ニキタマの万葉集

当て字の繭玉をほぐそう、枕詞で古代を解明しよう。

百人一首21〜30

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壬生忠岑(30番) 『古今集』題しらず 古今六条・有明

有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 

<語句・文法>

* 有明の つれなく見えし 別れより
「ありあけの」は「有明の夜明けにまだ空に残る月。月の出の遅い廿日前後の月。
「有明の」は「有月の月」が、の意。
「つれなく見えし」の主語とし、枕詞とせず、掛詞と解した。
「の」は主語を示す格助詞。
「つれなく見えし」は、月がそっけなく白々と空に見えた意と、相手の女性が冷たい態度に見えた意の掛詞。
「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形。
「見え」は下二段活用動詞「見ゆ」の連用形。
「し」は過去の助動詞「き」の連体形。
「より」は、動作の起点を示す格助詞。

* 暁ばかり 憂きものはなし;
「あかつき」は夜の明ける少し前のまだ暗い時。通う男の帰るべき時刻。
「ばかり」は程度を示す副助詞。
「うき」は形容詞「憂し」の連体形。
「は」は係助詞。
「なし」は形容詞終止形で、一首全体の述語。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
空には有明の月がつれなくかかっていた
あなたのそばにもっといたかったのに
明ければ帰らねばならぬ世の習い
私は心を残して帰った
あの日からというもの暁ほど
切なく辛いものはないようになってしまった
・・・・・・・
明け方の月がひややかにそっけなく空に残っていたように
あなたが冷たく見えた別れ以来
夜明けほどつらくいやに思えるものはない
・・・・・・・・・・・・・・・・・

* この歌には、二つの解釈がある。
「つれなく見えた」のは、有明の月だけでなく、女もそうだったと。
『古今集』の、この歌の前後は、逢えない恋や女のつれなさをうらむ歌が並んでいる。ゆえに、ここは女に会えず、あるいは女につれなくされて帰った、そのときから暁がうらめしくなったというものである。
しかし定家はそう取らず、女と恋の一夜を送り、その夜明け、飽かぬ別れをしたせつなさ、とみている。

壬生忠岑は四十一番の「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひ染めしか」の壬生忠見の父である。

当時の有名な歌人の一人であるが、下級官吏であったため、詳しい事蹟は
わからない。九世紀後半から十世紀のかけての人らしい。生涯微官に終わったが、勅撰集に入った歌は多く、歌人としての名を得て千年の命を保つことになった。

この忠岑 は、かって右大将、藤原定国の随身(貴人のお供に公式に派遣される武官)であったことがある。

ある夜、定国はよそで酒をのんで酔い、夜ふけて帰る途中、ふと「そうだこれから左大臣邸に参ろう!」と言い出した。
酔っ払いは往々にして、こういうことがある。
自分がご機嫌なものだから先方もそうだと思ってしまう。

突然やってこられた左大臣のほうは、真夜中でもあるし、面食らってしまう。この左大臣は、時平である。

このころ菅原道真を蹴落として政権を掌握し、乱れた国政を立てなおしつつある、少壮気鋭の実力者である。
それだけに気性も激しい。

定国と時平の平生の交際程度は知らないが、夜中に押しかけて来て、「何だ!何をしにきた」という気になったかもしれない。
邸の人々は、右大将がおいでになったというので、あわてて格子を上げたり騒いでいる。

時平は、身分ある客人に向かって、帰れともいはれず。

「どこへおいでになったお帰りですか」などという、いささか中っ腹だったのかもしれない。

そのときお供をしていた壬生忠岑は、御殿の階段のもとに、ぱちぱち爆ぜる松明を手に捧げながら跪き定国を代弁して、ご挨拶申し上げる。

大将殿は仰せられておりまする。

「かささぎの わたせる橋の 霜の上を 夜半にふみわけ ことさらにこそ」

・・・御殿の階段に置いた霜の上を、この夜更けにふみわけ、わざわざ、参上したのでございます。

よそへいったついでに、思いついて寄ったわけではございません。
と当意即妙な歌でとりなした。

時平も、
「いや、これはおもしろい、これこそ風雅というもの、愉快愉快、よく訪ねてくださった。歌を肴にまず一献」とはなはだ興を催し、その夜、一夜じゅう主客は快く酔い、音楽も楽しんで、辞去する時には定国に引き出物を、忠岑には褒美を与えたという。まことに歌は人の心を和らげ結ぶ。

