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サ19 4266;作者:大伴家持、天平勝宝4年,儲作,予作,応詔,儀礼歌,枕詞,大君讃美,寿歌 [題詞]為應詔儲作歌一首[并短歌]
詔(みことのり)に応へむが為に儲(ま)けて作る歌一首 并せて短歌
[左注](右二首大伴宿祢家持作之)安之比奇能ー[あしひきの]ー
八峯能宇倍能ー八つ峰の上のーやつをのうへのー幾重にも重なる尾根に 都我能木能ー栂の木のー[つがのきの]ー生えている栂の樹のように 伊也継々尓ーいや継ぎ継ぎにーいやつぎつぎにー次々と将来に渡って 松根能ー松が根のー[まつがねの]ー松の根のように 絶事奈久ー絶ゆることなくーたゆることなくー途切れることなく 青丹余志ー[あをによし]ー青丹美しい 奈良能京師尓ー奈良の都にーならのみやこにー奈良の都に宮を置かれて 万代尓ー万代にーよろづよにー万代までも 國所知等ー国知らさむとーくにしらさむとー国を治められようと 安美知之ー[やすみしし]ー 吾大皇乃ー我が大君のーわがおほきみのー我らが陛下は(孝謙天皇) 神奈我良ー神ながらー[かむながら]ー神意のままに 於母保之賣志弖ー思ほしめしてーおもほしめしてーお思いになって 豊宴ー豊の宴ーとよのあかりー大いなる宴を催された 見為今日者ー見す今日の日はーめすけふのひはーそのようにめでたい今日という日に 毛能乃布能ー[もののふの]ー 八十伴雄能ー八十伴の男のーやそとものをのー諸々の官人が 嶋山尓ー島山にーしまやまにー御園の山斎(しま)に 安可流橘ー赤る橘ーあかるたちばなー赤く色づいている橘の実を 宇受尓指ーうずに刺しーうずにさしー冠に飾り 紐解放而ー紐解き放けてーひもときさけてー衣の紐を解いて 千年保伎ー千年寿きーちとせほきー千年の御代を予祝し <保>吉等餘毛之ー寿き響もしーほきとよもしー大声で祝言を叫び 恵良々々尓ーゑらゑらにー高らかに笑って 仕奉乎ー仕へまつるをーつかへまつるをーお仕え申し上げる様を 見之貴者ー見るが貴さーみるがたふとさー見るのは、何という貴さであろうか サ19 4267;作者:大伴家持、 [題詞](為應詔儲作歌一首[并短歌])反歌一首 須賣呂伎能 御代万代尓 如是許曽 見為安伎良目<米> 立年之葉尓 すめろきの みよよろづよに かくしこそ めしあきらめめ たつとしのはに [左注]右二首大伴宿祢家持作之 天皇の御代の続く万代にわたって
* 「あきらめの」は、満足ゆくまでする意。このようにこころゆくまで宴を楽しまれるであろう 新しく訪れる年ごとに サ19 4268;作者:孝謙天皇、天平勝宝4年,年紀,,佐々貴山君,誦詠,行幸,光明皇后,藤原仲麻呂,贈答 [題詞]天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株拔取令持内侍佐々貴山君遣賜大納言藤原卿并陪従大夫等御歌一首 命婦誦曰 (孝謙天皇と光明皇后が共に藤原仲麻呂の家にいらっしゃった時に、色づいた澤蘭(さはあららぎ)を一株抜き取って、内侍の佐々貴山君(ささきやまのきみ)に持たせて、藤原仲麻呂と彼に付き添う大夫(たいふ)たちにお贈りになった歌) 此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利 このさとは つぎてしもやおく なつののに わがみしくさは もみちたりけり この里はいつも霜が降り続くのでしょうか
* 「もみつ」は上代の動詞終止形で、紅葉するの意。夏の野で見た草は色づいていましたよ * 「澤蘭(さはあららぎ)」は、サワヒヨドリ、ヒヨドリバナ、ヤナギランと色々な説がある。 サ19 4269;作者:聖武天皇,橘諸兄、天平勝宝4年11月8日,肆宴,宴席,主人讃美 [題詞]十一月八日在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌四首 十一月八日、左大臣橘卿の宅に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌四首 余曽能未尓 見者有之乎 今日見者 年尓不忘 所念可母 よそのみに みればありしを けふみては としにわすれず おもほえむかも [左注]右一首太上天皇御歌 「太上天皇」は聖武太上天皇。 これまであなたのお屋敷を外目にばかり見ていたが
今日久しぶりに来て見て これからは毎年忘れず思い出すことだろう サ19 4270;作者:橘諸兄,聖武天皇、天平勝宝4年11月8日,宴席,肆宴,挨拶 [題詞](十一月八日在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌四首) 牟具良波布 伊也之伎屋戸母 大皇之 座牟等知者 玉之可麻思乎 むぐらはふ いやしきやども おほきみの まさむとしらば たましかましを [左注]右一首左大臣橘卿 右一首、左大臣橘卿 むぐらが生えているような
