ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集(下書き)

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サ19 4233;作者:内蔵縄麻呂、天平勝宝3年1月3日,年紀,宴席,挨拶,引き留め,後朝,高岡

[題詞]于是諸人酒酣更深鶏鳴 因此主人内蔵伊美吉縄麻呂作歌一首

打羽振  鶏者鳴等母  如此許  零敷雪尓  君伊麻左米也母

うち羽振き 鶏は鳴くとも かくばかり 降り敷く雪に 君いまさめやも 

うちはぶき とりはなくとも かくばかり ふりしくゆきに きみいまさめやも

羽を打ち振って鶏は鳴くけれど

これほどにまでに降り積もった雪の中を

あなたがお帰りになることがありましょうか
* 「いまさめや」→「イマス」はこの場合「行く」意の尊敬語。
* 「うち‐はぶ・く」打ち羽振く [動カ四]羽ばたく



サ19 4234;作者:大伴家持,内蔵縄麻呂、天平勝宝3年1月3日,宴席,高岡

[題詞]守大伴宿祢家持和歌一首

鳴鶏者  弥及鳴杼  落雪之  千重尓積許曽  吾等立可○祢

鳴く鶏は いやしき鳴けど 降る雪の 千重に積めこそ 吾が立ちかてね 

なくとりは いやしきなけど ふるゆきの ちへにつめこそ わがたちかてね

いっそう頻りに鶏は鳴くけれど

降り続く雪が千重に積もるからこそ

吾らは立ち去りかねるのです
* 天武4年(676)に「牛、馬、犬、猿、鶏の宍(しし=肉)を食うこと莫(な)かれ」という詔が出された。牛や馬は農耕などに活用され、犬は家を守る。鶏は刻を告げる鳥として飼育されていた。これらの動物以外の鹿や猪など、野生動物を食べることは禁止されていない。



サ19 4235;作者:大伴家持、

[題詞]

足日木之  山黄葉尓  四頭久相而  将落山道乎  公之超麻久

あしひきの 山の紅葉に しづくあひて 散らむ山道を 君が越えまく 

[あしひきの] やまのもみちに しづくあひて] ちらむやまぢを きみがこえまく

[左注]右一首同月十六日餞之朝集使少目秦伊美吉石竹時守大伴宿祢家持作之
(右一首、同月十六日、朝集使少目秦忌寸石竹を餞せし時に、守大伴宿禰家持作る)

山の黄葉が

時雨のしずくとともに

ぬれて散る

その木陰の山の道を

貴方は越えてゆくのですね
* 少目(しょうさかん)という位の秦伊美吉石竹(はたのいみきいわたけ)という人が、朝集使(国々の政治や人事についての報告を都にする人)として奈良の都に旅立つのを送別する宴の時に、大伴家持が詠んだ歌。
* 「ま‐く」推量の助動詞「む」のク語法。上代語 …だろうこと。…しようとすること。



サ19 4236;天平勝宝3年1月3日,挽歌,悲別,亡妻挽歌,伝誦,古歌,遊行女婦蒲生,宴席,高岡

[題詞]悲傷死妻歌一首[并短歌] [作主未詳]

天地之ー天地のーあめつちのー天地に
神者<无>可礼也ー神はなかれやーかみはなかれやー神が無いことがあろうか
愛ー愛しきーうつくしきーいとしい
吾妻離流ー我が妻離るーわがつまさかるー妻は去ってしまった
光神ー光る神ー[ひかるかみ]ー
鳴波多*嬬ー鳴りはた娘子ーなりはたをとめー機織り娘
携手ー携はりーたづさはりー手に手を取って
共将有等ーともにあらむとー共に生きようと
念之尓ー思ひしにーおもひしにー思ったのに
情違奴ー心違ひぬーこころたがひぬー願いは適わなかった
将言為便ー言はむすべーいはむすべー言うべき言葉も
将作為便不知尓ー為むすべ知らにーせむすべしらにー為すすべも知らずに
木綿手次ー木綿たすきーゆふたすきー木綿襷を
肩尓取<挂>ー肩に取り懸けーかたにとりかけー肩に掛け
倭<文>幣乎ー倭文幣をーしつぬさをー倭織の幣を
手尓取持*ー手に取り持ちてーてにとりもちてー手に持って
勿令離等ーな放けそとーなさけそとー離れ離れにしないでと
和礼波雖祷ー我れは祈れどーわれはいのれどー私は祈ったけれども
巻而寐之ー枕きて寝しーまきてねしー抱いて寝た
妹之手本者ー妹が手本はーいもがたもとはー妻の腕(かいな)は
雲尓多奈妣久ー雲にたなびくーくもにたなびくー雲となって空にたなびいている
☆ 「光る神鳴りはた」は「機(はた)」を導く序。
☆ 「鳴神」は雷。




