ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第十八巻

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第十八巻




4032 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,高岡,宴席,挨拶,大伴家持

[題詞]天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒

奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟

奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと 見て帰り来む 

なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみたちくやと みてかへりこむ

・・・・・・・・・・・・
奈呉の海に出たいので
ちょっと船を貸して下さい
沖で波が立ち寄せて来るか
見て来ます
・・・・・・・・・・・・

* 「なご」富山県新湊(しんみなと)市の放生津江(ほうしょうづえ)付近の古名。奈呉の浦。[歌枕]




4033 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,宴席,挨拶,序詞高岡,富山,恋情,大伴家持

[題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒)

奈美多<底>波 奈呉能宇良<未>尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流

波立てば 奈呉の浦廻に 寄る貝の 間なき恋にぞ 年は経にける 

なみたてば なごのうらみに よるかひの まなきこひにぞ としはへにける

・・・・・・・・・・・・
波が立つと
奈呉の海の入江に貝が打ち寄せる
その貝ではないが
貴方を絶え間なく恋しがるうち
年が経ってしまいまいます
・・・・・・・・・・・・




4034 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,高岡,叙景,宴席,挨拶,大伴家持

[題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒)

奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊<泥>牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流

奈呉の海に 潮の早干ば あさりしに 出でむと鶴は 今ぞ鳴くなる 

なごのうみに しほのはやひば あさりしに いでむとたづは いまぞなくなる

・・・・・・・・・・・・
奈呉の海で
潮が早く引いたら
直ぐにも餌を捕ろうと
鶴が今盛んに鳴きあっています
・・・・・・・・・・・・




4035 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,叙景,宴席,挨拶,大伴家持

[題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒)

保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓<勢>武日 許由奈伎和多礼

霍公鳥 いとふ時なし あやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ 

ほととぎす いとふときなし あやめぐさ かづらにせむひ こゆなきわたれ

・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ
おまえの声を厭う時などありはしない
菖蒲草を縵にする日も
必ずやここを鳴いて渡ってくれよ
・・・・・・・・・・・・

* ここで言う五月五日は儀鳳暦。現行暦では6月中旬の菖蒲の時期。
* 「万葉集」の巻十、「アヤメグサの縵(かずら)」

ほととぎす いとふ時なしあやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ (1955)

ホトトギスよ、いつでも嫌だというのではないが、アヤメグサを縵とする五月五日には必ずこの上を鳴き渡ってくれ。
ホトトギスの声を「玉に貫き」通したいという気持ちが秘められているようだ。
ここのアヤメグサは、水辺に群生する白菖である。
節句に軒端に指し菖蒲湯に入れるのがこの白菖である。沼沢の泥中に生えるためか、泥菖の別名がある。
万葉集のアヤメグサの原文は「菖蒲草」である。
アヤメグサはその強い香気のために邪気をはらい、疫病を除くとされた。
それで五月五日の節句にはアヤメの縵を髪飾りにする風習があり、この日を「菖蒲の節句」と呼び、「アヤメの日」と呼んだ。



18 4036;作者:田辺福麻呂

[題詞]于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌

伊可尓安流  布勢能宇良曽毛  許己太久尓  吉民我弥世武等  和礼乎等登牟流

いかにある 布勢の浦ぞも ここだくに 君が見せむと 我れを留むる 
いかにある ふせのうらぞも ここだくに きみがみせむと われをとどむる

[左注]右一首田邊史福麻呂 ( / 前件十首歌者廿四日宴作之 )

天平20年3月24日,氷見,土地讃美,遊覧,宴席

一体どんな処なのでしょうか
布勢の浦というのは
こうまで熱心に
貴方が見せようと
私を引き留めるのは

* そんな見せたがっとる十二町潟ちゃ、どんなとこけ。
どれ程に美しい 布勢の浦なのだろうか これ程に 貴君が見せようと 私を引き留めるのは

* 布勢水海跡(十二朝潟)と二上山
* 美は乱調にあり、生は無頼にあり、; <無環形>
 隊長(体調)、諧調(快調)なれど美(媚)、蘭帳(乱調)なり
 姓(生)は丹下(端倪)、名(奈翁)は武礼(無頼)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


