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4142 天平勝宝2年3月2日,作者:大伴家持,望郷,高岡 [題詞]二日攀柳黛思京師歌一首 春日尓 張流柳乎 取持而 見者京之 大路所<念> はるのひに はれるやなぎを とりもちて みればみやこの おほちしおもほゆ ・・・・・・・・・・・・
「柳黛」「張れる柳」は、平城京柳並木の朱雀大路行き交う都の女たちの美しい眉目、姿を掛けている。春の日差しにふっくらと芽吹いた 柳の枝を手折り つくづく見れば 京の大路の賑わいが思い出されることだ ・・・・・・・・・・・・ 4143 天平勝宝2年3月2日,作者:大伴家持,高岡,枕詞 [題詞]攀折堅香子草花歌一首(花をよじ折る歌) 物部<乃> 八<十>○嬬等之 ○乱 寺井之於乃 堅香子之花 [もののふの] やそをとめらが くみまがふ てらゐのうへの かたかごのはな ・・・・・・・・・・・・
大勢の乙女たちが水を汲み華やぐ その寺の井の畔には 片栗の花がひっそりと咲いている ・・・・・・・・・・・・ 4144 天平勝宝2年3月2日,作者:大伴家持,高岡 [題詞]見歸鴈歌二首 燕来 時尓成奴等 鴈之鳴者 本郷思都追 雲隠喧 つばめくる ときになりぬと かりがねは くにしのひつつ くもがくりなく ・・・・・・・・・・・
燕が来る季節になったと 雁は故郷を偲びながら 雲に隠れて鳴き渡って行く ・・・・・・・・・・・ サ4145 天平勝宝2年3月2日,作者:大伴家持,推敲,帰雁,高岡 [題詞](見歸鴈歌二首) 春設而 如此歸等母 秋風尓 黄葉山乎 不<超>来有米也 [一云 春去者 歸此鴈] はるまけて かくかへるとも あきかぜに もみたむやまを こえこざらめや[はるされば かへるこのかり] ・・・・・・・・・・・
* 「春まけて」春かたまけて とも。 古語「かたまく」は、時を待ち受ける、または、時が近づく、時になる、の意がある。春になって こうして故里に帰って行く雁だけれども 秋風が吹き山が黄葉したら 再び越えて戻って来ないわけがあろうか ・・・・・・・・・・・ サ19 4146;作者:大伴家持、懐古,望郷,高岡 [題詞]夜裏聞千鳥<喧>歌二首 夜具多知尓 寐覺而居者 河瀬尋 情<毛>之<努>尓 鳴知等理賀毛 よぐたちに ねざめてをれば かはせとめ こころもしのに なくちどりかも 夜中に
目覚めたままいると 川の浅瀬をたずねて 心が萎れるほどかなしげに 千鳥が鳴くことよ 19 4147;作者:大伴家持、懐古,高岡 [題詞](夜裏聞千鳥<喧>歌二首) 夜降而 鳴河波知登里 宇倍之許曽 昔人母 之<努>比来尓家礼 よくたちて なくかはちどり うべしこそ むかしのひとも しのひきにけれ 夜半も過ぎて
川千鳥の鳴く声が聞こえる なるほど もっともなことだ 昔の人も鳴き声を慕って 歌にも残している 淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ (柿本人麻呂03/0266) ぬばたまの 夜のふけぬれば 久木生ふる 清き河原に 千鳥しば鳴く (山部赤人06/0925) サ19 4148;作者:大伴家持、 [題詞]聞暁鳴雉歌二首 椙野尓 左乎騰流雉 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母 すぎののに さをどるきぎし いちしろく ねにしもなかむ こもりづまかも 杉の野に踊る雉は
☆ 動くだけでも目立つのに、なぜそんなにも大声で鳴くのか。危険は感じないのか。そうしないではいられない「私」を映しているようではないか。なぜあんなに大声で鳴くのだろう どこかにいる隠り妻が それほど恋しいからか サ19 4149;作者:大伴家持、叙景,枕詞 [題詞](聞暁鳴雉歌二首) 足引之 八峯之雉 鳴響 朝開之霞 見者可奈之母 [あしひきの] やつをのきぎし なきとよむ あさけのかすみ みればかなしも はるか峯々にこだまする
