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3 336;雑歌,作者:沙弥満誓,笠麻呂,太宰府 [題詞]沙弥満誓詠綿歌一首 沙彌満誓(まんぜい)、綿を詠む歌一首 [造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也] 白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者<伎>袮杼 暖所見 [しらぬひ] つくしのわたは みにつけて いまだはきねど あたたけくみゆ ・・・・・・・・・
この[しらぬひの]筑紫の綿は 身に付けてまだ着たことはないが 暖かそうに見えることだ ・・・・・・・・・ * 「筑紫の綿」に、筑紫の女を寓意したと見る説がある。 * 「しらぬひ」は「白日」が国名で、筑紫の別名という説がある。 「自奴日」・・「不知火」当て字は固定するまでに長い時代を遍歴する。 * 枕詞 「しらぬひ」は一説に「領(し)らぬ霊(ひ)」。 筑紫(九州)はかつて大和朝廷の支配が及ばぬ土地だったからか。(千人万首) ・・・・・・・・・・・・・ 沙弥満誓 さみのまんぜい 生没年未詳 笠氏の出身。父母等は未詳。俗名は麻呂。 大宝四年(704)正月、正六位下より従五位下に越階昇叙される。 慶雲三年(706)七月、美濃守に任ぜられると有能な国司として活躍し、 和銅二年(709)には業績を賞され、同四年に正五位上、同六年に従四位下と急速に昇進。同七年閏二月には木曽路を開通させた功により封戸・功田を賜わる。 霊亀二年(716)六月、美濃守に尾張守を兼任する。 養老元年(717)十二月、元正天皇が美濃国に行幸した際には従四位上に昇叙された。 養老三年(719)七月、尾張・参河・信濃の三国を管する按察使を兼ねる。同四年十月、右大弁として中央に復帰するが、翌年五月、元明太上天皇の病を理由に出家入道を請い、勅許された。
以後、満誓と号す。 養老七年(723)二月、造筑紫観世音寺別当となり、大宰府に下向。翌年大伴旅人が大宰帥として府に赴任すると、いわゆる筑紫歌壇の一員となり、万葉集に七首の短歌を残した。 |
万葉集索引第三巻
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3 482 [題詞](悲傷死妻高橋朝臣作歌一首[并短歌])反歌 [左注](右三首七月廿日高橋朝臣作歌也 名字未審 但云奉膳之男子焉) 打背見乃世之事尓在者外尓見之山矣耶今者因香跡思波牟 うつせみのよのことにあればよそにみしやまをやいまはよすかとおもはむ 死はさだめの他人事と
全く無関心だった 今よりはこの山を よすがと思うのだなあ * 「よす‐が」【縁/因/便】《「寄す処(か)」の意。古くは「よすか」》身や心のよりどころとすること。頼りとすること。また、身寄り。血縁者。
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