ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

万葉集索引第十八巻

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4080天平20年,作者:坂上郎女,大伴家持,高岡

都祢比等能 故布登伊敷欲利波 安麻里尓弖 和礼波之奴倍久 奈里尓多良受也

常人の 恋ふといふよりは あまりにて 吾れは死ぬべく なりにたらずや 

つねひとの こふといふよりは あまりにて われはしぬべく なりにたらずや

世の普通の人が「恋うる」というのは
ただのあまりもの
私には頂けない
死にそうになるこの思いを
君は知らないでいる
満ち足りないこの恋を

* 「あまり」動詞「あまる」の連用形の名詞化。必要な分を満たした残り。残余。余分。超過分。

* 「人を恋うる歌」<上記の歌とは関係ないが思い出した>
妻をめとらば 才たけて
みめ美わしく 情けある
友を選ばば 書を読みて
六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱

恋の命を たずぬれば
名を惜しむかな 男(おのこ)ゆえ
友の情けを たずぬれば
義のあるところ 火をも踏む

汲めや美酒(うまざけ) 歌姫に
乙女の知らぬ 意気地あり
簿記の筆とる 若者に
まことの男 君を見る


4081 坂上郎女,大伴家持,高岡

[題詞](姑大伴氏坂上郎女来贈越中守大伴宿祢家持歌二首)

可多於毛比遠 宇万尓布都麻尓 於保世母天 故事部尓夜良波 比登加多波牟可母

片思ひを 馬にふつまに 負ほせ持て 越辺に遣らば 人かたはむかも 

かたおもひを うまにふつまに おほせもて こしへにやらば ひとかたはむかも

私の片思いを馬にことごとく背負わせて
そちら越の方へ遣ったならば
どなたか半分でも受取って下さるでしょうか

* 「かたはむ」は上代語で、「欺く」「だます」の動詞「かたふ」+推量の助動詞「む」で(語義不詳)。片棒を担ぐ、一方に心を寄せる、などの解釈もある。「片」を片一方・半分。「はむ」を「食む」と見れば、「半分担う」とも。
* 「ふつまに」〔副〕「ふつに」と同語源の語で、「ま」は接尾語。すっかり。ことごとく。




4082 坂上郎女,大伴家持,高岡

安万射可流 比奈能<夜都>故尓 安米比度之 可久古非須良波 伊家流思留事安里

天離る 鄙の奴に 天人し かく恋すらば 生ける験あり 

あまざかる ひなのやつこに あめひとし かくこひすらば いけるしるしあり

空の彼方の遠く隔たった鄙にいる
卑しい私めに
天上のお人がこれ程まで恋してくださる
私は生きた甲斐のしるしと思い知りました




4083 坂上郎女,大伴家持,高岡

都祢<乃>孤悲 伊麻太夜麻奴尓 美夜古欲<里> 宇麻尓古非許婆 尓奈比安倍牟可母

常の恋 いまだやまぬに 都より 馬に恋来ば 担ひあへむかも 

つねのこひ いまだやまぬに みやこより うまにこひこば になひあへむかも
常々恋しい気持ちでいて
時が経っても収まらないでいるのですよ
恋を馬に山ほど載せられてやって来たら
私に背負いきれるでしょうか




4084 坂上郎女,大伴家持,高岡

安可登吉尓 名能里奈久奈流 保登等藝須 伊夜米豆良之久 於毛保由流香母

暁に 名告り鳴くなる 霍公鳥 いやめづらしく 思ほゆるかも 

あかときに なのりなくなる ほととぎす いやめづらしく おもほゆるかも

暁の空に名を告げて鳴く霍公鳥よ
つねにも増して嬉しく思われることです

* 坂上郎女を霍公鳥に擬え、予期しなかった便りに対する喜びと感謝の念を伝える歌。




4085天平感宝1年5月5日,作者:大伴家持,餞別,高岡,砺波

[題詞]

夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎<等登>米牟

焼太刀を 砺波の関に 明日よりは 守部遣り添へ 君を留めむ 

[やきたちを] となみのせきに あすよりは もりへやりそへ きみをとどめむ

いざ 召し上がれ飲みたまえ
さもなくば
鍛冶した大刀を磨ぐという名の砺波の関に
明日からは番人を増やして
貴方をお引き留めいたしますぞ

* 当時の酒席では、客が前後不覚に倒れ伏すまで飲ますのが作法と伝えられている。




4086 作者:大伴家持

安夫良火<乃> 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母

油火の 光りに見ゆる 吾がかづら さ百合の花の 笑まはしきかも 

あぶらひの ひかりにみゆる わがかづら さゆりのはなの ゑまはしきかも

あぶら火の光りに見える
あなたにもらった花縵(はなかづら)
この縵に編んだ百合の花を見れば
何ともほほえましいことでしょう



4087 作者:大伴家持

等毛之火能 比可里尓見由流 <左>由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎

灯火の 光りに見ゆる さ百合花 ゆりも逢はむと 思ひそめてき 

[ともしびの ひかりにみゆる さゆりばな] ゆりもあはむと おもひそめてき

灯火の光と見れば百合の花
その花の名のように
いつの日かきっとお逢いしたい
そお思い初めてしまった
幾重にも
・・・・・・
そおだ
根っこの百合根を芯まで剥いで
ちょっと茹でて
甘酢に漬けて食べちゃおうかな
それじゃあすぐ無くなるから
畑に植えようか
どこの?って
私のハートの畑にさ
千何百年後でも
見違えるほど綺麗になって咲いてるよ
見えないかなあ
ゆりゆりの
私の百合の妹(いも)よ 

* 「さ」は接頭語。
* 「ゆり」は、「戻って・来て(また逢う)」。「後で」という意。
「百合の花」に掛けている。「百合」は、球根の鱗片が何重にも重っているので「百合」の字があてられたともいう。
* 恋歌の「ゆりも逢はむ」は、「今は逢えなくても将来きっと逢おう」の意。
* 「と」は引用の助詞。
* 「そめ」初め、(接尾マ下二)・・しはじめる。はじめて・・する。
* 「て・き」は、完了の助動詞「つ」の連用形に、過去の助動詞「き」のついたもの。完了の意を強めていう語。・・てしまった。想い初めてしまったことだ。



4088 作者:大伴家持

左由理<婆>奈 由<里>毛安波牟等 於毛倍許曽 伊<末>能麻左可母 宇流波之美須礼

さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ 

さゆりばな ゆりもあはむと おもへこそ いまのまさかも うるはしみすれ

百合の花の名のように
後々もお逢いしようと思うからこそ
今この時も心から親しくするのですよ

* 「今のまさか」、「まさか」は現実・現在の意。さしあたった現在。今この時。ただ今。
* 「うるはし」(形シク)麗し、美し、愛し。「うるはし」は、本来「ととのった美しさ」「気高いまでに立派な美しさ」をいい、人間関係になるときちんとしていて、その間柄が「親密な」の意となり、「おごそか」で「端正」な美を表す語である。「うつくし」の「かわいい」「きれいだ」と趣きが異なる。
* 「み」は、(接尾語)形容詞の語幹に付き、あとの「思ふ」「す」の内容を表す連用修飾語を作る。ものごとに夢中になる。 
* 「すれ」、 何かの実行・実現を望んでいる意を表す。