サ19 4237;天平勝宝3年1月3日,挽歌,悲別,亡妻挽歌,伝誦,古歌,遊行女婦蒲生,宴席,高岡

[題詞](悲傷死妻歌一首[并短歌] [作主未詳])反歌一首


寤尓等  念*之可毛  夢耳尓  手本巻<寐>等 見 者須便奈之

うつつにと 思ひてしかも 夢のみに 手本巻き寝と 見ればすべなし 

うつつにと おもひてしかも いめのみに たもとまきぬと みればすべなし

[左注]右二首傳誦遊行女婦蒲生是也

現実ではないのか

夢なのか

妻の腕を巻いて寝ていたのは
サ19 4227;作者:三形沙弥,藤原房前,笠子君,久米広縄、天平勝宝2年,年紀,,伝誦,予祝,寿歌,宮廷,高岡,古歌

不定型の長歌で、記紀歌謡を思わせるところがある。

大殿之  此廻之  雪莫踏祢  數毛  不零雪曽  山耳尓  零之雪曽  由米縁勿  人哉莫履祢  雪者

大殿の  この廻りの  雪な踏みそね  しばしばも  降らぬ雪ぞ  山のみに  降りし雪ぞ  ゆめ寄るな  人やな踏みそね  雪は 

おほとのの このもとほりの ゆきなふみそね しばしばも ふらぬゆきぞ やまのみに ふりしゆきぞ ゆめよるな ひとやなふみそね ゆきは

[左注](右二首歌者三形沙弥承贈左大臣藤原北卿之語作誦之也 聞之傳者笠朝臣子君 復後傳讀者越中國<掾>久米朝臣廣縄是也)
「贈左大臣藤原北卿」、すなわち 藤原房前 の語を承けて詠んだ歌という。

大殿のこの周りに降り積もった雪は踏むでない

めったには降らない雪である

山にばかり降った雪である

ゆめゆめ近寄るな

人よ 踏むでないぞ 雪を
* 大殿 (おほとの)  貴人の邸宅。ここでは藤原房前邸。




サ19 4228;作者:三形沙弥,藤原房前,笠子君,久米広縄、天平勝宝2年,伝誦,予祝,寿歌,宮廷,高岡,古歌

[題詞]反歌一首

有都々毛  御見多麻波牟曽  大殿乃  此母等保里能  雪奈布美曽祢

ありつつも 見したまはむぞ 大殿の この廻りの 雪な踏みそね 

ありつつも めしたまはむぞ おほとのの このもとほりの ゆきなふみそね

[左注]右二首歌者三形沙弥承贈左大臣藤原北卿之語作誦之也 聞之傳者笠朝臣子君 復後傳讀者越中國<掾>久米朝臣廣縄是也

あるがままの景色をご覧になられようとしておられる

大殿の この周りの雪を踏むでないぞ
* 「そ」 終助詞 禁止。副詞「な」を伴い、「な〜そ」の形で禁止をあらわす。

【補記】長歌が「大殿」の主人の口吻を借りて思いを述べたのに対し、反歌は家臣としての立場を明らかにして同一の趣意を歌い直している。左注によれば、以上二首は越中国掾久米広縄が大伴家持に伝読し、万葉集巻十九に記録された。 (出典;千人万首)

・・・・・・・・・・
以下<出典・転載[気ままに万葉集]より。>

大殿(おほとの)の この廻(もとほ)りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人や な踏みそね 雪は(19・4227 三方沙弥)
 反歌
ありつつも 見(め)したまはむぞ 大殿の この廻りの 雪な踏みそね
                         (19・4228 同)
 この長反歌には、変わった左注が付いています。それによると、天平時代の高官であった藤原房前(ふじはらのふささき)の「語を承けて」三方沙弥(みかたのさみ)が歌に仕立てたものだというのです。
ただし、「語を承けて」をどのように理解するかには諸説あって「歌を詠めという言葉をうけて」という意味だと考える注釈書もあります。
この長歌のリズムは通常の長歌とは少し異なっています。それを思うと、房前の言葉をなるべく生かして歌詞に仕立てたという説がよいようです。現代語にうつして見ると次のような具合です。

御殿の この周りの雪は踏んではなりませんぞ  

しばしば降る雪ではないのだ

いつもは山だけに降っていた雪だ

ゆめゆめ近寄るでないぞ 

そこの人 踏んではなりません この雪は

 反歌
このままの様子で御覧になるのですぞ

御殿のこの周りの雪は踏んではなりません

 まだ、だれの足跡も付いていない真っ白な雪を喜び、その雪原に無頓着にも足跡を付けようとしている人に向かって大真面目に「雪を踏んではなりませんぞ」と頼んでいる房前の顔が浮かぶようです。
傍にいた三方沙弥は房前の言葉がリズミカルで歌に近いことに興を覚えて、房前の気持ちに成り代わってこの長反歌を作ったのでしょう。

 この「大殿」は、房前の邸宅をさすと考えるのが一般的です。けれども、「大殿」は天皇の宮殿を指すのが普通です。これは、雪の朝、聖武天皇のそば近くに仕えていた房前が、天皇に美しいままの雪景色を御覧にいれようという気持ちから、「踏んではなりませんぞ」と人々に呼びかけたのかもしれません。また、反歌の「見(め)したまはむぞ」は敬意を伴う表現なので、「房前さまが御覧になるのだ」と三方沙弥が歌ったものとする注釈が多いのですが、これも長歌と同様、房前の立場から「天皇が御覧になるのだ」と周囲の人々に語りかけたと取りたいところです。左注には「右の二首の歌は」とありますから、二首ともに房前の言葉を承けて房前の立場に立って作られたと見るのが自然でしょう。