* 田辺史福麻呂 たなべのふひとさきまろ
生没年 未詳
系譜など; 
田辺史は『新撰姓氏録』に2系統見え、右京皇別に「豊城入彦命四世孫、大荒田別命の後」、右京諸蕃に「漢王の後、知惣より出ず」とある。また上毛野朝臣の条に、「文書を解するを以て田邊史と為す」とあり、上毛野氏との深いつながりが推測される。古来文筆を以て仕えた氏族で、氏名は大阪府柏原市田辺の地名に基づくという。大宝律令の撰定者として知られる首名・百枝はおそらく福麻呂の同族であろう。また『東大寺要録』には田辺史広浜が銭一千貫を寄進したと見え、経済力の一端を垣間見せる。(略)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/sakimaro.html



4037 天平20年3月24日,作者:大伴家持,氷見,布施,土地讃美,宴席

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

乎敷乃佐吉 許藝多母等保里 比祢毛須尓 美等母安久倍伎 宇良尓安良奈久尓

乎布の崎 漕ぎた廻り ひねもすに 見とも飽くべき 浦にあらなくに 
[一云 伎美我等波須母]ー[一云 君が問はすも]

をふのさき こぎたもとほり ひねもすに みともあくべき うらにあらなくに[きみがとはすも]

・・・・・・・・・・・
乎布の崎を乎布の崎を漕ぎ廻れば
それはもう 終日眺めても
見飽きるような浦ではないことです
[乎布の崎について貴方はお問いになるのですな]
・・・・・・・・・・・
乎布の崎ちゃあんた
一日中漕ぎまわって見とっても
飽っきやこんちゃぁ




4038 天平20年3月24日,作者:田辺福麻呂,枕詞,氷見,土地讃美,宴席

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

多麻久之氣 伊都之可安氣牟 布勢能宇美能 宇良乎由伎都追 多麻母比利波牟

玉櫛笥 いつしか明けむ 布勢の海の 浦を行きつつ 玉も拾はむ 

[たまくしげ] いつしかあけむ ふせのうみの うらをゆきつつ たまもひりはむ

・・・・・・・・・・・
いつになったら夜が明けるのだろう
待ち遠しい
布勢の海の入り江を漕ぎ巡って
玉藻を拾いたいものだ 
・・・・・・・・・・・
早よう夜が明けんかのう
布勢の海に遊びに行って
玉藻を拾うまいけ

*  味噌汁で食べても美味いから。





4039 天平20年3月24日,作者:田辺福麻呂,土地讃美,氷見,うわさ,宴席

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

於等能未尓 伎吉底目尓見奴 布勢能宇良乎 見受波能保良自 等之波倍奴等母

音のみに 聞きて目に見ぬ 布勢の浦を 見ずは上らじ 年は経ぬとも 

おとのみに ききてめにみぬ ふせのうらを みずはのぼらじ としはへぬとも

・・・・・・・・・・・
話に聞くばかりで
まだ目にしていない
布勢の浦を見ないで
都へ帰れますものか
年が暮れようとも
・・・・・・・・・・・
噂や話ばっかし聞いて
まだ布勢の浦に行って見んといて
都ちゃ帰えれんちゃのう 年がかわってても





4040 天平20年3月24日,作者:田辺福麻呂,土地讃美,枕詞,氷見,宴席

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

布勢能宇良乎 由<吉>底之見弖婆 毛母之綺能 於保美夜比等尓 可多利都藝底牟

布勢の浦を 行きてし見てば ももしきの 大宮人に 語り継ぎてむ 

ふせのうらを ゆきてしみてば [ももしきの] おほみやひとに かたりつぎてむ

・・・・・・・・・・・
布勢の浦を行ってこの目で見たら
都のみやびな大宮人に
たしかに語り伝えましょうぞ
・・・・・・・・・・・
布勢の浦へ行かれたら
都のもんに言うたろう
えらいもんやちゃあって 

* てむ(連語) 補足説明完了の助動詞「つ」の未然形「て」に推量の助動詞「む」の付いたもの
(1)これからの事柄に対する推量を強調して表す。きっと…であろう。
(2)話し手の強い意志や決意を表す。…してしまおう。必ず…しよう。
(3)可能であると推量する意を表す。…することができるだろう。
(4)適当・当然のこととする意を表す。…した方がよい。…てしまうべきである。
(5)相手に対する勧誘や婉曲な要求を表す。…てくれるでしょうね。
「翁の申さむ事は聞き給ひ―むや/竹取」