4089天平感宝1年5月10日,作者:大伴家持,枕詞,高岡

[題詞]獨居幄裏遥聞霍公鳥喧作歌一首[并短歌]

高御座ー高御倉ーたかみくらー大極殿に設けられる天皇の玉座
安麻<乃>日継登ー天の日継とーあまのひつぎとー神代より継承されてきた皇位を象徴
須賣呂伎能ーすめろきのー
可<未>能美許登能ー神の命のーかみのみことのー神たる天皇の 伎己之乎須ー聞こしをすーきこしをすーお治めになる国
久尓能麻保良尓ー国のまほらにーくにのまほらにー国のすばらしい場所に
山乎之毛ー山をしもーやまをしもー山が至るところ
佐波尓於保美等ーさはに多みとーさはにおほみとー多いというので
百鳥能ー百鳥のーももとりのーさまざまな鳥が 
来居弖奈久許恵ー来居て鳴く声ーきゐてなくこゑー来ては鳴く声が響く
春佐礼婆ー春さればーはるさればー春ともなれば
伎吉<乃>ー聞きのーききのーその声
可奈之母ーかなしもーがいっそう胸に沁みる
伊豆礼乎可ーいづれをかーとりわけていづれかと
和枳弖之努波<无>ー別きて偲はむーわきてしのはむーどの鳥を賞美しようか
宇能花乃ー卯の花のーうのはなのー卯の花の
佐久月多弖婆ー咲く月立てばーさくつきたてばー咲く四月になると
米都良之久ーめづらしくー喜ばしくも
鳴保等登藝須ー鳴く霍公鳥ーなくほととぎすー鳴くほととぎす
安夜女具佐ーあやめぐさー菖蒲を
珠奴久麻泥尓ー玉貫くまでにーたまぬくまでにー薬玉に通す五月に至るまで
比流久良之ー昼暮らしーひるくらしー日暮らし
欲和多之伎氣騰ー夜わたし聞けどーよわたしきけどー夜通し聞いても
伎久其等尓ー聞くごとにーきくごとにー聞く度に
許己呂都呉枳弖ー心つごきてーこころつごきてー心が突き動かされて
宇知奈氣伎ーうち嘆きーうちなげきー溜息をついて
安波礼能登里等ーあはれの鳥とーあはれのとりとーしみじみとした情趣や哀愁の鳥であるよと
伊波奴登枳奈思ー言はぬ時なしーいはぬときなしー賛嘆されないことはない




4090 作者:大伴家持

由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟

ゆくへなく ありわたるとも 霍公鳥 鳴きし渡らば かくや偲はむ 

ゆくへなく ありわたるとも ほととぎす なきしわたらば かくやしのはむ

行先も知れずに毎日を暮らしていても
霍公鳥が鳴きながら飛んでいくのを見ると
このように賞美することであるよ




4091 作者:大伴家持

宇能花能 <登聞>尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍

卯の花の ともにし鳴けば 霍公鳥 いやめづらしも 名告り鳴くなへ 

うのはなの ともにしなけば ほととぎす いやめづらしも なのりなくなへ

咲いた卯の花と一緒に鳴くものだから
野山が合唱しているようで
霍公鳥の声にはますます心惹かれるのだ
名告りをあげて鳴く
その声のあたりの素晴らしさよ




4092 作者:大伴家持

保<登等>藝須 伊登祢多家口波 橘<乃> <播>奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流

霍公鳥 いとねたけくは 橘の 花散る時に 来鳴き響むる 

ほととぎす いとねたけくは たちばなの はなぢるときに きなきとよむる

ほととぎすを恨みに思うことは
橘の花が散る時期にやって来て
鳴き声を響かせる
そのことなのだ

* 「ねた」は、形容詞「ねた(妬)し」の語幹から。ねたましいこと。また、恨みに思うこと。根にもつこと。


4093作者:大伴家持,氷見,高岡,叙景

[題詞]行<英>遠浦之日作歌一首

安乎能宇良尓 餘須流之良奈美 伊夜末之尓 多知之伎与世久 安由乎伊多美可聞

阿尾の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せ来 東風をいたみかも 

あをのうらに よするしらなみ いやましに たちしきよせく あゆをいたみかも

阿尾の浦に寄せる荒い白波は
いっそう勢いを増して
立ち重なり寄せて来る
東風が激しいせいであろうか

* 「あゆ」(の風)は、普通海から陸地に向かって吹く風をいう。
「東風」として、海藻などの寄り物を運んで来て、人を悦ばせる「あゆ」、「あえ」。食べ物の和え物の語源。
* 「を〜み」〜が...なので
「いたみ」は形容詞「いたし」の語幹に、理由をあらわす接尾語の「み」を接して副詞となった。
(「いたし」は「はなはだしい」という意味の形容詞)
「を・・み」で風が激しいのでの意。
「を」は強調を表す間投助詞。「…(を)+形容詞の語幹+み」で、「が〜なので」というように原因・理由を表す語法となり、ここでは「東風」が激しいので」という意味になる。


4094

[題詞]賀陸奥國出金詔書歌一首[并短歌]

