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第十八巻 4032 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,高岡,宴席,挨拶,大伴家持 [題詞]天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒 奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟 なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみたちくやと みてかへりこむ ・・・・・・・・・・・・
奈呉の海に出たいので ちょっと船を貸して下さい 沖で波が立ち寄せて来るか 見て来ます ・・・・・・・・・・・・ * 「なご」富山県新湊(しんみなと)市の放生津江(ほうしょうづえ)付近の古名。奈呉の浦。[歌枕] 4033 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,宴席,挨拶,序詞高岡,富山,恋情,大伴家持 [題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒) 奈美多<底>波 奈呉能宇良<未>尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流 なみたてば なごのうらみに よるかひの まなきこひにぞ としはへにける ・・・・・・・・・・・・
波が立つと 奈呉の海の入江に貝が打ち寄せる その貝ではないが 貴方を絶え間なく恋しがるうち 年が経ってしまいまいます ・・・・・・・・・・・・ 4034 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,高岡,叙景,宴席,挨拶,大伴家持 [題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒) 奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊<泥>牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流 なごのうみに しほのはやひば あさりしに いでむとたづは いまぞなくなる ・・・・・・・・・・・・
奈呉の海で 潮が早く引いたら 直ぐにも餌を捕ろうと 鶴が今盛んに鳴きあっています ・・・・・・・・・・・・ 4035 天平20年3月23日,作者:田辺福麻呂,叙景,宴席,挨拶,大伴家持 [題詞](天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒) 保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓<勢>武日 許由奈伎和多礼 ほととぎす いとふときなし あやめぐさ かづらにせむひ こゆなきわたれ ・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ おまえの声を厭う時などありはしない 菖蒲草を縵にする日も 必ずやここを鳴いて渡ってくれよ ・・・・・・・・・・・・ * ここで言う五月五日は儀鳳暦。現行暦では6月中旬の菖蒲の時期。 * 「万葉集」の巻十、「アヤメグサの縵(かずら)」 ほととぎす いとふ時なしあやめぐさ かづらにせむ日 こゆ鳴き渡れ (1955) ホトトギスよ、いつでも嫌だというのではないが、アヤメグサを縵とする五月五日には必ずこの上を鳴き渡ってくれ。 ホトトギスの声を「玉に貫き」通したいという気持ちが秘められているようだ。 ここのアヤメグサは、水辺に群生する白菖である。 節句に軒端に指し菖蒲湯に入れるのがこの白菖である。沼沢の泥中に生えるためか、泥菖の別名がある。 万葉集のアヤメグサの原文は「菖蒲草」である。 アヤメグサはその強い香気のために邪気をはらい、疫病を除くとされた。 それで五月五日の節句にはアヤメの縵を髪飾りにする風習があり、この日を「菖蒲の節句」と呼び、「アヤメの日」と呼んだ。 18 4036;作者:田辺福麻呂 [題詞]于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌 伊可尓安流 布勢能宇良曽毛 許己太久尓 吉民我弥世武等 和礼乎等登牟流 [左注]右一首田邊史福麻呂 ( / 前件十首歌者廿四日宴作之 ) 天平20年3月24日,氷見,土地讃美,遊覧,宴席 一体どんな処なのでしょうか
布勢の浦というのは こうまで熱心に 貴方が見せようと 私を引き留めるのは * そんな見せたがっとる十二町潟ちゃ、どんなとこけ。 どれ程に美しい 布勢の浦なのだろうか これ程に 貴君が見せようと 私を引き留めるのは * 布勢水海跡(十二朝潟)と二上山 * 美は乱調にあり、生は無頼にあり、; <無環形> 隊長(体調)、諧調(快調)なれど美(媚)、蘭帳(乱調)なり 姓(生)は丹下(端倪)、名(奈翁)は武礼(無頼) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ * 田辺史福麻呂 たなべのふひとさきまろ