4041 天平20年3月24日,作者:田辺福麻呂,宴席

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

宇梅能波奈 佐伎知流曽能尓 和礼由可牟 伎美我都可比乎 可多麻知我底良

梅の花 咲き散る園に 吾れ行かむ 君が使を 片待ちがてら 

うめのはな さきちるそのに われゆかむ きみがつかひを かたまちがてら

・・・・・・・・・・・
梅の花が咲きながらまた散る庭園に
私は行こう
あなたの使者を待ちながら
都のよい便りを心待ちに
・・・・・・・・・・・
梅が散る園ちゅうとこにも行ってこまいけ 
いいときに呼んで欲しいっちゃ

* 恋人からの使いを心待ちにする娘の立場で詠んでいる。
* 「がてら(に)」動詞型活用語の連用形に付く。…を兼ねて。…のついでに。…ながら。



4042 天平20年3月24日,作者:田辺福麻呂,宴席

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

敷治奈美能 佐伎由久見礼婆 保等登<藝>須 奈久倍<吉>登伎尓 知可豆伎尓家里

藤波の 咲き行く見れば 霍公鳥 鳴くべき時に 近づきにけり 

ふぢなみの さきゆくみれば ほととぎす なくべきときに ちかづきにけり

・・・・・・・・・・・
藤波の咲き行きを見ると
ほととぎすが来鳴き 
藤の花房が風に舞う 
その時が近づいていることだなあ 
・・・・・・・・・・・
藤の時期やから
ほととぎすも鳴くやろうなあ
そんな時期がま近く思える



4043天 平20年3月24日,作者:大伴家持,宴席,氷見

[題詞](于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌)

安須能比能 敷勢能宇良<未>能 布治奈美尓 氣太之伎奈可<受> 知良之底牟可母 [一頭云 保等登藝須]

明日の日の 布勢の浦廻の 藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも 
[一頭云 霍公鳥]

あすのひの ふせのうらみの ふぢなみに けだしきなかず ちらしてむかも[ほととぎす]

・・・・・・・・・・・
あすの日に 
布勢の浦を巡っても
もしかして
ほととぎすも来て鳴かないまま
藤の花房は散り去ってはいまいか
・・・・・・・・・・・

* 「けだし」蓋し、[副] 物事を推定する意を表す。まさしく。たしかに。思うに。ひょっとすると。もしかすると。




4044 天平20年3月25日,作者:大伴家持,土地讃美,叙景,氷見

[題詞]廿五日徃布勢水海道中馬上口号二首

波萬部余里 和我宇知由可波 宇美邊欲<里> 牟可倍母許奴可 安麻能都里夫祢

浜辺より 吾が打ち行かば 海辺より 迎へも来ぬか 海人の釣舟 

はまへより わがうちゆかば うみへより むかへもこぬか あまのつりぶね

・・・・・・・・・・・
浜伝いに私が騎乗して行くのに
沖の釣り舟の海士達は
迎えに来てもくれぬものか
海原に心地よげに漂う釣り舟よ
・・・・・・・・・・・




4045 天平20年3月25日,作者:大伴家持,恋情,氷見

[題詞](廿五日徃布勢水海道中馬上口号二首)