葦原能ー葦原のーあしはらのー葦原の
美豆保國乎ー瑞穂の国をーみづほのくにをー瑞穂の国を
安麻久太利ー天下りーあまくだりー天から降り
之良志賣之家流ー知らしめしけるーしらしめしけるー治められた
須賣呂伎能ーすめろきのー天皇の
神乃美許等能ー神の命のーかみのみことのーその神の命の
御代可佐祢ー御代重ねーみよかさねー御代を重ね
天乃日<嗣>等ー天の日継とーあまのひつぎとー天つ神の皇位を継いで
之良志久流ー知らし来るーしらしくるー治められてきた
伎美能御代々々ー君の御代御代ーきみのみよみよー天皇の御代ごとに
之伎麻世流ー敷きませるーしきませるー隅々まで支配なされる
四方國尓波ー四方の国にはーよものくににはー四方の国々は
山河乎ー山川をーやまかはをー山川が
比呂美安都美等ー広み厚みとーひろみあつみとー広く豊かなために
多弖麻都流ー奉るーたてまつるー献上する
御調寶波ー御調宝はーみつきたからはー貢物の宝は
可蘇倍衣受ー数へえずーかぞへえずー数えることもできず
都久之毛可祢都ー尽くしもかねつーつくしもかねつー言い尽くすこともできない
之加礼騰母ーしかれどもーしかしそうではあるが 
吾大王<乃>ー我が大君のーわがおほきみのーわれらの大君が
毛呂比登乎ー諸人をーもろひとをー人々を  
伊射奈比多麻比ー誘ひたまひーいざなひたまひーお誘いになり
善事乎ーよきことをーよい政事を 
波自米多麻比弖ー始めたまひてーはじめたまひてーお始めになって
久我祢可毛ー金かもーくがねかもー黄金が
<多>之氣久安良牟登ーたしけくあらむとー果たして足りようかと
  <「たしけ・し」[形ク]たしかであるさま。>
於母保之弖ー思ほしてーおもほしてーお思いになり
之多奈夜麻須尓ー下悩ますにーしたなやますにー心配なさっていたところ
鶏鳴ー鶏が鳴くー[とりがなく]ー
東國<乃>ー東の国のーあづまのくにのー東国の
美知能久乃ー陸奥のーみちのくのー陸奥の
小田在山尓ー小田なる山にーをだなるやまにー(宮城県遠田郡)小田という所の山に
金有等ー黄金ありとーくがねありとー黄金があると
麻宇之多麻敝礼ー申したまへれーまうしたまへれー奏上してきたので
御心乎ー御心をーみこころをーお心を
安吉良米多麻比ー明らめたまひーあきらめたまひー晴れて安んじられ
天地乃ー天地のーあめつちのー天地の
神安比宇豆奈比ー神相うづなひーかみあひうづなひー神々もこぞって良しとされ
皇御祖乃ーすめろきのー 皇祖神の
御霊多須氣弖ー御霊助けてーみたまたすけてー御霊も助け
遠代尓ー遠き代にーとほきよにー遠い御代に
可々里之許登乎ーかかりしことをー同じこのような事を
朕御世尓ー吾が御代にーわがみよにー朕の御代にも
安良波之弖安礼婆ー顕はしてあればーあらはしてあればー顕わしてくだされたので
御食國波ー食す国はーをすくにはー治める国は
左可延牟物能等ー栄えむものとーさかえむものとー栄えるだろうと
可牟奈我良ー神ながらーかむながらー神であるままに 
於毛保之賣之弖ー思ほしめしてーおもほしめしてーお思いになり
毛能乃布能ー[もののふの]ー
八十伴雄乎ー八十伴の緒をーやそとものををー文武百官を
麻都呂倍乃ーまつろへのー従え
牟氣乃麻尓々々ー向けのまにまにーむけのまにまにー意のままになさった
老人毛ー老人もーおいひともー老人も
女童兒毛ー女童もーをみなわらはもー女子供も
之我願ーしが願ふーしがねがふーそれぞれの願う
心太良比尓ー心足らひにーこころだらひにー満足するまでに 
撫賜ー撫でたまひーなでたまひーいつくしみ物をお恵みになり 
治賜婆ー治めたまへばーをさめたまへばーお治めになるので
許己乎之母ーここをしもー何ともいえないほど
安夜尓多敷刀美ーあやに貴みーあやにたふとみー有難く
宇礼之家久ー嬉しけくーうれしけくー嬉しく 
伊余与於母比弖ーいよよ思ひてーいよよおもひてーますます思い
大伴<乃>ー大伴のーおほとものー大伴氏の
遠都神祖乃ー遠つ神祖のーとほつかむおやのー遠い祖先の神
其名乎婆ーその名をばーそのなをばーその名を
大来目主<等>ー大久米主とーおほくめぬしとー大来目主と
於比母知弖ー負ひ持ちてーおひもちてー呼ばれて
都加倍之官ー仕へし官ーつかへしつかさーお仕えしてきた官職であるため
海行者ー海行かばーうみゆかばー海に行くなら
美都久屍ー水漬く屍ーみづくかばねー水に浸かる屍となり
山行者ー山行かばーやまゆかばー山を行くなら
草牟須屍ー草生す屍ーくさむすかばねー草むす屍となって
大皇乃ー大君のーおほきみのー大君の 
敝尓許曽死米ー辺にこそ死なめーへにこそしなめーお側で死のう
可敝里見波ーかへり見はーかへりみはー自分を顧み後ろを振り返ることは
勢自等許等太弖ーせじと言立てーせじとことだてーするまいと誓いを立て
大夫乃ー大夫のーますらをのー立派な男子として
伎欲吉彼名乎ー清きその名をーきよきそのなをー潔いその名を
伊尓之敝欲ーいにしへよー昔から
伊麻乃乎追通尓ー今のをつづにーいまのをつづにー今まで
奈我佐敝流ー流さへるーながさへるー伝えてきた
於夜<乃>子等毛曽ー祖の子どもぞーおやのこどもぞーその祖先の末である
大伴等ー大伴とーおほともとー大伴と
佐伯乃氏者ー佐伯の氏はーさへきのうぢはー(雄略天皇の代に大伴氏から分家)佐伯という氏族は
人祖乃ー人の祖のーひとのおやのー祖先が
立流辞立ー立つる言立てーたつることだてー立てた誓いのままに
人子者ー人の子はーひとのこはー子孫は
祖名不絶ー祖の名絶たずーおやのなたたずー祖先の名を絶やさず
大君尓ー大君にーおほきみにー大君に 
麻都呂布物能等ーまつろふものとーお仕えするものと
伊比都雅流ー言ひ継げるーいひつげるー言い継いできた
許等能都可左曽ー言の官ぞーことのつかさぞー誓いの家なのだ
梓弓ーあづさゆみー梓弓を
手尓等里母知弖ー手に取り持ちてーてにとりもちてー手に持ち
劔大刀ー剣大刀ーつるぎたちー剣太刀を
許之尓等里波伎ー腰に取り佩きーこしにとりはきー腰に佩き
安佐麻毛利ー朝守りーあさまもりー朝の警備
由布能麻毛利<尓>ー夕の守りにーゆふのまもりにー夕の警備にも
大王<乃>ー大君のーおほきみのー大君の
三門乃麻毛利ー御門の守りーみかどのまもりー御門をお守りする
和礼乎於吉<弖>ー吾れをおきてーわれをおきてー我等をおいて
比等波安良自等ー人はあらじとーひとはあらじとー他にないと
伊夜多○ーいや立てーいやたてーさらに誓いを立て
於毛比之麻左流ー思ひし増さるーおもひしまさるーその思いは益々強まる
大皇乃ー大君のーおほきみのー大君の
御言能左吉乃ー御言のさきのーみことのさきのーおことばの有難さの
[一云 乎]ー[一云 を]ー[を]ー
聞者貴美ー聞けば貴みーきけばたふとみーお聞きする貴さよ
[一云 貴久之安礼婆]ー[一云 貴くしあれば]ー[たふとくしあれば]ー