忠岑 の歌としてはほかに、

「風吹けば 岑にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 君がこころか」
が、いい。

風に吹きやられた白雲が峰でちぎれて絶える、そのようにあなたの心も私からはなれてしまった。
ほんとに無情なあなたよ・・・・・

この歌はしらべも気高く、それでいてリアリティもあり『古今集』の中の名歌と言ってもいい。

忠岑 には理性味の勝った歌も多いが、もうひとつ、いかにもみずみずしい恋の歌

「春日野の 雪間をわけて おひいでくる 草のはつかに 見えし君はも」

奈良の春日神社のお祭りに忠岑は出かけた。
祭りの見物に来ていた群衆の中に美しい女がいた。
忠岑は心をおどらせてその女の家をさがしあて、贈った歌がこれである。

春日野の雪の間から
生いはじめた若草のように、ちらりと仄見た恋しいあなたよ・・・・・・・
という意味か。

忠岑 の若いありし日の恋であろうか・・・
春日野は女性への憧れぶりが純真なところを見ると、
老いてからの、歌かもしれない。
老いてこそ、人は恋に純情になるものであろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・

【主な派生歌】

有曙の つれなく見えし 浅茅生に おのれも名のみ まつむしのこゑ
 (家隆)
おほかたの 月もつれなき 鐘の音に 猶うらめしき 有明の空
 (定家)
花の香も 霞みてしたふ 有明を つれなく見えて かへる雁がね
 (〃)
面影も 待つ夜むなしき 別れにて つれなく見ゆる 有明の空
 (〃)
有明の あかつきよりも 憂かりけり 星のまぎれの 宵のわかれは
 (〃)
有明の つれなく見えし 月は出でぬ 山郭公 待つ夜ながらに
 (良経[新古今])
契りきや あかぬ別れに 露おきし 暁ばかり 形見なれとは
 (通具 〃)
おもかげを 幾夜の月に のこすらむ つれなくみえし 人の名残に
 (後鳥羽院)
有明の つれなく見えし 空のみや なれし名残の かたみなるべき
 (〃)
起き別れ つれなくみえし あかつきの 憂かりし空ぞ かたみなりける
 (藤原秀能)
更にまた 暮をたのめと 明けにけり 月はつれなき 秋の夜の空
 (*源通光[新古今])
別れ路の 有明の月の うきにこそ たへて命は つれなかりけれ
 (為家[続拾遺])
つれなさの たぐひならじと 有明の 月にしも鳴く 時鳥かな
 (西園寺実兼[新拾遺])
つれなくて 世に有明の 月もみつ ただ我ばかり 憂きものはなし
 (玄忠[続千載])
私語(ささめき)の 尽くべき秋の 一夜かは 七夕ばかり 憂き中はなし
 (*耕雲)
つれなくて 有明過ぎぬ 郭公 この三か月に きえし一こゑ
 (正徹)
つれなさの 面影かくせ 三か月の われて又みる 有明の雲
 (〃)
夢さむる 老の枕に 有明の つれなきかげは 我もさながら
 (下冷泉政為)
待つほどは つれなくみえし 山のはも 月の麓に とほざかりつつ
 (霊元院)
待出でて 帰るこよひぞ つれなさは 人に見はつる 有明の月
 (後水尾院)


・・・・・・・・・・・・・・・・
【作者】
壬生忠岑、生没年未詳。壬生安綱の子。
摂津の大目(だいきかん)微官ながら歌人としては有名で古今集の代表的歌人であり選者でもある。
『和歌十体』を表す。勅撰集入集歌八十一首。
三十六歌仙の一人。



<記事出典・転載元>
三木幸信・中川浩文共著・[千人万首]・
[北極星は北の空から〜ブログの中に ]・等より。
凡河内躬恒(29番) 『古今集』秋下・277
* 凡河内躬恒は、いまから1100年ほど前の下級官僚。醍醐天皇に召され甲斐少目(かいしょうさかん)、和泉大掾(いずみのだいじょう)、淡路
 権掾(あわじごんのじょう)などの職についた。 歌人としては『六歌仙』を選んだ紀貫之と並び称された名人。古今集の撰者。三十六歌仙の一人。生没不明。
* 古今和歌集 - Wikipedia
成立[編集]. 『古今和歌集』は仮名で書かれた仮名序と真名序の二つの序文を持つが、 仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から 撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された。


