ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第三巻

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3 460;挽歌,作者:坂上郎女、理願

[題詞]七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首[并短歌]
(天平七年、大伴坂上郎女、尼理願(りぐわん)のみまかれるを悲しみ歎きて作る歌一首 并せて短歌)

[左注](右新羅國尼名曰理願也 遠感王徳歸化聖朝 於時寄住大納言大将軍大伴卿家 既逕數紀焉 惟以天平七年乙亥忽沈運病既<趣>泉界 於是大家石川命婦 依餌藥事 徃有間温泉而不會此喪 但郎女獨留葬送屍柩既訖 仍作此歌贈入温泉)

天平七年(735)、新羅から来朝して佐保家に寓居していた尼理願が死去し、留守を預かっていた坂上郎女が葬儀を取り仕切った。この挽歌は有馬温泉に滞在中の母、石川内命婦に宛てたもの。

・・・・・・・・・・・・・・・

[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー
栲角乃ー栲づののーたくづののー「新羅」の枕詞 。「たくづの」は栲綱。
    楮(こうぞ)の繊維で作った綱のことで、色が白いので新羅の「しら」に掛けた。
新羅國従ー新羅の国ゆーしらきのくにゆー(理願尼様は)故郷の新羅の国より
人事乎ー人言をーひとごとをー世間のうわさ。( 日本の国の)評判が
吉跡所聞而ーよしと聞かしてーよしときかしてー良いとお聞きになって 住み良いという評判を〜
問放流ー問ひ放くるーとひさくるー語り合い気を晴らす 言葉を交わす
親族兄弟ー親族兄弟ーうがらはらからー親族兄弟も 
無國尓ーなき国にーなきくににーいないこの国に
渡来座而ー渡り来ましてーわたりきましてー渡って来られましたが
大皇之ー大君のーおほきみのー天皇の 
敷座國尓ー敷きます国にーしきますくににーお治めになる我が国の
内日指ーうち日さすーうちひさすー「都」の枕詞。
京思美弥尓ー都しみみにーみやこしみみにー都にはぎっしりと
里家者ー里家はーさといへはー里の家は
左波尓雖在ーさはにあれどもーさはにあれどもーたくさんあるのに
何方尓ーいかさまにーどのように 
念鷄目鴨ー思ひけめかもーおもひけめかもーお思いになったのか
都礼毛奈吉ーつれもなきー縁もない 辺鄙な
佐保乃山邊<尓>ー佐保の山辺にーさほのやまへにー佐保の山辺に
哭兒成ー泣く子なすーなくこなすー泣く子のように 
慕来座而ー慕ひ来ましてーしたひきましてー我が家に慕って来られて
布細乃ー敷栲のーしきたへのー「家」の枕詞。敷栲の意で、寝ることに関する語の枕詞となる。
宅乎毛造ー家をも作りーいへをもつくりー家も造り 住居をかまえ
荒玉乃ーあらたまのー「年」の枕詞。
年緒長久ー年の緒長くーとしのをながくー長の年月 
住乍ー住まひつつーすまひつつーお住みになって
座之物乎ーいまししものをーおられましたのに
生者ー生ける者ーいけるものー生ある者は 
死云事尓ー死ぬといふことにーしぬといふことにーいつか死ぬということは
不免ー免れぬーまぬかれぬー免れない 例外はない
物尓之有者ーものにしあればーものであれば
憑有之ー頼めりしーたのめりしー頼りにしていた
人乃盡ー人のことごとーひとのことごとー人々が
草<枕>ー草枕ーくさまくらー「旅」の枕詞。
客有間尓ー旅なる間にーたびなるほとにー皆旅に出ている間に
佐保河乎ー佐保川をーさほがはをー佐保川を
朝河渡ー朝川渡りーあさかはわたりー朝に渡り
春日野乎ー春日野をーかすがのをー春日野を
背向尓見乍ーそがひに見つつーそがひにみつつー後ろに見ながら
足氷木乃ーあしひきのー 「山」の枕詞。
山邊乎指而ー山辺をさしてーやまへをさしてー山辺を目指して
晩闇跡ー夕闇とーゆふやみとー夕闇とともに 
隠益去礼ー隠りましぬれーかくりましぬれーお隠れになってしまいました
将言為便ー言はむすべーいはむすべーどう言ってよいのか
将為須敝不知尓ー為むすべ知らにーせむすべしらにーどうしたらよいのかすべを知らず
徘徊ーたもとほりー行ったり来たり さまよう
直獨而ーただひとりしてーただひとりしてーたった一人で
白細之ー白栲のーしろたへのー枕詞。しろたへの衣は喪服。
衣袖不干ー衣袖干さずーころもでほさずー喪服の袖も乾くことなく
嘆乍ー嘆きつつーなげきつつー嘆きつつ
吾泣涙ー我が泣く涙ーわがなくなみたー流す涙は
有間山ーありまやまー有馬山へ  神戸の有馬温泉付近の山。
    当時坂上郎女の母は療養のため有馬温泉に滞在していた。
雲居軽引ー雲居たなびきーくもゐたなびきー雲となって棚引き
雨尓零寸八ー雨に降りきやーあめにふりきやー雨となって降ったでしょうか
・・・・・・・・・・・・・・・