於伎敝欲里 美知久流之保能 伊也麻之尓 安我毛布支見我 弥不根可母加礼

沖辺より 満ち来る潮の いや増しに 吾が思ふ君が 御船かもかれ 

おきへより みちくるしほの いやましに あがもふきみが みふねかもかれ

・・・・・・・・・・・
沖の方から満ちてくる潮のように
いよいよ増さる恋しさの
その貴方のみ舟とも思えます
あれは
・・・・・・・・・・・




4046 天平20年3月25日,作者:田辺福麻呂,氷見,土地讃美,遊覧

[題詞]至水海遊覧之時各述懐作歌

可牟佐夫流 多流比女能佐吉 許支米具利 見礼登<毛>安可受 伊加尓和礼世牟

神さぶる 垂姫の崎 漕ぎ廻り 見れども飽かず いかに吾れせむ 

かむさぶる たるひめのさき こぎめぐり みれどもあかず いかにわれせむ

・・・・・・・・・・・
神々しく神います垂姫の崎を
漕ぎ巡って行く
この麗しの景色はいくら見ても飽くことはない
いかに詠わんやこの景色を
・・・・・・・・・・・



4047 天平20年3月25日,作者:遊行女婦土師,氷見,土地讃美,遊覧,宴席

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢<牟>

垂姫の 浦を漕ぎつつ 今日の日は 楽しく遊べ 言ひ継ぎにせむ 

たるひめの うらをこぎつつ けふのひは たのしくあそべ いひつぎにせむ

・・・・・・・・・・・・・
垂姫の浦を漕ぎ巡りながら
今日は満ち足りるまで楽しみお過ごし下さい
後々までもの語りぐさにしましょうから
・・・・・・・・・・・・・

* 垂姫の崎は現氷見市大浦。
* 古代は酒を醸すのは女性で、米を噛んで醸したので、ヒタイの脇をコメカミ(米噛み)と、この語が残っている。良家の主婦をトジ(刀自)と言うが、これは酒造の杜氏と同じ語源。
* 万葉の時代、酒席には酒醸のプロの遊行女婦土師(うかれめはにし)が同席したらしく、今のホステスとは少し趣が違うらしい。
* 「遊行女婦」は、官人たちの宴席で歌舞音曲の接待役として周旋し、華やぎを添えた。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん・〔名〕旅に立つ人を送る時の酒宴。餞飲。)での、別離の歌には、多くの秀歌を残している。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなった彼女たち。しかし、相手を選べない売春とは違うものであった。
また、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできない。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもあった。奈良時代になると律令制度で、正式な官人も男性だけとなり、女性の巫女すら重要な役割を任せられなくなり、こうした風潮は、下層の一般庶民にも影響を強めて行った。(千人万首)




4048 天平20年3月25日,作者:大伴家持,序詞,氷見,望郷,奈良,宴席,遊覧

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

多流比女能 宇良乎許具不祢 可治末尓母 奈良野和藝<弊>乎 和須礼C於毛倍也

垂姫の 浦を漕ぐ舟 梶間にも 奈良の吾家を 忘れて思へや 

たるひめの うらをこぐふね かぢまにも ならのわぎへを わすれておもへや

・・・・・・・・・・・・・
垂姫の浦を漕ぎ巡る遊覧の船にいるのに
楫の一瞬の間にあってさえ
心は奈良のわが家を忘れてはいない
・・・・・・・・・・・・・




4049 天平20年3月25日,作者:田辺福麻呂,土地讃美,氷見,富山,遊覧,宴席

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

於呂可尓曽 和礼波於母比之 乎不乃宇良能 安利蘇野米具利 見礼度安可須介利

おろかにぞ 吾れは思ひし 乎布の浦の 荒礒の廻り 見れど飽かずけり 

おろかにぞ われはおもひし をふのうらの ありそのめぐり みれどあかずけり

・・・・・・・・・・・・・
行くまでは疎かに思っていましたが
乎布の浦の荒磯を巡り
あたりの景観を目の当たりにして
いくら見ても見飽きない所と実感いたしました
・・・・・・・・・・・・・




4050 天平20年3月25日,作者:久米広縄,宴席,遊覧,氷見

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

米豆良之伎 吉美我伎麻佐婆 奈家等伊比之 夜麻保<登等>藝須 奈尓加伎奈可奴

めづらしき 君が来まさば 鳴けと言ひし 山霍公鳥 何か来鳴かぬ 

めづらしき きみがきまさば なけといひし やまほととぎす なにかきなかぬ

・・・・・・・・・・・・・
珍しいお方が来られたらきっと鳴くのだぞと
そう言いつけておいたのに
山霍公鳥め なぜか来て鳴かない
・・・・・・・・・・・・・

* 季は儀鳳暦3月25日(現行暦4月末)。ほととぎすが渡って来るには時期はずれ。





4051 天平20年3月25日,作者:大伴家持,氷見,宴席,遊覧

[題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌)

多胡乃佐伎 許能久礼之氣尓 保登等藝須 伎奈伎等余米<婆> 波太古非米夜母

多古の崎 木の暗茂に 霍公鳥 来鳴き響めば はだ恋ひめやも 

たこのさき このくれしげに ほととぎす きなきとよめば はだこひめやも

・・・・・・・・・・・・・
多胡の崎の暗い木立の繁みから
霍公鳥よ
鳴き声を響かせてくれたら
恋しさが何倍にも実感できるのになあ
・・・・・・・・・・・・・




4052 天平20年3月26日,作者:田辺福麻呂,宴席,久米広縄,季節,高岡

[題詞]掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首

保登等藝須 伊麻奈可受之弖 安須古要牟 夜麻尓奈久等母 之流思安良米夜母

霍公鳥 今鳴かずして 明日越えむ 山に鳴くとも 験あらめやも 

ほととぎす いまなかずして あすこえむ やまになくとも しるしあらめやも

・・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ
今この時に鳴かないで
明日私が越えて行く山で鳴いても
何の功徳にもならないものを
・・・・・・・・・・・・・




4053 天平20年3月26日,作者:久米広縄,田辺福麻呂,宴席,高岡

[題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首)