4095

大夫の 心思ほゆ 大君の 御言の幸を [一云 の]  聞けば貴み [一云 貴くしあれば] 

ますらをの こころおもほゆ おほきみの みことのさきを[の] きけばたふとみ[たふとくしあれば]

ますらおとは如何なるものか
その心意気心が思い起こされ
大君のお言葉の
有難さを貴くお聞きする



4096 作者:大伴家持,氏族意識,寿歌,賀歌,高岡

大伴の 遠つ神祖の 奥城は しるく標立て 人の知るべく 

おほともの とほつかむおやの おくつきは しるくしめたて ひとのしるべく

大伴氏の遠い祖先の墓所には
はっきりと墓標を立てよ
世の人々がそれと知るように



4097 作者:大伴家持

須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知<乃>久夜麻尓 金花佐久

天皇の 御代栄えむと 東なる 陸奥山に 黄金花咲く 

すめろきの みよさかえむと あづまなる みちのくやまに くがねはなさく

天皇の御代の栄えるしるしと
東国陸奥の山に
黄金の花が咲いた

東大寺の仏像建立に際して、陸奥国守が黄金九千両を献納した。そのことを称えた家持の長歌の反歌3首。

4097を秀歌にあげた斉藤茂吉評。
「あまり細かく気を配らずに一息にいい、言葉の技法もまた順直だから荘重に響くのであって、賀歌としてすぐれた態をなしている。結句に『かも』とか『けり』とか『やも』とかが無く、ただ『咲く』と止めたのも、この場合甚だ適切である。此等の力作をなすに当り、家持は知らず識らず人麿・赤人等先輩の作を学んでいる」。

* 聖武天皇が廬遮那大仏の造立を発願したのは天平15年(743年)、43才。
天平21年(749年)2月、。宮城県今は黄金迫(こがねばさま)と呼ばれるところで金が採掘され、金色の廬遮那大仏が完成された。
聖武天皇は不比等の孫。草壁皇子の遺児・文武天皇と不比等の娘・宮子の間に生まれた。幼名は首(おびと)。
不比等は政略で<首>を皇太子にはできたが、長屋王が自分の正妻の姉・氷高内親王を元正女帝に擁立したため、悲願を果たせぬまま世を去る。
不比等の長男・武智麻呂は異母妹の光明子を元正女帝亡き後即位した<首>の後宮に送り込み、政権を得た。光明子と共謀し、長屋王を抹殺。<長屋王の変>。




4098天平感宝1年,作者:大伴家持,吉野,奈良,高岡,儲作,宮廷讃美,大君讃美,寿歌

[題詞]為幸行芳野離宮之時儲作歌一首[并短歌]


・・・・・・・・・・
多可美久良ー高御座ーたかみくらー大極殿または紫宸殿の中央に設けられていた天皇の席
安麻<乃>日嗣等ー天の日継とーあまのひつぎとー天の後継として皇位に就き
天下ー天の下ーあめのしたー天下を
志良之賣師家類ー知らしめしけるーしらしめしけるー支配して来られた
須賣呂伎乃ー天皇のー[すめろきの]ー
可未能美許等能ー神の命のーかみのみことのー神たる天皇
可之古久母ー畏くもーかしこくもー畏れ多くも 
波自米多麻比弖ー始めたまひてーはじめたまひてーお始めになり
多不刀久母ー貴くもーたふとくもー尊くも
左太米多麻敝流ー定めたまへるーさだめたまへるーお定めになった
美与之努能ーみ吉野のーみよしののー吉野の
許乃於保美夜尓ーこの大宮にーこのおほみやにーこの大いなる離宮に
安里我欲比ーあり通ひーありがよひー通い続けられ
賣之多麻布良之ー見したまふらしーめしたまふらしー景色をご覧になるらしい
毛能乃敷能ー[もののふの]ー
夜蘇等母能乎毛ー八十伴の男もーやそとものをもー多くの臣下たちも
於能我於弊流ーおのが負へるーおのがおへるーそれぞれが持つ
於能我名負<弖>ーおのが名負ひてーおのがなおひてー氏族の名を担って
大王乃ー大君のーおほきみのー大君の
麻氣能麻<尓>々々ー任けのまにまにーまけのまにまにー仰せのままに
此河能ーこの川のーこのかはのーこの川の
多由流許等奈久ー絶ゆることなくーたゆることなくー流れが絶えないように
此山能ーこの山のーこのやまのーこれら山々が
伊夜都藝都藝尓ーいや継ぎ継ぎにーいやつぎつぎにー幾重にも重なるように
可久之許曽ーかくしこそーこうして
都可倍麻都良米ー仕へまつらめーつかへまつらめーお仕え申し上げよう
伊夜等保奈我尓ーいや遠長にーいやとほながにーうやうやしく遠く永く
・・・・・・・・・・



4099天平感宝1年,作者:大伴家持,吉野,奈良,高岡,儲作,宮廷讃美,大君讃美,寿歌

伊尓之敝乎 於母保須良之母 和期於保伎美 余思努乃美夜乎 安里我欲比賣須

いにしへを 思ほすらしも 吾ご大君 吉野の宮を あり通ひ見す 

いにしへを おもほすらしも わごおほきみ よしののみやを ありがよひめす

・・・・・・・・・・
いにしえの御代をお偲びになるらしい
吾が大君は吉野宮を通い続けてご覧になる
・・・・・・・・・・




4100天平感宝1年,作者:大伴家持,吉野,奈良,高岡,儲作,宮廷讃美,大君讃美,寿歌

物能乃布能 夜蘇氏人毛 与之努河波 多由流許等奈久 都可倍追通見牟

もののふの 八十氏人も 吉野川 絶ゆることなく 仕へつつ見む 

[もののふの] やそうぢひとも [よしのがは] たゆることなく つかへつつみむ

・・・・・・・・・・
数多くの氏の名を持つ官人の者も
吉野川のように絶えることなくお仕えしつつ
この離宮を拝見するであろう
・・・・・・・・・・

* 「八十氏」の「うぢ」から「宇治川」にかかる。
* 「八十氏人」は、多くの氏人・多くの氏族の人。→ 帝にお仕えする多くの官人。 
* 「絶ゆる」は、ヤ行下二段活用動詞「絶ゆ」の連体形。
* 「仕へ」はハ行下二段活用動詞「仕ふ」の連用形。
* 「つつ」は接続助詞。




4101天平感宝1年5月14日,作者:大伴家持,贈答,能登,枕詞,高岡

[題詞]為贈京家願真珠歌一首[并短歌]

[左注](右五月十四日大伴宿祢家持依興作)


