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6 966;雑歌,作者:児島,大伴旅人、遊行女婦,太宰府,別離,恋情,天平2年11月,餞別,宴席 [題詞](冬十二月<大>宰帥大伴卿上京<時>娘子作歌二首) 倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈 やまとぢは くもがくりたり しかれども わがふるそでを なめしともふな [左注](右大宰帥<大>伴卿兼任大納言向京上道 此日馬駐水城顧望府家 于時送卿府吏之中有遊行女婦 其字曰兒嶋也 於是娘子傷此易別嘆彼難會 拭涕自吟振袖之歌) 大和への路は はるかに遠く
お姿が道の彼方 雲にかくれて見えなりました けれども私はこらえ切れず 袖を振っていましたが どうぞ失礼なやつだと お思いにならないでくださいませ * 「無礼し(なめし)」は、無礼だ、不作法だ、失礼だ。 * 「な」は、活用語の終止形に付いて、「〜するな」と禁止する意をあらわす。 妻を亡くし傷心の老いた旅人を よくよく愛していたのだろうか 遊女と旅人の心の交流がしのばれる。 |
万葉集索引第六巻
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6 967;雑歌,作者:大伴旅人,児島、太宰府,別離,恋情,遊行女婦,天平2年11月,餞別,宴席 [題詞]大納言大伴卿和歌二首 日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞 やまとぢの きびのこしまを すぎてゆかば つくしのこしま おもほえむかも 吉備路で児島を過ぎるときには
* 「かも」 は、終助詞「か」に終助詞「も」のついたもので、筑紫に住む児島よ 必ず君を思い出しているだろう 詠嘆感動を表わす。 ・・・デアロウヨ・ * 「児島」は、岡山市の南にあり、大和への旅路の途中で吉備の児島を通るが、筑紫の児島のことを思い浮かべることだろう。 |
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6 968;雑歌,作者:大伴旅人,児島、太宰府,別離,恋情,遊行女婦,天平2年11月,餞別,宴席 [題詞](大納言大伴卿和歌二首) 大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭 ますらをと おもへるわれや [みづくきの] みづきのうへに なみたのごはむ 私は男の中の男だと思っていたが
そうじゃないらしいな 水城の上に立って 別れを惜しんで涙を拭っているのだから * 「や」は詠嘆の間投助詞。 * 「水茎の」は、「水城」にかかる枕詞。「外敵を防ぐため太宰府の周囲に設けられた水をたたえた堀」。 * 「上」は、ほとり。 * 「む」は推量の助動詞 * 太宰府は九州に置かた出先朝廷といった規模と権限があって、外交・軍事の最前線だった。大伴旅人は60代になってから太宰府長官に就任した。それから4年後の天平2年(730)冬、大納言に兼任されて帰京した。 * 水城について 663年、百済救援のため朝鮮半島に遠征した大和政権は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した。天智天皇(称制)は北九州から山口県にかけて城をつくり、防人を配置した。そのひとつが水城である。 水城は太宰府政庁を守るための堤防だが、城壁といったほうがよい。 鉄道と道路で一部分が切断されているが、1300年前のまま今も残っている。 水城は高さ10メートル、幅50メートル、延長1キロと大規模である。 発掘によって、堤防前面には幅60メートル、深さ4メートル以上の壕があったと確認されている。 鎌倉時代の元寇のとき、いまの福岡市に築かれた土塁でさえ、高さはせいぜい1メートルほどだった。 |
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6 969;雑歌,作者:大伴旅人、望郷,奈良,天平3年,飛鳥,恋慕 [題詞]三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首 三年辛未(かのとひつじ)、大納言大伴の卿の、寧樂の家に在りて故郷(ふるさと)を思しぬひてよみたまへる歌二首 須臾 去而見<壮>鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武 しましくも ゆきてみてしか かむなびの ふちはあせにて せにかなるらむ ほんのしばらくの間でも
行けるものなら行って見たいもの 神南備川のあの淵は埋まって いまは瀬になっていないだろうか * 「しましくも」は「しましく」しばし。「も」(係助詞)せめて・・・だけでも。 天平3年(731年)に奈良の佐保にあって、飛鳥の雷丘付近の飛鳥川を思い出している。この川の淵瀬の変化は有名。
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