雉の声の籠もる朝焼けの霞 見れば 一人われはなぜか切ない [題詞]遥聞泝江船人之唱歌一首 朝床尓 聞者遥之 射水河 朝己藝思都追 唱船人 あさとこに きけばはるけし いみづかは あさこぎしつつ うたふふなびと 朝の寝床でまどろんでいると
遥かかなたから聞こえてくるのは 射水川を漕ぎながら唄う船人の声だなあ 以上、19/4142「柳黛を攀ぢて京師を思ふ歌」から19/4150までの九首は、三月二日の昼から翌朝明け方にかけての連作。 |
万葉集(下書き)
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サ4132 作者:大伴池主,贈答,書簡,大伴家持,戯歌,高岡 [題詞]更来贈歌二首 / 依迎驛使事今月十五日到来部下加賀郡境 面蔭<見>射水之郷戀緒結深海之村 身異胡馬心悲北風 乗月徘徊曽無所為 稍開来<封>其辞[云<々>]者 先所奉書返畏度疑歟 僕作嘱羅且悩使君 夫乞水得酒従来能口 論時合理何題強吏乎 尋誦針袋詠詞泉酌不渇 抱膝獨咲能ニ旅愁 陶然遣日何慮何思 短筆不宣 / 勝寶元年十二月十五日 徴物下司 / 謹上 不伏使君 [記室] / 別奉[云々]歌二首 (駅使を迎える任務によって、今月十五日、管内の加賀郡の越中国境に到来しました。貴君のおられる射水の里を瞼に想い浮かべ、ここ深見の村で恋しさに心ふさがれております。わが身は北方の胡馬でもありませんのに、心は北風を慕って悲しみに沈みます。月明かりに誘われて近隣を徘徊しましても、たえて心を慰めるすべもありません。頂戴したお便りをおもむろに開き見ましたところ、その文にしかじかとありましたので、先だって差し上げた書簡、却って誤解を招くところありましたかと、恐懼する次第です。小生、薄絹を所望などし、またもや国守殿を煩わせました。そもそも「水を望んで酒を得る」のは、もとより幸運と申すべきもの。時宜を弁え道理を存じておりましたなら、どうして暴吏などと記したでしょうか(愚かな故の過ちとお許し下さい)。さて、頂いた針袋のお歌を口吟みますれば、詩情は泉の如く汲めども尽きません。膝を抱いてひそかに笑みを洩らし、旅の愁いも晴れました。お蔭様で、陶然たる思いで今日一日をやり過ごすことが出来ました次第、もはや何の思い悩みなどありましょうか。乱筆、不備。 勝宝元年十二月十五日 物乞いした卑しい下役人より 不伏の国守様 御許 に謹んでたてまつる 別に奏上すること、云々 及び歌二首) <出典・転載元[大伴家持全集訳注編 Vol.2 水垣 久 編訳]より。> たたさにも かにもよこさも やつことぞ あれはありける ぬしのとのどに 縦の立場の身分はあなたはかみ(守)私は掾(副官)
* 「かにも」[副]「かにかくに」を強めた語。とにかく。いずれにせよ。 身分を離れて歌詠みとしても私は弟子 いずれにしても私はあなた様の家来でありました 4133 作者:大伴池主,贈答,書簡,大伴家持,戯歌,高岡 波里夫久路 己礼波多婆利奴 須理夫久路 伊麻波衣天之可 於吉奈佐備勢牟 はりぶくろ これはたばりぬ すりぶくろ いまはえてしか おきなさびせむ 針袋 これは確かに頂戴しました
* 「翁」というにはまだ遠い年齢ですよと拘っている。次は すり袋が頂きたいものです いかにも年寄りじみて振る舞えます 4134 作者:大伴家持,宴席,題詠,恋愛,文芸 [題詞]宴席詠雪月梅花歌一首 由吉<乃>宇倍尓 天礼流都久欲尓 烏梅能播奈 乎<理>天於久良牟 波之伎故毛我母 ゆきのうへに てれるつくよに うめのはな をりておくらむ はしきこもがも 雪に月が照り映えるこんな夜は
梅の花を折って贈ってあげる かわいいあの娘がいたらいいのに 4135 作者:大伴家持,恋愛,宴席,秦石竹 和我勢故我 許登等流奈倍尓 都祢比登<乃> 伊布奈宜吉思毛 伊夜之伎麻須毛 わがせこが こととるなへに つねひとの いふなげきしも いやしきますも あなたが琴を手に奏でるにつれて
* 「しきます」は、〔自サ四〕しきりに加わる。増し続ける。よく言われる感嘆の吐息というのが しきりに増してまいります 4136 作者:大伴家持,枕詞,寿歌,賀歌,高岡,宴席 [題詞] 安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等<理>天 可射之都良久波 知等世保久等曽 [あしひきの] やまのこぬれの ほよとりて かざしつらくは ちとせほくとぞ 山に生えていた木の梢から
