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ー1ー <後撰集巻六(秋中)「題しらず 天智天皇御製」> 稲を刈り取る季節
田のわきの仮小屋に宿っていると 屋根の苫は目が粗いから 私の袖ときたら しとしとと落ちて来る夜露に濡れとおしだよ 秋の田の かりほの庵の; 「秋」は陰暦の七・八・九月 「の」は四つともに連帯修飾語をつくる格助詞。 「かりほ」は「刈り穂」と「仮庵」とを掛ける掛詞。 「刈り穂」は刈取った稲穂。「仮庵」は農業用の仮小屋で、 「庵」は草・木・竹などを編んだ粗末な仮家。 「かりほの庵」は、調子を整える修辞法で、重ねことば。 苫をあらみ; 「苫」は葦・萱・菅などを、コモのように編んだもので、屋根や囲いに用いる。 「を」は、強調を表す間投助詞。 「あらみ」は形容詞「粗い」の語幹に、理由を表す接尾語の「み」が複合したもので、副詞と認定すべき語。「を・・み」は「・・が・・なので」の意。 我が衣手は; 「わ」は自称代名詞。 「が」は連体修飾語をつくる格助詞。 「衣手」は着物の袖。 「は」は他と区別して、強調する係助詞。 露にぬれつつ; 「露」は夜霧。 「に」は原因を示す格助詞。 「つつ」は継続の接続助詞で、言いさしの表現となり、余韻・余情を残して」「つつ」止めという。 ・・・・・・・・・・・・・ ◇かりほの庵 仮庵の庵。同語を重ねて言ったもの。「刈り穂」と掛詞か。「一説に、刈り穂の庵。一説には、かりいほのいほ。(中略)かりいほのいほ、よろしかるべきにや。いにしへの哥は同事をかさねよむ事みちの義也」(宗祇抄)。仮庵とは田のそばに臨時に建てた小屋。物忌みのために籠ったり、農具を納めたり、夜間宿泊して田が荒らされないよう見張ったりした。 ◇苫 小屋の屋根などを覆うために草を編んだもの。 ◇あらみ (目が)粗いので。《み》は形容詞の語幹について原因・理由などをあらわす接続助詞(または接尾語)。「…を…み」の形は万葉集に多く見られる。 ◇衣手 衣の手の部分。袖のこと。 ◇露にぬれつつ 露に濡れながら。《つつ》は動作の反復・継起・継続などの意をあらわす接続助詞。 和歌では末尾に置かれることが多く、断定を避けて詠嘆を籠めるはたらきをしたり、余情をかもす効果をもったりする場合もある。 ・・・・・・・・・・・・・ 百人一首巻頭歌。公任の「三十六人撰」、具平親王の「三十人撰」、後鳥羽院の「時代不同歌合」など、上代歌人を含めた歌仙秀歌撰においては、常に巻頭を飾るのは柿本人麿であった。 前例を破って、歌聖の前に二人の天皇の御製を置いたことに、定家が百人一首に籠めた思いを知るべきであろう。それは、和歌史における皇室の重みということである。 二首目の持統天皇は天智天皇の子であり、したがって巻頭二首は、末尾二首――父子の関係にある後鳥羽院・順徳院――と照応している。 天智天皇は奈良時代末期の光仁天皇以後連綿と続く皇統の祖として仰がれた。定家と同時代の慈円は、「コノ御門孝養ノ御心フカクシテ、御母斉明天皇ウセタマイテノチ、七年マデ御即位シタマハズ。御子大友皇子ヲ太政大臣トス。又諸国ノ百姓ヲ定メ民ノカマドヲシルス」(愚管抄)と、人格面・政治面ともに評価している。 天智天皇御製と伝わる歌は、万葉集に四首。勅撰集では後撰集・新古今集に各一首のほか、計五首入集している。 【他の代表歌】 わたつみの 豊旗雲に 入日さし こよひの月夜 さやけかりこそ (万葉集) 朝倉や 木の丸殿に 我がをれば 名のりをしつつ 行くは誰が子ぞ (新古今集) 【主な派生歌】 秋の田の 庵に葺ける 苫を荒み もりくる露の いやは寝らるる (和泉式部「続後撰」) 草の庵 なに露けしと 思ひけむ もらぬ岩屋も 袖はぬれけり (行尊「金葉」) 秋の田に 庵さすしづの 苫をあらみ 月と友にや 守りあかすらん (藤原顕輔「新古今」) 露だにも おけばたまらぬ 秋の田の かりほの庵に 時雨降るなり (藤原家隆) 唐衣 かりいほのとこの 露寒み 萩のにしきを 重ねてぞ着る (藤原定家) 秋の田の かりほの庵に 露おきて ひまもあらはに 月ぞもりくる (後鳥羽院) 苫をあらみ 露は袂に おきゐつつ かりほの庵に 月をみしかな (〃) 足引の 山田もるいほの 苫をあらみ 木の下露や 袖にもるらむ (〃) 旅寝する あまの苫屋の とまをあらみ 寒き嵐に 千鳥さへなく (〃) 