ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集(下書き)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
サ20 4398;天平勝宝7年2月19日,作者:大伴家持,防人歌,同情,難波,枕詞,難波

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)為防人情陳思作歌一首[并短歌]
 防人の情(こころ)と爲りて思いを陳べて作る歌一首
[左注](右十九日兵部少輔大伴宿祢家持作之)
・・・・・・・・・・・
↓[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー

大王乃 ー大君のーおほきみのー大君の 
美己等可之古美ー命畏みーみことかしこみー御言葉を受け賜り
都麻和可礼ー妻別れーつまわかれー妻との別れは
可奈之久波安礼特ー悲しくはあれどーかなしくはあれどー悲しくとも
大夫ー大夫のーますらをのー健児の
情布里於許之ー心振り起しーこころふりおこしー心を奮い起こし
等里与曽比ー取り装ひーとりよそひー身なりをとり装い
門出乎須礼婆ー門出をすればーかどでをすればー門出する
多良知祢乃ー[たらちねの]
波々可伎奈Oー母掻き撫でーははかきなでー母は頭を撫で
若草乃ー若草のー[わかくさの]ー
都麻波等里都吉ー妻は取り付きーつまはとりつきー妻は取り付き
平久ー平らけくー[たひらけく] どうかご無事で 
和礼波伊波々牟ー我れは斎はむーわれはいははむーわたしは謹み祈っています
好去而ーま幸くてーまさきくてー幸に 
早還来等ー早帰り来とーはやかへりことー早くお帰りなさいと
麻蘇O毛知ー真袖もちーまそでもちー袖をとって
奈美太乎能其比ー涙を拭ひーなみだをのごひー涙を拭い
牟世比都々ーむせひつつー咽びながら
言語須礼婆ー言問ひすればーことどひすればーものを言う 語る
群鳥乃ー群鳥のー[むらとりの]
伊O多知加弖尓ー出で立ちかてにーいでたちかてにー出発しきれずに
等騰己保里ーとどこほりー立ち止まり
可<弊>里美之都々ーかへり見しつつーかへりみしつつー振返りながら
伊也等保尓ーいや遠にーいやとほにーいよいよ遠く
國乎伎波奈例ー国を来離れーくにをきはなれー故郷を離れ
伊夜多可尓ーいや高にーいやたかにーいよいよ高く
山乎故要須疑ー山を越え過ぎーやまをこえすぎー山を越え過ぎて  
安之我知流ー葦が散るー[あしがちる]ー
難波尓伎為弖ー難波に来居てーなにはにきゐてー難波津に来た
由布之保尓ー夕潮にーゆふしほにー夕潮に 
船乎宇氣須恵ー船を浮けすゑーふねをうけすゑー舟を浮かべ据え
安佐奈藝尓ー朝なぎにーあさなぎにー朝凪に
倍牟氣許我牟等ー舳向け漕がむとーへむけこがむとー(筑紫に)舳先を向け漕ぎ出そうと
佐毛良布等ーさもらふとー待つ
和我乎流等伎尓ー吾が居る時にーわがをるときに
春霞ーはるかすみー霞が
之麻<未>尓多知弖ー島廻に立ちてーしまみにたちてー島の入江にかかり
多頭我祢乃ー鶴が音のーたづがねのー鶴は
悲鳴婆ー悲しく鳴けばーかなしくなけばーもの悲しく鳴く
波呂<婆>呂尓ーはろはろにーはるばる はるか 遠くはるかな
伊弊乎於毛比Oー家を思ひ出ーいへをおもひでー吾が家を思い出し
於比曽箭乃ー負ひ征矢のー[おひそやの]  背負う征矢(そや) が
曽与等奈流麻Oーそよと鳴るまでー音を立てるほど
奈氣吉都流香母ー嘆きつるかもーなげきつるかもーもだえ嘆いてしまう
・・・・・・・・・・・



サ20 4399;天平勝宝7年2月19日,作者:大伴家持,防人歌,同情,望郷,難波

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(為防人情陳思作歌一首[并短歌])

宇奈波良尓  霞多奈妣伎  多頭我祢乃  可奈之伎与比波  久尓<弊>之於毛保由

海原に 霞たなびき 鶴が音の 悲しき宵は 国辺し思ほゆ 

うなはらに かすみたなびき たづがねの かなしきよひは くにへしおもほゆ

海原に霞がたなびき 

鶴の声の哀しい宵は 

ふるさとの事が思われる 



サ20 4400;天平勝宝7年2月19日,作者:大伴家持,防人歌,望郷,同情,難波

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(為防人情陳思作歌一首[并短歌])

伊<弊>於毛負等 伊乎祢受乎礼婆 多頭我奈久 安之<弊>毛美要受 波流乃可須美尓

家思ふと 寐を寝ず居れば 鶴が鳴く 葦辺も見えず 春の霞に 

いへおもふと いをねずをれば たづがなく あしへもみえず はるのかすみに

家を思い眠れないでいると 

哀しい鶴の声で夜明けをしる

春霞が流れてまだ葦辺は見えない 



サ20 4401;作者:他田舎人大嶋,防人歌,天平勝宝7年2月22日,悲別,悲嘆,長野

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首國造(くにのみやつこ)小縣(ちいさがた)郡他田(をさだ)舎人大嶋
( / 二月廿二日信濃國防人部領使上道得病不来 進歌<數>十二首 但拙劣歌者不取載之)