・・・・・・・・・・
珠洲乃安麻能ー珠洲の海人のーすすのあまのー珠洲の海人が
於伎都美可未尓ー沖つ御神にーおきつみかみにー石川県輪島市の北方沖に浮かぶ孤島、舳倉島(へくらじま)のこと。島自体を神として敬った。
伊和多利弖ーい渡りてーいわたりてー沖にある神の島に渡り
可都伎等流登伊布ー潜き取るといふーかづきとるといふー潜って採るという
安波妣多麻ー鰒玉ーあはびたまー真珠
伊保知毛我母ー五百箇もがもーいほちもがもー五百個ばかりも欲しいものだ
波之吉餘之ー[はしきよし]ー愛しい
都麻乃美許<登>能ー妻の命のーつまのみことのー妻であるあの人は
許呂毛泥乃ー衣手のーころもでのー衣の袖を
和可礼之等吉欲ー別れし時よーわかれしときよー分かって以来
奴婆玉乃ー[ぬばたまの]ー
夜床加多<左>里ー夜床片さりーよとこかたさりー夜床の片方を空けて寝
安佐祢我美ー朝寝髪ーあさねがみー朝の寝乱れた髪を
可伎母氣頭良受ー掻きも梳らずーかきもけづらずー梳りもせずに
伊泥○許之ー出でて来しーいでてこしー私が旅立ってから
月日余美都追ー月日数みつつーつきひよみつつー月日を数えつつ
奈氣久良牟ー嘆くらむーなげくらむー気持が満たされないで愁嘆しているだろう
心奈具佐<尓>ー心なぐさにーこころなぐさにー慰めにもと
保登等藝須ー霍公鳥ーほととぎすーほととぎすが
伎奈久五月能ー来鳴く五月のーきなくさつきのー来て鳴く五月の
安夜女具佐ーあやめぐさー菖蒲草
波奈多知<婆>奈尓ー花橘にーはなたちばなにー橘の花と
奴吉麻自倍ー貫き交へーぬきまじへー  緒に抜き交えて通し
可頭良尓世餘等ーかづらにせよとー縵にしなさいと
都追美○夜良牟ー包みて遣らむーつつみてやらむー包んで贈りたいから
・・・・・・・・・・




4102天平感宝1年5月14日,作者:大伴家持,贈答,高岡

[題詞](為贈京家願真珠歌一首[并短歌])

白玉乎 都々美○夜良<婆> 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 安倍母奴久我祢

白玉を 包みて遣らば あやめぐさ 花橘に あへも貫くがね 

しらたまを つつみてやらば あやめぐさ はなたちばなに あへもぬくがね

・・・・・・・・・・
真珠を包んで贈ってやったら
菖蒲草や橘の花と一緒に
緒にぬいてよい縵が出来るだろうから
・・・・・・・・・・

* 「がね」
〔理由〕…であるから。…だろうから。
〔目的〕…ために。…ように。
「がね」は文末に置かれるので、「終助詞」という説もあるが、倒置と考えられるので、接続助詞とする説に従う。上代語。


4103天平感宝1年5月14日,作者:大伴家持,贈答,高岡

[題詞](為贈京家願真珠歌一首[并短歌])

於伎都之麻 伊由伎和多里弖 可豆<久>知布 安波妣多麻母我 都々美弖夜良牟

沖つ島 い行き渡りて 潜くちふ 鰒玉もが 包みて遣らむ 

おきつしま いゆきわたりて かづくちふ あはびたまもが つつみてやらむ

・・・・・・・・・・
沖の島に渡って行って
水に潜って採るという真珠が欲しい
妻に包んで贈ってやろう
・・・・・・・・・・




4104天平感宝1年5月14日,作者:大伴家持,贈答,高岡,恋愛

[題詞](為贈京家願真珠歌一首[并短歌])

和伎母故我 許己呂奈具左尓 夜良無多米 於伎都之麻奈流 之良多麻母我毛

吾妹子が 心なぐさに 遣らむため 沖つ島なる 白玉もがも 

わぎもこが こころなぐさに やらむため おきつしまなる しらたまもがも

・・・・・・・・・・
妻の気晴らしの種に贈るために
沖の島にある真珠が欲しい
・・・・・・・・・・




4105天平感宝1年5月14日,作者:大伴家持,贈答,高岡,異伝,推敲,難訓

[題詞](為贈京家願真珠歌一首[并短歌])

思良多麻能 伊保都追度比乎 手尓牟須妣 於許世牟安麻波 牟賀思久母安流香

白玉の 五百つ集ひを 手にむすび おこせむ海人は むがしくもあるか 
[一云 我家牟伎波母]

しらたまの いほつつどひを てにむすび おこせむあまは むがしくもあるか [*******]

・・・・・・・・・・
たくさんの真珠を手ですくい取り
私にくれる海人がいたら
それはたいへん嬉しいことなのだが
その海人は荒れる海で
大変な危険をおかして採取してくれたたのだ
・・・・・・・・・・

* 「むすび」はてで掬い取り。
* 「つどい・つどひ」【集】〔名〕(動詞「つどう(集)」の連用形の名詞化)集まること。集まりかたまること。集まり。
* 「おこ・す」【遣・致】〔他サ下二〕こちらに送ってくる。よこす。
* 「せ」は、使役の助動詞「す」の未然形・連用形。
* 「むが・し」 [形シク]喜ばしい。うれしい。
* 以下<国語篇(その七)>より転載。
『「わがかむきはも」 
「ワ(ン)ガ・カム・キハ・マウ」
WHANGA-KAMU-KIHA-MAU
(whanga=bay,stretch of water;kamu=eat,munch;kiha=pant,gasp;mau=carry,bring)
「(海人が)荒れる(人を噛み砕く)・水域(海)で・(真珠を)採取して・持ってきたのだ」(「ワ(ン)ガ」のWH音がW音に、NG音がG音に変化して「ワガ」と、「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)

「むがしくも」
「ム(ン)ガ・チクム」
MUNGA(=mina,minamina=affected by)-TIKUMU(timid,hasitating)
「(躊躇しながら)恐る恐る・感動する(喜ぶ)」
(「ム(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ムガ」と、「チクム」の語尾のU音がO音に変化して「チクモ」から「シクモ」となった)
の転訛と解します。 』




4106 天平感宝1年5月15日,作者:大伴家持,教喩,律令,高岡,尾張少咋,儒教,木津

[題詞]
教喩史生尾張少咋歌一首并短歌
史生尾張少咋(をはりのをくひ)に教へ喩す歌一首 并せて短歌
少咋が待望の史生(国司の記録係)という官職を得、当時の庶民には羨望の的の職業に就いた。
8世紀は、持統、元明、元正女帝、ついで光明皇后。孝謙・称徳の女帝の時代。
男の重婚は徒刑1年、女の重婚は杖刑百回だけ。
一夫多妻は、上代の伝統ではなかった。
平安時代になって、貴族は多妻、妻問婚になる。