サ19 4229;作者:大伴家持、天平勝宝3年1月2日、寿歌,予祝,宴席,高岡

[題詞]天平勝寶三年


新  年之初者  弥年尓  雪踏平之  常如此尓毛我

新しき 年の初めは いや年に 雪踏み平し 常かくにもが 

あらたしき としのはじめは いやとしに ゆきふみならし つねかくにもが

[左注]右一首歌者 正月二日守舘集宴 於時零雪殊多積有四尺焉 即主人大伴宿祢家持作此歌也
(右の一首の歌は、正月二日に、守の館に集ひて宴せり。
 時に降る雪殊に多く、積もること四尺有り。
 即ち主人大伴宿禰家持此の歌を作る)

新年のはじめには

めでたき新雪を踏みならして

毎年こうして賑やかに宴を催したいものだ
* 「あらたし(新し)」は本来、新しいの意。
  「あたらし」はすぐれたもの・立派なものが過ぎ去ったり、失われかけたりすることに対する愛惜の感じを表した。
* 「いや年」=弥年。毎年。年毎に。
* 「雪踏み平(なら)し」は、雪を踏みつけて平らにして。多くの人が訪れることをいう。



サ19 4230;作者:大伴家持、天平勝宝3年1月3日,寿歌,予祝,宴席,内蔵縄麻呂,高岡

[題詞]

落雪乎  腰尓奈都美弖  参来之  印毛有香  年之初尓

降る雪を 腰になづみて 参ゐて来し 験もあるか 年の初めに 

ふるゆきを こしになづみて まゐてこし しるしもあるか としのはじめに

[左注]右一首三日會集介内蔵忌寸縄麻呂之舘宴樂時大伴宿祢家持作之

降積もった雪に腰まで埋まりながら

やって参った甲斐がありましょう

年の初めに



サ19 4231;作者:久米広縄、天平勝宝3年1月3日,宴席,見立て,内蔵縄麻呂,高岡

[題詞]于時積雪彫成重巌之起奇巧綵發草樹之花 属此<掾>久米朝臣廣縄作歌一首(雪を岩の重なりに象り、そこに色を染め付けてさまざまな花の模樣を描いた、云々)

奈泥之故波  秋咲物乎  君宅之  雪巌尓  左家理家流可母

なでしこは 秋咲くものを 君が家の 雪の巌に 咲けりけるかも 

なでしこは あきさくものを きみがいへの ゆきのいはほに さけりけるかも
撫子は秋咲くものを

あなたの家に造った

雪の岩に咲きましたなあ

久米広縄 くめのひろなわ(-ひろただ/ひろつな) 生没年未詳
久米氏はもと直(あたい)姓、来目部の伴造氏族。
「広縄」はヒロタダ、ヒロノリなどと訓む説もある。
天平十七年(745)、左馬少允従七位上の地位にあった(大日本古文書)。
同十九年五月から二十年三月までの間に大伴池主の後任として越中掾に着任し、以後、大伴家持が国守に在任した期間を通じて掾の職にあった。



19 4232;作者:遊行女婦蒲生、天平勝宝3年1月3日,宴席,寿歌,見立て,内蔵縄麻呂,高岡

[題詞]遊行女婦蒲生娘子歌一首


雪嶋  巌尓殖有  奈泥之故波  千世尓開奴可  君之挿頭尓
雪の山斎(しま)巌(いは)に植ゑたる石竹花(なでしこ)は千世(ちよ)に咲きぬか君 が挿頭(かざし)に

雪の嶋 巌に植ゑたる なでしこは 千代に咲かぬか 君がかざしに 

ゆきのしま いはほにうゑたる なでしこは ちよにさかぬか きみがかざしに

唐島の撫子ちゃずっと咲いて欲しいがいちゃ

あんたに何時まででもかんざしにして欲しいから

雪の庭に植えた撫子は

千年も咲き続けてほしい

あなたの挿頭にするように
* 「雪の嶋」:氷見市沖の300mにある唐島。伝説によると中国「唐」から贈られた宝の島という。陸続きであったが日本海の浸食によって小島となり、島嶼(とうしょ)の少ない富山湾では学術的にも貴重であるということで、県の天然記念物に指定されている。


