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19 4171;作者:大伴家持、高岡,立夏 [題詞]廿四日應立夏四月節也 因此廿三日之暮忽思霍公鳥暁喧聲作歌二首 天平勝宝2年3月23日 常人毛 起都追聞曽 霍公鳥 此暁尓 来喧始音 つねひとも おきつつきくぞ ほととぎす このあかときに きなくはつこゑ 世の人びとも夜明けをまたず聞いている
ほととぎすの今日の未明に来て鳴く初声を 19 4172;作者:大伴家持 [題詞](廿四日應立夏四月節也 因此廿三日之暮忽思霍公鳥暁喧聲作歌二首) 天平勝宝2年3月23日 霍公鳥 来<喧>響者 草等良牟 花橘乎 屋戸尓波不殖而 ほととぎす きなきとよめば くさとらむ はなたちばなを やどにはうゑずて 霍公鳥の鳴き声が響いて来たら
田へ草取りに出かけて 近くでその声を聞こう 庭に橘を植えて霍公鳥の来るのを待つより * 田植えを勧める鳥とも信じられていた。 ・・・・・・・・・・・ 保止々支須・一首、保等登伎須・一首、保等登芸須・二十三首、保登等伎須・一首、保登等芸須・二十四首、富等登芸須・一首、霍公鳥・九十四首、以上合計百四十五首。これで分かるように、全体の三分の二が「霍公鳥」で表されている。「霍」の字義は「あわただしく飛ぶ鳥の形容」、国訓では「つる」、「鶴」の俗字として使われることがある。「霍公鳥(ほととぎす)」は難読の中に入る。杜鵑目ホトトギス科ホトトギス属まで同じの「郭公」とよく似た字体ではあるが、一般には通用しない。「時鳥」「子規」「不如帰」が普通の書き方で、「蜀魂」「杜宇」という変わった表記もされる。和語としては、「あやなしどり」「うづきどり」「くつてどり」「しでのたおさ」「たまむかえどり」等さまざまの呼び名がある。それだけ古来日本人に広く親しまれてきた鳥と言えよう。 俗名が、また次のように数え切れないほどたくさんある。あちやとでた、ほうちょかけたか、ほととこえす、ほっちょんかけたか、おたたかちょ、おっとんたかちょん、やふこうどり、てっぺんかけ、ちょっかいかけたか、さんぞくどり、むしくい、かあぽどり、こっといかけ、おわたし、まっちょん、ちょんちょけさ、ほととけさ、くんちゃんかけた、ほっちょんどり、こっといかけ等。この外にもあるが、省略する。 その鳴き声はどうか。「鶯は玉を転ずるが如く、時鳥は絹を裂くが如し」と古人は言った。抽象的に言えば、苦叫・超俗・非常の気魄を示している。声の模写、聞きなしは又さまざまである。「てっぺんかけたか」「本尊掛けたか」「田を作らばはや作れ、時過ぎぬれば実らず」と聞かれるとも言うが、素直にその名のごとく「ホトトギス」と鳴いているのかもしれない。 さて、万葉人はこの鳥をどうとらえているか、百数十首を見てみると、第一に気づくことは「鳴く声を聞く」ことに焦点が当てられていることである。しかも願望として「いつか来鳴かむ」「来鳴きとよめ」と歌う方が多いようである。鶯と違って鋭い声で鳴くこの夏鳥を内面的に深みのある鳥として詠み、歌の数は鶯の三倍も載せている。本来この鳥は霊魂を運ぶ鳥であり「亡き人思ほゆ」「時過ぎにけり」と懐古的になる。花との取り合わせでは、花橘、卯の花、菖蒲が比較的多い。花と鳥の一体感、共生も注目したいところである。 卯の花の 散らまく惜しみ 霍公鳥 野に出山に入り 来鳴きとよもす (巻十ー一九五七) 吾がやどの 花橘を 霍公鳥 来鳴きとよめて 本に散らしつ (巻八ー一四九三) 前者は花の散るのを「惜しんで」いるとみなすのに対して、後者は「惜しまず」散らすものと見ている。おそらく花にはその意図はないはずのものを、万葉人は花と鳥の間に情を通わせた歌に仕立てている。 更にはまた、人が花鳥を通して己の情を述べる、言わば「寄物陳思」とみなせる歌として 霍公鳥 鳴く峯の上の 卯の花の うき事あれや 君が来まさぬ (巻八ー一五〇一)を考えてみる。この上の句は同音「憂き事」の序詞で、有意の修飾語として下の句にかかっていく。作者のねらいは恋の恨み心であっても、花鳥を取り合わせることによって情緒化され、イメージの広がりをもってくる。鳥の声、花の色は欠かすことのできない歌の主要素になっている。実際万葉人の生活圏の中にあるものだけに、実感を伴って迫ってくるものがある。とりわけ霍公鳥が他の動植物を抜いて最も多く詠まみこまれている点を重視してみたい。これは編者とみられる家持自らこの鳥を詠んだ歌を六十六首も選んだことにほかならない。越前守になって赴任した家持は近くの二上山に鳴くホトトギスに郷愁を感じて多くの歌を作る。 