小山田の かりほのいほの とことはに 我が衣手は 秋の白露 (順徳院) 秋の田の かり庵の露は おきながら 月にぞしぼる 夜はの衣手 (藤原為家) ことわりに 過ぎてぞぬるる 秋の田の かりほの庵の 露のやどりは (〃) 秋の田の かりほの苫に ふく稲の ほの上渡る 軒の月かげ (正徹) 苫をあらみ 小田もる老の 心には なほたへかねて 露はらふらん (東常縁) 思へ世は 玉しくとても 秋の田の 仮庵ならぬ 宿りやはある (後水尾院) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ かるた競技 http://blogs.yahoo.co.jp/nissanr382rc/12749059.html 〃 2 http://blogs.yahoo.co.jp/nissanr382rc/12837542.html 北極星は北の空から〜ブログの中に http://blogs.yahoo.co.jp/nissanr382rc/10177806.html <出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。 |
百人一首1〜10
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ー2− <新古今集・巻三・夏・に「題知らず 持統天皇御歌」> 【歌意】 いつか春はすぎさり
もう夏がやってきたらしい 夏になると大和三山のひとつ 天の香具山のほとりには 夏のならわしと 白妙の衣ほすという 若葉の中 衣がひらひらと かがやいているのが見える 【語句・文法】 * 春すぎて 夏来にけらし; 「春」は陰暦一・二・三月。「夏」は陰暦四・五・六月。 「て」は接続助詞。 「来ーき」はカ行変格活用動詞「来ーく」の連用形。 「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。 「けらし」は「けるらし」がつづまって一語となった(複合)助動詞。 「け」は過去の助動詞「けり」の連体形「ける」の「る」の音節脱落の形式。 「らし」は確かな根拠をもとにした推量の助動詞終止形。故に「けらし」は両者の意を含む過去の推量。 以上で二句切。 * 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山; 「白妙」は真っ白の意。 「白妙の」は「衣」に枕詞ともなる。 「ほす」は動詞終止形。 「てふ」は「といふ」の複合語で、四段活用動詞の「てふ」の連体形。 「天の香具山」は奈良県樫原市にある大和三山の一つ。上代訓は「あめ」。 体言止。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【作者や背景】 持統天皇(645〜702)第四十一代天皇。 風光明媚な藤原に遷都し唐の都に習い大規模な藤原の宮を造営し、 政治に手腕を奮い、和歌、雅楽などの文化に大きな影響を残したが、 庶民の暮らしはあまりかえりみられなかった。 【万葉との差異】 春過ぎて 夏来たるらし しろたへの 衣ほしたり 天の香具山 万葉集 「夏きたるらし」→「夏来にけらし」 「衣ほしたり」→「衣ほすてふ」と変更されている。 * 天の香具山 「春過ぎて夏来たるらししろたへの衣ほしたり天の香具山」と詠んだ女帝持統天皇の一首はよく知られている。藤原宮の東になだらかな山容を見せる。高天原から天降ったと信じられ、三山のうち最も神聖な山とされている。天智帝の「妻争い歌」では畝傍山を額田王に、この天の香具山を自身に擬していると思われる。 藤原定家の時代の歌は、断言調・直言風な口調を嫌い、 婉曲で優美、暗示的な口吻を好んだ。 王朝時代、香具山には甘橿明神がいて,この神は衣を濡らして人の言葉のうそかまことかを糾したという、王朝の人々はその伝説を知っていてそれをふまえて「衣ほすてふ」としたのではないかという。 伝説を頭において歌を詠むのなら、なるほど、「衣ほすてふ」の方がすわりは良い。 定家という歌人は言葉の魔術師みたいなところがあるから、彼からみると、 元の歌の万葉集の持統天皇の歌は、「題材は良いが、ひとこと、ふたこと、直せばもっと良くなるのに」という、いかにも添削意欲をそそる歌であったのかもしれない。 