3 461;挽歌,作者:坂上郎女

[題詞](七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首[并短歌])反歌

[左注]右新羅國尼名曰理願也 遠感王徳歸化聖 於時寄住大納言大将軍大伴卿家既 逕數紀焉 惟以天平七年乙亥忽沈運病既<趣>泉界 於是大家石川命婦 依餌藥事 徃有間温泉而不會此喪 但郎女獨留葬送屍柩既訖 仍作此歌贈入温泉

留不得 壽尓之在者 敷細乃 家従者出而 雲隠去寸

留めえぬ 命にしあれば 敷栲の 家ゆは出でて 雲隠りにき

とどめえぬ いのちにしあれば しきたへの いへゆはいでて くもがくりにき

・・・・・・・・・・・
留めることの出来ない命ですから
家から出て行き
雲に隠れてしまわれました
・・・・・・・・・・・

* 大伴旅人は着任早々に愛妻の大伴郎女を病で失う。旅人64才。
大伴家持は、この大伴郎女の子ではなく、実母は52年後の宝亀11年(780) まで生きた。
旅人と家持の年齢差は53才。
養老の戸婚律逸文、妻50にして男子なくば、妾子を以て嫡子とす、にあたる。
* 留めえぬ
 「留めることの出来ない」 
* 命にしあれば
 「命ですから」
「に」は [格助詞] [原因・理由] 〜によって・〜により〔接続〕体言、連体形につく。
「し」[副助詞] 語調を整えたり、強意を表する。
「あれ」は「あり」の已然形。
「ば」接続助詞活用語の未然形、已然形に付く。
未然形に付く場合。〔順接の仮定条件〕…たら。…なら。…ならば。
已然形に付く場合。〔順接の確定条件、原因・理由〕…ので。…から。
* 「敷栲の」 
[枕]「敷妙」に関するもの、「床(とこ)」「枕」「衣」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」「家」などにかかる。
* 家ゆは出でて 
「ゆ」 [上代、格助詞] [起点] 〜から・〜以来 体言につく。
「て」は[接続助詞] [補足(行われ方)]〜て 連用形につく。
* 雲隠りにき
「雲隠り」ラ行四段活用の動詞「雲隠る」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの。
「雲隠る」死ぬことを婉曲にいう語。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
「き」(活用語の連用形に付く)過去の助動詞「き」の終止形。
 雲に隠れてしまわれました
3 462;挽歌,作者:大伴家持,妾,亡妻挽歌

[題詞]十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首
(十一年己卯夏六月、大伴宿祢家持が、亡くなった妾を悲しんで作った歌一首)

大伴家持は、二十二歳の時に最初の妻(妾)を失っている。
万葉集に妻の名はなく「妾」は「妻」に次ぐ立場で、いわつる「日陰者」ではなかったと考える。子も一人生したが若子(みどりこ)とだけしかない。

家持に贈られた天平十一年(七三九年)、家持が「亡き妾」を悲傷かなしびて作る歌

従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿

今よりは 秋風寒く 吹きなむを いかにかひとり 長き夜を寝む

いまよりは あきかぜさむく ふきなむを いかにかひとり ながきよをねむ

・・・・・・・・・・・・
そろそろ秋風が寒く吹くだろうに
私は一人でどう長い夜を寝るのだろうかなあ
・・・・・・・・・・・・


3 463;挽歌,作者:大伴書持,大伴家持,亡妻挽歌

[題詞](十一年己卯夏六月大伴宿祢家持悲傷亡妾作歌一首)弟大伴宿祢書持即和歌一首
(弟大伴宿祢書持が和した歌一首)

長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓

長き夜を ひとりや寝むと 君が言へば 過ぎにし人の 思ほゆらくに

ながきよを ひとりやねむと きみがいへば すぎにしひとの おもほゆらくに

・・・・・・・・・・・
長い夜を一人で寝るのかと
あなたがおっしゃるので
亡くなったあの方が思われてなりません
・・・・・・・・・・・



3 464;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞]又家持見砌上瞿麦花作歌一首
(また、家持が砌の上の瞿麦の花を見て作った歌一首)

秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞

秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし やどのなでしこ咲きにけるかも

あきさらば みつつしのへと いもがうゑし やどのなでしこ さきにけるかも

・・・・・・・・・・・
秋になったら見て愛でてくださいと
妻が植えた撫子の花が
きれいに咲いたなあ
・・・・・・・・・・・



3 465;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞]移朔而後悲嘆秋風家持作歌一首
(月が移った後、秋風を悲しみ嘆いて家持が作った歌一首)

虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞

うつせみの 世は常なしと 知るものを 秋風寒み 偲ひつるかも

[うつせみの] よはつねなしと しるものを あきかぜさむみ しのひつるかも

・・・・・・・・・・・
世が無常だとは知っていたが
やはり秋風の寒さに
亡き妻が偲ばれていたたまれないよ
・・・・・・・・・・・



3 466;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞]又家持作歌一首[并短歌]
(また、家持が作った歌一首)

・・・・・・・・・・・・・
[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー
吾屋前尓ー我がやどにーわがやどにーわが家に
花曽咲有ー花ぞ咲きたるーはなぞさきたるー花が咲いた しかし
其乎見杼ーそを見れどーそをみれどーそれを見ても
情毛不行ー心もゆかずーこころもゆかずー心は晴れない
愛八師ーはしきやしー[はしきやし]
妹之有世婆ー妹がありせばーいもがありせばー愛しい妻が生きていたなら
水鴨成ー水鴨なすー[みかもなす]
二人雙居ーふたり並び居ーふたりならびゐー鴨のように二人並んで
手折而毛ー手折りてもーたをりてもーその花を手折って
令見麻思物乎ー見せましものをーみせましものをー(妻に)見せもしようものを
打蝉乃ー[うつせみの]
借有身在者ー借れる身なればーかれるみなればーこの世に生きる仮の身なので
<露>霜乃 ー露霜のー[つゆしもの]
消去之如久ー消ぬるがごとくーけぬるがごとくー露や霜が消えるように
足日木乃ー[あしひきの]
山道乎指而ー山道をさしてーやまぢをさしてー山道に向かって
入日成ー入日なすー[いりひなす]
隠去可婆ー隠りにしかばーかくりにしかばー入日のように隠れてしまった
曽許念尓ーそこ思ふにーそこもふにーそう考えると
胸己所痛ー胸こそ痛きーむねこそいたきー胸が痛い
言毛不得ー言ひもえずーいひもえずー(この悲しみを)言い表せない 
名付毛不知ー名づけも知らずーなづけもしらずーなんと名付けたらよいのかわからない
跡無ー跡もなきーあともなきー跡形もなく消え去る
世間尓有者ー世間にあればーよのなかにあればー無常の世の中なので
将為須辨毛奈思ー為むすべもなしーせむすべもなしーなんとも致し方のないことか
・・・・・・・・・・・・・


3 467;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞](又家持作歌一首[并短歌])反歌

時者霜 何時毛将有乎 情哀 伊去吾妹可 <若>子乎置而

時はしも いつもあらむを 心痛く い行く我妹か みどり子を置きて

ときはしも いつもあらむを こころいたく いゆくわぎもか みどりこをおきて

・・・・・・・・・・・
死ぬ時は他にあろうものを
悲しくも逝ってしまった妻
この世に幼子まで残して
・・・・・・・・・・・



3 468;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞]((又家持作歌一首[并短歌])反歌)

出行 道知末世波 豫 妹乎将留 塞毛置末思乎

出でて行く 道知らませば あらかじめ 妹を留めむ 関も置かましを 

いでてゆく みちしらませば あらかじめ いもをとどめむ せきもおかましを

・・・・・・・・・・・・
黄泉への道を知っていたなら
あらかじめ通らせないための
関でも置いただろうに
・・・・・・・・・・・・



3 469;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞]((又家持作歌一首[并短歌])反歌)

妹之見師 屋前尓花咲 時者經去 吾泣涙 未干尓

妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ 我が泣く涙 いまだ干なくに 

いもがみし やどにはなさき ときはへぬ わがなくなみた いまだひなくに

・・・・・・・・・・・
妻が生前親しんだ家に
また花が咲き 時は流れたが
私の流す涙はいまだ乾くこともない
・・・・・・・・・・・


3 470;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞]悲緒未息更作歌五首
(悲しみがやまず、更に作った歌五首)

如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来

かくのみに ありけるものを 妹も我れも 千年のごとく 頼みたりけり 

かくのみに ありけるものを いももあれも ちとせのごとく たのみたりけり

・・・・・・・・・・・
これは宿命だったのに
妻も私も共に千歳も生きるものと
たのみにしていたのだなあ
・・・・・・・・・・・



3 471;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞](悲緒未息更作歌五首)

