|
20 4377;天平勝宝7年2月14日,作者:津守小黒栖,防人歌,栃木,田口大戸,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首津守宿祢小黒栖(をぐるす) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 阿母刀自母 多麻尓母賀母夜 伊多太伎弖 美都良乃奈可尓 阿敝麻可麻久母 あもとじも たまにもがもや いただきて みづらのなかに あへまかまくも 母上が玉であったらなあ
かしらに戴いて 角髪の中に巻きあわせてて行くのに 20 4378;天平勝宝7年2月14日,作者:中臣部足國,防人歌,恋情,望郷,栃木,田口大戸 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首都賀(つが)郡上丁中臣部足國(たりくに) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 都久比夜波 須具波由氣等毛 阿母志々可 多麻乃須我多波 和須例西奈布母 つくひやは すぐはゆけども あもししが たまのすがたは わすれせなふも 月日はいくら過ぎても
母父の姿を忘れることはない * 「ふ」 反復。 20 4379;天平勝宝7年2月14日,作者:大舎人部祢麻呂,防人歌,出発,別離,悲別,羈旅,栃木,田口大戸 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首足利郡上丁大舎人部祢麻呂(ねまろ) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 之良奈美乃 与曽流波麻倍尓 和可例奈波 伊刀毛須倍奈美 夜多妣蘇弖布流 しらなみの よそるはまへに わかれなば いともすべなみ やたびそでふる 白波が繰返し寄せる浜辺で別れた
おれは幾度も幾度も千切れるほど袖を振った 20 4380;天平勝宝7年2月14日,作者:大田部三成,防人歌、難波,大阪,叙景,出発,栃木,難波,叙景,出発,栃木,田口大戸 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首梁田(やなだ)郡上丁大田部(おほたべ)三成 (みなり) ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 奈尓波刀乎 己岐O弖美例婆 可美佐夫流 伊古麻多可祢尓 久毛曽多奈妣久 なにはとを こぎでてみれば かみさぶる いこまたかねに くもぞたなびく 難波津を漕ぎ出て見れば
神々しくも 生駒の高嶺に雲が棚引く 20 4381;天平勝宝7年2月14日,作者:神麻續部嶋麻呂,防人歌,出発,羈旅,栃木,田口大戸 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首河内(かふち)郡上丁神麻續部(かむをみべ)嶋麻呂 ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) <久>尓<具尓>乃 佐岐毛利都度比 布奈能里弖 和可流乎美礼婆 伊刀母須敝奈之 くにぐにの さきもりつどひ ふなのりて わかるをみれば いともすべなし 國々の防人が集い
船に乗り別れて行くのを見るのは なんともやるせないことだなあ 20 4382;天平勝宝7年2月14日,作者:大伴部廣成,防人歌,怨恨,栃木,田口大戸 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首那須郡上丁大伴<部>廣成 ( / 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之) 布多富我美 阿志氣比等奈里 阿多由麻比 和我須流等伎尓 佐伎母里尓佐須 ふたほがみ あしけひとなり あたゆまひ わがするときに さきもりにさす 意地が汚い
悪い人だ 私が急病のときに 防人に出すなんて * 「ふた‐ほがみ」語義未詳。布多(栃木県の地名。国府所在地)にいた国守のことか。一説に、腹黒い人とも、神の名ともいう。「ふた」は「太(ふと)」、「ほがみ」は「小腹」 * 「あた」[副]「あだ」とも。不快・嫌悪の気持ちを表す語に付いて、その程度がはなはだしいという意を表す。あった。 * 「ゆまい」[ゆまひ]病〔名〕「やまい(病)」に当たる上代東国方言。 20 4383;作者:丈部足人,防人歌、出発,恋情,望郷,栃木 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首塩屋(しほのや)郡上丁丈部(はつかべ)足人
/ 二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首 但拙劣歌者不取載之
