ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第一巻

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第一巻雑歌 2

[題詞]高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌(天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌)
(飛鳥前期;作者 舒明天皇)

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は 

・・・・・・・・・
ここ大和には 山がたくさん寄り集まっているが とりよろふ(語義未詳)天の香具山に登り 頂に立って領土を見渡せば 人の住む広々とした平野には 靄が立ちこめている 広々とした海では あちこちで鴎が飛び立つ 豊かなよい国だよ 蜻蛉島と呼ばれる 日本の国は
・・・・・・・・・

* 「とりよろふ」 未詳。《とりわけすぐれている》《拠り所とする》など諸説ある。
* 「国見」 高所から国を見渡すこと。もともと、支配者が春などにおこなう儀礼の一つであったらしい。
* 「煙」 水蒸気、陽炎、人家の炊煙など。
* 「海原」 奈良盆地は洪積世末期から沖積世にかけて、海湾→海水湖→淡水湖→盆地と変化した。舒明天皇の頃(西暦七世紀)、大和郡山あたりまではまだ湿地帯であったので、これを海原と言った(樋口清之説)。
埴安の池など、天の香具山周辺の池を言ったという説もある。

山常庭ーやまねにはー山常には  (緒論興味無尽)
村山有ーむらやまあれどー群山あれどー群れなす山々。 
取與呂布ーとりよろふーそれらを従えるー「とり」は接頭語、ととのいそなわる。(自ハ四) 
天乃香具山ーあめのかぐやまー天の香具山 
騰立ーのぼりたちー登り立ちーその山に登り
國見乎為者ーくにみをすればー国見をすればー國見するー天皇の儀式。國原波ーくにはらはー国原はー平野には、  
煙立龍ーけぶりたちたつー煙立ち立つーかまどの煙りが立ち上り、(温泉の煙とも) 煙ー 水蒸気、陽炎、人家の炊煙など。
海原波ーうなはらはー海原はー広々とした池には、水面には。 
加萬目立多都ーかまめたちたつー鴎立ち立つー鴎が舞う。 
怜A國曽ーうましくにぞーうまし国ぞー豊かな地である。文末にあっては断定の意を表す。
・「ぞ」 終助詞 指定
「〜だ」「〜である」と強く指示・指定する。奈良時代以前は「そ」と発音することが多かったが、次第に濁音化したものらしい。
蜻嶋ーあきづしまー蜻蛉島ー枕詞。日本国の異称。 
八間跡能國者ーはまとのくにはー八間跡の国はー大和の國よ。

◎ 天の香具山からは「海原」は見えないということであるが、ここはおおらかに、天から降り下った天の「香具山」として、その遥か上方から国中を見渡した、ということにするか。そうはいかない。
「天香具山 登り立ち 国見をすれば」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jbeppu/jbeppu.html
<抜粋転載>
「八間跡」は「やまと」とも「はまと」とも読める。今まで「やまと」と思っていたが「はまと」ではないか。ここ「登り立て」が浜脇区であり、浜脇区と言う言葉が出来ると言うことは、別府の中心が「浜(はま)」と呼ばれていなければ、浜脇(はまわき)という言葉が出来るはずがない。別府というのは先ほど言ったとおり官庁名で自然地名ではない。今は、北町・南町という名前が付いているが、その前は当然自然地名だった。推定だけではなくて、その先には、浜田・餅ヶ浜とか、いっぱい浜(はま)のある区名、地名がある。そうすると別府の中心を含んでこの海岸は浜(はま)と呼ばれていた。海岸だから、浜(はま)と呼ばれるのは当たり前ですが。」

3;雑歌,作者:中皇命:間人老,五条市,代作,弓讃め,狩猟,宴席,枕詞,寿歌

[題詞]天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
(天皇の宇智の野に遊猟したまへる時、中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献らせたまふ歌)

八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈弭乃  音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里

[やすみしし] わがおほきみの あしたには とりなでたまひ ゆふへには いよりたたしし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり あさがりに いまたたすらし ゆふがりに いまたたすらし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり

やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 

・・・・・・・・・・
[やすみしし] わが大君の(あまねく統治するわが天皇が)
朝には手にとってお撫でになり
夕べには 側に立て置かれる
ご愛用の梓弓の中弭に響く音が聞こえる
朝狩に今立たれるのか
夕狩りに今お発ちになるらしい 
ご愛用の梓弓の中弭に響く音が聞こえる
・・・・・・・・・・