生没年 未詳 系譜など; 田辺史は『新撰姓氏録』に2系統見え、右京皇別に「豊城入彦命四世孫、大荒田別命の後」、右京諸蕃に「漢王の後、知惣より出ず」とある。また上毛野朝臣の条に、「文書を解するを以て田邊史と為す」とあり、上毛野氏との深いつながりが推測される。古来文筆を以て仕えた氏族で、氏名は大阪府柏原市田辺の地名に基づくという。大宝律令の撰定者として知られる首名・百枝はおそらく福麻呂の同族であろう。また『東大寺要録』には田辺史広浜が銭一千貫を寄進したと見え、経済力の一端を垣間見せる。(略) http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/sakimaro.html |
万葉集索引第十八巻
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4047 天平20年3月25日,作者:遊行女婦土師,氷見,土地讃美,遊覧,宴席 [題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌) 多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢<牟> たるひめの うらをこぎつつ けふのひは たのしくあそべ いひつぎにせむ ・・・・・・・・・・・・・
垂姫の浦を漕ぎ巡りながら 今日は満ち足りるまで楽しみお過ごし下さい 後々までもの語りぐさにしましょうから ・・・・・・・・・・・・・ * 垂姫の崎は現氷見市大浦。 * 古代は酒を醸すのは女性で、米を噛んで醸したので、ヒタイの脇をコメカミ(米噛み)と、この語が残っている。良家の主婦をトジ(刀自)と言うが、これは酒造の杜氏と同じ語源。 * 万葉の時代、酒席には酒醸のプロの遊行女婦土師(うかれめはにし)が同席したらしく、今のホステスとは少し趣が違うらしい。 * 「遊行女婦」は、官人たちの宴席で歌舞音曲の接待役として周旋し、華やぎを添えた。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん・〔名〕旅に立つ人を送る時の酒宴。餞飲。)での、別離の歌には、多くの秀歌を残している。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなった彼女たち。しかし、相手を選べない売春とは違うものであった。 また、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできない。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもあった。奈良時代になると律令制度で、正式な官人も男性だけとなり、女性の巫女すら重要な役割を任せられなくなり、こうした風潮は、下層の一般庶民にも影響を強めて行った。(千人万首) 4048 天平20年3月25日,作者:大伴家持,序詞,氷見,望郷,奈良,宴席,遊覧 [題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌) 多流比女能 宇良乎許具不祢 可治末尓母 奈良野和藝<弊>乎 和須礼C於毛倍也 たるひめの うらをこぐふね かぢまにも ならのわぎへを わすれておもへや ・・・・・・・・・・・・・
垂姫の浦を漕ぎ巡る遊覧の船にいるのに 楫の一瞬の間にあってさえ 心は奈良のわが家を忘れてはいない ・・・・・・・・・・・・・ 4049 天平20年3月25日,作者:田辺福麻呂,土地讃美,氷見,富山,遊覧,宴席 [題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌) 於呂可尓曽 和礼波於母比之 乎不乃宇良能 安利蘇野米具利 見礼度安可須介利 おろかにぞ われはおもひし をふのうらの ありそのめぐり みれどあかずけり ・・・・・・・・・・・・・
行くまでは疎かに思っていましたが 乎布の浦の荒磯を巡り あたりの景観を目の当たりにして いくら見ても見飽きない所と実感いたしました ・・・・・・・・・・・・・ 4050 天平20年3月25日,作者:久米広縄,宴席,遊覧,氷見 [題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌) 米豆良之伎 吉美我伎麻佐婆 奈家等伊比之 夜麻保<登等>藝須 奈尓加伎奈可奴 めづらしき きみがきまさば なけといひし やまほととぎす なにかきなかぬ ・・・・・・・・・・・・・
珍しいお方が来られたらきっと鳴くのだぞと そう言いつけておいたのに 山霍公鳥め なぜか来て鳴かない ・・・・・・・・・・・・・ * 季は儀鳳暦3月25日(現行暦4月末)。ほととぎすが渡って来るには時期はずれ。 4051 天平20年3月25日,作者:大伴家持,氷見,宴席,遊覧 [題詞](至水海遊覧之時各述懐作歌) 多胡乃佐伎 許能久礼之氣尓 保登等藝須 伎奈伎等余米<婆> 波太古非米夜母 たこのさき このくれしげに ほととぎす きなきとよめば はだこひめやも ・・・・・・・・・・・・・