(二月十四日に下野國の防人部領使正六位上田口朝臣、大戸(おほと)が進れる歌の數は十八首なり、但し拙劣なる歌のみは取り載せず。)都乃久尓乃 宇美能奈伎佐尓 布奈餘曽比 多志O毛等伎尓 阿母我米母我母 つのくにの うみのなぎさに ふなよそひ たしでもときに あもがめもがも 津の國の海の渚に
船を装い出発のとき お母さんと一目逢いたい 20 4384;天平勝宝7年2月16日,作者:他田日奉直得大理,防人歌、漂泊,旅情,千葉,県犬養浄人 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首助丁海上(うなかみ)郡海上國造(くにのみやつこ) 他田(をさだ)日奉(ひまつり)直(あたひ)得大理(とこたり) ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 阿加等伎乃 加波多例等枳尓 之麻加枳乎 己枳尓之布祢乃 他都枳之良須母 あかときの かはたれときに しまかぎを こぎにしふねの たづきしらずも 暁の薄暗闇を
島陰を漕いでいった船よ 便りがなくなってしまって 今どうしているのだろう * 「かわたれ時」→黄昏(たそがれ) 20 4385;天平勝宝7年2月16日,作者:私部石嶋,防人歌,出発,千葉,県犬養浄人 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首葛餝郡私部(きさきべ)石嶋(いをしま) ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 由古作枳尓 奈美奈等恵良比 志流敝尓波 古乎等都麻乎等 於枳弖等母枳奴 ゆこさきに なみなとゑらひ しるへには こをとつまをと おきてともきぬ 行く先々
とゑら・ふ波よ荒れるなかれ 後に子供を妻を 残して来たのだから 自動詞ハ行四段活用 活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ} れ動く。波がうねり立つ。 ◆「とをらふ」の上代の東国方言。 20 4386;天平勝宝7年2月16日,作者:矢作部真長,防人歌、悲別,望郷,恋情,千葉,県犬養浄人 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首結城郡矢作部(やはぎべ)真長(まなが)
( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之)
和加々都乃 以都母等夜奈枳 以都母々々々 於母加古比須々 奈理麻之都○母[わがかづの いつもとやなぎ] いつもいつも おもがこひすす なりましつしも 吾が家の門口に立つ五本柳
いつもいつも 母上は私を偲びつつ 農作業をしておられるでしょう * 「五本柳(いつもとやなぎ)」:代匠記、文選の陶淵明の五柳先生傳。
* 「恋すす」 動詞「す」を繰り返して反復継続をあらわし、「恋しつつ」の意。 * 「業ましつしも」 農作業などの生業をなさりながら(マシは敬語)。 * 上二句は「いつも」を導く序詞。 |
万葉集索引第二十巻
[ リスト | 詳細 ]
|
20 4387;天平勝宝7年2月16日,作者:大田部足人,防人歌,県犬養浄人,千葉,序詞,自嘲,恋,望郷 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首千葉郡大田<部>足人 ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 知波乃奴乃 古乃弖加之波能 保々麻例等 阿夜尓加奈之美 於枳弖他加枳奴 [ちばのぬの このてかしはの ほほまれど] あやにかなしみ おきてたがきぬ [千葉の野の 子供の手のような つぼまった柏の若葉]
不思議なほど愛しい そんなお前を置いて来たとは 20 4388;天平勝宝7年2月16日,作者:占部虫麻呂,防人歌,千葉,県犬養浄人 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首占部虫麻呂 ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 多妣等<弊>等 麻多妣尓奈理奴 以<弊>乃母加 枳世之己呂母尓 阿加都枳尓迦理 たびとへど またびになりぬ いへのもが きせしころもに あかつきにかり 旅とは言うが
ずいぶんな長旅になった 出立に母がくれた着物も 垢まみれになってしまったよ 20 4389;天平勝宝7年2月16日,作者:丈部大麻呂,防人歌、怨恨,千葉,県犬養浄人 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首印波(いには)郡丈部(はつかべ)直大麻呂 ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 志保不尼乃 <弊>古祖志良奈美 尓波志久母 於不世他麻保加 於母波弊奈久尓 しほふねの へこそしらなみ にはしくも おふせたまほか おもはへなくに 海上をゆく舟の