* 「玉を敷きつめ」は、言葉上の儀礼慣習句。むさくるしい私の家へ 陛下がお出ましになると存じていましたら 玉を敷きつめてお待ち申し上げましたのに 19 4271;作者:藤原八束、天平勝宝4年11月8日,宴席,肆宴,聖武天皇,見立て,橘諸兄 [題詞](十一月八日在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌四首) 松影乃 清濱邊尓 玉敷者 君伎麻佐牟可 清濱邊尓 まつかげの きよきはまへに たましかば きみきまさむか きよきはまへに [左注]右一首右大辨藤原八束朝臣 右一首、右大弁藤原八束朝臣 松影を清らかに映す浜辺に
* 「浜辺」は、庭園の池畔のことを云っている。玉を敷きましたなら 陛下はお出で下さるでしょうか この清らかな浜辺に * 八束の母は、橘諸兄の妹牟漏(むろ)女王。橘諸兄とは、伯父・甥の関係。藤原北家は、父房前の代から、大伴家とも親しく、一方、八束は、橘諸兄の政敵であるいとこの仲麻呂からは、疎んぜられた。 19 4272;作者:大伴家持、天平勝宝4年11月8日,未奏,橘諸兄,宴席,肆宴,大君讃美 [題詞](十一月八日在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌四首) 天地尓 足之照而 吾大皇 之伎座婆可母 樂伎小里 あめつちに たらはしてりて わがおほきみ しきませばかも たのしきをさと [左注]右一首少納言大伴宿祢家持 [未奏] 右一首、少納言大伴宿禰家持 奏(まを)さず。(原文「未奏」)は、奏上の機会なく宴が終わってしまったということ。 天地の間をあまねく輝き照らすように
* 「敷き座せ」の「敷き」は、力を一面に及ぼす意。そこから「支配する」意にも。諸兄と八束の歌にあった「玉敷」を受けた表現。わが大君がお治めになっているからか ここは何とも楽しくてならぬ里でございます * 「楽し」は、物が豊かに満ちていることから来る充足感、特に食欲などが満たされた状態を指す言葉。 * 「小里」は、諸兄の別邸があった井手(京都府綴喜郡井手町)の里を指すとも。この「小(を)」は美称。 <孝謙天皇と光明皇太后が大納言仲麻呂の屋敷を訪れた歌に並べて、聖武上皇が諸兄邸を訪れた歌を置いていることから、ここに仲麻呂派と諸兄派の対立を読み取る説があります(梅原猛「大伴家持」集英社版全著作集12)。一見のどかに見える家持の歌日記ですが、このように、実は背後に重苦しい歴史的・政治的文脈を隠し持っています。この箇所は、それが露に透けて見える例だと言えるでしょう。(大伴家持全集 訳注編 Vol.3 水垣 久 編訳)より転載。> |
万葉集(下書き)
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サ19 4257;天平勝宝3年10月22日,宴席,古歌,伝誦,船王,狩猟,大君,久邇京,天平13年 [題詞]十月廿二日於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌三首 十月二十二日、左大弁紀飯麻呂朝臣の家にして宴する歌三首 手束弓 手尓取持而 朝猟尓 君者立<之>奴 多奈久良能野尓 たつかゆみ てにとりもちて あさがりに きみはたたしぬ たなくらののに [左注]右一首治部卿船王傳誦之 久邇京都時歌 [未詳作<主>也] 右一首、治部卿船王の伝へ誦める久迩の京都の時の歌なり。未だ作主を詳らかにせず 手束弓を手に握り持ち
* 「手束弓」は、手で握る部分を太くした大弓、または手に束ね持つ小弓。わが君は朝狩にお立ちになった 棚倉の野に * 「たなくらの野」(所在不詳、恭仁京付近か)に埋葬された「君」への挽歌らしい。その場合手束弓は儀装の弓(中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社文庫)。 * 「紀飯麻呂」は、藤原広嗣の乱の際副将軍となり、以後急速に昇進、天平宝字元年には参議兼右大弁に至る。同じ頃、紫微中台の大弼(次官)として長官藤原仲麻呂を輔佐する地位についており、仲麻呂派の中心人物の一人であったと見られる。 サ19 4258;天平勝宝3年10月22日,明日香,奈良,伝誦,古歌,恋情,宴席,中臣清麻呂 [題詞](十月廿二日於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌三首) 明日香河 々戸乎清美 後居而 戀者京 弥遠曽伎奴 あすかがは かはとをきよみ おくれゐて こふればみやこ いやとほそきぬ [左注]右一首左中辨中臣朝臣清麻呂傳誦 古京時歌也 右一首、左中弁中臣朝臣清麻呂の伝へ誦める古き京の時の歌なり 明日香川の渡り瀬があまり清らかなので
* 「京」はおそらく平城京、左注の「古き京」は藤原京を指すか。旧京に留まり 去っていった人々を恋しがっていると 新しい都はますます遠くなってゆくようだ サ19 4259;作者:大伴家持、天平勝宝3年10月22日,属目,宴席 [題詞](十月廿二日於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌三首) 十月 之具礼能常可 吾世古河 屋戸乃黄葉 可落所見 かむなづき しぐれのつねか わがせこが やどのもみちば ちりぬべくみゆ [左注]右一首少納言大伴宿祢家持當時矚梨黄葉作此歌也 右は、少納言大伴宿禰家持、当時梨の黄葉を矚て此の歌を作る かむなづき