・・・・・・・・・・・
於保奈牟知ー大汝ーおほなむちー大国主命
須久奈比古奈野ー少彦名のーすくなびこなのー少彦名命が
神代欲里ー神代よりーかむよよりー神代より
伊比都藝家良<久>ー言ひ継ぎけらくーいひつぎけらくー言ひ継いできたことは
父母乎ー父母をーちちははをー父母を
見波多布刀久ー見れば貴くーみればたふとくー見ると貴く
妻子見波ー妻子見ればーめこみればー妻子は見ると
可奈之久米具之ーかなしくめぐしー愛しくいじらしい
宇都世美能ーうつせみのーこの世の
余乃許等和利止ー世のことわりとーよのことわりとー道理なのだと
可久佐末尓ーかくさまにーこんな風に 
伊比家流物能乎ー言ひけるものをーいひけるものをー言ってきたものだが
世人能ー世の人のーよのひとのー世の男が
多都流許等太弖ー立つる言立てーたつることだてー立てる誓いの言葉どおりに
知左能花ーちさの花ーちさのはなー萵苣の花が  エゴノキかという
佐家流沙加利尓ー咲ける盛りにーさけるさかりにー咲く盛りに  (夫妻の新婚当時)*「盛り」は、出世して経済的にゆとりのある生活を送ること。
波之吉余之ーはしきよしー 〔連語〕「はしきやし(愛─)」に同じ。
曽能都末能古等ーその妻の子とーそのつまのことー妻とその子と
安沙余比尓ー朝夕にーあさよひにー朝な夕なに
恵美々恵末須毛ー笑みみ笑まずもーゑみみゑまずもー笑みながら
宇知奈氣支ーうち嘆きーうちなげきー時には真顔で嘆息しつつ
可多里家末久波ー語りけまくはーかたりけまくはー語ったことには
等己之部尓ーとこしへにーいつまでも
可久之母安良米也ーかくしもあらめやーこんな別れ別れの貧しい暮らしが続くことなどあるだろうかと、 微笑みあえる時もあろうと云って別れた
天地能ー天地のーあめつちのー天地の神々が 
可未許等余勢天ー神言寄せてーかみことよせてーお力添えして下さって
春花能ー春花のーはるはなのー春の花のような
佐可里裳安良<牟等>ー盛りもあらむとーさかりもあらむとー繁栄もやって来るだろうと
<末>多之家牟ー待たしけむーまたしけむー待っておられた
等吉能沙加利曽ー時の盛りぞーときのさかりぞー今その時ではないか
波<奈礼>居弖ー離れ居てーはなれゐてー遠く離れて
奈介可須移母我ー嘆かす妹がーなげかすいもがー溜息をついておられる奧方が
何時可毛ーいつしかもー副詞「いつしか」に、係助詞「も」のついたもの。いつか早く
都可比能許牟等ー使の来むとーつかひのこむとーその便りの使が来ぬかと
末多須良<无>ー待たすらむーまたすらむー待っておられる
心左夫之苦ー心寂しくーこころさぶしくー心はさぞや寂しかろう
南吹ー南風吹きーみなみふきー南風が吹き
雪消益而ー雪消溢りてーゆきげはふりてー雪解けの水が溢れて
射水河ーいみづかはー射水川を
流水沫能ー流る水沫のーながるみなわのー流れに浮かぶ水泡のような
余留弊奈美ー寄る辺なみーよるへなみー寄るべもなく 
左夫流其兒尓ー左夫流その子にーさぶるそのこにー左夫流なんて娘に
比毛能緒能ー紐の緒のー[ひものをの]ー紐の緒の
移都我利安比弖ーいつがり合ひてーいつがりあひてー縺れるように
尓保騰里能ーにほ鳥のー[にほどりの]ー
布多理雙坐ーふたり並び居ーふたりならびゐー二人くっつきあって
那呉能宇美能ー奈呉の海のーなごのうみのー奈呉の海の
於支乎布可米天ー奥を深めてーおきをふかめてー深みのように
左度波世流ーさどはせるーのめり込んでいる
支美我許己呂能ー君が心のーきみがこころのー君の心は
須敝母須敝奈佐ーすべもすべなさーもうどうしようもなく愚かだ
[言 佐夫流者 遊行女婦之字也]
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
夫の意思での離婚理由を制限する条例。

七出例(ひちしゅつれい)云
/  7条のうち、妻がただ1条にでも触れることがあったなら、ただちに離婚せよ。
一には子無き。二には淫{疾}(正しくはさんずいに「失」)。三には舅姑に事(つか)へず。四には口舌。五には盗竊。六には妬忌。七には悪疾。
但犯一條即合出之 無七出輙<弃>者徒一年半
/ 七出にある事実なしに妻を棄てた者は徒刑1年半」。

三不去云
雖犯七出不合<弃>之 違者杖一百 唯犯奸悪疾得<弃>之
/ この三つの場合、妻が七出を犯しても棄ててはならない。違反する者は杖刑百回。ただし、姦通者と悪疾者は棄てることができる。
一には舅姑の喪持(たす)くるに経たる。二には娶(ま)いし時に賤しくして後に貴き。三には受けし所有りて帰(かへ)す所無き。

兩妻例云
有妻更娶者徒一年 女家杖一百離之
/ 妻があるのに、さらに娶る者は徒刑1年、重婚をした女は杖刑百回に処した上で離別せよ

詔書云
愍賜義夫節婦
/ 義夫・節婦人をいつくしみたまう

謹案 先件數條 建法之基 化道之源也
然則義夫之道 情存無別
一家同財 豈有忘舊愛新之志哉
所以綴作數行之歌令悔<弃>舊之惑 其詞云
/ 謹んで考えるに、上の数条は、立法の基盤であり、教化の根源である。
だから、夫たる者の道は、情があって家族を差別せず、
一家で財産を共有することにある。
こうして一家の一員たる妻を忘れて、新しい女を愛する心などあってよいものであろうか。
このことを思うがゆえに、数行の歌を綴って、旧妻を棄てるという心の迷いを悔い改めさせようするものである。
・・・・・・・・・



4107 天平感宝1年5月15日,作者:大伴家持,教喩,律令,高岡,尾張少咋,儒教,木津

安乎尓与之 奈良尓安流伊毛我 多可々々尓 麻都良牟許己呂 之可尓波安良司可

あをによし 奈良にある妹が 高々に 待つらむ心 しかにはあらじか 

[あをによし] ならにあるいもが たかたかに まつらむこころ しかにはあらじか

・・・・・・・・・・・
麗しの奈良の都にいる妻は
爪先だって今か今かと待っていよう
妻の心の思いは 
そういうものではないのか
・・・・・・・・・・・

* 「高々に」は、[形動ナリ]背伸びをするようにして、今か今かと待ちこがれるさま。
* 「しかにはあらじか」は、そういうものではないのか




4108 天平感宝1年5月15日,作者:大伴家持,教喩,律令,高岡,尾張少咋,儒教,木津

左刀妣等能 見流目波豆可之 左夫流兒尓 佐度波須伎美我 美夜泥之理夫利

里人の 見る目恥づかし 左夫流子に さどはす君が 宮出後姿 

さとびとの みるめはづかし さぶるこに さどはすきみが みやでしりぶり
・・・・・・・・・・・
里人の見る目を思うと私まで恥ずかしくなる
左夫流なんて遊女に心惑わし
そのまま官衙に出向く後ろ姿を見られて
・・・・・・・・・・・