可良己呂<武> 須<宗>尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曽伎<怒>也 意母奈之尓志弖

唐衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きてぞ来のや 母なしにして 

からころむ すそにとりつき なくこらを おきてぞきのや おもなしにして

韓衣の裾に取り付き

泣く子らを置いて来た 

母親もいないのに



サ20 4402;天平勝宝7年2月22日,作者:神人部子忍男,防人歌,手向け,長野,悲別

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首主帳埴科郡神人部(かむとべ)子忍男(こおしを)
( / 二月廿二日信濃國防人部領使上道得病不来 進歌<數>十二首 但拙劣歌者不取載之)

知波夜布留  賀美乃美佐賀尓  奴佐麻都<里>  伊波<布>伊能知波  意毛知々我多米

ちはやぶる 神の御坂に 幣奉り 斎ふ命は 母父がため 

 [ちはやふる] かみのみさかに ぬさまつり いはふいのちは おもちちがため

神います峠の路に

幣を奉り斎ふいのちは

母と父のため




サ20 4403;天平勝宝7年2月22日,作者:小長谷部笠麻呂,防人歌,長野,羈旅

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首小長谷部(をはつせべ)笠麻呂
/ 二月廿二日信濃國防人部領使上道得病不来 進歌<數>十二首 但拙劣歌者不取載之

意保枳美能 美己等可之古美 阿乎久<牟>乃 <等能>妣久夜麻乎 古与弖伎怒加牟

大君の 命畏み 青雲の とのびく山を 越よて来ぬかむ 

おほきみの みことかしこみ あをくむの とのびくやまを こよてきぬかむ

大君の詔を畏み承って 

青雲の棚引く山々を越えて来たのだなあ



サ20 4404;天平勝宝7年2月23日,作者:上毛野牛甘,防人歌,難波,望郷,悲別,群馬,上毛野駿河

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首助丁上毛野(かみつけの)牛甘(うしかひ)
( / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之)

奈尓波治乎  由伎弖久麻弖等  和藝毛古賀  都氣之非毛我乎  多延尓氣流可母

難波道を 行きて来までと 吾妹子が 付けし紐が緒 絶えにけるかも 

なにはぢを ゆきてくまでと わぎもこが つけしひもがを たえにけるかも

難波路を行って帰るまでと

愛しい人の付けてくれた紐の緒も

長い年月で切れてしまった

紐が切れても忘れはしないが



サ20 4405;天平勝宝7年2月23日,作者:朝倉益人,防人歌,上毛野駿河,群馬,悲別,恋情

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首朝倉益人(ますひと)
( / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之)

和我伊母古我  志濃比尓西餘等  都氣志<非>毛  伊刀尓奈流等母  和波等可自等余

吾が妹子が 偲ひにせよと 付けし紐 糸になるとも 吾は解かじとよ 

わがいもこが しぬひにせよと つけしひも いとになるとも わはとかじとよ

愛しい妻がわたしを偲ぶためにと付けた紐

たとえ糸になっても私には解けない



サ20 4406;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴部節麻呂,防人歌,上毛野駿河,群馬,枕詞,望郷,悲別

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首大伴部節麻呂
( / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之)

和我伊波呂尓  由加毛比等母我  久佐麻久良  多妣波久流之等  都氣夜良麻久母

吾が家ろに 行かも人もが 草枕 旅は苦しと 告げ遣らまくも 

わがいはろに ゆかもひともが くさまくら たびはくるしと つげやらまくも

わが家の方へ行く人があればなぁ 

草枕の旅は苦しいと妻に伝えてもらいたいよ 



サ4407;天平勝宝7年2月23日,作者:他田部子磐前,防人歌,悲別,望郷,枕詞,上毛野駿河

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首他田部(をさだべ)子磐前(こいはさき)
/ 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君(かみつけの)駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之

比奈久母理  宇須比乃佐可乎  古延志太尓  伊毛賀古比之久  和須良延奴加母

ひな曇り 碓氷の坂を 越えしだに 妹が恋しく 忘らえぬかも 

 [ひなくもり] うすひのさかを こえしだに いもがこひしく わすらえぬかも

薄日さす

碓氷の坂を越えるときも 

想うは恋し妻のおもかげ 


サ20 4387;天平勝宝7年2月16日,作者:大田部足人,防人歌,県犬養浄人,千葉,序詞,自嘲,恋,望郷

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首千葉郡大田<部>足人
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

知波乃奴乃  古乃弖加之波能  保々麻例等  阿夜尓加奈之美  於枳弖他加枳奴

千葉の野の 児手柏の ほほまれど あやに愛しみ 置きて誰が来ぬ 

[ちばのぬの このてかしはの ほほまれど] あやにかなしみ おきてたがきぬ

[千葉の野の 子供の手のような つぼまった柏の若葉] 

不思議なほど愛しい

そんなお前を置いて来たとは



サ20 4388;天平勝宝7年2月16日,作者:占部虫麻呂,防人歌,千葉,県犬養浄人

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首占部虫麻呂
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

多妣等<弊>等  麻多妣尓奈理奴  以<弊>乃母加  枳世之己呂母尓  阿加都枳尓迦理

旅とへど 真旅になりぬ 家の妹が 着せし衣に 垢付きにかり 

たびとへど またびになりぬ いへのもが きせしころもに あかつきにかり

旅とは言うが

ずいぶんな長旅になった

出立に母がくれた着物も

垢まみれになってしまったよ



サ20 4389;天平勝宝7年2月16日,作者:丈部大麻呂,防人歌、怨恨,千葉,県犬養浄人

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首印波(いには)郡丈部(はつかべ)直大麻呂
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