* 「吾が背子」は、紀飯麻呂を指す。時雨の季節の常でしょうか お宅の庭の黄葉はもう 散ってしまいそうに見えます サ19 4260;作者:大伴御行、天平勝宝4年2月2日,古歌,伝誦,天武朝,大君讃美 [題詞]壬申年之乱平定以後歌二首 皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都 おほきみは かみにしませば あかごまの はらばふたゐを みやことなしつ [左注]右一首大将軍贈右大臣大伴卿作 (右件二首天平勝寶四年二月二日聞之 即載於茲也)(「大伴卿」は家持の大伯父、大伴御行(みゆき)。) 陛下は神でいらっしゃるので
* 「皇」は天武天皇。赤駒が腹ばうような田地を都としてしまわれた * 「赤駒の腹ばふ」は、農耕馬が腹まで泥濘に浸かる様か。 * 「京師」は飛鳥浄御原宮。 * 「大君」は「天皇の敬称」。 * 「神にしませば」は、「神」名詞。 * 「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形。 * 「し」は、強調副助詞。 * 「ませ」は、サ行四段活用(補助)尊敬の動詞、「ま(座)す」の已然形。 * 「ば」は、確定条件の接続助詞。 神でいらっしゃるので。 * 「赤駒」は、赤みがかった毛色の馬。 * 「田居」は「人里」。 * 「なし」は、サ行四段活用動詞「なす」の連用形。 * 「つ」は、完了の助動詞。 都とした。 サ19 4261; [作者<未>詳]天平勝宝4年2月2日,年紀,伝誦,古歌,天武朝,大君讃美 [題詞](壬申年之乱平定以後歌二首) 大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通 おほきみは かみにしませば みづとりの すだくみぬまを みやことなしつ [左注]右件二首天平勝寶四年二月二日聞之 即載於茲也 右の件の二首は、天平勝宝四年二月二日に聞きて、即ち茲に載す (天平勝宝四年二月に(おそらく家持が、親族の誰かから)伝え聞き、記録した歌。なお藤原定家の『長歌短歌之説』によれば、定家の見た或る写本では、この歌と次の4261の二首が巻十九の巻末に置かれていたとのこと。) 陛下は神でいらっしゃるので
水鳥が群れ集う沼地を都としてしまわれた サ19 4262;作者:丹比鷹主、天平勝宝4年閏3月,遣唐使,大伴古麻呂,出発,餞別,宴席,羈旅,大伴古慈悲,伝誦,古歌,大伴村上,寿歌 [題詞]閏三月於衛門督大伴古慈悲宿祢家餞之入唐副使同胡麻呂宿祢等歌二首 韓國尓 由伎多良波之○ 可敝里許牟 麻須良多家乎尓 美伎多弖麻都流 からくにに ゆきたらはして かへりこむ ますらたけをに みきたてまつる 唐国に遣使され使命を終えて帰還されることを祈り
まことの偉丈夫に神聖な門出のための御神酒を奉ろうぞ [左注]右一首多治比真人鷹主壽副使大伴胡麻呂宿祢也 (右件歌傳誦大伴宿祢村上同清継等是也) * この訓読「唐国」の原文を見ると、「韓國」になっている。 これは、ニニギの言葉「この土地(高千穂)は、韓国を望み、笠沙の岬を正面に見て……」という言葉の韓国が、唐国にも通じるということにもなるのか。 「記紀」編纂期の地理認識を推理せよとか。 サ19 4263; [作<者>未詳]天平勝宝4年閏3月,古歌,伝誦,遣唐使,大伴古慈悲,大伴古麻呂,大伴村上,枕詞,出発,餞別,羈旅,悲別,神祭り,寿歌 [題詞](閏三月於衛門督大伴古慈悲宿祢家餞之入唐副使同胡麻呂宿祢等歌二首) 梳毛見自 屋中毛波可自 久左麻久良 多婢由久伎美乎 伊波布等毛比C くしもみじ やぬちもはかじ [くさまくら] たびゆくきみを いはふともひて 櫛には見向きもすまい
家の中を掃きもすまい 旅に出かけられてお留守の間は あなたのご無事の祈りのために [左注]右件歌傳誦大伴宿祢村上同清継等是也 * 良い結果を招くため、また逆に災いを遠ざけるために行なう呪術行為として、夫が旅先にあるとき、留守を守る妻は、髪をとかしてもいけないし、家の中を掃いてもいけなかったという俗信。旅行者、特に船旅に出る者の家族は、旅行者の身の安全を祈って、禁忌を守り斎戒した。 『魏志倭人伝』には、髪をとかず、虱も払わず、服は垢まみれ、肉食せず、女性に近づかず、あたかも服喪中のようにする「持衰」という者がいた。 もし、禁を破れば、旅行者は病気となり、災害に遭うと信じている、とある。 唐から帰朝した空海の言葉『空シク往キテ満チテ帰ル』、本心は、満ちて帰るなどは過大な望みで、無事に帰国できれば十分だということだったらしい。 * 持衰について: 遣唐使の時に必ず伴っていたとの記述あり 船路の災いを一身に受ける生贄となる者。 荒しの時は海神の贄として海に投げ入れられる宿命を負った者。 水や食べ物は十分に与えられ、ある種の敬いの対象になっていた。
戸内にある家舟(えぶね)という各世帯にいる奴(やっこ)から 選ばれるらしい。