離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思

家離り います我妹を 留めかね 山隠しつれ 心どもなし

いへざかり いますわぎもを とどめかね やまかくしつれ こころどもなし

・・・・・・・・・・・
家を離れてどこへ行ってしまったのだ
妻を引留める事ができず
山にまぎれこませてしまった
ああ 生きた心地もしないことだ
・・・・・・・・・・・



3 472;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞](悲緒未息更作歌五首)

世間之 常如此耳跡 可都<知跡> 痛情者 不忍都毛

世間し 常かくのみと かつ知れど 痛き心は 忍びかねつも

よのなかし つねかくのみと かつしれど いたきこころは しのびかねつも

・・・・・・・・・・
世は無常だと
これが定めだとは知っているけれど
この痛恨の気持ちには堪えられないなあ
・・・・・・・・・・



3 473;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞](悲緒未息更作歌五首)

佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無

佐保山に たなびく霞 見るごとに 妹を思ひ出 泣かぬ日はなし

さほやまに たなびくかすみ みるごとに いもをおもひで なかぬひはなし
・・・・・・・・・・・
佐保山にたなびく霞を見るたびに
妻を思い出して泣かない日はないことだ
・・・・・・・・・・・



3 474;挽歌,作者:大伴家持,亡妻挽歌

[題詞](悲緒未息更作歌五首)

昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山

昔こそ 外にも見しか 我妹子が 奥つ城と思へば はしき佐保山

むかしこそ よそにもみしか わぎもこが おくつきとおもへば はしきさほやま

・・・・・・・・・・・
昔はとくに関心もなく見ていたが
妻の墓所と思えば
貴く愛しい佐保山であることよ
・・・・・・・・・・・
3 475;挽歌,作者:大伴家持,内舎人,安積皇子、京都

[題詞]十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首
(十六年甲申春二月、安積皇子がお亡くなりになった時、内舎人大伴宿祢家持が作った歌六首)

[左注](右三首二月三日作歌)

・・・・・・・・・・・

[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー
<挂>巻母ーかけまくもー口にするのも、
綾尓恐之ーあやに畏しーあやにかしこしー誠に恐れ多く
言巻毛ー言はまくもーいはまくもー申すのも
齊忌志伎可物ーゆゆしきかもー憚られることである
吾王ー我が大君ーわがおほきみーわが大君たる
御子乃命ー皇子の命ーみこのみことー皇子の命が
萬代尓ー万代にーよろづよにー万代までも
食賜麻思ー見したまはましーめしたまはましー統治なさるはずだった
大日本ーおほやまとー大日本(おほやまと)
久邇乃京者ー久迩の都はーくにのみやこはー久迩(くに)の都は
打靡ーうち靡くー[うちなびく]
春去奴礼婆ー春さりぬればーはるさりぬればー春になれば
山邊尓波ー山辺にはーやまへにはー山辺には
花咲乎為里ー花咲きををりーはなさきををりー 花が咲き乱れ
河湍尓波ー川瀬にはーかはせにはー川瀬には
年魚小狭走ー鮎子さ走りーあゆこさばしりー若鮎が泳ぎ
弥日異ーいや日異にーいやひけにーますます日々
榮時尓ー栄ゆる時にーさかゆるときにー栄えゆくときに
逆言之ーおよづれのー不吉な
狂言登加聞ーたはこととかもー戯言としか言いようがないが
白細尓ー白栲にーしろたへにー白布の喪服を、
舎人装束而ー舎人よそひてーとねりよそひてー 舎人達は装い
和豆香山ー和束山ーわづかやまー(皇子は)和豆香山に
御輿立之而ー御輿立たしてーみこしたたしてー御輿をお立てになり
久堅乃ーひさかたのー[ひさかたの]
天所知奴礼ー天知らしぬれーあめしらしぬれー(遥かな)天を統治なさることになってしまった
展轉ー臥いまろびーこいまろびー(舎人は)ひれ伏し
O打雖泣ーひづち泣けどもーひづちなけどもー号泣する が
将為須便毛奈思ー為むすべもなしーせむすべもなしーただ為すすべもない
・・・・・・・・・・・


3 476;挽歌,作者:大伴家持,内舎人,安積皇子

[題詞](十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)反歌
[左注](右三首二月三日作歌)

吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山

吾が大君 天知らさむと 思はねば おほにぞ見ける 和束杣山

わがおほきみ あめしらさむと おもはねば おほにぞみける わづかそまやま

・・・・・・・・・・・
わが大君が天上統治にゆかれるとは
思いもしなかったので
和豆香の杣山を
これまでは気にも留めなかったことだ
・・・・・・・・・・・

* 吾が大君
 「吾」人称代名詞。
 「が」主格格助詞、〜が。
 「大君」人称代名詞。
 
* 天知らさむと
 「天知らさ」は未然形。天上統治にゆかれると、
 「む」…推量・意志を表わす。上代両者の区別があったかは疑問。〜よう・〜つもりだ 未然形につく。
 「と」[格助詞]  [比喩] 〜として  体言につく。