心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 

<語句・文法>

* 心あてに 折らばや折らむ
「心あて」は、推し量り、あて推量の意で、名詞。
「に」は、方法、手段を示す格助詞。
 「心あてに」は、「折らむ」を修飾。
 「折ら」は、四段活用動詞「折る」の未然形で、接続助詞「ば」を接して順接の仮定条件。
 「や」は、疑問の係助詞で、結びの「む」は意志の助動詞「む」の連体形。 二句切。
* 初霜の おきまどはせる 白菊の花
 「白い初霜が置いて(降りて)初霜自身なのか、白菊なのか、紛らわしくてわからなくなっている白菊の花よ」で擬人法。
 「初霜の」と、「おきまどはせる」は修飾句中の主語述語の関係。
 「おきまどはせ」は、「おきまどはす」の已然命令形。
 「る」は存続「り」の連体形。・・・している。
 「白菊の花」は、「白菊の花よ」と、体言止め感動表現として独立語。


・・・・・・・・・・
あてずっぽうに折ってみよとばかり
真っ白な初霜が一面に降りて
霜なのか白菊なのか
わからなくさせている白菊の花よ
・・・・・・・・・・ 

* yoshyさんの《和歌を変体仮名で読む-10》
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/40936461.html?vitality


【主な派生歌】

かをらずは折りやまどはむ長月の月夜にあへる白菊の花(大中臣能宣)

いづれをかわきて折るべき月影に色みえまがふ白菊の花(大弐三位[新勅撰])

月影に色もわかれぬ白菊は心あてにぞ折るべかりける(藤原公行[新勅撰])

心あてにをらばやをらむ夕づくひさすや小倉の峰のもみぢば(藤原家隆)
しらすげのまのの萩原あさなあさな置きまどはせる秋のはつ霜(〃)

心あてにわくともわかじ梅の花散りかふ里の春のあは雪(藤原定家)
白菊の籬の月の色ばかりうつろひ残る秋の初霜(〃)

霜を待つ籬の菊の宵の間におきまがふ色は山の端の月(宮内卿[新古])

心あてに誰かはをらむ山がつのかきほの萩の露のふかさを(藤原為家)

袖ふれてをらばやをらむ我妹子が裾ひく庭に匂ふ梅がえ(藤原為経[新千載])

心あてにをらばや夜半の梅の花かをる軒ばの風を尋ねて(宗良親王)

袖かけてをらばやをらむ榊ばのかをなつかしみ露をしるべに(正徹)

心あての色もかすみの吉野山我まどはすな花のしら雲(三条西実隆)

あともなき波の上ながら心あてにゆけばまどはぬ舟ぢなりけり(小沢蘆庵)

初霜はまだおきなれぬ宵々の月にうつろふ白菊の花(香川景樹)

老いの目はまぎらはしさに折りかねつ月夜の霜の白菊の花(安藤野雁)


<記事出典・転載元>
三木幸信・中川浩文共著・[千人万首]
[北極星は北の空から〜ブログの中に ]・等より。
ー21ー

 
今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな   素性法師 

<古今集巻十四(恋四)「題しらず そせいほうし」>



今すぐに来ようと(あなたが)言われたばかりに
(陰暦九月の秋の夜長を今か今かと待つうちに)
明け方の月を(待ちもしないのに)
待っていて迎えるかっこうになってしまったことであるよ

今こむと いひしばかりに;

「いま」は副詞で、いますぐにの意。
「こ」はカ行変格活用「来」の未然形。
「む」は意志を表す助動詞終止形。
「と」は引用を示す格助詞。
「いひ」の主語は男。
「し」は過去の助動詞「き」の連体形。
「ばかり」は限定(ばっかり)の副助詞。
「に」は理由を示す格助詞。この句は第五句にかかる。

長月の 有明の月を 待ち出でつるかな;

「長月」は陰暦九月の異名。
「ありあけの月」は夜明けにまだ空に残る月。月の出の遅い二十日前後の月。
「を」は動作の対象を示す格助詞。
「待ちいで」は動詞「待ちいづ」の連用形で、待っていて会う意。
「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形。
「かな」は詠嘆の終助詞。