* 「ほよ」寄生。 ヤドリギの古名。やどりぎを取って髪に挿したのは 皆々の千年の長寿を祝してのことです [題詞]<判>官久米朝臣廣縄之舘宴歌一首 牟都奇多都 波流能波自米尓 可久之都追 安比之恵美天婆 等枳自家米也母 むつきたつ はるのはじめに かくしつつ あひしゑみてば ときじけめやも 正月に替わる初春にあって
* 「時じけ」は形容詞「時じ」の未然形。「時じ」は、時を定めない・季節外れの、などの意。こうして相集って頬笑みあっているのですから まことに時節柄ふさわしいことではありませんか * 「やも」は強い否定を伴う反語で、「時じけめやも」は、「時節はずれであろうか、いや全く時節に相応しいことである」 <個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/32099530.html 4138 作者:大伴家持,砺波,宴席,多治比部北里 [題詞] 夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜 やぶなみの さとにやどかり はるさめに こもりつつむと いもにつげつや 藪波の里で宿借り
* 「墾田」は、礪波郡石栗にあった橘奈良麻呂の墾田など。春雨に降りこめられていると 妻に告げてくれましたか 春雨よ * 「多治比部北里」は伝未詳。 <個別へ> http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/32099525.html 第十九巻 サ4139 天平勝宝2年3月1日,作者:大伴家持,絵画,高岡 [題詞]天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花<作>二首 春苑 紅尓保布 桃花 下<照>道尓 出立D嬬 はるのその くれなゐにほふ もものはな したでるみちに いでたつをとめ 春の苑は紅色に照り映えている
* 「少女」は、前年に越中に下向してきた家持の妻・坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)を指すか。幻想か。桃の花のほのかに赤く色づいた道に 紅の裳裾の少女たちが佇んで * 「春園に赤い桃花が満開になっていて、そこに一人の乙女の立っている趣の歌で、大陸渡来の桃花に応じて、また何となく支那の詩的感覚があり、美麗にして濃厚な感じのする歌である」(斉藤茂吉) * 「にほふ」匂ふ。ハ行四段活用、にほ-ふ。(色などに)染まる。輝く。 * 「かをる」と「にほふ」 「香」と「色」の艶な美しさを述べるが、「かをる」は漂う「香」に、「にほふ」は「色」にあてる。 「かをる」は(香(か)・居る)で、「にほふ」は丹(に=赤土、赤色)ほ・ふ、艶のある感じ。他より抜きんでて表に現れること。(ふ)は活用語尾。視覚的な語。 * 「下照る・したでる」は不詳ながら、うっすらと花の色などで辺りが美しく照り映えるという意に。 ・・・・・・・・・・ * 「以下yahooブログ<重陽の節句を祝う>さんの「古代への想念」より転載」 http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/43863029.html?type=folderlist ー ー 春の苑に、紅い色の、匂い醸して咲く桃の花。 花は滴って、足元を染める。 その道に、今、聖女は立ち出でるのだ。 『天平勝寶二年三月一日之暮』 に歌われた この 大伴家持の “桃の花” の歌は、この前年に起こった都 (国) の重大事、阿倍内親王 が天皇の位に立った (・・・孝謙天皇) ことを暗に示唆していて、その新しい時代を寿いでいる歌 だと、私は解釈出来ると思っています。 