* 思はねば
 「思は」は「思ふ」の未然形。他動詞ハ行四段活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ}
感じる。考える。願う。
予想する。想像する。
 「ね」打消し助動詞「ず」の已然形。
 「ば」は動詞已然形に接続して、偶然的関係を示す順接の確定条件(・・すると、・・ところ)

* おほにぞ見ける
 「おほに」おほ・なり 【凡なり】形容動詞ナリ活用{なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ}連用形。
いい加減に。おろそかに。
 「ぞ」[係助詞] [強調] 〔接続〕種々の助詞などにつく。
 「見・ける」連体形結び。「けり」は反省的認識 上にくる語の活用形 連用形。
未然形けら
連用形―
終止形けり
連体形ける
已然形けれ
命令形―
【接続】
動詞・助動詞の連用形に付く。
助動詞「けり」は、活用語の連用形にしか付かないことで誤りを回避する。
咲きけり 見けり 出でけり 来(き)けり 為(し)けり

* 和束杣山
「和束杣山」和束杣山 活道山 京都府相楽郡和束町白栖
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoukochi/kyoto/watuka.html


3 477;挽歌,作者:大伴家持,内舎人,安積皇子,

[題詞](十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)反歌
[左注]右三首二月三日作歌

足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞

あしひきの 山さへ光り 咲く花の 散りぬるごとき 我が大君かも

[あしひきの] やまさへひかり さくはなの ちりぬるごとき わがおほきみかも

・・・・・・・・・・・・
山が輝くほど
咲き誇っていた花が
急に散ってしまったようです
わが大君よ
・・・・・・・・・・・・

* 「あしひきの」枕詞 
* 山さへ光り
 「山が輝くほど」 
* 咲く花の 
 「咲き誇っていた花が」
* 散りぬるごとき
 「急に散ってしまったようです」 
* 我が大君かも
 「わが大君よ」


3 478;挽歌,作者:大伴家持,内舎人,安積皇子

[題詞](十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)
[左注](右三首三月廿四日作歌)

・・・・・・・・・・・・・
[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー
<挂>巻毛ーかけまくもー口にするのも
文尓恐之ーあやに畏しーあやにかしこしーあまりに恐れ多い
吾王ー吾が大君ーわがおほきみーわが大君たる
皇子之命ー皇子の命のーみこのみことのー安積皇子が
物乃負能ー[もののふの]
八十伴男乎ー八十伴の男をーやそとものををー多くの氏の健児を
召集聚ー召し集へーめしつどへー召集され
率比賜比ー率ひたまひーあどもひたまひー率いられ
朝猟尓ー朝狩にーあさがりにー朝狩りをなさっては
鹿猪踐<起>ー鹿猪踏み起しーししふみおこしー鹿猪を踏み立て
暮猟尓ー夕狩にーゆふがりにー夕べの狩に
鶉雉履立ー鶉雉踏み立てーとりふみたてー鳥を飛び立たせ
大御馬之ー大御馬のーおほみまのー御乗馬の
口抑駐ー口抑へとめーくちおさへとめー口を抑え止められて
御心乎ー御心をーみこころをー御心も
見為明米之ー見し明らめしーめしあきらめしー晴れやかに
活道山ーいくぢやまー活道山をご覧になった
木立之繁尓ー木立の茂にーこだちのしげにー活道山の木立の茂みに
咲花毛ー咲く花もーさくはなもー咲いていた花も
移尓家里ーうつろひにけりーうつろひにけりー今となっては色あせてしまった
世間者ー世間はーよのなかはー世の中とは
如此耳奈良之ーかくのみならしーそんなものでしかないらしい
大夫之ーますらをのー勇敢な男の
心振起ー心振り起しーこころふりおこしー心を奮い立たせ
劔刀ー剣太刀ーつるぎたちー剣や太刀を
腰尓取佩ー腰に取り佩きーこしにとりはきー腰に佩き
梓弓ーあづさゆみー梓弓や
靭取負而ー靫取り負ひてーゆきとりおひてー靱を背負って
天地与ーあめつちとー天地と共に 
弥遠長尓ーいや遠長にーいやとほながにー ますます永久に
万代尓ー万代にーよろづよにー万代の後
如此毛欲得跡ーかくしもがもとーまでもこうであってほしいと
憑有之ー頼めりしーたのめりしー頼りにし
皇子乃御門乃ー皇子の御門のーみこのみかどのー皇子の宮殿に
五月蝿成ー五月蝿なすー[さばへなす]
驟驂舎人者ー騒く舎人はーさわくとねりはー賑やかに集っていた舎人達だが
白栲尓ー白栲にー[しろたへに] 白布の
<服>取著而ー衣取り着てーころもとりきてー喪服を身に装い  白装束に衣を変えて
常有之ー常なりしーつねなりしーいつも変わらなかった
咲比振麻比ー笑ひ振舞ひーゑまひふるまひー(舎人達の)笑顔や振舞が
弥日異ーいや日異にー[いやひけに] 日一日と
更經<見>者ー変らふ見ればーかはらふみればー変わっていくのを見ると
悲<呂>可聞ー悲しきろかもーかなしきろかもー何とも悲しいことだ
・・・・・・・・・・・・・