志保不尼乃 <弊>古祖志良奈美 尓波志久母 於不世他麻保加 於母波弊奈久尓

潮舟の 舳越そ白波 にはしくも 負ふせたまほか 思はへなくに 

しほふねの へこそしらなみ にはしくも おふせたまほか おもはへなくに

海上をゆく舟の 

舳先を突然越す白波のように

俄かにせはしなく

命令なさるものよ 

思いがけないことだ



サ20 4390;天平勝宝7年2月16日,作者:刑部志可麻呂,防人歌,恋情,千葉,県犬養浄人

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首ミ島郡刑部(おさかべ)志可麻呂
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

牟浪他麻乃  久留尓久枳作之  加多米等之  以母加去々里波  阿用久奈米加母

群玉の 枢にくぎさし 堅めとし 妹が心は 動くなめかも 

 [むらたまの] くるにくぎさし かためとし いもがこころは あよくなめかも

くるる戸に釘をさすような用心もしてきた 

妻の心も安心して揺れ動かないだろう
* 「むらたまの」は上代東国方言、枕詞。射干玉がくるくる回ることから、「くる」にかかる。
* 「くる」は開き戸と敷居に戸締りの桟などを通した装置。



サ20 4391;天平勝宝7年2月16日,作者:忍海部五百麻呂,防人歌,千葉,県犬養浄人,恋情,神祭り

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首結城郡忍海部(おしぬみべ)五百麻呂
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

久尓<具尓>乃  夜之呂乃加美尓  奴佐麻都理  阿加古比須奈牟  伊母賀加奈志作

国々の 社の神に 幣奉り 贖乞ひすなむ 妹が愛しさ 

くにぐにの やしろのかみに ぬさまつり あがこひすなむ いもがかなしさ

・・・・・・・・・・
旅行く先々の

土地のの神に幣を奉り祈ります 

わが戀する愛しい妻に

幸せあれと
・・・・・・・・・・



サ20 4392;天平勝宝7年2月16日,作者:大伴部麻与佐,防人歌,千葉,県犬養浄人,恋情,望郷,神祭り

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首埴生郡(はにふ)大伴部麻与佐(まよさ)
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

阿米都之乃  以都例乃可美乎  以乃良波加  有都久之波々尓  麻多己等刀波牟

天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に 言とはむタイトル

あめつしの いづれのかみを いのらばか うつくしははに またこととはむ
・・・・・・・・・・
天地八百万の神に祈れば 

美しいお母さんに

もう一度会って話ができるだろうか
・・・・・・・・・・



サ20 4393;作者:雀部廣嶋,防人歌,千葉,悲別,出発,恋情

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首結城郡雀部(さざきべ)廣嶋
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

於保伎美能  美許等尓<作>例波  知々波々乎  以波比<弊>等於枳弖  麻為弖枳尓之乎

大君の 命にされば 父母を 斎瓮と置きて 参ゐ出来にしを 

おほきみの みことにされば ちちははを いはひへとおきて まゐできにしを
・・・・・・・・・・
大君のご命令なので

父母を斎瓶とともに

家に置いて来たのだなあ
・・・・・・・・・・
* 「され‐ば」然れば。 動詞「さ(然)り」の已然形+接続助詞「ば」。[接] 前述の事柄の当然の結果として起こることを表す。そんなわけで。そうであるから。だから。
* 「いはひへ」 神を祭って供える酒を入れる器。
* 「を」 詠嘆・感動。・・・だなあ。




サ20 4394;天平勝宝7年2月16日,作者:大伴部子羊,防人歌,千葉,悲嘆

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首相馬郡大伴<部>子羊(こひつじ)
/ 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人(きよひと)進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之

於保伎美能  美己等加之古美  由美乃美<他>  佐尼加和多良牟  奈賀氣己乃用乎

大君の 命畏み 弓の共 さ寝かわたらむ 長けこの夜を 

おほきみの みことかしこみ ゆみのみた さねかわたらむ ながけこのよを
・・・・・・・・・・
大君の命をかしこみ

弓と共寝で過ごす

長いこの夜を
・・・・・・・・・・




サ20 4395;天平勝宝7年2月17日,作者:大伴家持,龍田,奈良,難波

[題詞]獨惜龍田山櫻花歌一首
獨り龍田(たつた)山の櫻花を惜しむ歌一首
[左注](右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之)
(右の三首は二月十七日に大伴家持作れり。)

多都多夜麻  見都々古要許之  佐久良波奈  知利加須疑奈牟  和我可敝流刀<尓>

龍田山 見つつ越え来し 桜花  散りか過ぎなむ 吾が帰るとに 

たつたやま みつつこえこし さくらばな ちりかすぎなむ わがかへるとに
・・・・・・・・・・
龍田山を越える時は 

桜花を眺めながら来たが

私が帰るころには 

散り去っているのだろうなあ
・・・・・・・・・・



サ20 4396;作者:大伴家持,龍田,奈良,難波,望郷

[題詞]獨見江水浮漂糞怨恨貝玉不依作歌一首
獨り江水に浮び漂へる糞を見て貝玉の依らざるを怨恨みて作る歌一首
[左注](右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之)
(右の三首は二月十七日に大伴家持作れり。)

保理江欲利 安佐之保美知尓 与流許都美 可比尓安里世波 都刀尓勢麻之乎

堀江より 朝潮満ちに 寄る木屑 貝にありせば つとにせましを 

ほりえより あさしほみちに よるこつみ かひにありせば つとにせましを
・・・・・・・・・・
堀江に朝潮が満ちて

打ち寄せられる木屑

これが美しい貝なら土産になるのに
・・・・・・・・・・
* 堀江は大阪湾に通じる天満川(大川とも)付近とされている。
755年、難波に単身赴任し、東国の防人達を迎える業務などに就いていて、ふと家に残した妻を懐かしく思う。




サ20 4397;作者:大伴家持,独詠,望郷,難波

[題詞]在舘門見江南美女作歌一首
館門に在りて江南の美女を見て作る歌一首
[左注]右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之
(右の三首は二月十七日に大伴家持作れり。)