八隅知之ーやすみししー「やすみしし」は大君にかかる枕詞。治めている、という意味。ー古代狩猟の前に弓弦を鳴らす呪法があったという。  
我大王乃ーわがおほきみのー我が大君の、 
朝庭ーあしたにはー朝には、 
取撫賜ーとりなでたまひー取り撫でたまひー手にとってお撫でになり、  
夕庭ーゆふへにはー夕には 
伊縁立之ーいよりたたししーい寄り立たししー側に立て置かれ、 
御執乃ーみとらしのーみ執らしのー「み」は尊敬の意の接頭語。「とらし」は「とらす(尊敬語)」の名詞形。貴人の弓の敬称。  
梓弓之ーあづさのゆみのー梓の弓の、 
奈加弭乃ーなかはずのー中弭のー「はず」は弓の両端のつる(弦)をかけるところ。
音為奈利ーおとすなりー音すなり、 
朝猟尓 ーあさがりにー朝猟に、 
今立須良思ーいまたたすらしー 今立たすらしー今立たれるのか、 
暮猟尓ーゆふがりにー夕猟に、  
今他田渚良之ーいまたたすらしー今立たすらしー今お発ちになるらしい 
御執<能>ーみとらしのーみ執らしの、 
<梓>弓之ーあづさのゆみのー梓の弓の、 
奈加弭乃ーなかはずのー中弭の、 
音為奈里ーおとすなりー音すなりー音がする。
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◎ 
【名歌鑑賞18:宇智野遊猟歌】森 明著
<万葉集巻一雑歌:3・4歌>
http://f-kowbow.com/ron/meika18/meika18.htm
4;雑歌,作者:中皇命:間人老,五条市,代作,弓讃め,狩猟,宴席

[題詞](天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌)反歌

玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野

[たまきはる] うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの

たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野 

・・・・・・・・・・
宇智の広大な草原に
馬を並べて 
あさ踏み立てていらっしゃることだろう 
その草深く茂れる原野を  
・・・・・・・・・・

* 反歌:歌の大意を示したり、捕捉する歌。

玉尅春ーたまきはるー「たまきはる」:は「ウチ」にかかる枕詞ーあえて訳せば魂が極まる。 
内乃大野尓ーうちのおほのにー宇智(うち)の草原に、  
馬數而ーうまなめてー馬並めて、 馬を並べ 
朝布麻須等六ーあさふますらむー朝踏ますらむー踏み分け行く、「す」尊敬・親愛 上にくる語の活用形 未然形.。尊敬・親愛をあらわす。「〜なさる」「〜していらっしゃる」。踏み均していらっしゃる。平定していらっしゃる。
其草深野ーそのくさふかのーその草深野ーその深く茂れる原野に


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<万葉雑記 難訓歌の周辺。ブログ[万葉集 柿本人麻呂と高市皇子]より転載。>
                         
集歌4 玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
訓読 霊(たま)きはる宇智(うち)の大野に馬並めて朝踏ますらむその草(くさ)深野(ふかの)
意訳 神々の霊魂が宿るという吉野の宇智の広々とした野に馬を連ねて、早朝にその野原で馬上に在られるでしょう、その草深い宇智の野に
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(白鳳時代)

中皇命 なかつすめらみこと 生没年未詳
旧くは「中皇女」あるいは「中皇女命」の誤りとして「なかちひめみこ」等と訓み、間人皇女(孝徳天皇の皇后)とする説が有力視されていた。
中皇命を「なかつすめらみこと」と訓んだのは喜田貞吉が最初で、喜田博士は「なかつすめらみこと」は『続日本紀』などによれば中継の女帝を指す普通名詞であるから、舒明朝の「中皇命」と斉明朝の「中皇命」は別人とし、万葉集1-3・4は斉明天皇(宝皇女)作、巻1-10・11・12は倭姫王作とする説を唱えた。ほかに全て斉明天皇作とする説などもある。万葉集巻一に歌5首。

【主な派生歌】
きぎす鳴くすだ野に君がくちすゑて朝踏ますらむいざ行きてみむ(源俊頼)
狩人の朝踏む小野の草わかみかくろへかねてきぎす鳴くなり(俊恵[風雅])
朝狩りにいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく(岡井隆)
ひるがへりひるがへしゆく歌ありて来む世も風の朝踏ますらむ(山中智恵子)