もとの歌のように、目の前で見たものを即歌にするというのは、いかにも初歩的で、いっぺん自分の内で濾して、虚で真実を歌うという作業をしないと歌にならぬ、と思ったのかも知れない。 即興的な場合を除き、このような作業を凝らすことで、歌に心を吹き込んでいたのであろう。 この持統天皇は、ご存知女帝である。天智天皇の第二皇女。夫の大海人皇子(おおあまのみこ)をたすけて、壬申の乱では共に戦い、勝利を手にする。 夫は天武天皇となり、男勝りで非情冷静な性格の女性だったらしく、 天武天皇が崩御されると、間髪を入れず、わが子のライバル異腹の皇子、 大津皇子を殺したりしている。 庶民の困苦をかえりみず、度々行幸したりして、その生涯はまだ解明されていない謎にみちている。 しかし、草壁皇子夭折ののち、みずから即位して父である天智天皇、 夫の天武天皇が遣り残した、律令政治の礎を固めた。 また唐の都に習った藤原の宮を造り、柿本人麿などの宮廷歌人を輩出させ、 万葉集の黄金時代をつくった。 藤原の宮は、内裏、大極殿、朝堂(十二堂)と、朝集殿を北から南へ配置した、九百二十平方メートルの広い区域が定められていたというから、 壮大な宮殿の奥での持統女帝の生活は豪奢を極めていたことであろう。 ここで八年在位し文武天皇に譲位した。 政治家としても夫をしのぐほどであったといわれる。 【ゆかりの地】天の香具山。 舒明天皇の歌(万1-2)では国見をする山として詠まれ、天智天皇の歌(万1-13)では畝傍山をめぐって耳成山と争ったことが詠まれている。ほかにも万葉集には「いにしへのことは知らぬを我見ても久しくなりぬ天の香具山」と太古の伝説を有する山として、また「ひさかたの天の香具山この夕へ霞たなびく春たつらしも」と季節の到来を告げる山として仰がれた。古今集以後はほとんど歌に詠まれなくなるが、平安末期に至って歌枕として復活し、新古今集にはこの山を詠んだ歌が四首みえる。実際は小丘陵にすぎないのだが、「ひさかたの雲井に春のたちぬれば空にぞ霞む天のかぐ山」(藤原良経)など、王朝歌人たちは天空に聳え立つ山としてイメージしていた。(小倉百人一首 注釈) 【特選サイト】 《yoshy》伊勢物語と仁勢物語-2 http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220 『百人一首 2番 持統天皇』 http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/40615379.html 【主な派生歌】 いつしかと衣ほすめりかげろふの夏きにけらし天のかご山(藤原隆季) 白妙にゆふかけてけり榊葉に桜さきそふ天のかぐ山(藤原俊成[続拾遺]) 白妙の衣ほすてふ夏の来て垣根もたわに咲ける卯の花(藤原定家) 大井川かはらぬゐぜきおのれさへ夏きにけりと衣ほすなり(〃) 花ざかり霞の衣ほころびてみねしろたへの天のかご山(〃) 名に高き天のかぐ山けふしこそ雲ゐにかすめ春やきぬらん(〃[続古今]) 夏の来て卯の花白くぬぎかふる衣乾すらし天のかぐ山(作者不明「未来記」) 雲晴るる雪の光や白妙の衣干すてふ天のかぐ山(藤原良経) 春霞しのに衣をおりかけていくかほすらん天のかご山(〃[続後撰]) 白雲の衣ほすてふ山がつの垣ほの谷は日影やはさす(藤原家隆) 白妙の衣ほすなり郭公天のかぐ山おりはへてなけ(〃) 春ををしみ天の香具山袖ぬれてあすは卯月の衣ほすとも(〃) いまよりの秋風たちぬしろたへの衣吹きほすあまのかぐ山(〃) 白妙の衣ふきほす木枯しのやがて時雨るる天のかぐ山(藤原雅経[続古今]) みねたかき天のかご山しろたへのたが衣手を雲にほすらん(藤原信実) かぐ山のあまぢのかすみおりはへて神もやむかし衣ほしけむ(藤原基家) 五月雨は雲のおりはへ夏衣ほさでいくかぞあまのかご山(藤原為家) 朝あけの霞の衣ほしそめて春たちなるる天のかぐ山(土御門院[続古今]) 冬きては衣ほすてふひまもなく時雨るる空の天のかぐ山(後嵯峨院[続後撰]) 佐保姫の衣ほすらし春の日のひかりに霞む天のかぐ山(宗尊親王[続後拾遺]) 佐保姫の霞の衣をりかけてほす空たかき天のかぐ山(二条為重[新後拾遺]) 香久山やあまぎる雪の朝がすみそれとも見えずほす衣かな(正徹) さくら花よそめは雲になりはてて衣はほさじ天の香久山(木下長嘯子) 水無月のテラス手負のラガー出て白妙の裂帛を干したり(塚本邦雄) 【出典・転載元】 <三木幸信・中川浩文共著書本>・ <ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] >・ <千人万首>・ <小倉百人一首 注釈>等から。 |
