ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第一巻

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
49 雑歌,作者:柿本人麻呂,軽皇子,阿騎野,遊猟,皇子讃歌,草壁皇子,追悼

[原文]日雙斯 皇子命乃 馬副而 御猟立師斯 時者来向

[仮名],ひなみしの,みこのみことの,うまなめて,みかりたたしし,ときはきむかふ

日並の 皇子の命の 馬並めて み狩り立たしし 時は来向ふ 

なき日並皇子が馬を並べ
朝の狩に踏み出そうとされた
その時の時刻が近づいている

* 「日並の皇子の命」は、日(天皇)に並ぶ皇子、すなわち皇太子。亡き草壁皇子のこと。
* 「立たし」上代語。四段動詞「立つ」の未然形に尊敬の助動詞「す」のついたものの連用形。
* 「し」接助。体言・活用語の連体形、連用形、終止形・副詞・助詞などに付き、語調を整える副助詞、強調の意もある。
「し」は過去(カツテ・・・タ)の助動詞「き」の連体形。
* 「来向ふ」[動ハ四]時や人がやってくる。近づいてくる。

* この歌は、日並(ひなみし)の皇子の子軽皇子が奈良の安騎(あき)の野で野宿した時、同行した柿本朝臣人麻呂が日並の皇子を偲んでの詠歌。

* 草壁皇子が亡くなってから3年あまり、持統天皇は皇子の遺児、
軽皇子を皇位継承者として印象づけようとしていた。

50

[題詞]藤原宮之役民作歌

[原文]
八隅知之 吾大王 高照 日<乃>皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須<良>牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

[訓読]
やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 桧のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ 其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる くすしき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば 神ながらにあらし

[仮名]
,やすみしし,わがおほきみ,たかてらす,ひのみこ,あらたへの,ふぢはらがうへに,をすくにを,めしたまはむと,みあらかは,たかしらさむと,かむながら,おもほすなへに,あめつちも,よりてあれこそ,いはばしる,あふみのくにの,ころもでの,たなかみやまの,まきさく,ひのつまでを,もののふの,やそうぢがはに,たまもなす,うかべながせれ,そをとると,さわくみたみも,いへわすれ,みもたなしらず,かもじもの,みづにうきゐて,わがつくる,ひのみかどに,しらぬくに,よしこせぢより,わがくには,とこよにならむ,あやおへる,くすしきかめも,あらたよと,いづみのかはに,もちこせる,まきのつまでを,ももたらず,いかだにつくり,のぼすらむ,いそはくみれば,かむながらにあらし

[左注]右日本紀曰 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮

[校異]之 乃 [元][類][冷][紀] / 郎 良 [元][類][紀]

[KW],雑歌,作者:役民,藤原,枕詞,地名
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50

[題詞]藤原宮之役民作歌
(藤原宮の賦役に徴用された民が作った歌)