中皇命の紀の温泉に徃(い)ませる時の御歌 (三首)

君が代も 吾が代も知るや 磐代(いはしろ)の 岡の草根を いざ結びてな 
(万1-10)

あなたの命も私の命も、あたり一帯を支配する霊地である磐代の岡の心のままですよ。その岡に生えている草を、さあ、結びましょうよ。そして命の無事をお祈りしましょう。

◇紀の温泉 和歌山県の白浜あたりの温泉。斉明四年(658)十月から翌年正月にかけて斉明天皇の行幸があったと日本書紀に記録がある。
◇君が代 この「君」は次の歌の「我が背子」と同一人物と思われるので、作者の夫か近親であろう。「代」は命・寿命の意。
◇知るや 「知る」は「支配する」「領有する」の意。「や」は「知る磐代」の語間に投入された間投助詞。
◇磐代 和歌山県日高郡南部町。磐代の岡は海岸の段丘か。
◇草根をいざ結びてな 草の茎や木の枝を結ぶのは、一種の呪術行為。植物の生命力を頼って、生命の安全や長命を祈ったものと思われる。

吾が背子は 仮廬(かりほ)作らす 草(かや)なくば 小松が下の草を刈らさね 
(万1-11)

あなたは野宿のための仮小屋を作っておられます。適当な萱がなければ、ほらこの小松の下の萱をお刈りなさいな。

◇小松が下の 常緑で長寿の木である松は、霊力の強いものと考えられた。その下に生えている萱なら、小屋を作るのに適当だと言うのである。


吾が欲(ほ)りし 野島(のしま)は見せつ 底深き 阿胡根(あこね)の浦の 玉ぞ拾(ひり)はぬ 
(万1-12)

私が見たいと思っていた野島は見せていただきました。けれど、水深が深い阿胡根の浦の真珠はまだ拾っていません。
◇野島 和歌山県御坊市名田町野島。海浜の地。
◇阿胡根の浦 所在未詳。野島付近の海を言うか。


万葉集の左注に「山上憶良の『類聚歌林』によればこれらの歌は斉明天皇の御製である」旨ある。

【主な派生歌】高市黒人「万葉」3-279
わぎもこに 猪名野は見せつ 名次(なすき)山 角の松原 いつか示さむ

(出典・転載元)千人万首
5;雑歌,作者:軍王,香川,行幸,羈旅,枕詞

[題詞]幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌

[左注](右檢日本書紀 無幸於讃岐國 亦軍王未詳也 但山上憶良大夫類聚歌林曰 記曰 天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸于伊<与>温湯宮[云々] 一<書> 是時 宮前在二樹木 此之二樹斑鳩比米二鳥大集 時勅多挂稲穂而養之 乃作歌[云々] 若疑従此便幸之歟)
(作者不明であるが、額田王(ぬかたのおほきみ)が斉明天皇の代詠をした歌とされている)

 霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨<座> 吾衣手尓朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎土  網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情

霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心 

かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず むらきもの こころをいたみ ぬえこどり うらなけをれば たまたすき かけのよろしく とほつかみ わがおほきみの いでましの やまこすかぜの ひとりをる わがころもでに あさよひに かへらひぬれば ますらをと おもへるわれも くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる わがしたごころ

・・・・・・・・・・・
霞立つ 長い春の日がまた暮れゆく
いつの間に 疼く心に ため息をつく
大君の 御幸され居る 山越しの風が
朝な夕な 一人いる 私の袖を
くりかえし 帰って来いとばかりに 吹き返えす
ますらおと 思へる我も 旅にでて 草を枕に
ふるさと思う 憂いを晴らす すべもない
網の浦の 海女たちの 塩を焼くような
焼け焦がれる 心の奥底
・・・・・・・・・・・