サ19 4217;作者:大伴家持、天平勝宝2年5月,序詞,恋情,鬱屈,高岡

[題詞]霖雨へ日作歌一首

宇能花乎  令腐霖雨之  始水<邇>  縁木積成  将因兒毛我母

卯の花を 腐す長雨の 始水に 寄る木屑なす 寄らむ子もがも 

[うのはなを くたすながめの みづはなに] よるこつみなす よらむこもがも

卯の花を腐さらせる長雨に

流れる水押されて岸辺に寄ってくる木屑のように

私に寄り付いて思いを寄せてくれる娘さんがいたらなぁ
* 「霖雨」は三日以上も降り続く雨。
* 「ミヅハナ」は水端、大雨による出水の先端。
* 「腐(くた)す」 腐らせる。
* 「長雨(ながめ)」 毎日のように降り続く雨。「眺め」に掛かる。
* 「始水(はなみづ)」 出水の先端。
* 「木屑(こつみ)なす」 木のくずのように、おびただしい数のたとえ。* 「・・もがも」 あったらいいのに。





サ19 4218;作者:大伴家持、天平勝宝2年5月,恋情,序詞,高岡

[題詞]見漁夫火光歌一首

鮪衝等 海人之燭有 伊射里火之 保尓可将出 吾之下念乎

鮪突くと 海人の灯せる 漁り火の 秀にか出ださむ 吾が下思ひを 

[しびつくと あまのともせる いざりひの] ほにかいださむ わがしたもひを

鮪漁で銛を突くために漁師が灯す漁火のように 

はっきりと知れるように外に出してしまおうか

私の秘めたる恋心を


サ19 4219;作者:大伴家持、天平勝宝2年6月15日

[題詞]

吾屋戸之  芽子開尓家理  秋風之  将吹乎待者  伊等遠弥可母

吾が宿の 萩咲きにけり 秋風の 吹かむを待たば いと遠みかも 

わがやどの はぎさきにけり あきかぜの ふかむをまたば いととほみかも

私の庭の萩がもう咲きましたよ

秋風の吹くのを待つまが遠くて

待ちきれなくて咲いたのでしょうか



サ19 4220;作者:坂上郎女,坂上大嬢

[題詞]従京師来贈歌一首[并短歌]

[左注](右二首大伴氏坂上郎女賜女子大嬢也)

天平勝宝2年,年紀,,贈答,枕詞,恋情
和多都民能ー海神のー[わたつみの]ー
可味能美許等乃ー神の命のーかみのみことのー海の神様が
美久之宜尓ーみ櫛笥にーみくしげにー手箱に
多久波比於伎Cー貯ひ置きてーたくはひおきてーしまっておき
伊都久等布ー斎くとふー[いつくとふ]ー大切にするという
多麻尓末佐里Cー玉にまさりてーたまにまさりてー真珠にもまさって
於毛敝里之ー思へりしーおもへりしー愛しく思っていた
安我故尓波安礼騰ー我が子にはあれどーあがこにはあれどー我が子だけれど
宇都世美乃ー[うつせみの]ー
与能許等和利等ー世の理とーよのことわりとー現世の道理であるからと
麻須良乎能ー大夫のーますらをのー 官人の
比伎能麻尓麻仁ー引きのまにまにーひきのまにまにー夫殿の誘いのままに
之奈謝可流ー[しなざかる]ー
古之地乎左之Cー越道をさしてーこしぢをさしてー遠い越の国をめざして
波布都多能ー延ふ蔦のー[はふつたの]ー蔦が別れ別れに伸びてゆくように
和可礼尓之欲理ー別れにしよりーわかれにしよりー旅立ち別れてから
於吉都奈美ー沖つ波ー[おきつなみ]ー沖の波がうねるように
等乎牟麻欲妣伎ーとをむ眉引きーとをむまよびきー撓む美しい眉が
於保夫祢能ー大船のー[おほぶねの]ー大船に乗っているかの如く
由久良々々々耳ーゆくらゆくらにーゆらゆらと
於毛可宜尓ー面影にーおもかげにー面影に
毛得奈民延都々ーもとな見えつつーもとなみえつつー見えて仕方ありません
可久古非婆ーかく恋ひばーかくこひばーこのように恋しがっていたら
意伊豆久安我未ー老いづく我が身ーおいづくあがみー老境に至ったわが身
氣太志安倍牟可母ーけだし堪へむかもーけだしあへむかもー果たして堪え切れるでしょうか




サ19 4221;作者:坂上郎女,坂上大嬢、天平勝宝2年,贈答,枕詞,恋情

[題詞](従京師来贈歌一首[并短歌])反歌一首

可久婆可里  古<非>之久志安良婆  末蘇可我美  弥奴比等吉奈久  安良麻之母能乎

かくばかり 恋しくしあらば まそ鏡 見ぬ日時なく あらましものを 

かくばかり こひしくしあらば [まそかがみ] みぬひときなく あらましものを

これほどまでに

恋しい思いをするのだったら

真澄鏡のように

いつもいつもそばに置いて

眺めているのでしたよ
娘をその夫のもとに行かせた後
五十路の身に 
津々と募る母の侘わびしさ
* 「あらまし」…であろう。…でありたい。
動詞「あり」に推量の助動詞「まし」の付いたもの、仮想・推量・期待等、話し手の意志、希望などを表明する。