八隅知之ーやすみししー枕詞。  
吾大王ーわがおほきみー我が大君ー わが大王
高照ーたかてらすー高照らすー枕詞。
日<乃>皇子ーひのみこー 日の皇子
荒妙乃ーあらたへのー荒栲のー荒れ地の
藤原我宇倍尓ーふぢはらがうへにー藤原が上にー藤原の地に
食國乎ーをすくにをー食す国をー天皇の統治なさる国。
賣之賜牟登ーめしたまはむとー見したまはむとー御國を治めようと
都宮者ーみあらかはー広壮な宮殿を
高所知武等ーたかしらさむとー高知らさむとー立派に建てる
神長柄ーかむながらー神ながらー皇子が神意として
所念奈戸二ーおもほすなへにー思ほすなへにー思われると
天地毛ーあめつちもー天地もー天地の
縁而有許曽ーよりてあれこそー寄りてあれこそー神々も従う
磐走ーいはばしるー石走るー「あふみ」の枕詞とも、現実の急流とも。
淡海乃國之ーあふみのくにのー近江の国の
衣手能 ーころもでのー衣手の
田上山之ーたなかみやまのー田上山の
真木佐苦ーまきさくー真木さくー檜を切り
桧乃嬬手乎ーひのつまでをー桧のつまでをー
物乃布能ーもののふのー枕詞。
八十氏河尓ーやそうぢがはにー八十宇治川にー材を八十宇治川に流す
玉藻成ーたまもなすー玉藻なす
浮倍流礼ーうかべながせれー浮かべ流せれ
其乎取登ーそをとるとー其を取るとーそれを引き上げようと
散和久御民毛ーさわくみたみもー騒く御民もー合図しあう役民は
家忘ーいへわすれー 家忘れー家のことを忘れ
身毛多奈不知ーみもたなしらずー身もたな知らずー 自分のことも考えず、
鴨自物ーかもじものー鴨じものー鴨のように
水尓浮居而ーみづにうきゐてー水に浮き居てー水に浮かび働く
吾作ーわがつくるー我が作る
日之御門尓ーひのみかどにー日の御門に
不知國ーしらぬくにー知らぬ国 ー外國から慶賀の使節が来るという
依巨勢道従ーよしこせぢよりー寄し巨勢道より
我國者ーわがくにはー我が国は
常世尓成牟ーとこよにならむー常世にならむー「御國は常世ならむ」
圖負留ーあやおへるー図負へる ーという図を背にした
神龜毛ーくすしきかめもーくすしき亀もー神亀が
新代登ーあらたよとー新代とー新しい御代を祝して現れる
泉乃河尓ーいづみのかはにー泉の川に
持越流ーもちこせるー持ち越せる
真木乃都麻手乎ーまきのつまでをー真木のつまでをー
百不足ーももたらずー 百足らずー枕詞。
五十日太尓作ーいかだにつくりー筏に作りー運んできた檜を筏に作り
泝須<良>牟ーのぼすらむー泝すらむー遡上する
伊蘇波久見者ーいそはくみればーいそはく見ればー一心に励む民を見れば
神随尓有之ーかむながらにあらしー神ながらにあらしー神の御業そのもの
・・・・・・・・・・・
藤原宮の役民の作る歌

あまねく統治するわが天皇
高く輝く日の御子
藤原の野に国を統治なさろうと
宮殿も高々と作って支配なさろうと
神であるままにお思いになれば
天も地もともにお仕えする
近江の国の田上山の檜の荒材を
宇治川に玉藻のように浮かべて流している
それを引き上げようと働く御民は
家のことは忘れ
わが身も顧みず
まるで鴨のように水に浮かんで働く
日の御子の朝廷が支配していない国も寄りついてくるという
巨勢道から
わが国は永遠に栄えるだろうとの兆しを図に持つ神聖な亀も
新たな御代だとして出てくる
そんな泉川に運んできた真木の荒材をいかだに組んでは
川をのぼらせている
せっせと働く民の姿を見ると
これも天皇がさながらの神だからにちがいない

天武天皇のあと,690年,飛鳥浄御原で持統天皇が即位する。
694年,かねてより建設中だった藤原京に都を移した。ここは畝傍山,耳成山,香具山に囲まれた平野で,それまで見られない大きな都が造られた。

藤原京は唐の都にならったつくりで,この中心にあるのが藤原宮,礎石の上に朱塗りの柱を立てた最古の宮殿とされる。ここには天皇の住居である内裏や大極殿,朝堂院,多くの役所などの建物があった。藤原宮は瓦屋根の大垣が四方を囲んでおり,宮域を他と区別していた。四辺の大垣にはそれぞれ3つ,合計12の門があった。大垣の両側に濠(ほり)があり,排水溝を兼ねていた。宮域は東西約925m,南北約907mであった。
 藤原宮の外側に住居や寺院が建つ京域が存在していた。その範囲は平城京規模をこえるものとされる。


51

[題詞]従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌

[原文]F女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
F女乃  袖吹反  明日香風  京都乎遠見  無用尓布久
<注:F=「おんなへん」に「采」>

[訓読]采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く

[仮名],うねめの,そでふきかへす,あすかかぜ,みやこをとほみ,いたづらにふく

[左注]

[校異]