許能久礼尓 奈里奴流母能乎 保等登藝須 奈尓加伎奈可奴 伎美尓安敝流等吉

木の暗に なりぬるものを 霍公鳥 何か来鳴かぬ 君に逢へる時 

このくれに なりぬるものを ほととぎす なにかきなかぬ きみにあへるとき

・・・・・・・・・・・・・
木の下かげが暗くなってきたというのに
霍公鳥はどうして鳴きに来ないのか
貴方とお会いしている今この時に
・・・・・・・・・・・・・




4054 天平20年3月26日,作者:大伴家持,久米広縄,田辺福麻呂,宴席,高岡

[題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首)

保等登藝須 許欲奈枳和多礼 登毛之備乎 都久欲尓奈蘇倍 曽能可氣母見牟

霍公鳥 こよ鳴き渡れ 燈火を 月夜になそへ その影も見む 

ほととぎす こよなきわたれ ともしびを つくよになそへ そのかげもみむ

・・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ
ここを通って鳴き渡ってくれ
月光はなくても
灯し火を月に擬えて
その姿を見ようから
・・・・・・・・・・・・・




4055 天平20年3月25日,作者:大伴家持,福井,敦賀,別離,出発,宴席,久米広縄,田辺福麻呂,高岡

[題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首)

可敝流<未>能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐<可>尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛<波>婆

可敝流廻の 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ 吾れをし思はば 

かへるみの みちゆかむひは いつはたの さかにそでふれ われをしおもはば

・・・・・・・・・・・・・
都に帰るという名の可敝流の道を
あなたが辿って行かれる時には
いつの日かまたという名の
五幡の坂で袖を振って下さい
もし私どものことを思い出して下さったなら
・・・・・・・・・・・・・




4056 作者:橘諸兄,難波,宴席,歓迎,元正天皇,伝誦,行幸

[題詞]太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也] / 左大臣橘宿祢歌一首

保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆

堀江には 玉敷かましを 大君を 御船漕がむと かねて知りせば 

ほりえには たましかましを おほきみを みふねこがむと かねてしりせば

・・・・・・・・・・・・・
堀江に玉石を敷いておきましたのに
吾が大君が
船遊びをなされると
前以て存じ上げておりましたなら
・・・・・・・・・・・・・

* 「堀江」は難波堀江。
* 「堀江」は、人工的に掘り作った水路。
* 「玉」は「たま石」。
* 「〜せば…まし」で「〜だったなら…なのに」。ここは、倒置法で「まし」が先に、「せば」が後になっている。
* 「を」は詠嘆の間投助詞。
* 「む」は、意志の助動詞。




4057 作者:元正天皇,橘諸兄,宴席,難波,伝誦,異伝,推敲

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 御製歌一首[和]

多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖々 都藝弖可欲波牟

玉敷かず 君が悔いて言ふ 堀江には 玉敷き満てて 継ぎて通はむ 
[或云 多麻古伎之伎弖] ー [或云 玉扱き敷きて]ー[たまこきしきて]

たましかず きみがくいていふ ほりえには たましきみてて つぎてかよはむ

・・・・・・・・・・・・・
玉石を敷いておかなかったと
悔やんで言う堀江には
私が玉を敷き詰めて
これからずっと通い続けましょう
・・・・・・・・・・・・・






4058 作者:元正天皇,橘諸兄,宴席,肆宴,寿歌,難波,伝誦,行幸

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 御製歌一首

多知婆奈能 登乎能多知<婆>奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎

橘の とをの橘 八つ代にも 吾れは忘れじ この橘を 

たちばなの とをのたちばな やつよにも あれはわすれじ このたちばなを

・・・・・・・・・・・・・
めでたい橘の中でも
枝もたわわに実ったこの橘
いつの代までも私は忘れはすまい
この橘を
・・・・・・・・・・・・・

* 「八」は、無限の数量を表わす。
* 橘諸兄を讃えた歌。720年藤原不比等死去。



4059 作者:河内女王,大君讃美,橘諸兄,難波,伝誦,肆宴,宴席,元正天皇,行幸

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 河内女王歌一首

多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母

橘の 下照る庭に 殿建てて 酒みづきいます 吾が大君かも 

たちばなの したでるにはに とのたてて さかみづきいます わがおほきみかも

・・・・・・・・・・・・・
橘が木陰に照りはえているこの庭に
御殿を建ててお酒を酌み交わしていらっしゃる 
ご機嫌うるわしい わが大君ですこと
・・・・・・・・・・・・・




