ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第四巻

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万葉集721 〜730

万葉集721
4 721;相聞,作者:坂上郎女,聖武天皇、佐保,枕詞,贈答

[題詞]獻天皇歌一首 [大伴坂上郎女在佐保宅作也]

足引乃  山二四居者  風流無三  吾為類和射乎  害目賜名

あしひきの 山にしをれば 風流なみ 我がするわざを とがめたまふな 

[あしひきの] やまにしをれば みやびなみ わがするわざを とがめたまふな
・・・・・・・・・・
無風流な山里におります
 
優雅なことの出来ない私の振舞を

どうかお咎めなさいますな
・・・・・・・・・・・


万葉集722
4 722;相聞,作者:大伴家持、恋情

[題詞]大伴宿祢家持歌一首

如是許  戀乍不有者  石木二毛  成益物乎  物不思四手

かくばかり 恋ひつつあらずは 石木にも ならましものを 物思はずして 

かくばかり こひつつあらずは いはきにも ならましものを ものもはずして
・・・・・・・・・・・・・
こんな実らぬ恋をするくらいなら

石や木にでもなりたいものだ

何を思う事もなく苦しむこともなかろうから
・・・・・・・・・・・・・・


万葉集723・724
4 723;相聞,作者:坂上郎女,坂上大嬢、愛情,枕詞,桜井

[題詞]大伴坂上郎女従跡見庄<賜>留宅女子大嬢歌一首[并短歌]
大伴坂上郎女、跡見庄(とみのたどころ)より、宅に留まれる女子(むすめ)
大嬢(おほいらつめ)に賜ふ歌一首
[左注](右歌報賜大嬢進歌也)


[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー 
常呼二跡ー常世にとーとこよにとー  
吾行莫國ー我が行かなくにーわがゆかなくにー  
小金門尓ー小金門にーをかなどにー  
物悲良尓ーもの悲しらにーものかなしらにー 
念有之ー思へりしーおもへりしー  
吾兒乃刀自緒ー我が子の刀自をーあがこのとじをー  
野干玉之ー[ぬばたまの]ー  
夜晝跡不言ー夜昼といはずーよるひるといはずー  
念二思ー思ふにしーおもふにしー  
吾身者痩奴ー我が身は痩せぬーあがみはやせぬー  
嘆丹師ー嘆くにしーなげくにしー  
袖左倍<沾>奴ー袖さへ濡れぬーそでさへぬれぬー  
如是許ーかくばかり ーかくばかりー  
本名四戀者ーもとなし恋ひばーもとなしこひばー  
古郷尓ー故郷にーふるさとにー 
此月期呂毛ーこの月ごろもーこのつきごろもー 
有勝益土ー有りかつましじーありかつましじー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの世へと私が行ってしまうわけでもないのに
我が家の門口でもの悲しそうに立って見送っていた
留守番の主婦をしている娘大嬢(おほいらつめ)よ 
昼夜となくそんなお前を案じていると
身は痩せ 涙が出てきてとまらない
こんなに心配で恋いしくては
ここには一月も居られそうもないわ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4 724;相聞,作者:坂上郎女,坂上大嬢、、愛情,夢,枕詞,桜井

[題詞](大伴坂上郎女従跡見庄<賜>留宅女子大嬢歌一首[并短歌])反歌(反し歌)


[原文]朝髪之 念乱而 如是許 名姉之戀曽 夢尓所見家留

朝髪の 思ひ乱れて かくばかり 汝姉が恋ふれぞ 夢に見えける 

[あさかみの] おもひみだれて かくばかり なねがこふれぞ いめにみえける

[左注]右歌報賜大嬢進歌也
(右の歌は大嬢の進(たてまつ)る歌に報へ賜ふなり。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝床の乱れ髪のように思い乱れて

そんなにもお前が恋しがるから

私の夢にまで現れたのだね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆ 〜の が〜そ <係りと結び>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・          
大伴坂上郎女 おおとものさかのうえのいらつめ

生没年 未詳(700前後〜750以後)