◇今こむ すぐ行こう。男が言ったこと。待つ女の立場から見て「来む」と言っている。男がこう言った状況については、後朝(きぬぎぬ)の別れの時に言い残して行ったと見る説、夕方に手紙を寄越したと見る説などがある。
◇長月 陰暦九月。晩秋。掛詞というわけではないが、秋の夜が「長」い意が響く。
◇有明の月 夜遅く出て、明け方の空にまで残っている月。おおよそ陰暦二十日以降の月を言うので、秋も残り少ないことが暗示される。30壬生忠岑も参照されたい。
◇まちいでつるかな 待った挙句、月が出て来るのに会ってしまった、ということ。待ち人に会わずに月に会ってしまった、という面白みがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【参考歌】作者不明「万葉集」巻十
長月の 有明の月夜 ありつつも 君が来まさば 吾恋ひめやも
  遍昭「古今集」
今こむと いひてわかれし あしたより 思ひくらしの ねをのみぞなく
  作者不詳「後撰集」
今こむと 言ひしばかりを 命にて 待つにけぬべし さくさめの刀自

【作者・配列】作者は12遍昭の子。清和天皇の時に殿上人となったが、若くして出家し、大和国石上の良因院に住んだ。昌泰元年(898)、大和国御幸に際し石上に立ち寄った宇多上皇に召され、行幸に供奉、諸所で和歌を奉る。死去の際には紀貫之・凡河内躬恒が追慕の歌を詠むなど、当時有数の歌人たちから敬愛されていた。古今集には36首入集し、歌数第4位。三十六歌仙の一人。定家は『近代秀歌』で遍昭・業平・小町と共に「余情妖艷体」の歌人として称揚し、『八代抄』にはその作を二十四首も採るなど、非常に高く評価していた。
 百人秀歌では22番目に置かれ、21番の源宗于「山里は冬ぞさびしさ…」と合せられる。いずれも「待ち人来らず」の哀情を詠みつつ、表現技法に機知を凝らした歌として通い合うところがある。
【他の代表歌】
 みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今集)
 いざけふは春の山辺にまじりなん暮れなばなげの花のかげかは(〃)
 おとにのみきくの白露よるはおきてひるは思ひにあへずけぬべし(〃)

【覚書】女が待たされた期間について、一夜だけと解釈する「一夜説」と、数ヶ月に渡るとする「月来(つきごろ)説」との対立が取り沙汰されるが、二者択一の問題とも思えないし、そもそも、「今こむ」と約束したのがいつだったのか、この歌自体から一義的に決定するのは不可能である。むしろ問題は、「今こむと言ひしばかりに」から、「長月の有明の月…」へと続けてみせた表現の機微ではないのか。女は「今こむ」と約束されて喜んだに違いない。その時から、どうやら裏切られたらしいと気づくに至るまで、長きにわたる感情の起伏が想像されるのだが、一見――つまり歌をさっと読んだ限りでは――あたかも「気がついたらもう有明の月が出ていた」と言っているように聞こえる。一心に信頼して待つ身には、「長月」の夜も決して長くは感じられなかった――女はそう言いたかったらしいのだ(「ばかりに」という詞遣いの絶妙さ)。ところが、そうして待たされた挙句の女の感情が――よく味わって読めば――しつこく恨みをちらつかせる、「くだくだしいばかり」(塚本邦雄『新撰小倉百人一首』)の調子で歌い上げられているところが「をかし」でありまた「あはれ」でもあるのだ。その辺の女心の機微を感じ取らずして、この歌を読んだことにはならないだろう。三十一文字という短い形式の詩が物語を内包する時の面白さを存分に感じさせてくれる歌である。定家を始め新古今歌人たちが好んだのは当然であろう。