5歳くらいの時に神籤で選び出され、 持衰としての運命を受け入れるようずっと神社で育てられた。一切の穢れをその身に受け、髪を結わず、切らず、つめなども切らず…のような姿で船に乗り込み、 災難に遭えば、その身は海に沈められ、災難に遭わなければ、褒美を沢山もらえたという。 持衰は時化の度に失うので常に補充されなければならない。 髪を梳かすことなど)はしてはならない。 黥(いれずみ)を目〜頬〜こめかみにかけて入れられた。 持衰というのは、『魏志』倭人伝が初出らしい。 [持衰]とは(出典) http://www2.ocn.ne.jp/~syouji/kodaisi_14-I.html サ19 4264;作者:孝謙天皇,藤原清河、天平勝宝4年閏3月,古歌,伝誦,遣唐使,高麗福信,餞別,出発,羈旅,枕詞 [題詞]勅従四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使藤原朝臣清河等御歌一首[并短歌] <(女帝孝謙)勅して従四位上高麗朝臣福信を難波に遣わし、酒肴を入唐使藤原朝臣清河等に賜へる御歌一首并せて短歌> 虚見都ー[そらみつ]ー
山跡乃國波ー大和の国はーやまとのくにはー大和の国は 水上波ー水の上はーみづのうへはー渡海は 地徃如久ー地行くごとくーつちゆくごとくー地上を行くごとく 船上波ー船の上はーふねのうへはー船中では 床座如ー床に居るごとーとこにをるごとー床に居るごとしと 大神乃ー大神のーおほかみのー大神の 鎮在國曽ー斎へる国ぞーいはへるくにぞー斎へる国であるぞ 四舶ー四つの船ーよつのふねー四つの船 々能倍奈良倍ー船の舳並べーふなのへならべー船の舳を並べて 平安ー平けくーたひらけくー平穏無事に 早渡来而ー早渡り来てーはやわたりきてー早渡り来て 還事ー返り言ーかへりことー報告事項を 奏日尓ー奏さむ日にーまをさむひにー奏上する日に 相飲酒曽ー相飲まむ酒ぞーあひのまむきぞーまた相飲まん酒(き)ぞ <斯>豊御酒者ーこの豊御酒はーこのとよみきはーこの豊御酒は [左注](右發遣 勅使并賜酒樂宴之日月未得詳審也) 右は勅使を発遣し、并せて酒を賜ふ。楽宴の日月詳審らかにすることを得ず。 サ19 4265;作者:孝謙天皇,藤原清河、天平勝宝4年閏3月,古歌,伝誦,遣唐使,高麗福信,餞別,出発,羈旅,寿歌,神祭り [題詞](勅従四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使藤原朝臣清河等御歌一首[并短歌])反歌一首 四舶 早還来等 白香著 朕裳裙尓 鎮而将待 よつのふね はやかへりこと しらかつけ わがものすそに いはひてまたむ [左注]右發遣 勅使并賜酒樂宴之日月未得詳審也 四隻の船が早く帰るようにと
白髪をつけてわが裳の裾に斎(いわ)い事をして待とう |
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サ19 4251;作者:大伴家持,内蔵縄麻呂、天平勝宝3年8月5日,餞別,出発,羈旅,悲別,枕詞,高岡 [題詞]五日平旦上道 仍國司次官已下諸僚皆共視送 於時射水郡大領安努君廣嶋 門前之林中預設<餞饌>之宴 于<此>大帳使大伴宿祢家持和内蔵伊美吉縄麻呂捧盞之歌一首 五日の平旦に上道す。仍りて国司の次官已下諸僚、皆共に視送る。時に射水郡の大領安努(あの)君廣島が門前の林の中に、預(かね)て餞饌の宴を設く。時に大帳使大伴宿禰家持の、内蔵伊美吉縄麿の盞を捧ぐる歌に和ふる一首* 「平旦」は夜明けの時刻、午前四時頃。トラノトキと和訓。 * 題詞にある「縄麿の盞を捧ぐる歌」が記録されていない理由は不明。 玉桙之 道尓出立 徃吾者 公之事跡乎 負而之将去 [たまほこの] みちにいでたち ゆくわれは きみがこととを おひてしゆかむ 旅路に出立して行く私は
あなたの業績をしっかりと背に負って その事績を奏上しますとも サ19 4252;作者:久米広縄,大伴池主,大伴家持、天平勝宝3年8月5日,福井,武生,羈旅,悲別 [題詞]正税帳使掾久米朝臣廣縄事畢退任 適遇於越前國掾大伴宿祢池主之舘 仍共飲樂也 于時久米朝臣廣縄矚芽子花作歌一首 (正税帳使掾久米朝臣廣縄、事畢(をは)りて任に退り、適(たまた)ま越前国の掾大伴宿禰池主の館に遇ひ、仍りて共に飲楽す。時に久米朝臣廣縄の、萩の花を矚(み)て作る歌一首) 京から戻る途上の広縄と、上京途中越前に立ち寄った家持が、偶然池主の館で顔を合わせた。 君之家尓 殖有芽子之 始花乎 折而挿頭奈 客別度知 お宅に育っている萩の初花を
* 「どち」は、動作・性質・状態などにおいて、互いに共通点を持っている人。同じ仲間。名詞の下に付いて、接尾語的にも用いる。手折って挿頭にしましょう 別れ別れに旅する者どうし サ19 4253;作者:大伴家持,大伴池主,久米広縄、 [題詞]大伴宿祢家持和歌一首 立而居而 待登待可祢 伊泥C来之 君尓於是相 挿頭都流波疑 たちてゐて まてどまちかね いでてこし きみにここにあひ かざしつるはぎ 立ったり座ったりして貴方の帰りを待っていましたが