「下照る道」 というのは、神の国である高天原には天照大神がいるように、丁度、天の下には、下照る姫がいる、と、古事記に読むことが出来ることから、 下照る姫がつくった道・・・人が住むこの国の、そのあるべき処に続く道、というような意味が感じられます。 その道に、今、とうとう、“〔女+感〕嬬” (をとめ) が出で立った、と 歌っている、それこそ、内親王の即位・・・女帝が誕生したことを表わしている という解釈を持つことが出来ると思うのです。 そういう解釈を抱きながら、繰り返し、歌の文字をみてみると、他に、幾つも、想起される興味深い事柄があるように思われてきます。 奈良県 桜井市の 纒向 (まきむく) 遺跡 で、大量の 「桃の種」 が発見された というニュースは、多くの人がご記憶のことと思います。 (私も、このブログで取り上げました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41985738.html → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41996038.html) この歌にある 桃 は、ですから、おそらく、あの 箸墓古墳 のある、巻向の地 を連想させる花だと思います。 にほふ という語は、額田王 が、奈良のみやこ を歌った時に用いた語です。 桃の花がにほう という語には、そこは みやこ だということを感じさせるものがあるのです。 巻向の地は、桃の花のにほう都だった という観念を、少なくとも、大伴家持 は持っていた という想像を、私は心に浮かべています。 そうして、この歌の最後に登場するのは “〔女+感〕嬬” (をとめ)、それで連想させられるのは、勿論 と、云いたい、卑弥呼 です。 4140 天平勝宝2年3月1日,作者:大伴家持,高岡 [題詞]々 吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母 わがそのの すもものはなか にはにちる はだれのいまだ のこりたるかも わが園の李の白い花なのだろうか
それとも 庭に散るのは 枝に消え残っているまだら雪だろうか [題詞]見飜翔鴫作歌一首 春儲而 <物>悲尓 三更而 羽振鳴志藝 誰田尓加須牟 はるまけて ものがなしきに さよふけて はぶきなくしぎ たがたにかすむ 春を待ちかねて
* 「はるまけて」は、春が近づくこと。春かたまけて、ともいう。古語「かたまく」は時を待ち受ける、または、時が近づく、時になる、の意がある。何となく切ない気分でいると 夜更けに鳴きながら鴫が羽ばたく いったい誰の田に休すむ鴫だろうか |
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4122 天平感宝1年6月1日,作者:大伴家持,雨乞い,寿歌,高岡 [題詞]天平感寶元年閏五月六日以来 起小旱 百姓田畝稍有<凋>色<也> 至于六月朔日 忽見雨雲之氣 仍作雲歌一首 [短歌一絶] (天平感宝元年閏五月六日以来、小旱起こりて、百姓の田畝稍く凋める色あり。今六月朔日に至りて、忽ち雨雲の気を見つ。仍りて作る雲の歌一首 短歌一絶) ・・・・・・・・
須賣呂伎能ー天皇のーすめろきのー天皇の 之伎麻須久尓能ー敷きます国のーしきますくにのー治められるこの国の 安米能之多ー天の下ーあめのしたー天下中の 四方能美知尓波ー四方の道にはーよものみちにはー四方の諸地方において 宇麻乃都米ー馬の爪ーうまのつめー馬の蹄が 伊都久須伎波美ーい尽くす極みーいつくすきはみー擦り減り尽きる果ての地 布奈乃倍能ー舟舳のーふなのへのー船の舳先が 伊波都流麻泥尓ーい果つるまでにーいはつるまでにー至り着ける限界まで 伊尓之敝欲ーいにしへよー昔から 伊麻乃乎都頭尓ー今のをつづにーいまのをつづにー現在まで 万調ーよろづ つきー多くの貢物を 麻都流都可佐等ー奉るつかさとーまつるつかさとー奉る為の勤めとして 都久里多流ー作りたるーつくりたるー作った 曽能奈里波比乎ーその生業をーそのなりはひをー田畑の作物である農作業を 安米布良受ー雨降らずーあめふらずー雨が降らずに 日能可左奈礼婆ー日の重なればーひのかさなればー幾日も重なったので 宇恵之田毛ー植ゑし田もーうゑしたもー苗を植えた田も 