舳先を突然越す白波のように 俄かにせはしなく 命令なさるものよ 思いがけないことだ 20 4390;天平勝宝7年2月16日,作者:刑部志可麻呂,防人歌,恋情,千葉,県犬養浄人 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首ミ島郡刑部(おさかべ)志可麻呂 ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 牟浪他麻乃 久留尓久枳作之 加多米等之 以母加去々里波 阿用久奈米加母 [むらたまの] くるにくぎさし かためとし いもがこころは あよくなめかも くるる戸に釘をさすような用心もしてきた
妻の心も安心して揺れ動かないだろう * 「むらたまの」は上代東国方言、枕詞。射干玉がくるくる回ることから、「くる」にかかる。 * 「くる」は開き戸と敷居に戸締りの桟などを通した装置。 20 4391;天平勝宝7年2月16日,作者:忍海部五百麻呂,防人歌,千葉,県犬養浄人,恋情,神祭り [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首結城郡忍海部(おしぬみべ)五百麻呂 ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 久尓<具尓>乃 夜之呂乃加美尓 奴佐麻都理 阿加古比須奈牟 伊母賀加奈志作 くにぐにの やしろのかみに ぬさまつり あがこひすなむ いもがかなしさ ・・・・・・・・・・
旅行く先々の 土地のの神に幣を奉り祈ります わが戀する愛しい妻に 幸せあれと ・・・・・・・・・・ 20 4392;天平勝宝7年2月16日,作者:大伴部麻与佐,防人歌,千葉,県犬養浄人,恋情,望郷,神祭り [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首埴生郡(はにふ)大伴部麻与佐(まよさ) ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟 あめつしの いづれのかみを いのらばか うつくしははに またこととはむ ・・・・・・・・・・
天地八百万の神に祈れば 美しいお母さんに もう一度会って話ができるだろうか ・・・・・・・・・・ 20 4393;作者:雀部廣嶋,防人歌,千葉,悲別,出発,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首結城郡雀部(さざきべ)廣嶋 ( / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之) 於保伎美能 美許等尓<作>例波 知々波々乎 以波比<弊>等於枳弖 麻為弖枳尓之乎 おほきみの みことにされば ちちははを いはひへとおきて まゐできにしを ・・・・・・・・・・
大君のご命令なので 父母を斎瓶とともに 家に置いて来たのだなあ ・・・・・・・・・・ * 「され‐ば」然れば。 動詞「さ(然)り」の已然形+接続助詞「ば」。[接] 前述の事柄の当然の結果として起こることを表す。そんなわけで。そうであるから。だから。 * 「いはひへ」 神を祭って供える酒を入れる器。 * 「を」 詠嘆・感動。・・・だなあ。 20 4394;天平勝宝7年2月16日,作者:大伴部子羊,防人歌,千葉,悲嘆 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首相馬郡大伴<部>子羊(こひつじ) / 二月十六日下総國防人部領使少目従七位下縣犬養宿祢浄人(きよひと)進歌數廿二首 但拙劣歌者不取載之 於保伎美能 美己等加之古美 由美乃美<他> 佐尼加和多良牟 奈賀氣己乃用乎 おほきみの みことかしこみ ゆみのみた さねかわたらむ ながけこのよを ・・・・・・・・・・
大君の命をかしこみ 弓と共寝で過ごす 長いこの夜を ・・・・・・・・・・ [題詞]獨惜龍田山櫻花歌一首 獨り龍田(たつた)山の櫻花を惜しむ歌一首 [左注](右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之) (右の三首は二月十七日に大伴家持作れり。) 多都多夜麻 見都々古要許之 佐久良波奈 知利加須疑奈牟 和我可敝流刀<尓> たつたやま みつつこえこし さくらばな ちりかすぎなむ わがかへるとに ・・・・・・・・・・