3 479;歌,作者:大伴家持,内舎人,安積皇子

[題詞](十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)反歌
[左注](右三首三月廿四日作歌)

波之吉可聞 皇子之命乃 安里我欲比 見之活道乃 路波荒尓鷄里

はしきかも 皇子の命の あり通ひ 見しし活道の 道は荒れにけり

はしきかも みこのみことの ありがよひ めししいくぢの みちはあれにけり

・・・・・・・・・・
なんということだろう
皇子の命が通われてご覧になった活道山の
活道(いくぢ)の道は荒れてしまったことだ
・・・・・・・・・・

* 「はしきかも」
 なんということだろう
「かも」[終助]名詞、活用語の連体形、まれに形容詞シク活用の終止形に付く。
感動を込めた疑問の意を表す。…かなあ。
 
* 「皇子の命の」
 皇子の命が
* 「あり通ひ」
 常にこのあたりを通って 
* 「見しし活道の」
 ご覧になった活道山の 
* 「道は荒れにけり」
 道は荒れてしまったことだ


3 480;挽歌,作者:大伴家持,内舎人,安積皇子

[題詞](十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)反歌
[左注]右三首三月廿四日作歌

大伴之 名負靭帶而 萬代尓 憑之心 何所可将寄

大伴の 名に負ふ靫帯びて 万代に 頼みし心 いづくか寄せむ

おほともの なにおふゆきおびて よろづよに たのみしこころ いづくかよせむ

・・・・・・・・・・・
大伴の名にふさわしい靱を帯びて
万代後までもお仕えしようとたのみにしていた私の心は
これから一体どなたに寄せたら良いのだろう
・・・・・・・・・・・

* 安積皇子は聖武天皇と県犬養広刀自の子で、藤原氏と無縁の人。
不可解な死にかたをし、この家系は皆不遇な死を迎えた。
大伴氏は皇子の将来に期待していた。
安積皇子は、17才の若さで薨った。聖武天皇のただ一人の皇子で、当時、藤原氏所出の光明皇后の子阿倍内親王が異例の女性皇太子であり、代わり立太子の期待があったといわれる。橘諸兄、大伴家持は皇子の後盾であった。皇子主催の宴も行われていた。
「続日本紀」は、次のように記す。
「天平十五年正月十一日、聖武天皇は難波宮に行幸された。この日、安積親王は脚の病のため、桜井頓宮から恭仁京に還った。
正月十三日、安積親王が薨じた。時に年は十七歳であった。安積親王は聖武天皇の皇子であり、母は夫人・正三位の県犬養宿禰広刀自で、従五位下・県犬養宿禰唐の女である。」
藤原氏との政争の内、暗殺説もささやかれたという。
歌中に出てくる「活道山」は、これとは定められないが、恭仁京付近の山であろう。
和束町白栖の墳丘墓近くには、活道ヶ丘公園があり、巻3−476の万葉歌碑がある。
* 大伴の 
* 名に負ふ靫帯びて
 「大伴の名にふさわしい靱を帯びて」 
* 万代に 
* 頼みし心
 「万代後までもお仕えしようとたのみにしていた私の心は」 
* いづくか寄せむ
 「これから一体どなたに寄せたら良いのだろう」
3 481;挽歌,作者:高橋,古老,老麻呂,亡妻挽歌

[題詞]悲傷死妻高橋朝臣作歌一首[并短歌]
(死んだ妻を悲しんで、高橋朝臣が作った歌一首)

[左注](右三首七月廿日高橋朝臣作歌也 名字未審 但云奉膳之男子焉)