待ち切れずとうとう出発してしまいましたのに その貴方にここでお逢いでき 共に萩を挿頭にしたのです なんという幸せなことでしょう サ19 4254;作者:大伴家持、天平勝宝3年8月5日,年紀,,依興,予作,儀礼歌,応詔,宴席,枕詞,架空,羈旅,寿歌 [題詞]向京路上依興預作侍宴應詔歌一首[并短歌] 京に向かふ路上にして、興に依けて預(かね)て作る、宴に侍ひて詔に応ふる歌一首 并せて短歌 蜻嶋ー蜻蛉島ー[あきづしま]ー
山跡國乎ー大和の国をーやまとのくにをー日本の国を 天雲尓ー天雲にーあまくもにー神々が天空に 磐船浮ー磐舟浮べーいはふねうかべー磐船を浮かべ 等母尓倍尓ー艫に舳にーともにへにー船尾にも船首にも 真可伊繁貫ー真櫂しじ貫きーまかいしじぬきー櫂をたくさん取りつけ 伊許藝都遣ーい漕ぎつつーいこぎつつー漕ぎつつ 國看之勢志Cー国見しせしてーくにみしせしてー国見をなさり 安母里麻之ー天降りましーあもりましー降臨され 掃平ー払ひ平げーはらひたひらげー国土を征服され 千代累ー千代重ねーちよかさねー千代の歳を重ねて 弥嗣継尓ーいや継ぎ継ぎにーいやつぎつぎにー次次と 所知来流ー知らし来るーしらしくるー支配なさってきた 天之日継等ー天の日継とーあまのひつぎとー天の皇位の後継者として 神奈我良ー神ながらー[かむながら]ー神であるがままに 吾皇乃ー我が大君のーわがおほきみのー吾が大君は 天下ー天の下ーあめのしたー天下を 治賜者ー治めたまへばーをさめたまへばー統治なされば 物乃布能ー[もののふの]ー 八十友之雄乎ー八十伴の男をーやそとものををー多くの氏族官人らを 撫賜ー撫でたまひーなでたまひー可愛がり 等登能倍賜ー整へたまひーととのへたまひーとともえなさり 食國毛ー食す国もー[をすくにも]ー治国の隅々の 四方之人乎母ー四方の人をもーよものひとをもー万民をも 安<夫>左波受ーあぶさはずー余さず ヌ賜者ー恵みたまへばーめぐみたまへばー慈しみなさったので 従古昔ーいにしへゆー古来より 無利之瑞ーなかりし瑞ーなかりししるしー類を見ない祥瑞が 多婢<末>祢久ー度まねくーたびまねくーたびたび出現し 申多麻比奴ー申したまひぬーまをしたまひぬー人々はこれを申し上げた 手拱而ー手抱きてーたむだきてー[動カ四]「手(た)抱(むだ)く」意。腕を組む。 事無御代等ー事なき御代とーことなきみよとー事の無い太平の御代と 天地ーあめつちー天地 日月等登聞仁ー日月とともにーひつきとともにー日月とともに 万世尓ー万代にーよろづよにー万代に 記續牟曽ー記し継がむぞーしるしつがむぞー記し継いでゆこうぞ 八隅知之ー「やすみしし」ー 吾大皇ー我が大君ーわがおほきみー吾が大君が(この歌が制作された勝宝三年の時点における天皇は孝謙天皇。) 秋花ー秋の花ーあきのはなー秋に咲く花 之我色々尓ーしが色々にーしがいろいろにー「秋の花しが色々に…」は、天皇が多数の臣下に対し公平に目をかけることを暗喩。 見賜ー見したまひーめしたまひー賞美し 明米多麻比ー明らめたまひーあきらめたまひー堪能なさり 酒見附ー酒みづきーさかみづきー酒宴を催される 榮流今日之ー栄ゆる今日のーさかゆるけふのー盛大な今日という日の 安夜尓貴左ーあやに貴さーあやにたふとさー 譬えようもない貴さであることよ [題詞](向京路上依興預作侍宴應詔歌一首[并短歌])反歌一首 秋時花 種尓有等 色別尓 見之明良牟流 今日之貴左 あきのはな くさぐさにあれど いろごとに めしあきらむる けふのたふとさ 秋に咲く花はいろいろあるけれど
* 「見し明らむる」主体は天皇。それぞれに目をかけられる 今日の貴さよ * 「種々の花」は八十伴の雄(たくさんの氏族の官人)の暗喩。 藤原氏の母をもつ孝謙天皇に対し、氏族に対する平等な寵愛を願う心情。 サ19 4256;作者:大伴家持,橘諸兄、天平勝宝3年8月5日,予作,寿歌 [題詞]為壽左大臣橘卿預作歌一首 左大臣橘卿を寿(ことほ)かむ爲に、預て作る歌一首 古昔尓 君之三代經 仕家利 吾大主波 七世申祢 いにしへに きみのみよへて つかへけり あがおほぬしは ななよまをさね 過ぎし御世には
* 「古に君が三代経て仕へ」は、文武・元明・元正の三代にわたって重きをなし、諸兄がライバル心を燃やしていた対象と考えられる藤原不比等(659〜720)を想定する。大君三代を通してお仕えしたと申しますが わが主君はどうか七代まえもお仕え下さいますよう * 「吾が大主」は左大臣橘諸兄を指す。諸兄は文武朝末から宮仕えを始めたと思えわれので、これまで文武・元明・元正・聖武・孝謙と五代に仕えてきたことになる。 |
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サ19 4244;作者:藤原清河,高安種麻呂、天平5年,遣唐使,餞別,宴席,出発,羈旅,枕詞,悲別,恋情,伝誦,高岡,天平勝宝3年 [題詞]大使藤原朝臣清河歌一首 荒玉之 年緒長 吾念有 兒等尓可戀 月近附奴 [あらたまの] としのをながく あがもへる こらにこふべき つきちかづきぬ 異国の地で思い続けて幾星霜