龍田山を越える時は 桜花を眺めながら来たが 私が帰るころには 散り去っているのだろうなあ ・・・・・・・・・・ 20 4396;作者:大伴家持,龍田,奈良,難波,望郷 [題詞]獨見江水浮漂糞怨恨貝玉不依作歌一首 獨り江水に浮び漂へる糞を見て貝玉の依らざるを怨恨みて作る歌一首 [左注](右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之) (右の三首は二月十七日に大伴家持作れり。) 保理江欲利 安佐之保美知尓 与流許都美 可比尓安里世波 都刀尓勢麻之乎 ほりえより あさしほみちに よるこつみ かひにありせば つとにせましを ・・・・・・・・・・
堀江に朝潮が満ちて 打ち寄せられる木屑 これが美しい貝なら土産になるのに ・・・・・・・・・・ * 堀江は大阪湾に通じる天満川(大川とも)付近とされている。 755年、難波に単身赴任し、東国の防人達を迎える業務などに就いていて、ふと家に残した妻を懐かしく思う。 20 4397;作者:大伴家持,独詠,望郷,難波 [題詞]在舘門見江南美女作歌一首 館門に在りて江南の美女を見て作る歌一首 [左注]右三首二月十七日兵部少輔大伴家持作之 (右の三首は二月十七日に大伴家持作れり。) 見和多世波 牟加都乎能倍乃 波奈尓保比 弖里○多弖流<波> 波之伎多我都麻 みわたせば むかつをのへの はなにほひ てりてたてるは はしきたがつま ・・・・・・・・・・
郷を偲び望んで見渡せば 向かいの峰々は花模様である 辺りを照らして立っている愛しいひと あれは誰の妻か ・・・・・・・・・・ |
|
20 4398;天平勝宝7年2月19日,作者:大伴家持,防人歌,同情,難波,枕詞,難波 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)為防人情陳思作歌一首[并短歌] 防人の情(こころ)と爲りて思いを陳べて作る歌一首 [左注](右十九日兵部少輔大伴宿祢家持作之) ・・・・・・・・・・・
↓[原文]ー[訓読]ー[仮名]ー 大王乃 ー大君のーおほきみのー大君の 美己等可之古美ー命畏みーみことかしこみー御言葉を受け賜り 都麻和可礼ー妻別れーつまわかれー妻との別れは 可奈之久波安礼特ー悲しくはあれどーかなしくはあれどー悲しくとも 大夫ー大夫のーますらをのー健児の 情布里於許之ー心振り起しーこころふりおこしー心を奮い起こし 等里与曽比ー取り装ひーとりよそひー身なりをとり装い 門出乎須礼婆ー門出をすればーかどでをすればー門出する 多良知祢乃ー[たらちねの] 波々可伎奈Oー母掻き撫でーははかきなでー母は頭を撫で 若草乃ー若草のー[わかくさの]ー 都麻波等里都吉ー妻は取り付きーつまはとりつきー妻は取り付き 平久ー平らけくー[たひらけく] どうかご無事で 和礼波伊波々牟ー我れは斎はむーわれはいははむーわたしは謹み祈っています 好去而ーま幸くてーまさきくてー幸に 早還来等ー早帰り来とーはやかへりことー早くお帰りなさいと 麻蘇O毛知ー真袖もちーまそでもちー袖をとって 奈美太乎能其比ー涙を拭ひーなみだをのごひー涙を拭い 牟世比都々ーむせひつつー咽びながら 言語須礼婆ー言問ひすればーことどひすればーものを言う 語る 群鳥乃ー群鳥のー[むらとりの] 伊O多知加弖尓ー出で立ちかてにーいでたちかてにー出発しきれずに 等騰己保里ーとどこほりー立ち止まり 可<弊>里美之都々ーかへり見しつつーかへりみしつつー振返りながら 伊也等保尓ーいや遠にーいやとほにーいよいよ遠く 國乎伎波奈例ー国を来離れーくにをきはなれー故郷を離れ 伊夜多可尓ーいや高にーいやたかにーいよいよ高く 山乎故要須疑ー山を越え過ぎーやまをこえすぎー山を越え過ぎて 安之我知流ー葦が散るー[あしがちる]ー 難波尓伎為弖ー難波に来居てーなにはにきゐてー難波津に来た 由布之保尓ー夕潮にーゆふしほにー夕潮に 船乎宇氣須恵ー船を浮けすゑーふねをうけすゑー舟を浮かべ据え 安佐奈藝尓ー朝なぎにーあさなぎにー朝凪に 倍牟氣許我牟等ー舳向け漕がむとーへむけこがむとー(筑紫に)舳先を向け漕ぎ出そうと 佐毛良布等ーさもらふとー待つ 和我乎流等伎尓ー吾が居る時にーわがをるときに 春霞ーはるかすみー霞が 之麻<未>尓多知弖ー島廻に立ちてーしまみにたちてー島の入江にかかり 多頭我祢乃ー鶴が音のーたづがねのー鶴は 悲鳴婆ー悲しく鳴けばーかなしくなけばーもの悲しく鳴く 波呂<婆>呂尓ーはろはろにーはるばる はるか 遠くはるかな 伊弊乎於毛比Oー家を思ひ出ーいへをおもひでー吾が家を思い出し 於比曽箭乃ー負ひ征矢のー[おひそやの] 背負う征矢(そや) が 曽与等奈流麻Oーそよと鳴るまでー音を立てるほど 奈氣吉都流香母ー嘆きつるかもーなげきつるかもーもだえ嘆いてしまう ・・・・・・・・・・・ 20 4399;天平勝宝7年2月19日,作者:大伴家持,防人歌,同情,望郷,難波 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(為防人情陳思作歌一首[并短歌]) 宇奈波良尓 霞多奈妣伎 多頭我祢乃 可奈之伎与比波 久尓<弊>之於毛保由 うなはらに かすみたなびき たづがねの かなしきよひは くにへしおもほゆ 海原に霞がたなびき
