜度乃烏梅<能> 知利須具流麻O 美之米受安利家流

恨めしく 君はもあるか 宿の梅の 散り過ぐるまで 見しめずありける 

うらめしく きみはもあるか やどのうめの ちりすぐるまで みしめずありける
残念で悲しい

無情なお人ですねあなたは

お宅の梅が散り果てるまで

見せてくださらなかったとは



サ20 4497;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣


美牟等伊波婆 伊奈等伊波米也 宇梅乃波奈 知利須具流麻弖 伎美我伎麻左奴

見むと言はば 否と言はめや 梅の花 散り過ぐるまで 君が来まさぬ 

みむといはば いなといはめや うめのはな ちりすぐるまで きみがきまさぬ

見たいとおっしゃれば

嫌だなどと申したでしょうか

梅の花が散り果てるまで

あなたが来られなかったのですよ


サ20 4498;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,主人讃美,寿歌,序詞

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持


波之伎余之 家布能安路自波 伊蘇麻都能 都祢尓伊麻佐祢 伊麻母美流其等

はしきよし 今日の主人は 礒松の 常にいまさね 今も見るごと 

はしきよし けふのあろじは いそまつの つねにいまさね いまもみるごと

慕わしいこの日のご主人は

磯辺の松が常緑であるように

いつまでも変わりなくおいでください

今お見受けするままに
* 「はしきよ(や)し」[連語]形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」。いとおしい。なつかしい。


サ20 4499;天平宝字2年2月,作者:中臣清麻呂,宴席,寿歌,永遠

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首主人中臣清麻呂朝臣


和我勢故之 可久志伎許散婆 安米都知乃 可未乎許比能美 奈我久等曽於毛布

吾が背子し かくし聞こさば 天地の 神を祈ひ祷み 長くとぞ思ふ 

わがせこし かくしきこさば あめつちの かみをこひのみ ながくとぞおもふ

あなたがそうおっしゃって下さるのを聞いて

天地の神々に祈願してでも

長生きしたいと思います
* 「祈ひ祷み」いの・る 祈る/祷る[動ラ五(四)]動詞「の(宣)る」に接頭語「い(斎)」が付いてできた語。1 神や仏に請い願う。神仏に祈願する。
*  中臣清麻呂は、奈良時代の公家(702〜788年)。初め中臣氏を称したが、769年に大中臣の姓を賜った。



サ20 4500;天平宝字2年2月,作者:市原王,宴席,中臣清麻呂,恋情,主人讃美

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首治部大輔市原王


宇梅能波奈 香乎加具波之美 等保家杼母 己許呂母之努尓 伎美乎之曽於毛布

梅の花 香をかぐはしみ 遠けども 心もしのに 君をしぞ思ふ 

うめのはな かをかぐはしみ とほけども こころもしのに きみをしぞおもふ

梅の花の香を貴ぶ心が強い余り

かえって遠ざかって失礼を致しましたが

心はいつもしなうばかりに貴方の方に寄せているのです
* 「かぐはしみ遠けども」は、畏敬の念が強い余り近づけないでいたが、
の意。清麻呂を誉め讃えると共に、たびたび訪問できないことの弁解。
* 万葉集には梅の花の「香」を読んだ歌は、この一首しかない。
万葉集では、梅の花は「見て」楽しまれる事が多く、その「香」に対する意識は高くなかったが、中国では「梅の香」のほうが賛美されていて、その中国の影響で懐風藻では梅の香を詠んだものが増え、古今集では梅の色も香も読み込まれるようになった。
* 「けど」は、形容詞の已然形の語尾「けれ」の「れ」の脱落が見られる。
* 「ども」は、接続助詞 逆接既定条件。活用語の已然形に付いて、逆接の既定条件を示す「〜けれど」「〜けれども」「〜であっても」などの意。「ど」も「ども」の意味は全く同じ。




サ20 4501;天平宝字2年2月,作者:大伴家持,宴席,中臣清麻呂,寿歌,永遠,主人讃美,予祝

[題詞](二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十<五>首)
[左注]右一首右中辨大伴宿祢家持


