ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第一巻

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59 雑歌,作者:誉謝女王,妻歌

[題詞]譽謝女王作歌
大宝二年(702)、持統太上天皇の参河国行幸に従駕した夫を思いやっての作。

[原文]流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良<武>

[仮名],ながらふる,つまふくかぜの,さむきよに,わがせのきみは,ひとりかぬらむ

流らふる 妻吹く風の 寒き夜に 吾が背の君は ひとりか寝らむ 

絶え間なく流れるように
風が軒端に吹きつける
寒いこの夜に
独り旅の宿で寝ているのだろう
私のいとしい夫は

* 流經ーながらふるー流らふるー絶えず流れるように吹きつける。「風」にかかる。 
* 妻吹風之ーつまふくかぜのー妻吹く風の。「妻」は当て字。
* 「つま」は「軒のはし」の意も。他に「褄」「爪掛けるところ」「端」
* 寒夜尓ーさむきよにー寒き夜に 
* 吾勢能君者ーわがせのきみはー吾が背の君は  
* 獨香宿良<武>ーひとりかぬらむーひとりか寝らむー=今ごろは独り寝ていることだろう。
* 「か」は疑問の係助詞。疑い・不定の意を持つ、〜だろうか。
* 「寝」は、ナ行下二段活用動詞「寝(ぬ)」の終止形。
* 「らむ」は、(結び)現在推量の助動詞連体形。

* 誉謝女王 よざのおおきみ 生年未詳〜慶雲三(706)
伝不詳。慶雲三年六月、従四位下で卒去(続日本紀)。
(白鳳時代の人)
60 雑歌,作者:長皇子

[題詞]長皇子御歌

[原文]暮相而 朝面無美 隠尓加 氣長妹之 廬利為里計武

[仮名],よひにあひて,あしたおもなみ,なばりにか,けながくいもが,いほりせりけむ

宵に逢ひて 朝面無み 名張にか 日長く妹が 廬りせりけむ 

夜に情を結び
朝は恥ずかしくて顔を隠すという
いわれのある名張の地に
何日も妻は旅の仮廬を結んでいたのだろう

* 暮相而 ーよひにあひてー宵に逢ひてー夜には情を結び、宵に共寝をして、
* 朝面無美ーあしたおもなみー朝面無みー朝恥ずかしく顔を隠すという、
翌朝恥ずかしくて会わせる顔がなく、隠(なば)ると言う。
* 隠尓加ーなばりにかー名張にかー名張の地に、(隠爾(なばり)は今の名張。隠れるで隠爾を修飾。)
* 「か」は疑問・反語・詠嘆などの意をあらわすとされるが、実際にはこれらのいずれとも区別し難い場合が多い。「叙情的表現の和歌においては、純粹に相手に對して疑問を提出することは、稀であつて、多くの場合に、詠嘆か自問自答の反語的表現となる」(時枝誠記『日本文法 文語篇』)。
* 氣長妹之ーけながくいもがー日長く妹がー何日も妻は。その名張で旅に出て久しい妻は、 
* 廬利為里計武ーいほりせりけむー廬りせりけむー仮廬を結んでいたのだろう、
「せ」使役の助動詞「す」の未然形・連用形。
「り」助動ラ変型。ラ変動詞「あり」が上接の動詞語尾の母音と結合した結果、「り」だけが残ったもの。ある動作が完了した意を表す。
「けむ」は過去の推量を表す助動詞で「〜ただろう」の意。。
仮の宿をとったことだろう。


大宝二年(702)十月から十一月にかけての持統太上天皇の三河行幸に際しての作。飛鳥の都に留まった長皇子が旅先の妻を思いやって詠んだ歌。
隠(なばり)は三重県名張市。畿内の東限で、ここを越えると伊賀国。


* 長皇子 ながのみこ 生年未詳〜和銅八(715) 天武天皇の第七皇子。
『皇胤紹運録』によれば母は大江皇女(天智天皇の皇女)。弓削皇子の同母兄。子に栗栖王・長田王・智努王・邑知王・智努女王・広瀬女王らがいる。

万葉集には上記のほか、巻一巻末「長皇子、志貴皇子と佐紀宮に倶に宴する歌」、巻二の「長皇子、皇弟に与ふる歌」がある。(千人万首)
72

[題詞](大行天皇幸于難波宮時歌)