4060 作者:粟田女王,元正天皇,橘諸兄,難波,伝誦,肆宴,宴席,行幸

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 粟田女王歌一首

都奇麻知弖 伊敝尓波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣尓見要都追

月待ちて 家には行かむ 吾が插せる 赤ら橘 影に見えつつ 

つきまちて いへにはゆかむ わがさせる あからたちばな かげにみえつつ

・・・・・・・・・・・・・
月がでてから家には帰りましょう
私の髪に挿した赤々と色づいた橘を
月の光に照らし出しながら
・・・・・・・・・・・・・




4061 元正天皇,田辺福麻呂,伝誦,行幸,肆宴,難波,宴席

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) /

保里江欲里 水乎妣吉之都追 美布祢左須 之津乎能登母波 加波能瀬麻宇勢

堀江より 水脈引きしつつ 御船さす しづ男の伴は 川の瀬申せ 

ほりえより みをびきしつつ みふねさす しつをのともは かはのせまうせ

・・・・・・・・・・・・・
堀江を川岸から綱で御船を曳き
操る卑賤の従者どもは
舟の通り道を
浅瀬に気を配りお仕えせよ
・・・・・・・・・・・・・

* 「水脈(みを)」は水の流れる筋。




4062 元正天皇,田辺福麻呂,伝誦,行幸,肆宴,宴席

[題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) /

奈都乃欲波 美知多豆多都之 布祢尓能里 可波乃瀬其等尓 佐乎左指能保礼

夏の夜は 道たづたづし 船に乗り 川の瀬ごとに 棹さし上れ 

なつのよは みちたづたづし ふねにのり かはのせごとに さをさしのぼれ

・・・・・・・・・・・・・
夏の夜は川べりの道は草深くて見えにくい
お前たちも船に乗り
浅瀬ごとに棹をさして
遡って行くがよい
・・・・・・・・・・・・・



4063 作者:大伴家持,追和,元正天皇,橘諸兄,大君讃美,高岡

[題詞]後追和橘歌二首

等許余物能 己能多知婆奈能 伊夜弖里尓 和期大皇波 伊麻毛見流其登

常世物 この橘の いや照りに わご大君は 今も見るごと 

とこよもの このたちばなの いやてりに わごおほきみは いまもみるごと

・・・・・・・・・・・・・
常世の彼方から渡り来たこの橘の
限りなく照り輝くお姿は
吾が大君におわします
・・・・・・・・・・・・・

* 「常世物」の伝説は、垂仁天皇の時田道間守が常世の国から橘を持ち帰ったということから。
* 橘諸兄 敏達天皇の4代の孫・美努王の子、母は橘三千代。
母橘三千代は美努王の死後、藤原不比等と再婚。
天平8年(736年)臣籍に降(くだ)り、母の姓橘をついで諸兄と称した。
738年藤原三兄弟が疱瘡で死に、橘諸兄は政権の中心となった。



4064 作者:大伴家持,追和,元正天皇,橘諸兄,大君讃美,追和,高岡

[題詞](後追和橘歌二首)

大皇波 等吉波尓麻佐牟 多知婆奈能 等能乃多知婆奈 比多底里尓之弖

大君は 常磐にまさむ 橘の 殿の橘 ひた照りにして 

おほきみは ときはにまさむ たちばなの とののたちばな ひたてりにして

・・・・・・・・・・・・・
太上天皇陛下は常磐のように不変におわします
橘家の御殿の橘の木の実も
ひたすらに照り輝き続けています
・・・・・・・・・・・・・

* 元正太上(おおき‐すめらみこと・だいじょう‐てんのう【太上天皇】)天皇はこの年四月二十一日に崩御している。
* 「常磐」は「大きな岩、長い間変わらないこと」。
* 「まさむ」は、「あり」の尊敬語で、サ行四段活用動詞「ます」の未然形「まさ」に、婉曲の助動詞「む」が付いたもの。おわします
* 「ひた照り」は「一面に照り輝くこと」。
* 「にして」は、断定の助動詞「なり」の連用形「に」に、単純接続助詞「して(=て)」。 〜であって。




4065 作者:山上臣(山上憶良・息子),伝誦,望郷,序詞

[題詞]射水郡驛舘之屋柱題著歌一首

安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都<婆>良尓 吾家之於母保由

朝開き 入江漕ぐなる 楫の音の つばらつばらに 吾家し思ほゆ 

あさびらき いりえこぐなる かぢのおとの つばらつばらに わぎへしおもほゆ

・・・・・・・・・・・・・
早朝から船出して
入り江を漕いでいるのだなあ
その櫓の音が聞こえて来るように
しみじみあれこれと
奈良の吾が家が偲ばれることよ
・・・・・・・・・・・・・