見和多世波 牟加都乎能倍乃 波奈尓保比 弖里○多弖流<波> 波之伎多我都麻

見わたせば 向つ峰の上の 花にほひ 照りて立てるは 愛しき誰が妻 

みわたせば むかつをのへの はなにほひ てりてたてるは はしきたがつま
・・・・・・・・・・
郷を偲び望んで見渡せば

向かいの峰々は花模様である

辺りを照らして立っている愛しきひと

あれは誰の妻か
・・・・・・・・・・


サ20 4377;天平勝宝7年2月14日,作者:津守小黒栖,防人歌,栃木,田口大戸,恋情

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首津守宿祢小黒栖(をぐるす)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

阿母刀自母  多麻尓母賀母夜  伊多太伎弖  美都良乃奈可尓  阿敝麻可麻久母

母刀自も 玉にもがもや 戴きて みづらの中に 合へ巻かまくも

あもとじも たまにもがもや いただきて みづらのなかに あへまかまくも

母上が玉であったらなあ

かしらに戴いて 

角髪の中に巻きあわせてて行くのに




サ20 4378;天平勝宝7年2月14日,作者:中臣部足國,防人歌,恋情,望郷,栃木,田口大戸

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首都賀(つが)郡上丁中臣部足國(たりくに)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

都久比夜波  須具波由氣等毛  阿母志々可  多麻乃須我多波  和須例西奈布母

月日やは 過ぐは行けども 母父が 玉の姿は 忘れせなふも

つくひやは すぐはゆけども あもししが たまのすがたは わすれせなふも

月日はいくら過ぎても 

母父の姿を忘れることはない
* 「ふ」 反復。   



サ20 4379;天平勝宝7年2月14日,作者:大舎人部祢麻呂,防人歌,出発,別離,悲別,羈旅,栃木,田口大戸

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首足利郡上丁大舎人部祢麻呂(ねまろ)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

之良奈美乃  与曽流波麻倍尓  和可例奈波  伊刀毛須倍奈美  夜多妣蘇弖布流

白波の 寄そる浜辺に 別れなば いともすべなみ 八度袖振る 

しらなみの よそるはまへに わかれなば いともすべなみ やたびそでふる

白波が繰返し寄せる浜辺で別れた 

おれは幾度も幾度も千切れるほど袖を振った



サ20 4380;天平勝宝7年2月14日,作者:大田部三成,防人歌、難波,大阪,叙景,出発,栃木,難波,叙景,出発,栃木,田口大戸

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首梁田(やなだ)郡上丁大田部(おほたべ)三成 (みなり)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

奈尓波刀乎  己岐O弖美例婆  可美佐夫流  伊古麻多可祢尓  久毛曽多奈妣久

難波津を 漕ぎ出て見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲ぞたなびく

なにはとを こぎでてみれば かみさぶる いこまたかねに くもぞたなびく

難波津を漕ぎ出て見れば 

神々しくも

生駒の高嶺に雲が棚引く



サ20 4381;天平勝宝7年2月14日,作者:神麻續部嶋麻呂,防人歌,出発,羈旅,栃木,田口大戸

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首河内(かふち)郡上丁神麻續部(かむをみべ)嶋麻呂
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

<久>尓<具尓>乃  佐岐毛利都度比  布奈能里弖  和可流乎美礼婆  伊刀母須敝奈之

国々の 防人集ひ 船乗りて 別るを見れば いともすべなし

くにぐにの さきもりつどひ ふなのりて わかるをみれば いともすべなし

國々の防人が集い 

船に乗り別れて行くのを見るのは 

なんともやるせないことだなあ



サ20 4382;天平勝宝7年2月14日,作者:大伴部廣成,防人歌,怨恨,栃木,田口大戸

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首那須郡上丁大伴<部>廣成
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

布多富我美  阿志氣比等奈里  阿多由麻比  和我須流等伎尓  佐伎母里尓佐須

ふたほがみ 悪しけ人なり あたゆまひ 吾がする時に 防人にさす 

ふたほがみ あしけひとなり あたゆまひ わがするときに さきもりにさす

意地が汚い

悪い人だ

私が急病のときに

防人に出すなんて
* 「ふた‐ほがみ」語義未詳。布多(栃木県の地名。国府所在地)にいた国守のことか。一説に、腹黒い人とも、神の名ともいう。「ふた」は「太(ふと)」、「ほがみ」は「小腹」
* 「あた」[副]「あだ」とも。不快・嫌悪の気持ちを表す語に付いて、その程度がはなはだしいという意を表す。あった。
* 「ゆまい」[ゆまひ]病〔名〕「やまい(病)」に当たる上代東国方言。



サ20 4383;作者:丈部足人,防人歌、出発,恋情,望郷,栃木

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首塩屋(しほのや)郡上丁丈部(はつかべ)足人
/ 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之
(二月十四日に下野國の防人部領使正六位上田口朝臣、大戸(おほと)が進れる歌の數は十八首なり、但し拙劣なる歌のみは取り載せず。)

都乃久尓乃  宇美能奈伎佐尓  布奈餘曽比  多志O毛等伎尓  阿母我米母我母

津の国の 海の渚に 船装ひ 立し出も時に 母が目もがも

つのくにの うみのなぎさに ふなよそひ たしでもときに あもがめもがも

津の國の海の渚に 

船を装い出発のとき 

お母さんと一目逢いたい



サ20 4384;天平勝宝7年2月16日,作者:他田日奉直得大理,防人歌、漂泊,旅情,千葉,県犬養浄人

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首助丁海上(うなかみ)郡海上國造(くにのみやつこ)
他田(をさだ)日奉(ひまつり)直(あたひ)得大理(とこたり)
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