多胡の崎の暗い木立の繁みから 霍公鳥よ 鳴き声を響かせてくれたら 恋しさが何倍にも実感できるのになあ ・・・・・・・・・・・・・ 4052 天平20年3月26日,作者:田辺福麻呂,宴席,久米広縄,季節,高岡 [題詞]掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首 保登等藝須 伊麻奈可受之弖 安須古要牟 夜麻尓奈久等母 之流思安良米夜母 ほととぎす いまなかずして あすこえむ やまになくとも しるしあらめやも ・・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ 今この時に鳴かないで 明日私が越えて行く山で鳴いても 何の功徳にもならないものを ・・・・・・・・・・・・・ 4053 天平20年3月26日,作者:久米広縄,田辺福麻呂,宴席,高岡 [題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首) 許能久礼尓 奈里奴流母能乎 保等登藝須 奈尓加伎奈可奴 伎美尓安敝流等吉 このくれに なりぬるものを ほととぎす なにかきなかぬ きみにあへるとき ・・・・・・・・・・・・・
木の下かげが暗くなってきたというのに 霍公鳥はどうして鳴きに来ないのか 貴方とお会いしている今この時に ・・・・・・・・・・・・・ 4054 天平20年3月26日,作者:大伴家持,久米広縄,田辺福麻呂,宴席,高岡 [題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首) 保等登藝須 許欲奈枳和多礼 登毛之備乎 都久欲尓奈蘇倍 曽能可氣母見牟 ほととぎす こよなきわたれ ともしびを つくよになそへ そのかげもみむ ・・・・・・・・・・・・・
霍公鳥よ ここを通って鳴き渡ってくれ 月光はなくても 灯し火を月に擬えて その姿を見ようから ・・・・・・・・・・・・・ 4055 天平20年3月25日,作者:大伴家持,福井,敦賀,別離,出発,宴席,久米広縄,田辺福麻呂,高岡 [題詞](掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首) 可敝流<未>能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐<可>尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛<波>婆 かへるみの みちゆかむひは いつはたの さかにそでふれ われをしおもはば ・・・・・・・・・・・・・
都に帰るという名の可敝流の道を あなたが辿って行かれる時には いつの日かまたという名の 五幡の坂で袖を振って下さい もし私どものことを思い出して下さったなら ・・・・・・・・・・・・・ 4056 作者:橘諸兄,難波,宴席,歓迎,元正天皇,伝誦,行幸 [題詞]太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也] / 左大臣橘宿祢歌一首 保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆 ほりえには たましかましを おほきみを みふねこがむと かねてしりせば ・・・・・・・・・・・・・
堀江に玉石を敷いておきましたのに 吾が大君が 船遊びをなされると 前以て存じ上げておりましたなら ・・・・・・・・・・・・・ * 「堀江」は難波堀江。 * 「堀江」は、人工的に掘り作った水路。 * 「玉」は「たま石」。 * 「〜せば…まし」で「〜だったなら…なのに」。ここは、倒置法で「まし」が先に、「せば」が後になっている。 * 「を」は詠嘆の間投助詞。 * 「む」は、意志の助動詞。 4057 作者:元正天皇,橘諸兄,宴席,難波,伝誦,異伝,推敲 [題詞](太上皇御在於難波宮之時歌七首 [清足姫天皇也]) / 御製歌一首[和] 多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖々 都藝弖可欲波牟 たましかず きみがくいていふ ほりえには たましきみてて つぎてかよはむ ・・・・・・・・・・・・・
玉石を敷いておかなかったと 悔やんで言う堀江には 私が玉を敷き詰めて これからずっと通い続けましょう ・・・・・・・・・・・・・ ・
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4070天平20年,作者:大伴家持,清見,宴席,羈旅,出発,餞別,高岡
[題詞]詠庭中牛麦花歌一首比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟 ひともとの なでしこうゑし そのこころ たれにみせむと おもひそめけむ ・・・・・・・・・・・・
一本のなでしこを植えたのは 誰に見せようと思って植えたのだろうか ・・・・・・・・・・・・ * 天平20年、清見という名の国分寺僧が京に向かう時に、大伴家持が別れを惜しんで詠んだ歌という。 4071天平20年,作者:大伴家持,枕詞,宴席,高岡 [題詞] 之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米 [しなざかる] こしのきみらと かくしこそ やなぎかづらき たのしくあそばめ ・・・・・・・・・・・・