【主な派生歌】
今こむと 頼めてかはる 秋の夜の あくるもしらぬ 松虫のこゑ
 (藤原家隆)
山の端に 月も待ちいでぬ 夜をかさね なほ雲のぼる 五月雨の空
 (藤原定家)
かはらずも 待ちいでつるかな 郭公 月にほのめく こぞのふる声
 (〃)
忘れじと  いひしばかりの なごりとて そのよの月は めぐりきにけり
 (藤原有家「新古今」)
あぢきなく 頼めぬ月の 影もうし いひしばかりの 有明の空
 (藤原忠良「新続古今」)
今こむと たのめやはせし 郭公 ふけぬる夜半を なに恨むらん
 (藤原良経)
長月の ありあけの月の あけがたを たれまつ人の ながめわぶらむ
 (〃)
いはざりき いまこむまでの 空の雲 月日へだてて ものおもへとは
 (〃「新古今」)
今こむと 頼めやおきし 郭公 月ぞたちいづる 有明の声
 (後鳥羽院)
今こむと たのめしことを 忘れずば この夕暮の 月や待つらむ
 (藤原秀能「新古今」)
今こむと 契りしことは 夢ながら 見し夜に似たる 有明の月
 (源通具「新古今」)
今こんと 言はぬばかりぞ 子規 有明の月の むら雨の空
 (順徳院「続後撰」)
長月の 有明の月を みてもまづ 今こむまでの 秋をこそまて
 (藤原為家)
頼めても むなしき空の いつはりに ふけゆく月を まちいでつるかな
 (道助法親王「続後撰」)
今こむと たのめし人の いつはりを いくあり明の 月に待つらん
 (宗尊親王「続拾遺」)


<記事出典・転載元>
三木幸信・中川浩文共著・[千人万首]
[北極星は北の空から〜ブログの中に ]・等より。
<参照>https://www.rakuten.ne.jp/gold/ogurasansou/hyakunin/021.html
ー25−

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな  三条右大臣 

<後撰集・巻十一・恋三・に詞書として「女のもとにつかわしける、三条右大臣」とあるのが出典。>

逢(「逢う」という言葉を、)名前として持っているのなら
逢坂山の、逢って寝ることの縁の「さ寝」に通じるさねかずらのつるを手繰るように
他人に知られないで
やって来る方法もあってほしいものだなあ

名にし負はば 逢坂山の さねかづら;

「かづら」のつるを「繰る」ことから、この三句で「来る」の序詞。
「名にしおはば」は名として負い持っているいるならばの意。名とは「逢坂山」の「逢う」の語をいう。
「に」は動作の対象を示す格助詞。
「し」は強調の副助詞。
「おは+ば」は仮定条件表現。
「逢坂山」は「逢う」を掛ける掛詞。
「さねかづら」は「さ寝」(共寝の意)を掛ける掛詞。つる性の潅木で今のびなんかずら。
「さ寝」は「逢う」の縁語。

人に知られで くるよしもがな;

「人」は第三者、他人。
「に」は受身の対象を示す格助詞。
「れ」は受身の助動詞「る」の未然形。
「で」は打消の接続助詞。
「来る」はカ行変格活用動詞「来」の連体形で「繰る」と掛詞。
「よし」は名詞で、方法の意。
「もがな」は願望の終助詞。

◇名にしおはば 「相坂山のさねかづら」という名を持っているからには。
◇相坂山 逢坂山とも。近江国の歌枕。東国との境をなす関所があった。「逢ふ」を響かせる。
◇さねかづら 真葛、または実葛と書く。蔓性植物。「さ寝」と掛詞になる。
◇人にしられで 人に知られずに。「さねかづら」は根のありかが知りにくいゆえにこの句を起こすか。◇くる 「繰る」「来る」の掛詞。「繰る」は「さねかづら」の縁語。なお、ここで「来る」と言うのは、相手の女の側に心を置いて言っているのであり、自分が女の家へ「行く」ことを意味する。今でも「私が行くまで待っていて」と「私が来るまで待っていて」とは同じ意味になる。それと同じである。
◇よしもがな 手立てがあってほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【主な派生歌】
さねかづら いまはたゆとや 逢坂の ゆふつけ鳥の くり返し鳴く
 (藤原家隆)
いかにせん 相坂山の さねかづら はぶきあまたに うつりはてなば
 (〃)
わくらばに あふ坂山の さねかづら くるをたえずと 誰か頼まん
 (九条道家「新勅撰」)
たえぬるか 相坂山の さねかづら 知られぬ程を 何嘆きけん
 (源兼康「新後撰」)
くる人を いかがいとはむ さねかづら たえずはすゑも 逢坂の関
 (蓮瑜)
相坂の 関路におふる さねかづら かれにし後は くる人もなし
 (宗良親王「続後拾遺」)
身にしらぬ 逢坂山の さねかづら 関をばこえて くる人もなし
 (源頼言「新後拾遺」)
さねかづら かけのたれをの 長路しる あふ坂山の 関の行末
 (正徹)
さねかづら 末葉にむすぶ 露かけて もとくる人の ありとしられじ
 (常縁)
あふさかや 夢にもさねん さねかづら くるよを人に せきなとどめそ
 (後柏原天皇)
霞たつ あふ坂山の さねかづら またくりかへし 春はきにけり
 (木下長嘯子)             
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※さねかづら→ マツブサ科(モクレン科とも)の蔓性常緑低木。夏に黄白色の花が咲き秋に赤い実がなる。
茎の粘液は鬢付油の材料となり、美男葛(びなんかずら)とも呼ばれる。
実は薬用。