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ー3− <『拾遺集』・巻十三・恋三・に「題知らず、人麿」> [山鳥のながながしいしだれ尾のように]
まことに長い秋の夜を [山鳥の雌と雄が谷を隔てて夜を過ごすのに似て] あなたを恋い慕いながらひとり寝するわたしであることよ (夜は一人寝するといわれる)山鳥の 長く垂れ下がっている尾のように 長い長い秋の夜を わたしも一人寝るのだろうかなあ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あしひきの; 山鳥の「山」の枕詞。 山鳥の尾の; 「山鳥」はきじ科に属する野鳥。雄は尾が長い。雌雄、夜は谷を隔てて別に寝ると伝えられ、結句の「ひとりかも寝む」と関係がつく。 「の」は、共に連体修飾語をつくる格助詞。 しだり尾の; 「しだり尾」は長く垂れ下がっている尾。 「の」は、たとえ(・・のように)を表す格助詞。本来は主格表示。 以上三句で、「ながながし」の序詞。 ながながし夜を ひとりかも寝む; 「ながながし」は、シク活用形容詞終止形(上古における連体形代用) 「ひとり」は名詞。 「か」は疑問の係助詞で、結びは「む」。推量の助動詞「む」の連体形。 「も」は感動・強意の係助詞。 「寝」は下二段活用動詞「ぬ」の未然形。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <人麻呂は「神」が似合う> 思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の ながきこの夜を 万葉集・巻11 あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長永夜呼 ひとりかも寝む (ある本の歌にいわく) 「長永夜呼」(ながきながよ)は「拾遺集」では「ながながしよを」に。 「しだり尾のながながし・・・」は言い得て妙。 柿本人麿は、持統・文武朝(七世紀末から八世紀初頭)において、皇族讃迎の歌や挽歌の秀作を多く残した白鳳時代の宮廷歌人であった。 人麿をまつる人麿神社は、火災よけの神様としても知られている。ヒトマル・火止まる、か。 ヒトウマル・人生まる、で安産の神様でもある。 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島がくれゆく 船をしぞ思ふ 明石は海の難所であるから、すいなんよけの神様でもあり、「あかし」から目を明かしてくれる目の神様でもある。 昔、筑紫から目の見えぬ娘がはるばる明石の人丸神社までお参りに来た。そうして七日間参籠して歌を詠んだ。 ほのぼのと まこと明石の 神ならば 我にもみせよ 人丸の塚 詠んだとたんに目があき、彼女の目に美しい明石の浦の風景がとびこんできた。 不要になった杖を神社前に突き刺して帰ったところ、杖はそこに根付いて、毎年美しい桜の花を咲かせた。これを盲杖桜と今によばれている。 人麿はふしぎな伝説にまみれた人である。 庶民だけでなく、インテリたちも、人麿を歌聖と尊ぶ。 ほかの歌人はそうは呼ばれない。 山部赤人も大伴家持も歌聖とはいわれないが、すでに「古今集」の序に、 紀貫之は、「柿本人麿なむ歌の聖なりける」と書いている。 人麿は歌人の守り神ともなった。 【主な派生詩歌】 思へども 思ひもかねつ 足引の 山鳥の尾の 長き今宵を (柿本人丸[新千載]) 山陰や 山鳥の尾の ながきよを 我ひとりかも あかしかねつつ (慈円) 花みつつ けふもくらしつ 足引の 山鳥の尾の 長き日影を (家隆) 山鳥の すゑをの里も ふしわびぬ 竹の葉しだり 長き夜の霜 (〃) 秋はまだ 遠山鳥の しだり尾の あまりてをしき 有明の空 (〃) 独りぬる 山鳥の尾の しだり尾に 霜おきまよふ 床の月かげ (定家[新古今]) うかりける 山鳥の尾の 独り寝に 秋ぞ契りし 長き夜半とも (定家) ふるさとは 遠山鳥の 尾のへより 霜置く鐘の 長き夜の空 (〃) なきぬなり 木綿付け鳥の しだり尾の おのれにも似ぬ 