* 「年の緒長く」;年の長く続くことを、緒に見立てていう語。年月。恋しい子らに会える日が近づいた * 「思へる」;[文]ふ[ハ下二]思う 時日が過ぎる。時がたつ。 * 「恋ふべき」;[助動][べから|べく・べかり|べし|べき・べかる|べけれ|○]活用語の終止形、ラ変型活用語は連体形に付く。
当然の意を表す。…して当然だ。…のはずだ。
サ19 4245;天平5年,遣唐使,枕詞,大阪,儀礼歌,道行き,祈願,餞別,出発,羈旅,伝誦,高安種麻呂,天平勝宝3年[題詞]天平五年贈入唐使歌一首[并短歌] [作主未詳] ( 天平五年(いつとせといふとし・733年)、入唐使に贈れる歌一首、また短歌。) 虚見都ー[そらみつ]ー神そらにみつ
[左注](右件歌者傳誦之人越中大目高安倉人種麻呂是也 但年月次者随聞之時載於此焉)山跡乃國ー大和の国ーやまとのくにー大和の国 青<丹>与之ー[あをによし]ー麗しの 平城京師由ー奈良の都ゆーならのみやこゆー奈良の都から 忍照ー[おしてる]ー輝く 難波尓久太里ー難波に下りーなにはにくだりー難波に下り 住吉乃ー住吉のー[すみのえの]ー住之江の 三津尓<舶>能利ー御津に船乗りーみつにふなのりー御津で船に乗りこみ 直渡ー直渡りー[ただわたり]ー真一文字に 海を渡って 日入國尓ー日の入る国にーひのいるくににー日没する唐の国に 所遣ー任けらゆるー[まけらゆる]ー遣わされる 和我勢能君乎ー我が背の君をーわがせのきみをー愛しいわが君を 懸麻久乃ー[かけまくの]ー口に出すさえ 由々志恐伎ーゆゆし畏きーゆゆしかしこきー畏れおおい 墨吉乃ー住吉のー[すみのえの]ー住之江の 吾大御神ー我が大御神ーわがおほみかみーわが大御神よ 舶乃倍尓ー船の舳にーふなのへにー船の舳先を 宇之波伎座ー領きいましーうしはきいましー支配され 船騰毛尓ー船艫にーふなともにー船の艫(とも)にも 御立座而ーみ立たしましてーみたたしましてーお立ちになって 佐之与良牟ーさし寄らむー[さしよらむ]ー廻り寄る 礒乃埼々ー礒の崎々ーいそのさきざきー磯の崎々 許藝波底牟ー漕ぎ泊てむーこぎはてむー船どまりする 泊々尓ー泊り泊りにーとまりとまりにー港港にも 荒風ー荒き風ーあらきかぜー荒い風や 浪尓安波世受ー波にあはせずーなみにあはせずー波に遭わせぬよう 平久ー平けくーたひらけくー無事に 率而可敝理麻世ー率て帰りませーゐてかへりませーお連れ還りください 毛等能國家尓ーもとの朝廷にーもとのみかどにーもとの大和の朝廷に 19 4246;天平5年,年紀,遣唐使,餞別,出発,羈旅,伝誦,高安種麻呂,天平勝宝3年,高岡 [題詞](天平五年贈入唐使歌一首[并短歌] [作主未詳])反歌一首 奥浪 邊波莫越 君之舶 許藝可敝里来而 津尓泊麻泥 おきつなみ へなみなこしそ きみがふね こぎかへりきて つにはつるまで 海原の沖波も
岸に寄せる波も 舷側をこえるほど高く立たないでおくれ わが君の船が唐から漕ぎ還って来て 住之江の御津の港に停泊するまでは サ19 4247;作者:阿倍老人母,高安種麻呂、天平5年,遣唐使,餞別,出発,羈旅,悲別,天平勝宝3年,伝誦,高岡 [題詞]阿倍朝臣老人遣唐時奉母悲別歌一首 天雲能 曽伎敝能伎波美 吾念有 伎美尓将別 日近成奴 あまくもの そきへのきはみ あがもへる きみにわかれむ ひちかくなりぬ 天雲の遥か彼方の果てに
遣唐使として行ってしまう 私の大事な君と 別れる日が迫ってきましたのね サ19 4248;作者:大伴家持,久米広縄、天平勝宝3年8月4日,宴席,餞別,悲別,羈旅,出発,高岡,枕詞 [題詞]以七月十七日遷任少納言 仍作悲別之歌贈貽朝集使<掾>久米朝臣廣縄之館二首 七月十七日を以ちて少納言に遷任せらる。仍りて別れを悲しぶる歌を作りて、朝集使掾久米朝臣廣縄の舘に贈り貽(のこ)す歌二首 /既満六載之期忽値遷替之運 既に六載の期(ご)に満ち、忽ちに遷替の運(とき)に値(あ)ふ。 於是別舊之悽心中欝結 拭な之袖何以能旱 因作悲歌二首式遺莫忘之志 其詞曰 是に旧きに別るる棲(かな)しびは、心の中に鬱結(むすぼほ)れ、{涙}を拭ふ袖は、何を以ちてか能く旱(かは)かむ。因りて悲しびの歌二首を作りて、式ちて忘るること莫(な)き志を遺す。其の詞に曰く 既に六年の任期が満了し、にわかに遷任の運びとなりました。いま旧友の貴方と別れる悲しみは、心の内に固く絡まり、涙を拭う袖は、乾きようも無い程です。そこで悲しみの歌二首を作り、これによって貴方を決して忘れまいとする我が志を残します。その歌と申しますのは。 荒玉乃 年緒長久 相見C之 彼心引 将忘也毛 長い長い年月の間
* 久米広縄が朝集使として京にあり不在だったので、書き置きを残していったことを示します。(4238左注には「以正税帳」とあり、4252には「正税帳使」とある)親しくお付き合いをいただき あなたのご厚情そのお心寄せは 決して忘れることはないでしょう サ19 4249;作者:大伴家持,久米広縄、 [題詞](以七月十七日遷任少納言 仍作悲別之歌贈貽朝集使<掾>久米朝臣廣縄之館二首 /既満六載之期忽値遷替之運 於是別舊之悽心中欝結 拭な之袖何以能旱 因作悲歌二首式遺莫忘之志 其詞曰) 伊波世野尓 秋芽子之努藝 馬並 始鷹猟太尓 不為哉将別 いはせのに あきはぎしのぎ うまなめて はつとがりだに せずやわかれむ [左注]右八月四日贈之 石瀬野で秋萩を踏みしだきながら