4109 天平感宝1年5月15日,作者:大伴家持,教喩,律令,高岡,尾張少咋,儒教,木津

久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母

紅は うつろふものぞ 橡の なれにし来ぬに なほしかめやも 

くれなゐは うつろふものぞ つるはみの なれにしきぬに なほしかめやも

・・・・・・・・・・・
見た目はいくら美しくとも
紅染めは移ろいやすいものだ
くぬぎで染めた着古しの衣に
優るものがありはしないのだよ
・・・・・・・・・・・

* 「史生」は太政官はじめ八省・弾正台などの下で公文書を写したり、上官の署名をとったりする役。少咋は当時越中国の史生で都に妻と子を残しての赴任だったことが長歌からうかがえる。

* 「橡」は「染め色の名。濃いねずみ色。どんぐりの実のかさを煎じた汁で染めたのでいう。奈良時代は下級の人の衣服。鈍色(にびいろ)とも。
* 「慣れ」は、ラ行下二段活用「慣る」の連用形。
* 「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。
* 「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。 
* 「なほ」は副詞で、やはり・依然として
* 「しかめやも」は、カ行四段活用動詞「しく(及く・若く・如く)」の未然形。
* 「め」は、推量の助動詞「む」の已然形。
* 「やも」は、(上代語)詠嘆の係助詞、反語。







4110 左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ駅馬下れり里もとどろに

[題詞]先妻不待夫君之<喚>使自来時作歌一首
   (「先の妻」とは少咋の正妻のこと。夫君の使いを待ちきれず来た。)

左夫流兒我 伊都伎之等<乃>尓 須受可氣奴 <波>由麻久太礼利 佐刀毛等騰呂尓

左夫流子が 斎きし殿に 鈴懸けぬ 駅馬下れり 里もとどろに 

さぶるこが いつきしとのに すずかけぬ はゆまくだれり さともとどろに

・・・・・・・・・・・
本妻のようにして
遊女左夫流児が神事にも仕えている
お前の屋敷に
鈴も付けない使用の駅馬が
都から駆けつけて来た
鈴も付けていないのに
鈴の音が里中に鳴り響いたぞ
・・・・・・・・・・・

* <都の本妻が何の前触れもなく駅馬に乗り、里中が鳴り響く勢いで
左夫流子が奥様気取りで振舞っているところへ乗り込み大騒ぎ。>
* 「左夫流児が斎きし殿」は、左夫流児が少咋の家で正妻然と振舞うことを云う。家の神事を斎き祭るのは、本来正妻たる家刀自(主婦)だけに許されていた。



4111 天平感宝1年閏5月23日,作者:大伴家持,賀歌,寿歌,橘諸兄,高岡,枕詞

[題詞]橘歌一首[并短歌]

・・・・・・・・・・・
可氣麻久母ーかけまくもー口にするのも
安夜尓加之古思ーあやに畏しーあやにかしこしー畏れ多いことである
皇神祖<乃>ー天皇のーすめろきのー神であらせられる天皇の
可見能大御世尓ー神の大御代にーかみのおほみよにー祖神の崇高な神代に
田道間守ーたぢまもりー(垂仁記の田道間守伝説) 田道間守が
常世尓和多利ー常世に渡りーとこよにわたりー常世に渡り
夜保許毛知ー八桙持ちーやほこもちー橘の実のついた八本の枝を (多くの苗木を持って)
麻為泥許之登吉ー参ゐ出来し時ーまゐでこしときー朝廷に持ち帰り参上した時
時<及>能ー時じくのー[ときじくの]ー非時香果(ときじくのみ)。
香久乃菓子乎ーかくの木の実をーかくのこのみをー 香(かく)の菓(このみ・み)(冬期にもしぼむことなく、採っても長く芳香を保つところから)タチバナの実のこと。
可之古久母ー畏くもーかしこくもー畏れ多くも
能許之多麻敝礼ー残したまへれーのこしたまへれー後世に残されたので
國毛勢尓ー国も狭にーくにもせにー国も狭しと
於非多知左加延ー生ひ立ち栄えーおひたちさかえー盛んに生え育ち栄え
波流左礼婆ー春さればーはるさればー春になれば
孫枝毛伊都追ー孫枝萌いつつーひこえもいつつー枝先にさらに小枝が芽生え
保登等藝須ー霍公鳥ーほととぎすーほととぎすが
奈久五月尓波ー鳴く五月にはーなくさつきにはー来て鳴く五月になれば
波都波奈乎ー初花をーはつはなをー初花が咲く
延太尓多乎理弖ー枝に手折りてーえだにたをりてー枝から手折り
乎登女良尓ー娘子らにーをとめらにー少女に
都刀尓母夜里美ーつとにも遣りみーつとにもやりみー包んで贈ったり
之路多倍能ー白栲のー[しろたへの]ー
蘇泥尓毛古伎礼ー袖にも扱入れーそでにもこきれーしごき取って袖に入れたり
香具<播>之美ーかぐはしみーかぐわしさに
於枳弖可良之美ー置きて枯らしみーおきてからしみーそのまま置いて枯らしてしまったりするのである
安由流實波ーあゆる実はーあゆるみはー熟れて落ちた果実は
多麻尓奴伎都追ー玉に貫きつつーたまにぬきつつー薬玉にぬき通して
手尓麻吉弖ー手に巻きてーてにまきてー手に巻き着けて
見礼騰毛安加受ー見れども飽かずーみれどもあかずー見るがいくら見ても見飽きることがない
秋豆氣婆ー秋づけばーあきづけばー秋めく頃には
之具礼<乃>雨零ーしぐれの雨降りーしぐれのあめふりーしぐれの雨が降り
阿之比奇能ー[あしひきの]ー
夜麻能許奴礼波ー山の木末はーやまのこぬれはー山の梢は久<礼奈為>尓ー紅にーくれなゐにー紅に
仁保比知礼止毛ーにほひ散れどもーにほひちれどもー色づき散ってしまうけれども
多知波奈<乃>ー橘のーたちばなのー橘の
成流其實者ーなれるその実はーなれるそのみはー木に生っているその実は
比太照尓ーひた照りにーひたてりにーひたすら照り輝いて
伊夜見我保之久ーいや見が欲しくーいやみがほしくー無性に目を惹かれ
美由伎布流ーみ雪降るーみゆきふるー雪の降る
冬尓伊多礼婆ー冬に至ればーふゆにいたればー冬に至れば
霜於氣騰母ー霜置けどもーしもおけどもー霜が置いても
其葉毛可礼受ーその葉も枯れずーそのはもかれずーその葉は枯れず
常磐奈須ー常磐なすーときはなすー常岩のように
伊夜佐加波延尓ーいやさかはえにーとこしえに照り栄えている
之可礼許曽ーしかれこそーであるからこそ
神乃御代欲理ー神の御代よりーかみのみよよりー神代の昔から
与呂之奈倍ーよろしなへーいみじくも
此橘乎ーこの橘をーこのたちばなをーこの橘を
等伎自久能ー時じくのー[ときじくの]ー非常香菓
可久能木實等ーかくの木の実とーかくのこのみとー香(かく)の菓(このみ・み)四季いつも芳香のと
名附家良之母ー名付けけらしもーなづけけらしもー名付けたものらしい
・・・・・・・・・・・