4066 天平20年4月1日,作者:大伴家持,久米広縄,宴席,高岡

[題詞]四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首

宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母

卯の花の 咲く月立ちぬ 霍公鳥 来鳴き響めよ 含みたりとも 

うのはなの さくつきたちぬ ほととぎす きなきとよめよ ふふみたりとも

・・・・・・・・・・・・・
卯の花の咲く月になったのだ
霍公鳥よ
来て鳴き声を響かせよ
花はまだ蕾ではあるけれども
・・・・・・・・・・・・・



4067 天平20年4月1日,作者:遊行女婦土師,久米広縄,宴席,高岡

[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)

敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓<伎>可勢牟

二上の 山に隠れる 霍公鳥 今も鳴かぬか 君に聞かせむ 

ふたがみの やまにこもれる ほととぎす いまもなかぬか きみにきかせむ

・・・・・・・・・・・・・
二上山に隠れている霍公鳥よ
さあ今鳴いてほしい
お客人にその声をお聞かせしょう
・・・・・・・・・・・・・



4068 天平20年4月1日,作者:大伴家持,久米広縄,宴席,高岡

[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)

乎里安加之母 許余比波能麻牟 保等登藝須 安氣牟安之多波 奈伎和多良牟曽

居り明かしも 今夜は飲まむ 霍公鳥 明けむ朝は 鳴き渡らむぞ 
[二日應立夏節 故謂之明旦将喧也][二日は立夏の節に応る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ]

をりあかしも こよひはのまむ ほととぎす あけむあしたは なきわたらむぞ

・・・・・・・・・・・・・
今宵はこのまま夜を明かしてまでも飲み続けましょう
あすの朝には霍公鳥も鳴いて渡るでしょうから
・・・・・・・・・・・・・

* 「をりあか・しも」このままの状態で夜を明かして までも
* 「む」は、勧誘。



4069 天平20年4月1日,作者:能登乙美,恋情,宴席,久米広縄,高岡

[題詞](四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首)

安須欲里波 都藝弖伎許要牟 保登等藝須 比登欲能可良尓 古非和多流加母

明日よりは 継ぎて聞こえむ 霍公鳥 一夜のからに 恋ひわたるかも 

あすよりは つぎてきこえむ ほととぎす ひとよのからに こひわたるかも

・・・・・・・・・・・・・
明日からは毎日聞こえるでしょうに
その霍公鳥の声をたった一夜をまえに
今宵はこれほどに恋い続けるとは
・・・・・・・・・・・・・





4070天平20年,作者:大伴家持,清見,宴席,羈旅,出発,餞別,高岡

[題詞]詠庭中牛麦花歌一首

比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟

一本の なでしこ植ゑし その心 誰れに見せむと 思ひ始めけむ 

ひともとの なでしこうゑし そのこころ たれにみせむと おもひそめけむ

・・・・・・・・・・・・
一本のなでしこを植えたのは
誰に見せようと思って植えたのだろうか
・・・・・・・・・・・・

* 天平20年、清見という名の国分寺僧が京に向かう時に、大伴家持が別れを惜しんで詠んだ歌という。




4071天平20年,作者:大伴家持,枕詞,宴席,高岡

[題詞]

之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米

しなざかる 越の君らと かくしこそ 柳かづらき 楽しく遊ばめ 

[しなざかる] こしのきみらと かくしこそ やなぎかづらき たのしくあそばめ

・・・・・・・・・・・・
越の国の皆さん方と
こうして 柳の葉を縵に挿して
心行くまで楽しみましょう
・・・・・・・・・・・・




4072天平20年,作者:大伴家持,叙景,高岡,枕詞,望郷

[題詞]

奴<婆>多麻能 欲和多流都奇乎 伊久欲布等 余美都追伊毛波 和礼麻都良牟曽

ぬばたまの 夜渡る月を 幾夜経と 数みつつ妹は 吾れ待つらむぞ 

[ぬばたまの] よわたるつきを いくよふと よみつついもは われまつらむぞ

・・・・・・・・・・・・
夜空を渡って行く月を眺めながら
幾夜経たかと指折り数えて
妻は私を待っていることだろう
・・・・・・・・・・・・



4073 天平20年3月15日,作者:大伴池主,高岡,大伴家持,贈答,書簡,福井,恋情

[題詞]越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主 / 一 古人云

都奇見礼婆 於奈自久尓奈里 夜麻許曽婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家礼

月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを 隔てたりけれ 

つきみれば おなじくになり やまこそば きみがあたりを へだてたりけれ

・・・・・・・・・・・・
こうして月を月を見ていると
この國中は一つの月が照らす同じ国です
貴方と私を隔てるものは
ただ山だけにすぎませんね
・・・・・・・・・・・・