鶴の声の哀しい宵は ふるさとの事が思われる 20 4400;天平勝宝7年2月19日,作者:大伴家持,防人歌,望郷,同情,難波 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(為防人情陳思作歌一首[并短歌]) 伊<弊>於毛負等 伊乎祢受乎礼婆 多頭我奈久 安之<弊>毛美要受 波流乃可須美尓 いへおもふと いをねずをれば たづがなく あしへもみえず はるのかすみに 家を思い眠れないでいると
哀しい鶴の声で夜明けをしる 春霞が流れてまだ葦辺は見えない 20 4401;作者:他田舎人大嶋,防人歌,天平勝宝7年2月22日,悲別,悲嘆,長野 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首國造(くにのみやつこ)小縣(ちいさがた)郡他田(をさだ)舎人大嶋 ( / 二月廿二日信濃國防人部領使上道得病不来 進歌<數>十二首 但拙劣歌者不取載之) 可良己呂<武> 須<宗>尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曽伎<怒>也 意母奈之尓志弖 からころむ すそにとりつき なくこらを おきてぞきのや おもなしにして 韓衣の裾に取り付き
泣く子らを置いて来た 母親もいないのに 20 4402;天平勝宝7年2月22日,作者:神人部子忍男,防人歌,手向け,長野,悲別 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首主帳埴科郡神人部(かむとべ)子忍男(こおしを) ( / 二月廿二日信濃國防人部領使上道得病不来 進歌<數>十二首 但拙劣歌者不取載之) 知波夜布留 賀美乃美佐賀尓 奴佐麻都<里> 伊波<布>伊能知波 意毛知々我多米 [ちはやふる] かみのみさかに ぬさまつり いはふいのちは おもちちがため 神います峠の路に
幣を奉り斎ふいのちは 母と父のため 20 4403;天平勝宝7年2月22日,作者:小長谷部笠麻呂,防人歌,長野,羈旅 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首小長谷部(をはつせべ)笠麻呂 / 二月廿二日信濃國防人部領使上道得病不来 進歌<數>十二首 但拙劣歌者不取載之 意保枳美能 美己等可之古美 阿乎久<牟>乃 <等能>妣久夜麻乎 古与弖伎怒加牟 おほきみの みことかしこみ あをくむの とのびくやまを こよてきぬかむ 大君の詔を畏み承って
青雲の棚引く山々を越えて来たのだなあ 20 4404;天平勝宝7年2月23日,作者:上毛野牛甘,防人歌,難波,望郷,悲別,群馬,上毛野駿河 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首助丁上毛野(かみつけの)牛甘(うしかひ) ( / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之) 奈尓波治乎 由伎弖久麻弖等 和藝毛古賀 都氣之非毛我乎 多延尓氣流可母 なにはぢを ゆきてくまでと わぎもこが つけしひもがを たえにけるかも 難波路を行って帰るまでと
愛しい人の付けてくれた紐の緒も 長い年月で切れてしまった 紐が切れても忘れはしないが 20 4405;天平勝宝7年2月23日,作者:朝倉益人,防人歌,上毛野駿河,群馬,悲別,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首朝倉益人(ますひと) ( / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之) 和我伊母古我 志濃比尓西餘等 都氣志<非>毛 伊刀尓奈流等母 和波等可自等余 わがいもこが しぬひにせよと つけしひも いとになるとも わはとかじとよ 愛しい妻がわたしを偲ぶためにと付けた紐
<旅人>http://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/24998777.html?type=folderlistたとえ糸になっても私には解けない 上野国の防人、朝倉益人も、 ♪吾が妹子(いもこ)が 偲ひにせよと 付けし紐 糸になるとも 吾は解かじとよ(巻20・4405) 家を出る時、妻が私の思い出にしてと、思いを込めて結んでくれた紐は、たとえ、ぼろぼろになって、糸になってしまっても、私は解くようなことはしないと、思っているよ、と誓っている。<転載終了> 20 4406;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴部節麻呂,防人歌,上毛野駿河,群馬,枕詞,望郷,悲別 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首大伴部節麻呂 ( / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之) 和我伊波呂尓 由加毛比等母我 久佐麻久良 多妣波久流之等 都氣夜良麻久母 わがいはろに ゆかもひともが くさまくら たびはくるしと つげやらまくも わが家の方へ行く人があればなぁ