* 「小鷹狩」は小型の鷹を用いてする秋の狩。これに対し大鷹を用いる冬の狩を「大鷹狩」と言う。馬を並べて初鳥猟をするつもりでしたのに それもしないで別れるのでしょうか * 「だに」は、副助詞。種々の語につき、それを最低限・最小限のものごととして提示する。 否定・反語と呼応して、「〜すら(ない)」の意。 サ19 4250;作者:大伴家持,内蔵縄麻呂、天平勝宝3年8月5日,枕詞,餞別,悲別,宴席,出発,羈旅,高岡 [題詞]便附大帳使取八月五日應入京師 因此以四日設國厨之饌於介内蔵伊美吉縄麻呂舘餞之 于時大伴宿祢家持作歌一首 (便ち大帳使に附きて、八月五日を取りて京師に入らむとす。これによりて、四日を以ちて国厨の饌を設け、介内蔵忌寸縄麿の館に餞(うまのはなむけ)す。時に大伴宿禰家持の作る歌一首) 家持の越中守在任は天平十八年より勝宝三年まで満五年、足かけ六年に及んだ。 之奈謝可流 越尓五箇年 住々而 立別麻久 惜初夜可<毛> [しなざかる] こしにいつとせ すみすみて たちわかれまく をしきよひかも 都はるかな越の国に
* 「まく」推量の助動詞「む」のク語法。上代語 …だろうこと。…しようとすること。5年も住みついてきた いざ今宵立ち別れようとすると なんとも名残惜しいことでありますよ * 「ク語法」は活用語の語尾に「く(らく)」が付いて、全体が名詞化される語法。「言はく」「語らく」「老ゆらく」など。 * 「初夜(よひ)」は、六時の一で、夜を三分した最初の時間。 |
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サ19 4238;作者:大伴家持,久米広縄、天平勝宝3年2月2日,宴席,餞別,旅立ち,高岡 [題詞]二月二日會集于守舘宴作歌一首 二月二日、守の館に会集ひて宴して作る歌一首 君之徃 若久尓有婆 梅柳 誰与共可 吾縵可牟 きみがゆき もしひさにあらば うめやなぎ たれとともにか わがかづらかむ [左注]右判官久米朝臣廣縄以正税帳應入京師 仍守大伴宿祢家持作此歌也 但越中風土梅花柳絮三月初咲耳 (右、判官久米朝臣廣縄、正税帳を持って京に入ることになり、守の大伴家持、この歌を作る。但し越中の風土では梅や花柳は三月になってから咲く。) 「正税帳」は、諸国内の官物、前年の雑費支出等の決算帳。毎年二月末以前に太政官に送る規定のもの。 君が京に行き
もし長旅になるのであれば 私は梅や柳を誰と挿頭にすればよいのか もうほころびかけているのに サ19 4239;者:大伴家持、天平勝宝3年4月16日、恨,高岡 [題詞]詠霍公鳥歌一首 (霍公鳥を詠む歌一首) 二上之 峯於乃繁尓 許毛<里>尓之 <彼>霍公鳥 待<騰>来奈賀受 ふたがみの をのうへのしげに こもりにし そのほととぎす まてどきなかず 二上山の峰の茂みに
* 高岡市万葉歴史館ほんとうに籠もってしまったのか その霍公鳥を いくら待っても鳴きに来ない [大伴家持の生涯と万葉集] http://www.manreki.com/arekore/yaka-manyou/yaka-manyou.htm * あしたね 年俸 http://n.ashitane.net/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 サ4240;作者:光明皇后,藤原清河,高安種麻呂、天平5年,遣唐使,伝誦,古歌,春日野,出発,神祭り,餞別,羈旅,天平勝宝3年,高岡 [題詞]春日祭神之日藤原太后御作歌一首 / 即賜入唐大使藤原朝臣清河 参議従四位下遣唐使 (春日にして神を祭る日、藤原太后の作らす歌一首 即ち入唐大使藤原朝臣清河に賜ふ 参議従四位下遣唐使) 大船尓 真梶繁貫 此吾子乎 韓國邊遣 伊波敝神多智 おほぶねに まかぢしじぬき このあこを からくにへやる いはへかみたち [左注](右件歌者傳誦之人越中大目高安倉人種麻呂是也 但年月次者随聞之時載於此焉)<天平勝宝三年(751)、越中国大目(だいさかん)高安倉人種麻呂が大伴家持に伝え、家持が記載した歌。藤原清河の入唐は翌年のこと。清河は光明子の甥だが、国母の立場から「吾子」と呼んでいる。>(千人万首) 大船に櫂をたくさん取り付けて
吾が子を唐国へ遣わします 守ってやって下さい 神々よ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の人。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明子(こうみょうし)、藤三娘(とうさんじょう)ともいう。 なお、「光明皇后」というのは諡号や追号の類ではなく通称で、正式な尊号は天平応真仁正皇太后という。 聖武天皇の皇太子時代に結婚し、718年(養老2年)阿倍内親王を出産。724年(神亀元年)夫の即位とともに後宮の位階である夫人号を得る。727年(神亀4年)基王(もといおう)を生んだ。728年(神亀5年)皇太子に立てられた基王が夭折したため後継を争って長屋王の変が起こるなど紛糾した。