たいそう技巧的な歌で、このウイットには、受け手に等質の才気がないと理解されにくい。
だから 現代の私たちが読むと「そうですか」と、ただひとこと、いうのみで、お世辞にも面白いとはいえない。

かろうじて現代語訳を読んだ上で、もう一度よみ返し「ハハァ。いや、わかりました」と、いうが、だからといって特に興趣が増すわけでもない。
作者の三条右大臣にはわるいが「どうッちゅことない」と、いうような歌である。
そうして国語の勉強には、えてして、こういうつまらない作品を押しつけられるから、生徒はうんざりして古典嫌いになる。

しかしこの作者が生きていた頃は、この歌をもらった相手は、身も心も弾み思わずスキップを踏みたくなるようなくらい、とても面白く嬉しく思ったはずである。
その時代では気の利いた歌だった。

作者の三条右大臣は、藤原定方。父は内大臣・高藤(たかふじ)母は、身分は低いが山科の豪族の娘であった。
この高藤と娘のあいだには『今昔物語』に伝えられる奇しきロマンスがある。
高藤は若いころ鷹狩に出かけ、山科で雷雨にあい、そのあたりの邸で雨やどりした。
そうしてはからずもその邸の娘と一夜をすごした。
その娘を恋しく思いながら事情があって再会できなかった。
何年かしてやっと高遠が訪れてみると、娘はいよいよ美しくなり、そばに可愛い小さな女の子がまでいた。
雨やどりの一夜の契りにもうけた女の子だった。
高頭は純情な青年であったらしく思われる。
喜んで母子を邸へ引き取り、他に妻を持たず、生涯仲良く連れ添い、二人の男の子、定国、定方を持った。

「さねかづら」の歌の作者は、そんな両親のロマンスから生まれた人である。
父の高藤はさしたる業績も伝わらぬ貴族であるが、雨やどりの姫君が一家に幸運をもたらすこととなった。
この姫君が、年頃になって、父の高藤は源定省という官吏と結婚させた。
定省は光孝天皇の皇子であるが臣籍に降下していたのだった。

二人のあいだには早くも男の子が生まれていた。
光孝天皇の崩じられたとき、にわかに運命は変わった。
源定省は、再び皇族に復帰し皇位について宇多天皇となる。
姫君は女御とよばれ、その男の子は皇太子となった。

高藤は昇進し、皇太子が醍醐天皇となると、内大臣となった。
二人の息子、定国と定も立身出世を遂げた。
定国は政治家であったが、定方は、歌や管弦の道で名高い文化人となった。

醍醐天皇の御代の年号を延喜というが、延喜朝の歌壇では、定方は中心人物の一人である。
山科の村娘との恋の話を、醍醐天皇はその母君にでも聞かれることがあったのであろうか。
その故地を懐かしく思われ、「死後の陵はそのあたりへ」と遺勅があったという。

雨宿りした豪族の家を後に寺にしたのが勧修寺で高藤系の氏寺となった。
さて、定方はそんなわけで、右大臣にまで累進する。
邸が三条にあったので三条右大臣と呼ばれたがこの歌は若い頃の歌であろう。

男は人目を忍んで女のもとへ通うならわしであるが、追い追い人の噂も高くなり通うのがむつかしくなる。といって、まだおおぴっらに通うほど機が熟さない、日々悶々としてくる。
「困ったねえ、人に知られずに通う手だてはないものかしら」と、それだけのことをいうのに、手のこんだ技巧をこらしているところが、王朝らしい歌である。

「人に知られで くるよしもがな」の「くる」を女が男のもとへ来るという解釈もあるが、これは王朝では絶対、ありえない。
男が車を迎えに出し、それに女が乗ってくるといういうケースもないではないが、女が通うということはない。
通うのはもっぱら男で、女はひたすら待つのである。

この「くる」は、『古語大辞典』にあるように、「話し手の関心の地を中心にしている場合もある」。
ほんとは、「行くよしもがな」というところであるが、定方の心は女のもとにあるから、「くるよしもがな」になる。