系譜など 
父は大伴安麻呂
母は石川内命婦
稲公の姉
稲公は旅人の庶弟で、旅人の異母妹。家持の叔母、姑。

 坂上郎女の通称は坂上の里(現奈良市法蓮町北町、磐之媛陵付近に住んだためという。
なお「坂上郎女」はあくまでも親族内部における呼称(あだ名)であり、例えば藤原麻呂との贈答歌においては、単に大伴郎女と呼ばれている。

略伝 
初め穂積皇子に嫁す。
715(霊亀1)年皇子薨去後、一説に宮廷に留まり命婦として仕える。
この頃首皇太子(のちの聖武天皇)と親交を持ったらしく、後年個人的に歌を奉っている。
養老年間、藤原麻呂に娉われる。
養老末年頃、異母兄大伴宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢・二嬢を生む。
宿奈麻呂の邸は田村の里にあった。
神亀元〜四年(724~727年)頃宿奈麻呂は卒し、後、旅人を追って大宰府に下向。帰京後は佐保邸に留まり、一家の刀自として、また大伴氏の巫女的存在として、また恐らくは家持の母代りとして等、様々な役割を担う。
佐保・春日里・竹田庄・跡見庄など、各所で歌を詠んでいることが万葉題詞から窺える。
 額田王以後最大の女性歌人であり、万葉集編纂にも関与したとの説が有力。

万葉集に長短歌84首所載、女性歌人としては最多、全体でも家持・人麻呂に次ぐ第三位の数。相聞の多くは社交性・虚構性の強いものといわれる。
(千人万首より転載)




万葉集725・726
4 725;相聞,作者:坂上郎女,聖武天皇、恋情,奈良

[題詞]獻天皇歌二首 [大伴坂上郎女在春日里作也]

二寶鳥乃  潜池水  情有者  君尓吾戀  情示左祢

にほ鳥の 潜く池水 心あらば 君に我が恋ふる 心示さね 

にほどりの かづくいけみづ こころあらば きみにあがこふる こころしめさね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
にほ鳥の潜る池の水よ

心あらば君に吾が恋ふる心を示しておくれ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4 726;相聞,作者:坂上郎女,聖武天皇、恋情,奈良

[題詞](獻天皇歌二首 [大伴坂上郎女在春日里作也])

外居而  戀乍不有者  君之家乃  池尓住云  鴨二有益雄

外に居て 恋ひつつあらずは 君が家の 池に住むといふ 鴨にあらましを 

よそにゐて こひつつあらずは きみがいへの いけにすむといふ かもにあらましを
・・・・・・・・・・・
外ながらお慕いしているよりは

せめて君が家の池に住むという鴨になりたい
・・・・・・・・・・・


万葉集727・728・729・730 以下転載済み/731/732・733・734・735・736・737・738・739・740(14首)
4 727;相聞,作者:大伴家持,坂上大嬢、

[題詞]大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首 [<離>絶數年復會相聞徃来]

萱草 吾下紐尓 著有跡 鬼乃志許草 事二思安利家理

忘れ草 我が下紐に 付けたれど 醜の醜草 言にしありけり 

わすれくさ わがしたひもに つけたれど しこのしこくさ ことにしありけり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憂いを忘れるというかんぞうを 

わたしの下紐に付けたけれど

役にたたない草だよ言葉だけだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4 728;相聞,作者:大伴家持,坂上大嬢、贈答

[題詞](大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首 [<離>絶數年復會相聞徃来])

人毛無  國母有粳  吾妹子与  携行而  副而将座

人もなき 国もあらぬか 我妹子と たづさはり行きて 副ひて居らむ 

ひともなき くにもあらぬか わぎもこと たづさはりゆきて たぐひてをらむ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
人のいない國はないだろうか 

恋人と二人っきりで

手を携え寄り添っていたい
・・・・・・・・・・・・・・・・・


4 729;相聞,作者:坂上大嬢,大伴家持

[題詞]大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首、枕詞,贈答


[原文]玉有者  手二母将巻乎  欝瞻乃  世人有者  手二巻難石

玉ならば 手にも巻かむを うつせみの 世の人なれば 手に巻きかたし 

たまならば てにもまかむを うつせみの よのひとなれば てにまきかたし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
玉ならば手に巻いて離さないけれど 