サ19 4222;作者:久米広縄、天平勝宝2年9月3日,年紀,,宴席,高岡

[題詞]九月三日宴歌二首

許能之具礼  伊多久奈布里曽  和藝毛故尓  美勢牟我多米尓  母美知等里○牟

このしぐれ いたくな降りそ 吾妹子に 見せむがために 黄葉取りてむ 

このしぐれ いたくなふりそ わぎもこに みせむがために もみちとりてむ

この時雨よ

あまりひどく降らないでくれ

愛しい妻に見せるため

黄葉狩りに行きたいのだから



サ19 4223;作者:大伴家持、天平勝宝2年9月3日,枕詞,高岡

[題詞](九月三日宴歌二首)

安乎尓与之  奈良比等美牟登  和我世故我  之米家牟毛美知  都知尓於知米也毛

あをによし 奈良人見むと 吾が背子が 標けむ紅葉 地に落ちめやも 

[あをによし] ならひとみむと わがせこが しめけむもみち つちにおちめやも

奈良のその方に見せようと

親愛なる友が標を結った黄葉です

散ってしまうことなどありましょうか


サ4224;作者:光明皇后、天平勝宝2年10月5日,伝承,誦詠,河辺東人,吉野,古歌,高岡

[題詞]

朝霧之  多奈引田為尓  鳴鴈乎  留得哉  吾屋戸能波義

朝霧の たなびく田居に 鳴く雁を 留め得むかも 吾が宿の萩 

あさぎりの たなびくたゐに なくかりを とどめえむかも わがやどのはぎ

[左注]右一首歌者幸於芳野離宮之時藤原皇后御作 但年月未審詳 十月五日河邊朝臣東人傳誦云尓
<右の一首の歌は、吉野の宮に幸せる時、藤原皇后(光明皇后)御作せり。但し年月は 未だ審詳(つばひ)らかならず 十月五日に河邊朝臣東人伝へ誦むとしかいふ>「藤原皇后」は、天平勝宝二年当時は、正しくは皇太后。「河邊朝臣東人」は、06/0979左注に、藤原八束の使として山上憶良を見舞った旨見える。

朝霧のたなびく田に鳴いている雁を

留めておくことができるかな

吾が庭の萩は



サ19 4225;作者:大伴家持、天平勝宝2年10月16日,枕詞,餞別,旅立ち,秦石竹,高岡

[題詞]

足日木之 山黄葉尓 四頭久相而 将落山道乎 公之超麻久

あしひきの 山の紅葉に しづくあひて 散らむ山道を 君が越えまく 

[あしひきの] やまのもみちに しづくあひて ちらむやまぢを きみがこえまく

[左注]右一首同月十六日餞之朝集使少目秦伊美吉石竹時守大伴宿祢家持作之
(右一首、同月十六日、朝集使少目秦忌寸石竹を餞せし時に、守大伴宿禰家持作る)

山のもみじ葉が

時雨のしずくと一緒に散る山道を

あなたは越えて行くのですね



サ19 4226;作者:大伴家持、天平勝宝2年12月,高岡

[題詞]雪日作歌一首

此雪之  消遺時尓  去来歸奈  山橘之  實光毛将見

この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む 

このゆきの けのこるときに いざゆかな やまたちばなの みのてるもみむ

[左注]右一首十二月大伴宿祢家持作之

この白雪がまだ消え残っている間に

さあ行こう

山橘の実が赤く照り映えているのが見たい
* 「山橘」はヤブコウジのことという。薮柑子は山林の陰地に自生する常緑低木で、柑橘類の橘とは全く別種の植物。冬に赤い実を付ける。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/


サ19 4214;作者:大伴家持、天平勝宝2年5月27日,挽歌,枕詞,悲別,哀悼,藤原久須麻呂母,贈答,高岡

[題詞]挽歌一首[并短歌]