夜半の短さ (〃) 桜咲く 遠山鳥の しだり尾の ながながし日も あかぬ色かな (後鳥羽院[新古今]) 足曵の 山鳥の尾の ながらへて あらば逢ふ夜を なくなくぞ待つ (源家清[続後撰]) 山鳥の 尾のへの里の 秋風に ながき夜さむの 衣うつ也 (衣笠家良[続後撰]) しぐるらし 紅葉の錦 しきしまの 山どりのをの なが月の空 (後二条院) かひなしや 山鳥の尾の おのれのみ 心ながくは 恋ひわたれども (藤原経継[玉葉]) ねをかけよ 鳴くや軒ばの 山鳥の しだり尾ながき あやめをぞふく (正徹) たへてすむ 山鳥の尾の ながき夜も いづらは月の あかず更けぬる (長嘯子) 山鳥よ 我もかもねん 宵まどひ (芭蕉) <出典・記事転載[千人万首]等より> 柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ 生没年未詳 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html ・・・・・・・・・・・・・ <心の目> [重陽の節句を祝う]さんのブログより。 「歌に表わされたピラミッド 」 http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/44228060.html?vitality 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 一つに、箒星 を想像する、ということは、前に書きました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/44124266.html 今一つ、この歌の気に掛かる事項として、歌の中にある “数字” があります。 四 と、一 です。 四垂尾之 (しだり尾の) ー ー ー この 四垂 (れ) は、現在は、枝垂れ と書くのが一般的で、分かりやすく、ここに、四 という数字を使うのは、冗談めいた感じがあります。 一鴨將宿 ー ー ー ひとり かもねむ、と訓読みされていますが、この 一 という数字も、妙な印象があります。 四 と 一 には、何か、歌の作者による意図が秘められていると、感じるのです。 あしびきの 山、と、この歌は始まりますから、先ず、読んだ人の頭に浮かぶのは、末広がりに聳える、三角形の山の形です。 次に 四 という数字、そして、歌の終わりに 一 の字、・・・一 は頂点を意味していると思う、ですから、その 山 は、四角錐 の、人工的な山 を言っていると思うことが出来ます。 四角錐の人工的な山 とは、ピラミッド に他なりません。 <中略> エジプトに有名な 三大ピラミッド と呼ばれるものがありますが、あれは、オリオン座の三ツ星 なのだ とも云われています。 豊玉姫の歌には、オリオン座に輝く二つの星、赤い 恒星 ベテルギウス と、白い 恒星 リゲル が歌われており、古事記 の 「海幸、山幸」 と ギリシャ神話 の オリオン には相似するものがある訳です。 私は、人麻呂等は、エジプトの三大ピラミッドを知っていたのだ と、思いますし、この ‘あしびきの・・・’ の歌の ピラミッド がその ピラミッド なのだと思います。 <出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。 |
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ー4− <万葉集・巻三・雑歌・に詞書として「山部の宿爾赤人の不尽の山を望める歌一首、短歌合わせたり」と出ているのが出典。> 駿河の田子の浦に出て
ひろびろと開けた眺めを楽しんでいると 山すそを雄大にひいて 天空にそびえ立つ富士は 白妙の衣のごとき一色の雪をかぶり くっきりと鮮やかに優雅である 田子の浦に; 田子の浦は、駿河湾内の、静岡県清水市興津長の東北から、由比・蒲原あたりへの浦。現在の田子の浦よりは西南。 「に」は到着場所を示す格助詞。 打ち出でてみれば; 「うちいで」は動詞「うちいづ」連用形で、他の所からその海辺に出る意。 「ば」は動詞已然形「「見れ」に接続して、偶然的関係を示す順接の確定条件(・・・と、・・・ところ)の接続助詞。 白妙の;「富士」の枕詞。 富士の高嶺に 雪は降りつつ; 富士山は静岡・山梨両県の境にある。 