草枕の旅は苦しいと妻に伝えてもらいたいよ 4407;天平勝宝7年2月23日,作者:他田部子磐前,防人歌,悲別,望郷,枕詞,上毛野駿河 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首他田部(をさだべ)子磐前(こいはさき) / 二月廿三日上野國防人部領使大目正六位下上毛野君(かみつけの)駿河進歌數十二首 但拙劣歌者不取載之 比奈久母理 宇須比乃佐可乎 古延志太尓 伊毛賀古比之久 和須良延奴加母 [ひなくもり] うすひのさかを こえしだに いもがこひしく わすらえぬかも 薄日さす
碓氷の坂を越えるときも 想うは恋妻のおもかげ |
|
20 4408;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴家持,防人歌,悲別,同情,望郷 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)陳防人悲別之情歌一首[并短歌] [左注](二月廿三日兵部少輔大伴宿祢家持 ) 大王乃ー大君のー
麻氣乃麻尓々々ー任けのまにまにー御任命により 嶋守尓ー島守にー防人となり 和我多知久礼婆ー吾が立ち来ればー私は旅立って来た 波々蘇婆能ー[ははそ葉の] 波々能美許等波ー母の命はー母上は 美母乃須蘇ーみ裳の裾ー衣の裾を 都美安氣可伎奈Oー摘み上げ掻き撫でーつまみ優しく撫で 知々能未乃ー[ちちの実の] 知々能美許等波ー父の命はー父上は 多久頭<努>能ー[栲づのの] 之良比氣乃宇倍由ー白髭の上ゆー白い鬚の上に 奈美太多利ー涙垂りー涙をこぼし 奈氣伎乃多婆久ー嘆きのたばくー嘆きおっしゃった 可胡自母乃ー[鹿子じもの] 多太比等里之○ーただ独りしてーただ独り 安佐刀O乃ー朝戸出のー朝の戸を開け行ってしまう 可奈之伎吾子ー愛しき吾が子ー愛しい吾が子よ 安良多麻乃ー[あらたまの] 等之能乎奈我久ー年の緒長くー長い年月を 安比美受波ー相見ずはー相見ねば 古非之久安流倍之ー恋しくあるべしーさぞ恋しいことだろう 今日太<尓>母ー今日だにもーせめて今日だけでも 許等騰比勢武等ー言問ひせむとー話していたいと 乎之美都々ー惜しみつつー時を惜しみ 可奈之備麻勢婆ー悲しびませばー悲しまれた 若草之ー[若草の] 都麻母古騰母毛ー妻も子どももー妻も子供たちも 乎知己知尓ーをちこちにー遠く近く あちこちに 左波尓可久美為ーさはに囲み居ー皆私を囲み 春鳥乃ー[春鳥の] 己恵乃佐麻欲比ー声のさまよひー声は哀しくさまよう 之路多倍乃ー[白栲の] 蘇O奈伎奴良之ー袖泣き濡らしー袖は泣き濡れ 多豆佐波里ーたづさはりー手を取り合い 和可礼加弖尓等ー別れかてにとー離れ難いときを 比伎等騰米ー引き留めー引き止めようとする 之多比之毛能乎ー慕ひしものをー慕い続ける中を 天皇乃ー大君の 美許等可之古美ー命畏みー命を畏れ 多麻保己乃ー[玉桙の] 美知尓出立ー道に出で立ちー道に出で立ち 乎可<乃>佐伎ー岡の崎ー丘の岬を 伊多牟流其等尓ーい廻むるごとにー廻る度に 与呂頭多妣ー万たび 可弊里見之都追ーかへり見しつつー振返り振返り見つつ 波呂々々尓ーはろはろにーはるかに 和可礼之久礼婆ー別れし来ればー別れて来た 於毛布蘇良ー思ふそらー思い出す度 夜須久母安良受ー安くもあらずー心苦しく 古布流蘇良ー恋ふるそらー恋ふることは 久流之伎毛乃乎ー苦しきものをー苦しいもの 宇都世美乃ーうつせみのー現世の 与能比等奈礼婆ー世の人なれば 多麻伎波流ー[たまきはる] 伊能知母之良受ー命も知らず 海原乃ー海原のー大海の 可之古伎美知乎ー畏き道をー路を 之麻豆多比ー島伝ひー島を伝い 伊己藝和多利弖ーい漕ぎ渡りてー漕ぎ渡る 安里米具利ーあり廻りー時は巡り 和我久流麻O尓ー吾が来るまでにー吾が帰るときまで 多比良氣久ー平けくー御無事で 於夜波伊麻佐祢ー親はいまさねー母上父上はおられよ 都々美奈久ーつつみなくー障りなく 都麻波麻多世等ー妻は待たせとー妻よ待っていておくれと 須美乃延能ー住吉の 安我須賣可未尓ー吾が統め神にー海神に 奴佐麻都利幣奉りー幣を奉り 伊能里麻乎之弖ー祈り申してーお祈りする 奈尓波都尓ー難波津にー難波の津に 船乎宇氣須恵ー船を浮け据ゑー船を浮かべ 夜蘇加奴伎ー八十楫貫きー数多の楫を通し 可古<等登>能倍弖ー水手ととのへてー水手を揃え 安佐婢良伎ー朝開きー夜明けに 和波己藝O奴等ー吾は漕ぎ出ぬとー私は漕ぎ出たと 伊弊尓都氣己曽ー家に告げこそー吾が家に告げてください 20 4409;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴家持,防人歌,望郷,同情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(陳防人悲別之情歌一首[并短歌]) [左注](二月廿三日兵部少輔大伴宿祢家持) [原文]伊弊婢等乃 伊波倍尓可安良牟 多比良氣久 布奈O波之奴等 於夜尓麻乎佐祢 いへびとの いはへにかあらむ たひらけく ふなではしぬと おやにまをさね 家人の身を浄め斎ふので