麻吉之波多氣毛ー蒔きし畑もーまきしはたけもー種を蒔いた畑も 安佐其登尓ー朝ごとにーあさごとにー毎朝見るたびに 之保美可礼由苦ーしぼみ枯れゆくーしぼみかれゆくーしぼんで枯れていく 曽乎見礼婆ーそを見ればーそをみればーそれを見るにつけ 許己呂乎伊多美ー心を痛みーこころをいたみー心が辛くなり 弥騰里兒能ーみどり子のーみどりこのー小さな子が 知許布我其登久ー乳乞ふがごとくーちこふがごとくー乳を欲しがるように 安麻都美豆ー天つ水ーあまつみづー天から降る雨を 安布藝弖曽麻都ー仰ぎてぞ待つーあふぎてぞまつー乞い天を仰いで待ち望む 安之比奇能ー[あしひきの]ー 夜麻能多乎理尓ー山のたをりにーやまのたをりにー山の峠の辺に 許能見油流ーこの見ゆるーこのみゆるー見えている 安麻能之良久母ー天の白雲ーあまのしらくもー店空の白雲が 和多都美能ー海神のー[わたつみの]ー 於枳都美夜敝尓ー沖つ宮辺にーおきつみやへにー海の沖の宮のある辺まで(能登半島沖の舳倉島を指す) 多知和多里ー立ちわたりーたちわたりー行き渡り 等能具毛利安比弖ーとの曇りあひてーとのぐもりあひてー一面雲って 安米母多麻波祢ー雨も賜はねーあめもたまはねー雨を賜りたい ・・・・・・・・ 許能美由流 久毛保妣許里弖 等能具毛理 安米毛布良奴可 <己許>呂太良比尓 このみゆる くもほびこりて とのくもり あめもふらぬか こころだらひに ・・・・・・・・
今見えている雲がはびこって 空一面に曇り 雨が降らないだろうか 心行くまで ・・・・・・・・ 4124 天平感宝1年6月4日,作者:大伴家持,雨乞い,寿歌,賀歌,高岡 [題詞]賀雨落歌一首 わがほりし あめはふりきぬ かくしあらば ことあげせずとも としはさかえむ ・・・・・・・・
待ち望んでいた雨が降ってきた これならもう 神に申し立てしなくとも 秋の稔りは豊かになるだろう ・・・・・・・・ 4125 天平感宝1年7月7日,作者:大伴家持,七夕,寿歌,高岡 [題詞]七夕歌一首[并短歌] ・・・・・・・・
安麻泥良須ー天照らすーあまでらすー天照らす 可未能御代欲里ー神の御代よりーかみのみよよりー大神の古き御代から 夜洲能河波ー安の川ーやすのかはー安の河を 奈加尓敝太弖々ー中に隔ててーなかにへだててー中に隔てて 牟可比太知ー向ひ立ちーむかひたちー互いに向かい立ち 蘇泥布利可波之ー袖振り交しーそでふりかはしー袖を振り交わし 伊吉能乎尓ー息の緒にーいきのをにー精魂も尽きんばかりに 奈氣加須古良ー嘆かす子らーなげかすこらー嘆息している恋人たち 和多里母理ー渡り守ーわたりもりー渡し守は 布祢毛麻宇氣受ー舟も設けずーふねもまうけずー船の用意もしてくれず 波之太尓母ー橋だにもーはしだにもー橋さえも 和多之弖安良波ー渡してあらばーわたしてあらばー渡してあれば 曽<乃>倍由母ーその上ゆもーそのへゆもーその上を 伊由伎和多良之ーい行き渡らしーいゆきわたらしー通い渡って行かれ 多豆佐波利ー携はりーたづさはりー寄り添って 宇奈我既里為弖ーうながけり居てーうながけりゐてー首に手を回し合い 於<毛>保之吉ー思ほしきーおもほしきー思いの 許登母加多良比ー言も語らひーこともかたらひーたけを語り合い <奈>具左牟流ー慰むるーなぐさむるー辛さを紛らす 許己呂波安良牟乎ー心はあらむをーこころはあらむをー心持ちになれように 奈尓之可母ー何しかもーなにしかもー何ということだろうか 安吉尓之安良祢波ー秋にしあらねばーあきにしあらねばー秋でなければ 許等騰比能ー言どひのーことどひのー言葉を交わすことさえ 等毛之伎古良ー乏しき子らーともしきこらー適わぬ恋人たち 宇都世美能ーうつせみのー現世の 代人和礼<毛>ー世の人吾れもーよのひとわれもー人間である我らも 許己<乎>之母ーここをしもーこれを何とも 安夜尓久須之弥ーあやにくすしみーなんとも不思議に神秘なこととして 徃更ー行きかはるーゆきかはるー行き代わる 年<乃>波其登尓ー年のはごとにーとしのはごとにー年度ごとに 安麻<乃>波良ー天の原ーあまのはらー天空を 布里左氣見都追ー振り放け見つつーふりさけみつつー振り仰いでは 伊比都藝尓須礼ー言ひ継ぎにすれーいひつぎにすれー語り継いできたのだ ・・・・・・・・ [題詞](七夕歌一首[并短歌])反歌二首 安麻能我波 々志和多世良波 曽能倍由母 伊和多良佐牟乎 安吉尓安良受得物 あまのがは はしわたせらば そのへゆも いわたらさむを あきにあらずとも ・・・・・・・・