「高嶺」は高い峰。いただき。 「は」は、他と区別して、とりたてていう係助詞。 「ふり」はここでは降積もる意。 「つつ」は継続の意の接続助詞で、言いさしの表現となり、余韻・余情を残す。 新古今集では冬とするが、高嶺の雪であり、それへの感動なので、冬というより、時ならぬ時期の雪とするのが穏当だろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この短歌は、 「天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を 天の原 ふりさけみれば わたる日の 影も隠くらひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雲はふりける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かん 不尽の高嶺は」 の長歌にあわせた反歌 「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不尽の高嶺に 雪はふりける」 という歌であったのでこの百人一首の歌をみれば、作者の山部赤人は、地下で苦笑していることだろう。 この長歌にあわせた反歌を、定家は調べの美しさを重視するあまりに、改竄してしまった。 私自身は万葉集の見たままを率直に詠った「・・真白にぞ・・・」の方が現場に立った感動の伝わり方が違うと思う。 万葉集の歌は現実直視の体験的内容を直線的な句切れなしの調べで、崇高壮大に詠じて、それは長歌の主題を反歌として詠み返したものである。 だが『新古今集』のは、反歌ではなく単独の歌として鑑賞したものであるから、その上で撰者の撰歌眼がそのような決定を下したのであろう。 万葉のは男性的だとすると、これは女性的である。 かれが古代的だとすると、これは近代的である。 かれが、神的、崇高、永遠、だとすれば、これは人間的、優美、昨今といった評語があてはまる。 昔から、もとの歌『万葉集』にのったほうが良かったのにと、惜しがられている。 昭和十年代の頃は、正岡子規の勇み足もあり、『古今・新古今集』の神聖性は地に落ちた。 時は軍国の世である。 柔媚・繊細といった情調はかいもく、かえりみられなかったのであった。 子規の勇み足によれば、 「貫之は下手な歌詠みにて古今集はくだらぬ集にこれあり候」と切っている。 かえす刀で、 「定家という人は上手か下手かわからぬ人にて新古今集の選定を見れば少しはわかっているのかと思えば自分の歌にはろくなものこれなく」 などさんざんである。 もっとも和歌千年の権威を一撃のもとに打ち倒して、革新の火の手をあげた彼の意気込みと功績は大きい。 しかし時は移り近年では、『古今』『新古今』の新たなる値打ちが見直されてきた。 自然と人間との融和のたたずまいの美が人々に好ましく写るようになってきたのである。 そして最近では『古今集』の歌の配列も、その背後に、それ自体巨大なクロスワードパズルが隠されているかもしれないという。 古典の神秘はまことに奥深いものといえよう。 『新古今集』の美学によれば、この歌は「白妙」「雪はふりつつ」でなくては、ギクシャクして美しくない、と思ったのであろう。 「少々意味が変わってきてもしょうがおまへん、しらべがなだらかなんが第一どす」 と京の公卿歌人らはうなずき合ったのかもしれない。 実際にこの歌を、カルタで読みあげてみるときは、 「雪はふりける」よりも「雪はふりつつ」 という方が耳に快く感じるだろう。 朗誦に耐える形になっている。 山部赤人は柿本人麻呂と並び称される『万葉集』の歌人。 清らかな静かな自然鑑賞の歌が多い。 高橋虫麻呂という歌人も 「日ノ本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも」 と詠っている。 今は新幹線の車窓から見ると、工場の煙もくもくで、富士のお山もかすんでいるのは・・・ 美しき田子の浦と富士山は、やがて郷愁の中の絵になってしまうのであろうか。 【作者】 山部赤人、生没年未詳。聖武・持統天皇に仕えた宮廷歌人。万葉集第三期を代表する大歌人で その足跡は、広く東国から四国に及び、勅撰集入集歌四十九首、三十六歌仙の一人。 <出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。 |