阿加等伎乃  加波多例等枳尓  之麻加枳乎  己枳尓之布祢乃  他都枳之良須母

暁の かはたれ時に 島蔭を 漕ぎ去し船の たづき知らずも

あかときの かはたれときに しまかぎを こぎにしふねの たづきしらずも

暁の薄暗闇を 

島陰を漕いでいった船よ 

便りがなくなってしまって 

今どうしているのだろう
* 「かわたれ時」→黄昏(たそがれ)



サ20 4385;天平勝宝7年2月16日,作者:私部石嶋,防人歌,出発,千葉,県犬養浄人

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首葛餝郡私部(きさきべ)石嶋(いをしま)
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

由古作枳尓 奈美奈等恵良比 志流敝尓波 古乎等都麻乎等 於枳弖等母枳奴

行こ先に 波なとゑらひ 後方には 子をと妻をと 置きてとも来ぬ

ゆこさきに なみなとゑらひ しるへには こをとつまをと おきてともきぬ

行く先々

波よ荒れるなかれ 

後に子供を妻を

残して来たのだから



サ20 4386;天平勝宝7年2月16日,作者:矢作部真長,防人歌、悲別,望郷,恋情,千葉,県犬養浄人

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
[左注]右一首結城郡矢作部(やはぎべ)真長(まなが)
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)

和加々都乃 以都母等夜奈枳 以都母々々々 於母加古比須々 奈理麻之都○母

吾が門の 五本柳 いつもいつも 母が恋すす 業りましつしも 

[わがかづの いつもとやなぎ] いつもいつも おもがこひすす なりましつしも

吾が家の門口に立つ五本柳

いつもいつも 母上は私を偲びつつ

農作業をしておられるでしょう
* 「五本柳(いつもとやなぎ)」:代匠記、文選の陶淵明の五柳先生傳。
* 「恋すす」 動詞「す」を繰り返して反復継続をあらわし、「恋しつつ」の意。
* 「業ましつしも」 農作業などの生業をなさりながら(マシは敬語)。
* 上二句は「いつも」を導く序詞。


サ20 4367;作者:占部子龍,防人歌,茨城

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首茨城郡占部(うらべ)子龍(をたつ)
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

阿我母弖能  和須例母之太波  都久波尼乎  布利佐氣美都々  伊母波之奴波尼

吾が面の 忘れもしだは 筑波嶺を 振り放け見つつ 妹は偲はね

あがもての わすれもしだは つくはねを ふりさけみつつ いもはしぬはね

私の顔を忘れそうになったなら

妻よ 二人が出逢った

筑波嶺を仰ぎ見て偲んでくれ

筑波山は、標高876メートル。関東平野にあって遠くから望むことができ、古くから人々に親しまれてきた山で、男体山と女体山の二つの峰(みね)からなっている。また歌垣の場として知られている。(歌垣は、男女が歌をやりとりし互いの相手を見つける集い)。
・・・・・・・・
サ20 4368;作者:丸子部佐壮,防人歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首久慈郡丸子部(まろこべ)佐壮(すけを)
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

久自我波々  佐氣久阿利麻弖  志富夫祢尓  麻可知之自奴伎  和波可敝里許牟

久慈川は 幸くあり待て 潮船に ま楫しじ貫き 我は帰り来む

くじがはは さけくありまて しほぶねに まかぢしじぬき わはかへりこむ

幸多き久慈川よ待っていてくれ

潮船に一杯に舵を通し 

われはいま帰り行かん


サ 4369;作者:大舎人部千文,防人歌,茨城,

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注](右二首那賀郡上丁大舎人部千文)
  右の二首は那賀郡上丁(かみつよぼろ)大舎人部(おおとねりべ)千文

( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

都久波祢乃  佐由流能波奈能  由等許尓母  可奈之家伊母曽  比留毛可奈之祁

筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも 愛しけ妹ぞ 昼も愛しけ

つくはねの さゆるのはなの ゆとこにも かなしけいもぞ ひるもかなしけ

筑波嶺の小百合の花か 

夜の床に愛しかったお前 

昼も可愛かった



サ20 4370;作者:大舎人部千文,防人歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右二首那賀郡上丁大舎人部千文
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

阿良例布理  可志麻能可美乎  伊能利都々  須米良美久佐尓  和例波伎尓之乎

霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍に 吾れは来にしを

[あられふり] かしまのかみを いのりつつ すめらみくさに われはきにしを

鹿島の神に祈りつつ 

皇軍兵士として私は来ました
* 霰降る:「萬年豊作」から「聖寿万歳を寿ぐ」の意味の枕詞。


サ20 4371;作者:占部廣方,防人歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首助丁(すけのよぼろ)占部廣方
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

多知波奈乃  之多布久可是乃  可具波志伎  都久波能夜麻乎  古比須安良米可毛

橘の 下吹く風の かぐはしき 筑波の山を 恋ひずあらめかも

たちばなの したふくかぜの かぐはしき つくはのやまを こひずあらめかも

橘の木陰を吹く風がかぐわしかった

あの筑波山を恋い偲ばずにいられようか 

この時期にはとくに
* 「めかも」は、 推量の助動詞「む」の已然形「め」に付いて、反語の意をあらわす。「〜ものか」。


歌枕紀行 筑波山
―つくばのやま― より(抜粋)