二上の 峯の上の繁に こもりにし その霍公鳥 待てど来鳴かず (巻十九ー四二三九) この歌に象徴されるように家持はこの鳥の含みある初音を待ち望む。これは要するに、郷愁の裏返しにほかならない。郷里を遠く離れて生活する者にとって、それにつながる懐かしいものは、叙情歌になって表れる。 額田王には次のような歌がある。 古に 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし 我が思へるがごと (巻二ー一一二) 「古」と言っても、何年か前の天武天皇在世時代を懐古的に詠んだ歌である。この歌のように時の隔たりを、あるいは前の歌のように所の隔たりを懐かしんで霍公鳥は和歌の中に颯爽と登場する「雅の鳥」である。 |
万葉集索引第十九巻
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19 4173;作者:大伴家持,代作,坂上大嬢、悲嘆,別離,贈答,高岡 [題詞]贈京丹比家歌一首 (天平勝宝2年3月) 妹乎不見 越國敝尓 經年婆 吾情度乃 奈具流日毛無 いもをみず こしのくにへに としふれば あがこころどの なぐるひもなし あなたに逢えないまま
越の国で長い年月過ごしていて わたしの気持ちが 穏やかになごむことはありません * 「京の丹比の家」はおそらく家持の生母と同母妹(いろも)留女之女郎(るめのいらつめ)が住んでいた家で、この「妹(いも)」は留女之女郎を指すと思われている。 * 家持の父、大伴旅人の妻が、多治比(丹比)真人家から出た人ではないかと考えられ、その傍証となっている家持の妹、留女之女郎(るめのいらつめ、生没年不詳、家持の同母妹)に贈られたとされる歌。 彼女は母親が、実家への里帰りに同行していたと考えられている。 <以下家持全集訳注編より転載> 山吹の 花とり持ちて つれもなく 離(か)れにし妹を 偲ひつるかも (19/4184) 右、四月五日に留女之女郎(るめのいらつめ)より送らる 【通釈】山吹の花を手に持って、つれなく離れていった貴女(大嬢を指す)を偲んだことです。 【語釈】 (1)「とり持ちて」は「離れにし」にではなく「偲ひつるかも」に懸かる。(2)「留女之女郎」は、19/4198左注の脚注に家持の妹と明記。この歌からも、大嬢が越中の家持のもとに来ていたことが判明します。 なお「留女」を人名とせず「とどまれるむすめ」と訓む説もあり。 (3)四月五日は留女からの手紙が届いた日付か。おそらく4173「京の丹比家に贈る歌」は家持が大嬢に代わって留女に贈った歌で、折り返し留女から来た返事にこの歌が記されていたのでしょう。 なお家持によるこの歌への返しは4197・4198。 京の人に贈る歌二首 妹に似る 草と見しより 我が標めし 野辺(のへ)の山吹 誰か手折りし (19/4197) 【通釈】山吹の花は、実は、あなたを想い出させてくれる花だと思って私が標しをつけておいたのです。それを、いったい誰が手折ってしまったものやら(あなたが手に取ったというその花こそ、それだったのです)。 【語釈】次の一首と共に、既出の留女之女郎の歌(19/4184)への返し。 家持が大嬢に代わり、「京の人」留女之女郎に宛てて贈ったもの。 大嬢が越中に旅立つ前に占めておいたのを、留女之女郎が手折ってしまった、と戯れに責めているのです。 つれもなく 離れにしものと 人は云へど 逢はぬ日まねみ 思ひそ吾(あ)がする (19/4198) 右は、留女之女郎に贈らむが爲に、家婦に誂(あとら)へらえて作る。女郎は即ち 大伴家持の妹(いろも)なり 【通釈】「つれなく離れて行った」と人は言うけれど、逢えない日が積もり積もって、私の方こそ物思いに暮れています。 【付記】19/4184「京師より贈り来る歌」及びこの「京の人に贈る歌」が留女之女郎との贈答であるということは、4173「京の丹比家に贈る」もまた留女之女郎に対する歌であることを推測させます。
留女之女郎はおそらく生母と共に、母の実家丹比家に身を置いていたのでしょう。 |
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19 4174;作者:大伴家持、追和,太宰府,梅花宴,依興,高岡 [題詞]追和筑紫<大>宰之時春<苑>梅歌一首 追ひて筑紫の大宰の時の春苑梅歌に和へて作る一首 春裏之 樂終者 梅花 手折乎伎都追 遊尓可有 [左注]右一首廿七日依興作之 (天平勝宝2年3月27日興(こと)に依(つ)けて作る) 春の内で楽しみの極みは