「大和には 鳴きてか来らむ 呼子鳥 象の中山 呼びぞ越ゆなる」 
  「万葉集」・巻一・七十

この歌の「来」とおなじ。この作者も、身は吉野にあって、大和へ行くことを「くる」と言っている。

さねかずらは、「万葉集」にもよく詠まれている。その蔓をよく見ると、冬の日の中に、美しい珊瑚のような深紅の実をつけている。
蔓の中にネバネバの液があって、これは古代の男の整髪料ポマードであったから、さねかづらを別名、美男蔓ともいう。
「名にし負はば」という通り、「さねかづら」の名から、色っぽい歌の小道具に使われたようである。
他にさねかづらを詠んだ歌を紹介すると

「いかにせん 逢坂山の さねかづら はぶきあまたに うつりはてなば」  藤原家隆

「わくらばに 逢坂山の さねかづら くるをたえづと 誰か頼まん」 
 九条道家

「身にしらね 逢坂山の さねかづら 関おば越えて 来る人もなし」 
 源頼言 

等、多数詠まれている。


【作者】
三条右大臣、藤原定方(873〜931)内大臣、藤原高藤の子。醍醐天皇三条御息所、中納言朝忠の父
邸宅が三条にあった為三条右大臣と呼ばれた。
歌・管弦に優れ、家集に「三条右大臣集」がある。
勅撰集入集歌十六首。


<記事出典・転載元>
三木幸信・中川浩文共著・[千人万首]・
[北極星は北の空から〜ブログの中に ]・等より。
ー26ー

 をぐら山 峰のもみぢ葉 こころあらば 今ひとたびの みゆきまたなむ  貞信公  

<拾遺集巻十七(雑秋)「亭子院、大井河に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりとおほせ給ふに、事のよし奏せんと申して  小一条太政大臣」>

小倉山の峰の紅葉よ
もしおまえに物の趣がわかる心があるなら
もう一度の行幸があるまで
散るのは待っていてほしいよ

をぐら山 峰のもみぢ葉;

「小倉山」は京都市右京区嵯峨にあり、紅葉の名所。
「峰のもみぢ葉」は「峰のもみぢ葉よ」と、呼びかけの句で、成分上は独立語。

こころあらば; 

「心」は物の趣・道理を理解する心。
「あら」はラ行変格活用「あり」の未然形で、順接の接続助詞「ば」を接して仮定条件。
「心あらば」「待たなむ」は紅葉を擬人化していう表現。

今ひとたびの みゆきまたなむ;

「いま」は副詞で、もう・さらにの意で、数量を表す名詞「ひとたび」を修飾する。
「みゆき」は同じ人の御幸ではなく、亭子院(宇多法皇)御幸(ごこう)に次いで醍醐天皇の行幸(ぎょうこう)をいう。(上皇・法皇には御幸、天皇には行幸と使い分ける。
「待た」は四段活用動詞「待つ」の未然形で、それに接する
「なむ」は、他に対する」願望、あつらえの終助詞(・・・テホシイ。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下<転載記事>千人万首・小倉百人一首 注釈』より。

◇こころあらば 情理を解する心があるのならば。
◇みゆき 上皇・天皇のお出まし。古今集の詞書によって醍醐天皇の行幸を指すことが判るが、百人一首の歌としては、古今集の詞書による限定を受ける必要はない。
◇またなむ 待って欲しいなあ。終助詞「なむ」は「遠慮して不可能かと思いながら希求する意を表わす」(岩波古語辞典)。