昔、筑波山は関東平野のどこからでもよく見えたらしい。海抜800メートル程度の山に過ぎないが、広大な平野が東北方向に尽きるあたり、平坦な台地の上にいきなりその秀麗な山容を顕しているからである。
 筑波はどこから見ても姿のよい山であるが、ことに常陸国府のあった石岡市方面から、すなわち山の東側から眺めるのが美しい。男山と女山、双つの嶺がぴったりと寄り添って見えるのである。それはまるで大地に横たわった巨大な女神の乳房のようだ。常陸の古老が、駿河の富士と比べた筑波山の情の篤さを讃美している(常陸国風土記)のも、尤もだと肯かれるのである。
 筑波はエロティックな饗宴の山であった。

鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に
率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ かがふかがひに
人妻に 吾(あ)も交はらむ わが妻に 人も言問へ
この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ
今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)もとがむな
   反歌
男神(をのかみ)に 雲立ちのぼり 時雨ふり 濡れとほるとも 吾帰らめや

「筑波嶺に登りてカガヒせし日に作れる歌」と題された、高橋連虫麻呂歌集出典の万葉歌である。カガヒは歌垣(うたがき)と同じことを指しているらしい。常陸国風土記の寒田郎子と安是嬢子の伝説にみられるように、未婚の男女が歌をやりとりすることで、求婚相手を見つける集いの場であった。気の合ったカップルは、そのまま歌垣の場を抜け出し、木陰などに隠れて共に一晩を過ごしたのである。上の虫麻呂歌集の歌からは乱婚パーティーのような印象も受けるが、そうした風聞もあったのだろうか。おそらくこれは、筑波のカガヒの噂だけ聞き知っていた都人士を娯しませるための、専門歌人によるサービス過剰な(?)誇張表現だったのではないかと思われるのだが。
万葉時代の都人にとって遥かな東国の果てであった筑波山が、すでに伝説の山であり、一種の名所となっていたことは確かである。たまたま常陸に赴任する機会を得た官人たちは、苦労を厭わず筑波に登り、その感懐をいくつかの歌に残している。(後略)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utamaku/tukuba_u.html



サ29 4372;作者:倭文部可良麻呂,防人歌,茨城、道行き,手向け,寿歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首倭文部(しとりべ)可良麻呂(からまろ)
/ 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之

(二月十四日に常陸國の部領防人使大目正七位上息長(おきながの)眞人、國島が進れる歌の數は十七首なり、但し拙劣なる歌のみは取り載せず。)

阿志加良能  美佐可多麻波理  可閇理美須  阿例波久江由久  阿良志乎母  多志夜波婆可流  不破乃世伎  久江弖和波由久  牟麻能都米  都久志能佐伎尓  知麻利為弖  阿例波伊波々牟  母呂々々波  佐祁久等麻乎須  可閇利久麻弖尓

足柄の  み坂給はり  返り見ず  吾れは越え行く  荒し夫も  立しやはばかる  不破の関  越えて吾は行く  [馬の爪]  筑紫の崎に  留まり居て  吾れは斎はむ  諸々は  幸くと申す  帰り来までに

あしがらの みさかたまはり かへりみず あれはくえゆく あらしをも たしやはばかる ふはのせき くえてわはゆく [むまのつめ] つくしのさきに ちまりゐて あれはいははむ もろもろは さけくとまをす かへりくまでに

足柄の神坂を通して頂き

後顧みず吾は越え行く

荒くれ男も立ち止まり憚る

不破の関も越えて吾は行く

筑紫の崎に留まりて 

吾は斎いつつしみ

くにのもろもろ幸多かれと祈るばかり 

吾が帰り来るまでかわりなくあれ



サ20 4373;作者:今奉部(いままつりべ)与曽布(よそふ),防人歌,栃木

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首火長今奉部与曽布
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

祁布与利波 可敝里見奈久弖 意富伎美乃 之許乃美多弖等 伊O多都和例波

今日よりは 返り見なくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾れは 

けふよりは かへりみなくて おほきみの しこのみたてと いでたつわれは

今日からは身も家も省みず

大君の楯となって出征するのだ  私は
* 「醜」は自分を卑下することばで、契沖は「みづから身を罵辞なり」と言う。



サ20 4374;作者:大田部荒耳,防人歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首火長大田部荒耳(あらみみ)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

阿米都知乃  可美乎伊乃里弖  佐都夜奴伎  都久之乃之麻乎  佐之弖伊久和例波

天地の 神を祈りて 猟矢貫き 筑紫の島を 指して行く吾れは

あめつちの かみをいのりて さつやぬき つくしのしまを さしていくわれは

天地の神に祈りを捧げ 

さつ矢を靫にさし 

筑紫の島を目指して 

いざ旅たたん われは
* 「は」は、「我は…指して行く」の倒置であって、終助詞(詠嘆)とすることはできない。



サ20 4375;作者:物部真嶋,防人歌,栃木

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首火長物部真嶋(ましま)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

麻都能氣乃  奈美多流美礼波  伊波妣等乃  和例乎美於久流等  多々理之母己呂

松の木の 並みたる見れば 家人の 吾れを見送ると 立たりしもころ

まつのけの なみたるみれば いはびとの われをみおくると たたりしもころ

松並木を見ると

家の者が松を並べ立てて 

祭り事で私を見送ってくれた

あの時を思い出すなあ



サ20 4376;作者:川上老,防人歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首寒川郡上丁川上<臣>老 (おみおゆ)
( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之)

多妣由<岐>尓  由久等之良受弖  阿母志々尓  己等麻乎佐受弖  伊麻叙久夜之氣

旅行きに 行くと知らずて 母父に 言申さずて 今ぞ悔しけ

たびゆきに ゆくとしらずて あもししに ことまをさずて いまぞくやしけ

長旅にゆくとは知らず

母父に別れの言葉もかわさなかった 

今になって悔やまれることだ


サ20 4357;作者:刑部千國,防人歌,天平勝宝7年2月9日,千葉,茨田沙弥麻呂,悲別,恋情,出発,羈旅

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首市原郡上丁刑部(おさかべ)直(あたひ)千國 (ちくに)
( / 二月九日上総國防人部領使少目従七位下茨田連沙弥麻呂進歌數十九首 但拙劣歌者不取載之)