長屋王の変後、729年(天平元年)皇后にするとの詔が発せられた。これは王族以外から立后された初例である。 以後、藤原氏の子女が皇后になる先例となった。 娘である阿倍内親王の立太子、およびその後の孝謙天皇としての即位(749年(天平勝宝元年))後、皇后宮職を紫微中台(しびちゅうだい)と改称し、甥の藤原仲麻呂を長官に任じてさまざまな施策を行った。756年(天平勝宝8歳)夫の聖武太上天皇が亡くなる。 その2年後には皇太后号が贈られた。760年(天平宝字4年)逝去、佐保山東陵に葬られた。 光明皇后は仏教に篤く帰依し、東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられる。また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。 夫の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進、その宝物を収めるために正倉院が創設された。さらに、興福寺、法華寺、新薬師寺など多くの寺院の創建や整備に関わった。 また、書をよくし、奈良時代の能書家として聖武天皇とともに有名であり、作品には『楽毅論』(がっきろん)や『杜家立成雑書要略』(とけりっせいざっしょようりゃく)などがある。 * 五 島 福 江 島 『肥前風土記』には遣唐使船が「美彌良久(みみらく)の崎に到り、此処より発船して西を指して渡る」とある。 旅の初めは遣唐使船の寄港地へ。 サ19 4241;作者:藤原清河,高安種麻呂、天平5年,遣唐使,餞別,出発,神祭り,羈旅,春日野,伝誦,天平勝宝3年,高岡 [題詞]大使藤原朝臣清河歌一首 春日野尓 伊都久三諸乃 梅花 榮而在待 還来麻泥 かすがのに いつくみもろの うめのはな さかえてありまて かへりくるまで [左注](右件歌者傳誦之人越中大目高安倉人種麻呂是也 但年月次者随聞之時載於此焉) 春日野にお祀りしている神社の梅よ
* 「斎く」は「神聖なものとして祭る」こと。咲き栄えて待っていておくれ 私が帰ってくるまで * 「御室(みむろ)」は「神が来臨する場所。神社」。 * 唐での任務を終えた清河は、唐に滞在して36年になる阿倍仲麻呂とともに帰国の途についたが、途中で遭難してベトナムの安南に漂着し、その後再び長安に戻って唐朝に仕えた。 結局帰国をはたせず唐の地で没した。 サ4242 天平5年,作者:藤原仲麻呂,宴席,餞別,出発,羈旅,遣唐使,悲別,伝誦,高安種麻呂,高岡,天平勝宝3年 [題詞]大納言藤原家餞之入唐使等宴日歌一首 [即主人卿作之] 天雲乃 去還奈牟 毛能由恵尓 念曽吾為流 別悲美 あまくもの ゆきかへりなむ ものゆゑに おもひぞわがする わかれかなしみ ・・・・・・・・・・
空の雲は往っては帰って来る 当然そのように あなたも帰って来るものなのに 私は別れを悲しんで思い沈んでいる ・・・・・・・・・・ サ19 4243;作者:丹比土作,高安種麻呂、天平5年,伝誦,遣唐使,餞別,宴席,高岡,天平勝宝3年 [題詞]民部少輔丹治<比>真人土作歌一首 住吉尓 伊都久祝之 神言等 行得毛来等毛 舶波早家<无> すみのえに いつくはふりが かむごとと ゆくともくとも ふねははやけむ [左注](右件歌者傳誦之人越中大目高安倉人種麻呂是也 但年月次者随聞之時載於此焉) 住吉の神を祀る神主のお告げでは
住吉の大神が舳先に立って導かれるから 往きも帰りも船は無事に早く進むとのこと 天平5年の遣唐使入唐の際に詠まれた8首の一つ。 風や雨によって、港待ちしながら、長い船旅に悩まされた万葉人にとっては、安全な旅=速い旅が願いであった。 住吉の大神が舳先に立って、航海の安全が保障されたとか。 ・・・・・・・ 句切れ(くぎれ)は、意味や内容、調子(リズム)の切れ目。 短歌や俳句は、一つの歌の中に、二つの内容が表現されていることが多い。 その前半の内容の終わり部分が「句切れ」。 作品の途中で「。」を付けられるところ。 ○「句切れ」を見つけるためには幾つかの手法が存在する。 俳句によく使われる「切れ字」を手がかりにする。 「切れ字」→「ぞ」「かな」「や」「けり」「ず」「ぬ」「らむ」があれば、そこが句切れ。 感動を表す語を探す。 「感動を表す語」→「けり」「なり」「かな」「かも」等があれば、そこが句切れ。 初句・二句・三句・四句の末尾に文を言い切る形があったら句切れと考えられる。 文を言い切る形は、活用語の終止形・命令形、係り結びの結び、終助詞など。また、その句が名詞で呼びかけになっているものは句切れと考える。また、全体でひとまとまりで句切れのない和歌もある。 (例) * 初句(しょく)切れ 海恋し 潮の遠鳴り かぞへ(え)ては 少女(おとめ)となりし 父母の家 与謝野晶子 * 二句(く)切れ 白鳥は 悲しからずや 空の青 海のあおにも 染まずただよう 若山牧水 *三句(く)切れ 手を振りて はげしき声に 叫さけびたり この嬰子は 怒りそめたる 窪田章一郎 *四句(く)切れ 朝あけて 船より鳴れる 太笛の こだまはながし 並みよろう山 斎藤茂吉 |