4112 天平感宝1年閏5月23日,作者:大伴家持,賀歌,寿歌,橘諸兄,高岡

[題詞](橘歌一首[并短歌])反歌一首

橘波 花尓毛實尓母 美都礼騰母 移夜時自久尓 奈保之見我保之

橘は 花にも実にも 見つれども いや時じくに なほし見が欲し 

たちばなは はなにもみにも みつれども いやときじくに なほしみがほし

・・・・・・・・・・・
橘は花の時も実の時も見ているけれども
時を分たず見れば見るほど
もっと見ていたい気にさせられる
・・・・・・・・・・・

<タ・テ>http://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/24089263.html?type=folderlist
家持が、橘の由来を、長歌でくわしく詠い、橘をたたえて、橘諸兄への讃歌になっている。
その反歌は、
♪橘は 花のも実にも 見つれども いや時じくに なほし見が欲し     (万葉集・巻18・4112)
(橘は 花でも実でも 見ているが ますます年中 なおも見たいものだ)
橘諸兄のような、都のリッチ貴族が、庭に植えていた。
万葉時代は、階層別に庭木の種類が違う。
エリートは、橘や梅。
庶民は、萩・すすき・なでしこ・山吹・つつじ・藤など。
だから、上の歌は、作者未詳だけど、上流階級の女性みたいです。
男が訪れなくなった(失恋)の歌です。
『古今集』に、似た歌がある。
♪さつきまつ 花たちばなの かをかげば 昔の人の 袖のかぞする        (読み人しらず)
花橘の香を袖にしみこませていた、かつての恋人が偲ばれる、という。
は、『古今集』以後、多くなるが、『万葉集』には、あまりない。
風に散る橘の花びらを、そっと、袖で受ける・・・なんて、優雅な失恋でしょう。
こんな、失恋してみたい。
み〜かんの花が、咲〜いている〜。思い出の道〜丘の道〜♪(*^▽゜ *)ゞ^ ヾ☆



4113 天平感宝1年閏5月26日,作者:大伴家持,枕詞,慰撫,高岡

[題詞]庭中花作歌一首[并短歌]

・・・・・・・・・・・
於保支見能ー大君のーおほきみのー天皇陛下の
等保能美可等々ー遠の朝廷とーとほのみかどとー統治される地方政庁として
末支太末不ー任きたまふーまきたまふーご任命なさる
官乃末尓末ー官のまにまーつかさのまにまー官職のままに
美由支布流ーみ雪降るーみゆきふるー雪が降る
古之尓久多利来ー越に下り来ーこしにくだりきー越の国に下って来て
安良多末能ー[あらたまの]ー
等之<乃>五年ー年の五年ーとしのいつとせー五年という年月
之吉多倍乃ー敷栲のー[しきたへの]ー
手枕末可受ー手枕まかずーたまくらまかずー妻の手枕を巻くことも無く
比毛等可須ー紐解かずーひもとかずー結んでくれた紐を解きもせずに
末呂宿乎須礼波ー丸寝をすればーまろねをすればーごろ寝しているので
移夫勢美等ーいぶせみとー心は鬱々とする
情奈具左尓ー心なぐさにーこころなぐさにー気慰めぐさにと
奈泥之故乎ーなでしこをー撫子の種を
屋戸尓末<枳>於保之ー宿に蒔き生ほしーやどにまきおほしー庭に蒔いて育て
夏能<々>ー夏の野のーなつのののー夏の野の
佐由利比伎宇恵天ーさ百合引き植ゑてーさゆりひきうゑてー百合を移し植え
開花乎ー咲く花をーさくはなをー咲く花を
移<弖>見流其等尓ー出で見るごとにーいでみるごとにー見に出るごとに
那泥之古我ーなでしこがー 撫子の花が
曽乃波奈豆末尓ーその花妻にーそのはなづまにー触れ難い妻に
左由理花ーさ百合花ーさゆりばなー(さ)美称。百合という花のように
由利母安波無等ーゆりも逢はむとーゆりもあはむとー後(ゆり)には逢おう
奈具佐無流ー慰むるーなぐさむるー思い心を慰める 
許己呂之奈久波ー心しなくはーこころしなくはー心もなくては
安末射可流ー天離るーあまざかるー都から空遠く離れた
比奈尓一日毛ー鄙に一日もーひなにひとひもー鄙の地で一日でも
安流部久母安礼也ーあるべくもあれやー耐え過ごせるだろうか
・・・・・・・・・・・

* 「花妻」は、本来、結婚以前の或る期間、花婿と花嫁が厳粛な隔離生活をする、その期間中の妻。離れ離れになって触れ得ない今の妻に掛けている。




4114

[題詞](庭中花作歌一首[并短歌])反歌二首

奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

なでしこが 花見るごとに 娘子らが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも 

なでしこが はなみるごとに をとめらが ゑまひのにほひ おもほゆるかも

・・・・・・・・・・・
撫子の花を見るたびに
愛しい少女の微笑む面影が
照り映えて思い出される
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* 「乙女ら」の「ら」は複数でなく、親愛の情を表わす接尾語。
* 当時の「恋」は「孤悲(こひ)」であり、相手がその場にいなくて悲しいという意味で、現代の恋の感覚とは違っている。




4115 天平感宝1年閏5月26日,作者:大伴家持,慰撫,高岡

[題詞]((庭中花作歌一首[并短歌])反歌二首)

佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母

さ百合花 ゆりも逢はむと 下延ふる 心しなくは 今日も経めやもタ 

[さゆりばな] ゆりもあはむと したはふる こころしなくは けふもへめやも

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百合の花ではないが
後(ゆり)には逢えると
ひそかに思う気持ちがなかったら
今日一日たりとも
過ごすことなど出来ようか
・・・・・・・・・・・
* 「した‐は・う」下延ふ [動ハ下二]「した」は心の意。心の中でひそかに思う。

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