阿之可伎能  久麻刀尓多知弖  和藝毛古我  蘇弖<母>志保々尓  奈伎志曽母波由

葦垣の 隈処に立ちて 吾妹子が 袖もしほほに 泣きしぞ思はゆ

あしかきの くまとにたちて わぎもこが そでもしほほに なきしぞもはゆ

門出の時 

葦の垣根の隅に立って

袖を濡らして泣いていた 

可愛いいあの子が忘れられない
* 「もはゆ」は、おもはゆの略。思われる。



サ20 4358;天平勝宝7年2月9日,作者:物部龍,防人歌,恋情,悲別,出発,羈旅,千葉,茨田沙弥麻呂

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首種淮郡上丁物部龍(たつ)
( / 二月九日上総國防人部領使少目従七位下茨田連沙弥麻呂進歌數十九首 但拙劣歌者不取載之)

於保伎美乃  美許等加志古美  伊弖久礼婆  和努等里都伎弖  伊比之古奈波毛

大君の 命畏み 出で来れば 吾の取り付きて 言ひし子なはも

おほきみの みことかしこみ いでくれば わのとりつきて いひしこなはも

大君の仰せに従って出てきたが

私に取りすがって

別れがつらいと言った娘よ
* 「な」上代東国方言、格助詞「に」にあたる。
* 「はも」は終助詞「は」に終助詞「も」のついたもの、強い詠嘆・感動を表わす。
* 「上丁」というのは普段は農業をしている人たち。16歳から60歳まで正丁といって兵役の業務が課され、そこから選ばれた人たち。



サ20 4359;天平勝宝7年2月9日,作者:若麻續部羊,防人歌,悲嘆,千葉,茨田沙弥麻呂

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右一首長柄部上丁若麻續部(わかをみべ)<羊> (ひつじ)
/ 二月九日上総國防人部領使(ことりずかい)少目従七位下茨田(まむた)連沙弥麻呂(さみまろ)進歌數十九首 但拙劣歌者不取載之


都久之閇尓  敝牟加流布祢乃  伊都之加毛  都加敝麻都里弖  久尓々閇牟可毛

筑紫辺に 舳向かる船の いつしかも 仕へまつりて 国に舳向かも

つくしへに へむかるふねの いつしかも つかへまつりて くににへむかも

筑紫の方に舳先を向けるわが船が 

いつの日にか務めを終えて 

舳先を郷里に向けるのだろうか



サ20 4360;天平勝宝7年2月13日,作者:大伴家持,難波,大阪,枕詞,大君讃美,都讃美

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
陳私拙懐一首<[并短歌]> 私の拙なき懐を陳ぶる一首

[左注](右二月十三日兵部少輔大伴宿祢家持)

・・・・・・・・・・
[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー

天皇乃ー皇祖のーすめろきのー皇神の  
等保伎美与尓毛ー遠き御代にもーとほきみよにもー遠い御代にも
於之弖流ー押し照るー[おしてる]ー枕詞
難波乃久尓々ー難波の国にーなにはのくににー難波の國で
阿米能之多ー天の下ーあめのしたー天下を 
之良志賣之伎等ー知らしめしきとーしらしめしきとーお治めになり
伊麻能乎尓ー今の緒にーいまのをにー今の世までも
多要受伊比都々ー絶えず言ひつつーたえずいひつつー言い伝える 
可氣麻久毛ーかけまくもー言葉にかけて言うことも
安夜尓可之古志ーあやに畏しーあやにかしこしー無上に畏れ多いこと
可武奈我良ー神ながらーかむながらー神であられる
和其大王乃ー我ご大君のーわごおほきみのー吾が大君は
宇知奈妣久ーうち靡くー[うちなびく]ー枕詞
春初波ー春の初めはーはるのはじめはー春の初めは 
夜知久佐尓ー八千種にーやちくさにーさまざまに
波奈佐伎尓保比ー花咲きにほひーはなさきにほひー花は咲き匂い
夜麻美礼婆ー山見ればーやまみればー山見れば
見能等母之久ー見の羨しくーみのともしくー景色めずらしく 
可波美礼婆ー川見ればーかはみればー川見れば 
見乃佐夜氣久ー見のさやけくーみのさやけくー 景色風光は清らか
母能其等尓ーものごとにー物事すべて
佐可由流等伎登ー栄ゆる時とーさかゆるときとー栄える季節と 
賣之多麻比ー見したまひーめしたまひーご覧になり 
安伎良米多麻比ー明らめたまひーあきらめたまひーよくよく地勢をご覧になり
之伎麻世流ー敷きませるーしきませるー御殿をお建てになった
難波宮者ー難波の宮はーなにはのみやはー難波の宮は
伎己之乎須ーこし食すーきこしをすーお治めになる
四方乃久尓欲里ー四方の国よりーよものくによりー四方の國々から
多弖麻都流ー奉るーたてまつるー献る
美都奇能船者ー御調の船はーみつきのふねはー貢物の船は
保理江欲里ー堀江よりーほりえよりー堀江より
美乎妣伎之都々ー水脈引きしつつーみをびきしつつー水先案内をしながら、ふなみちを行き  
安佐奈藝尓ー朝なぎにーあさなぎにー朝凪に
可治比伎能保理ー楫引き上りーかぢひきのぼりー楫を引き上り
由布之保尓ー夕潮にーゆふしほにー夕潮に
佐乎佐之久太理ー棹さし下りーさをさしくだりー棹さし下る
安治牟良能ーあぢ群のーあぢむらのーあぢ鴨の群れのように
佐和伎々保比弖ー騒き競ひてーさわききほひてー騒ぎ競い
波麻尓伊泥弖ー浜に出でてーはまにいでてー濱に出て
海原見礼婆ー海原見ればーうなはらみればー海原を見れば
之良奈美乃ー白波のーしらなみのー白波の
夜敝乎流我宇倍尓ー八重をるが上にーやへをるがうへにー波頭の上に 
安麻乎夫祢ー海人小船ーあまをぶねー海人の小舟が
波良々尓宇伎弖ーはららに浮きてーはららにうきてー散りぢりと浮き
於保美氣尓ー大御食にーおほみけにー天皇の召し上がる食べ物に
都加倍麻都流等ー仕へまつるとーつかへまつるとーお仕え申し上げると 
乎知許知尓ーをちこちに
伊射里都利家理ー漁り釣りけりーいざりつりけりー 漁をし釣りをする
曽伎太久毛ーそきだくもー非常に、誠に 
於藝呂奈伎可毛ーおぎろなきかもーはなはだ広大な
己伎婆久母ーこきばくもーたいそう
由多氣伎可母ーゆたけきかもーゆたけきかもー豊であることだ
許己見礼婆ーここ見ればーここみればー思えば
宇倍之神代由ーうべし神代ゆーうべしかむよゆー神代から
波自米家良思母ー始めけらしもーはじめけらしもー都として開かれたのも故あることよ
・・・・・・・・・・