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−5− <是貞のみこの家の歌合の歌 よみ人知らず 古今集・巻四・秋上> 人里離れた深い山に 散り敷く紅葉を踏み分けて鳴く 鹿の声を聞く時に 秋はひとしお心に沁みて かなしく感じられる 牡鹿は妻を恋うて哀い哀いと鳴く。 鹿のなく声は情緒深いものらしく、中国最古の刺繍『詩経』(わが国の万葉集より千年以上古い)に、鹿鳴の詩がある。この歌は群臣や賓客をもてなす宴会で歌われた歌らしい(明治の鹿鳴館という命名は、ここからとられている)それには「ゆうゆうたる鹿鳴 野のひょうを食む」とあり、ゆうゆう(ヒュウヒュウ)というのが鹿の鳴き声である。 奥山に; 奥山は人里離れた奥深い山で、「深山」と同意。対語は「端山・外山」。 「に」は場所を表す格助詞。 もみぢふみわけ なく鹿の 声聞くときぞ; 「もみじ」は色づいた草木の葉、ここはその落ち葉。黄葉・紅葉を当てる。 「ふみわけ」は下二段活用動詞「ふみわく」の連用形で、踏んで分け入り意。 「ふみわけ」の主語は鹿で、「なく」にかかる。 「なく」は動詞連体形。 「鹿」は秋になると牡鹿が雌鹿を求めて鳴く。 「鹿の」は連体修飾語 「聞く」は動詞連体形で、主語は作者。 「ぞ」は強意の係助詞。 秋はかなしき; 「秋」は陰暦七・八・九月・ 「は」は係助詞。 「かなしき」はシク活用形容詞「かなし」の連体形で、係助詞「ぞ」の結び。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「古今集」・巻四・秋上には次の四首が並ぶ。 山里は 秋こそことに わびしけれ 鹿の鳴く音に 目をさましつつ」 壬生忠岑 奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき よみ人しらず 秋はぎに うらびれをれば あしひきの 山したとよみ 鹿の鳴くらむ よみ人しらず 秋萩を しがらみ伏せて 鳴く鹿の 目には見得ずて 音のさやけさ よみ人しらず 秋山寂寂葉零零 秋山寂寂として葉零零たり 麋鹿鳴音數度聆 麋鹿鳴く音數度に聆く 勝地尋來遊宴處 勝地尋ね來たりて遊宴する處 無朋無酒意猶冷 無朋無酒意猶冷し (菅原道真撰) 『小倉山荘色紙和歌』によれば、「端山は人里にせっした山、外山は人里に近い山、紅葉が散ったのち秋が深くなるにつれて鹿は奥山に入ってゆくものだから、作者は鹿の声を聞いて、その奥山は紅葉が散って秋は一段と寂しさを増すだろう」という意だという。錦なす紅葉と鹿の取り合わせは古来から日本美のひとつである。 猿丸太夫というのは、すでに『古今集』の時代から、伝承の人物になっていたらしい。ひょうきんで脱俗的な歌人で、山中にかくれすんで歌を詠んでいる、当時の人にはそんなイメージがあったらしい。そのくせ、かんじんの歌は一首も伝わらない。文献的には「真名序」の一箇所だけである。 猿丸太夫の「太夫」は官職を示す太夫ではなく、神職を意味する太夫であり、猿丸太夫と名乗る多数の宗教関係者が、諸国を巡業してものと見るべきであろうという説がある。 しかし『古今集』の頃から百年も経つと、猿丸太夫は実在の人物と信じられはじめた。 藤原公任は、王朝中期の有名な歌人で評論家あるが、その選んだ三十六歌仙に猿丸太夫を入れている。定家はそれに拠って、百人一首に「奥山に・・」の歌の作者を、ためらいなく猿丸太夫としたのであろうと推察される。 また梅原猛先生は、『続日本記』に「柿本朝臣猿」という人物が出てくるのを重視され、しかも人麿こそ猿丸太夫そのものだった、とされる。人麿は政治犯として深い山中に流された。山中にかくれすむ歌人、世捨て人・・・・・その記憶が猿丸太夫を作ったと、おっしゃっている。 猿、という名につながる猿丸太夫の謎は、この説によれば明快に解けるのであるが定かではない。 【作者】 猿丸太夫、生没年未詳。優れた万葉歌人として『猿丸太夫集』が伝えられるほかは伝記未詳。 勅撰集入集歌のないところから実在を疑う説多いが、三十六歌仙の一人に選ばれている。 <出典・転載元等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・[千人万首]・[三木幸信・中川浩文著評解小倉百人一首]等より。 |