・・・・・・・・・・

[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー 大意
白細之ー白栲のーしろたへのー 白妙の
袖指可倍弖ー袖さし交へてーそでさしかへてー袖を交わし
靡寐ー靡き寝しーなびきねしー 寄り添って寝て
吾黒髪乃ー我が黒髪のーわがくろかみのーわが黒髪が
真白髪尓ーま白髪にーましらかにー白髪
成極ーなりなむ極みーなりなむきはみーになる時までも
新世尓ー新世にーあらたよにー新鮮な間柄で
共将有跡ーともにあらむとーともにいようと
玉緒乃ー玉の緒のー[たまのをの]ー[玉の緒のように]
不絶射妹跡ー絶えじい妹とーたえじいいもとー仲の絶えることはないと
結而石ー結びてしーむすびてしー誓ったのに
事者不果ーことは果たさずーことははたさずーその言葉を果たさず
思有之ー思へりしーおもへりしー思いを
心者不遂ー心は遂げずーこころはとげずー遂げることもなく
白妙之ー白栲のー[しろたへの]
手本矣別ー手本を別れーたもとをわかれーわが腕から離れ、
丹杵火尓之ーにきびにしー馴染んだ
家従裳出而ー家ゆも出でてーいへゆもいでてー家からも出て
緑兒乃ーみどり子のーみどりこのー幼子が
哭乎毛置而ー泣くをも置きてーなくをもおきてー泣くのも置き去り
朝霧ー朝霧のー[あさぎりの]
髣髴為乍ーおほになりつつー[朝霧のように]おぼろになりつつ
山代乃ー山背のーやましろのー山城の
相樂山乃ー相楽山のーさがらかやまのー相楽山の
山際ー山の際にーやまのまにー 山辺りに
徃過奴礼婆ー行き過ぎぬればーゆきすぎぬればー行き過ぎ姿を消してしまった
将云為便ー言はむすべーいはむすべーいいようもなく
将為便不知ー為むすべ知らにーせむすべしらにーなす術も知らず、
吾妹子跡ー我妹子とーわぎもことー妻と
左宿之妻屋尓ーさ寝し妻屋にーさねしつまやにー共寝した妻屋で
朝庭ー朝にはーあしたにはー朝には
出立偲ー出で立ち偲ひーいでたちしのひー外に立って妻を偲び
夕尓波ー夕にはーゆふへにはー夜には
入居嘆<會>ー入り居嘆かひーいりゐなげかひー 中で座り込んで嘆き
腋<挾>ー脇ばさむーわきばさむー小脇に抱える
兒乃泣<毎> ー子の泣くごとにーこのなくごとにー子が泣くたびに
雄自毛能ー男じものーをとこじものー男らしくもなく
負見抱見ー負ひみ抱きみーおひみむだきみーおんぶしたり抱っこしたり
朝鳥之ー朝鳥のー「あさとりの」
啼耳哭管ー哭のみ泣きつつーねのみなきつつー[朝鳥のように]声をあげて泣きながら
雖戀ー恋ふれどもーこふれどもー妻を恋い求めるのだが
効矣無跡ー験をなみとーしるしをなみとー甲斐もない
辞不問ー言とはぬーこととはぬー物言わぬ
物尓波在跡ーものにはあれどーものではあるけれど
吾妹子之ー我妹子がーわぎもこがー妻が
入尓之山乎ー入りにし山をーいりにしやまをー入ってしまった山を
因鹿跡叙念ーよすかとぞ思ふーよすかとぞおもふー実を託し心を寄せるよすがと思う
・・・・・・・・・・


3 482;挽歌,作者:高橋,古老,老麻呂,亡妻挽歌

[題詞](悲傷死妻高橋朝臣作歌一首[并短歌])反歌

[左注](右三首七月廿日高橋朝臣作歌也 名字未審 但云奉膳之男子焉)

打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟

うつせみの 世のことにあれば 外に見し 山をや今は よすかと思はむ

うつせみの よのことにあれば よそにみし やまをやいまは よすかとおもはむ

・・・・・・・・・・・
死はいづれ来る世のさだめと
よそごとに思っていたが
(妻が亡くなってしまった)
せめて見慣れたあの山を
今よりは
生きる心の拠り所と思うだろう
・・・・・・・・・・・

* うつせみの 枕詞。 
(まくらことば)は、主に和歌に見られる修辞で、特定の語の前にあって語調を 整えたり、ある種の情緒を添える言葉のこと。
発祥としては、例えば地名は古人にとって地霊を呼び起こす畏るべきことばであり、畏敬の心が直接的に云わない風習を作り、それらが枕詞を生んだと思われる。
 「現身の」は、世、代、人、命, などに掛かる。 現身(うつせみ)は、「この世の」の意。
 
* 世のことにあれば 
 「世」 天下周知の意の「世」=人間世界・自然。
 「の」は修飾句内の主語表示の格助詞。
 「こと」世の中に起こる、自然または人事の現象。事柄。出来事。特に「死」は「生」にとって避けられない定め。
 「に」[格助詞] [原因・理由] 〜によって・〜により〔接続〕体言、連体形につく
 「あ・れ・ば」 自動詞ラ行変格活用。語幹〈あ〉生きている、(住む。暮らす。生活する)
「あれ」は「あり」の已然形。…の状態にある。
補助動詞ラ行変格活用{ら/り/り/る/れ/れ}