梅の枝を手折り花の精霊を招いて 共に遊宴に耽ることであろう 4175;作者:大伴家持、高岡,恋情 [題詞]詠霍公鳥二首 霍公鳥 今来喧曽<无> 菖蒲 可都良久麻泥尓 加流々日安良米也 [毛能波三箇辞闕之] ほととぎす いまきなきそむ あやめぐさ かづらくまでに かるるひあらめや ほととぎすは今来て鳴き始めた
菖蒲の花を縵にする日(五月五日)まで 鳴き声が遠ざかる日などあろうか 4176;作者:大伴家持、恋情,高岡 [題詞](詠霍公鳥二首) 我門従 喧過度 霍公鳥 伊夜奈都可之久 雖聞飽不足 [毛能波○尓乎六箇辞闕之] わがかどゆ なきすぎわたる ほととぎす いやなつかしく きけどあきたらず わが家の門の前を
鳴いて過ぎるほととぎす ますます慕わしく 聞いて聞き飽きることはない 0085 君がゆき 日長くなりぬ 山尋 ね 迎へか行かむ 待ちに か 待たむ 0090 君がゆき 日長くなりぬ 山たづ の 迎へを行かむ 待つに は 待たじ <助詞を使わない改作の跡が見える。
助詞を「書き変えました」というサインだろうか。 知識階級は漢字漢文が主で「助詞」は要らなかったのでは? 一般人は話し言葉オンリーで漢字漢文とは無関係。> |
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19 4177;作者:大伴家持,大伴池主、天平勝宝2年4月3日,贈答,恋情,戯笑,懐旧,高岡 [題詞]四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首[并短歌] 「感舊之意」旧りにしを感(め)づる意(こころ)は、昔のことを愛しく思う心。越中の掾だった池主と親しく交際した年月を指す。 和我勢故等ー吾が背子とーわがせことー親しい貴男と
手携而ー手携はりてーてたづさはりてー連れ立って 暁来者ー明けくればーあけくればー朝が明ければ 出立向ー出で立ち向ひーいでたちむかひー庭に出て立ち 暮去者ー夕さればーゆふさればー日暮れには 授放見都追ー振り放け見つつーふりさけみつつー仰ぎ見ては 念<暢>ー思ひ延べーおもひのべー心を和らげ 見奈疑之山尓ー見なぎし山にーみなぎしやまにー心なごませた二上山は 八峯尓波ー八つ峰にはーやつをにはー峰々に 霞多奈婢伎ー霞たなびきーかすみたなびきー霞がたなびき 谿敝尓波ー谷辺にはーたにへにはー谷間には 海石榴花咲ー椿花咲きーつばきはなさきー椿の花が咲く 宇良悲ーうら悲しーうらがなしー悲しいことに 春之過者ー春し過ぐればーはるしすぐればー春は過ぎ去ったので 霍公鳥ーほととぎすーほととぎすが 伊也之伎喧奴ーいやしき鳴きぬーいやしきなきぬーいっそう頻りに鳴いている 獨耳ー独りのみーひとりのみー独りだけで 聞婆不怜毛ー聞けば寂しもーきけばさぶしもー聞くと寂しいものだ 君与吾ー君と我れとーきみとあれとー貴男と私を 隔而戀流ー隔てて恋ふるーへだててこふるー隔てて恋しくさせる 利波山ー砺波山ーとなみやまー砺波山を 飛超去而ー飛び越え行きてーとびこえゆきてー飛び越えて行って 明立者ー明け立たばーあけたたばー夜が明ければ 松之狭枝尓ー松のさ枝にーまつのさえだにー松の小枝に止まり 暮去者ー夕さらばーゆふさらばー日暮れには 向月而ー月に向ひてーつきにむかひてー月に向かって 菖蒲ーあやめぐさー菖蒲草を 玉貫麻泥尓ー玉貫くまでにーたまぬくまでにー玉にぬく五月になるまで 鳴等余米ー鳴き響めーなきとよめー鳴き響かせて 安寐不令宿ー安寐寝しめずーやすいねしめずー安眠させぬよう 君乎奈夜麻勢ー君を悩ませーきみをなやませー貴男を悩ませよ 19 4178;作者:大伴家持,大伴池主 [題詞](四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首[并短歌]) 吾耳 聞婆不怜毛 霍公鳥 <丹>生之山邊尓 伊去鳴<尓毛> 天平勝宝2年4月3日,恋情,戯笑,贈答,懐旧,高岡 私一人だけで聞くのは寂しい
ほととぎすよ あの方がいる丹生の山辺に行って鳴いてくれ * 「なも」は願望の助詞。(にも→なも) * 「丹生の山」は、越前国府があった福井県武生市の近郊、現在の鬼が岳(丹生岳)のことという。 19 4179;作者:大伴家持,大伴池主、戯笑,贈答,恋情,懐旧,高岡 [題詞](天平勝宝四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首[并短歌]) 霍公鳥 夜喧乎為管 <和>我世兒乎 安宿勿令寐 由米情在 ほととぎすよ
夜どおし鳴いて 愛しいあの方を決して安眠させるな 私の気持ちを察してくれるように |