[KW],雑歌,作者:志貴皇子,荒都歌,飛鳥,地名
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51 雑歌,作者:志貴皇子,荒都歌,飛鳥

[題詞]従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌
(明日香の宮より藤原の宮に遷居せし後に、志貴皇子の作らす歌)

采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 
うねめの そでふきかへす あすかかぜ みやこをとほみ いたづらにふく

采女の袖を吹き返す明日香風よ
都でなくなった今は
むなしく吹くばかりだなあ
* 「手弱女の・采女の」は、かよわい女。しとやかでやさしい女性。しなやかで芯の強い女性。
 続古今集収録。初句は「たをやめの」。
* 「吹き返す」は、風が着物の袖や裾などをひるがえす。
* 「み」は、原因理由を表す、「遠いので」の意。
* 「いたずら・に」は、形容動詞「いたずら」の連用形。 むなしい。
* 「に」...順接の接続助詞、〜ので  この下に、確定した事実が続く

持統八年(694)十二月の藤原京遷都後の作。
采女は諸国から献上され、天皇に近侍した女性。かつて都であった飛鳥の地で、その美しい袖を風が翻した光景を回想している。

・・・・・・・
志貴皇子 しきのみこ 生年未詳〜霊亀二(716)

天智天皇の第七皇子(続紀薨伝による。『類聚三代格』は第三皇子とする)。
母は越道君娘(こしのみちのきみのいらつめ)。
正室は多紀皇女(天武天皇の皇女で伊勢斎宮)。側室に紀朝臣橡姫(白壁王の母)がいる。子に白壁王(光仁天皇)・湯原王・榎井王・春日王・海上女王・坂合部女王・難波女王・衣縫女王などがいる。
名は芝基・施基・志紀などにも作る。万葉集では志貴に統一されているが、『皇胤紹運録』『尊卑分脈』など施基と記す書も少なくない。子の白壁王(光仁天皇)即位後の宝亀元年(770)、御春日宮天皇と追尊された。田原天皇とも称される。
天武八年(679)五月の六皇子の盟約に参加。朱鳥元年(686)八月、諸皇子と共に封を加増され、磯城皇子と同じく200戸を加えられる。(千人万首)より。
・・・・・・・・・・・・・・・・
以下<[水の都・飛鳥]より転載。>

古代、7世紀に都が築かれ、政治の中心地であり、万葉文化華やかなりし土地、「飛鳥」は現在の奈良県高市郡明日香村を流れる飛鳥川流域を指す地名らしい。
飛鳥については様々な説がある。
語源については、スカ(川べりの砂州)に接頭語の「ア」がついたという説があり、『古事記』『日本書紀』には飛鳥、明日香、阿須箇、安須可、阿須可などと表記がされている。
また、『万葉集』には「とぶとりの」という枕詞を使った歌が3首あり、そこからきたという説もある。

和銅3年藤原の宮から寧楽の宮に遷られた時に、御乗り物を長屋の原にお立てになって天皇(元明)の詠まれた御製(1-78)
・飛ぶ鳥の あすかの里を いきて往なば 君があたりは 見えずかもあらむ
(住み慣れた飛鳥の里を離れてしまうと愛しい人が住む家のあたりも見えなくなってしまうであろう)

・飛ぶ鳥の あすかの川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らへ・・(以下略)
(飛鳥川の上の瀬に生えている美しい藻が川下の瀬に流れあたる・・)
柿本人麻呂 川嶋皇子への挽歌(万葉集194)

・飛ぶ鳥の あすかの川の 上つ瀬に 岩橋渡し 下つ瀬にうち橋渡す・・(以下略)
(飛鳥川の上の瀬には石の橋を渡し、川下には作りつけの橋が渡してある・・)柿本人麻呂 明日香皇女への挽歌(万葉集196)

また、飛鳥の代表的な歌としてこの歌もある。
・采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
(宮仕えの采女たちの袖を吹き返していた飛鳥の風よ、都が遠くなって詮なく吹いていることだ)
志貴皇子 飛鳥宮から藤原宮に遷ってからの歌(万葉集51)