接続助詞「ば」が已然形に接続した場合の恒常的条件(=その事柄があると、いつもきまってある事柄がおこること)を表し、原因・理由を表している。

* 外に見し 
 「外」名詞 よそごと。別世界も物事。
 「に」は場所を表す格助詞。
 「見・し」動詞「みる」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形。 見ていた。
* 山をや今は
 「山」 古文では「家」に関わる見慣れた「築山」を云うこともある。また「墓所」の暗喩もある。単に普段見慣れた「山」との解釈もできる。
 「を・や」連語 …を…か。格助詞「を」+係助詞「や」。「や」を受ける文末の活用語は、連体形になる。
 「今・は」[係助詞] [とりたて・題目]〜は  今となっては。過去と未来との境になる時。現在。
* よすかとおもはむ
 「よすか」心の頼りにする。「寄す処(よすか)」
 「と」 [格助詞]  [引用・比喩] 〜として。 体言につく 。
 「おもはむ」おも・ふ 【思ふ】他動詞ハ行四段活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ}
感じる。考える。願う。
回想する。懐かしむ。
恋しく思う。
も・ふ 【思ふ】他動詞ハ行四段活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ}思う。
 「思は・む」む[助動詞・む] [推量(意志)・連体形] 〜よう・〜つもりだ 未然形につく。



3 483;挽歌,作者:高橋,古老,老麻呂,亡妻挽歌

[題詞]((悲傷死妻高橋朝臣作歌一首[并短歌])反歌)

[左注]右三首七月廿日高橋朝臣作歌也 名字未審 但云奉膳之男子焉

朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無

朝鳥の 哭のみし泣かむ 我妹子に 今またさらに 逢ふよしをなみ

[あさとりの] ねのみしなかゆ わぎもこに いままたさらに あふよしをなみ

・・・・・・・・・・・
[朝に鳴く鳥のように]
声を上げて泣いてしまうよ
妻にこの先再び逢う術もない
・・・・・・・・・・・

* 朝鳥の 
 「朝鳥の」朝、鳥が巣から飛び立ち、鳴くことから「朝立つ」「通ふ」「音(ね)泣く」にかかる。
* 「哭のみし泣かむ」 
 声を上げて泣いてしまうよ
* 「我妹子に」 
 妻に
* 「今またさらに」 
 にこの先再び
* 「逢ふよしをなみ」
 逢う術もない
3 337 雑歌,作者:山上憶良,罷宴,太宰府,福岡

[題詞]山上憶良臣罷宴歌一首

憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曽

憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ 

おくららは いまはまからむ こなくらむ それそのははも わをまつらむぞ

・・・・・・・・・
憶良めは今失礼します 
子供が泣いているのです 
その母も私を待っているのです
・・・・・・・・・

<以下[暗号 山上億良]より転載。>
この歌では、【其彼母毛】の読み方が、難解とされる。これまでに行われている読み方には、ほかに、「その子の母も」「それその母も」「そもその母も」「そよその母も」「そを負ふ母も」などもある。
むろん、素直に読めぱ、【其彼母毛】は【そのかの母も】となる。だが、学者間には、「かの」は例から見て平安時代の言葉であるという共通の認識がある。それゆえ、学者は、【憶良】という実名入りのこの著名な歌に「かの」が使われていると考えたくないのである。だが、学者を悩ます【其彼母毛】は、平安時代になって『古事記』および『万葉集』に手を加えた証として作為した一句である。なぜなら、『古事記』で「モ」の発音を区別するために使っている二字「母・毛」と平安語「彼(かの)」が、「憶良」という実名入りの歌で同時に使われているのは偶然ではあり得ないからである。
『古事記』の撰者であることを「モ」の使い分けで示しているためか、憶良の歌の中には「も」の使用が目立つものがある。たとえば、巻五にある「子らを思へる歌」の反歌では、次のように「も(母)」が四回も使われている。

銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及かめやも(巻五、八〇三)
銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

ここで「銀母金母玉母」と三回使われている「母」と、【其彼母毛】の「毛」は、同じ種類の助詞である。そして、『古事記』の用例によれば、この「毛」は「母」の方が正しい。しかし、「母も」の「も」に「母」を使えば「母母」となり、区別のない文字を区別して読まなければならない。このようなことになるのは、『万葉集』では歌を表記する際、一方では漢字の意昧を無視して音を表す仮名として用いながら、他方では漢字を意味にもとづいて和語として訓読みするという不自然なことをしているからである。



<転載> ブログ《neige9》一日一首] 「ゆきのはてみし」
http://blogs.yahoo.co.jp/sirius0426jp/9232500.html?vitality

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