平安な船出だったと 母父にお伝えください 20 4410;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴家持,防人歌,望郷,悲別 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(陳防人悲別之情歌一首[并短歌]) [左注](二月廿三日兵部少輔大伴宿祢家持) 美蘇良由久 々母々都可比等 比等波伊倍等 伊弊頭刀夜良武 多豆伎之良受母 みそらゆく くももつかひと ひとはいへど いへづとやらむ たづきしらずも 美しい大空をゆく雲も使いと云うが
家に言づてを送る手だてを知らずつらい 20 4411;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴家持,防人歌,望郷,悲別,同情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(陳防人悲別之情歌一首[并短歌]) [左注](二月廿三日兵部少輔大伴宿祢家持) 伊弊都刀尓 可比曽比里弊流 波麻奈美波 伊也<之>久々々二 多可久与須礼騰 家への土産に貝を拾った
濱波はいよいよ高く打ち寄せたが RainDropさん。【家づとに貝ぞ拾へる − 大伴家持 萬葉集 巻二十(4411)【超訳】】 https://blogs.yahoo.co.jp/raindrop_5588/56138636.html?vitality 20 4412;天平勝宝7年2月23日,作者:大伴家持,防人歌,望郷,同情,恋情 [題詞];(天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)(陳防人悲別之情歌一首[并短歌]) [左注]二月廿三日兵部少輔大伴宿祢家持 之麻可氣尓 和我布祢波弖C 都氣也良牟 都可比乎奈美也 古非都々由加牟 しまかげに わがふねはてて つげやらむ つかひをなみや こひつつゆかむ 島陰に船を泊めても
今を告げる使いはいない ただ恋焦れて行くばかりだよ <千人万首等>
|
|
20 4418;天平勝宝7年2月29日,作者:物部廣足,防人歌,恋情,埼玉,安曇三國 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首荏原郡上丁物部廣足 ( / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之) 和我可度乃 可多夜麻都婆伎 麻己等奈礼 和我弖布礼奈々 都知尓於知母加毛 わがかどの かたやまつばき まことなれ わがてふれなな つちにおちもかも 家の門の思いを寄せた椿よ
本当に私が触れぬうちに お前は土に落ちてしまうのかなあ * 物部広足(生没年不詳;もののべのひろたり)は、武蔵国荏原郡すなわち現在の東京都品川区荏原出身の農民であり、天平勝寶七年(755年)二月、遠く九州は筑紫国に派遣された防人と万葉集にはある。 663年、百済に援軍を送った日本軍は白村江(はくすきのえ)の戦いで唐−新羅の連合軍に大敗し、朝鮮半島から撤退を余儀なくされた。 以来、90余年を経た当時も朝鮮半島、大陸からの侵略に備えるため東国の農民を徴用し続けた。 この歌は東国の防人の望郷の歌であり、故郷に残した恋人に対する情愛を表わしたものである。 当時の都は近畿地方大和盆地にあり、かって進んだ大陸文化の受け入れ口として栄えた九州はもはや辺境の地となっていた。 広足の故郷の東国は都を挟んで九州とは反対方向にあり、やはり辺境の地と考えられていた。つまり東国の防人は辺境から辺境への移動を命じられたのであった。 故郷に残した恋人を片山ツバキに例えることで、美人であることを暗示し、自分が留守の間に他の男に寝取られないか案じた切ない歌である。 片山ツバキは ”かた”山つばきであろうが、”かた”の意味はわからない。 20 4419;天平勝宝7年2月29日,作者:物部真根,防人歌,埼玉,安曇三國,望郷,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首橘樹郡上丁物部真根 ( / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之) 伊波呂尓波 安之布多氣騰母 須美与氣乎 都久之尓伊多里弖 古布志氣毛波母 いはろには あしふたけども すみよけを つくしにいたりて こふしけもはも 家では葦火を焚いても住み良いものを