夜知久佐能 波奈波宇都呂布 等伎波奈流 麻都能左要太乎 和礼波牟須婆奈

八千種の 花は移ろふ 常盤なる 松のさ枝を 吾れは結ばな 

やちくさの はなはうつろふ ときはなる まつのさえだを われはむすばな

色とりどりの花はいつかは色褪せる

常に変わらぬ松の枝を私たちは結びましょう

サ20 4482;作者:藤原執弓,難波,大阪,古歌,伝誦,大原今城,宴席,悲別,餞別,転用

[題詞]

保里延故要  等保伎佐刀麻弖  於久利家流  伎美我許己呂波  和須良由麻之<自>

堀江越え 遠き里まで 送り来る 君が心は 忘らゆましじ 

ほりえこえ とほきさとまで おくりける きみがこころは わすらゆましじ
堀江を越えて遠くの里まで送ってくださった

貴方のご厚情は

決して忘れることはないでしょう
* 「心」 誠実な気配り。
* 「ましじ」は上代語で、推量の助動詞「まし」に打消し推量の助動詞「じ」の付いたもの。
* 「堀江」は難波堀江。今城は当時兵部大丞で、防人交替などの事務のため、難波支庁に出張し、その際、難波を経て播磨へ向かう執弓と会う機会があり、「堀江を越えて」見送ったもの。
* 藤原朝臣執弓は仲麻呂の二男、久須麻呂の同母兄。当時の地位は六位以下。天平宝字二年八月従五位上にのぼり、父や兄弟とともに藤原恵美朝臣を賜姓される。同じ頃真先(まさき)と改名。参議・大宰帥などを経て、天平宝字八年九月父仲麻呂の謀反に加わり殺される。後、三月末、道祖王廃太子。四月、大炊王(後の淳仁天皇)立太子。家持は六月十六日兵部大輔(正五位下相当)に昇進。(出典等;大伴家持全集 訳注編 Vol.3 水垣 久 編訳)



サ20 4483;作者:大伴家持,宴席,無常,悲嘆,三形王

[題詞]勝寶九歳六月廿三日於大監物三形王之宅宴歌一首
[左注]右兵部大輔大伴宿祢家持作


宇都里由久  時見其登尓  許己呂伊多久  牟可之能比等之  於毛保由流加母

移り行く 時見るごとに 心痛く 昔の人し 思ほゆるかも 

うつりゆく ときみるごとに こころいたく むかしのひとし おもほゆるかも
時の移ろう様を見れば

心痛み 

昔の人が思われるのである
* だい‐けんもつ【大監物】〔名〕令制で中務(なかつかさ)省の職員。監物のうちで上位のもの。大蔵省、内蔵寮などの倉の鍵を管理する責任者。従五位下相当で、定員二名。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kawatugu.html


サ20 4484;作者:大伴家持,枕詞,悲嘆,無常,寿歌,永遠

[題詞]

佐久波奈波  宇都呂布等伎安里  安之比奇乃  夜麻須我乃祢之  奈我久波安利家里

咲く花は 移ろふ時あり あしひきの 山菅の根し 長くはありけり 

さくはなは うつろふときあり [あしひきの] やますがのねし ながくはありけり
美しく咲く花も

いつか色あせて散る時が来る

山に生える菅の根は

切れることなく長く生き続ける
* 「菅」の細長いい地下茎は、強く切れにくい。地味だが、美しいが短命な花と対比している。



サ20 4485;作者:大伴家持,天皇讃美,寿歌,永遠

[題詞]
[左注]<右>大伴宿祢家持作之


時花  伊夜米豆良之母  <加>久之許曽  賣之安伎良米晩  阿伎多都其等尓

時の花 いやめづらしも かくしこそ 見し明らめめ 秋立つごとに 

ときのはな いやめづらしも かくしこそ めしあきらめめ あきたつごとに
時を得て咲く花は 

ひとしお心ひかれるものです

このようにして 

季節の度ごとにご覧になって

御心をお晴らしください

秋が来る毎に
* 「かくしこそ」 は「かくこそ」に強調の副助詞「し」が入ったもの。
* 「見(め)し」は、見るの尊敬語、主格は天皇(孝謙天皇)か。
* 「時の花」は臣下の暗喩か。
* (背景)橘・大伴・多治比氏らによる反仲麻呂クーデタ計画、橘奈良麻呂の乱あり。黄文王・道祖王・大伴古麻呂らが拷問を受けて死んでいる。