天の川に橋が渡してあったなら その上を通って渡れるのに たとえその秋ではなくとも ・・・・・・・・ 4127 天平感宝1年7月7日,作者:大伴家持,七夕,寿歌,高岡 夜須能河波 許牟可比太知弖 等之<乃>古非 氣奈我伎古良河 都麻度比能欲曽 やすのかは こむかひたちて としのこひ けながきこらが つまどひのよぞ ・・・・・・・・
安の河を挟んで向かい立ち 一年の恋に 長い日々を耐えてきた恋人同士が やっと今夜は共に過ごせるのだよ ・・・・・・・・ 4128 天平勝宝1年11月12日,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,書簡,枕詞,戯歌,高岡 [題詞] 久佐麻久良 多比<乃>於伎奈等 於母保之天 波里曽多麻敝流 奴波牟物能毛賀 [くさまくら] たびのおきなと おもほして はりぞたまへる ぬはむものもが ・・・・・・・・
草を枕の旅の翁とお思いになってか 針を頂戴しました せっかく針をくださるのなら この上は縫う物が欲しいものです ・・・・・・・・ 4129 天平勝宝1年11月12日,作者:大伴池主,大伴家持,贈答,書簡,戯歌,高岡 芳理夫久路 等利安宜麻敝尓於吉 可邊佐倍波 於能等母於能夜 宇良毛都藝多利 はりぶくろ とりあげまへにおき かへさへば おのともおのや うらもつぎたり ・・・・・・・・
いただきました縫い針袋を 取り出して目の前に置き ひっくり返してみたら 何とまあご丁寧に 裏にまで凝った裏地が継いでありました ・・・・・・・・ 4130 天平勝宝1年11月12日,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,書簡,戯歌,高岡 波利夫久路 應婢都々氣奈我良 佐刀其等邇 天良佐比安流氣騰 比等毛登賀米授 はりぶくろ おびつつけながら さとごとに てらさひあるけど ひともとがめず ・・・・・・・・
* 「ながら」は、そのままの状態を維持することをあらわす。「〜したままで」「〜ながら」。針袋をずっと腰につけて 訪れる里を歩いてみましたが 誰も旅の翁とは 見てくれませんでした ・・・・・・・・ 維持・逆接の接続助詞で、体言、副詞、活用語の連用形などに付く。 * 元来は連体助詞「な」と形式名詞「から」が結び付いたもので、体言に付いて副詞句を作るのが最も古い用法であったろうという。「神ながら」(神であるままに)、「露ながら」(露もそのまま)など。 * 「照らさひ」誇示する。みせびらかす。 * 「とがめず」は、「とがむ」の未然形に打消の「ず」。心にとめない。 4131 天平勝宝1年11月12日,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,書簡,戯歌,高岡 等里我奈久 安豆麻乎佐之天 布佐倍之尓 由可牟<等>於毛倍騰 与之母佐祢奈之 [とりがなく] あづまをさして ふさへしに ゆかむとおもへど よしもさねなし ・・・・・・・・
* ふさ・う【相応う】[動ア五(ハ四)]1 よくつりあう。似合う。東国へ向かって 針袋にふさわしい長旅に 出ようかと思いますが よい口実も全く見つかりません ・・・・・・・・ 「ふさへしに」語義不詳。 |
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4110 左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ駅馬下れり里もとどろに [題詞]先妻不待夫君之<喚>使自来時作歌一首 (「先の妻」とは少咋の正妻のこと。夫君の使いを待ちきれず来た。) 左夫流兒我 伊都伎之等<乃>尓 須受可氣奴 <波>由麻久太礼利 佐刀毛等騰呂尓 さぶるこが いつきしとのに すずかけぬ はゆまくだれり さともとどろに ・・・・・・・・・・・