この世の人だものね 

手に巻くわけにもいかない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4 730;相聞,作者:坂上大嬢,大伴家持、うわさ,贈答

[題詞](大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首)


将相夜者  何時将有乎  何如為常香  彼夕相而  事之繁裳

逢はむ夜は いつもあらむを 何すとか その宵逢ひて 言の繁きも 

あはむよは いつもあらむを なにすとか そのよひあひて ことのしげきも
・・・・・・・・・・・・・・・・・
会う夜はいつもあるのに 

どうしてあの晩あったことが

煩わしい噂になるの
・・・・・・・・・・・・・・・・・

4 572 573 575 575

4 572;相聞,作者:沙弥満誓,大伴旅人、恋情,送別,枕詞,福岡

[題詞]<大>宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首


真十鏡  見不飽君尓  所贈哉  旦夕尓  左備乍将居

まそ鏡 見飽かぬ君に 後れてや 朝夕に さびつつ居らむ 

[まそかがみ] みあかぬきみに おくれてや あしたゆふへに さびつつをらむ
・・・・・・・・・・・・・
いくたびお逢いしても

見飽きることのない[真澄の鏡]

貴方に置いて行かれた私は

朝な夕なに寂しく暮らすのでしょうね
・・・・・・・・・・・・・
大納言に任命されて帰京してしまった大伴旅人のもとへ贈った歌。
満誓は観世音寺別当として筑紫に残っていた。


4 573;相聞,作者:沙弥満誓,大伴旅人、恋情,送別,年齢,枕詞

[題詞](<大>宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首)


野干玉之  黒髪變  白髪手裳  痛戀庭  相時有来

ぬばたまの 黒髪変り 白けても 痛き恋には 逢ふ時ありけり 

ぬばたまの くろかみかはり しらけても いたきこひには あふときありけり
・・・・・・・・・・・・・
黒髪が白くなって年老いても

これほどまでに胸を痛める

せつない想いに

出逢うこともあるものかなあ 
・・・・・・・・・・・・・


沙弥満誓 さみのまんぜい 生没年未詳
笠氏の出身。父母等は未詳。俗名は麻呂。

大宝四年(704)正月、正六位下より従五位下に越階昇叙される。
慶雲三年(706)七月、美濃守に任ぜられると有能な国司として活躍し、
和銅二年(709)には業績を賞され、
同四年に正五位上、
同六年に従四位下と急速に昇進。
同七年閏二月には木曽路を開通させた功により封戸・功田を賜わる。
霊亀二年(716)六月、美濃守に尾張守を兼任する。
養老元年(717)十二月、元正天皇が美濃国に行幸した際には従四位上に昇叙された。
養老三年(719)七月、尾張・参河・信濃の三国を管する按察使を兼ねる。
同四年十月、右大弁として中央に復帰するが、
翌年五月、元明太上天皇の病を理由に出家入道を請い、勅許された。
  以後、満誓と号す。
養老七年(723)二月、造筑紫観世音寺別当となり、大宰府に下向。

翌年大伴旅人が大宰帥として府に赴任すると、いわゆる筑紫歌壇の一員となり、万葉集に七首の短歌を残した。  (千人万首)


万葉集574・575

4 574;相聞,作者:大伴旅人、羈旅,福岡

[題詞]大納言大伴卿和歌二首


此間在而  筑紫也何處  白雲乃  棚引山之  方西有良思

ここにありて 筑紫やいづち 白雲の たなびく山の 方にしあるらし 

ここにありて つくしやいづち しらくもの たなびくやまの かたにしあるらし
・・・・・・・・・・・
ここ奈良の都にあって

筑紫はどの方向にあるのだろう

白雲がたなびくかの山の

遥か彼方なのだろう
・・・・・・・・・・・


4 575;相聞,作者:大伴旅人、孤独,羈旅,大阪,序詞

[題詞](大納言大伴卿和歌二首)