サ20 4486;作者:大炊王,肆宴,宴席,宮廷

[題詞]天平寶字元年十一月十八日於内裏肆宴歌二首
[左注]右一首皇太子御歌
大炊王(おほひのおほきみ)。舎人親王の第七子。この年(天平宝字元年)四月、孝謙天皇の推挙により皇太子に就く(二十五歳)。翌年八月、即位(淳仁天皇)。


天地乎  弖良須日月乃  極奈久  阿流倍伎母能乎  奈尓乎加於毛波牟

天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

あめつちを てらすひつきの きはみなく あるべきものを なにをかおもはむ
天地を照らす太陽と月のように

皇位は極みなくあるものだ

何を物思いなどしようか




サ20 4487;作者:藤原仲麻呂,肆宴,宮廷,宴席

[題詞]

伊射子等毛  多波和射奈世曽  天地能  加多米之久尓曽  夜麻登之麻祢波

いざ子ども たはわざなせそ 天地の 堅めし国ぞ 夜麻登島根は 

いざこども たはわざなせそ あめつちの かためしくにぞ やまとしまねは

これ 人々よ

たわけたことはしなさるな

天地の神々が造り堅めた

この大和の国で
* 橘奈良麻呂の乱をほのめかしている。
* 「いざ」は勧誘の感動詞。
* 「子ども」は、若者や目下の人々に親しみ呼びかける語。
* 「戯業」は、たわけごと、ふざけたことの意。
* 「なせそ」は、副詞。禁止「な」+サ行変格活用動詞「す」の未然形「せ」+禁止の終助詞「そ」。
* 「夜麻登島根」は、「大和の国」。日本国の別称。「大養徳」国よも。



サ20 4488;天平宝字1年12月18日,作者:三形王,宴席,挨拶

[題詞]十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首

三雪布流 布由波祁布能未 鴬乃 奈加牟春敝波 安須尓之安流良之

み雪降る 冬は今日のみ 鴬の 鳴かむ春へは 明日にしあるらし 

みゆきふる ふゆはけふのみ うぐひすの なかむはるへは あすにしあるらし
雪降る冬は今日かぎりに

鴬の鳴く春は

立春の明日からでしょうよ



20 4489;作者:甘南備伊香,三形王,枕詞,叙景,宴席

[題詞]

宇知奈婢久 波流乎知可美加 奴婆玉乃 己与比能都久欲 可須美多流良牟

うち靡く 春を近みか ぬばたまの 今夜の月夜 霞みたるらむ 

[うちなびく] はるをちかみか [ぬばたまの] こよひのつくよ かすみたるらむ
春が近いからでしょうか

今宵の月は

霞がかっていますね



20 4490;天平宝字1年12月18日,作者:大伴家持,枕詞,宴席,三形王

[題詞](十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首)

安良多末能  等之由伎我敝理  波流多々婆  末豆和我夜度尓  宇具比須波奈家

あらたまの 年行き返り 春立たば まづ吾が宿に 鴬は鳴け 

[あらたまの] としゆきがへり はるたたば まづわがやどに うぐひすはなけ
年が行き変わり

立春を迎えたら

鴬よ 

どこより先にこの屋敷で鳴け



サ20 4491;作者:藤原宿奈麻呂妻:石川女郎,藤原宿麻呂

[題詞]

於保吉宇美能  美奈曽己布可久  於毛比都々  毛婢伎奈良之思  須我波良能佐刀

大き海の 水底深く 思ひつつ 裳引き平しし 菅原の里 

[おほきうみの みなそこふかく] おもひつつ もびきならしし すがはらのさと

大海の水底のように深く

あなたのことを思いながら

裳裾を引いて道が平らになる位

通い続けた菅原の里よ
* 「平(なら)し」は、平らにするという意。通い来る夫を待ちきれずに行きつ戻りつ待ち侘びた。
* 藤原宿奈麻呂(藤原四卿のうち式家の頭領 宇合の第二子)の妻、石川女郎が愛が薄れて離別されたことを悲しみ恨みながらも、寵厚く幸せだった日々を、あの頃が懐かしいと追憶した歌。宴席で歌劇のように歌ったか。


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