天地之ー天地のーあめつちのー天地の
初時従ー初めの時ゆーはじめのときゆー創成の時から
宇都曽美能ーうつそみのーこの世の
八十伴男者ー八十伴の男はーやそとものをはーすべての朝廷に仕える男子は
大王尓ー大君にーおほきみにー天皇陛下に
麻都呂布物跡ーまつろふものとー服従するものであると
定有ー定まれるーさだまれるー定められた
官尓之在者ー官にしあればーつかさにしあればー役割なのであるから
天皇之ー大君のーおほきみのー陛下
命恐ー命畏みーみことかしこみーのご命令を畏れ謹んで
夷放ー鄙離るーひなざかるー都を遠く離れた
國乎治等ー国を治むとーくにををさむとー国を治めると
足日木ー[あしひきの]
山河阻ー山川へだてーやまかはへだてーはるか山河を隔て
風雲尓ー風雲にーかぜくもにー風や雲が
言者雖通ー言は通へどーことはかよへどー往き来するように便りを交わすことはあるものの
正不遇ー直に逢はずーただにあはずーじかに逢うことはできず
日之累者ー日の重なればーひのかさなればーそのような日々が重なれば
思戀ー思ひ恋ひーおもひこひー恋しい思いに
氣衝居尓ー息づき居るにーいきづきをるにー喘ぐような気持ちでいたところ
玉桙之ー玉桙のー[たまほこの]
道来人之ー道来る人のーみちくるひとのー遠路を来た使いの者が
傳言尓ー伝て言にーつてことにー伝言として
吾尓語良久ー我れに語らくーわれにかたらくー私に語ったことには
波之伎餘之ー[はしきよし]ー親愛なる
君者比来ー君はこのころーきみはこのころー君がこの頃
宇良佐備弖ー[うらさびて]
嘆息伊麻須ー嘆かひいますーなげかひいますー悲嘆に暮れておられると
世間之ー世間のーよのなかのー世の中は
Q家口都良家苦ー憂けく辛けくーうけくつらけくー何と憂鬱で辛いことか
開花毛ー咲く花もーさくはなもー咲く花も
時尓宇都呂布ー時にうつろふーときにうつろふー時が来れば色褪せる
宇都勢美毛ーうつせみもー現世の人間も
<无>常阿里家利ー常なくありけりーつねなくありけりー不滅ではあり得ない
足千根之ー[たらちねの]
御母之命ー母の命ーみははのみことー尊い母上様が
何如可毛ー何しかもーなにしかもーどうしたことか
時之波将有乎ー時しはあらむをーときしはあらむをーよりによって
真鏡ーまそ鏡ー[まそかがみ]澄んだ鏡のように
見礼杼母不飽ー見れども飽かずーみれどもあかずー見飽きない
珠緒之ー玉の緒のー[たまのをの]ー妙齢の
惜盛尓ー惜しき盛りにーをしきさかりにー盛りの時に
立霧之ー立つ霧のー[たつきりの]ー霧が
失去如久ー失せぬるごとくーうせぬるごとくー消え失せるように
置露之ー置く露のー[おくつゆの]ー露が
消去之如ー消ぬるがごとくーけぬるがごとくー消え果てるように
玉藻成ー玉藻なすー[たまもなす]ー玉藻さながら
靡許伊臥ー靡き臥い伏しーなびきこいふしーぐったりと床に臥し
逝水之ー行く水のー[ゆくみづの]ー流れ去る水のように
留不得常ー留めかねつとーとどめかねつとー引き留められなかった
枉言哉ーたはことかー狂言を
人之云都流ー人の言ひつるーひとのいひつるー人が口走ったのだろうか
逆言乎ーおよづれかー惑わせ言を
人之告都流ー人の告げつるーひとのつげつるー人が言い触らしたのだろうか
梓<弓>ー梓弓ー[あづさゆみ]ー梓弓の
<弦>爪夜音之ー爪引く夜音のーつまびくよおとのー弦(つる)を爪弾いて立てる音の
遠音尓毛ー遠音にもーとほおとにもーその音が夜遠くから聞こえるように
聞者悲弥ー聞けば悲しみーきけばかなしみー かすかに耳に触れただけで悲しく
庭多豆水ー[にはたづみ]
流涕ー流るる涙ーながるるなみたー溢れ出る涙を
留可祢都母ー留めかねつもーとどめかねつもー留めることができなかった
[左注](右大伴宿祢家持弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也 五月廿七日)
* 「君」は家持の妹婿、藤原継縄(つぐただ)を指す。
* 「御母(異訓ミハハ・ミオモ・オモなど)」は、継縄の母、路真人虫麻呂女(みちのまひとむしまろのむすめ)。
* 「梓弓爪引く夜音」は、宮廷警備の武士が夜、除魔のため梓弓の弦を爪弾いて立てる音。
* 「天地の」から「息づき居るに」までは、家持自身の近況を伝える言葉。人麻呂などの儀式的・公的な挽歌との違いが際立つ。




サ19 4215;作者:大伴家持、天平勝宝2年5月27日、挽歌,悲別,哀悼,藤原久須麻呂母,贈答,高岡

[題詞](挽歌一首[并短歌])反歌二首

遠音毛  君之痛念跡  聞都礼婆  哭耳所泣  相念吾者

遠音にも 君が嘆くと 聞きつれば 哭のみし泣かゆ 相思ふ吾れは 
とほとにも きみがなげくと ききつれば ねのみしなかゆ あひおもふわれは

[左注]右大伴宿祢家持弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也 五月廿七日
(右、大伴宿禰家持、聟の南右大臣家の藤原二郎(なかちこ)が慈母(じも)を 喪へる患(うれ)ひを弔ふ。五月二十七日)

遠い噂に

君の嘆き聞いて

声あげて泣くばかりである

思い合う仲の私は




サ19 4216;作者:大伴家持

[題詞]((挽歌一首[并短歌])反歌二首)