草香江之  入江二求食  蘆鶴乃  痛多豆多頭思  友無二指天

草香江の 入江にあさる 葦鶴の あなたづたづし 友なしにして 

[くさかえの いりえにあさる あしたづの] あなたづたづし ともなしにして
・・・・・・・・・・・・・
草香江の入江を漁る葦鶴の声

なんとたどたどしいことよ 

話す友のないわが心のようであるなあ
・・・・・・・・・・・・・
草香江の 入江で餌を捜す 葦鶴ではないが ああたづたづしいことだ なじんだ友もいなくて

* 歌枕紀行 摂津国 ―つのくに―
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utamaku/settu_u.html

* 草香江 生駒山西麓、東大阪市日下町のあたり。
  もと河内平野をみたし、生駒山麓まで広がっていた広大な入江。
  「難波潟」に同じ。

* 葦鶴 葦原の鶴。「葦鶴の」までが同音で「たづたづし」を起こす序。

* たづたづし 「たどたどし」の古形。不確かで頼りない、心もとない。


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大伴旅人(おおとも の たびと、665年 - 天平3年(731年)7月25日)

奈良時代初期の政治家、歌人。
父は大伴安麻呂、母は巨勢郎女。息子に大伴家持がいる。同じく有名な万葉歌人の大伴坂上郎女は異母妹。

714年(和銅7年)、父の安麻呂が亡くなる。
718年(養老2年)に中納言に任じられる。
720年(養老4年)山背摂官となり、その後征隼人持節大将軍として隼人の反乱を鎮圧した。
神亀年間(724年−729年)には、大宰帥として九州の大宰府に赴任し、山上憶良とともに筑紫歌壇を形成した。
730年(天平2年)大納言に任じられ京に戻り、
翌731年(天平3年)正二位に昇進するが、まもなく病を得て没した。
 政治的には長屋王派と言われていた。

漢詩集「懐風藻」に漢詩が収められ、「万葉集」にも和歌78首選出されているが、和歌の多くは大宰帥以後のものである。酒を讃むるの歌十三首(国歌大観番号0338-0350)を詠んでおり、酒をこよなく愛した人物として知られている。

万葉集4 576

4 576;相聞,作者:葛井大成(ふぢゐおほなり),大伴旅人、愛慕,福岡

[題詞]<大>宰帥大伴卿上京之後筑後守葛井連大成悲嘆作歌一首


従今者  城山道者  不樂牟  吾将通常  念之物乎

今よりは 城の山道は 寂しけむ 我が通はむと 思ひしものを 

いまよりは きのやまみちは さぶしけむ わがかよはむと おもひしものを
・・・・・・・・・・・
これから先は

大宰府への城の山道は寂しいことでしょう

私は心楽しく通うつもりいたのに
・・・・・・・・・・・
これよりは 基(き)の山路の 寂しかる われ通はむと 思ひし山路

万葉集4 577

4 577;相聞,作者:大伴旅人,高安王、贈答

[題詞]大納言大伴卿新袍贈攝津大夫高安王歌一首
大納言大伴卿新しい朝廷の公事に着る上着を摂津の大夫高安王に贈る歌一首


吾衣  人莫著曽  網引為  難波壮士乃  手尓者雖觸

我が衣 人にな着せそ 網引する 難波壮士の 手には触るとも 

あがころも ひとになきせそ あびきする なにはをとこの てにはふるとも
・・・・・・・・・・・・・
私の贈るこの衣を他人には着せるな

網引する難波男の手に触れて

ぞんざいに扱われるのはいいけれど
・・・・・・・・・・・・・
「袍」は男子の朝服の上に着る衣。
「難波壮士」は、摂津大夫の高安王を戯れてこう呼んだもの。

「旅人は大宰府からの帰途、難波で摂津職高安王の世話になった礼に、
高安王に必要な真新しい袍を贈ったのであろう」(萬葉集釋注)。

万葉集 578

578;相聞,作者:大伴三依,大伴旅人、挽歌発想

[題詞]大伴宿祢三依悲別歌一首


天地与  共久  住波牟等  念而有師  家之庭羽裳

天地と ともに久しく 住まはむと 思ひてありし 家の庭はも 

あめつちと ともにひさしく すまはむと おもひてありし いへのにははも
・・・・・・・・・・
あめつちと共に、

いつまでも住みたいと思っていた、

この家この庭でしたよ
・・・・・・・・・・

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