* 「左夫流児が斎きし殿」は、左夫流児が少咋の家で正妻然と振舞うことを云う。家の神事を斎き祭るのは、本来正妻たる家刀自(主婦)だけに許されていた。本妻のようにして 遊女左夫流児が神事にも仕えている お前の屋敷に 鈴も付けない使用の駅馬が 都から駆けつけて来た 鈴も付けていないのに 鈴の音が里中に鳴り響いたぞ ・・・・・・・・・・・ 4111 天平感宝1年閏5月23日,作者:大伴家持,賀歌,寿歌,橘諸兄,高岡,枕詞 [題詞]橘歌一首[并短歌] ・・・・・・・・・・・
可氣麻久母ーかけまくもー口にするのも 安夜尓加之古思ーあやに畏しーあやにかしこしー畏れ多いことである 皇神祖<乃>ー天皇のーすめろきのー神であらせられる天皇の 可見能大御世尓ー神の大御代にーかみのおほみよにー祖神の崇高な神代に 田道間守ーたぢまもりー(垂仁記の田道間守伝説) 田道間守が 常世尓和多利ー常世に渡りーとこよにわたりー常世に渡り 夜保許毛知ー八桙持ちーやほこもちー橘の実のついた八本の枝を (多くの苗木を持って) 麻為泥許之登吉ー参ゐ出来し時ーまゐでこしときー朝廷に持ち帰り参上した時 時<及>能ー時じくのー[ときじくの]ー非時香果(ときじくのみ)。 香久乃菓子乎ーかくの木の実をーかくのこのみをー 香(かく)の菓(このみ・み)(冬期にもしぼむことなく、採っても長く芳香を保つところから)タチバナの実のこと。 可之古久母ー畏くもーかしこくもー畏れ多くも 能許之多麻敝礼ー残したまへれーのこしたまへれー後世に残されたので 國毛勢尓ー国も狭にーくにもせにー国も狭しと 於非多知左加延ー生ひ立ち栄えーおひたちさかえー盛んに生え育ち栄え 波流左礼婆ー春さればーはるさればー春になれば 孫枝毛伊都追ー孫枝萌いつつーひこえもいつつー枝先にさらに小枝が芽生え 保登等藝須ー霍公鳥ーほととぎすーほととぎすが 奈久五月尓波ー鳴く五月にはーなくさつきにはー来て鳴く五月になれば 波都波奈乎ー初花をーはつはなをー初花が咲く 延太尓多乎理弖ー枝に手折りてーえだにたをりてー枝から手折り 乎登女良尓ー娘子らにーをとめらにー少女に 都刀尓母夜里美ーつとにも遣りみーつとにもやりみー包んで贈ったり 之路多倍能ー白栲のー[しろたへの]ー 蘇泥尓毛古伎礼ー袖にも扱入れーそでにもこきれーしごき取って袖に入れたり 香具<播>之美ーかぐはしみーかぐわしさに 於枳弖可良之美ー置きて枯らしみーおきてからしみーそのまま置いて枯らしてしまったりするのである 安由流實波ーあゆる実はーあゆるみはー熟れて落ちた果実は 多麻尓奴伎都追ー玉に貫きつつーたまにぬきつつー薬玉にぬき通して 手尓麻吉弖ー手に巻きてーてにまきてー手に巻き着けて 見礼騰毛安加受ー見れども飽かずーみれどもあかずー見るがいくら見ても見飽きることがない 秋豆氣婆ー秋づけばーあきづけばー秋めく頃には 之具礼<乃>雨零ーしぐれの雨降りーしぐれのあめふりーしぐれの雨が降り 阿之比奇能ー[あしひきの]ー 夜麻能許奴礼波ー山の木末はーやまのこぬれはー山の梢は久<礼奈為>尓ー紅にーくれなゐにー紅に 仁保比知礼止毛ーにほひ散れどもーにほひちれどもー色づき散ってしまうけれども 多知波奈<乃>ー橘のーたちばなのー橘の 成流其實者ーなれるその実はーなれるそのみはー木に生っているその実は 比太照尓ーひた照りにーひたてりにーひたすら照り輝いて 伊夜見我保之久ーいや見が欲しくーいやみがほしくー無性に目を惹かれ 美由伎布流ーみ雪降るーみゆきふるー雪の降る 冬尓伊多礼婆ー冬に至ればーふゆにいたればー冬に至れば 霜於氣騰母ー霜置けどもーしもおけどもー霜が置いても 其葉毛可礼受ーその葉も枯れずーそのはもかれずーその葉は枯れず 常磐奈須ー常磐なすーときはなすー常岩のように 伊夜佐加波延尓ーいやさかはえにーとこしえに照り栄えている 之可礼許曽ーしかれこそーであるからこそ 神乃御代欲理ー神の御代よりーかみのみよよりー神代の昔から 与呂之奈倍ーよろしなへーいみじくも 此橘乎ーこの橘をーこのたちばなをーこの橘を 等伎自久能ー時じくのー[ときじくの]ー非常香菓 可久能木實等ーかくの木の実とーかくのこのみとー香(かく)の菓(このみ・み)四季いつも芳香のと 名附家良之母ー名付けけらしもーなづけけらしもー名付けたものらしい ・・・・・・・・・・・ 4112 天平感宝1年閏5月23日,作者:大伴家持,賀歌,寿歌,橘諸兄,高岡 [題詞](橘歌一首[并短歌])反歌一首 橘波 花尓毛實尓母 美都礼騰母 移夜時自久尓 奈保之見我保之 たちばなは はなにもみにも みつれども いやときじくに なほしみがほし ・・・・・・・・・・・