筑紫に辿り着いてからは 家を恋しく思うだろうなあ ・・・・・ 家で葦火を焚くと煙たく煤けて汚いが それでも住み良いものだ 遠く離れて筑紫に着いたら こんな家のことも恋しく思うことだろうな * 葦火を焚く炎を懐かしく思うだろう * 葦火 葦などの草を燃料として焼く火。 山国でない武蔵国の庶民にとっては、炭は高価な燃料であった。 * 恋しけ思はも 「恋しく思はむ」の東国訛り。
これに応えた妻 椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)の歌も収録されている。
* 物部真根 もののべのまね 生没年未詳 武蔵国橘樹(たちばな)郡の人。上丁(かみつよほろ)。 天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。 4420;天平勝宝7年2月29日,作者:椋椅部弟女,防人歌,埼玉,安曇三國,枕詞,女歌,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首椋<椅>部弟女 ( / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之) 久佐麻久良 多妣乃麻流祢乃 比毛多要婆 安我弖等都氣呂 許礼乃波流母志 [くさまくら] たびのまるねの ひもたえば あがてとつけろ これのはるもし 草を枕の旅のごろ寝に
袴の紐がとれてしまったら わたしの手と思って この針で縫いつけて下さいね 20 4421;天平勝宝7年2月29日,作者:服部於由,防人歌,埼玉,安曇三國,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首都筑(つつき)郡上丁服部於<由>(はとりべのおゆ) ( / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之) 和我由伎乃 伊伎都久之可婆 安之我良乃 美祢波保久毛乎 美等登志努波祢 わがゆきの いきづくしかば あしがらの みねはほくもを みととしのはね 私が去って
ため息をつくときは 足柄の峰に延びる雲を 見て偲んでください 20 4422;天平勝宝7年2月29日,作者:妻服部呰女,防人歌,女歌,恋情,埼玉,安曇三國 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首妻服部呰女 ( / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之) 和我世奈乎 都久之倍夜里弖 宇都久之美 於妣<波>等可奈々 阿也尓加母祢毛 わがせなを つくしへやりて うつくしみ おびはとかなな あやにかもねも 夫を筑紫に送り出して
淋しさに帯を解けず ああ どうして寝られようか 20 4423;天平勝宝7年2月29日,作者:藤原部等母麻呂,防人歌,埼玉,安曇三國,望郷,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首埼玉郡上丁藤原部等母麻呂(ともまろ)
( / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之)
安之我良乃 美佐可尓多志弖 蘇O布良波 伊波奈流伊毛波 佐夜尓美毛可母あしがらの みさかにたして そでふらば いはなるいもは さやにみもかも 足柄の 御坂峠に立って袖を振れば
家の妻にはっきりと見えるだろうか * 「立して」は「立ちて」 * 「家(いは)」は「家(いえ)」 * 「見も」は「見む」の東国訛り。 * 「袖振る」は鎮魂のためや、親愛の情を示すもの。 20 4424;天平勝宝7年2月29日,年紀,作者:妻物部刀自賣,防人歌,埼玉,安曇三國,女歌,恋情 [題詞](天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌) [左注]右一首妻物部刀自賣 / 二月廿<九>日武蔵國部領防人使掾正六位上安曇宿祢三國進歌數廿首 但拙劣歌者不取載之 伊呂夫可久 世奈我許呂母波 曽米麻之乎 美佐可多婆良婆 麻佐夜可尓美無 いろぶかく せながころもは そめましを みさかたばらば まさやかにみむ あなたの着ている衣をもっと色濃く染めておけばよかった
そうしておけばあなたが御坂を通していただくときに はっきりと見えるだろうに * 「背なが」は「夫(せな)が」もあり。 * 「た廻らば 多婆良婆(たばらば)」は「たまはらば」の意で、神への畏怖のため、峠を越えていくには「土地神の許し」が必要と信じられていたことをいう。 |