霞立ーかすみたつー霞立つー霞が立ついつの間にか、
長春日乃ーながきはるひのー長き春日のー長い春の一日が、  
晩家流ーくれにけるー暮れにけるー暮れてしまった。   
和豆肝之良受ーわづきもしらずーわづきも知らずーそのようにわけも知れず 村肝乃ー[むらきもの]ー枕詞(心)
心乎痛見ーこころをいたみー心を痛みー心が痛むので、  
奴要子鳥ーぬえこどりーぬえこ鳥ートラツグミのように
卜歎居者ーうらなけをればーうら泣け居ればー忍び泣きをしていると、
珠手次ー[たまたすき]ー玉たすきー枕詞。
「玉」は接頭語でたすきの美称。(かける)
懸乃宜久ーかけのよろしくー懸けのよろしく 
遠神 ー[とほつかみ]ー遠つ神ー枕詞(おほきみ) 
吾大王乃ーわがおほきみのー吾が大君の 
行幸能ーいでましのー行幸のーお出ましになった
山越風乃ーやまこすかぜのー 山越す風のーその山を越えて故郷の方から吹いて来る風が 
獨<座>ーひとりをるーひとり居るー独りでいる
吾衣手尓ーわがころもでにー吾が衣手にー私の衣の袖を
朝夕尓ーあさよひにー朝夕にー朝な夕な  
還比奴礼婆 ーかへらひぬればー返らひぬればー「帰れ」と言うように吹き返す
大夫登ーますらをとー大夫とー立派な男子と 
念有我母ーおもへるわれもー思へる我れもー自負している私も 
草枕ー[くさまくら]ー草枕ー枕詞(旅) 
客尓之有者ーたびにしあればー旅にしあればー旅の空にあることとて 
思遣ーおもひやるー思ひ遣るー思いを晴らす  
鶴寸乎白土ーたづきをしらにーたづきを知らにー すべも分からず  
網能浦之ーあみのうらのー網の浦のー網の浦の
海處女等之ーあまをとめらがー海人娘子らが ー海人乙女らが 
焼塩乃ーやくしほのー焼く塩のー焼く塩のように 
念曽所焼 ーおもひぞやくるー思ひぞ焼くるーただ家恋しさに焼け焦がれている
吾下情ーわがしたごころー吾が下心ー吾が胸の内であるよ
6; 雑歌,作者:軍王,香川,行幸

[題詞] (讃岐國安益郡之時軍王見山作歌)反歌
 
山越乃 風乎時自見 寐<夜>不落 家在妹乎 懸而小竹櫃

山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ 

やまごしの  かぜをときじみ  ぬるよおちず  いへなるいもを  かけてしのひつ

・・・・・・・・・・・
山越しに吹く風が絶え間ないので
ひとり寝の夜ごと夜ごと 
故郷の妻を 思い出す
・・・・・・・・・・・

山越乃 ーやまごしのー山越しのー山を越して 
風乎時自見ーかぜをときじみー風を時じみー来る風が時を分かず吹き寄せるので、
寐<夜>不落ーぬるよおちずー寝る夜おちずー寝る夜は一晩も欠けることなく
家在妹乎ーいへなるいもをー家なる妹をー家にある妻を  
懸而小竹櫃ーかけてしのひつー懸けて偲ひつー吹き返す風に託して偲んだのだ
・・・・・・・・・・

舒明天皇の讃岐国行幸(記録には見えない)に従駕した軍王が、都を遥かに隔てる山を見て詠んだ歌。山を越して吹く風が、朝夕衣を吹いては返って行く、それで自分も故郷へ帰りたい思いがつのり、家恋しさに胸を焦がしている、といった内容。初期万葉の雄編だが、枕詞の頻用はむやみに重々しく、情意の伝わりを渋滞させる結果を招いているのではないか。「山を見て」作る歌と題詞にあるのに、結びに至って「海人処女らが焼く塩」を比喩に用いているのも唐突だ。ありあわせの知識や詩的技巧を継ぎはぎした、如何にも机上の創作といった印象である。(千人万首)
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(万葉雑記 難訓歌の周辺<ブログ[万葉集 柿本人麻呂と高市皇子]より転載。)

一方、後年の作ではないかと疑われる、これらの歌と同時代とされている歌を取り上げると、次のような歌々があります。これらは歌の用字から、ほぼ、確実に伝承歌からの丹比国人の手による採録・添削と私は思っています。これらの歌で使われている万葉仮名一つ一つが、意味を持つように十分推敲されているとおもわれますので、集歌9や集歌156の歌の用字とは明らかに違います。

集歌6 山越乃 風乎時自見 寐夜不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
訓読 山越(やまこし)の風を時じみ寝(ぬ)る夜(よ)おちず家なる妹を懸(か)けて偲(しの)ひつ
意訳 山越に吹く風は絶え間なく、寝ように寝られない夜は家にいる妻を心に懸けて偲ぶことだ。
・・・・・・・・・・・

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