飛鳥が水の都である所以;
万葉のふるさと、飛鳥は水の都だったと考えられるのだが、正確にいえば「石と水の都」である。
明日香村(飛鳥)を歩くと、あちこちに石がある。
それらの石は1300年もの間、口を閉ざしたままで何も語ってはくれない。
だが、その石の間を水が流れていたと考えられ、
飛鳥は水を使った都作りをしていただろうということがうかがえる。

代表的な歌としてこの歌もある。
・大君は 神にし在せば 水鳥の 集く水沼を 都となしぬ 
(天皇様は神様のようなお方なので、水鳥が集まる水沼を都とされたことだ)
作者不明 壬申の乱が治まった後の歌(万葉集4261)

52

[題詞]藤原宮御井歌


[原文]八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山<跡> 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳<為>之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門<従> 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日<之>御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水

[訓読]やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水

[仮名],やすみしし,わごおほきみ,たかてらす,ひのみこ,あらたへの,ふぢゐがはらに,おほみかど,はじめたまひて,はにやすの,つつみのうへに,ありたたし,めしたまへば,やまとの,あをかぐやまは,ひのたての,おほみかどに,はるやまと,しみさびたてり,うねびの,このみづやまは,ひのよこの,おほみかどに,みづやまと,やまさびいます,みみなしの,あをすがやまは,そともの,おほみかどに,よろしなへ,かむさびたてり,なぐはし,よしののやまは,かげともの,おほみかどゆ,くもゐにぞ,とほくありける,たかしるや,あめのみかげ,あめしるや,ひのみかげの,みづこそば,とこしへにあらめ,みゐのましみづ


[左注](右歌作者未詳)

[校異]路 跡 [古] / 高 為 [万葉考] / 徒 従 [元][類][紀] / <> 之 [元][類][古][冷][紀]

[KW],雑歌,藤原,宮廷讃美,御井,枕詞,地名,奈良
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52

[題詞]藤原宮御井歌
(藤原宮の御井(みゐ)の歌)

・・・・・・・・・・・

八隅知之ーやすみししー枕詞。
和期大王ーわごおほきみー我ご大君ーわが大王
高照ーたかてらすー高照らすー枕詞。
日之皇子ーひのみこー日の皇子
麁妙乃ーあらたへのー荒栲のー荒野の
藤井我原尓ーふぢゐがはらにー藤井が原にー藤井が原に
大御門ーおほみかどー大御門 ー京を
始賜而ーはじめたまひてー始めたまひてー造られ
埴安乃ーはにやすのー埴安のー埴安の
堤上尓ーつつみのうへにー堤の上にー堤に
在立之ーありたたしーあり立たしー立たれ 
見之賜者ーめしたまへばー見したまへばーご覧になられ
日本乃ーやまとのー大和のー大和の
青香具山者ーあをかぐやまはー青香具山はー青き香具山は
日經乃ーひのたてのー日の経のー経(た)ての御門を向き
大御門尓ーおほみかどにー大御門にー東の大門 に立ち
春山<跡>ーはるやまとー春山とー春の山として
之美佐備立有ーしみさびたてりー茂みさび立てりー繁茂し
畝火乃ーうねびのー畝傍の
此美豆山者ーこのみづやまはーこの瑞山はー美しい畝傍山は
日緯能 ーひのよこのー日の緯のー緯(よこ)の御門を向き
大御門尓ーおほみかどにー大御門にー西の大門には
弥豆山跡ーみづやまとー瑞山とー瑞々しく 
山佐備伊座ーやまさびいますー山さびいますー鎮まり
耳<為>之ーみみなしのー耳成の
青菅山者ーあをすがやまはー青菅山はー青菅色の耳成山は
背友乃ーそとものー背面のー背面の御門に対し 端麗な姿で神々しく立ち
大御門尓ーおほみかどにー大御門にー北の大門
宣名倍ーよろしなへー良く心にかなって
神佐備立有ーかむさびたてりー神さび立てりー 神々しく立つ
名細ーなぐはしー名ぐはしー名高い
吉野乃山者ーよしののやまはー吉野の山は 
影友乃ーかげとものー影面の 
大御門<従>ーおほみかどゆー大御門ゆー南の大門 から
雲居尓曽ーくもゐにぞー雲居にぞーはるか雲の
遠久有家留ーとほくありけるー遠くありけるー彼方に聳える
高知也ー[たかしるや]  
天之御蔭ーあめのみかげー天の御蔭ー高く広大な空を写し
天知也ー[あめしるや]
日<之>御影乃ーひのみかげのー日の御蔭のー天に輝く太陽を映す
水許曽婆ーみづこそばー水こそばー水面こそ
常尓有米ーとこしへにあらめーとこしへにあらめー永遠に沸きいづる
御井之清水ーみゐのましみー御井のま清水
・・・・・・・・・・・
あまねく統治するわが天皇 高く輝く日の御子は
藤井の原に朝廷を新たにお作りになられた
埴安池の堤の上に立ってご覧になるごとに
大和の青き香具山は
東の方角の御門に向かって 春の山として繁り立っている
畝傍のこの瑞々しい山は 
西の方角の御門に向かって 瑞々しい山として鎮座している
耳成の青く菅の茂った山は
北の御門に格好の形で神々しく聳え立っている
名高い吉野の山は
南の御門から遠く雲のかなたにある 
高々と統治なさるよ 天の宮殿 
天高く統治なさるよ 日の御子の宮殿
ここの水こそは永遠にあれ
御井の清水よ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
* 藤原宮(ふじわらのみや) 
持統8年(694)〜和銅3年(710)年、持統天皇(じとうてんのう)が中国の唐の制度を模して建てた都が藤原京です。その藤原京の政治の中心となったところが、現在の奈良県橿原(かしはら)市高殿(たかどの)町で、藤原宮(ふじはらのみや、ふじわらきゅう)と呼ばれるところです。