[原文]玉藻苅 奥敝波不<榜> 敷妙<乃> 枕之邊人 忘可祢津藻

[訓読]玉藻刈る沖へは漕がじ敷栲の枕のあたり忘れかねつも

[仮名],たまもかる,おきへはこがじ,しきたへの,まくらのあたり,わすれかねつも

[左注]右一首式部卿藤原宇合

[校異]G 榜 [元] / 之 乃 [元][類][紀]

[KW],雑歌,作者:藤原宇合,難波,文武,行幸,大阪,従駕,植物,枕詞
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
72;作者:藤原宇合,難波,文武,行幸,従駕,枕詞

[題詞](大行天皇幸于難波宮時歌)

玉藻苅  奥敝波不<榜>  敷妙<乃>  枕之邊人  忘可祢津藻

玉藻刈る 沖へは漕がじ 敷栲の 枕のあたり 忘れかねつも 

たまもかる おきへはこがじ [しきたへの] まくらのあたり わすれかねつも
玉藻を刈る海女たちがいる
あんな沖にはもう漕ぎ出さないで
家の枕もとにいた人が気になって
早く戻りたくなったんだよ

* 「玉藻苅ーたまもかるー玉藻刈る」ー枕詞。玉藻は沖にあることから 「沖」に、また「敏馬(みぬめ)」「「処女(をとめ)」「辛荷の島」にかかる。 
* 「奥敝波不<榜>ーおきへはこがじー沖へは漕がじ」 打消推量。
話し手自身の能動的な行為に関する場合、「〜するまい」との話し手の否定的意志をあらわす。また二人称(あるいは呼びかける対象)の行為に関する場合、「〜してはいけない」という禁止をあらわす。
* なお「沖合いまで来てしまったが」来なければよかった。もう行くな帰ろう意にもとれる。
* 敷妙<乃>ーしきたへのー敷栲のー枕詞。敷き妙は寝床に敷くことから「枕」「床」に、「衣」「たもと」「そで」に、また寝る意から転じて「家」の意に、同音の反復で「黒髪しきて」などにかかる。 「栲」は白い布。おそらく敷布。もとは楮で織った布で、艶のある純白の布。花嫁さんは白無垢で。 (春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山)
* 枕之邊人ーまくらのあたりー枕のあたりー枕もとにいた人 
* 「枕 之邊人」は「枕辺の人」 ではないのか。特定の人。
* 忘可祢津藻ーわすれかねつもー忘れかねつもー忘れられないものを
《私はあの人しかだめなんだ。》
61 雑歌,作者:舎人娘子,伊勢行幸,三重,従駕,国見,羈旅,土地讃美

[題詞]舎人娘子従駕作歌

[原文]<大>夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之

[仮名],ますらをの,さつやたばさみ,たちむかひ,いるまとかたは,みるにさやけし

[題詞]舎人娘子従駕作歌
(二年壬寅(みづのえのとら)、太上天皇、三河の国に幸(いでま)す時の歌)

大丈夫の さつ矢手挟み 立ち向ひ 射る圓方は 見るにさやけし 

勇士がさつ矢を手に挟み持ち
立ち向かい
射抜く的
その円方の浜は
目にも鮮やかに美しい
・・・・・
ますらをが
見事な矢を手に持ち
立ち向かい射ったという
(立ち向かって射る的さながらに)
見るもさやかな(見るも清々しい) 
的形(まとかた)の浜辺よ

* <大>夫之ーますらをのー大丈夫のー「ますらをが」から「射る」までが、同音のマトから地名「円方」を起こす序。
円方を讃めて土地の神霊への挨拶とした歌。
* 得物矢手挿ーさつやたばさみーさつ矢手挟みー「さつ矢」は幸矢か。矢を誉め讃えて言う。
* 立向ーたちむかひー立ち向ひー立ち向かって射る的さながらに、
* 射流圓方波ーいるまとかたはー射る圓方はー円方 
三重県東黒部町中野川流域一帯という(垣内田町に服部麻刀方神社跡の名が残る)。
伊勢國風土記によれば、的形浦は湾入した浦の地形が弓の的に似ているので地名とした。
今はすでに昔の形が失われて、一面の水面となっている。
* 見尓清潔之ーみるにさやけしー見るにさやけしー見るも清々しい。