世間之 <无>常事者 知良牟乎 情盡莫 大夫尓之C

世間の 常なきことは 知るらむを 心尽くすな 大夫にして 

よのなか つねなきことは しるらむを こころつくすな ますらをにして

この世は無常であるとご存知のはず

心一途に嘆きなさるな

朝廷に仕える男子なのだから


サ19 4207;作者:大伴家持、天平勝宝2年4月22日,贈答,久米広縄,恋情

[題詞]廿二日贈判官久米朝臣廣縄霍公鳥怨恨歌一首[并短歌]
二十二日、判官久米朝臣廣縄に贈る霍公鳥の怨恨の歌一首 并せて短歌
 
此間尓之○ーここにしてーこの国守館から  
曽我比尓所見ーそがひに見ゆるーそがひにみゆるー裏手に見える  
和我勢故我ー吾が背子がーわがせこがー親愛なる  
垣都能谿尓ー垣内の谷にーかきつのたににー貴方の屋敷内の谷では 
安氣左礼婆ー明けさればーあけさればー朝明けには  
榛之狭枝尓ー榛のさ枝にーはりのさえだにー榛の木の枝で  
暮左礼婆ー夕さればーゆふさればー夕暮れれば  
藤之繁美尓ー藤の繁みにーふぢのしげみにー藤の繁みで  
遥々尓ーはろはろにー遥かに 
鳴霍公鳥ー鳴く霍公鳥ーなくほととぎすーほととぎすが鳴いているでしょう 
吾屋戸能ー吾が宿のーわがやどのー吾が家の  
殖木橘ー植木橘ーうゑきたちばなー植木のの橘には  
花尓知流ー花に散るーはなにちるーまだ花が散る  
時乎麻<太>之美ー時をまだしみーときをまだしみー時期でないため  
伎奈加奈久ー来鳴かなくーきなかなくー鳴きに来ません  
曽許波不怨ーそこは恨みずーそこはうらみずーそれは恨まない   
之可礼杼毛ーしかれどもーとしても 
谷可多頭伎○ー谷片付きてーたにかたづきてー谷方に近くに  
家居有ー家居れるーいへをれるー住んでいられる  
君之聞都々ー君が聞きつつーきみがききつつー貴方が鳴き声を聞きながら  
追氣奈久毛宇之ー告げなくも憂しーつげなくもうしー告げ知らせて下さらないのは 無情な話です




サ19 4208;作者:大伴家持、天平勝宝2年4月22日,贈答,久米広縄,怨恨,恋情

[題詞](廿二日贈判官久米朝臣廣縄霍公鳥怨恨歌一首[并短歌])反歌一首

吾幾許  麻○騰来不鳴  霍公鳥  比等里聞都追  不告君可母

吾がここだ 待てど来鳴かぬ 霍公鳥 ひとり聞きつつ 告げぬ君かも 
わがここだ まてどきなかぬ ほととぎす ひとりききつつ つげぬきみかも

私がこれほどまで待ち焦がれているのに

鳴きに来ないほととぎすを

貴方は独り占めして聞いて

私には教えて下さらないのですね



サ19 4209;作者:久米広縄,大伴家持、天平勝宝2年4月23日,贈答

[題詞]詠霍公鳥歌一首[并短歌]

多尓知可久ー谷近くーたにちかくー谷近くの
伊敝波乎礼騰母ー家は居れどもーいへはをれどもー家に住んではいますが
許太加久○ー木高くてーこだかくてー木が高く
佐刀波安礼騰母ー里はあれどもーさとはあれどもー繁る里ではありますが
保登等藝須ー霍公鳥ーほととぎすーほととぎすは 
伊麻太伎奈加受ーいまだ来鳴かずーいまだきなかずーまだ鳴きに来ません
奈久許恵乎ー鳴く声をーなくこゑをー鳴き声を
伎可麻久保理登ー聞かまく欲りとーきかまくほりとー聞きたいと
安志多尓波ー朝にはーあしたにはー朝には
可度尓伊○多知ー門に出で立ちーかどにいでたちー門のところに出て佇み
由布敝尓波ー夕にはーゆふへにはー夕方には
多尓乎美和多之ー谷を見渡しーたにをみわたしー谷を見渡して
古布礼騰毛ー恋ふれどもーこふれどもー恋い待ちしていますが
比等己恵太尓母ー一声だにもーひとこゑだにもー一声さえ
伊麻太伎己要受ーいまだ聞こえずーいまだきこえずーまだ聞くことができません




サ19 4210;作者:久米広縄,大伴家持、天平勝宝2年4月23日 贈答,枕詞

[題詞](詠霍公鳥歌一首[并短歌])

敷治奈美乃  志氣里波須疑奴  安志比紀乃  夜麻保登等藝須  奈騰可伎奈賀奴

藤波の 茂りは過ぎぬ あしひきの 山霍公鳥 などか来鳴かぬ 

ふぢなみの しげりはすぎぬ [あしひきの] やまほととぎす などかきなかぬ

藤の花の盛りは過ぎてしまったのに

山のほととぎすは

何故 来て鳴かないのでしょうか




サ19 4211;作者:大伴家持,追同,田辺福麻呂,高橋虫麻呂、天平勝宝2年5月6日,依興,物語,兎原娘子,高岡

[題詞]追同處女墓歌一首[并短歌]