ちなみに、「藤原宮」という名は、万葉集や日本書紀には出てきますが、「藤原京」という名前は出てきません。ただ一個所、万葉集の「大君の命畏み柔びにし家を置き.....」という長歌の題詞に出てくるだけです。この「藤原京」という名前は、歴史家の喜田貞吉さんが提案されてつけられたと言うことです。(たのしい万葉集」より転載)
53

[題詞](藤原宮御井歌)短歌

[原文]藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 <乏>吉<呂>賀聞

[訓読]藤原の大宮仕へ生れ付くや娘子がともは羨しきろかも

[仮名],ふぢはらの,おほみやつかへ,あれつくや,をとめがともは,ともしきろかも

[左注]右歌作者未詳

[校異]之 乏 [玉の小琴] / 召 呂 [元][類][紀]

[KW],雑歌,藤原,宮廷讃美,御井,地名,奈良
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53

藤原之大宮都加倍安礼衝哉處女之友者<乏>吉<呂>賀聞

藤原の 大宮仕へ 生れ付くや 娘子がともは 羨しきろかも 

ふぢはらのおほみやつかへあれつくやをとめがともはともしきろかも

藤原の大宮に仕えるために
生まれついてくる娘子たちは
羨ましい限りだよ
* 「ろかも」 詠嘆の助詞「ろ」が「かも」と結び付いた。形容詞の連体形をうけて詠嘆・感動の意を添える。
* 「ろ」は、詠嘆・感動の終助詞。
(き)ろ(かも)と、「き」に続けて用いられる。
この歌の場合、漢字で書けば「羨しき色かも」であり、発音するとき、すぐ上の「き」の影響で「い」が省略され「いろ」の「ろ」が残った形である。

悲しきろかも
尊きろかも
乏しきろかも
羨しきろかも
これらも全て、「いろ」の「い」がなくなり、「ろ」だけとなったの。
http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/26849958.html

荒雄らは 妻子の業をば 思はずろ 年の八年を 待てど来まさず
 (万葉集、山上憶良)3865


* 「采女」は天皇の食事に奉仕した女官。
郡の次官以上の者の子女・姉妹で容姿に優れた者が貢物として天皇に奉られた。
天皇以外は近づくことができず、臣下との結婚は固く禁じられた。

.
ニキタマの万葉集
ニキタマの万葉集
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事