サ20 4361;天平勝宝7年2月13日,作者:大伴家持,地名,難波,寿歌,大君讃美,都讃美

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(陳私拙懐一首<[并短歌]>)

[左注](右二月十三日兵部少輔大伴宿祢家持)

櫻花  伊麻佐可里奈里  難波乃海  於之弖流宮尓  伎許之賣須奈倍

桜花 今盛りなり 難波の海 押し照る宮に 聞こしめすなへ

さくらばな いまさかりなり なにはのうみ おしてるみやに きこしめすなへ

櫻の花は今さかり 

難波の海に照り光る宮は 

世をお治められるとともに



20 4362;天平勝宝7年2月13日,作者:大伴家持,土地讃美,難波,大君讃美,寿歌

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(陳私拙懐一首<[并短歌]>)

[左注]右二月十三日兵部少輔大伴宿祢家持(右は二月十三日、兵部少輔、大伴家持)

海原乃  由多氣伎見都々  安之我知流  奈尓波尓等之波  倍<奴>倍久於毛保由

海原の ゆたけき見つつ 葦が散る 難波に年は 経ぬべく思ほゆ

うなはらの ゆたけきみつつ あしがちる なにはにとしは へぬべくおもほゆ

ゆたかな海原を眺めながら 

蘆の広まる難波で年を経たいものだ



サ20 4363;天平勝宝7年2月14日,作者:若舎人部廣足,防人歌、難波、茨城,息長国島,恋情,望郷

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注](右二首茨城郡若舎人部廣足)
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)
右の二首は茨城郡、若舎人部(わかとねりべ)廣足(ひろたり)

奈尓波都尓  美布祢於呂須恵  夜蘇加奴伎  伊麻波許伎奴等  伊母尓都氣許曽

難波津に 御船下ろ据ゑ 八十楫貫き 今は漕ぎぬと 妹に告げこそ

なにはつに みふねおろすゑ やそかぬき いまはこぎぬと いもにつげこそ

難波津に御船を降ろし据え 

沢山の舵を通し

今漕ぎ出したと妻に告げてくれ
* 「こそ」は終助、他にあつらえ望む意を表す。・・・てほしい、・・・てくれ。



サ20 4364;天平勝宝7年2月14日,作者:若舎人部廣足,防人歌,茨城,息長国島,出発,悲別,後悔,羈旅

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

佐伎牟理尓  多々牟佐和伎尓  伊敝能伊牟何  奈流<弊>伎己等乎  伊波須伎奴可母

防人に 立たむ騒きに 家の妹が なるべきことを 言はず来ぬかも

さきむりに たたむさわきに いへのいむが なるべきことを いはずきぬかも

防人に発つ日の忙しさで 

妻に役職のことを告げずに来てしまった

それが悔やまれて 苦しい 



サ20 4365;天平勝宝7年2月14日,作者:物部道足,防人歌,難波,望郷,恋情,茨城,息長国島

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

於之弖流夜  奈尓波能<都由>利  布奈与曽比  阿例波許藝奴等  伊母尓都岐許曽

押し照るや 難波の津ゆり 船装ひ 吾れは漕ぎぬと 妹に告ぎこそ

 [おしてるや] なにはのつゆり ふなよそひ あれはこぎぬと いもにつぎこそ

難波の港から船を装い 

われは漕ぎ出したと妻に告げよ




20 4366;天平勝宝7年2月14日,作者:物部道足,防人歌,茨城,息長国島,恋情,望郷

[題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)

[左注]右二首信太郡物部道足
( / 二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

比多知散思  由可牟加里母我  阿我古比乎  志留志弖都祁弖  伊母尓志良世牟

常陸指し 行かむ雁もが 我が恋を 記して付けて 妹に知らせむ

ひたちさし  ゆかむかりもが  あがこひを しるしてつけて いもにしらせむ

常陸目指して飛んでゆく雁はないだろうか 

吾が想いを記して付け 

妻に知らせるから



.
ニキタマの万葉集
ニキタマの万葉集
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事