古尓ー古にーいにしへにー遠い昔に
有家流和射乃ーありけるわざのーあった出来事の
久須婆之伎ーくすばしきー神秘不可思議なこととして
事跡言継ー事と言ひ継ぐーことといひつぐー 言い伝えられる話
知努乎登古ー智渟壮士ーちぬをとこー血沼壮士
宇奈比<壮>子乃ー 菟原壮士のーうなひをとこのー菟原壮士の
宇都勢美能ーうつせみのー現世での
名乎競争<登>ー名を争ふとーなをあらそふとー名誉を争うのだと
玉剋ー[たまきはる]
壽毛須底弖ー命も捨ててーいのちもすててー命も顧みず
相争尓ー争ひにーあらそひにー競い合って
嬬問為家留ー妻問ひしけるーつまどひしけるー求婚した
○嬬等之ー処女らがーをとめらがー葦屋少女の
聞者悲左ー聞けば悲しさーきけばかなしさー聞く話の何と悲しいことか
春花乃ー春花のー[はるはなの]ー春の花のように
尓太要盛而ーにほえ栄えてーにほえさかえてー 美しく栄え
秋葉之ー秋の葉のー[あきのはの]ー秋の葉のように
尓保比尓照有ーにほひに照れるーにほひにてれるー赤々と映える
惜ー 惜しきーあたらしきー貴重な
身之壮尚ー身の盛りすらーみのさかりすらー女の身の盛りであるのに
大夫之ー大夫のーますらをのー言い寄った男の
語勞美ー言いたはしみーこといたはしみー言葉を心に重く受けるあまり
父母尓ー父母にーちちははにー両親に
啓別而ー申し別れてーまをしわかれてー別れを告げ
離家ー家離りーいへざかりー家を去って
海邊尓出立ー海辺に出で立ちーうみへにいでたちー海辺に佇み
朝暮尓ー朝夕にーあさよひにー朝夕に
満来潮之ー満ち来る潮のーみちくるしほのー満ちてくる潮の
八隔浪尓ー八重波にーやへなみにー幾重にも寄せて来る波に
靡珠藻乃ー靡く玉藻のーなびくたまものーなびく玉藻の
節間毛ー節の間もーふしのまもー節の間ほどのわずかな
惜命乎ー惜しき命をーをしきいのちをー惜しい乙女の命を
露霜之ー露霜のー[つゆしもの]ー露霜のように
過麻之尓家礼ー過ぎましにけれーすぎましにけれー消し去ってしまわれたという
奥墓乎ー奥城をーおくつきをー墓を 
此間定而ーここと定めてーこことさだめてーここに定めて
後代之ー後の世のーのちのよのー後世
聞継人毛ー聞き継ぐ人もーききつぐひともーこの話を聞き継ぐ人々に
伊也遠尓ーいや遠にーいやとほにーさらに永く
思努比尓勢餘等ー偲ひにせよとーしのひにせよとー思いを寄せるようにと
黄楊小櫛ー黄楊小櫛ーつげをぐしー黄楊で作った櫛を
之賀左志家良之ーしか刺しけらしーしかさしけらしーその塚に挿し込んだのであろう
生而靡有ー生ひて靡けりーおひてなびけりー根付いて黄楊の木に生育ち葉が風に靡いている

題詞の「處女の墓の歌」は、
「葦屋處女の墓を過ぐる時作れる歌」(09/1801〜1803田邊福麻呂歌集出)、「菟原處女の墓を見る歌」(09/1809〜1811高橋虫麻呂歌集中出)を指す。

家持は虚構の物語伝説として見る立場で作歌している。

倭建命が走水の瀬戸を渡りかねたとき弟橘比売が海神に生贄入水して助け、のち櫛が流れ着いたという神話も混成か。




19 4212;作者:大伴家持,追同,田辺福麻呂,高橋虫麻呂、天平勝宝2年5月6日,依興,兎原娘子,物語

[題詞](追同處女墓歌一首[并短歌])

乎等女等之 後<乃>表跡 黄楊小櫛  生更生而  靡家良思母

娘子らが 後の標と 黄楊小櫛 生ひ変り生ひて 靡きけらしも 

をとめらが のちのしるしと つげをぐし おひかはりおひて なびきけらしも

兎原娘子の言い伝えを永く遺すしるしとして

黄楊の小櫛が木に生え変わって伸び栄え

風に靡いているのだ
☆ 「靡きけらしも」のケラシは回想・詠嘆の助動詞ケリと推量の助動詞ラシの連語。過去の推量、またはケリと同様詠嘆を表す。
☆ 「興に依けて」は、福麻呂や虫麻呂の歌を読んで受けた感興から歌作したことを指す。



19 4213;作者:大伴家持,丹比家、天平勝宝2年5月,高岡,序詞,望郷,贈答

安由乎疾  奈呉<乃>浦廻尓  与須流浪  伊夜千重之伎尓  戀<度>可母

東風をいたみ 奈呉の浦廻に 寄する波 いや千重しきに 恋ひわたるかも 

あゆをいたみ なごのうらみに よするなみ いやちへしきに こひわたるかも
東風が激しいので

奈呉の浦に寄せる波が

ますます重なってくるように

頻りと都恋しさに襲われながら

毎日を過ごしています



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