橘は花の時も実の時も見ているけれども 時を分たず見れば見るほど もっと見ていたい気にさせられる ・・・・・・・・・・・ 4113 天平感宝1年閏5月26日,作者:大伴家持,枕詞,慰撫,高岡 [題詞]庭中花作歌一首[并短歌] ・・・・・・・・・・・
於保支見能ー大君のーおほきみのー天皇陛下の 等保能美可等々ー遠の朝廷とーとほのみかどとー統治される地方政庁として 末支太末不ー任きたまふーまきたまふーご任命なさる 官乃末尓末ー官のまにまーつかさのまにまー官職のままに 美由支布流ーみ雪降るーみゆきふるー雪が降る 古之尓久多利来ー越に下り来ーこしにくだりきー越の国に下って来て 安良多末能ー[あらたまの]ー 等之<乃>五年ー年の五年ーとしのいつとせー五年という年月 之吉多倍乃ー敷栲のー[しきたへの]ー 手枕末可受ー手枕まかずーたまくらまかずー妻の手枕を巻くことも無く 比毛等可須ー紐解かずーひもとかずー結んでくれた紐を解きもせずに 末呂宿乎須礼波ー丸寝をすればーまろねをすればーごろ寝しているので 移夫勢美等ーいぶせみとー心は鬱々とする 情奈具左尓ー心なぐさにーこころなぐさにー気慰めぐさにと 奈泥之故乎ーなでしこをー撫子の種を 屋戸尓末<枳>於保之ー宿に蒔き生ほしーやどにまきおほしー庭に蒔いて育て 夏能<々>ー夏の野のーなつのののー夏の野の 佐由利比伎宇恵天ーさ百合引き植ゑてーさゆりひきうゑてー百合を移し植え 開花乎ー咲く花をーさくはなをー咲く花を 移<弖>見流其等尓ー出で見るごとにーいでみるごとにー見に出るごとに 那泥之古我ーなでしこがー 撫子の花が 曽乃波奈豆末尓ーその花妻にーそのはなづまにー触れ難い妻に 左由理花ーさ百合花ーさゆりばなー(さ)美称。百合という花のように 由利母安波無等ーゆりも逢はむとーゆりもあはむとー後(ゆり)には逢おう 奈具佐無流ー慰むるーなぐさむるー思い心を慰める 許己呂之奈久波ー心しなくはーこころしなくはー心もなくては 安末射可流ー天離るーあまざかるー都から空遠く離れた 比奈尓一日毛ー鄙に一日もーひなにひとひもー鄙の地で一日でも 安流部久母安礼也ーあるべくもあれやー耐え過ごせるだろうか ・・・・・・・・・・・ 4114 [題詞](庭中花作歌一首[并短歌])反歌二首 奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母 なでしこが はなみるごとに をとめらが ゑまひのにほひ おもほゆるかも ・・・・・・・・・・・
* 「乙女ら」の「ら」は複数でなく、親愛の情を表わす接尾語。撫子の花を見るたびに 愛しい少女の微笑む面影が 照り映えて思い出される ・・・・・・・・・・・ * 当時の「恋」は「孤悲(こひ)」であり、相手がその場にいなくて悲しいという意味で、現代の恋の感覚とは違っている。 4115 天平感宝1年閏5月26日,作者:大伴家持,慰撫,高岡 [題詞]((庭中花作歌一首[并短歌])反歌二首) 佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母 [さゆりばな] ゆりもあはむと したはふる こころしなくは けふもへめやも
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* 「した‐は・う」下延ふ [動ハ下二]「した」は心の意。心の中でひそかに思う。百合の花ではないが 後(ゆり)には逢えると ひそかに思う気持ちがなかったら 今日一日たりとも 過ごすことなど出来ようか ・・・・・・・・・・・ |