【ゆかりの地】小倉山 京都嵐山、大堰川北岸の山。小椋山・小闇山などとも書く。
古く万葉集に詠まれた
「夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず いねにけらしも」
の「小倉の山」を平安時代の歌人たちは京西郊の小倉山と同一視したものか、
例えば紀貫之は「大井にてよめる」と詞書した歌に
「夕づく夜 をぐらの山に なく鹿の 声の内にや 秋は暮るらむ」
と詠んでいる。いきおい紅葉も詠み込まれるようになり、鹿と紅葉、ひいては明月の名所ともなってゆくのである。
またここは小倉百人一首にとって最もゆかりの深い土地である。
因みに定家の息子為家も晩年この山に隠棲した。
・・・・・・・・・・・
作者は太政大臣基経の四男。母は人康親王の娘。小一条太政大臣と号し、「貞信公」は死後に贈られた称号――諡(おくりな)である。
子の実頼・師輔も著名な大臣歌人。子孫は繁栄し、百人一首歌人のうち忠平の血を引く者は実に十九人に及ぶ。
 延喜九年(909)に長兄時平が薨ずると、次兄仲平が存命であったにもかかわらず、氏の長者として嫡家を継いだ。以後急速に累進し、中納言・右大臣を経て延長二年(924)、左大臣に昇り、同八年には摂政を兼ねる。この間、兄時平の遺業を継いで『延喜格式』を完成撰進させた。承平六年(936)、摂政太政大臣従一位。天慶四年(941)、関白太政大臣。天暦三年(949)八月十四日、七十歳で薨じた。詔により正一位を追贈され、信濃国を封ぜられる。摂関体制の確立期にあって大きな役割を果たし、藤原氏全盛の基を築いたと評価される。
 百人秀歌では34番目にあり、33番の清原深養父と合せられる。月を賞美して夏の夜を徹する深養父の歌と、紅葉を賞美して秋が移ろい行くことを惜しむ忠平の歌。冒頭の天智天皇(秋の夜を徹する)・持統天皇(春から夏への季節の移ろい)の組と、あたかも合わせ鏡になっているかのようである。

【他の代表歌】
君がため 祝ふ心の ふかければ ひじりの御代の あとならへとぞ  (後撰集)

【主な派生歌】
み山路は もみぢもふかき 心あれや 嵐のよそに みゆきまちける
 (藤原定家)
声たてぬ あらしもふかき 心あれや みやまのもみぢ みゆきまちけり
 (〃)
をぐら山 峰の木の葉や 色にいでて ふりにしみゆき 今もまつらむ
 (藤原忠定)
小倉山 今一度も しぐれなば みゆきまつまの 色やまさらん
 (藤原光俊「続古今」)
をぐら山 峰のもみぢは なく鹿の 涙にそめて 色にいづらし
 (藤原為家)
いにしへの あとをたづねて 小倉山 みねのもみぢや 行きてをらまし
 (後嵯峨院「続後撰」)
いたづらに 今は染めけり をぐら山 いつの秋まで 行幸待ちけむ
 (姉小路基綱)
をぐら山 もみぢにとめし 小車も 跡こそたゆれ みゆき降りつつ
 (契沖)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<転載記事>『遊びをせんとや 』
百人一首  26番
小倉山 峯のもみぢば こヽろあらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

通釈
小倉山の峰も紅葉よ、もしも心というものがあるのならば、
もう一度行幸があるまで、散らないで待っていてほしいものです。

● yoshyさんのところへいこう!。
『和歌を変体仮名で読む-13』
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/40950579.html?vitality
『変体仮名を覚えよう!』
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http://blogs.yahoo.co.jp/yoshy12201220/folder/1330108.html?m=lc&p=6



貞信公   (藤原 忠平) (880年 - 949))
平安時代の公卿。藤原北家の嫡流で太政大臣藤原基経の四男。

延喜9年(909年)長兄の藤原時平の死後、次兄の仲平を差し置いて、藤氏長者として嫡家を継ぐ。
以後醍醐天皇のもと出世を重ねる。
農政等実施した政策は、時平の行った国政改革と合わせ「延喜の治」と呼ばれる。
甥にあたる朱雀天皇の即位に伴い摂政、村上天皇の代でも関白を歴任し、
藤原家の権勢を高めた。小一条太政大臣と号す。
また延長5年(927年)には、時平の遺業を継いで『延喜格式』を完成させた。 日記『貞信公記』が残る。

貞信公  ちなみに、妻・源順子は宇多天皇の皇女(養女とする説もある)であり、
宇多天皇側近であった菅原道真とも親交があったために、
宇多天皇や道真と対立していた長兄・時平からは疎んじられていたという説がある。
逆に兄・時平の死後、醍醐天皇が病気がちとなり、
天皇の父である宇多法皇が再び国政に関与するようになると、
忠平は法皇の相談役として急速な出世を遂げたと言う。また、
道真の名誉回復が早い時期に実現したのも「道真怨霊説」だけでなく、
亡き時平と忠平との確執が背景にあったと言われている。



<記事出典・転載元>
三木幸信・中川浩文共著・[千人万首]・
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