4074 天平20年3月15日,作者:大伴池主,大伴家持,高岡,贈答,書簡,福井,恋情

[題詞](越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主) / 一 属物發思

櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者

桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 吾れは寂しも 君としあらねば 

さくらばな いまぞさかりと ひとはいへど われはさぶしも きみとしあらねば

・・・・・・・・・・・・
桜は今が盛りと人は言うけれど
私はあなたと一緒ではないから寂しい
親愛なる家持様はいつお帰りでしょうか
・・・・・・・・・・・・




4075 天平20年3月15日,作者:大伴池主,大伴家持,高岡,贈答,書簡,福井,恋,怨

[題詞](越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主) / 一 所心歌

安必意毛波受 安流良牟伎美乎 安夜思苦毛 奈氣伎和多流香 比登能等布麻泥

相思はず あるらむ君を あやしくも 嘆きわたるか 人の問ふまで 

あひおもはず あるらむきみを あやしくも なげきわたるか ひとのとふまで

・・・・・・・・・・・・
私のことなど少しも想ってくださらない
その家持様恋しさに
人が訝り問うほどに
嘆きつづけています
・・・・・・・・・・・・



4076 天平20年3月16日,作者:大伴家持,高岡,贈答,書簡,大伴池主,枕詞,恋

[題詞]越中國守大伴家持報贈歌四首 / 一 答古人云

安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都

あしひきの 山はなくもが 月見れば 同じき里を 心隔てつ 

[あしひきの] やまはなくもが つきみれば おなじきさとを こころへだてつ

・・・・・・・・・・・・
山が無ければよい
月を見れば同じ里だというのに
貴方は山のせいにして
私に心を隔てておられるのです
・・・・・・・・・・・・



4077 天平20年3月16日,作者:大伴家持,高岡,贈答,書簡,大伴池主,恋

[題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 答属目發思兼詠云遷<任>舊宅西北隅櫻樹

和我勢故我 布流伎可吉都能 佐<久>良婆奈 伊麻太敷布賣利 比等目見尓許祢

我が背子が 古き垣内の 桜花 いまだ含めり 一目見に来ね 

わがせこが ふるきかきつの さくらばな いまだふふめり ひとめみにこね

・・・・・・・・・・・・
親愛なる池主君が
昔住んでいらっしゃった
お屋敷の庭の桜花は
まだ蕾のままですよ
どうか一目見においで下さい
・・・・・・・・・・・・




4078 天平20年3月16日,作者:大伴家持,大伴池主,高岡,贈答,書簡,恋

[題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 答所心即以古人之跡代今日之意(古人の残した歌を以て、現在の自分の心境を代弁させる、という意。)

故敷等伊布波 衣毛名豆氣多理 伊布須敝能 多豆伎母奈吉波 安<我>未奈里家利

恋ふといふは えも名付けたり 言ふすべの たづきもなきは 吾が身なりけり 

こふといふは えもなづけたり いふすべの たづきもなきは あがみなりけり

・・・・・・・・・・・・
「恋ふ」とはよくも名付けたものです
思いをどう言い表わせばよいのか
その手立ても無くて
訳も分からす苦しい吾が身です
ただおそばで お話が出来ればいいのに
・・・・・・・・・・・・




4079 天平20年3月16日,作者:大伴家持,贈答,叙景,大伴池主,書簡

[題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 更矚目

美之麻野尓 可須美多奈妣伎 之可須我尓 伎乃敷毛家布毛 由伎波敷里都追

三島野に 霞たなびき しかすがに 昨日も今日も 雪は降りつつ 

みしまのに かすみたなびき しかすがに きのふもけふも ゆきはふりつつ

・・・・・・・・・・・・
南に望む三島野は
霞たなびく春だというに
昨日も今日も
雪が降り続いている
・・・・・・・・・・・・

* 「しかすがに」は、然すがに  副詞「しか」+サ変動詞「す」+接続助詞「がに」からという。  そうはいうものの。そうではあるが。

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