越の国の皆さん方と こうして 柳の葉を縵に挿して 心行くまで楽しみましょう ・・・・・・・・・・・・ 4072天平20年,作者:大伴家持,叙景,高岡,枕詞,望郷 [題詞] 奴<婆>多麻能 欲和多流都奇乎 伊久欲布等 余美都追伊毛波 和礼麻都良牟曽 [ぬばたまの] よわたるつきを いくよふと よみつついもは われまつらむぞ ・・・・・・・・・・・・
夜空を渡って行く月を眺めながら 幾夜経たかと指折り数えて 妻は私を待っていることだろう ・・・・・・・・・・・・ 4073 天平20年3月15日,作者:大伴池主,高岡,大伴家持,贈答,書簡,福井,恋情 [題詞]越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主 / 一 古人云 都奇見礼婆 於奈自久尓奈里 夜麻許曽婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家礼 つきみれば おなじくになり やまこそば きみがあたりを へだてたりけれ ・・・・・・・・・・・・
こうして月を月を見ていると この國中は一つの月が照らす同じ国です 貴方と私を隔てるものは ただ山だけにすぎませんね ・・・・・・・・・・・・ 4074 天平20年3月15日,作者:大伴池主,大伴家持,高岡,贈答,書簡,福井,恋情 [題詞](越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主) / 一 属物發思 櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者 さくらばな いまぞさかりと ひとはいへど われはさぶしも きみとしあらねば ・・・・・・・・・・・・
桜は今が盛りと人は言うけれど 私はあなたと一緒ではないから寂しい 親愛なる家持様はいつお帰りでしょうか ・・・・・・・・・・・・ 4075 天平20年3月15日,作者:大伴池主,大伴家持,高岡,贈答,書簡,福井,恋,怨 [題詞](越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首 / 以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生別悲<兮> 夫復何言臨紙悽断奉状不備 / 三月一五日大伴宿祢池主) / 一 所心歌 安必意毛波受 安流良牟伎美乎 安夜思苦毛 奈氣伎和多流香 比登能等布麻泥 あひおもはず あるらむきみを あやしくも なげきわたるか ひとのとふまで ・・・・・・・・・・・・
私のことなど少しも想ってくださらない その家持様恋しさに 人が訝り問うほどに 嘆きつづけています ・・・・・・・・・・・・ 4076 天平20年3月16日,作者:大伴家持,高岡,贈答,書簡,大伴池主,枕詞,恋 [題詞]越中國守大伴家持報贈歌四首 / 一 答古人云 安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都 [あしひきの] やまはなくもが つきみれば おなじきさとを こころへだてつ ・・・・・・・・・・・・
山が無ければよい 月を見れば同じ里だというのに 貴方は山のせいにして 私に心を隔てておられるのです ・・・・・・・・・・・・ 4077 天平20年3月16日,作者:大伴家持,高岡,贈答,書簡,大伴池主,恋 [題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 答属目發思兼詠云遷<任>舊宅西北隅櫻樹 和我勢故我 布流伎可吉都能 佐<久>良婆奈 伊麻太敷布賣利 比等目見尓許祢 わがせこが ふるきかきつの さくらばな いまだふふめり ひとめみにこね ・・・・・・・・・・・・
親愛なる池主君が 昔住んでいらっしゃった お屋敷の庭の桜花は まだ蕾のままですよ どうか一目見においで下さい ・・・・・・・・・・・・ 4078 天平20年3月16日,作者:大伴家持,大伴池主,高岡,贈答,書簡,恋 [題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 答所心即以古人之跡代今日之意(古人の残した歌を以て、現在の自分の心境を代弁させる、という意。) 故敷等伊布波 衣毛名豆氣多理 伊布須敝能 多豆伎母奈吉波 安<我>未奈里家利 こふといふは えもなづけたり いふすべの たづきもなきは あがみなりけり ・・・・・・・・・・・・
「恋ふ」とはよくも名付けたものです 思いをどう言い表わせばよいのか その手立ても無くて 訳も分からす苦しい吾が身です ただおそばで お話が出来ればいいのに ・・・・・・・・・・・・ 4079 天平20年3月16日,作者:大伴家持,贈答,叙景,大伴池主,書簡 [題詞](越中國守大伴家持報贈歌四首)一 更矚目 美之麻野尓 可須美多奈妣伎 之可須我尓 伎乃敷毛家布毛 由伎波敷里都追 みしまのに かすみたなびき しかすがに きのふもけふも ゆきはふりつつ ・・・・・・・・・・・・
南に望む三島野は 霞たなびく春だというに 昨日も今日も 雪が降り続いている ・・・・・・・・・・・・ * 「しかすがに」は、然すがに 副詞「しか」+サ変動詞「す」+接続助詞「がに」からという。 そうはいうものの。そうではあるが。
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