* 舎人娘子 とねりのおとめ 生没年未詳
舎人氏出身の女性か。
大宝二年(702)の持統太上天皇の参河行幸に従駕。また舎人親王と相聞歌を贈答している。


62 雑歌,作者:春日老,三野連,入唐,餞別,地名,対馬

[題詞]三野連[名闕]入唐時春日蔵首老作歌
(三野連(みののむらじ)の唐に入る時、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)の作る歌)◇三野連 (みののむらじ)  続日本紀によれば、名は岡麻呂。

[原文]在根良 對馬乃渡 々中尓 <幣>取向而 早還許年

[仮名],ありねよし,つしまのわたり,わたなかに,ぬさとりむけて,はやかへりこね

在り嶺よし 対馬の渡り 海中に 幣取り向けて 早帰り来ね 


対馬の海の 
海神に御幣をたむけ
無事を祈願して 
一日も早くお帰りなさい

* 在根良ーありねよしー在り嶺よしー対馬の枕詞。「在り嶺」の意か。 
* 對馬乃渡ーつしまのわたりー対馬の渡りー九州本島から対馬に渡る海路。* 対馬の渡り  九州本島から対馬に渡る海路。玄海灘。  
* 々中尓ーわたなかにー海中に 
* <幣>取向而ーぬさとりむけてー幣取り向けてー航路の安全を祈り、幣を掲げて神に捧げる所作。  
* 早還許年ーはやかへりこねー早帰り来ね


以下(千人万首)転載
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/oyu_kk.html
春日蔵老 かすがのくらのおゆ 生没年未詳 法名:弁基
大宝元年(701)三月、朝廷の命により還俗させされ、春日倉首 (かすがのくらのおびと) の姓、老の名を賜わり、追大壱の位を受ける。この時の法名は弁紀とある。和銅七年(714)正月、従五位下に昇叙される。『懐風藻』に五言詩一首を載せ、「従五位下常陸介春日蔵老」とあり、「年五十二」(卒年)とある。万葉集に八首(「春日歌」「春日蔵歌」を老の作とした場合)。

大宝元年 辛丑 ( かのとうし ) 秋九月、太上天皇、紀伊の国に 幸 ( いでま ) す時の歌

川のうへの つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は
 (万1-56)
川のほとりに連なり咲く椿の花よ、つらつら見ても飽きはしない。巨勢 (こせ) の春野は。

坂門人足が持統太上天皇の行幸に従駕して詠んだ
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を
の異文として掲載。

「巨勢 (こせ) 」は奈良県御所市古瀬あたり。吉野の手前で、紀伊国への通り路。

春日蔵首老の歌 (二首)

つのさはふ  磐余 ( いはれ ) も過ぎず 泊瀬山 いつかも越えむ 夜は更けにつつ (万3-282)

まだ磐余の地も過ぎていない。泊瀬山をいつ越えることができるのだろう。夜はもう更けて行くというのに。

◇つのさはふ  磐余の枕詞。
◇磐余  奈良県桜井市谷に磐余山口神社がある。
◇泊瀬山  奈良県桜井市初瀬の山。初期大和朝廷の所在地であり、聖地と見なされた。磐余の東方。

焼津辺 ( やきづへ ) に 吾が行きしかば 駿河なる 阿倍の 市道 ( いちぢ ) に 逢ひし子らはも (万3-284)

焼津のあたりに私が行ったところ、駿河の阿倍の衢 (ちまた) で偶然出逢った子よ、あの子はどうしていることか。

◇焼津辺  焼津のあたり。焼津は静岡県焼津市。倭建命が野を焼いたとの伝承がある。
◇阿倍の市道  阿倍は今の静岡市。市道は道が衢 (ちまた) になった広場。 ◇子らはも  「ら」は親愛などの情を示す接尾語で、複数を表すのではない。「はも」は 詠嘆の終助詞 。


弁基の歌

真土山 夕越え行きて  廬前 ( いほさき ) の  角太川原 ( すみだがはら ) に 独りかも寝む (万3-298)

真土山を夕方越えて行って、廬前の隅田川の川原で独り野宿をするのだろうよ。

◇真土山  大和と紀伊の境をなす山。待乳峠。
◇廬前  和歌山県橋本市隅田町一帯の地。真土山を西に越えたところ。
◇角太川  紀ノ川。

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